今年の夏の「戦争」の扱い(二)

 「樺太1945年夏 氷雪の門」という上映されなかった貴重な映画が8月9日九段会館大ホールで公開された。樺太の真岡の電話交換手9人の女性の悲劇のドラマである。彼女たちのことは知られているし、靖国に祀られているとも伝え聞いている。しかし私は映画を見て、悲劇の実態をほとんど知らなかったことに気がついた。

 この映画が訴えているのは「戦争の悲惨さ」一般などでは決してない。ソ連軍の野蛮と卑劣と非道と極悪そのものである。8月15日に日本側が停戦していた状況を踏み破って、ソ連兵は白旗を掲げて即時停戦を訴える日本側の丸腰の使者たちにその場で銃弾を浴びせてこれを射殺した。そして、無防備の小さな町に砲火を浴びせ、蹂躙する。

 この映画は昭和49年(1974年)に完成し、丹波哲朗や南田洋子なども熱演している十分に商業価値のある作品だったが、大手配給会社による劇場公開が突然中止された。そしてほとんど日の目を見なかった「幻の名画」で終っている。それを今夏、特別に試写する企てが催された。

 ときは田中角栄内閣の時代である。モスクワ放送の「ソ連国民とソ連軍を中傷し、ソ連に対し非友好的」という非難に屈した結果である。

 「戦争の悲惨さ」一般を描いた映画なら公開がゆるされる。過去の日本が間違っていた、日本が悪かったのだ、の意図の伝わる映画なら公開可能だった。しかし、どこかの国(旧敵国)の非道をありの侭に描いた映画を上映することは、たとえ相手が冷戦下の仮想敵国のソ連であってもできなかった。恐らく日本側がこわがってひるんだのだろう。自己規制したのであろう。

 ここに、問題のすべてがある。今年夏の戦争を語ったNHKその他のテレビ番組が例外なく、旧日本軍が悪く、まるで敵国がいなかったかのごとく描く(戦争は相手あっての話なのに相手の悪が語られない片面性の不具!)内容に終始したのは、日本人自身のこの病理、自己規制の病理の帰結にほかならない。

 今年も特攻が取り扱われ、フィリピンから出撃した若者の映像が流れた。例によってアジアの各国に被害をもたらした日本の戦争というナレーションだ。アジアを支配していたのは英、米、仏、蘭の各国で、アジアの国々は独立していないのだから、日本軍は欧米支配者の掃蕩戦争をしたわけだが、NHKはこの前提を決して言葉にしない。

 「樺太1945年夏 氷雪の門」を見ていて、ふと思った。

 そういえば、真岡の9人の乙女の悲劇に匹敵するのは沖縄のひめゆり部隊である。こちらの映画は上映禁止のうき目に会っていないばかりか、有名にもなった。私の記憶では『ひめゆりの塔』は恐らく旧敵国アメリカの悪を告発していなかったように思う。「戦争の悲惨さ」一般をしか描いていなかったように思う。従って戦争の現実は半分しか描かれてなかったともいえる。

 雑誌『正論』が主催した九段会館の上映会には、当時『氷雪の門』に助監督として参加し、また同映画を破損から守って修復保存した新城卓氏がトーク出演をして、いくつもの証言を残した。氏によると、真岡の女性たちを凌辱し殺害したソ連兵は、生き残りの日本人男性たちをシベリアに強制連行したが、連行前に彼らにやらせた仕事は、穴を掘って、日本人女性の遺体を埋めさせる酷薄な労働であったという。それらのむごたらしいシーンは映画では映像化されていない。その点では抑制されていて、不徹底でもあって、それでなぜ上映禁止に追いこまれたのかよく分らない。

 恐らく当時の政治情勢その他によるところの、いかにも尤もらしい理由は探せば見出せるのであろう。しかし根本はやはり日本人の心の弱さが原因だろう。自己規制が原因だろう。これがすべての鍵だろう。64年たった今年の夏のテレビの映像とナレーションの歪みと屈折と自分隠しに直接つながる問題である。

今年の夏の「戦争」の扱い(一)

 今年の夏もテレビでは戦争の主題がくりかえしとり上げられていた。秋田の土崎という小都市が終戦の日の午前中に猛爆を受けたことがNHKニュースの時間帯で回想された。

 初めて聞く話だった。B29が編隊で日本海側の小さな町を襲った経路がテレビに映った。経路には白いB29の機体のデザイン画像が数秒間列島を北上するように移動した。石油の出る唯一の町だったらしい。そのため狙われて、市民多数が殺傷された。そしてほとんど間を置かず天皇の終戦詔勅の時間がきた。運の悪い町だったのだ。

 私とほゞ同じ年齢の小学生がこの日に死んだ。そのとき受けた弾痕もまだ残る黄ばんだ上着が紹介された。母親が大切に保存していたが、その母親ももう今はいない。ゆかりの人が戦争の悲惨を訴えるためだと言って上着を町の小学校に持って行って、子供たちに披露していた。胸のところに穴のあいたその上着を見せられても、今の子供たちには何のことかピンと来なかっただろう。

 テレビのナレーションは「戦争の悲惨さ」と言った。そのゆかりの人も同じ言葉を語った。アメリカ軍の非道とはいわなかった。アメリカ軍が憎いともいわなかった。戦争の終結がわかっていて、その直前に、やらないでもいい爆撃をした勝ち誇る米軍の民間人殺傷の空爆の無法を語る言葉はテレビからは聞こえてこなかった。

 いつもそうだった。NHKでも民放でも、「戦争の悲惨さ」としてすべてを一般論のように語る。戦争一般の悲惨さなのであって、日米戦争の米軍空襲による悲惨さなのではない。8月15日の正午まで、全国いたる処で、田舎道を歩いている老婆でも、学校に行く途中の小学生でも(この年日本に夏休みはなかった)、しらみつぶしに機銃掃射を浴びせたアメリカ空軍の戦争のやり方の卑劣さなのではない。どこまでも「戦争の悲惨さ」なのだった。

 そう言いつづけるテレビのもの言いは今年も昨年と同じに変わらなかった。聞いている日本国民はいつしか悪いのは戦争そのもので、戦争をひき起こした日本が悪いのだ。当時の日本が悪いのだ。日本は間違っていた。日本は反省しなくてはいけない。・・・・・・・・そういう誘導の文言に引きづられて、戦争には敵と味方がいて、日本の敵はアメリカだった、という余りにも当り前の事実を忘れてしまうのである。

 8月にテレビに映った戦争ものはみなそういう調子だった。特攻隊を作戦した海軍軍令部に対するNHKの連夜の告発シリーズも、90歳の生き残り兵の口を借りて語らせる各種の最前線物語も、大本営発表のウソを放送したNHKの当時を反省・懺悔してみせる自局告発の番組も、日本は間違っていた、日本は悪だった、日本は愚かだった、の一本調子で、アメリカという相手が何をしたかということはいっさい語られない。相手があって初めて日本はこうしたのだ、がまったく語られない。戦争が終って60年たったとはとても思えない。いまだに米占領軍の検閲におびえているような内容のオンパレードである。そうではないもの、それを打ち破った異色の番組はひとつもない。

 このまま同じ調子がずっとつづいて「戦後100年」になっても多分こうなのだろうなァ、と近頃私は憂鬱な気分を通り越してやゝ諦めムードに陥っているのだが、その恐らくは分岐点になったであろう映画を最近見た。

民主党政権・鳩山内閣への重大なる懸念

外国人参政権

  「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」
という “友愛精神”の耐え難い軽さ

 永住外国人の地方参政権について、鳩山由紀夫代表は「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」とまで発言し、意欲をみせている。民主党は結党時から基本政策に掲げ、これまでもたびたび法案を提出してきた。しかし、安易な参政権付与には危険がつきまとう。
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 永住外国人の地方参政権についてかつて小沢一郎氏は「たいした実害はないだろう」と甘い考えを示し、韓国大統領との会談の席で「参政権付与を行なうのが遅れているのは遺憾に思っている」とまで踏み込んだ発言をした。

 鳩山由紀夫氏は党代表になるや「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」と浮ついた発言をして、「じゃあ貴方に言うが、鳩山御殿は鳩山一族のものではない。東京都民に開放しなさい」と八方から噛みつかれたほど、“友愛”に浮かれたこの人は感傷的で、非常識である。

 参政権を認めれば、予想される事態は、韓国人や中国人が過疎地の自治体に計画的に集団移住するなり、住民登録を移すなりして、小さな市や町の議会を合法的に占領する可能性がある。すでに土地が韓国企業に買い占められている対馬や国境の島の沖縄・与那国島などは真っ先に狙われるだろう。侵略は国境の内側から合法的に始まるのである。「実害」がないどころではない。

 最近では中国人永住者は60~80万人に達するといわれ、在日韓国朝鮮人の数を上回った。オリンピックの聖火リレーのときあっという間に中国の赤い旗が長野を埋めつくし、中国人が狼藉を働いた恐怖を現場にいた人は今も口々に語っている。北京の指令ですべてがコントロールできる。大使館が旗や旅費を渡していたという。

 全体主義の国は私たちの常識の及ばない怖さがある。例えば都知事選挙のような場合でも、20万票とか30万票とかが北京やソウルの意志で動けば、キャスティングボートを握られる。今は地方参政権だけが問題となっているが、おそらくそこで留まる話ではない。

 昨年4月16日地方参政権を求める人々の緊急集会が、東京の憲政記念会館で行なわれた。民主党、公明党を中心に国会議員が21人参加した会だが、旧社会党出身の民主党議員赤松広隆氏が挨拶に立って「最終的には国政選挙参政権も求めますが、最初から多くを求めず、とりあえず地方参政権を勝ち取ろう」と呼び掛けていたそうだ。やはり最終の狙いは国政選挙である。中国人や韓国人の票で日本の政治を動かそうとする邪悪な意図が感じられる。

 移民問題でヨーロッパは比較的寛容といわれるが、しかし英仏独伊など主要西ヨーロッパ諸国で外国人に地方参政権を与えているのはEU加盟国の内部同士であって、外部からの移民にはいっさい与えていない。

 国政レベルの参政権付与はEU加盟国の内部同士でも行なっていない。アメリカやカナダやオーストラリアは代表的な移民国家だが、そこでさえも、地方・国政の両レベルで参政権付与はなされていない。ただ一つだけ不幸な例外の国はオランダである。

 オランダはEU域外の外国人への地方参政権付与からトラブルが始まって、やがて内乱に近い状態になった。外国人は都市部に集中してゲットーに居住し、別国家のような観を呈した。そこにオランダ人が足を踏み入れると敵意を示す。外国人はオランダの生活習慣や価値観を嫌い、祖国のやり方を守るだけでなく、オランダの文化や仕切りを自分たちの流儀に切り換え、変革しようとさえする。時刻の宗教や文化を絶対視し、若い狂信派を育てて、オランダの社会システムを破壊し、つくり変えようとする。

 オランダ政府はいろいろ手を打ったが、すべて手遅れである。外国人が一定数以上を超え、政治発言力を持ち始めると、取り返しがつかなくなる先例をオランダに学ぶべきである。

SAPIO 2009.8.5より

『「権力の不在」は国を滅ぼす』

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 新刊の拙著『「権力の不在」は国を滅ぼす』(WAC刊 ¥1524円+税)は8月8日に店頭発売となります。「あとがき」の全文を掲示します。この本の主題はここに集約されています。

 あとがき

 本書で私は皇室問題を論点の一つに揚げていますが、最近もひきつづきマスコミが取り上げている雅子妃殿下のご進退をめぐるテーマが、本書の追及する皇室問題では必ずしもありません。それは昨年上梓した『皇太子さまへの御忠言』(ワック)でほぼ言い尽くしております。

 本書ではまだ不十分なかたちで言及しただけですが、天皇と戦争の関係をあらためて問い直す必要を唱えています。Ⅰ部第1章「危機に立つ保守」とⅡ部第3章「国家権力が消えてなくなった」に、今まで私が踏みこまなかった新しい論題への言及があります。

 今上陛下が本年四月八日のご結婚五十周年の記念の記者会見で述べられたように、象徴としての天皇のあり方は日本の歴史に反するものではもとよりなく、むしろそれに沿うものでしょう。昔から皇室は権力ではなく、権威でした。権力に逆らわず、権力に守られ、静かに権力を超える存在です。しかし、権力のない国家はあり得ない、というのもまたもう一方の真実です。権力がしっかり実在していて、権威が心棒として安定しているときに、この国はうまく回転します。

 そこまでは分かり易いのですが、「権力を握ってきた武家」が昭和二十年以来アメリカであること、しかも冷戦が終わった平成の御代にその「武家」が乱調ぎみになって、近頃では相当に利己的である、という情勢の急激な変化にどう対応するかを無視して、皇室問題を考えることは今ではできなくなってきました。冷戦時代には、世界のあらゆる国が米ソのいずれか一方に従属していましたから、日本の対米従属は目立ちませんでした。しかし今はこの点は世界中から異常視されています。

 北朝鮮からは舐められ、韓国からは侮られ、中国から脅されるような日本の今の危うさは、昭和の御代にはありませんでした。すべて平成になってからの出来事です。平成につづく次の時代にはさらに具体的で、大きな危険が迫ってくると思います。

 戦後左翼は軍部による統帥権の干犯ということを今次大戦の最大の問題とし、昭和天皇の戦争責任を問うてきました。保守側は軍部の独走を同様にやはり非難する代わりに、天皇は立憲君主の制限枠を守られて責任はなく、一貫して平和主義者であられたと弁護にこれつとめてきました。私はどちらの見方にも反対です。あの戦争を否定してしまうから、この無理な二つのいずれかの見方になるのです。

 私は保守側が天皇の戦争責任を左翼とは違った見地から問い直す時代が来たと考えます。昭和天皇は責任がなかったのではなく、責任を立派にお果たしになったのです。

 憲法九条の改正が喫緊の課題として今や国民の大多数の常識になっていますが、それなら統帥権(軍権)は誰の手に委ねられるべきなのでしょうか。日本国家は将来「宣戦布告」を誰の名において行うべきなのでしょうか。この肝心な一点を考えないで置いて、憲法改正もないではありませんか。

 右の問題追及と新しい認識の確立は、今上陛下がその望ましいあり方を求めてこられたという「象徴」天皇の憲法規定と矛盾するものではありません。また両陛下がすでにサイパンを訪れて戦没者の霊を慰め、今後東南アジアの戦場を訪れたいと仰せになっている追悼の意志とも、いささかも相反するものではありません。

 ところが陛下のご意向、憲法への思いや慰霊行脚を口実にして、これを政治利用する人が早くも出てきました。保阪正康氏は講談社の『本』(2009年6月号)で「平和勢力としての天皇」というエッセイを書いて、「こうした一連の行動(戦没者追悼の)や、その意味するところから考えて、私は、天皇は日本社会の最大の平和勢力ではないかとも考えるに至った。平和勢力という言い方はいささ固苦しいイメージを与えるにせよ、この天皇・皇后が存在する限り、日本は戦争という手段を選ばないとの理解は、国際社会でも確立しているように思う。つまり国益につながっていると考えられるのだ。」と述べています。

 戦争という手段を封じた現行憲法が今まで辛うじて有効だったのは、日米安保条約とワンセットになっていたからにすぎません。冷戦の終結とともに、この条約は共産圏から日本を守る役割を失い、ゆっくりしたテンポで変質しつつあります。日米安保条約は今では国際社会での日本の行動の自由を拘束し、国内では、外交政策や経済構造や司法や歴史教育観などにおける日本の自律を侵害しつづけています。

 日本人は国内に五十個所も米軍基地を許し、関東南部の地上から7500メートルの空域を米軍の管制下に置かれ、戦争はしないと言いつつも米国の意のままの戦争にのみ狩り出される可能性は今後高く、自発的ないっさいの紛争処理能力を奪われる弊害は無気力な退廃を生み――拉致問題を見よ!――保阪氏が言うように「国益につながっている」と考えることなどはまったく出来ません。

 今上陛下は「平和勢力」であり、昭和天皇は「平和主義者」であるというのは一面的な見方であり、悪いのは天皇を利用して独走した旧軍部であるというのも、単純な善玉・悪玉論にすぎません。こうした偏ったものの考え方は現在の世界の現実にも、歴史の真実にも一致しません。平和という念仏を唱えつづけたい人の妄執じみた信仰にほかならないのですが、困ったことに、ものを考えない多数の人の安易さにこれは波及効果があり、しかも天皇の政治利用を絡めている悪質な手法を用いているだけに、油断がならないのです。

 日本はいま国家としての「分水嶺」に立たされていると思います。本当にこの国はどうなるのだろうか、との思いは多くの人の胸中に鬱積しているに相違ありません。

 そしてそれは経済や産業や教育や社会問題の不安だけでなく、むしろ背後においてそれら不安の原因をなしている国家の中枢の変質の問題、ないし権力の空洞化ということと関係があります。私は本書ではその意味において皇室と安全保障とが岐路に立たされていることを考察しました。

 ここで「皇室」と言ったのは、天皇と戦争をめぐる歴史観の再考というテーマであることは右に強調してまいりましたが、話題の皇太子さまご夫妻のテーマもまったく無関係ではありません。

 昨年十二月羽毛田宮内庁長官がいわば天皇の意を体して「皇室そのものが(雅子さまに)ストレスであり、やりがいのある公務が快復への鍵だとの論があるが」それに「両陛下は深く傷つかれた」と発言しました。これは天皇から皇太子ご夫妻へ向けて二人のあり方を真剣に考え直せ、というメッセージであったと思います。この間のいきさつについては本書ではⅡ部第4章記録を復元し、できるだけ詳しく判断の材料を提供しました。

 加えて今年二月の皇太子殿下の誕生日記者会見に殿下からどのようなご回答があるかにも注目し、本書の213―223ページに会見内容を再録しました。ご覧の通り、殿下はいろいろなことをたくさんお話になっていますが、肝心のこの点、記者団から「問二」として出された質問にはするりとすり抜けるようにいっさいお話しになっていません。一番のポイントですが、それだけに難しすぎてお話しになれなかったのだと思います。その点はもちろんご同情申し上げますが、しかし問題は皇室そのものが妃殿下のストレスになるという、まさしくここにきわまっているのです。

 いわゆる適応障害と呼ばれる病気はそんなに長くつづくものではないといわれています。私は雅子妃殿下はご病気かどうかは今もって知り得ないのですが――一人の医師の認定以外に、情報は完全に閉ざされている不自然さゆえに、国民の一人として推理させていただく以外に方法はないことを前提として申しますが――妃殿下にとって皇室がストレスであるとは皇室という環境そのものがいやで、伝統的行事とか日本古来の仕来りとか和歌とか作法とか、そういう世界からできればなるだけ遠ざかっていたいという心理状態なのではないかと思います。美智子皇后への劣等感もそこに重なっているのかもしれません。

 とすると、ここからが問題で、皇太子ご夫妻が宮中の主人公となられた暁には、公務の質をがらっと替えてしまわれる可能性が高いと思われます。そして、あっという間にご病気は治り、代わりに国民と皇室との一体感は消えて、まるきり異なった関係が生じ、国民を戸惑わせるのではないかと思えてなりません。私が一番心配しているのはこの点です。今の日本では「民を思う心」が皇室にあり、神道の本質ともいえる「清明心」の模範の柱が皇室にあるとの信仰が国民にあります。その二つの型の呼吸がピタと合っています。それが今はまだあります。この両者相俟つ関係が今後もはたして維持されていくのだろうか、それを私は一番心配しているのです。

 独楽を回すと、中心の心棒は動きません。回転が順調で、速ければ速いほどぐらつきません。独楽の運動と心棒の関係は、国民の活力と皇室との関係です。

 天皇が国民の代わりに神に祈って下さる祭祀が最重要の公務であるのは、ここに由来します。

 皇室を守っている権力がしっかりと実在し、権威である皇室がぐらつかない限り、国家は安泰なわけですが、今の問題は、その肝心要の権力が外国にあるということの悲劇があらためて認識され、「権力の不在」が露呈しているのに、国家がなすすべもなく茫然自失している事実です。日本政府は皇統問題の未解決にも、妃殿下のご不例にも手を出しあぐね、テポドン、竹島、東シナ海ガス田等の近隣諸国からの脅威にも手が打てないのですが、方向の異なるこの二種類の無策は同質です。

 「権力の不在」は皇室を荒れ野に放り出しています。政府が何かに怯えてかの田母神論文をわけもなく封じた周章てぶりは、国防をアメリカに丸投げしている魂のも抜けをまるで絵に描いたような椿事でしたが、これはわが国の皇室が戦後GHQ保護下に置かれた秘かなる歴史の後遺症と切っても切り離せない関係にあります。

 そうです!今必要なのは、独立です。日本国家のありとあらゆる面における独立です。

 本書は四十日に及ぶ真夏の総選挙の最中に投げこまれます。この選挙は国家の核を守るのが存在理由である保守政党がその自覚を失ったがゆえに苦戦を強いられ、他方、勢いづく野党は国家意識を持っているのかどうかすら怪しいのです。

 ある人が言いました。「自民党は左翼政党になった。」「では民主党は?」と私は聞きました。「民主党は外国籍の政党です。」

 この不幸な無政府状態のカオスを脱するのに、本書がわずかでも心ある人に道を示すことができればまことに幸いです。