「トランプ外交」は危機の叫びだ

平成30年6月8日産經新聞「正論」欄より

 やや旧聞に属するが、昨年の東京都議会選挙で自由民主党が惨敗し、続く衆議院選挙で上げ潮に乗った小池百合子氏の新党が大勝利を収めるかと思いきや、野党に旗幟(きし)を鮮明にするよう呼びかけた彼女の「排除」の一言が仇(あだ)となり、失速した。そうメディアは伝えたし、今もそう信じられている。

≪≪≪「排除」は政治的な自己表現≫≫≫

 私は失速の原因を詮索するつもりはない。ただあのとき「排除」は行き過ぎだとか、日本人の和の精神になじまない言葉だとか、しきりに融和が唱えられたのはおかしな話だと思っていた。「排除」は失言どころか、近年、政治家が口にした言葉の中では最も言い得て妙な政治的自己表現であったと考えている。

 そもそも政治の始まりは主張であり、そのための味方作りである。丸く収めようなどと対立の露骨化を恐れていては何もできない。実際、野党第一党の左半分は「排除」の意思を明確にしたので立憲民主党という新しい集団意思を示すことに成功した。右半分は何か勘違いをしていたらしく、くっついたり離れたりを重ね、意思表明がいまだにできていない。
今の日本の保守勢力は政党人、知識人、メディアを含め、自己曖昧化という名の病気を患っている。今後の新党作りの成功の鍵は、自民党の最右翼より一歩右に出て、「排除」の政治論理を徹底して貫くことである。小池氏はそれができなかったから資格なしとみられたのだ。
 
 実際、日本の保守勢力は自民党の左に立てこもり、同じ所をぐるぐる回っているだけで「壁」にぶつからない。新しい「自己」を発見しない。今までの既成の物差しでは測れない「自己」に目覚めようとしない。

≪≪≪秩序の破壊は危険水域を越えた≫≫≫

 世界の現実は今、大きな構造上の変化に直面している。かつてない危機を感じ取り、類例のない手法で泥沼の大掃除をすべく冒険に踏み出そうとしている人がいる。米国のトランプ大統領である。

 彼はロシアと中国による世界秩序の破壊が危険水域を越えたことを警鐘乱打するのに、他国から最もいやがられる非外交政策をあえて取ってみせた。中国を蚊帳の外にはずして、急遽(きゅうきょ)、北朝鮮と直接対話するという方針を選んだ4月以降、彼は通例の外交回路をすべてすっとばして独断専行した。

 同時に中国には鉄鋼とアルミに高関税を課す決定を下した。それは当然だが、カナダや欧州やメキシコなど一度は高関税を免除していた同盟国に対し、改めてアメリカの国防上の理由から高関税を課す、と政策をより戻したのは、いかな政治と経済の一元化政策とはいえ物議を醸すのは当然だった。

 彼はなぜこんな非理性的な政策提言をしたのだろうか。世界の秩序は今、確かに構造上の変化の交差路に立たされている。アメリカ文明はロシアと中国、とりわけ中国から露骨な挑戦を受け、軍事と経済の両面において新しい「冷戦」ともいうべき危機の瀬戸際に立たされている。トランプ政権は、北朝鮮情勢の急迫によってやっと遅ればせながら中国の真意を悟り、この数カ月で国内体制を組み替え、反中路線を決断した。

 トランプ氏は人権や民主主義の危機などという理念のイデオロギーには関心がない。しかし軍事と経済の危うさには敏感である。アメリカ一国では支えきれない現実にも気がつきだした。そのリアリズムに立つトランプ氏がアメリカの「国防上の理由」から高関税を遠隔地の同盟国にも要求する、という身勝手な言い分を堂々と、あえて粉飾なしに、非外交的に言ってのけた根拠は何であろうか。

≪≪≪日本は「自己」に目覚めよ≫≫≫

 トランプ氏はただならぬ深刻さを世界中の人に突きつけ、非常事態であることを示したかったのだ。北朝鮮との会談に世界中の耳目が集まっているのを勿怪(もっけ)の幸いに、アメリカは不当に損をしている、と言い立てたかった。自国の利益が世界秩序を左右するというこれまで言わずもがなの自明の前提を、これほど露骨な論理で、けれんみもなく胸を張って、危機の正体として露出してみせた政治家が過去にいただろうか。

 政治は自己主張に始まり、「排除」の論理は必然だと私は前に言ったが、トランプ氏は世界全体を排除しようとしてさえいる。ロシアと中国だけではない。西側先進国をも同盟国をも排除している。いやいやながらの同盟関係なのである。それが今のアメリカの叫びだと言っている。アメリカ一流の孤立主義の匂いを漂わせているが、トランプ氏の場合は必ずしも無責任な孤立主義ではない。北朝鮮核問題は逃げないで引き受けると言っているからだ。

 ただ彼の露悪的な言葉遣いはアメリカが「壁」にぶつかり、今までの物差しでは測れない「自己」を発見したための憤怒と混迷と痛哭(つうこく)の叫びなのだと思う。日本の対応は大金を支払えばそれですむという話ではもはやない。日本自身が「壁」にぶつかり、「自己」を発見することが何よりも大切であることが問われている。
(評論家・西尾幹二 にしお かんじ)

 六月八日付産經新聞正論欄に「トランプ外交は危機の叫びだ」を出しましたので、九日より以降、どうかコメント欄への自由な書き込みにご活用下さい。

 宮崎正弘氏の最新刊『アメリカの「反中」は本気だ!』(ビジネス社)を読みました。米中政治対決が明確化したという私の予測と理解にそれまでかすみがかかっていた迷いがあったのに、この本で拭い去られました。それが三日前です。二日前に藤井厳喜氏からファクスで、トランプがロシア疑惑を克服したこと、ロシア疑惑はヒラリー陣営をむしろ危うくしているという新情報を与えられました。この二つのニュースを個人的に手に入れて熟読し、八日の産經コラムのあの内容を決定しました。宮崎、藤井両氏の名を挙げるスペースはありませんでした。両氏にここで御礼申し上げます。

 産經コラムの前半の小池百合子氏による「排除」の一語云々の私の政治解釈は、コラムの話を面白くするために例として出しただけで、特別の意味はありません。直接つながらない無関係な二つの主題をあえて結ぶとたぶん面白い刺激になるだろう、という思い付きでやったまでで、うまく行ったかどうか私にも分かりません。今の保守は「壁にぶつからない」とか、「今までの物指しでは測れない『自己』に目覚めようとはしない」等の保守を批判した言葉遣いは、夜中に寝入る前に思いつき、枕元の紙にメモしておきました。

 この産經コラムはいつもそうするのですが、字数合わせもあるので、ペンで二度清書して、大抵三~四行くらいマイナスに削って、夜書き上げ、早朝もう一度見直し、さいごの修正をしてファクス器にかけます。

 なぜ今回はこんな詳しい内情をお話しするのかというと、短文でもこれだけ苦心するのだということ、否、短文だからこそかえって時間がかかるのだということをお知らせしたかったからです。三日を要しています。私はたぶん非能率な人間なのでしょう。