オバマ広島訪問と「人類」の概念(二)

戦後を代表する評論家の嘘

 加藤周一といえばすでに他界されて久しく、死者に鞭打つつもりはありませんが、戦後を代表する最も知的な評論家として国語の教科書にも掲載され、高い評価を得ている人です。ベルリンの壁が落ち、ソ連が消滅した冷戦の終結時に、共産主義をなんとなく応援していた人はあれこれいろんなことを言ったものです。加藤氏も「資本主義が勝ち、社会主義が失敗したわけではないと弁明し、「解体しつつあるのは、スターリン型の社会主義である」と限定し、その後、とんでもない発言をしているのです。

 「政治的には政権交代の制度化において、あきらかに西欧や北米が先行し、ソ連・東欧・中国・日本がはるかに後れていた。ソ連や東欧は今その後れをとりもどそうとしているが、東北アジアの将来は、あきらかでない。1990年1月現在の日中両国には、一党支配が続いている」(連載「夕陽妄語」『朝日新聞』1990年1月22日)

 これも「体制の相違」ということがまったく分かっていないか、または分かっていないふりをして日本の政治を嘲弄しようとしているのです。私は反対意見として、次のひとことを呈しておきました。

 「日本と中国の『一党支配』が原理を異とする、別次元の性格のものであり、この点で氏のように、『ソ連・東欧・中国・日本』と並べるわけにいかないことは、加藤氏よ、13歳の中学生でも弁えている現実である。かつて知性派と目された評論家が、こういう子供っぽい出鱈目を書いてはいけない」(「ロシア革命、この大いなる無駄の罪と罰」『新潮45』1990年3月号)

 この時点で、加藤氏はもちろんご存命でした。

 加藤氏の間違いは、議会制民主主義の上に成り立つ西欧の民主社会主義と一党独裁と私有財産権否定のソ連・東欧・中国のマルクス=レーニン主義とは似て非なるものであり、」完全に原理を異とした別個の体制であって、両者の間に明確な一線を引かなくてはいけない、という最も初歩的な「体制の相違」という観点を曖昧に誤魔化していることです。

 そして、後者が完全に破産していること――すなわちロシア革命の失敗!――から目を逸らすために、西欧の民主社会主義にあくまで「本物の社会主義」を追い求めることで、マルクス=レーニン主義を救えるかのような、少なくともこれを奈落につき落とさないでも済むかのような幻想に取り縋っていたことです。

 いまの日本ではようやくそういう幻想は消えたかもしれませんが、習近平の中国が克服さるべき「スターリン型の社会主義」であることは、どこまで明敏に意識されているでしょうか。「日中両国の一党支配」を一つに見立てるというような、国民の99%が首を傾けるに違いない言葉が大新聞の文化欄に載ったのも、日本人に特有の知覚の欠陥に由来することでなくて何でありましょう。

つづく

Hanada-2016年7月号より

オバマ広島訪問と「人類」の概念(一)

(一)

わが目を疑った新聞記事

 日本人が外の世界を見る眼には、一種の知覚の欠陥に由来するような何かがあるのではないかと思うことが何度もあります。そういえば、日本人を褒めるのがやたら流行っている昨今の情勢では、何を?と目を剥いて叱られそうな雲行きです。

 で、はっきり証拠の出ている少し以前の話を致します。2002年9月の小泉首相の電撃訪朝により、同年10月15日に蓮池さん、地村さん、曽我さんが帰国され、彼らを北朝鮮にいったん戻すか否か、彼らの子供の帰国をどうするか等がしきりに論じられたときのことです。

 まずは、2002年10月末から11月にかけてのお馴染みの朝日新聞投書欄「声」からです。

「じっくり時間をかけ、両国を自由に往来できるようにして、子どもと将来について相談できる環境をつくるのが大切なのではないでしょうか。子どもたちに逆拉致のような苦しみとならぬよう最大限の配慮が約束されて、初めて心から帰国が喜べると思うのですが」(10月24日)

「彼らの日朝間の自由往来を要求してはどうか。来日したい時に来日することができれば、何回か日朝間を往復するうちにどちらを生活の本拠とするかを判断できるだろう」(同25日)

 そもそもこういうことが簡単にできない相手国だから苦労していたのではないでしょうか。日本政府が五人をもう北朝鮮には戻さないと決定した件については、次のようなオピニオンが載っていました。

 「24年の歳月で築かれた人間関係や友情を、考える間もなく突然捨てるのである。いくら故郷への帰国であれ大きな衝撃に違いない」(同26日)

「ご家族を思った時、乱暴な処置ではないでしょうか。また、北朝鮮に行かせてあげて、連日の報道疲れを休め、ご家族で話し合う時間を持っていただいてもよいと思います」(同27日)

 ことに次の一文を呼んだときに、現実からのあまりの外れ方にわが目を疑う思いでした。

「今回の政府の決定は、本人の意向を踏まえたものと言えず、明白な憲法違反だからである。・・・・憲法22条は『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない』と明記している。・・・・拉致被害者にも、この居住の自由が保障されるべきことは言うまでもない。それを『政府方針』の名の下に、勝手に奪うことがどうして許されるのか」(同29日)

 常識あるいまの読者は、朝日新聞がなぜこんなわざとらしい投書を相次いで載せたのか不思議に思うでしょう。あの国に通用しない内容であることは、おそらく新聞社側も知っているはずです。承知でレベル以下の幼い空論、編集者の作文かと疑わせる文章を毎日のように載せ続けていました。

 そこに新聞社の下心があります。やがて被害者の親子離れが問題となり、世論が割れた頃合を見計らって、投書の内容は社説となり、北朝鮮政府を同情的に理解する社論が展開されるという手筈になるのでした。朝日新聞が再三やってきたことでした。

 何かというと日本の植民地統治時代の罪を持ちだし、拉致の犯罪性を薄めようとするのも同紙のほぼ常套のやり方でした。

 それにしても、いったいどうしてこれほどまでに人を食ったような言論が、わが国では堂々と罷り通っていたのでしょうか。「体制の相違」ということをはなから無視しています。五人の拉致被害者をいったん北朝鮮へ戻すのが正しい対応だという意見は、朝日の「声」だけでなく、マスコミの至る処に存在しました。

犯罪国の言い分を認める

 

「どこでどのようにして生きるかを選ぶのは本人であって、それを自由に選べ、また変更できる状況を作り出すことこそ大事なのでは」(『毎日新聞』12月1日)

 と書いたのは、作家の高樹のぶ子氏でした。彼女は

「被害者を二カ月に一度帰国させる約束をとりつけよ」

などと、相手をまるでフランスかイギリスのような国と思っている能天気は発言をぶちあげています。彼女は

「北朝鮮から『約束を破った』と言われる一連のやり方には納得がいかない」

と、拉致という犯罪国の言い分に理を認め、五人を戻さないことで

「外から見た日本はまことに情緒的で傲慢、信用ならない子供のように見えるに違いない」

とまでのおっしゃるようであります。

 この最後の一文に毎日新聞編集委員の岸井成格氏が感動し(『毎日新聞』12月3日)、一日朝のTBS系テレビで

「被害者五人をいったん北朝鮮に戻すべきです」

と持論を主張してきたと報告します。同じ発言は評論家の木元教子さん(『読売新聞』10月31日)にもあり、民主党の石井一副代表も

「日本政府のやり方は間違っている。私なら『一度帰り、一ヵ月後に家族全部を連れて帰って来い』と言う」(『産経新聞』11月21日)

と、まるであの国が何でも許してくれる自由の国であるかのような言い方をなさっている。

 一体、どうしてこんな言い方があちこちで罷り通っていたのでしょう。五人と子供たちを切り離したのは日本政府の決定だという誤解が、以上見てきた一定方向のマスコミを蔽っています。

 「体制の相違」という初歩的認識が、彼らには完全に欠けています。

 日本を知り、北朝鮮を外から見てしまった五人は、もはや元の北朝鮮公民ではありません。北へ戻れば、二度と日本へ帰れないでしょう。強制収容所へ入れられるかもしれません。過酷な運命が待っていましょう。そのことを知って一番恐怖しているのは、ほかならぬ彼ら五人だという明白な証拠があります。

 彼らは帰国後、北にすぐ戻る素振りをみせていました。政治的に用心深い安全な発言を繰り返していたのはそのためです。日本政府は自分たちを助けないかもしれない、とずっと考えていたふしがあります。北へ送還するかもしれない、との不安に怯えていたからなのです。

 日本政府が永住帰国を決定した前後から、五人は「もう北へ戻りたくない」「日本で家族に会いたい」と言い出すようになりました。安心したからです。政府決定でようやく不安が消えたからなのでした。これが、「全体主義国家」とわれわれの側にある普通の国との間の「埋められぬ断層」の心理現実です。

 五人の親だけを帰国させたのは、子供を外交カードに使う北の最初からの謀略でした。蓮池さんや地村さんに子供を日本に連れて行ってもいい、と向こうの当局が言ったという話がありますが、彼ら両夫妻がきっぱり断ったそうです。もし連れて行きたい、と喜んで申し出を受け入れれば、その瞬間に忠誠心を疑われ、申し出を受けた夫妻の日本行きは中止となる、と彼らはそのときに直観したというのです。それほど徹底して異質な社会なのです。

 あの国の政府が何かをしてよいと言っても表と裏があり、それを安直に信じるわけにはいきません。筋金入りの朝鮮労働党の信奉者を演じきることのできる心理洞察力の持ち主だったから、彼らに帰国のチャンスがあり得たのでした。

 日本では小説家や評論家のような立場の人に、国家犯罪とか全体主義体制の悪とかについての認識があまりに低く、ナイーヴであり過ぎるのが私にはまことに不可解であります。スパイ養成を国家目的としている国の心理のウラも読めないで、よく小説家や評論家の看板をはっていられるものと思います。

 「朝日」や「毎日」がおかしいというのはたしかですが、それだけではない、ここまでくると日本人そのものがおかしいのではないか、とつい思わざるを得ません。

 これらの言葉を当時、私はむろん否定的に読んでいましたが、読者としてまともに付き合っていたのであって、狂気扱いはしていません。現実の国際的常識から外れていて変だとは思いましたが――だから念のために記録しておいたのです。しかし、いまからみれば私だけではない、「朝日」の記者だって自分たちが作っていた言葉の世界が精神的に正気でなかったと考えざるを得ないでしょう。

 日本人は自国の外を見るとき、やはりどこか知覚に欠陥があるのではないでしょうか。

月刊Hanada―2016年7月号より

つづく

北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険 (二)

アメリカに守られているわけではない

北朝鮮の核疑惑のそもそもの始めはソ連崩壊(1991年)が切っ掛けとなって発覚した。それから早くも四世紀が過ぎたが、何一つ問題を始末できないアメリカの無能と限界、自国可愛さのエゴイズムと不誠実に、わが国は己れの生命と国土の安全を委ねて来た。そもそもNPT(核拡散防止条約)は少数の核保有国に特権を許す代りに非核保有国に脅威のない安全を保障するという「神話」の上に成り立って来たはずだ。中国が尖閣騒ぎの背後で、いざとなったら日本に核ミサイルを撃ち込むぞ、などと冗談でも言ってはいけない相互信頼の条約のはずである。アメリカが北朝鮮の核の芽を早い段階で摘み取り、日本や韓国に迷惑を掛けない、という暗黙の約束があってはじめて成り立って来た条約である。核保有国がこの国際信義を揺るがせにするのなら、非核保有国は自国防衛を優先し、脱退し、自ら核武装せざるを得なくなるのである。

北朝鮮がNPTを脱退したときアメリカは一度は現実に核施設の爆撃を計画した(1994年)。しかし韓国と在韓米軍が甚大な被害を受けるという恐れから回避され、カーター元大統領が訪朝して「米朝枠組み合意」が結ばれた。これがボタンの掛け違いであった。後は弱者の恫喝が日を追って大きく激しくなり、2006年の一回目の核実験が見逃された。アメリカはイラク戦争を理由に、北の核問題を中国主導に委ねて、人も知る通り、六ヵ国協議でお茶を濁し、基地を爆撃破壊することも難しくなった。

私が石破茂防衛庁長官(当時)と『坐シテ死セズ』という対談本を出したのは、2003年9月だった。北朝鮮の核開発の可能性がにわかに現実味を帯びて来た頃のことで、私は石破氏に向かって執拗に、日本に攻撃能力があるかないかを問うている。氏は「北朝鮮が日本に向けてミサイルを撃つと宣言して、ミサイルを屹立させ、燃料の注入も始め、その他の状況も踏まえ、北朝鮮が武力攻撃に着手した、と判断されたとします。そのとき、在日アメリカ軍はどこかほかのところに派遣されている・・・・・・ほかには何の手段もないとします」そのような条件下ではじめて自衛隊が敵基地攻撃をしたとしても憲法違反にはならない、というのだ。

私は失望し、何度も食い下がっている。

西尾 北朝鮮の弾道ミサイルが米大陸に届くということが実証されたあかつきには、アメリカによる日本防衛が100パーセント確実だという保証はなくなります。そうなった瞬間に、理論上、日本はある意味で丸裸の無防備になる危険があります。

石破 北朝鮮にアメリカに届くようなミサイルができたなら、状況は相当に変わるのではないでしょうか。状況が変化する前に、ミサイル防衛システムが機能するべきだと私は考えています。

この発言にも私は失望した。北朝鮮の脅威はアメリカにとっては日本に兵器を売りつける絶好の機会でもあったのだ。石破氏がここで言う「ミサイル防衛システム」は、安全の絶対保障からほど遠いにも拘わらず、日本のメディアはことさら反論せず、被爆国日本は平和を愛します、核に核をという考えは持ちません、というお定まりの思考停止に陥ったまま、時間がどんどん経過した。石破氏がいまどのような認識をお持ちになっているか、私はその後聴く機会はない。だが、実験成功で次第に現実のものとなりつつあるのである。

私は中谷防衛大臣に同じ質問を提し、最新の情勢判断を問い質したいと願っているが、今その機会はないので、この誌上でお伺いする。

アメリカはかつて北朝鮮に向けてしきりに言っていた「完全かつ検証可能で後戻りできない核廃棄政策」という言葉を近頃はまったく使わなくなった。核そのものの危険よりも核拡散の危険のほうを言い立てるようになった。

2001年9月ニューヨーク同時多発テロ以来ことにそうである。これは日本人や韓国人の不安よりもアメリカ自身の不安を優先し、同盟国に無関心かつ無責任になりかけている証拠である。

日本の本気だけがアメリカや中国を動かす

しかし核にはもとより別の側面がある。最近は簡単に核に対しては核をと言う人が多いが、日本の核武装は国際社会にとって重大問題で、復讐を恐れるアメリカの心理もあり、今日明日というすぐの現実の手段にはならない。が、北朝鮮の暴発の回避はすぐ明日にも民族の生死に関わる切迫した課題である。そこで、北を相手に核で対抗を考える前にもっとなすべき緊急で、的を射た方法があるはずである。イスラエルがやってきたことである。前述の「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する」用意周到な方法への準備、その意志確立、軍事技術の再確認である。

私が専門筋から知り得た限りでは、わが自衛隊には空対地ミサイルの用意はないが、戦闘爆撃機による敵基地攻撃能力は十分そなわっている。トマホークなどの艦対地ミサイルはアメリカから供給されれば、勿論使用可能だが、約半年の準備を要するのに対し、即戦力の戦闘爆撃機で十分に対応できるそうである。

問題は、北朝鮮の基地情報、重要ポイントの位置、強度、埋蔵物件等の調査を要する点である。ここでアメリカの協力は不可欠だが、アメリカに任せるのではなく、敵基地調査は必要だと日本が言い出し、動き出すことが肝腎である。

調査をやり出すだけで国内のマスコミが大さわぎするかもしれないばからしさを克服し、民族の生命を守る正念場に対面する時である。小型核のミサイル搭載は時間の問題である。例のPAC3(地対空誘導弾パトリオット)を百台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。すでに四回目の核実験が行われた。

アメリカや他の国は日本の出方を見守っているのであって、日本の本気だけがアメリカや中国を動かし、外交を変える。六ヵ国協議は日本を守らない。何の覚悟もなく経済制裁をだらだらつづける危険はこのうえなく大きい。

「正論」平成28年4月号より

北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険 (一)

以下に示す文章を私は本年『正論』4月号(3月1日発売)に発表した。そして、同6月30日に刊行された評論集『日本、この決然たる孤独』の中に収めた。だから、すでに知っている読者もおられるだろう。

ここでもう一度念を押すように同文を掲示するのはくどいように思われるかもしれないが、しかし、どうしてももう一度訴えたい。情勢の変化による私の切迫した気持ちは、ご一読下されば分っていただけるであろう。

雑誌で一度、本で一度世に問うてもどこからも何の応答の声も聞こえなかった。みんなで声を挙げ、いよいよ政府に独立した国土防衛の本当に現実的な対策を打たせなくては危いのだ。

私は同評論集の「あとがき」の最初の部分を次のように書いている。

「何年も前に書いた私の予言が当ることが比較的多いのは少し恐いことである。本書の中にも、当たったら大変な事態になることが語られている。私は希望的観測に立ってものを言わないからだろうか。いま政府や関係官庁が本気になって目前の災いを取り除いてほしいと思えばこそ、きわどい真実を語るのである。」

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北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険

(一)

世界はもう何が起きても不思議でない

何が起きてももう驚かない、と最近しみじみ自分に向かって呟くことがある。10年前にかりに私が死んでいたら出合うことのなかったであろう、まさかと思う出来事に相次いで出合い、今は慣れ親しんでいる。ISなどというものが出現して見せしめに首斬り処刑をするというようなこととか、ロシアがクリミア半島を堂々と武力制圧してあっさり占有に成功してしまうとか、中世初期の民族大移動のような人の波がヨーロッパに押し寄せるとか。その前にそもそもあの貧困の代表国だったチャイナが経済力を看板にして国威発揚をするなどということも二十世紀には考えられなかった。まして日本の得意中の得意であった新幹線技術を、たとえ模倣であり盗用があったにしても、日本を出し抜いて輸出に成功するなんてつい10年前、否、5年前にも考えられなかったまさかの出来事に属するのである。そう見ていけば、何が起きてももう不思議はないのであって、今の不安定な世界情勢下において、北朝鮮の核弾頭が東京のど真ん中で炸裂し、一千万人以上の死者が出るという事態が起こっても、決して奇異ではないだろう。世界はもちろん驚くが、次の瞬間には、アメリカの約束(核の傘)のむなしさと日本の無策ぶりへの憐れみを口々に語るばかりであろう。東アジアはその後なにもなかったかのような平静さを取り戻すのに一年は要すまい。

年をとって耄碌した人間の幻覚ではない。私は人間である前に生物である。あまり理性的とは思えない怪しげな指導者を頂く独裁国家の核開発を見て、生き物としての私の嗅覚がうごめく、大丈夫なのか?と。自分と自分の種族の生命は何としても護らねばならない。スマートな話ではない。高級なテーマでもない。生物に具わった防衛本能である。わが身の安全を護るためには先手を打つ必要があるのではないか。やられる前に叩く、は、古今東西において変わらぬ自己保存の鉄則ではないか。ぐずぐずしていては間に合わない。日本では上から下まで、政府からメディアまで、一段と経済制裁を強めろ、とワンパターンに語る。北朝鮮に対し上からの目線で、偉そうに言うが、アメリカの虎の威を借りての空語であることは、日米以外に北朝鮮と国交を絶っている国は数えるほどしかなく、162ヵ国が北と政治的経済的関係を結んでいるのを見れば、日本とアメリカは少数派に属する。

たとえ経済制裁は国連決議だとしても、国連がどこかの国を防衛したことが一度でもあっただろうか。日本政府は国連の意向を尊重する前に、まず自国民の安全を最優先させねばならず、その目的のためにむしろ国連を動かし、利用するようでなければならないのだ。すべての国がそうしているように。

経済制裁は戦争行為の一つ

パリ不戦条約の起案者の一人であった当時のアメリカ国務長官ケロッグは、経済制裁、経済封鎖は戦争行為であると認識していた。この認識を用いて、東京裁判での弁護の論証をおこなったのは、アメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人だった。彼は日本に対する経済制裁が先の大戦の原因であり、戦争を引き起こしたのは日本ではなく連合国であると弁明した。日米開戦の原因をめぐる重要な論点の一つであったが、今そのテーマをここで取り上げたいのではない。

もしも経済制裁、経済封鎖がすでにして戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対して「宣戦布告」をしているに等しいのではないだろうか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んできても、なにも文句が言えないのではないか。彼らは「自存自衛」と「民族解放」の戦争をしたのだと言うだろう。開戦時の日本と同じような言い分を展開する十分な理由を、われわれはすでに与えてしまっているのではないだろうか。

勿論、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁は当然だ、との主張が日本側にはあると考えられる。先に拉致したのが悪いに決まっているけれども、しかし悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国など他の国の人々がそう思うかどうかは分からない。武器さえ使わなければ戦争行為ではない、と決めてかかっているのは日本人だけで、自分たちは戦争から今やまったく遠い処にいるとつねひごろ安心している今の日本人の迂闊さ、ぼんやりが引き起こした錯覚である。北朝鮮が猛々しい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵っているのをアメリカや他の国々の人は笑ってすませられるかもしれないが、日本人はそうはいかない。この島国はミサイルが簡単に届くすぐ目の前にあるのである。

アメリカ人は今の日本人より現実感覚を持っている。日米両国のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本人だけである。この誤解がばかげた悲劇につながる可能性がある。「ばかげた」と言ったのは世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く有効な手を打たなかったのかと他の国の人々は日本の怠惰を憐れむだけだからである。

拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、と分かったとき、経済制裁から武力制裁に切り替えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り替えないで、経済制裁をただ漫然とつづけることは、自分にとって途轍もなく危ういことなのである。

けれども日本では危ういことをしているという自覚がまったくない。それどころかヒト、カネ、モノの封鎖により制裁の度合いをさらに一段と強めることこそが問題の解決に近づく道なのだ、と言わんばかりの勝ち誇った明朗さで、今この件がすべて語られている。一点の不安も逡巡もそこにはない。政治家もメディア関係者もいったいどういう頭をしているのだろう。北朝鮮がらみの案件は打つ手なし、と決めてしまい思考停止に陥っているのだろうか。

よく人は、北朝鮮の核開発の動機を説明する場合に、対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だという言い方をする。くりかえし聞く説明である。それをアメリカや他の国の人が言うならいいとしても、標的にされている国のわれわれが他人事のように呑気に空とぼけて言いつづけていいのだろうか。北の幹部の誤操作や気紛れやヒステリーで百万単位で核爆死するかもしれない日本人が、そういうことを言って自分の生死の問題から逃げることは許されない。

今の時代はまさかとしか言いようのない種類のことが相次いで起こっていることは前にも述べた。かつてイスラエルがイラクの核基地を空爆で破壊したようなことが今日本政府に求められているのではないか。

以前に科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルでの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語ったことを私は記録にとどめている(『Voice』2009年6月号)。その頃はまだ「打ち上げ『前』」が言葉に出して言えた時代だった。あれから時間も経ち、北のミサイル基地の規模はだんだん大きくなり、移動型にさえなっている。

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十六回」

(3-50)汚い言葉、野卑な言葉をこの地上からなくしてしまえば、汚い現実、野卑な現実もなくなるだろうと考えるのは、社会の平板化を善とする小児病的な消毒思想である。

(3-51)一語の意味が醜悪であるからといって、その一語を抹消してしまうならば、われわれの国語はそれだけ貧弱になり、それだけ美しい内容豊かな文章を作り出す能力をも失うのである。

(3-52)不幸な前提などまるで存在しないように、自分にも他人にも言いきかせ、ごまかしているかぎり、いつまでたっても、その人は自分の手で自分の幸福をつかみとることはできないだろう。そして現代は、人にこうした宿命を教えるよりも、一時的にもせよ、宿命を忘れることをさかんに教える甘やいだ時代であるように思われる。

(3-53)言葉は個人を越えた歴史や文化が作ったものである。つねに言葉はわれわれ一人一人より大きい。われわれがそれを作ったのではなく、われわれはそれによって作られてきたのである。

(3-54)ある予想を立ててものを言う場合、それが外れることは必ずしも恥ではない。問題は、現実の変化に合わせ、話題や材料を変えさえすればそれでなにか新しいことが言えると思っている、考え方の甘さにある。自分の歩き方、認識の仕方を変えなければ、自分が成長するということも起こらないのではないだろうか。

(3-55)このように情報や映像ばかりが豊富に与えられて、「現実」の本当にリアルな実像がはっきりつかめないというのが、現代の特徴である。そのために人は、実際以上に現実を現実くさく、過激に、悲劇的に、複雑なものとして心に思い描く傾向がないでもない。それはわれわれの日常生活が平穏で単調であるということにほぼ釣り合っている。

(3-56)つまり弱い者の立場を守るのも社会の弱点の利用によってなされる。幸福は戦術に依存している。強者も弱者も同じ原理によって生きる。どちらにしても私にはじつに不幸なことだと思わざるを得ない。
 残念ながら以上は事実である。だから現代で一番強い者は、他人の不幸にのっかった仕事をする人たちかもしれない。

(3-57)権利を主張することは、なにも正義の味方になることではなく、それは生活上の必要にすぎない。そう知っておくことが冷静な常識である。

(3-58)こういう生身の人間の生きた呼吸のようなものを感じとるのが文学の仕事で、これを離れて、思想だけを抽象的に切り離して、現代に生かそうと考えても、それは不可能だろう。

(3-58’)文化とは生の目標のうちにあるのではなく、現在の生き方のなかにしかない

(3-59)本当に「強迫観念」の囚われから解放されているとき、人はそういう言葉を口にする必要を認めない

(3-60)外国人が、例えば能や歌舞伎を好意を持って評価することがあるとすれば、それは彼らの文化体系から発した要請であって、べつだん私たちの文化に益することでもなんでもない。

(3-61)世には客観という名の主観がある。近代世界はそういう歴史像にあふれている。

(3-62)抜け目なく感動を加工し、意匠を演技して生きていくのが現代人ひとりびとりの止むを得ぬ宿命だとしても、そういう現代の弱点をあくまで弱点として自覚していくところにはじめて人間の意志の働きがあるのだし、文学が生まれるのはそういう自覚からであろう。
 つまり無感動な、情熱を喪った人間を文学が素材にすることはゆるされても、文学そのものが無感動で、情熱を喪ったものになってはならないのだ。

(3-63)四世紀にわたって、数えきれぬほどのハムレット像、イアーゴー像、マクベス像が現れては、かつ消えていったその流動する歴史全体が、じつはシェイクスピアそのものなのだ。

(3-64)文明が進展するにつて、個人の生き方はますます頼りなく、偶然に支配されるような傾向がましていく一方だということを自覚せずにはいられない昨今である。つまりすべては開かれ、どこといって定点はない。

(3-65)世界にはギリシア文化や日本文化というものは確かに存在します。けれども比較文化というものは存在しません。存在しないものをどうして学問の対象とすることができるのか。私にはそれがまず素朴な疑問であります。

(3-66)何らかの囚われがなければ認識は成り立たないのではないか。その点現代は楽天的で、近頃は何でも分かったという風潮が出てきていることに私は疑問を持っているわけです。

(3-67)無関係なら公平に相手が見えるといいますが、無関係はまた無関心ということであって、公平のつもりが見当外れな観察を外にむけてしている場合がままあります。

(3-68)そういうふうに過去を展望して、或るところまで相対化して歴史を眺めていきますと、過去の歴史が時間的にも空間的にもとらわれから解放されてしまうかのように思われ、すべてがわかる知性というものが出てくる。しかし私は、あらゆるものを空間的にも時間的にも展望してしまうような知性ははたして本物だろうか、という疑問をつねづね抱いています。つまり何物にも縛られない知性の立場というものはあるのだろうか。

(3-69)日本の文化ないし日本の文明が持っていた価値と力、或いは美しさ、そういうものが明治以降、西洋の自然科学の認識の仕方が入っていきて、ずいぶん歪められてきているように思います。或いはすでになくなってしまっているかもしれない。

(3-70)外の社会は繁栄と進歩の姿にキラキラと光り輝いているのに、内側はただひたすら虚しく、時間がただのっぺら棒に永遠になにごともなく伸びて行くばかりなのは二十一世紀の現代に至る、否、今後も永遠に続く、日本と世界の精神風景にほかならないのではないか。

出展 全集第3巻
「Ⅳ 情報化社会への懐疑」より
(3-50)(349頁上段から下段「言葉を消毒する風潮」)
(3-51)(349頁下段「言葉を消毒する風潮」)
(3-52)(351頁上段「言葉を消毒する風潮」)
(3-53)(352頁上段「言葉を消毒する風潮」)
(3-54)(354頁下段「マスメディアが麻痺する瞬間」)
(3-55)(366頁上段から下段「テレビの幻覚」)
(3-56)(376頁下段「権利主張の表と裏」)
(3-57)(377頁上段「権利主張の表と裏」)
(3-58)(390頁下段「韓非子を読む毛沢東」)
「Ⅴ 観客の名において―私の演劇時評」より
(3-58’)(409頁下段「第一章 文学に対する演劇人の姿勢」)
(3-59)(448頁上段「第三章 『抱擁家族』の劇化をめぐって」)
(3-60)(454頁下段「第四章 捨て石としての文化」)
(3-61)(469頁下段「第五章 ブレヒトと安部公房」)
(3-62)(484頁上段「第六章 情熱を喪った光景」)
(3-63)(505頁上段「第七章 シェイクスピアと現代」)
(3-64)(506頁下段から507頁上段「第七章 シェイクスピアと現代」)
「Ⅵ 比較文学・比較文化への懐疑」より
(3-65)(522頁下段から523頁上段「比較文学比較文化―その過去・現在・未来」)
(3-66)(526頁下段「比較文学比較文化―その過去・現在・未来」)
(3-67)(544頁下段「比較文学とはなにか、それはなにをなし得るか、またなし得ないか?」)
「追補 今道友信・西尾幹二対談―比較研究の陥穽」より
(3-68)(557頁上段)
(3-69)(578頁下段)
「後記」より
(3-70)(589頁)

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十五回」

(3-1)無自覚に騙された者は、騙した者よりその罪は重い。無自覚であっただけに、救い難いのである。現在もまた騙されていないとう保証はどこにもない。無自覚に騙されたのなら、何度でも騙されることになるであろう。

(3-2)過去は、裁いたところで、幻とはならない。必要なことは、過去の悪をことごとく肯定する勇気である。さもないと、将来ふたたび反省や後悔をくりかえし、現在の自分の立場もまた悪として断罪の法廷に引き出されることになるであろう。

(3-3)先生と生徒との間には、厳とした立場の相違、役割の相違がある。そういう暗黙の約束があることを誰よりもよく知っているのは子供である。先生が役割にふさわしく振舞ってさえくれれば、子供は先生を信頼し、先生に人格を感じる。子供の人格を尊重すると称して、いたずらに理解力のある態度をみせ、まるで友達同士のように話し合おうとする先生には、子供は人格を感じないばかりか、結果として子供の人格も無視されることになるのである。

(3-4)問題なのは、他愛のない政治用語を教育上のモラルとして繰返し耳に吹込まれているうちに、成人に達するころ人間が馬鹿になってしまうことである。私はそういう人達を沢山見てきた。

(3-5)教師は未完成な生徒にとって一つの規範であるべきだし、「権威」ですらなければならないと私は思う。規範のない所には模倣もない。規範や権威があるからこそ、ときにそれに納得し得ない自分というものに気づき、眼ざめる生徒の自主性も生まれるのである。それが本当の自主性というものであり、それがまた本当の民主主義を成り立たせる土台となるべきものだろう。

(3-6)昔の信仰は神話であったとぬけぬけと言える者に、今の確信が神話でないという保証はどこにあるのだろう!

(3-7)人が生きるということは目隠しされているようなことかもしれない。しかし、そういう自覚をはっきり持っていればかえって迷いなく未来に向うことができる。

(3-8)国民がこぞって平和教の念仏を唱えてみても、アメリカを含む世界のどこの国も日本のことなど露ほども大事に思っていない事実をはっきり知らなければならない。戦時中にあって戦後失われた大切な感覚をもう一度思い起こすべきである。日本の安全と利益が真に大事なのは日本人にとってだけで、大切なのは日本一国の平和であって平和一般ではないという認識である。さもないと上ずったヒステリックな平和祈願は、間接侵略の呼び水になり、意図に反して平和を破壊することにしか寄与しないであろう。

(3-9)歴史を動かすほどの誤解なら、誤解もまたそれ自体一つの「正解」ではないか。

(3-10)保守的な生き方・考え方とは、自己についても、世界についても、割り切れないものを割り切ろうとはしない態度、理論よりも理論の網目からもれたものを尊重する態度だ。楽観的な合理主義に虚偽をかぎつける本能、そういいなおしてもよい。彼らは進歩を否定しているのではない。ただ進歩を生の最高の価値、社会の究極の目的と考えるあの観念的な未来崇拝に与(くみ)しないだけである。

(3-11)ひとおもいに幾千万里と飛翔した孫悟空が、気がついてみるとまだお釈迦様の掌のなかにあったというあの寓意は、なぜか僕には、未知の国を旅する旅行者を諷刺しているように思えてならない。

(3-12)今日、民主教育という名の下に生徒の自主性を育てようと努めている善意ある教育者の考え方が、その善意にもかかわらずどこか間違っているように思えるのは、自律精神や自主性を「育てる」ことが可能だと思いこんでいることにあるようだ。「育てられた自主性」では言葉の矛盾ではないか。

(3-13)要するに完全な自由、完全な真理、完全な平和などというものはどこにもなく、われわれは相対的な善を信じて生きていくしかないというペシミズムをもっとはっきり認識すべきではないか。完全な善、絶対の善をもとめる心情は要するに心情以上のものではなく、従ってそこにはなんの実体もない。

(3-14)人生に絶望していた筈の私小説家たちが、芸術一筋に生きようとする自己の誇らかな芸術家としての生き方に絶望したことは一度もなかったことは大きな矛盾であった。

(3-15)人間はたしかに世界の悪や不正に感情をさいなまれるのが正常かもしれない。しかし悪や不正から離れて人間の生はなく、生きることは蒸留水のように生きることではないと解って、個体は一つの限界にぶつかるのである。

(3-16)若さとは、隠すべきものではないのか、

(3-17)あまりにも一方的な過去の断罪は、結局は、現在の自分の善のみを信じて疑わない自己過信に陥り、それはまた、現在の自分の立場だけを救い出そうとするエゴイズムと化する。

(3-18)制限や束縛が余りにも過剰であるときには、人はそれを不自由と感じるかもしれないが、だからといって制限や束縛を打ち破って自由になったというだけでは、人は自由にはならない。不自由な状態を脱け出て、自由の地平に出た瞬間に、人はたちどころに自由ではなくなるのである。生きている限り、人は不自由と顔をつき合せていなければならない。それが人間の生をささえる秘密でさえある。

(3-19)歴史は個人を超えている。知性は全体を把握することができない。知性が歴史全体に対し神の位置に立ったとき、歴史は姿を消す。過去に対しても、未来に対しても、個人は不自由である。不自由の自覚を通じて、個人は初めて「現在」に徹する自由への第一歩を踏み出すことを可能にするのみである。

(3-20)大学は「自治」という権利を要求するが、自分で自分を管理する能力はなく、それでいて世間にはなんの責任も負わない。

(3-21)成熟を装うのが青年の習性である。青年は青年であるとよばれることをもっとも恐怖する。だが、まことに不思議なことに、われわれの生きているこの現代社会では、未成熟を売り物にするのが青年の商品価値となった。

(3-22)青年はそんなに美しいものか?青春はそんなに語るに足るものか?冗談ではない。若さのいやらしさとは、若いということに対してさえ自分では気がつかないことなのだ。若さとは、酒がなくても、酔えることであり、酔っていることに対してさえ、自分ではその自覚がないことなのだ。

(3-23)生きるとは、蒸留水のように生きることではないと解って、個体は一つの限界にぶつかるのである。青年が自分自身への批判を深め、内省し、倫理的に成熟していくのはそのような限界意識からである。

(3-24)なにかある「物」が創られた結果が文化なのではなく、創っていくその過程や精神の運動、もしくは創られたものへの鑑賞者の主体的な関わり方や評価という行為、そういう非現実的な、流動的な不安定な人間的要素を措(お)いて、文化というものを考えることは出来ないであろう。とすれば私たちの日常の生き方、行動の仕方と別のところに文化はないし、政治的な行動も、それが人間の主体的な精神の運動である限りは、やはり広い意味で、文化の一種であると考えなければならないのではないだろうか。

(3-25)小説家は作品という「物」を残すと信じられているが、作品とはそもそも幻影であって、実体はあくまで読者の意識の運動のなかにしかない。

(3-26)唯物論的人間観は人民を意志のない善意の人形とみたて、権力の頂点にいっさいの悪を支配する黒幕的人物を想定したがるが、まさしくそういうことを考えたがる知性は紙芝居程度に貧寒な人間観によってしか支えられていない。

(3-27)醜い外貌の人間にも、美しい、高貴な精神が宿る場合があることを信ずるよりも、美しい外観の人間をそのまま率直に感嘆することの方がよほど人間的と言えるのではないか。精神とか知性とかいう正体不明のものをほとんど無自覚に過信していることの方が、近ごろの肉体上の露悪趣味よりもよほど頽廃的といえるかもしれない。

(3-28)誰しも自由を求めて生きるのではなく、何事かをなし遂げようとして生き、結果的に、ある自由感の裡(うち)に生きる、ということもあるかもしれない。人は自由を捕えるのではなく、反対に自由に捕えられるように、自由が意図せずして歩み寄ってくるように生きることが真の自由であろう。

(3-29)子どもの自主性というものは、教師が手を貸して育てるものでしょうか。教師は善導家でもなければ、社会批評家でもありません。自分の教える教科に自信をもち、そのために必要な制限や条件や課題を生徒たちに課していく、一つの「権威」であってさしつかえないものです。

(3-30)現代はなんといっても、情熱や決断にとって代わって、言葉の上の解釈や認識の圧倒的な分量に押しつぶされそうになっている時代でもある。情熱や決断にもとづくどのような行為の価値といえども、たちどころに相対化されてしまう、あの明るく開かれた、無性格な空間を前にして疲労感を覚えない者はまずいまい。

(3-31)たしかに現代は、ひとびとがみないささか利口になりすぎている時代だと言っていい。

(3-32)目の前に差し迫った試練がない時代には、試練がないということが、じつは最大の試練であろう。

(3-33)日本と西洋という対立図式が有効であるのは、客観的定義でなにかを解決するためではなく、解決できないなにかにぶつかるための、作業上の手続きとしてでしかない。

(3-34)すべての一流の思想は多面体である。時代に応じ、個人に応じ、さまざまな幻影を生む。しかし一流の思想はまたつねに単一の音色をもっている。

(3-35)理想とは目に見えないなにものかなのであって、永遠に現実とは一致しない。一致しないがゆえに、まさしくそれは理想なのである。

(3-36)理想は自分の外に求めるものではなく、その中にあって、いわばそれに包まれて、自分が生きていく過程のことである。大切なのは目的地に到達することではなく、理想という名であれ何であれ、容易に解決を生まない持続した情熱の過程をどう歩んで行くかということにつきている。

(3-37)一般の生活人が、もし本をよんだりものを考えたりするような人であれば、おおむね健全な生活の智恵に立脚することはほとんどなく、どことなく知識人的な意識に染まりはじめてきた。民衆の知識人化という現象は、戦後の教育のあり方によって、とりわけ若い世代にいっそうひろがった。大江健三郎を支える層がそこにある。

(3-38)日本では不自由や自己疎外の観念的幻想を抱いていない生活人の方が、はるかに早く、近代的な自由の孤独の重さというものに突き当っているのかもしれない

(3-39)だいたい「実用的」な言語教育をもっぱら中心におこなっていけば、言語はスムーズに伝達できるかといえば全くそんなことはない。伝達するのは言葉ではないからである。双方の言葉の背後にあるものにともに了解が成立して、はじめて伝達が可能になるのである。私は外国語教育において実用面よりも教養面を重視しろなどと言っているのではない。実用と教養とをわけることは出来ないと言っているのである。

(3-40)フランスに行けば通じる言葉はフランス語だけである。日本に来て、通じるのは日本語ばかりだと困惑する外国人がいてなぜ悪いのだろうか。一般国民にあまねく英語を聞いたりしゃべったりする能力を与えるべきだなどと考えるのは植民地根性でしかなく、自国の文化に自信をもっている民族のなすべきことではないだろう。

(3-41)外国語教育の目的は、文法の正確さと読みの深さを訓練すること、秀れた文章を暗誦させること、それを通じて、国語教育の欠を補い、言語一般に対する文化感覚のようなものを育成することにあると思う。

(3-42)言語教育はすぐ結果の出ない息の長いもので、むしろ「役に立たない」ものへの情熱によって支えられるべきものであろう。

(3-43)言葉とはけっして単なる道具ではない。言葉とは私たちの肉体の一部であり、気に入らぬ衣裳のように勝手に着たりぬいだりは出来ないものなのである。

(3-44)日常生活の中で不断に接している言語、すなわち無秩序で混乱した言語に規範を与え、格調のある立派な日本語とはこういうものだという一つの雛形を与えること、それがなんといっても国語の教科書の最大の役割ではないだろうか。

(3-45)文章がわかる、というのはなにかを感じる、ということであって、気の利いた解釈ができる、ということではない。

(3-46)すべての生徒が等しなみの能力と平均した才能しかもっていないという前提の上に成り立っている現代の教育観そのものに一番大きな問題があるのだと私は考えている。

(3-47)社会的な名士と称され、一流の肩書きをそなえた人の、知的に高級めかした理論家気取りの上品な文章にどことなくひそむ通俗的知性ほど世に有毒なものはほかにない。

(3-48)例えば日本的な無私の精神などとよくいうが、本来的な日本人、すなわち無私であることに悟達している日本人なら、無私の精神が西洋の理性より優越しているかどうかにこだわった議論をするわけがなく、そういう問題そのものに対して「無私」であるはずである。

(3-49)江戸の歌舞伎や黄表紙・洒落本では二番煎じ、三番煎じの模倣がくりかえされてなお人はそこに新しさを発見していた。現代では、他人の作をまねることは厳格に禁じられ、人々は独創と個性を競い合っているのに、どうして互いに新味のない、似たような顔をしているのだろうか。

全集第3巻 懐疑の精神
「Ⅰ 懐疑のはじまり(ドイツ留学前)」より
(3- 1)(15頁下段「私の「戦後」観」)
(3- 2)(24頁下段「私の「戦後」観」)
(3- 3)(27頁上段から下段「私の受けた戦後教育」)
(3- 4)(33頁下段「私の受けた戦後教育」)
(3- 5)(36頁上段「私の受けた戦後教育」)
(3- 6)(40頁下段「国家否定のあとにくるもの」)
(3- 7)(40頁下段「国家否定のあとにくるもの」)
(3- 8)(41頁下段「国家否定のあとにくるもの」)
(3- 9)(42頁下段「知性過信の弊(一)」)
(3-10)(46頁上段「私の保守主義観」)
(3-11)(54頁上段「一夢想家の文芸批評」)
(3-12)(65頁上段から下段「民主教育への疑問」)
「Ⅱ 懐疑の展開(ドイツからの帰国直後)」より
(3-13)(82頁下段「ヒットラー後遺症」)
(3-14)(118頁下段「大江健三郎の幻想的な自我」)
(3-15)(123頁下段「大江健三郎の幻想的な自我」)
(3-16)(130頁下段「大江健三郎の幻想的な自我」)
(3-17)(137頁上段「知性過信の弊(二)」)
(3-18)(142頁上段「知性過信の弊(二)」)
(3-19)(143頁下段「知性過信の弊(二)」)
(3-20)(147頁下段「国鉄と大学」)
(3-21)(150頁上段「喪われた畏敬と羞恥」)
(3-22)(150頁上段「喪われた畏敬と羞恥」)
(3-23)(158頁下段「喪われた畏敬と羞恥」)
(3-24)(161頁下段「文化の原理 政治の原理」)
(3-25)(162頁上段「文化の原理 政治の原理」)
(3-26)(186頁上段から下段「文化の原理 政治の原理」)
(3-27)(193頁上段「見物人の知性」)
(3-28)(207頁上段から下段「自由という悪魔」)
(3-29)(219頁下段「生徒の自主性は育てるべきものか」)
「Ⅲ 懐疑の精神(七十年代に露呈した「現代」への批判)」より
(3-30)(243頁上段「老成した時代」)
(3-31)(243頁下段「老成した時代」)
(3-32)(244頁上段から下段「老成した時代」)
(3-33)(256頁下段「老成した時代」)
(3-34)(258頁上段「老成した時代」)
(3-35)(267頁下段「老成した時代」)
(3-36)(268頁下段「老成した時代」)
(3-37)(287頁下段から288頁上段「現在の小説家の位置」)
(3-38)(292頁下段「生活人の文学」)
(3-39)(303頁上段「実用外国語を教えざるの弁」)
(3-40)(303頁上段から下段「実用外国語を教えざるの弁」)
(3-41)(303頁下段「実用外国語を教えざるの弁」)
(3-42)(303頁下段から304頁上段「実用外国語を教えざるの弁」)
(3-43)(304頁上段「実用外国語を教えざるの弁」)
(3-44)(306頁下段「わたしの理想とする国語教科書」)
(3-45)(308頁上段「わたしの理想とする国語教科書」)
(3-46)(310頁上段「わたしの理想とする国語教科書」)
(3-47)(318頁下段「帰国して日本を考える」)
(3-48)(321頁上段「帰国して日本を考える」)
(3-49)(325頁下段「帰国して日本を考える」)