日本人の弱さが生む政治の空白

 池田修一郎さんのゲストエッセーをお送りします。池田さんは「あきんど」のHNで以前しばしば投稿して下さった北海道在住の事業家です。私あてのメール形式ですが、時宜に適っているので掲示します。

ゲストエッセイ 
池田修一郎

「日本人の弱さが生む政治の空白」  

 シアターテレビジョンでの討論を拝見させていただきました。日本の政治は戦後吉田茂以降、誰が政治を司とっても国民の期待に沿う結果を生み出せなかった・・・と言われる風潮がありますが、議院内閣制を守りつづける限り、その問題は避けられないと思うわけです。政治家個人の理想とは掛け離れて、国民の要望が政治家を苦しめている実態は、つい忘れてしまいがちな大きな問題だと私は思います。日本の総理は多岐に渡り様々な内政に縛られ、大局に目を向けにくいパターンがあまりにも多すぎると思えます。

 ですから出す政策が常に枝葉末節なものばかり。

 つまりこれが「政治の甘い囁き」ということなんでしょう。結果、子供手当や高校の授業料無料化など、消し去れないパンドラの箱のような政策が居座り、更には政治の改善を頭で理解していながら、国民の多くは危ない囁きに靡いてしまうという実態を生んでしまっています。二年前の選挙で民主党を選ばねばならない状況を生んだ原因は、様々な要因がありますが、一番の原因は、自民党を解体しなければならない国民感情を利用した力(マスコミがそれを誘導したと言われていますが)によるものであり、その力を更に利用したのが民主党だったということです。そんな流れの危険性を囁く一部の正義がようやく出せた最後の抵抗が、小沢氏の金に纏わる問題だったと言えます。しかし、そんなブレーキも一瞬の間は効果がありましたが、加速を続けていた車両の重さは予想以上に重たく、惰性だけでゴールに到着してしまいました。

 私はただこの時の鳩山氏の操縦はなかなかに上手だったと思っています。一度転びそうになった車両を、よく転倒させなかったな・・・と感心したのは事実です。でもよくよく考えてみると、あの頃の麻生総理は既に死に体で、両足は土俵の外に浮いていました。あの頃西尾先生は、麻生氏と小沢氏の人間性を分析され、いかに小沢氏が政治家としての危険性を孕んでいるかを語られていました。
つまり、小沢という人物は今の日本の政治そのものであり、彼がいかに国民心理を利用して、悪魔の囁きを続けて来たかを西尾先生は何度も訴えてきました。

 彼のような寝技が得意なタイプには、立ち技で臨んでも勝ち目はありません。寝技には寝技で応酬するしかないと思います。ところが今日本にはそれを為せる人材がいません。野党時代の管直人なんかはある種その才能がありましたが、彼は左利きですから癖がありすぎます。やはりここは正当に組める人間、多少ダサいイメージはありますが、信頼性は持ち備えている人物が必要です。

 民主党の代表が管直人ではあっても、実は彼が最大の敵ではないのです。本当の敵は小沢氏のような悪魔の囁きに耳を傾けてしまう、我々国民の内面が最大の敵なのです。民主党のような、砂上の楼閣にすぎないような政党を選んでしまう心理が最大の敵なのです。

 そうした背景から、西尾先生が亀井静氏を次の総理に相応しいと発言された事は、正鵠を射る発言だと言えます。彼は確かにその政治姿勢が自分に忠実で、けして洗練された才能を持ち合わせているかは不確実ですが、少なくとも潔白さはかなり持ち合わせています。マスコミに出過ぎた時代もありますが、彼は「ノー」と言える数少ない人間です。少なくとも今はそれが重要な資質であり、とにかく国民の悪魔の囁きに耳を傾ける癖を糾す役割は担えそうです。

 さて問題はもうひとつ・・・討論会で次の総理に相応しい方は誰かという視聴者からの質問に、「安倍氏が最適だ」と応えるパネラーがいました。確かにその流れは未だに強いですし、私の期待のどこかにも、安倍氏は存在しているかもしれません。しかし、よく考えてみると、私たち・・・特に安倍氏に期待する国民は、あまりに過剰評価をしているのではないか、何か一つの理想の総理像を、安倍氏に押し付けしすぎているのではないか、そして不思議な現象として、本来なら期待を裏切られれば、人間は倍になって不満を訴えるはずなのに、何故か安倍神話は根強く、まだ仮想の理想像を追い求めている、それが実態だと思います。こうした心理は今回の原発問題とリンクしていて、同種の心理的問題を孕んでいると思います。期待感だけが先走り、それを安倍氏に無理矢理はめ込もうとするこの日本人の弱さは、どうしても治療不可能なのでしょうか。

 小沢の囁きに靡く弱さと、その反動なのでしょう、アイドルに理想を嵌め込む強引さは、裏で一体化した日本人の一番大きな問題であり、何故かその心理は政治という場に現れやすいのも事実です。
どうやらそうした日本人の資質は今悪い方向にしか向かない傾向にあり、それをどうにかしなければ問題の解決は困難だと言わざるを得ません。

 私は日本人はトータルバランスを欠いているように思います。どこか局所的な才能ばかり長けてきて、多面的な才能を置き忘れてきた、そんなイメージを持っています。財界人と政治家が縦割りだった時代が長すぎたからでしょうか。それもあるでしょう。それが結局二世議員を多く生ませた原因かもしれません。様々な場所でサラブレッドが礼賛され、個人の哲学が育たない社会をもたらした。その弱点が総合的に社会現象化した。

 つまり、今の日本社会には競争の原理が埋没しているのではないでしょうか。特にそれが顕著なのは教育の場にあります。昔はまだ辛うじて教育の場にはそれがありましたが、それすら消滅してしまった。本来なら教育の場から社会の場に移行されるべきだったのですが、教育の場ばかりに負担が強すぎた過去の反省から、いつのまにか競争の原理は抹消の道に向かってしまった。

 この事がトータルバランスを持てない人間の多産をもたらしたと言えると思うのです。しかも多くの社会人は競争からは無縁な時間に浸っていますから、出来そうもない夢ばかり描いて、政治の世界での地道さを無視してきたのかもしれません。理想の総理の不在はそんな現実の影に原因があるのではないでしょうか。

WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(六)

原発という人質 

 前にも書いたが、政治、経済、軍事、外交の四輪がバランスよく揃ってはじめて車は前へ進む。今までの日本のように、経済の車輪が一つだけ異常に大き過ぎると、車は前へつんのめって倒れてしまいそうになる。そこで、アメリカが後からジャッキで持ち上げて押してくれるので何とか前へ進む。アメリカは代償に、堂々と大きな車輪から取り分を取って、いつまでも半永久的に、おとなしくて便利で可愛い三輪車のままにしておこうとしている。
 
 原発は、日本を抑えこむとても便利な手段のひとつであった。何にしろ、罪がなくても罪があるように言い立てることでおとなしくさせることができる。IAEAの代表者が日本人であることは、黒人のなかから黒人の働く農場の監督が選ばれるのと同じようなことである。
 
 日本は七十発くらいのレベルの高い核弾頭を原潜に乗せて太平洋を遊弋させる程度のことで、戦争をしかけてくる国をなくすことができる。五千発分のプルトニウムは要らない。そんなもののために国内が汚されるのは迷惑である。アメリカの「核の傘」の信頼性を信じている日本人は、今ではおそらくひとりもいないだろう。
 
 まだアメリカは太平洋の制覇を捨てる気はないが、2015─16年頃を境に、軍事予算を急激に減らさざるを得ない財政状態にあることはよく知られている。アメリカに善意があっても、頼れないという現実は近付いている。
 
 自民党の故中川昭一氏が北朝鮮の核実験に際して、わが国も核武装について議論を開始しようと言ったら、ライス国務長官(当時)がすぐ飛んで来て、日本はアメリカの「核の傘」に守られているから安心しなさい、とわざわざ言いに来た。ブッシュ元大統領は、「中国が心配する」と同盟国の名を間違えるようなことを言った。そして、国内でも議論沸騰し、新聞もテレビも日本の核武装を──主として否定的に──論じ合った。そのなかで、自民党の石破茂氏が核武装などとんでもないとテレビで反論したが、そのときこう言った。

 「もし日本が核武装したいと言ったら、ウランを売ってくれなくなり、プルトニウムの濃縮もしてくれなくなり、原子力発電はたちまち止まって、わが国の産業は壊滅してしまうだろう」
 
 私はこのことは今でも忘れない。なるほど、原発という人質を取られているのだな、と、そのときひとり合点したのを覚えている。
 
 いまでも石破氏と同じような言葉で脱原発なんてあり得ない。太陽光や風力などをいくらやっても日本の産業力を支えるなんてことはとても無理だ、と言い立てる人は必ずいる。それに、中国やインドや新興国が原発に向かっているので、原発を持たない日本が中国の後塵を拝することになるのは耐えられない、と叫ぶ人も現にいた。保守派はたいていこういう調子のもの言いをするが、中国の風力発電が急成長を遂げているのを知ってのことだろうか。
 
 中国の原子力はまだ二パーセント程度だが、風力発電の伸びは目を見はるばかりで、原発二十~三十基分の電力を作り出し、世界一に躍り出ている。2020年には原発百基分を風力で賄う計画だというが、話半分に聞いてもありそうなことで、この国が世界の動向をしっかり見ている証拠だ。
 
 アメリカもイギリスもドイツも風力に力を入れはじめ、日本の企業がいち早く手を伸ばしているのは洋上風力発電である。三菱電機、伊藤忠商事、住友商事が次々と世界最大級の風力発電に参画しはじめている。日本がやらないから、日本の企業は世界の他の国に手を伸ばす。日本人の知恵と技術が外国の安全と富のために役立つのはいいとして、その分だけ日本が立ち遅れてしまうのは変な話ではないか。
 
 それに、原発推進派に申し上げておきたいが、原発は漸次縮小するほかない明確な理由が日本の国内事情のうちにある。原子力の研究者や技術者がどんどんいなくなっている。東大工学部原子力工学科はすでに存在しない。私が先に日本型「和」の病理の温床と見た学科は、鉱山学科と統合されてなくなってしまったらしい。それはいいとして、今度の事故より以前に、原子力専攻学生が急減し、文部科学省は危機感を募らせている。原発作業員の不足はすでに警告されているが、秀れた研究者や技術者の減少は、これから残った原発を安全に維持管理するうえでも不安要因となっている。
 
 それに、原料のウランが世界で底をつきはじめている。天然ガスや石油のほうが、はるかに長持ちする埋蔵量を誇っている。脱原発は世界のあらゆる国が正視している現実である。日本は増殖炉だのプルサーマルなどと危険な空想を弄んでいるひまはもうないはずなのだ。

WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(五)

「核の平和利用」という危険

 プルトニウムを燃やすはずの・もんじゅ・の失敗で、仕方がなく、政府と電力会社は軽水炉型の普通の原発でプルトニウムを消費することにした。プルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料──恐ろしく危険度の高い──をつくって、これを燃やす「プルサーマル計画」を開始したのは、もちろん燃料のリサイクルという経済効果をめざしてのことが表向きの理由だが、それだけではなく、兵器転用を疑われる余剰プルトニウムを持たないための必死の消費作戦でもあるだろう。MOX燃料を普通の原発、ウラン燃料用の原子炉に使うことは危険このうえないという話も聞く。

 使用済みのMOX燃料の処理方法はさらに大変で、地中に埋められるようになるのに五百年を要するという(普通のウラン燃料の使用済みは三十~五十年待てばよい)。使用済みMOX燃料を積んだトラックが一般道を走ることも危ないから止めたほうがよいという記事も読んだ。福島第一原発では、三号機がプルサーマルでMOX燃料を用いている。

 いったいなぜ、これほどの危険を冒してまでプルサーマル計画が推進されるのか。他国において、核兵器の解体で出たプルトニウムの活用方法に学んだ結果とも聞くが、アメリカから睨まれている六十トン以上のプルトニウムの貯蔵限度量の超過をひたすら恐れてのことではないのか。日本の原発は核の平和利用という原則を関係者がほんの少しでも踏み外してはいけないと神経質になればなるほど、国民の安全を考慮せず、国土の汚染を無視し、普通の常識では理解のできない異常規模のスケールに嵌り込んでいく。

 高速増殖炉もプルサーマルも、他国は早くから危いと見て手を染めないで放棄したか、あるいはある程度やってみたがほとんど熱心には追求していない。核武装国家であるアメリカやフランスの軍事的知能がこれらに近づかないことには理由があると思う。この理由をしかと研究する必要がある。

 日本の携帯電話器が非常に便利な多目的性を発揮したのに、世界のマーケットから相手にされない特殊性をガラパゴス型と評する言い方がある。最近の家電も、飛行場も、港湾も、先進医療も、韓国の国際性に敗れている。わが国の知性は袋小路に入っている。・もんじゅ・もプルサーマルもガラパゴス型なのではないか。ちなみに、プルサーマルは和製英語である。

 高速増殖炉のアイデアは資源のない国の唯一の解決策にみえたのかもしれない。ウランの買い付けに小姑根性のオーストラリアやカナダ──ことにオーストラリアは第一次大戦以後、わが国に卑怯な対応をくりかえした国である──にもみくちゃにされる悲哀からの切ない脱出法であったのかもしれない。その点では私は同情できると思っている。しかし、同情できるのはそこまでである。失敗と分かったら潔く撤退するにしくはない。それは今回見ているところ、原子力発電の全体についても言えることである。

愚かな平和主義 

 ところが、大量のプルトニウムを燃やす高速増殖炉は、今後も開発方針を止めないと政府や電力会社は多分、言いつづけるだろう。原発をつづけるかぎり、核燃料廃棄物が生じ、プルトニウムができては貯まり、軍事転用と見られたくない恐怖が、プルトニウム大量消費用の増殖炉開発の看板を簡単に下ろさせないだろう。

 しかし、これはあまりにも愚かなことではないか。

 「どんどん目標が逃げて行く。2000年改訂時では完成の年度を示すこともできなかった。2005年にはついに2050年に一機目をつくると言い出した。どんどん目標が逃げて行く。十年経つと、目標が二十年先に逃げる。永遠に辿り着けない」

 右は、京都大学の小出裕章氏が参議院公聴会(2011・5・23)で語った高速増殖炉への弾劾の演説からである。小出氏はつづけて言う。

 「これを支えた原子力安全委員会も、行政も、いっさい反省しない。・もんじゅ・には一兆円が投じられた。一億円の詐欺で一年の実刑が与えられると聞きますので、一兆円の詐欺なら一万年の実刑なのです。行政にかかわった人で・もんじゅ・に責任のある人が仮に百人だとすれば、一人ひとりが百年間実刑に処せられて当然です。すべてがじつに異常な世界なのです」

 この怒りには私も共鳴する。福島第一原発に関連して、原子力安全委員会委員長や原子力安全・保安院長が、何も罰せられずに無事に官職をまっとうして定年退官することは人道に悖ることと私も考えている。中国でなら多分、処刑されるであろう。

 小出氏と私は怒りはともにするが、日本の原発が「原子力村」の相互無批判小集団の知的閉鎖性によって歪められ、ガラパゴス化した原因を氏とはおそらく違うところに見ていると思う。氏はおそらく、日本人の国家主義に原因を求めているだろう。しかし、私は国家意識の欠落、国家観のなさ、国を・守ろう・とする尖鋭な意欲の不在、日本人の主張を世界に通用させようとする自我の貫徹の弱さ、一口でいえば一国平和主義、その合理性の不足に原因があると考えている。

 もう一度よく省察していただきたい。

 五千発の原爆をつくれるプルトニウムを貯めこむことで自ら自由を失い、本来の防衛力を阻害することは合理的だろうか。また、それを国際社会に隠していないと弁解するために、盗品など隠し持っていませんとお白州で裸身になって尻の穴まで見せるような哀れな細民の生き方をこの国民に強いているのは、原発の存在にほかならない。原発さえなければ、この点での愚かな平和主義を捨てることができる。

つづく

WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(四)

鉄腕アトムとゴジラの時代 

 どの個人も自由を欲する。個人も国家も同じである。国家も行動の自由、自己裁量の自由を欲する。

 原子力発電には夢が与えられた希望の時代があった。「鉄腕アトム」の時代である。アトムの妹の名はウランちゃんだった。しかしそれは同時に、「ゴジラ」の時代でもあった。水爆実験成功の伝えられる時代で、地上における原爆の数千倍のエネルギーの出現への畏敬と恐怖の時代でもあった。事実、ゴジラは大都会を次々と破壊する存在として描かれていた。
 
 日本が国力の上昇とともに、原子力発電においても強い自立の意志を持ったのは当然である。がんじがらめの国際的縛りから解放されたいと思うのは自然な欲求である。高速増殖炉は、他の先進国のすべてがあまりに危険すぎて手を引き、ついに見放したのに、日本はあえてそれを引き受けた。福井県敦賀市の高速増殖炉・もんじゅ・は日本独自の技術だった。 

 見捨てられた海辺の小さな集落、人口八十人の白木という村落に不安な炉を据えた。・もんじゅ・がうまく成功すれば、使われた燃料は一・二倍になって返ってくることになっていた。そうなればもう原料の心配は要らない。ぐるぐる同じ燃料をリサイクルしていけばいい夢の機械である。

 これもやはり、「鉄腕アトム」や「ゴジラ」の時代が生んだ未来に無限の可能性を見る解放への願望だった。が、・もんじゅ・は現在、たび重なる事故で前進も後退もできなくなっている。これにはすでに一兆円が注がれて一キロワットの電力も生産せず、今後五十年間にわたり年間五百億円のむだな維持費が必要とされるばかばかしくも怪しいしろものとなり果てた。

 しかも、今後もう一度事故が起これば、関西一円を侵す疫病神のような存在になっているが、考えてみればあらゆる外国の圧力から逃れて、日本の原発が独立自存する目標のシンボルであったともいえる。それほどにも外国の干渉、妨害、悪意の行動はすさまじかったことは先に見たとおりである。日本が原爆をつくるかもしれぬという単なる言いがかりで、原料のウランと燃料のプルトニウムの処理に対して、国際無法社会が巨額のカネをしぼり取るあこぎなシステムができ上がっていたといっていい。

 逆にいえば、原子力発電の夢の妄執を捨てることさえできるならば、外国から干渉されたり、侵害されたりする理由ももうないということになろう。また日本の核防衛も、ウランを売ってやらぬなどの資源エネルギー全体への干渉や介入によって妨げられることなく、独自の開発路線で進めることができるようになるであろう。なにしろ、日本の核対応力はかつての米ソのような数万発の弾頭を貯めこむ核超大国を目指すものではなく、イギリスやフランスが現にそうであるような限定された・守り・の域さえつくれば良い。否、そこまでの必要もない。

 国際政治アナリストの伊藤貫氏は、核を具えているぞという「意志」がなによりも大事で、それさえあれば、ハードはインドからの買い入れでもいい。インドから買うぞというジェスチュアだけでもいい。日本とは戦争はできないという明確で強力なシグナルを発することだけが大切であり、それには軍事的には報復核の用意しかないのである、と。

福島第一よりも重い責任

 いまや、まったく展望のない高速増力炉のこれ以上の開発には電力会社も及び腰になっていると聞く。採算が合わないからだ。それでも核燃料のサイクル計画を否定できないのは、使用済核燃料の最終処分方法に見通しが立っていないからである。どの原発にも使用済核燃料の貯蔵プールがあり、そこは一定の割合でつねに空きスペースをつくっておかないと、原子炉のなかから使用済みを取り出し、新しい燃料と置き換えることができなくなる。つまり、原発は稼働できなくなる。

 ところが、原発一基を一年間運転すると、約三十トンもの使用済燃料が生じ、毎年これをどこかへ片付けていかないと、原発は運転を継続できないことになる。これは大変な重荷である。それなのに、わが国には放射性廃棄物の最終処分場が存在しない。場所も管理方法もなにも決まっていない。この先何万年にもわたって監視しなければならない相手かもしれないのに、何年先の管理もはっきりしていない。仕方がなく、使用済核燃料は「再処理いたします」という建前をとったのである。

 できるかどうか分からないが、ともかく「再処理」という言葉が選ばれ、青森県六ヶ所村に再処理工場が建設され、そこへ全国の原発から使用済燃料が次々と運び込まれた。写真でみると、広大な敷地に恐るべく大量の核のゴミを入れた金属容器が果てしなく並んでいる。

 だから「再処理」がスムーズに進んでいるのかと思いきや、ことはそんなに簡単ではない。再処理をすれば毒性の高いプルトニウムが抽出される。日本ではこれが貯まりに貯まって四十五トンを越え、八キロあれば原発を一個作れるので、約五千発程度の原爆の材料の貯蔵に当然、世界は目を光らせる。

 六ヶ所村にはIAEAの係官が常駐し、全国の原発にも年に一、二度の国際核査察が入る。アメリカは六十トンを上限に、それ以上のプルトニウムの貯蔵はまかりならぬと言っている。韓国は日本にだけプルトニウムの貯蔵が許されるのは不公平とし、嫉妬と不満を隠さない。

 しかし、愚かで甘い日本の保守派はこのことに優越感を覚え、わが国が超大国になる前段階だから、原発は大切に守り育てていかねばならぬなどと言うが、日本に必要なレベルの核兵器は少数精鋭でよく、六十トンのプルトニウムの処理に困って右往左往し、国際的な厳しい監視と批判を受けて翻弄され、積極的なことは何もできなくなっている現状のほうが、軍事的にもよほど不自由で、賢明でないということにならないだろうか。

 実際、プルトニウムばかり増えるのは厄介である。高速増殖炉・もんじゅ・は、もともとプルトニウムを燃やす目的で作られたのである。

 ところが、一九九五年にナトリウム漏れ事故で原子炉が暴走し、そのあと炉中中継装置にも落下事故があって、いまや新しい燃料で運転を再開することも、古い燃料を取り除いて廃炉にすることもできず、このままいけば五十年間、毎年五百億円の単純維持費を必要とし、総計二兆五千億円を流出することになろう。日本の独自技術は完全に頓挫した。福島第一原発よりもはるかに関係者の責任は重い。

つづく

WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(三)

二国間原子力協定の真実

 NPTの他に日本を苦しめてきた厄介なしばりは、二国間原子力協定である。アメリカ、イギリス、フランスのほかにカナダ、オーストラリア、中国の六カ国との間に日本は協定を結んでいる。カナダ、オーストラリアからは原料のウランを売ってもらう。そのために「持てる国」の傲慢というか、横暴なまでのしめつけの各種のしばりがあるという。

 たとえば、大学の研究室が核爆発の研究を学問レベルでしたことが発覚すると、直ちに協定義務違反を追及され、外国から輸入したもの、原子炉、核燃料、技術などをすべて返還しなければならないという。これはひどい話で、純然たる学術研究における「自由」が侵害されているのである。しかし、核燃料の供給が止められると、日本の原子力発電は完全にストップしてしまうことになる。こうした事例を詳しく報告している外務省初代の環境問題担当官で、現エネルギー戦略研究会会長の金子熊夫氏の『日本の核 アジアの核』(朝日新聞社、一九九七年)から少し引用してみよう。

 ちなみに、日本が協定違反を犯したわけでもないのに、一九七四年のインドの核実験後、カナダは原子力輸出政策を大幅に転換し、一九七七年突如日加原子力協定の改定を申し入れ、日本政府がこれに直ちに応じないとみるや、一方的に加産天然ウランの持ち込みができず、多額の延滞金を支払わされるという異常事態が数カ月続いた。このような、かなり強圧的な状況下で日本政府はやむを得ず協定改正交渉に応じ、カナダの対日供給停止もようやく解除された。決してカナダの言い分に納得しているわけではないが、我が方がいくら頑張っても、モノを持っているのは向うで勝ち目はないのだから、結局妥協せざるを得なかった。

 アメリカの圧力だけが問題のすべてではないことが、ここからも分かる。日本が原子力発電をつづけるかぎり、技術後発国の日本、原料輸入国の日本の不自由はつづき、そして何といっても、軍事転用を他の国は認められ日本だけ認められていないための神経戦が二重三重に追いかけてくる。

 現在の二国間原子力協定がいかに複雑な仕組みで、しかも、いかに供給国(輸出国)側に有利にできているかを示す具体例をもう少し挙げておこう。日本の場合、石油と同じく、核燃料もすべて外国産で、天然ウランはカナダやオーストラリアからも購入することが多い。このため、カナダやオーストラリアは自国産天然ウランについて対日規制権(濃縮、再処理、第三国移転等についての事前同意権)を先々まで持つ。

 ところが、日本で運転中の原子炉は現在すべて軽水炉で、天然ウランをそのまま燃料として使えないので、日本の電力会社は、購入した天然ウランをすぐ米国やフランス等へ運んで高い料金を支払って濃縮(三%の微濃縮)してもらうのだが、その結果、米国、フランス等も濃縮国として新たに対日規制権を持つことになる。

 次に、その濃縮ウランを日本の原子炉で燃やして発電したのち、使用済み核燃料をフランスと英国に持っていって再処理してもらうと、そこで出来たプルトニウム燃料について、今度は英仏の対日規制が加わる。

 このように、一つの核燃料について二カ国ないし三カ国、ときには四カ国の規制権が重複してかかり、理論的には、それらすべての国々の事前同意なり許可を取りつけなければならない。それではあまりにも繁雑なので、新協定ではなるべく一括して、かつ長期間にわたって事前同意や許可が得られるような仕組みになってはいるが、将来、対日規制権を持つ複数の国の間で利害の衝突が起こった場合、もし一カ国でも反対すれば、日本の核燃料サイクルは重大な支障をきたす恐れがある。

 さらにもう一つ厄介なことに、最近の原子力協定では、米国で濃縮してもらった核燃料でなくても──例えばアフリカのニジェール産の天然ウランを日本の濃縮工場で濃縮した燃料でも──それを一度米国製の原子炉または米国の技術で出来た原子炉で燃やすと、その途端に米国産の核燃料と見なされ、米国の規制権の対象となる仕組みになっている。

 これは、かつてインドがカナダから輸入した研究用原子炉を使って、自国産の核燃料からプルトニウムをつくり、それでまんまと核爆発実験(一九七四年)を行ったようなケースを防ぐために考え出されたシステムで、専門家の間では「技術による汚染」──つまり米国の技術で、第三国の燃料までひっかけてしまう──と呼ばれているものである。モノよりも技術を持った国の方が有利だということを示す端的な例である。

 以上のように論じた後、金子氏は次のように断定している。

 要するに、日本の原子力開発は、過去四十年間と同じく現在、将来とも、米、英、仏、加、豪の五カ国、わけても米、加、豪の三カ国に最終的な「生殺与奪」の権利を握られているのであり、これら諸国の核不拡散政策を無視して、自分勝手な振る舞いはできないような仕組みになっているのである。

つづく

WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(二)

脱原発こそ国家永続の道

 一九六四年に中国の核実験が成功した。佐藤栄作首相は三カ月後の日米首脳会談でジョンソン大統領に対し、「日本も対抗上核兵器を持つべきだ」と述べたといわれる。しかし、アメリカ大統領はいわゆる「核の傘」の保障を与え、日本の核武装を拒否した。「核の傘」は当時も、そしていまも、決して明文の形で保証されたものではない。ことあるたびに、アメリカの要人による口約束で終わって、当てにもならないのに、核のボタンを自ら握る立場に日本をつかせない米政府の方針はその後も一貫していた。

 核保有国は、中国が入って五カ国になった。その後、旧戦勝国のこの五カ国が核を独占する不平等条約であるNPT(核兵器不拡散条約)が進められた。日本政府は署名をためらった。西ドイツが署名したのを見きわめて、ぎりぎりまでねばって滑り込んだ(一九七〇年一月)。

 しかしなお、釈然としなかった。村田良平元外務事務次官が回想録で述べているとおり、NPTの七割方の目的は、経済大国になりだした日本と西ドイツの核武装の途を閉ざすことにあったからである。佐藤首相はこの現実に全面的に敗北し、自ら言わなくてもいい非核三原則まで提唱して、退任し、代償としてノーベル平和賞を授与された(一九七四年)。しかし、日本政府は署名を済ませた後もえんえん六年間も批准を延ばし、条約を批准したのはやっと一九七六年であった。

 国を・守る・ためのフリーハンドを保持したい。さもないと、国家の存続が危ぶまれる事態がきたときに打つ手がなくなる。そういう切ない思いからである。当時の日本人にはまだ健全な国家意志が働いていた。敗戦国はいつまでも敗戦国に甘んじてはいけない、と。
 こうした動機を反核平和主義者たちはつゆ知らず、日本の保守派は戦前の「帝国」を夢みる愚かな大国主義に侵され、原発の運転維持にこだわるのはそのせいだ、などと言う人がいるが、そういう甘い保守主義者もなかにはいるかもしれないが、・脱原発こそ国家永続の道・を唱える私の立場はまったく違う。

日本からの報復への恐怖
 
日本が愚かにも非核三原則などと言っている間に、西ドイツは核をつくらなくてもどうしても持ちたい、せめてアメリカの核を持ち込ませたい、と粘り強い努力をした揚げ句、ついにソ連がSS─20を配備したときに、西ドイツ国防軍がアメリカの核弾頭を上限百五十発にかぎって自由使用できる「核シェアリング」を認めさせることに成功した。同じ旧敵国でも、アメリカはドイツ人に認めたことをなぜ日本人に認めないのか。

 われわれ日本人はその理由を心の奥底で深く良く知っている。問題は「核」であって、他のテーマではない。広島・長崎へのアメリカ人の贖罪とこだわり、人類史の汚点への自責、これがひるがえって日本人への怨念と嫌悪になり、そしてひょっとしてあり得るかもしれない日本からの報復への恐怖となっている。それが彼らを動けなくさせている。アメリカ人は自分の影に怯え、幻影に追いかけられているのだ。

 このことと日本の原子力発電のいまの問題、山積する問題がどうして無関係であるであろう。なぜ日本の原発は、諸外国が手を引いた高速増殖炉に危険を冒してでも突っ走らなければならなかったのか。なぜ燃え切った核燃料をもう一度使おうと再処理工場を建設し、次々と貯まって増えつづけるプルトニウムを、まるで追いかけられるかのように、沸騰して溢れこばれる薬缶のお湯をあわてて流すときのように、プルサーマル計画などという誰が見てもやらんでいいことに手を出さなければならなかったのか。

 日本政府がNPTの署名をしぶり、批准を遅らせていた七〇年代に、アメリカ、イギリス、ソ連だけでなく、カナダやオーストラリアからも、NPTにおとなしく入らなければウラン燃料を供給してやらない、つまり原子力発電をできなくさせてしまうぞと脅しをかけられていた。

 一九九三年七月の東京サミットで、五カ国に対する新たな核兵器開発の特権を追加したNPTの無条件・無期限延長が取り上げられたが、日本政府はこれに反対した。すると、アメリカの新聞、マスコミは一斉に日本に対する集中攻撃をはじめた。日本は核武装をする意図があるのだ、と。

つづく

WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(一)

村上春樹に失望した 

 人気作家の村上春樹氏が福島第一原発の事故に触れて、スペインでの受賞講演で、唯一の被爆国となった日本としては「核に対する『ノー』を叫び続けるべきであった」と述べたと報じられた。つづけて「私たち日本人自身がみずからの手で過ちを犯し」と重ねたが、事故は過ちだろうか。広島・長崎と福島とをこんな形で簡単につないでよいのだろうか。過ちを犯したのはアメリカではないのか。大江健三郎氏そっくりの言い方ではないだろうか。
 
 作家たる者は他人と同じようなことを言ったりしたりしないのが常道であるのに、またしても大江と同じように欧米人の願望に合わせた日本像を語り、ノーベル賞を狙う日本人作家の講演には失望を禁じえない。ノーベル賞から文学賞と平和賞はなくしてもらったほうが、公正さがより保てるのにと思っているのは私ばかりではないだろう。
 
 それはともかく、いましきりにいわれる「脱原発」という三文字から、これは「核に対する『ノー』を叫び続けるべきあった」という村上氏と同じことだと思い、・原水爆禁止運動・・反核平和運動・を反射的に思い起こし、福島瑞穂氏がにわかにはしゃぎ出すような状況を指していると考える人が、いまでも相変わらず少なくないのかもしれない。
 
 しかし、原発が地震国・日本に不向きだから段階的に止めて欲しい、と願うようになった最近の日本人の多くが彼らと同じ方向を向いているとはかぎらない。それは何でもかんでも「核」と名づけるもの、「核兵器」「核武装」を含むあらゆる原子力に関する危険なものは、世界のどの国がやろうがやるまいが、日本列島から追い払い、いっさい近づけさせない、「ノー」を叫び続けるべきだという村上氏の言うようなこととは決して同じではない。

 常識のある人は、「脱原発」と「反核」は必ずしもぴったり一致しない別の事柄だと考えられているはずだが、そこのところをあまり明確に分明できないで迷っている人も多いだろう。
 
 他方、これとは逆に、日本の原発でウランを燃やしてつくられたプルトニウムの量が、すでに長崎原爆の四千─五千発分に達したと聞いてなにやら頼もしいと思ったり、どことなく不安に思ったりするシンプルな情緒のうえに、思想や理論を築き上げている人が多い。原発が原爆と隣り合わせであり、プルトニウムをいつでも軍事転用できることは間違いないが、原発は核武装への階程の第一段階であると考える考え方に固執するのは、事実関係をよく調べてみるとまったく間違っている。
 
 原発を止めてしまったら核武装への道は永遠に絶たれてしまうと心配する保守派の論客も、また反対に、原発を止められない日本の政治はいつの日かの軍事大国への夢を捨て切れないからだと攻撃をしかける平和主義者も、それぞれ手にあまるほど増えすぎて困っているプルトニウムという燃料の山に、別方向から同じ幻像を投げかけているのである。どちらも、原発の存在が日本の軍事力の合理的強化を妨げ、国家の独立自存をむしろ阻害しているという、きわめて深刻なウラの事情を正確に見ていない。

原発に沈黙する保守

 いま、原発反対の高まる声に対し、保守系の言論人・知識人の多くは、著名なかたがたも含めて口を閉ざし、沈黙している。なかには、原発を止めたら産業が成り立たない、と叫ぶ人もいるが、慎重な人は様子を見ようとしている。福島第一原発の事故の行方が分からない不安がつづくので、迂闊に口は開かない。しかし、心のなかでは、原発は力であり、力は国家であるという固定観念をいったん白紙にもどそうとはしていない。だから時期がきたら、頭に刷り込まれた原発の「安全神話」が再び台頭し、言論界を覆うであろう。産経新聞は懲りずにすでにそうである。しかし、これは原発が国家の力の源ではすでに必ずしもなく、力の集中を混乱させている──必ずしも事故のことだけではない──明らかな「事実」を見ていない証拠である。

 他方、これに対し、私は最近、原発反対派の論文や講演録の秀れたもの──たとえば沢田昭二氏、小出裕章氏、ジョン・トッド氏、ウルリヒ・ベック氏のもの等──を選んで丁寧に見て、学ぶこと多いが、彼らは原発による被害の本質を衝いて正確かつ知的に誠実であるものの、ひとつだけ欠けているものがある。すなわち、加害の観点が欠けている。

 彼らは言う──原子力は利用価値があると思っていたが、死と破壊しかもたらさない。その力は人類の手にあまり、最後に残る猛毒の廃棄物は人類の歴史を越えて残存する。いかに制御したとしても、失敗したときには取り返しのつかないような技術は技術とはいえない。事故の確率がどんなに小さくても、確実にゼロでなければ、リスクは無限大に等しい。それが原子力の事故であり、航空機の事故とは異なる所以である、と。この点を今度われわれもたしかに深刻に体験した。それは私も切実に良く分かった。
 
 しかし、原子力はそれゆえに「死と破壊」を他に向ける機能──兵器という機能によって世界の平和と秩序をぎりぎりのラインで維持している。そのことと切り離して原子力発電は誕生しなかった。すなわち、原発は原爆の歴史のなかから生まれ、それとともに発展生成した。日本の原発は非軍事に限定され、事故はそれゆえに生じる矛盾を直視しない単眼性から発生したのではないか。雑誌『世界』はこのところ、いい論文や座談会をいくつも載せたが、これまた懲りずに平和主義のままである。
 
 所持しても使用できない核兵器は、米ソ核軍縮もあって、兵器としてやや時代遅れともいわれるが、東アジアではいぜんとして唯一の抑止力である。核を持った国同士はもう戦争できない、という意味で、今や純粋な・守り・の武器である。
 
 アメリカの核の傘はすでに幻想であり、今後アメリカの軍事予算の削減とともに威嚇力さえ失う。核武装国家・中国と対峙するために、日本は決して大量でなくてよいが、少数の有効な核ミサイルを持つ原子力潜水艦を太平洋に遊弋させる必要と権利を持つ。それをアメリカその他に納得させなくてはいけない。日本がほんの少数の(数十の)核ミサイルを持つだけで、中国は日本と戦争ができない。沖縄海域を自由航行することなどできなくなる。これを放置すると、やがていつか大きな戦争になるのである。
 
 さて、これほど大切な、日本にとって・守り・のための最小限の手段である核武装を妨げつづけてきたのは、ほかでもない、原発である。四千─五千発の長崎原爆をつくれるプルトニウムを貯蔵している日本の原発が、日本の安全の最大の障害物である。

つづく

8月5日産経正論掲載西尾論文に想う

ゲストエッセイ 
足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

   

 やや旧聞に属しますが、産経新聞正論欄は8月に入り「震災下の8月15日」と冠した論文を掲載しました。そこにはこの震災を大東亜戦争、第二次大戦の敗戦とそれに伴う廃墟のイメージに重ねようとする意図が感じられ、そうした文脈で書かれたものもすくなくありませんでした。

 しかし、こうした設定は問い詰めなければならない問題を隠蔽してしまう危険を孕んでいます。重ねていうならば、産経新聞にはそうした隠蔽の意図すら感じられます。

 8月5日に掲載された西尾先生の論文はこの点をピタリと指摘されています。 先生は次のように喝破されました。

 「日本人は戦後、なぜわれわれは米国と戦争する愚かな選択をしたのかと自己反省ばかりしてきた。しかし、なぜ米国は日本と戦争するという無法を犯したのかと、むしろ問うべきだった。米国の西進の野蛮を問い質すことが必要だった。」と。

 話は私事になりますが、私は、パソコンに私なりの歴史年表を作っています。そのきっかけは、もう大分前になりますが、インターネットで「翼賛選挙」の検索結果を読んだことでした。

 そこには大東亜戦争開戦5か月後に行われた昭和17年4月30日の衆議院議員選挙の結果が掲載されていました。

 その内容は、それまで存在していた多くの政党が無理矢理解散され、翼賛連盟に統一されたこと。翼賛連盟を勝たせるために多くの干渉がなされ、選挙があやつられたこと。選挙結果は、翼賛連盟に推薦された候補者が381名と、非推薦のいわば無所属の85名の合計466名が当選したと書かれていたのです。

 選挙は妨害や干渉などがあったとも記されていますから、よくまあ85人もの非推薦候補が当選したものだと感心したものでした。そればかりか、驚いたことに、昭和15年に陸軍を名指しし批判する「粛軍演説」で問題となり議員を除名された斉藤隆夫までが当選者の中に名前を連ねていたのです。

 戦後の歴史教育では、戦前・戦中を「軍部ファシズム時代」として描き、斉藤隆夫はその被害者の典型例としての「粛軍演説」のみが記述されていました。然し斉藤隆夫が”翼賛選挙”で非推薦の立場で当選したとなると、戦時においてすら、完全には「軍部ファシズム」一色ではなかったのではないかと思えてくるのです。

 第二次大戦の連合国、米、英、ソ、中を民主主義陣営と言いますが、ソ連は共産党一党独裁であり、中華民国も国民党独裁であって、この両国とも民主的な選挙などおこなっていないのですから民主主義とは無縁でしょう。更に言えば米国ですら黒人には選挙権がなかったのですから、日本の方が民主的であったと言えないこともありません。

 要は年表の表記一つとっても一方的な考えのみが記され、事実が隠蔽されることはま まあることであり、そうしたことは占領時の米占領軍による検閲と焚書により歴史年表に深く埋め込まれ今日に至っているということが、1942年4月の”翼賛選挙”の年表表記から分かります。

 そんなことから、私は、自分の理解できる範囲で自分なりに「歴史年表」を作り始めました。作りながら感じたことは正に米国が特に日露戦争以降執拗な「対日挑発政策」を一貫して行ったことです。

 日露戦争終結間もなく、米瀋陽総領事ストレートは満州における日本の権益への干渉を行います。例えば満州銀行を設立の画策ですが失敗しています。1909年には米国務長官ノックスが満鉄中立案を画策しますが、日露の連携でこれも失敗しました。

 満州における我が国の権益は、日露戦争で戦死、戦傷、戦病計40万人の犠牲の上に得たものであり、そんなことにお構いなしに干渉してくる米国には「ナニサマダ」と言う気持ちが湧いてくるのは当然でしょう。

 以下、私の年表にある米国との関係を記します。

1906年:カリフォルニアで日本人移民取締り、移民学童排斥が問題となる
1907年:サンフランシスコ、日本人学童を公立学校から隔離。(シナ人学童は既に20年前に隔離)連邦政府これに反対するも加州政府受け入れず。―― 妥協、①メキシコ、カナダ、ハワイの三地域(これ等の地域からの移民が多かったため)の旅券を持った日本人、朝鮮人の米国本土へ入る事を禁ずる。②日本人、朝鮮人学童の公立学校への復学を認める。
1908年:米艦隊の日本周航。米国の意図は対日威嚇であったと想像されるが、日本側の大歓迎で関係改善へ。この機会にルート・高平協定(日本は移民旅券を発行せず、実質移民を送らないことにした。)
1909年1月:ノックス国務長官による満州鉄道中立案が各国に示されるが、日露の緊密な連携と反対で失敗する。
1911年:日米通商航海条約締結
同年4月15日:米英仏独の対清?借款成立(日露を牽制するもので、日露は反対したが結局参加を余儀なくされる)この年、陸奥条約の期限を迎え、各国との交渉を完了し此処に半世紀に亘る不平等条約は総て失効した。
1913年:カナダ、日本人渡航を制限。カリフォルニア州外国人土地所有禁止法(カリフォルニア州排日土地法――日本人の土地保有を禁止し、企業のマネージメント       になることを禁じ、日本人学童を公立学校から隔離する)
1914年:第一次対戦勃発 パナマ運河開通 
1917年2月13日:英国講和条件に関し、日本の要求を支持する旨言明(山東半島の旧ドイツ領、赤道以北の旧ドイツ領諸島の処分=米は反対)
同年12月2日:石井・ランシング協定――(国境を接する国の利益を容認する)
1918年11月11日:聯合国、ドイツ休戦協定
1919年:パリ講和会議、日本は連盟規約に「人種平等宣言」を提案、穏当な内容であり11対5の賛成多数を得るも議長であったウィルソン大統領が議長職権で、全会一致でなかったことを理由に廃案とした。実現は第二次大戦後。
1920年:今までより更に悪質な排日土地法――(米国臣民権を持った日本人にも土地所有を認めない。日本人が整備した農場を取り上げる。)
1924年:「絶対的排日移民禁止法(ジョンソン・リード法)これにより、連邦全体の排日法が成立した。大統領も署名し発効することになる」この排日法に関連して植原駐米大使の国務長官宛書簡の中の [grave consequence]の文言が問題となった。
1925年:アメリカ、オレゴン州で排日暴動。5月15日、排日移民条項を含む法律案が連邦議会を通過。

 さて、日米戦争は日本の過った選択であったのか、米国の仕掛けた不法な戦争であったのかを開戦の2年前から私の年表で見ていきます。

1939年7月26日:米ハル国務長官、日米通商航海条約の一方的破棄を通告
同年11月:米国の第一回エンバーゴー、航空機、航空機備品、航空機製造危機の対日輸出禁止
1940年1月26日:日米通商航海条約失効
同年3月:衆議院、斉藤隆夫を除名
同年5月:米国防諮問委員会設置。スター区案=海軍大拡張計画
同年7月:米国日本に対する屑鉄輸出の禁止
同年8月:米国日本に対する航空機用ガソリン輸出の制限
同年9月22日:日仏印軍事協定締結。翌23日、日本軍北部仏印に進駐
同年9月27日:ベルリンにおいて、日独伊三国軍事同盟を締結―英国ビルマルート再開。米国在極東米国人退避勧告、米国蒋介石への援助強化)
同年10月:ルーズベルト、デイトンで重慶政府支援を演説
同年10月:大政翼賛会創立
同年11月:汪兆銘南京政府樹立 英、アジア軍司令部を創設、司令部をシンガポールに置く。
同年11月30日:日本、汪兆銘政権と日華基本条約締結
同年同月:米国、蒋介石政権に5千万ドルの借款供与と、5千万ドルの通過案的基金拠出を用意、英国の1千万ポンドを拠出
同年12月:米太平洋艦隊主力をハワイに置く
同年12月:モーゲンソー財務長官、蒋介石政権に武器貸与法適用用意の旨演説
1941年:1月:ルーズヴェルト年頭教書で「四つの自由」
同年1月:ノックス海軍長官蒋介石政府に航空機200機の売却手続き完了を明かす。
同年4月:日ソ中立条約。日仏印経済協定
   マニラで英東アジア軍総司令官、米駐比高等弁務官、米アジア艦隊司令長官、蘭外相が会談
同年5月:米国国家非常事態を宣言。米国重慶政府に武器貸与法を適用
同年5月:オランダ外相、強行発言「挑戦にはいつでも応戦の用意あり
同年6月:シンガポールで英、重慶政府軍事会談
同年6月10日:我が国の蘭印(オランダ領インドネシア)との貿易交渉決裂、17日決裂の事実を公表
同年6月21日:米、日本に対する石油製品輸出に品目別許可制導入
同年6月22日:ドイツ軍、ソ連へ進攻。27日:ハンガリー対ソ参戦
同年7月2日:御前会議で南部仏印進駐を決定
同年7月25日:米国在米日本資産凍結、(その後26日、英、蘭も追随)
同年7月28日:日本軍南部仏印進駐開始
同年8月1日:米国対日石油全面禁輸(英国、オランダも実質追随)
同年8月14日:米英大西洋憲章
同年9月:御前会議において、交渉不首尾の場合の開戦を決意
同年10月18日:東条英機陸軍大将に大命下る。外相東郷茂徳氏
同年11月7日:野村大使甲案を提示
同年11月12日:ハル国務長官、共同宣言案方式?を提案
同年11月15日:来栖大使着任
同年11月26日:ハルノート
同年12月1日:御前会議において対米英蘭に宣戦を決定 
同年12月8日:米英に対し宣戦布告

 こうして見ていくと「日本人は戦後、なぜわれわれは米国と戦争する愚かな選択をしたのかと自己反省ばかりしてきた。しかし、なぜ米国は日本と戦争するという無法を犯したのかと、むしろ問うべきだった。米国の西進の野蛮を問い質すことが必要だった。」
という西尾先生の言葉こそあの戦争の本質をついていると思わざるを得ないのです。

 我が国の所謂”昭和史家”達の説明は日本の過去を誤りとしますが、それでは米国の行動は全て正しかったのか、例えば、開戦2年以上前に米国が一方的に日米通商航海条約の破棄を通告し、開戦3か月半前一方的に、在米日本資産の凍結をおこなったことをどう見るのでしょうか。因みに日本が南部仏印に進駐したのはその後のことなのです。

真珠湾攻撃70年にも思い馳せる震災下の8・15 

   @産経「正論」欄より 2011.8.5

 大震災後初の終戦記念日に続いて、真珠湾攻撃70周年記念日(今年12月8日)が近づいている。

 第二次世界大戦で、米国はドイツを主要な敵と見立て、対日戦はそのための手段だったと見る説があるが、19世紀からの歴史を考えるとそんなことは全く言えない。欧州戦線で米軍は「助っ人」を演じ切ったが、太平洋戦線では「主役」そのものだった。昭和14(1939)年まで、日本は米英一体とは必ずしも考えていなかったのに、あっという間に米国が正面の敵となった。かねて狙っていた標的に襲いかかる勢いだった。

 ≪≪≪日本に対する戦意の根深く≫≫≫

 米国内にはドイツ系市民が多数いて、ドイツに対する米国の戦意の形成は大戦直前の短期間だったのに対し、日本に対する戦意の歴史は根が深く、ハワイ併合時(1898年)にすでにあり、日露戦争(1906年)後に露骨に明確になった。日系市民の存在は、ドイツ系と違って、米国内の敵意の発生の場、人種感情の最もホットな温床であった。

 19世紀前半に、米国はメキシコと大戦争をしている。テキサスを併合し、アリゾナ、コロラド、ネバダ、ユタ、ワイオミングの各州に当たる地域を奪取し、ニューメキシコとカリフォルニアを買収、この勢いは西海岸をはみ出して西へ西へと太平洋にせり出した。

 南北戦争の内乱でしばし足踏みした後、明治維新を経た新興日本の急成長を横目に、米国はスペインと開戦してフィリピンを併合、用意していたハワイ併合も果たした。ハワイ併合に、大隈重信らが抗議してしつこく食い下がった日本外交の抵抗は知られていない。米国は余勢を駆って、グアム、サモア、ウェークなどの島を相次いでわがものとした。日本にとっては、脅威そのものだった。

 米国の西進というパワーの源には、非白人国家に文明をもたらすことを神から与えられた使命と考える身勝手な宗教的動機もあったが、英国、オランダ、フランスに加えてドイツまでもが太平洋に植民地を築き、中国大陸が西欧に籠絡されていることへの、遅れてきたものの焦りがあった。

 ≪≪≪遅れてきた焦りゆえの西進熱≫≫≫

 興味深いのは、フィリピンやグアムなどの領有には武力行使をためらわなかった米国が中国大陸を目前にして方針を急に変えたことである。米国は、大陸に武力を用いるのに有効な時期を逸していることに気づいた。ロシアと英国が早くから中国に介入していたからである。米国は「門戸開放」を唱えだした。俺にも分け前を寄越せという露骨なサインである。米国はそこで、中国大陸への侵攻を目指して、北方、中央部、南方の3方向から順次、介入を試みた。

 北方ではロシアが日本より先に満州を押さえ、朝鮮半島を狙っていた。そこで、米国はロシアを追い払うために日本を利用し、日露戦争で日本を応援して漁夫の利を得ようとしたが、誇り高い日本民族がこれを許さない。鉄道王ハリマンの野望は打ち砕かれた。それでも、米国は満州への経済進出の手をゆるめない。

 第一次大戦中に、アジア市場には日本の影響力が高まったので、米資本が進路を拡大するには武力に訴えたかったのだろうが、各国の力学が複雑に張り巡らされた大陸の情勢下では、それも難しく、米国は上海を中心とする中国の中央部に狙いを移し、文化事業、キリスト教の宣教などを手段とし、非軍事的方法で揺さ振りをかける道を選んだ。日中の離間を謀るさまざまな手が打たれた。米国はことごとく日本を敵視した。米国への中国人留学生迎え入れの予備校である精華学院などを創設、中国人の排日テロを背後から支援し続けた。キリスト教宣教師はしばしば反日スパイの役割を演じた。

  ≪≪≪なぜ米国が戦争したかを問え≫≫≫

 西進への米国の果てしない衝動は、他の西欧諸国とは異なる独特の、非合理的な熱病じみたものを感じさせる。満州へも、中国本体の中心部へも、思う存分介入できなかった米国は、とうとう最後に南方からの介入で、抵抗を一気に排除しにかかった。フィリピン、グアムを軍事拠点に、英国やオーストラリア、オランダとの合作により南太平洋を取り囲む日本包囲攻撃の陣形を組み、大陸への資本進出を実行する障害除去のための軍事力動員の道に突っ走った。

 かの真珠湾攻撃は、米国の理不尽で無鉄砲なこの締め付けに対する日本の反撃の烽火(のろし)であった。

 日本人は戦後、なぜわれわれは米国と戦争する愚かな選択をしたのかと自己反省ばかりしてきた。しかし、なぜ米国は日本と戦争するという無法を犯したのかと、むしろ問うべきだった。米国の西進の野蛮を問い質すことが必要だった。西へ向かうこの熱病は近年、中国を飛び越え、アフガニスタンから中東イスラム圏にまで到達し、ドルの急落を招き、遂に大国としての黄昏(たそがれ)を迎えつつある。真珠湾攻撃は、70年間かけて一定の効果をあげたのである。(にしお かんじ)

『GHQ焚書図書開封 5』の刊行

GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日 GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日
(2011/07/30)
西尾幹二

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 7月31日に『GHQ焚書図書開封 5』(徳間書店、¥1800+税)が刊行されました。副題は「ハワイ、満州、支那の排日」で、表紙絵をご覧の通り、帯に「パールハーバー70周年!」と銘打たれています。今年の12月8日は真珠湾攻撃の70周年記念日に当たります。

 この件については「あとがき」をすでに掲示しました。

 今日は目次を紹介しておきます。

第1章 米国のハワイ侵略第一幕
第2章  立ちつくす日本 踏みにじる米国
第3章 ハワイ併合に対する日本の抗議
第4章 アメリカのハワイ・フィリピン侵略と満洲への野望
第5章 長與善郎『少年満洲讀本』その一
第6章 長與善郎『少年満洲讀本』その二
第7章 長與善郎『少年満洲讀本』その三
第8章 支那の排日の八つの原因
第9章 排日の担い手は英米系教会からロシア共産主義へ
第10章 支那の国民性と黄河決壊事件
第11章 現実家・長野朗が見た理想郷・満洲の矛盾

〔巻末付録〕標題に「満洲」と入った焚書図書一覧(作成・溝口郁夫)

 以上の通りです。

 日本人がなぜアメリカと戦争をするという判断の間違いを犯したかではなく、なぜアメリカは日本と戦争をするという無法に走ったのかと問うべきだ、というかねての私の主張はこの本でかなりはっきりするでしょう。

 敗戦の負の感情を返上し、正の意識を回復しましょう。日本が前向きになるのはすべてそこからです。

アマゾンのレビューより

By スワン – レビューをすべて見る

レビュー対象商品: GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日 (単行本)

本書は<逆転の発想>に立っている。
「日本はなぜアメリカと戦争したのか」ではなく、「アメリカはなぜ日本に牙をむいてきたのか」と問うているからだ。

取り上げられる<GHQ焚書図書>はつぎの三冊。
・吉森実行『ハワイを繞る日米関係史』(昭和18年)
・長与善郎『少年満洲読本』(昭和13年)
・長野朗『日本と支那の諸問題』(昭和4年)

最初の本では、アメリカがハワイを併合したのが1898年と知って少々驚いた。たった100年前の出来事なのだ!
18世紀に独立を果たして以来、西へ西へと領土を広げてきたアメリカは、メキシコとの戦争でカリフォルニア一帯を奪うと、今度は、太平洋上にあって戦略的に重要な位置を占めるハワイに目をつける。
そこで軍隊を上陸させると、女王を脅かし、強引に退位させ、ハワイを併呑してしまう。

米東海岸→米西海岸→ハワイ→フィリピン、という具合に領土を広げてきたアメリカが、そのつぎに目をつけたのは満州だ。
ところが、そこには日本が陣取っていた。
……といっても、日本は満州を不当に侵略したわけではない。
満州と日本の歴史、あるいは日本人移住者たちの姿は『少年満洲読本』に活写されていて、とても参考になる。

なかなか満州に進出できないアメリカは中国と手を組み、シナ大陸で<排日>の嵐を巻き起こす。
日本・中国・アメリカ間の諸問題に関しては、三番目の本で詳しく語られる。

以上のような流れを追いながら著者は、<西へ向かうアメリカ>と<その進路に立ちはだかっていた日本>という地政学的な構図をあぶりだし、日本に対するアメリカの<戦意>を見事に描き出す。

本書を通読して強く印象に残ったのは、つねに変わらないアメリカや中国の<体質>だ。

一例を挙げれば――日本軍の追撃を受けた蒋介石軍は、その進軍を阻むため、なんと黄河の堤防を爆破して大洪水を引き起こし、十万人以上の同胞を犠牲にしたのである。
先ごろの<中国版新幹線>の事故処理を見ても、中国人の体質は戦前の本に描かれた<暴虐>とまったく変わっていない。

アメリカも同様。
メキシコやスペインに戦争を吹っかけ、キューバ、米西海岸、ハワイ、フィリピン……をつぎつぎに奪い取ってきた<横暴>は、すべてに我意を押し通そうとするアメリカ外交のひな型となっている。

いまなお、そんなアメリカと中国と付き合わざるをえない日本はどうふるまうべきか?
本書には、それを<考えるヒント>がいろいろちりばめられている。