(四)
私たちは予想外に戦前の「国体論」と同じ思想の波動の中に生きているということがあるのです。例えば以前「日本人論」というのが流行になりました。「国体論」というのは「日本人論」なのです。「国体」という言葉は消えて「国民体育大会」になってしまったけれど、日本人論のことなのです。それと「皇室」ということです。皇室についての様々な国民の感情の動きも戦前の国体論とそっくり同じです。戦争の時代には特有の歴史の見方があって、論争がありました。即ち皆さんもご存知のとおり、国民は天壌無窮の皇統を仰ぎ奉り、ひたすら忠誠忠義の心を唱えなさい、そうでありさえすればよい。という考えもありました。国民に主体性も個性も要らない、ひたすら忠誠心だけあればいいという。文部省の「国体の本義」はそれです。基本的には良い部分もたくさんあるけれど、これは変な本です。神武天皇のところがたくさん書いてあって、もちろん建武の中興、後醍醐天皇のこともたくさん書いてある。そして、明治天皇のことがたくさん書いてある。それは分かるのですが、鎌倉時代を否定している。それから江戸時代を細々と書いているだけで、あまり書かない。これでは国民の歴史ではありません。つまりどういうことかというと、皇室偏重の歴史なわけです。武家が威張っていた時代は駄目だということです。そんな莫迦な話は無いし、歴史というのはそういうものではない。
大川周明の「日本二千六百年史」という有名な本がありますが、これは鎌倉時代の成立を革新の名で捉えたために、不敬の書として刑事告発されて東京刑事地方裁判所刑事局思想部に摘発されます。それで、皇室への反逆の時代であるがゆえに、これを低く見なければいけないということですね。そこに革新の意図を認める、などどいうことは許せないということです。告発したのは蓑田胸喜(みのだむねき)です。この人を好きな人も多いのですが、私は少し変な人だと思っています。
私は偏った「国体の本義」論を良いとは思いません。「国体の本義」というのは昭和12年ですが、昭和8年に山田孝雄、さっき挙げた国語学者が同じ題名で「国体の本義」を書いていますが、ずっと良い本です。どういうことかというと、すぐに論争が起こったのです。文部省刊「国体の本義」に対しては反論が起こったのです。つまり、論争があると申し上げたいのです。どういうことかというと、総力戦体制で戦おうとしている軍人たちの精神にとって、ただひたすら天壌無窮の皇統を仰ぎ奉ってさえいれば良いという消極的な事では、これでは精神涵養さえ覚束ない。そんなスタティック、静的な歴史観を基本に置いたのでは困るというような反論で、わが国体は何らかの理由なしに尊厳なのではなくて、国民個々人の主体性の関与があって初めて尊いものになるから、国民の主体性を無視するような静的な天皇観、国家観では困ると。武人の自立を尊重する意志的日本人観への転換を求めるという。分かりますね。当時の時代はそういうことを言ったのでありまして、これは山田孝雄も言ったし、平泉澄も言っています。
そしてこの平成の言論界に於いても、最近ちょっと下火になりましたが屡々皇室論がありました。同じように、臣民たる分際を守って皇室をひたすら仰ぎ見ていなさいと、余計なことに口出ししてはいけません、という声が一方にあります。私は、そんなことでは現代日本の旗幟には対応できないだろうと。皇室への尊重の気持ちに対して能動的に関与してゆくことは必要ではないか、一歩踏み込むべきである、というのが私の考えです。そのことは知っておられる方もおられるでしょう。今でもこの二つがあるわけです。ちょうど戦争中の考え方と、皇室に関する考え方は時代の問題で内容は違うけれど波動はよく似ているのですね。歴史は敗戦ということで切れていないのです。戦前の思想は言葉遣いなどに馴染みは無いのですが、予想外に私たちの実感に近い所がありまして、日本人論などは興味深い。
それから朝鮮半島と台湾が併合になったということに平泉澄が疑問を呈しているのです。どういうことかというと、大和民族の血が汚れると。「汚れる」とまでは言っていないけれど、それほど広がると「大和民族というのは何であるか」ということを考えるときに困るではないかと。その事を考えないで、ただ領土を広げて帝国主義万歳と言って良いのかという問題です。
実はこれは今の難民問題と直結しているテーマですね。今大変な問題がドイツを直撃しています。でもよく考えてみたら、日本だって明日何が起こるか分からない。シリアでは問題が起こるか分からないけれど。アジア諸国にどういう動きが起こるかも分からないので非常に不安です。とにかく、水難事故が起こってもこれだけの困難がこの国に訪れる訳ですから、何万人という外国人が難民として日本に入ってきたらどうするのだろうということは、今からしっかりと考えておかなければならないテーマではないかと思います。
さて、私が言いたいのはそこから先です。昭和のダイナミズムの一覧表の中には昭和に生まれ、戦前に生まれ戦後に通用して来た保守思想家たちがたくさんおられます。私が先生としてきた人たちです。小林秀雄、福田恆存、竹山道雄。田中美知太郎もそうです。戦前に生まれて戦後に保守思想家であった人たちです。林房雄、岡潔、三島由紀夫も皆入りますが、これらの人たちは戦後的生き方を批判してきました。しかし戦前の考え方を肯定しているかといえば必ずしもそうではないでしょう。戦後的価値観で戦後を批評することは盛んでしたけれど、戦前の日本の在り方というものに果たして立ち還っているのかと疑問に思うことが最近多いのです。戦争に立ち至った日本の運命、国家の選択の止むを得ざる正当さ。自己責任をもって世界を観ていたあの時代の自己認識。こういうものを、小林秀雄、福田恆存、竹山道雄、田中美知太郎、戦後の和辻哲郎その他、ここに出てくる方々を含めて、ちゃんと直視しただろうか。この会場に居られる多くの方は、今挙げた先生方を神様のように思っている方が多いでしょうし、私にとっても最も大切にしてきた人たちであります。
戦前が正しくて戦後が間違っているというようなことでは決してありません。対立や区分けがそもそもおかしいので、ひと繋がりに連続しているということを先ず考えます。戦前のものでも間違っているものは間違っているし、戦後のものでも良いものは良い。それは言うまでも無いのですが。日本の歴史は連続して今日まで至っているのですから、戦後の保守思想の欠陥ということであります。
小林先生、福田先生、竹山先生、先達たちにも何かが欠けているように私には思える。間違ったことは仰有っていません。不足感があるのです。戦後の迷妄の数々は見事に指摘して否定されましたが、戦後から戦後を批判する段階に留まっているのではないかという疑問であります。小林秀雄の有名なべらんめえ口調で言った「利口な奴は戦争のことをたんと反省すればいいさ、俺は反省なんかしないよ・・・」といった台詞は有名になりました。勿論良いのです。こういう言葉は素晴らしいのです。でも小林秀雄は戦争についてそれ以上のことは言わなかったのです。もう一度それを正確に言ったのは、「政治と文学」という文章の中でした。日本人は「正真正銘の悲劇を演じたのである。・・・悲劇の反省など誰にも不可能です。悲劇は心の痛手を残して行くだけだ。」と。これも良い言葉です。でも小林秀雄は常にそこで終わっているのです。皆さんそう思ったことはありませんか。福田先生も、私は福田先生と呼ばせて頂きますが、「『戦争責任』といふものはあるかもしれぬが、『戦争責任』論などといふものは、元来、成り立たぬ・・・」ということをはっきり仰有いました。そこは良いのです。でもアメリカにも戦争責任があったとは生涯通じて決して仰有らなかった。この件は雑誌「正論」2013年3月号に佐藤松男さんが「福田恆存、知られざる『日米安保』批判」という報告を書いておられまして、最晩年の福田先生が、はたと気がついたと、自分は親米ばかりではないのだよ、と気がついたという評論を書いております。大事な指摘だったと思います。
戦後一世を風靡しました思想家はご両名以外たくさんおりますが、間違った内容は一言も書いておりませんけれど、あと一歩というところで口を噤んでいる。平板な敗北的平和主義は見事に彼らによって否定されてきましたけれど、何かが不足している。何だろうと考えることがあります。一つは「戦後起こった残虐事件」とされるもの。南京虐殺とかを代表とする旧日本軍による残行と言われるものについて、竹山道雄先生も福恆存先生も反論しませんでした。そして寧ろ弁解しました。私はお二人のそういった文章を読んでいます。外国人に突っ込まれて、日本人に足りない所があって、制度的にも遅れがあって、それでこういうことが起こっているというようなことを、福田先生も外国体験記があって、その中でアメリカ人に言われてそういうふうに答えています。つまりあの時の日本人は皆、お前たち日本人は劣悪な民族だぞ、残虐なことをしたんだぞ、と言われて反論できなかったのです。公的にも私的にも。それは同情すべきかと皆さん思うかもしれないけれど、私たちと違ってあの時代を知っていた人たちではないですか。私なんかは、もう知らない世代ですから、若くてね。あの時代を生きていた、現に見聞き、知っていた人ではないですか。「そんな馬鹿なことは無い!我が皇軍に限ってはあり得ない!」となぜ言い返してくれないのか。そういうことですよ。これは私が少しずつ不満に思っているところであります。林房雄は日本軍の残虐については一言も言わなかったですね。
それからもう一つあります。戦後のこれら保守思想家は戦時中軍部に積極的に協力した知識人に対しておおむね否定的なのです。戦時中軍部に積極的に協力した知識人、誰でしょう。大川周明、平泉澄、山田孝雄、徳富蘇峰、それからここに名前は挙がっていませんけれど、仲小路彰といった人たちは東条内閣に協力した人たちでもあるわけで、彼らを徹底的に警戒して、彼らについて言及せず、彼らを好意的に取り上げたという例を見たことがありません。福田さんが確か好意的に山田孝雄を国語学として好意的に取り上げましたが、平泉澄とか大川周明のことは言わないですね。用心深く言及を避けているのです。全部徹底的に調べた訳ではありませんから一概には言えないのですけれど、これはおかしなことではないでしょうか。なぜならば、戦争中に戦争に協力者には下らない嫌な賤しい奴もいたが、立派な人もいたでしょう。違いますか。私は平泉澄なんかは立派な人だったと思いますし、仲小路彰なんかも立派な人だったと思っています。身を挺して危ない思いをしたのですから。
つづく