『正論』の御所論を讀んでから、拜見(聽)しました。 「正しい戰爭(信仰)」の淵源がアウグスティヌスにあり、それが グロティウスの、「複數國家の上に位置して神の立場から裁く」にな り、それがそのまま東京裁判のキーナン檢事に引き繼がれたとのお教 へ、感銘深く承りました。 そして、我等日本人も、神の名、あるいは人類の名に於いて他を裁 いてみたいものだと思ひました。同じ神でも、我等日本人が名乘る 神は世界に例のない、公正にして信義溢るる判斷をするでせうね。 核を持つ國が核のない國を威嚇、コントロールしてゐる、その淵源 はパリの不戰條約にある、我々はウソの時代にゐるのだ、「分りま すか?」「疲れました」のお言葉は、安倍總理大臣にこんなことを 言つても、通じないだらうなと、悲觀的におつしやつてゐるやうに 聞えました。 私も安倍總理大臣に關しては、前囘か前々囘の放送について、どな たかが引用された、どなたかの言葉「戰後レジームからの脱却を唱 へる安倍總理の ”談話”によつて、戰後レジームは完成した」との 評が、すべてを盡くしてゐると考へます。戰後レジームの申し子、そ れが安倍さんでせう。 先生も高く評價してをられる人から、以前忠告されました。「あな たも保守反動的、右翼的立場にゐる限り、安倍批判は控へろ。村八 分にされて、ずゐぶんキツイよ」と。 御好意には感謝しましたが、幸か不幸か、私は干されて困るほどに 重要な「村」には屬してゐませんので、言ひたいことを言はせて貰 つてゐます。 御健勝御發展を祈り上げます。 返信
正論の11月号を拝読しました。 他の保守系言論人の様に幇間にならず、「やらかした」安倍総理に対して 保守としてあるべき歴史観を優しく教え諭す様で、西尾先生の人の良さが伝わってまいりました。 8月14日に安倍談話を初めて耳にした時は「安倍総理によってまさに戦後レジームは完成した」と思ったものでした。 そして澄明な保守系言論人が「安倍談話は百点満点だ」という雑誌の表紙を見て、ああ、保守系論壇はこれで死んだなと感じたのでした。 しかし確信の様なものがあって、その様な状況でも「しかし西尾先生と西部先生だけはこの談話を痛撃してくれるであろう」と。 (西部先生の場合はそのお弟子の佐伯先生でしたが) ただ、やはり安倍総理に「戦後七十五年談話」を要望しても、無駄に終わるであろうと思います。一度逃げた人間は二度でも三度でもまた逃げます。 所詮、外国からの圧力で靖国参拝すら出来ない人間に、戦後レジームから抜け出せるわけがないのです。 西尾先生は優しすぎます。 西部先生も一度失墜した安倍総理を励まして立ち上がらせましたが、見事に裏切られました。 同じく正論の同じ号で中西輝政先生が外務省に騙された、と言い訳をしていますが、もはや外務省の責任でも財務省の責任でもなく、 それを排除できない安倍総理の責任です(排除する気があるのかは知りませんが)。 保守系言論人の、今にも泣き出しそうな幼子をあやす様に、安倍総理の失策を取り繕うのはもう止めにするべきです。 返信
「真夏の夜の自由談話・6(10月7日)のコメント欄をありがたく拝読しました。「池田俊二」さんと「きこり」さん、どうもありがとう。 安倍総理の説得になにほどか効果があると私自身考えておりません。読者一般の人の気持ちの入れ替えのために書いています。言論界の片隅で釘をさす人がいた方がいいでしょう。それくらいの気持です。 「七十五年談話」と言ったのは長く総理をつづけて下さいという優しい気持ちを伝えたかったのですが、実際には七十三年で総理年期切れなので皮肉にひびいたかもしれません。 結局アメリカの桎梏から逃れられないということです。米中が手を組んで日本を抑えにかかる恐ろしいことがいつか起こるかもしれません。この流れは悲しいことに19世紀からつづいています。 返信
『正論』の御所論を讀んでから、拜見(聽)しました。
「正しい戰爭(信仰)」の淵源がアウグスティヌスにあり、それが
グロティウスの、「複數國家の上に位置して神の立場から裁く」にな
り、それがそのまま東京裁判のキーナン檢事に引き繼がれたとのお教
へ、感銘深く承りました。
そして、我等日本人も、神の名、あるいは人類の名に於いて他を裁
いてみたいものだと思ひました。同じ神でも、我等日本人が名乘る
神は世界に例のない、公正にして信義溢るる判斷をするでせうね。
核を持つ國が核のない國を威嚇、コントロールしてゐる、その淵源
はパリの不戰條約にある、我々はウソの時代にゐるのだ、「分りま
すか?」「疲れました」のお言葉は、安倍總理大臣にこんなことを
言つても、通じないだらうなと、悲觀的におつしやつてゐるやうに
聞えました。
私も安倍總理大臣に關しては、前囘か前々囘の放送について、どな
たかが引用された、どなたかの言葉「戰後レジームからの脱却を唱
へる安倍總理の ”談話”によつて、戰後レジームは完成した」との
評が、すべてを盡くしてゐると考へます。戰後レジームの申し子、そ
れが安倍さんでせう。
先生も高く評價してをられる人から、以前忠告されました。「あな
たも保守反動的、右翼的立場にゐる限り、安倍批判は控へろ。村八
分にされて、ずゐぶんキツイよ」と。
御好意には感謝しましたが、幸か不幸か、私は干されて困るほどに
重要な「村」には屬してゐませんので、言ひたいことを言はせて貰
つてゐます。
御健勝御發展を祈り上げます。
正論の11月号を拝読しました。
他の保守系言論人の様に幇間にならず、「やらかした」安倍総理に対して
保守としてあるべき歴史観を優しく教え諭す様で、西尾先生の人の良さが伝わってまいりました。
8月14日に安倍談話を初めて耳にした時は「安倍総理によってまさに戦後レジームは完成した」と思ったものでした。
そして澄明な保守系言論人が「安倍談話は百点満点だ」という雑誌の表紙を見て、ああ、保守系論壇はこれで死んだなと感じたのでした。
しかし確信の様なものがあって、その様な状況でも「しかし西尾先生と西部先生だけはこの談話を痛撃してくれるであろう」と。
(西部先生の場合はそのお弟子の佐伯先生でしたが)
ただ、やはり安倍総理に「戦後七十五年談話」を要望しても、無駄に終わるであろうと思います。一度逃げた人間は二度でも三度でもまた逃げます。
所詮、外国からの圧力で靖国参拝すら出来ない人間に、戦後レジームから抜け出せるわけがないのです。
西尾先生は優しすぎます。
西部先生も一度失墜した安倍総理を励まして立ち上がらせましたが、見事に裏切られました。
同じく正論の同じ号で中西輝政先生が外務省に騙された、と言い訳をしていますが、もはや外務省の責任でも財務省の責任でもなく、
それを排除できない安倍総理の責任です(排除する気があるのかは知りませんが)。
保守系言論人の、今にも泣き出しそうな幼子をあやす様に、安倍総理の失策を取り繕うのはもう止めにするべきです。
「真夏の夜の自由談話・6(10月7日)のコメント欄をありがたく拝読しました。「池田俊二」さんと「きこり」さん、どうもありがとう。
安倍総理の説得になにほどか効果があると私自身考えておりません。読者一般の人の気持ちの入れ替えのために書いています。言論界の片隅で釘をさす人がいた方がいいでしょう。それくらいの気持です。
「七十五年談話」と言ったのは長く総理をつづけて下さいという優しい気持ちを伝えたかったのですが、実際には七十三年で総理年期切れなので皮肉にひびいたかもしれません。
結局アメリカの桎梏から逃れられないということです。米中が手を組んで日本を抑えにかかる恐ろしいことがいつか起こるかもしれません。この流れは悲しいことに19世紀からつづいています。