福地惇氏による「補論 松浦氏の「辞表」を斬る」を末尾に追加しました。(5月18日)
福地惇氏は高知大学名誉教授、元・文部省主任教科書調査官(歴史部門)で、現在は大正大学文学部教授、新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長である。
福地氏といえば誰しも思い浮べるよく知られた事件がある。平成10年(2002年)12月に江沢民が来日したとき、共同通信が時機をうかがい、用意していたかのごときタイミングで、一人の教科書調査官が許されない発言をしているのを発見した、と騒ぎ立てた。雑誌『黙』の同年8、9月号の座談会「どういう日本を創ろうとしたのか 西郷隆盛と勝海舟」における福地氏の発言を温存して、にわかにこのとき問題として取り上げたのである。
その発言の内容は近隣諸国条項が教科書を悪くしているということ、学習指導要領の内容はいまひとつ不十分であること、といった程度で、まことに穏便、常識の範囲内の控えめな批評のことばであったが、教科書調査官がこのような発言を果して口にしてよいのか、という文句のつけ方で共同通信社が火種子を提供した。江沢民来日の直前で文部省は神経質になっていた。天下の愚者、文部大臣有馬朗人――私の知る歴代文相の中でもおよそ考えられる最悪の世論へのゴマすり男、理科系に意外に多い世俗的出世主義者――が福地発言にわけもわからず半狂乱となり、江沢民に媚態を示さんがため福地氏をスケープゴートにし立てあげ、氏を閑職に配置換えとした。
福地氏は節を枉げない首尾一貫性をこのときも、そして「つくる会」理事になった今も示しつづけている。専攻は明治政治史で、とりわけ明治維新の成立から藩閥政権の確立過程の研究が主テーマである。「つくる会」理事には古代史に高森氏、西洋史に九里氏がいるが、福地氏は唯一の日本近現代史の専門家である。
福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長)
種子島・八木両氏の「捨て台詞」を追撃する 平成18年5月5日
福 地 惇
A 実に残念な最後の不信行為
去る4月30日に開催された「新しい歴史教科書をつくる会」第89回理事会は、またまた執行部交代という異常な事態で終幕した。異常の上塗りに、責任者が留守中の事務局から「第172号・つくる会FAX通信」が全国に発信された。「会長・副会長辞任のお知らせ」(種子島経)、「退会の辞」(八木秀次)である。
それは、種子島執行部および四理事の辞表が受理され、彼ら六人が会場を退席した直後に発信された。次なる議題、新執行部選出問題が協議されていた時であり、正に執行部空白の時間帯に発信されたのである。新執行部が、彼らの文書を理事会の決定事項を踏まえて流すのが筋である。彼らは手続きの筋を乱して「捨て台詞」を投げつけて退会した。
「つくる会」の品格を貶めるこの実に残念な前会長・副会長の最後の仕打ちは、明らかな反社会的行為である。そればかりではなく、その文書の内容は、その不信行為に倍する卑劣な責任転嫁の自己弁護である。その余りも信義を蔑ろにした恥ずべき詭弁で人々を惑わそうとする歪んだ心根に対して、厳しい批判を試みざるを得ないのである。
B 種子島経「会長・副会長辞任のお知らせ」の論点
FAX通信を勝手に利用して流された「お知らせ」の論点を摘記する。
① 2月理事会では、全理事が会長を支持する。副会長人選は会長に一任する、の二点が確認された。
② 3月理事会では、八木氏が副会長になり、「理事間の内紛は一切やめる」「今後は将来についての議論のみ行い、過去に遡っての糾弾など行わない」等が決議された。
③ 「ところが、この3月28日から10日も経たない内に、一部の理事が、会の活動とは関係ないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけ、会から追放すべき旨の提言を執拗に行なって参りました」。
④ 「これは私の選んだ副会長を信任せず、またぞろ内紛を起そう、というもので、以上のいきさつからしても到底承服できないところであり、私は峻拒いたしました」、「かようなルール違反、統制違反は、以前から『会』に見られ、昨年9月以来の混乱の一因をなしており、………これら理事を解任して私なりの統治を貫くことも考えました」。
⑤ しかし、体調等の理由から「私なりの責任がとれないのなら、と私は辞任を決意し、八木副会長に伝えました。彼は、在任中、とりわけ昨年9月以来、このような問題に悩まされ続けて来ただけに、『もう精神的に限界です。私も辞めます』と表明、揃って辞任となったわけであります」。
⑥ 「『つくる会』の理事諸侯(ママ)の一部に関してはマネージ不能であったことを遺憾とします。彼等は、ルールを守る、ボスの方針に従うなどの国際基準を全く無視しますので、マネージできないし、彼等との仕事は、賽の河原で石を積む子供たちのような空しさの繰り返しにしかならない」。
以上が種子島経氏の辞任の弁の論点である。
C 八木秀次「退会の辞」の論点
① 「会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で、根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及した」。
② 反論・弁明しようとしたが、徒労に終わることを見越して諦めの境地に達した。
③ 「本会は発足以来定期的に内紛を繰り返して参りましたが、『相手代わって主代わらず』と言う諺があるように、今回は私などがたまたま『相手』とされたに過ぎません。『主』が代わらない限り本会の正常化は無理であり、また発展も未来もないものと判断し、やむなく退会を決断した」。
④ 「とき至り、再び私が必要とされるようになった暁には、日本の子供たちに輝く虹を見せるための活動の一端を担う所存です」。
以上が八木秀次氏の退会の弁の論点である。
D 「つくる会騒動」の原因と経過の概要
さて、今回の「つくる会騒動」は、昨年の採択戦終了後に幹部理事間に事務局長の交代問題が提起され、昨年9月17日に宮崎正治氏に対し辞任要求が出された時点を出発点にしている。騒動の原因は、思想や基本的運動方針に関わる問題ではなかったのである。
宮崎氏に事務局長から降りてもらう問題で最初、八木会長(当時)は、西尾幹二名誉会長、藤岡信勝副会長、種子島理事(財務担当)、それに在京理事の多くと同意見だったのである。その事務局長処遇問題を「騒動」にしてしまった原因は、私見によれば五つある。
(1)宮崎氏が執行部の退任要請を最初は受け容れる姿勢を示したにも拘わらず、次第に残留への強硬な姿勢を取るようになった。(2)事務局長処遇問題と絡み合って「コンピューター問題」なるものが湧き上がって事態をより複雑にした。(3)態度を硬化させてゆく宮崎氏に対する執行部(会長、副会長五名で構成、会長の要請に応じた名誉会長が加わることもあった)の姿勢が乱れた。(4)何と言っても、会運営の最高責任者である会長八木秀次氏の無責任な態度変更が混乱を深めた。(5)八木氏は、今回の混乱に関して自分は悪くない、悪いのは自分を会長として自由に行動させない或る人々であると言うような意味での変節を遂げて突っ走った。
これら五つの要因が複雑に絡み合って、事態を混迷させた、と言うのが私の見解である。そして、(4)(5)が最も重大な原因だが、この間に八木会長はどのように「つくる会」を運営したのだろうか。
先ず、11月18日に臨時理事会が開かれ、宮崎事務局長処遇問題は紛糾し継続審議事項になった。12月1日に予定された理事会は理由説明なしに無期延期となった。そして、12月15日付の「(八木)会長声明」の「率直に言えば私の意志とは別にことが始まり」云々は、実に異様であった。八木会長自身は、宮崎問題、コンピューター問題に直接関係していないと表明したのである。かくして、宮崎問題は、解決の目途すら付かず愈々混迷を深めて、12月1日に予定されていた理事会すら開催できなかった。一般の理事に何故理事会が開けないのか事情説明も一切なかったのである。
このような時期に「私は何も悪いことをしていなので事務局長を辞めない」という趣旨の所謂「宮崎弁明書」が全理事に郵送された。次いで「事務局長人事をめぐる執行部対応への抗議及び経緯説明等の善処を求める声明」(12月12日付、内田智、勝岡寛次、新田均、松浦光修4理連名)が出た。これは「弁明書」と平仄を合わせた宮崎擁護論だった。この四理事はこの後に一貫して宮崎擁護で強力な論陣を張り、ある種の運動を展開したので、「四人組」との渾名が付いた。八木、宮崎両氏が「四人組」と連携を深めるのは、次に述べる「支那漫遊事件」前後のように私には見えた。
さて、理事の多くが、前途に大きな不安感を深めていた正にその時に、支那漫遊である。16日から19日までの4日間、八木会長は事務局員らを同道して支那漫遊と洒落込んだ。これは以前から計画されていたそうだが、会の混乱正常化に全力投球すべきその時期に事務職員とともに支那漫遊を試みるとは見上げた度胸である。しかも、漫遊者の中に渦中の人宮崎事務局長がいたのだから、これは大した蛮勇だと言う外はない。
ところで、彼らは「反日施設見学」を目的にしたプライベートな外遊だと言っている。しかし、雑誌『正論』18年3、4月号に「つくる会会長、中国『反日の本丸』に乗り込む」と題して、中国社会科学院所長らと「つくる会の歴史教科書」を巡り議論したことが判明した。意見交換会があるとは執行部の誰にも知らされず、従って下相談もなく漫遊したと聞く。これは「飛んで火に入る夏の虫」に近い軽率で危険な外遊だったと非難されても致し方ない、と私は思う。
漏れ聞くところによると、12月25日には西尾名誉会長も参加して執行部懇談会が開かれ、責任回避の「会長声明」とコンピューター問題に関する執行部見解等を巡って激しい意見の応酬があったようである。会終了後、福田逸副会長が外遊に出る前に宮崎同道のことを何故打ち明けてくれなかったのかと問うと、八木氏は、言い難くかったと答えたという。福田氏は、これは副会長に対する不信任を意味すると痛感したと述懐している。
年が明けて二ヶ月ぶりに開催された1月16日理事会でも宮崎事務局長処遇問題はまたもや決着の目途すらつかず、激論の末に閉会になった。八木会長の無定見な会運営姿勢が、西尾幹二氏の名誉会長の称号返上表明(17日)の原因になったのだ。同日、遠藤浩一、福田逸、工藤美代子の三副会長は辞表を提出した。藤岡副会長は一旦辞意を固めたが、関係者の説得もあり、会務のこれ以上の混乱を恐れて、副会長に留まった。
西尾氏の称号返上表明に対する慰留なしの八木氏の迅速で余りにも素気ない対応は、非人情・非常識と言うべき態度であった。その頃から「創業者の障害」なる発言が出ていた。同時に、三副会長に対する不誠実で無責任な対応も異様であった。副会長の辞表提出は誰が見ても八木会長不信任の意思表明である。だが、これを何事でもないかのように、正に三人の副会長を小馬鹿にしたような冷淡な八木氏の態度は並大抵のものではなかった。
このような責任感の欠如と指導力不足に対する強い批判が理事会内部に沸き上がったのは当然の流れであった。西尾氏が藤岡氏に会長になって頑張れとの意味を含んだ激励のEメールを発したのは2月3日である。後で説明するが二ヵ月後の3月理事会後に「西尾・藤岡往復私信」が八木・藤岡宥和工作や西尾氏への脅迫文書として活用されるのである。
2月27日理事会で、これまでの混乱の責任を取らされる形で、八木会長と藤岡副会長は同時に解任された。そして新会長に種子島経氏が選出されたのである。この時、宮崎事務局長も解任されたが、任期最後の日の置き土産として、28日夕刻、理事会決定事項を「つくる会FAX通信」として発信したのであった。種子島新会長への挑戦であったと見てよいだろう。だが、種子島氏は宮崎氏に普通の退職手続きを取らせて穏便に対処した。
3月1日の産経新聞は、八木解任劇を報じて、「西尾院政か」「中国訪問を理由に解任」という何か為にする書き振りで、新会長種子島氏に対する陰湿な貶め記事を掲載した。この記事は、産経新聞「つくる会担当記者」渡辺浩氏の執筆であった。同記者は、「八木―宮崎」派と昵懇の仲であることは後に判明するのである。
E 種子島経会長の登場と言動の大変化
種子島経氏は、八木氏の指導力不足や責任感欠如から生じた会運営の渋滞や混乱を憂慮した理事たちに推されて会長に就任した。不信行為を重ねて来た「八木―宮崎」派を懲らしめるために就任した。種子島氏は、「つくる会」と言う貴重な存在を解体させてはならない、これまでに蓄積されてしまった「負の要因」を除去して、再建しなくてはならない、との決意で会務に取り組まれた。これは、誰もが支持するところであった。
だが、種子島氏の会務への基本的な取組姿勢には、同氏を支持した多くの理事たちを納得させないのみか、疑義を醸し出すものが多くなった。3月半ば頃からである。種子島氏の言動は、急速に八木氏擁護に傾き、八木氏は(イ)人気が高い、(ロ)「フジ産経グループ」の強い支持を得ている、との判断から、会建て直しの方向性を大きく変更しはじめたのである。私の見解では、(イ)も(ロ)も八木氏及び彼の支持者が誇大宣伝を重ねて作り出した幻想に過ぎない。会長はこの幻想に幻惑されたのだろうか、最初の施政方針と3月半ば以降の会務運営姿勢とには大きな懸隔が生じたように見えるのである。
3月1日に藤岡理事とともに「会長補佐」に任命された私は、3月28日理事会まで、会の建て直しへ向けて微力を尽くした積りである。例えば、重点地域の支持者に「会長・副会長解任」事情を説明して廻り、特に3月11、12両日、東京三田で開催された評議会・支部長会合同会議等でこの度の問題点を説明し、様々な提言を承る等がそれである。しかるに、会長を支えて会の態勢建て直し工作を展開中、八木・宮崎氏らと「四人組」が提携して会の主導権掌握を目指したと思われる陰険な謀略工作が続発したのである。
これは私の推測だが、藤岡会長補佐の身辺に関わる疑惑情報散布(3月初旬)も、「あなたと健康社(3月9日付)」「株式会社フローラ(3月11日付)」の寄付金返還要求も、特定の地方支部から本部への「八木復帰コール」「二月理事会以前への原状復帰要望」等々のFAX攻勢も、彼らの策謀あるいは教唆によるものであろう。また、我々が、東京、大阪、福岡と地方有力支持者への事情説明に出向いている時期に、「石井公一郎氏が八木を支持して第二つくる会を立ち上げる決意をした」と言うガセネタ情報を流れた。また、伊藤隆理事が藤岡氏非難を書き込んだ「辞表」(3月9日付)を提出した。八木氏らが伊藤理事に懇請して辞表を書いてもらったのだという情報も流れた。真偽のほどは不明だが、辞表提出の時期が理事会ではなく、この時点であることから、まんざらの噂話ではなさそうだ。
要するに、これらは何れも、11、12両日の評議会・全国支部長合同会議を標的にした会の正常化を念願する諸理事(八木たちの反対派)に対する攪乱・分断工作である。2月理事会終了直後から始まったこれら陰湿な蠢動は、種子島会長の運営方針に反逆する行為であると理解するのが普通であろう。正常化を念願する諸理事は、種子島さんを支援した理事であることをお忘れになられては困るのである。
F 3月28日理事会とその直後の異変
種子島氏が「辞任のお知らせ」で「マネージ不能」「国際基準を全く無視」する「一部理事」とは小生のことであろう。誠に心外の極みである。
種子島氏辞任の弁の②「理事間の内紛は一切やめる」「今後は将来についての議論のみ行い、過去に遡っての糾弾など行わない」等は、異常事態が全く発生しないという前提条件の下で初めて成り立つ。だが、実状は先に述べたように、言ってしまえば水面下における打ち続く謀略工作によって理事会構成員全体が不気味に揺り動かさせられていたのだから、事態は最悪の方向に動いていた。しかもそれら状況悪化の運動は種子島氏が信頼して任命したと言う副会長ら連累によって起されていたのだから、何をか言わんやである。
また、八木氏の「退会の辞」の①「7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で、根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及した」は、余りにも見え透いた詭弁であり、遁辞である。「一部の理事が会の外部と連動し」とか「根拠もなく憶測を重ね」とは、一体何を指すのか。不信行為を重ねていたのは自分たちではないか。その厚顔無恥な不誠実さには呆れて言葉も出ない。しかも、ここで又もや「私の与り知らない問題」が出て来た。ただ仰天するのみである。もう少し理解しやすいように話しを進めよう。
3月初旬から始まった「警察公安情報」をチラつかせた藤岡氏への陰湿な人身攻撃がある。これは3月理事会を目前にした20日頃からさらに数箇所にばら撒かれた。これが理事会の議題にされれば、理事会分解の最悪事態も予想された。そこで、私は会長に進言して、噂の張本人である藤岡理事に直接ことの真相を糺した。そこで、これが理事会攪乱のための謀略文書であるとの感触を得たのである。3月25日、理事会の3日前であった。
3月28日理事会で八木氏は反省と謝罪を述べた。藤岡氏も述べた。付言すれば、八木氏に「反省と謝罪の弁無く、本理事会成立は在り得ない、副会長復帰も有り得ない」と申し伝えたのは小生である。確かに、八木氏は「反省と謝罪の弁」を理事会冒頭に述べた。藤岡氏も述べた。それは、昨年9月から半年以上に亙り打ち続いた一連の理事会の混乱に終止符を打つための儀式でもあったが、本心から反省してもらいたかったのである。そして、正に種子島会長の運営方針「理事会一丸の取組」を確認し、担当理事制、隔週の執行部=担当理事合同会議を重ねながら会の正常化を目指そうと言う趣旨の具体案で合意した。
ところが驚くなかれ、理事会終了直後に理事会に対する裏切り行為が飛び出したのである。「八木批判派」を攪乱し分断するためだと考える外にない偏向情報を理事会内の何者かが産経新聞渡辺記者に素早く提供したのである。この理事会決議事項を歪曲・脚色した産経新聞記者の背後に八木=宮崎が存在すると思われる。理事会で合意された「一丸の取組」精神は、一夜も経たずに踏み躙られた。3月29日の産経偏向記事=渡辺記者曲筆事件は、「つくる会FAX通信174号」を参照されたい。
まだまだ疑惑話はあるが、以上に依って八木前副会長および連累が「つくる会」を混乱させる陰険な背信・不信行為をし続けていた事実の概略を示せたと思う。彼らの行為は、3月理事会で確認した「内紛を打ち止めにし」「理事会一丸の取り組み」という確認事項に真っ向から違背・背反する。これらの行為は、会則第20条の懲罰に該当するのである。
なお、西尾幹二元会長は、自らが生み育てた「つくる会」の内紛を痛く憂慮し、事態の不明朗さを怒り、有名な「インターネット日録」で様々な形での真相究明の言論戦を展開された。それは、臭いものには蓋の事なかれ主義への警鐘乱打であり、不可解で不明朗な今回の騒動の内実を白日の下に曝け出す上に大きな威力を発揮したと高く評価したい。
G どちらの言い分が真面(マトモ)であるか
さて、種子島氏は辞任の弁②で、「3月28日から10日も経たない内に、一部の理事が、会の活動とは関係ないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけ、会から追放すべき旨の提言を執拗に行なって参りました」。そして④では、「これは私の選んだ副会長を信任せず、またぞろ内紛を起そう、というもので、以上のいきさつからしても到底承服できないところであり、私は峻拒いたしました」、「かようなルール違反、統制違反は、以前から『会』に見られ、昨年9月以来の混乱の一因をなしており、………これら理事を解任して私なりの統治を貫くことも考えました」とイケ図々しくも自己弁護・責任転嫁の詭弁を弄した。何とも醜怪至極である。
「10日も立たない内」どころか一晩も経たない内であった。「一部の理事が会の活動とは関係ない問題」ではなく、理事の一部の謀略工作で内紛は深刻化したのだ。不明朗な実態の真相を明らかにすることは会長の責務であると進言したのは私である。だが、「会から追放すべし」などは一言も発したことはない(参考資料)。何と頓珍漢な現状認識振りであることか。しかも、言うに事欠くと言おうか、「またぞろ内紛を起そう」した怪しからん輩は、「国際基準」とやらを無視する福地や藤岡であると言う。私たちが何時、どのようにして内紛を起そうとしたか、証拠を示して欲しい。3月半ば以降、種子島氏はその陰謀団の一味に加担したわけだから、当然の言い掛かりなのかとも思うが、悪意抜きに勘繰れば、これほど苦しい理不尽な責任転嫁の言い掛かりを我々にぶつけざるを得ない事情でも抱えているのだろうかと思いたくもなる。実に悪質な誹謗中傷だと言う外ないのである。
ところで、縦令、百歩譲って種子島氏の理屈を聞くとしても、これは世間を納得させるものではあるまい。会社を一丸にして纏めようとするある会社の社長が、人気者で信頼できると思った部下を副社長に任命した。ところがその副社長は実は以前から自分を批判する勢力を撲滅せんとの謀略行為を重ねていて、副社長に任命されたその晩に一層不埒な反対派分断策謀を実行して、社長の全社一丸の願を踏み躙った。それを察知した新副社長批判派の重役が社長に社の命運に関わる重大事態だから真相を正せと進言した。それに対して、社長は、自分の人物鑑識眼のなさ、情勢認識の不明を棚上げにして、諫言した重役に対し、お前は俺の選んだ副社長を悪者に仕立てて、会社を潰そうとするのかと怒って解任しようとまで思い込んだ。広い世の中だから、臭いモノには蓋をして世間を欺く、そんな社長が結構あちこちにおり、そんな会社が一時は繁栄しているかも知れない。
だが、是は是、非は非であり、子供の教育に関わる本会は単なる営利追求の企業体の論理と同じで良い筈はない。企業体でも、種子島マネージメント論が通用するか否かは、誰が考えても分明だ。臭いものには蓋の会社は早晩潰れる。またそうでなくてはなるまい。
八木氏の言い分は、論点①「会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で、根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及した」と言っている。理由も無く何も悪い事をしていない自分を虐めようとする悪者がいた。自分は丸で一方的な被害者だと言わんばかりの台詞である。だが、八木氏が普通に真面目に会務に携わっていれば、7月に会長に復帰できた可能性は高かったのである。彼あるいはその一派が、理事会合意の精神を踏み躙る謀略的行動に出ていなかったならば、我々は彼らを非難し攻撃しようなどとはツユ思わなかっただろうし、従って「八木派排撃行動」には先ず出なかったであろうからである。
ところが、全て尻が割れた話となった。西尾幹二氏の「日録」やFAX通信が挙証したように、一連の「怪情報」は八木およびその近縁から発せられた。これを産経新聞渡辺記者が証言した。西尾氏―藤岡氏を離間し、藤岡氏を八木に屈服させる手段として活用した「西尾―藤岡往復私信」を「脅迫文書」として匿名で発信したのは八木である。そのことは、理事会の席上で事務局の鈴木尚之氏が特に発言を求めて厳しく指弾した。本来ならば「つくる会会則第20条」の除名処分に相当するが深追いは止した。八木氏らは一言の弁明もできずにそそくさと六名揃って辞表を出して退席したのである。
「つくる会」の運動目標は、世界の歴史を広く公平に理解し、以て日本歴史の一貫性とその豊かさ美しさを子供達に伝えることにある。この国を自然な形で肩肘張らずにこよなく敬愛できる国民に育ててゆく、という高貴な目標を持つ教育正常化運動である、と私は思っている。多くの国民もまたそのような思いで本会に大きな期待を懸けてくれている。
その会の会長、副会長や理事が、犯罪者紛いの粉飾経営、偽装経営をしていては、誠に世間に申訳が立たない。八木氏は、シャーシャーとして論点④に「とき至り、再び私が必要とされるようになった暁には、日本の子供たちに輝く虹を見せるための活動の一端を担う所存です」と明言している。陰謀工作や詭弁の数々、そして無定見と無責任等々、自分が犯した罪や不明な至らなさを未だに自覚できないのであろうか。恥を知れ、恥をと言いたい。教育界の指導者たるもの、先ず己の精神・姿勢を正さずして、どうして子供を正しい道に導くことができようか。猛省を促したい。
私見であるが、子供たちに「輝く虹を見せる」とか「夢を与える」とか言う、通俗的な言い草は止めようではないか。「義を見てせざるは勇無きなり」である。子供たちに、国民として社会人として何処に立っても何時でも、信義を守って正しく美しく振舞うための勇気を与えようではないか。そのためには、祖国の歴史、先祖の遺業に誇りを持ち、何が義であり正であり信であり美であるかを学ばせることが大切である。それを土台にして勇気を持って社会に飛び出せる子供たちを育てることである。歴史や公民の教科書が重要な所以はそこにあると思うのである。
こんなに醜い争い事は、本当に二度と再び繰り返したくないが、現実はそう簡単ではなさそうだ。皆々、戒心すべしである。 (了)
「種子島・八木両氏の『捨て台詞』を追撃する」(続編)
補論 松浦氏の「辞表」を斬る 福 地 惇
A 世間を瞞着する「辞表」
4月30日の「つくる会第89回理事会」で昨年9月以来続いていた騒動に一応のケリが付いた。種子島会長、八木副会長、以下四名の理事が一斉に辞職したからである。種子島・八木両氏は、「つくる会FAX通信」を私用して理事会開催中に全国に「辞表」を配信した。このこと自体が会の統制違反である。その上に、この文章は世人を瞞着しようとする悪質なものだった。
ところで、私が思うには、連袂辞職した六人の理事は、これまで数ヶ月に亙り、ある種の謀略工作を重ねて、その証拠が段々と明らかになって来たので、怖くなって一斉に会を逃げ去ったのだ。そこで、必死になって責任転嫁の詭弁を弄して、世間を更に欺こう、瞞着しようともがいているのだ。「盗人にも三分の理あり」である。彼らの理屈は、今回「つくる会騒動」の本質をはぐらかしている。
B 八木氏に託された松浦氏の「辞表」(4月30日付)
さて、「四人組」の一人である前理事松浦光修氏は、4月理事会を欠席したが、八木氏に「辞表」を託した。彼等は辞職する覚悟でこの理事会に臨んだ訳である。
さて、その「辞表」は、彼らの独善性の体質、世人を瞞着することを恥じない体質を端無くも曝け出した文章である。
世間に公表を憚られる程の恥知らずな文章なのだが、彼の同志の新田氏は「私たちが辞任しなければならなかった理由を極めて的確に表現した名文だと思う」と持ち上げて自分のブログに全文を掲載した。彼らが自信を持って、「これぞ我等が辞職理由」だと公表した訳であるから、私は今や何の憚るところもなく「松浦辞表文」の論点を掲げて、逐次厳しく批判したいと思う。
C 松浦氏の「辞表」の論点
D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性(交互に表示)
C 松浦氏の「辞表」の論点
① 「つくる会」の理念は正しいが、「理事会の実態は会の理念とは隔絶」している。その原因は「『創業者』が会を私物化し、合理的な根拠もないまま、私情にまかせ、無慈悲にも汚名を着せ、次々と事務局長を追放し、それに多数の理事が無批判に追随するという、全体主義的で陰湿、かつ冷酷な慣行を継続させてきた」ことだ。
D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
①は、彼が地方から見たというよりも、彼の東京あるいは近傍の同志から執拗に聞かされたことを鵜呑みに理解しているかのようである。典型的な「事実認識の偏頗性」が認められる。
もし、宮崎事務局長問題に関しては、宮崎氏が執行部諸氏の信義に反する「のらくらした態度」に問題があったのであり、当時の名誉会長や八木会長以下4副会長がそれに振り回されたのが事実だ。「多数の理事が無批判に追随」したというのも偏向情報を頭から信じ込んで、自分の論理に都合よい部分だけを拝借して作文されたと読める。
この論点①の結論は「つくる会」の現状は全体主義の「北朝鮮=金王朝」の紛いの無慈悲な「私情」が罷り通る「冷酷・陰湿」な体制である、と最大限の悪罵を吐いている。仰天せざるを得ない。少し考えても見よ。この会は言うまでもなく営利追求団体ではなく、支持者会員の浄財によって運営される文化団体である。ここに集う理事たちは、どなたも各界で活躍中の多忙な方々、しかも、皆一家言を持つ自由主義者である。それが、奉仕活動として多大の時間と労力を会務に提供し、つくる会の大義を世間に押し広めようと努力されている無私の境地の方々である。どのような独裁者がいて、この会を「私情」にまかせて「全体主義的」に運営していると言うのか。やろうとしても出来るはずもないことである。だから、松浦氏の罵倒は、理事諸氏に対する大変重大な侮辱である。馬鹿も休み休みに言え。
C 松浦氏の「辞表」の論点
② 「総じて理事会は地方の実状を何も知らず、余暇をもてあまし、誇大妄想、被害妄想気味のエキセントリックな一部老人たちによる精神的支配が続いているのが実態」「悲しいほど大義のない欺瞞に満ちたもの」。
D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
②は、「大義のない欺瞞」といとも簡単に非難している。「辞表」だから簡潔に表現したと反論するだろうが、それでは改めてキチンと具体的事実を示すことができるのか。①と甲乙付け難い甚だしく無様な思い込みによる卑怯な文章だ。思い込みと独断による悪罵の吐き散らしは、この辞表文全体の特色である。新田氏は「名文」だと誉めそやすが、迚も褒めることはできない悪文である。
C 松浦氏の「辞表」の論点
③ 「同憂の理事たちと、本会を日本人らしい道義ある会に再生すべく、この半年………微力を尽くして参りました。幸い現副会長の八木秀次氏や現会長の種子島経氏は、日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識をお持ちの方々であると感じられましたので、つい最近まで、まだ私は、その点に会の再生への一縷の希望をたくしていた」。
D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
③は、種子島前会長は、八木会長時代には、宮崎処遇問題でも八木会長の会運営姿勢に関しても、批判的な理事諸氏の中でも最も強烈な批判を続けた理事だった。そして、八木氏の会運営能力の欠如を批判した理事達に推されて会長に就任した。その事実関係を松浦氏はご存知なのだろうか、甚だ疑問である。
会長になって、支援する理事に押されて宮崎事務局長解任は達成した。しかし、その直後から、「人事は一任されている」「八木氏の人気とフジ産経グループの八木支持は堅い」を最大の理由として、彼を支持した理事達を尻目に八木氏復権に全力投入するに至った御仁である。種子島氏に復権の圧力や、そのための情報操作の謀略を駆使していたのは、八木氏や新田氏、あるいはそれに追随した松浦氏ではなかったのか。貴方達がどの面下げて、「日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識をお持ちの方々」だと自画自賛しうるのか理解に苦しむ次第である。
C 松浦氏の「辞表」の論点
④ 「しかし、去る4月13日、たぶん西尾幹二氏に使嗾されてのことと思われますが、藤岡信勝氏と両氏に追随する福地惇氏が、せっかく会の再生に乗り出した八木秀次氏と種子島経氏を呼び出し、脅迫的な態度で辞任を迫ると言う、まるで背後から切り付けるかのような信じがたい行動に、またも出ました」。
D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
④ 折角「再生に乗り出したのは」、3月11、12両日開催の評議員・支部長の合同会議の結果を受けて、さまざまな積極的提言を容れた3月27日理事会の決定事項である。松浦氏は「再生」の為の大事な何れの会合にも欠席していた筈だ。また、八木氏は合同会議に欠席している。
八木氏は何時どの様にして「再生に乗り出した」のか具体的事例を示してほしい。ただ一人勝手に種子島氏が「人気者」の八木会長復帰に躍起になったのであり、八木氏はその裏で反対派切り崩しの「謀略工作」に勤しんでいたのである。
3月28日理事会終了直後から、産経新聞の「偏向記事事件」が始まっていた。この事件に深く関与していたのは八木・新田・宮崎そして産経新聞記者の渡辺浩であることは、張本人の一人渡辺記者が関係者数人に自白したことで既に満天下に明らかになっている。
「再生」どころか、「会の混乱」を倍加させることにしか役立たない不埒な事件に直接関与していた人々を松浦氏は「日本人らしい善良な純粋な社会常識を持つ」人々だと言う。悪い冗談にもならないではないか。最初の思い込みを懐疑しようともせず、只管偏向した情報だけを信じて、自分は恰も正義の見方であるかのように勘違いしてこのような「辞表」を書く。「社会常識を持つ人」とはとても言えない。
偏向し歪曲された情報を基にして憶測を重ねた末の誹謗中傷は、論点④に集約されている。私は、「西尾幹二氏に使嗾された」のでもなく、西尾氏と藤岡信勝氏との「両氏に追随」したのでもない。これこそが、何か目的をもって操作された偏向情報を鵜呑みに信じ込んでいる証拠である。
「産経偏向記事事件」や例の「警察・公安情報 藤岡教授の日共遍歴」や「西尾=藤岡往復私信」の脅迫文というような数種類のオゾマシイ謀略文書を匿名で彼方此方に発信した者が理事会内部にいる。それも種子島会長の足元にいる可能性が高いと判断し、会長の責任で不祥事の真相を究明すべしと私は判断して会長に直談判したのである。それは、3月理事会の一週間後のことであった。種子島氏に提示した要求事項と問答録がある。それを参考資料として末尾に掲げよう。
会の混乱をこれ以上深めることはしたくない、との理由で会長は、私の要求を「峻拒」した。「臭い物には蓋をしてその場を凌ごう」という姿勢がありありであった。一刻も早く会長職を八木氏に受け渡したいとの思いが会長の判断力を萎えさせてしまったのか。会長の態度がその様なものだったから、その後も「偏向報道」「怪文書」問題は一向に解明される気配を見せない。そして、4月12、13日に至った。12日は藤岡理事が主として該問題を八木氏、種子島氏に問い質した。そして、13日はその問題について、会長と副会長の最終回答を得るための会談であったので、事務局を代表して鈴木尚之氏、理事として私も同席した。会合に際して種子島・八木両氏は、劈頭より問答無用とばかりに、即刻に連袂辞職すると用意して持ってきた辞表を出し、「やってられない」との捨て台詞を残して話しらしい話しもずに早々に退散したのである。
斬りつけたと言いたいならば言うが良い。私は真正面から大上段に斬り付けたのであり、「背後から」云々と言われるような卑怯なやり方は断じてしていない。しかも、「辞表を迫った」のではなく、種子島・八木両氏は「辞表」を携えて会合に望み、問答無用で立ち去ったのである。事実誤認の大言壮語は断じて許すことが出来ない。
C 松浦氏の「辞表」の論点
⑤ 「この半年に限っても、私が彼らのその種の所行を聞くのは、いったい何度目のことでしょう。これを聞いて私は、彼らに反省を促すことなど不可能であり、そうである以上、もはら彼らと戦いをともにすることはできない、と諦観した」。
D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
⑤ 会運営に大きな疑義が生じた時、理事には執行部にその解決方を進言する責務と言おうか権限がある。宮崎事務局長処遇問題やコンピュータ問題が紛糾した時「四人組」は盛んにこの権限を行使して会務を必要以上に混乱させたのではないか。その「四人組」の一人が松浦氏である。
ところが、「反社会的陰謀行為」が理事の一部によって展開されている。その問題に対して私が理事の権限を正々堂々と行使したことを、松浦氏は、不正確な歪曲情報のみを信用して、追随した福地が丸で信じられない悪事をなしたかの如く表現した。そして、単なる邪推で西尾・藤岡両氏に対してまで誹謗中傷を拡大して述べる有様である。そして悪人に「反省」を促しても詮方ないから自分は辞職するのだと、良い子ぶった理由を述べた。自らは「大義」を目指す正義の味方であるといわんばかりである。尋常ならざる独善性の自己欺瞞と言わざるを得ない。
E 真に「つくる会」を正常化するための必要条件
この「辞表」の最大の難点は、産経新聞の歪曲記事問題も某氏に対する卑怯極まりない『公安情報』や「西尾=藤岡往復私信」を使っての情報操作や脅迫文配布の幾つかの重大事実も一向に気にしていない、というよりも無視している点である。
以上要するに、「つくる会」を真に正常化しようと行動した者たちに対して、善悪を転倒して、こいつらが悪人だと詭弁を最大限に弄し、自らの卑劣な謀略行動には何の反省もないということは最大の問題点だ。心ある人々は断じてこのような欺瞞的な人々に対して「日本人らしい道義ある人」「日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識の持ち主」とは言わないのである。俗な言い方を使えば「盗人猛々しい」と言うのである。種子島・八木両氏の「辞表」も同断であることは言うを俟たない。
本会会則第20条の規律条項に曰く、「会員にこの会の活動を混乱させ、あるいは会員としての品位を欠く行為をなし、その他この会の会員としてふさわしくないと認められるものがある場合は、理事会の決議により、その会員を除名その他の処分に付することができる」と。前会長・前副会長および前理事新田・松浦両氏らは、一連の不祥事の原因を創り続け、なおも独善的自己弁明、責任転嫁に勤しむ。この者たちは会員としての品位を著し欠くものと私は思う。依って次の理事会において私はこれら諸氏の除名処分を提議するであろう。これほどの騒動を経て「つくる会」を正常化するためも大前提はこれだと考えるからである。 以上
(参考資料1)
種子島経会長殿への意見具申
平成18年4月7日
1 種子島会長は、「八木―宮崎」一派の一連の不信行為・責任回避行為・攪乱行為を非難する理事たちに推されて会長に就任した。「八木―宮崎」の不信行為等は、昨年の半ばから今日に至る迄、実は連綿として継続しており、その犯行の程度は益々悪質化している。
2 種子島会長は、「つくる会」と言う貴重な存在を解体させてはならない、何としてもこれまで蓄積した「負の要因」を除去して、立て直さなくてはならないとの決意で会務に取り組まれた。これは、誰もが支持する処である。
3 だが、会務への基本的な取組姿勢には、貴方を支持した多くの理事達を納得させないのみか、大きな疑義を醸し出すものが多い。
4 その第一は、八木氏に対する高過ぎる評価である。(イ)八木は人気が高い、(ロ)八木は、「産経グループ」の強い支持を得ている、との判断から、そう評価したものと思うが、どうであろうか。我々の考えでは(イ)も(ロ)も八木及び彼の支持者が誇大宣伝で作り出した幻想に過ぎない、と思うが如何であろうか。
産経新聞社渡辺浩記者の理事会決議事項歪曲報道の背後に八木ー宮崎が存在すると思われるし、また、以下に列挙する背信・不信行為の数々は「つくる会」及びその多くの支持者に対する、背任・裏切りの一種の犯罪行為と言う可きものと思うが、会長としては如何なるお考えでありましょうか。
5 「八木―宮崎」派の一連の犯罪紛いの不正行為は、「1月16日理事会」以降に限って見ても、許し難く多いのが歴然たる事実である。以下時系列に従い、目ぼしい事例を列挙する。その前に、12月15日付の「(八木)会長声明」は、「率直に言えば私の意志とは別にことが始まり」云々は、実に異様であった。
(イ)西尾幹二氏の名誉会長辞意表明(理事会翌日の1月17日)への、余りにも迅速で冷淡で素気ない対応(1月20日)。
(ロ)三副会長辞任に対する不誠実で無責任な対応。
(ハ)2月27日理事会の夜の「FAX通信」差替え発信事件。会長は当初、宮崎および関係したと推測される事務局員数名に対しては厳罰を以て臨むとされ、「事務員ヒヤリング」までしたが、急速に態度を軟化された。
(ニ)理事会翌日の産経新聞の理事会ニュースに、「西尾院政か」「中国訪問を理由に解任」という歪曲と、新会長種子島氏に対する陰湿な貶め記事の掲載に繋がる。この記事は例の渡辺浩記者の執筆であった。同記者は、八木―宮崎と昵懇の仲であることは会長もご承知の通り。
(ホ)三月初旬から始まったと思われる「警察公安情報」による藤岡氏への陰湿な人身攻撃、これは三月理事会を目前にした20日頃から「警察公安」情報としてFAXで数箇所にばら撒かれた。
(ヘ)これは私の推測だが、「あなたと健康社(3月9日付)」「株式会社フローラ(3月11日付)」の寄付金返還の脅迫状も、略々間違いなく彼らの教唆によるものであろう。彼らの拠点地方支部から本部への「八木復帰コール」「二月理事会以前への現状復帰要望」等々のFAX攻勢もそうである。また、我々が、東京、大阪、福岡と地方有力支持者への事情説明に出向いている時期に、「石井公一郎氏が八木を支持して第二つくる会を立ち上げる決意をした」(ガセネタ)、と伊藤隆理事に懇請して藤岡氏非難を書き込んだ「辞表」(ヤラセ)を書かせた。これは3月9日付であり、何れも11、12両日開催予定の評議員・全国支部長会議を標的にした会を真の意味で正常に復したいと念願する諸理事(八木たちの反対派)攪乱と追い落とし工作である。正常化を念願する諸理事は、種子島さんを支援した理事であることをお忘れになられては困るのである。
(ト)3月28日理事会=八木は反省と謝罪を述べた。藤岡氏も述べた。付言すれば、会長もご存知の通り、八木に「謝罪の弁無く、本理事会成立は在り得ない」と申し伝えたのは小生である。
(チ)しかるに、理事会終了後、直ちに我々を(当然種子島会長も含まれる、というよりも会長に対する)裏切り行為に出た。歪曲情報を産経新聞渡辺記者に提供した(推測だが限りなく真実である)。
(リ)3月29日の産経偽装記事事件。⇒渡辺記者歪曲記事事件。
(ヌ)所謂「警察公安情報」と言う個人に対する根拠薄弱なFAX讒謗情報の散布(噂として3月初頭から流されFAXは3月23日。
(ル)元名誉会長および高池理事、小生に対する謀略FAX情報散布(3月31日)。これは、西尾氏に対する脅迫状でもあるし、当日昼間に小生が直接電話で八木氏にその不信行為に対する厳重抗議をしたことに対する、明白な報復行為である。 以下省略
6 以上の諸事例で、八木秀次副会長が会を混乱させる陰謀工作による背信・不信行為をし続けた事実は示せたと思う。それゆえに、八木氏は、その職務に不適格であることは判然したと思うが、種子島会長は、それでも彼を信頼して、七月総会までに、同氏を会長に復帰させるお膳立てを作り続けられるお考えで居られるか、否か。
7 私の結論としては、以上の背信・不信行為の数々は、三月理事会で確認した「内紛をこれで打ち止めにする」との基本方針に真っ向から違背・背反すると断言する。依って、会則第20条の懲罰に該当すると判断する。付いては、八木氏を副会長に任命した会長の任免責任において、今回の産経新聞歪曲記事事件を中心とする背信陰謀諸事件の真相究明の為に、「八木聴聞会」を開催することを強く要望するものである。
ただし、会長お一人にそれをお任せするのは、或いは荷が重過ぎるのではと忖度し、適任の理事数名を同聴聞会に陪席させることも、ここに提言致す次第であります。 以上
(文責:理事・福地惇)