WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(二)

脱原発こそ国家永続の道

 一九六四年に中国の核実験が成功した。佐藤栄作首相は三カ月後の日米首脳会談でジョンソン大統領に対し、「日本も対抗上核兵器を持つべきだ」と述べたといわれる。しかし、アメリカ大統領はいわゆる「核の傘」の保障を与え、日本の核武装を拒否した。「核の傘」は当時も、そしていまも、決して明文の形で保証されたものではない。ことあるたびに、アメリカの要人による口約束で終わって、当てにもならないのに、核のボタンを自ら握る立場に日本をつかせない米政府の方針はその後も一貫していた。

 核保有国は、中国が入って五カ国になった。その後、旧戦勝国のこの五カ国が核を独占する不平等条約であるNPT(核兵器不拡散条約)が進められた。日本政府は署名をためらった。西ドイツが署名したのを見きわめて、ぎりぎりまでねばって滑り込んだ(一九七〇年一月)。

 しかしなお、釈然としなかった。村田良平元外務事務次官が回想録で述べているとおり、NPTの七割方の目的は、経済大国になりだした日本と西ドイツの核武装の途を閉ざすことにあったからである。佐藤首相はこの現実に全面的に敗北し、自ら言わなくてもいい非核三原則まで提唱して、退任し、代償としてノーベル平和賞を授与された(一九七四年)。しかし、日本政府は署名を済ませた後もえんえん六年間も批准を延ばし、条約を批准したのはやっと一九七六年であった。

 国を・守る・ためのフリーハンドを保持したい。さもないと、国家の存続が危ぶまれる事態がきたときに打つ手がなくなる。そういう切ない思いからである。当時の日本人にはまだ健全な国家意志が働いていた。敗戦国はいつまでも敗戦国に甘んじてはいけない、と。
 こうした動機を反核平和主義者たちはつゆ知らず、日本の保守派は戦前の「帝国」を夢みる愚かな大国主義に侵され、原発の運転維持にこだわるのはそのせいだ、などと言う人がいるが、そういう甘い保守主義者もなかにはいるかもしれないが、・脱原発こそ国家永続の道・を唱える私の立場はまったく違う。

日本からの報復への恐怖
 
日本が愚かにも非核三原則などと言っている間に、西ドイツは核をつくらなくてもどうしても持ちたい、せめてアメリカの核を持ち込ませたい、と粘り強い努力をした揚げ句、ついにソ連がSS─20を配備したときに、西ドイツ国防軍がアメリカの核弾頭を上限百五十発にかぎって自由使用できる「核シェアリング」を認めさせることに成功した。同じ旧敵国でも、アメリカはドイツ人に認めたことをなぜ日本人に認めないのか。

 われわれ日本人はその理由を心の奥底で深く良く知っている。問題は「核」であって、他のテーマではない。広島・長崎へのアメリカ人の贖罪とこだわり、人類史の汚点への自責、これがひるがえって日本人への怨念と嫌悪になり、そしてひょっとしてあり得るかもしれない日本からの報復への恐怖となっている。それが彼らを動けなくさせている。アメリカ人は自分の影に怯え、幻影に追いかけられているのだ。

 このことと日本の原子力発電のいまの問題、山積する問題がどうして無関係であるであろう。なぜ日本の原発は、諸外国が手を引いた高速増殖炉に危険を冒してでも突っ走らなければならなかったのか。なぜ燃え切った核燃料をもう一度使おうと再処理工場を建設し、次々と貯まって増えつづけるプルトニウムを、まるで追いかけられるかのように、沸騰して溢れこばれる薬缶のお湯をあわてて流すときのように、プルサーマル計画などという誰が見てもやらんでいいことに手を出さなければならなかったのか。

 日本政府がNPTの署名をしぶり、批准を遅らせていた七〇年代に、アメリカ、イギリス、ソ連だけでなく、カナダやオーストラリアからも、NPTにおとなしく入らなければウラン燃料を供給してやらない、つまり原子力発電をできなくさせてしまうぞと脅しをかけられていた。

 一九九三年七月の東京サミットで、五カ国に対する新たな核兵器開発の特権を追加したNPTの無条件・無期限延長が取り上げられたが、日本政府はこれに反対した。すると、アメリカの新聞、マスコミは一斉に日本に対する集中攻撃をはじめた。日本は核武装をする意図があるのだ、と。

つづく

「WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(二)」への6件のフィードバック

  1. 先生が考えを転換することが何故わるいのでしょうか? 今回の原発事故の結果を考察して理由を説明しているはずです。
    私は、石油精製、化学、原発のような巨大技術導入産業は、日本人の技術力では制御できないと思っています。基本設計が借り物で、設計の基本概念がわかっていないにも拘わらず、配管等の細かい部分にこだわっているからです。基本概念が欠落していることは、今回の予備電源系の配置に典型的に表れています。カイゼンなどで現場レベルで部分改良することは得意かもしれないが、有機的につながっている巨大プラントでは、全体を見通した設計思想を吟味しなければならない。要するに設計技術者が無能であり、旧日本軍で、士官は無能、下士官は普通、兵士は優秀ということが、原発事故でも再度確認されたようです。

  2. 8月の始め頃、NHKのBSで「ヒロシマの黒い太陽」という番組が放映されていました。http://www.dailymotion.com/video/xkeero_yyyyyyyyy1_tech
    第二次世界大戦、マンハッタン計画、アメリカでの原爆開発の研究の様子から広島・長崎への原爆投下やその後の研究などを当時の映像を使って追いながら、情報の隠ぺいや操作という観点から作られた番組でした。
    印象的なのは、1940年代は今と違って放射線の知識には差があったとはいえ、プルトニウムを人体に注入して影響を見たり、実験中に実験器具が破損して、プルトニウムが少量口の中に入ってしまった若い研究者の報告書の文書の紹介などが淡々と語られる場面でした。放射線が治療に利用できると信じる医師、また防護服など着ず、まるで理科の実験室のような場所で、試験管を操作する研究員たちの様子が映されていました。
    近代科学精神と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、我々がよく製薬会社のCMなどで見る、白衣を着て「私たちは健康のために日々努力しています」という文句と一緒に流される映像と同じものが、「人殺しの道具」を作るために行われていることに何とも言えない違和感を覚えました。
    番組の後半は広島・長崎です。投下後現地や被爆者の調査が行われたことはよく知られていますが、その後現地の放射線量も日本側からアメリカに随時報告されていたことや、今でも被爆者の健康情報が向こうに渡っているのを見ると、福島原発事故での情報隠ぺいを思い起こさずにはおれませんでした。
    なかでも最も異様な感じがしたのは、番組の途中で原爆の話から突如「原子力の平和利用」という言葉が出てきた時でした。どこかで、今我々が享受している有用な文明はたいていが軍事知識から来た、などと読んだことがあるので、原子力もそうだといえばそうなのかもしれません。
    しかし、西尾先生の7月のブログにあるWILL7月号の「脱原発こそ国家永続の道」と今回の論文を合わせて読むと、私はたまらない気持になりました。
    原爆が先にあって、原発が出来た…しかもアメリカでは研究者や作業員も恐らく被曝した人が何人もいるであろうがそれは国家でしっかり管理されていることを思うと、我が国の「安全神話」やコインの片側「平和利用」しか見ようとしないこと、或いは原子力を扱う以上「被曝や汚染の可能性はどこまでも否定できない」ことを無視する風潮は絶望的欠陥であると思いました。
    武田邦彦氏は原発の責任者は戦艦大和の艦長位の責任感がなければならないと書かれていますがその通りだと思います。
    ことに「…七十年代に、アメリカ、イギリス、ソ連だけでなく、カナダやオーストラリアからも、NPTに大人しく入らなければウラン燃料を供給してやらない…」と書かれたように、各国から脅しをかけられていたというのは、まるで半人前が猿回しの猿のように、親方から指示された方向と行動だけしか許されていないようで、腹が立ちました。
    本当に核兵器を持ちたいなら、これまでの原発の在り方を問わなければならないと思いました。反原発であろうが原発推進であろうが、中途半端なまま、我々がまたしてもモルモットになるのは御免だと思いました。
    「広島、長崎へのアメリカ人の贖罪とこだわり、人類史の汚点への自責、これがひるがえって日本人への怨念と嫌悪になり、そしてひょっとしてありうるかもしれない日本からの報復への恐怖となっている」という文は、先生ならではの人間洞察力の鋭い言葉だと思います。

  3. 若菜様

    >先生が考えを転換することが何故わるいのでしょうか?

    私が悪いとはどこにも述べていませんが、そういわれては何も発言できませんよ。ボクは西尾様の著述にいま、嵌っています。先生のお考えの変遷も知る必要があります。仕事をしながらではしっかりと読めませんが、このブログといい、凄く刺激的で大変勉強になります。浅学ですが、もっと先生にぶつかっていきたいですね。

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