「新しい歴史教科書をつくる会」は『史』という機関紙を出していて、9月号が通巻100号記念となり、頼まれて次のような巻頭言を書いた。
総理、歴史家に任せるとは言わないで下さい!
「干天の慈雨」ということばがあるが、民主党政権下でずっと不安な思いをさせられ、いらいらしつづけた私にとって、安倍晋三政権の成立は「慈雨」にも等しいと観じられた。将来への大なる期待よりも、私などはこれで日本は危ういところを辛うじてやっと間に合った、タッチの差で奈落の渕に沈むところだったが何とか「常識」の通る社会をぎりぎり守ってくれそうだ、と、薄氷を踏む思いを新たにしているところである。安倍晋三氏が官房副長官であった当時が、『新しい歴史教科書』の最初の検定から採択への試練の時期であった。私は氏に何度もお目にかかり、窮境(きゅうきょう)を救っていただいた。故中川昭一氏とご一緒のところをお目にかかることも多かった。教科書問題とか歴史認識問題に一貫してご両名は関心が深かった。
安倍氏が第二次政権の安定したパワーで再び同問題を支援して下さることを念願しているが、ひとつだけご発言で気がかりなことがある。「侵略」の概念は必ずしもまだ定まっていない、と正論を口にされたそのあとで、付け加えて自分は判断を専門家の議論に任せるという言い方をなさってきた。大平正芳氏も、竹下登氏も、あの戦争は侵略戦争かと問われて、政治家の口出しすべきことではない、歴史の専門家に判断を任せると言っていたのを覚えている。
しかしじつはこれが一番最悪の選択なのだ。なぜなら日本の歴史の専門家は終戦以来、自国の歴史を捻じ曲げ、歪め、「歴史学会」という名の、異論を許さぬ徒弟(とてい)制度下の暗黒集団と化しているからである。文科省の教科書検定も、判断の拠り所を「歴史学会」の判定に求めているようである。だからいつまで経っても普通人の常識のラインにもどらない。「歴史学会」は若い学者に固定観念を植えつけ、ポストの配分などで抑え込んでいる。この世界では日本の「侵略」は、疑問を抱くことすら許されない絶対的真理なのである。学問というよりほとんど信仰、否、迷信の域に達している。
日本史学会のボスの一人であったマルクス主義者永原慶二氏の『20世紀日本の歴史学』(吉川弘文館・平成15年刊)に、「つくる会」批判の表現がある。戦後の日本史学会は東京裁判史観という「正しい歴史認識」に恵まれ、正道を歩んできたのに、「つくる会」というとんでもない異端の説を唱える者が出て来てけしからん、という意味のことが書かれている。はからずも日本史学会は今まで東京裁判に歴史の基準を置いてきた、と言わずもがなの本音をもらしてしまったのだ。マルクス主義左翼がGHQのアメリカ占領政策を頼りにしてきた正体を明かしてしまったわけだ。
安倍総理にお願いしたい。どうか「歴史の専門家の議論に任せる」とは仰らないでいただきたい。これでは千年一日のごとく動かない。のみならず、北岡伸一氏たちの『日中歴史共同研究』のようなあっと驚くハレンチな結果を再び引き起こすことになるばかりだろう。どうか総理には「広範囲な一般社会の公論の判断に任せる」という風にでも仰っていただけないかとお願いする。
旧左翼(マルクス主義史観)とアメリカ占領軍(東京裁判史観)が裏でしっかり手を結んでいたことがこのところ次第にはっきりしてきた。ルーズベルトがスターリンの術中にはまっていて、アメリカは戦後すぐに東欧でもアジアでも共産主義の拡大に協力的ですらあった。今の中国はアメリカが作ったのである。
安倍さんは日本が講和後には東京裁判に縛られる理由がないことも、侵略の概念については国際的な統一見解が存在しないことも知っておられるだろう。いつ言い出せるかが課題である。尖閣その他で緊張している間は、しばらく波風は立てられまいが、われわれはあくまで後押ししなければいけない。
歴史に関する考え方は日本でも世界でもどんどん動いているが、戦後すぐに固定観念を刷り込まれてから、頭にこびりついて、完全に自由を失っている人は今も少なくない。