以下に掲げるのは、平成15年(2003年)7月25日に私が当ブログに書いた「八木秀次氏のこと」という文章である。彼は私の息子の世代である。私はほかでも何度もそう書いたことがあったのを思い出す。
なぜ彼は私にあの「怪文書 2」を送る非情をなしえたのだろうか。70歳すぎた人間に「西尾先生の葬式に出るかどうかの話も出ました。」と書くのは、よほどの神経である。あるいはこの部分は宮崎氏の筆になるのであろうか。関係者のお葬式にとびまわっていた人だった。
「八木はやはり安倍晋三からお墨付きをもらっています。小泉も承知です。岡崎久彦も噛んでいます。CIAも動いています。」の一行には、私自身がハッと思い当たることがある。八木氏が余りに態度をくるくる換えるので、遠藤、福田、藤岡の三氏と私で、クリスマスの晩に新宿の中華料理屋に彼をよんで問いただしたことがあった。その件は無事にすんだのだが、帰りしなに八木さんは、私の新著「<狂気の首相>で日本は大丈夫か」を非難がましくいい、「官邸は西尾先生に黙っていない、って言ってますよ。」と脅かすように言った。西村代議士の強制捜査をわざと連想させるシチュエーションにおいてである。
「誰が言ったのですか。」と私はきいた。「知っている官邸担当の政治記者です。」「それはいつですか。」 聞けば私のこの本の出る前である。そういうと「先生はすでに雑誌に厳しい首相批判を書いていたでしょう。西村代議士がやられたのは<WILL>での暗殺容認の発言のせいらしい。」「私はそんな不用意な発言はしていないよ。」と受け答えたことを覚えている。
八木さんは安倍官房長官に近いことがいつも自慢だった。紀子妃殿下のご懐妊報道の直前、日本は緊張していた。あのままいけば、間違いなく「狂気の首相」が満天下にだれに隠すところもなく露呈してしまうのは避けがたかった。国民は息を詰めていた。制止役としての安倍官房長官への期待が一気にたかまった。八木さんは安倍夫人に女系天皇の間違いを説得する役を有力な人から頼まれたらしい。まず奥様を説得する。搦め手からいく。「有力な人」の考えそうなことである。
八木さんはこの抜擢がよほど得意らしく、すくなくとも二度私は聞いている。彼は権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人だった。私は政権と言論ははっきり切り離されているべきだという考えである。ことに安倍政権が有力視されるようになってから、私は言論人の政権接近ににわかに厳しい批判の目を注ぐようになった。小泉容認に急傾斜した伊藤哲夫さんと袂を分かつようになったのもこのせいである。八木さんは伊藤さんの強い影響下にあるのかもしれない。
このへんの問題意識はわたしの本年の「謹賀新年」をみていただきたい。
いずれにしても、鈴木尚之氏の証言だけではなく、文面的にみても、「怪文書 2」に八木さんが関わっていることは私にはほとんど疑う余地がない。つくる会ファックス通信173号では、産経渡辺記者が「謀略的怪文書を流しているのが<八木、宮崎、新田>であると言明した。」とはっきり書いている。会の公文書がここまで打ち出しているのである。軽く見逃すことはできない。
嗚呼、それならなぜ? 八木さんはなぜそんなことを? 私は痛哭の思いである。そういうタイプの人だという説がある。論壇の寵児とにわかに持ち上げられて、慢心したという人もいる。私には解らない。保守論壇などというものは、日本人の精神活動のなかでは、一隅の小さな、小さな、頼りない、無力な世界である。私は酒の席でそういうことを言って、無視されてきた自身の人生の悲哀を彼に語ったことがある。八木さん、覚えているだろうか。貴方はそのとき「自分は日本の文化界の中央を歩んでいるつもりだ。」とためらいもなく言った。私はその自信に少し驚き、しかしこれからの若い人はこれでいのかもしれないと思って、それ以上なにも口にしなかった。
以下は3年前の私の文章である。
哭 泣 の 書(原題 八木秀次氏のこと)
平成15年7月25日 八木秀次氏のこと私が八木秀次さんに最初にお目にかかったのは、平成7年(1995年)の春先か、あるいはもう少し前の頃ではなかったかと思う。伊藤哲夫さんが主催している日本政策研究センターの談話会があり、私は講師をたのまれて、一座の談話を行った。テーマを覚えていないし、何を話したのかも勿論まったく覚えていない。伊藤さんに昔の記録を調べてもらえば、日時とテーマも正確に全部分かるだろうが、まあそれはどうでもいい。
車座に囲んだ15人程度の会であったと覚えている。そのときの席にいたまだ若いひとりが八木さんだった。八木さんは鋭い質問をした。質問の内容をこれまたまったく覚えていない。日本国憲法の歪みが革命国家フランス模倣に由来することに関連する話題ではなかったかと思う。私はすでに5年前に「フランス革命観の訂正」(Voice1989年8月号)を書いていた。この論文は後に『国民の歴史』の「西洋の革命より革命的であった明治維新」の章の原型をなしている。
けれども私は憲法学に関する知識を持たない。私が漠とした疑問を抱いている憲法学者樋口陽一に対する批判を八木さんが口にした。私は詳しく知りたかった。憲法は素人だが、何でも私は知りたがり屋なのだ。しかも私と考え方が近い人が持っている未知の知識に関する限り、私の知識欲は貪婪であり、見境がない。私は家に帰ってから八木さんに電話をした。基礎から教えて欲しい、と。
私と八木さんとの交流が始まったのはこの日からである。彼は私の欲求を知って、樋口陽一の著書や論文のコピーを数多く送ってくれた。さらにまた会って憲法学会の狂った方向について説明してもらった。私と八木さんとは怒りを共にしていることが直覚された。彼のデータや情報の提供は誠意があり、献身的であった。私は深く感謝し、その無私に感動した。
ちょうどその頃はオウム真理教の不安や関心が高まっていた時代だった。『諸君!』(平成7年10月号)に、「政教分離とはなにか」を私は書いた。この最後の小節は「憲法モデルをフランスに置く弊害」とあり、樋口陽一の『近代国民国家の憲法構造』への批判が展開されている。この小節での考え方の骨子とデータの提供者は八木さんである。
つまり、私より30歳以上も若い彼だが、私は八木さんの師ではなく、八木さんが私の師なのである。
彼は当時まだ無名だった。しかしその頃から論文が注目され始め、あっという間に世間に知られるようになった。この数年の彼の成長はめざましい。保守系の憲法学者はこれから特に貴重な存在である。自重し大成してもらいたい。彼の大成に日本の未来がかかっている、とあえて言ってよい。もし彼が挫折するようなことがあれば、日本の憲法つくり直しの道も挫折するのである。
今から38年ほど前、私は福田恆存先生のお宅にお教えを乞いによく伺っていた。私がドイツに留学する報告をした日に、先生は「君が帰ってくるころに、仕事がし易くなるようにしておくよ」と謎めいたことを仰言った。日本文化会議の設立が考えられていたのだと思う。左翼一辺倒のマスコミをある程度きれいに清掃しておくよ、というくらいの先生一流のユーモアのこもった決意であったかと思う。
私は八木さんに、「君のために仕事がし易くなるようにしておくよ」と断固として言ってあげたい。福田先生がそう言ってくださったが、私の人生において仕事は必ずしもし易くならなかった。左翼一辺倒のマスコミは相変わらずで、千年一日のごとくである。「幻想は切っても切ってもあとから湧いてくる」というのも福田先生のことばだった。私も今同じ心境である。人々はなぜ現実の悪にそのまま耐えられないのか。なぜ悪をむなしい善の見取り図にすり替えたがるほどに弱いのか。欲求不満を自由と錯覚し、不必要な希望を休みなく未来にいだきつづける人々の幻想を、「切っても切ってもあとから湧いてくる」状況の継続に私はほとんどもう疲れた。八木さんが仕事のし易くなる状況をいっぺんに作り出してあげられない私の無力を私は噛みしめ、彼にゴメンナサイと心の中で言っている。
今私は彼とある新しいプログラムをスタートさせている。伊藤哲夫さんや中西輝政さんや西岡力さんや志方俊之さんや遠藤浩一さんもそこに加わっている。志は「押し返す保守」である。それくらいまだ不利な状況にある。みんなの力で愚かな「幻想」を根っこから打ち滅ぼしてしまいたい。彼のために仕事のし易い状況を作ってやれないで、私の人生もまた終わるのかもしれない・・・・・そのうち日本も沈没するかもしれない、そんな暗い予想さえ抱く。
保守系の憲法学者の最大の弱点は日本国憲法無効論を唱え、日本国憲法をわが国の国柄にそって解釈し運用していくという発想が欠落しているところです。
戦後憲法学の最高峰は間違いなく故小嶋和司東北大学法学部教授でしょう。この方を超える憲法学者はおそらくいないのではないかなと思います。基本的人権、民主政の理念とわが国の伝統、慣習を見事に調和させて、日本国憲法を解釈しています。
さらに、憲法をさも不磨の大典のように考える発想そのものにも鋭いメスを入れています。
小嶋氏の憲法学に対するスタンスは今でも佐藤幸治京都大学名誉教授、大石眞京都大学法学部教授に引き継がれているのですが、解釈学そのものについては後人の憲法学者にあまり引用されてはいません。
私は皇室典範改訂問題が沸き起こったときに、何故、既存の保守派論客が、この問題について、小嶋憲法論を紹介しないのか不思議でなりませんでした。私は八木秀次氏にそれを期待していたのですがこれからもどうもしなさそうです。
女系天皇容認の成否は歴史学、心理学、社会学、憲法学といった多角的な分野から検討していかなければなりません。女系天皇を容認する論者が、小泉総理の靖国神社参拝に反対の人、親中国の人だからというのであれば、あくまで政治的党派性による女系天皇反対論の域を超えることはできません。
憲法学の見地から女系天皇容認の成否を検討するとなると、XY遺伝子論だけではお話になりません。論者の憲法学そのものが問われる問題です。要は、万世一系の男系による皇統という歴史的事実を憲法を解釈するにあたってどのように位置づけるのかという問題です。となればその問題は、人権思想と民主主義思想とわが国の伝統、慣習と天皇制の調和をいかにして図るのかということにいきつきます。
反人権思想、反民主主義、反近代といった思想はあくまでもアンチテーゼの思想にしか過ぎません。そういったアンチテーゼの思想は多くの人の心にある程度は浸透するのは確かですが、所詮はアンチテーゼにしか過ぎないのです。
八木秀次氏の憲法学は、私の見る限りでは、まだアンチテーゼの域を出ていません。日本の文化界の中央を歩むためには、党派性の呪縛から解き放たれて真理を探求する視点、全体を見渡す視点が必要です。その面では、八木秀次氏は、新しい歴史教科書を作る会の内紛劇によって学究の世界にしばらく帰ることを余儀なくされた事は不幸中の幸いであるといえます。
さて、皇室典範改訂問題、日本国憲法改正問題につき、本質を見据えた憲法論議をできる保守系の論者が現れるのでしょうか?特に皇室典範改訂問題については、名も無き論客、憲法学者のさっそうとしたデビューに期待するほどの暇は無い。それを思うと一市井人である私は絶望的な心境になってきます。
西尾先生へ
新田均
5月6日のお返事、ありがとうございます。ところで、私が先生に訂正要求の手紙を差し上げた主旨をコメント欄に投稿いたしましたところ、多くの人から早く訂正要求の内容を教えてほしいとの電話がかかって参りました。
その中には「西尾先生は、『時期は確約できません』『ご質問に必ずしも対応して書くことはできません』と言っておられるのだから、必ずしも西尾先生の筆の進み具合に合わせる必要はないのではないか。それよりも、貴方は自分の説明責任を果たすことを優先すべきではないか」という的確な指摘もありました。そこで、先生には申し訳ないのですが、先生の筆の進み具合には必ずしも縛られることなく、私の要求内容を順次投稿して参りたいと思いますのでご了承下さい。
なお、先生は、私の掲げた項目を「問い掛け」「質問」と受け取っておられるようですが、私の意図はそうではなくて、「事実に反することが書かれていますので、ご訂正下さい」というものです。したがいまして、私の申し上げていることが間違っていて、「訂正の必要を認めない」とおっしゃるのであれば、それなりの証拠を示して、反論していただきたいと存じます。そうでないと、先生が私たちを「全共闘的な圧力」「言葉の暴力」「固い血の盟友関係」「『つくる会』の一角に取り憑いたガン細胞のようなもの」と非難した根拠がくずれてしまう、換言すれば、先生は根拠もなく私たちを誹謗中傷したことになる、というのが私の考えです。
(訂正要求1)
今回の騒動は宮崎正治事務局長の更迭問題に端を発したわけですが、その更迭の提言について、先生は「三人[八木、藤岡、西尾]の誰かが先走ったということはありません」と書かれていますが、これは他の二人によって明確に否定されています。
昨年12月13日の私への電話の中で、「八木さんは、自分の知らないところで事務局長がらみで話が進んでいたと言っていますが、どうなんですか」という私の問いかけに対して、藤岡信勝氏は「そうなんですよ、それがよくないんです」「西尾さんが声をかけちゃったんですよ」「要するに独走した」とはっきり言われました。
したがって、この問題の出発点において、八木会長を無視して西尾先生が独走された事は明白です。それをごまかそうとするのは大変卑怯なことだと思います。まず、この点をご訂正下さい。
(追記 西尾先生の「独走」については改めて八木氏に確認済みです。先生が「つくる会」顛末記の中で「名誉会長の名で会長より上位にある立場を主宰することは二重権力構造になり、不健全であるとかねて考えていました」と書かれたのは、実は、このようなご自分の独走に対する素直な反省の弁だったのではありませんか?)
なお、「哭泣の書」の中で、先生は「つくる会ファックス通信173号では、産経渡辺記者が『謀略的怪文書を流しているのが〈八木、宮崎、新田〉であると明言した。』とはっきり書いている。会の公文書がここまで打ち出しているのである。軽く見逃すことはできない。」と書いておられますが、本心でしょうか。
私は渡辺記者本人にから「そんなことは言っていない」と聞いています。それに、このファックス通信はいくつかの重大な虚偽を含んだ怪しいもので、高池会長代行名で出されていますが、恐らく、原案は藤岡氏の手になるものでしょう(「陰で操る」のは藤岡氏の常套手段です)。その藤岡氏について先生は「他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接近するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。/彼と付き合えばみんな分かっているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。」〈怪メール事件(一)〉
ここまで扱き下ろした藤岡氏が主導している会が出しているファックス通信を、何故、先生が「軽く見逃すことはできない」と言われるのか、私には理解できません。まさか、八木や新田を罵倒できる材料ならなんでも構わない、などとは考えておられないと思いますが・・・・。
蛇足ですが、これまで先生は「つくる会」騒動の最後に現れた出所不明情報を誇大に言い募ってこられました。「哭泣の書」を読むと、今度は騒動の遥か以前の八木氏との関係を情緒的に書き上げて人々の同情を引こうとされているようにみえます。このように事後と事前を強調することで、騒動の本来の出発点をごまかそうとされているのではないか。そんな懸念が私の心の中に生じたことを申し添えておきます。
今日の西尾先生の久留米大学サテライト講座の皇室問題に関する講演の内容が気になります。明日は奥平東京大学名誉教授の講演ですからね。そして奥平氏の講演の内容も更に気になります。
奥平東京大学名誉教授の自論は、「とにかく男女平等論とかで女系天皇を認めてしまえば、天皇の唯一の正当化原理である男系による万世一系の神話が崩壊し天皇制は自然消滅する」というものでした。側室制度を認めず男系で傍系承継を認めなければ確実に天皇制は自然消滅しますが、奥平氏の論説は、憶測の域、憲法学というよりかは、憲法学者のエッセーに近いでしょう。とはいっても奥平氏が万世一系を否定しようとあの手この手を考えているのは歴然とした事実です。
仮に、明日の講演で奥平氏が、もっと皇室問題について本質的議論をすべきだという抽象論を語るならまだしも、男女平等の基本的人権の思想からは女系天皇を認めるのが望ましいといえば久留米大学サテライト講座で本心ではない嘘の講演をしたことになります。
こと天皇制に関しては解釈憲法学者ですら、個人の思想をむき出しにし冷静さを失うところがあります。奥平氏の自論は、かねてから基本的人権に関する論考を多数発表している以上、男女平等という名目の元にという発想は、解釈憲法学者にとっては自らの憲法解釈学を否定する自殺行為といっても過言ではありません。
憲法解釈学は表向きはあくまでもある特定の党派を代表するものではない、憲法は建前上は価値中立的なものでなければなりません。そこを意識しながら独自の憲法解釈学を打ち立てた故小嶋和司東北大学法学部教授には頭が下がる思いです。
久留米大学サテライト講座の講師のラインナップを見る限り、西尾先生だけが異端な学者です。あえて、自分と異なる意見を持つ主催者、観衆の中で講演をした西尾先生の勇気に敬服する次第です。
新田均さんへの要望
新田均さんの文を読むのは初めてですが、或る時は藤岡氏が電話でこういったといい、或る時は藤岡氏の書く事は信用出来ないと云う。出だしからがっかりしました。
貴方の見方が、西尾先生の見方と違っても良いのです。西尾先生の文章に寄りかかって、自己弁明をする手法は止した方が良いです。
自分がどう考え、どう行動し、何故辞任に至ったか、貴方の信念・行動・人格が現れる様な文を書き、その文章が人を動かすかどうかに賭けてはどうですか。事実・事実と仰るが、深い處では人間の解釈があるだけだ、卑近な事にもそう云えます。
新田氏へ
ご自分でブログを立ち上げ、ここにトラックバックを張ってはどうですか。西尾氏のエントリと無理に関連付けたコメントをされていますが、「自己主張」はご自分の場所で行うべきです。西尾ブログにアクセスする人間はあなたの「自己主張」を読みたいわけではありません。
トラックバックでも西尾ブログから流れる相当なアクセス数を得られるでしょうし、「つくる会」内紛に関心がある人間は必ずトラバを辿るでしょう。あなたも余分な配慮なく批判的言辞も展開できるでしょうから、メリットもあるのではないですか。
失礼を承知で書きますが、あなたは無名です。西尾氏や八木氏に関心のある人は多くても、あなたの自己主張を読みたい人間はそれに及ばないでしょう。だから書くなというのではなく、書く場所を改めるべきだと申し上げたいのです。
これからは、八木さんには、憲法関連以外の発言は控えて欲しいものですね。。。
それに、基本的に日本の学会はレベルが低すぎるので、ちょっと「優秀」だったら、すぐに名前は広まるような気もします。。。(W部昇一さんとか)
憲法学者の狂い方は、世間一般とはかけ離れすぎているので、それを基準にして自分はマトモだと思っても、実はまだちょっと常識に欠けていたりもするので、かなり気をつけた方が宜しいかと思われますね、私も含めて(俺は頭が良いなんて自惚れて、世間を見下したりすると終わり)
その証拠に、まるで八木さんが提唱者のようになっている「Y染色体理論」は、北の狼さんというHNの金沢大学の「レントゲン技師」という門外漢が考え出した理論です。。。(八木さんは狼さんのHPから引用したのだが、ネットを軽視しているせいか、「ある場所」で知ったとしか言及していない)
「学者」として優秀であるとはいっても、いったい世間レベルから考えてどれだけ優秀かは判らないし、保守で貴重な憲法学者ということは、他にライバルがいない状態であるともいえる。。。
今だから、西尾先生の尻馬に乗った発言ではなく、私は以前から、保守論壇が次世代の重鎮に「拵え上げようと」しているのではないかと指摘していましたし、また、この人の書いた文章をマトモに読んだこともありません。。。
しかし、憲法学は、保守派(改憲派?)でも大学にポストが得られるのはちょっと羨ましいですね。
社会学の場合、完全にフェミに占拠されているので、少しでもフェミ教授の意にそぐわない論文を書くと、博士課程にさえ進学できない憂き目にあいますから。。。(指導教授からも嫌がらせを受けて、修士号を取るのにも一苦労でした(苦笑))
(西尾先生は常に誠実な思想人であると思っている方に一言。。。西尾先生は、西部・小林の両名に対する批判文を雑誌に寄稿しましたが、これは誠実な評論ではなく、明らかに両名をつくる会から排除する為に意図的に挑発する文言を入れて書いたものであるとご自身が著書の中で自白しております。。。『男子一生の問題』参照。。。つまり、評論を政治的道具として使ったわけですね。。。)←これを真に受けていた純粋で正直な若者(つまり私)は、それを素直に信じていた私に対する、あるいは他の読者に対する責任はないのか?と大いに動揺させられる「事件」でした。。。これ以来、西尾先生の文章を素直に読めなくなりました。。。また何か他に意図があるのか?とか思っちゃうからね。。。
追伸、
別に、新田先生を擁護する義理は私にはありませんので、あしからず。
総合学としての文学さまのご指摘を拝見して、なるほど確かにそうだ、と思いました。
平成16年に復刊された小嶋和司氏の「憲法概説」(信山社刊)は、確かに名著というに値するもので、浅学非才の自分の如きものが「評価」などおこがましいところではありますが、総合学としての文学さまの暗澹たるお気持ちを晴らす意味でも、またしても著作権を気にしつつ、「女系」問題に該当する部分について、現行憲法を小嶋氏がどのように解釈されているかをご紹介したいと思います。
(同著296頁から)
皇位継承資格者
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」(一条)
「皇位は、左の順序により、後続に、これを伝える。」(二条)
右の二つの規定によって、(ア)「皇統に属する男系の男子」であることと、(イ)「皇族」であることが、皇位継承者となるための条件とされる。
まず(ア)についていえば、「皇統に属する」者の継承が、憲法典の前提であったことは既に述べた。この「皇統」には二つの解釈がありうる。一は、単に天皇の血統と解するもので、他は、さらにその系統が歴史的には男系によってのみ成立してきたことに着目して、男系制をもよみこむものである。後説を正当としようが、この見解によれば、第一条の「男系の」という限定は、注意的訓示にすぎないこととなる(同旨、明治典範義解)。
次に、「男子」であることが条件とされ、女帝は排される。外国にも、わが国の歴史にも女帝の例があるが、(ア)すべての外国において女帝がみとめられるわけでなく、これを認めるものと認めないものとがあること、(イ)日本の女帝例は「推古天皇以来皇后皇女即位ノ例ナキニ非サルモ当時ノ事情ヲ推原スルニ一時国ニ当リ幼帝ノ成長スルヲ待チテ位ヲ伝ヘタマハムトスルノ権宜ニ外ナラズ 之ヲ要スルニ祖宗ノ常憲ニ非ス」と評価して、明治典範の制定者がこれを排したのであった。現行法はこれにしたがうものである。(1)
(1)女帝を認めても、皇統は「男系」を要求されるから、その子は女系として皇位継承資格をもちえない。このことも、明治典範が女帝を否認した理由であった。史上の女帝例は、明治典範に女子「摂政」の容認という形で取り込まれている。なお、現行憲法下、「男子」を条件とすることは十四条一項との適合性が疑われるかも知れないが、同条項は天皇制関係に適用あるものではない。(引用以上)
つまり、現行憲法制度において、皇位継承資格者は「男系」であることが定められており、法の下の平等を規定した、憲法十四条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的又は社会的関係において、差別されない」との規定は、皇位の「男系継承」を容認していると解釈されるのが妥当であるということが定説であるわけですね。
「女系」導入を図る奥平氏の暗い情念は、いわば「日本国憲法」の破壊を目論むものと見ても間違いではないと思われます。現行憲法の「改正」が議論されている今日この頃ですから、現行憲法を否定する立場で奥平氏が「女系」導入を熱心に進めるというなら話は分かりますが、現行憲法擁護の立場から「女系」容認は出てこないといわなければならないでしょうね。
つまり、「女系」導入は、憲法改正と同義であるわけであり、憲法改正が論じられる中にあって、「天皇」が論じられることが必ずしも充分でなかったことを、側面から証明することでもあるように思われます。
「女系」問題は、現行憲法の枠内では到底論じられる問題ではなく、憲法改正を前提として始めて論じることの出来る問題であるように思われます。
しかし、その場合でも、現行憲法を含め、明治憲法、そして二千年に渡る天皇制度の歴史を無視することは許されないということですね。
ほとんど、当たり前のことのように思いますが、この当たり前が政治家の間で必ずしも当たり前と認識されていないところに問題があるように思われます。
様々方のな意見や批判を読んでいますと、一つの線引きができるのではないかと思います。
それは、「内向き」か「外向き」かという視点です。政治家にもよくいますが、自分達の指示母体の顔色を窺いながら発する意見と、所謂敵対する相手もしくは議論の相手に対しはっきりと意見するものとの違いです。
左翼の意見なんかはどれもが内向きで、一般人に伝わる事は殆どありません。
しかし保守を自負する方々にもそれはあり、それが顕著になりだすと本当の改革は立ち止まります。
八木氏の場合もそれが顕れたと言えるのではないでしょうか。
西尾先生が八木氏から学ぼうとしたものは、彼の外向きに歩き出す態度に対してであり、保身や組織に対する内向きな態度からは何も得るものはないと言えます。ここに集う方々にもその線引きが当て嵌まる方がいると思えます。
西尾先生はご自身が完璧だとは思っていらっしゃらないはず。学べるものには積極的に接します。
その際一つの目安となるものの中に「内向き」「外向き」はきっとつよくあるんだと思います。
言葉が響くときというのは必ず何かの挑戦を含んでいます。そしてそこには本質があり、個性もあります。プロだろうが素人だろうがそこが一番大事なんだと思うんです。
西尾先生へ
新田均
(訂正要求2)
私たち四人が八木会長に対して抗議の声明[昨年12月12日]を送ることになった前提には、宮崎氏が「コンピューター問題」なるものによって、理事会の承認もなしに停職とされ、しかも、「事務局長の任を解き、事務局次長に降格する。事務局次長としての給与の10%を本年12月より3ヶ月にわたり減額する」という処分まで受けようとしていたという事態がありました。
この問題について「事務局再建委員会」の「調査報告書」は「現行[会員管理]システムは今後正常な稼働が期待できない」「いずれにせよ現行システムは早晩廃棄し新しいシステムを構築することが迫られている」「結果として、1000万円もの高額投資が僅か3年間で事実上崩壊してしまった事態はきわめて重大」と断じ、「[契約]当時から今日まで一貫して執行に当たっている宮崎事務局長の責任を不問に付すことは不当である」としました。
ところが、今年の三月二十八日の理事会において、種子島会長から、この現行システムに問題はなく、制作者であるコンピュートロニクス社とのメンテナンス契約が切れた後も、藤岡氏が連れてこられた専門家に、月二万円程度の保守管理料を支払えば十分使用可能であることが報告され、出席者を唖然とさせました。そして、このことは「つくる会FAX通信」第171号ですでに会員に周知されています[そして、本年三月末日をもって、データ消滅などの事故もなく、コンピュートロニクス社との契約期間は終了しました]。つまり、「1000万円もの高額投資が僅か3年間で事実上崩壊」したという「コンピューター問題」は幻だったわけです。
したがって、私たちが昨年十二月十二日の「声明」において、「“損害”なる主張は何ら法的実体を伴わないものです」「これらの言挙げは、まるで南京大虐殺を左翼がでっちあげて日本軍国主義批判を展開することを想起させます」と指摘したことは極めて適切だったことになります。また、被害も確定できていないのに、宮崎氏を処分しようとしていることに対して、宮崎氏解任のためにしくまれた「一種の謀略」ではないかと考えたことも十分に合理性があったといえるでしょう。
ところが、先生のブログでは、「コンピューター問題」についての執行部の調査報告書が事実無根であったこと、それによって宮崎氏の地位や名誉が著しく不当に貶められたこと、したがって、宮崎氏解任のための謀略ではないかと疑われてもしかたのない事件であったことが全く書かれておりません。これは読者を欺くものですので、すみやかにご訂正下さい。
なお、私の投稿の意図は、西尾先生には予めご了解いただいていることですが、虚偽の宣伝に対して、その発信者に訂正を求めるというものですから、何ら非難される筋合いのものではないでしょう。そして、自らの主張については、近々ブログを立ち上げて、そこで展開するつもりでおります。
ちなみに、出所不明の藤岡氏「平成13年共産党離党」情報に、もっとも振り回され、大問題だと、産経新聞の社長、福地氏などに吹聴し、さらにはブログにまで載せて世間にばらまいたのは西尾先生でした。先生は、裏も取らずに大騒ぎしてしまった自分の軽率さ、滑稽さをごまかすために、一生懸命に八木氏や私に罪を擦りつけようとなさっているのではありませんか?
思想の独立と人事の容喙
以下は新田先生の投稿とは関係ない話です。
日録プログへの反応を見ていて西尾幹二先生(以下 西尾幹二と省略)のいいたいこととは違ったことを盛んに論じているような印象がして仕方がありません。まあ私も「群盲象をなでる」の口かもしれませんが。
一番違和感を感じるのが、宗教の話題です。宗教団体に問題があるのならどうして作る会の当初から「キリストの幕屋」の参加を認めたかです。西尾幹二は「キリストの幕屋」について非難していないように見えます。他のケースでいうと「日本会議」への批判でも西尾幹二がそれを行った理由があるはずです。
「作る会顛末気」を読んでいて私が西尾幹二がいいたいのはここじゃないだろうかと思う点があります。参考に意見を含めて書いたおきます。
>「つくる会」は一つの独立した団体です。人事案件はあらゆる独立した団体の専権事項です。どんなに親類のような近い関係にあっても、別の組織が人事案件に介入することは許されません。・・・途中省略・・私は「つくる会」の「独立」が何よりも大事だと言いつづけました。
強調すると「独立」という言葉です。
どうして私が独立という言葉に強く共感したかというと、サンフランシスコ平和条約によって日本は独立しました。独立するということは日本の国家の主権を諸外国も認めるということです。しかし実際には現在に至るまで日本国の主権は北朝鮮、中華人民共和国、韓国によって侵害され続けています。もしかすると米国にも侵害されている部分もあるかもしれません。そしてそれを実際上は色々ないいわけを作り出して是としてきたわけです。そういう意味では日本はまだ独立国家ではないのかもしれません。そういう意味で私は強く「独立」という言葉に引かれたわけで、ここに私の主観があります。
さて国家の独立の重要性と思想家集団の独立の重要性を類推で考えるのは間違えかどうか私にはわかりません。しかし思想家が人事面について外部の容喙を受け容れたらそれは決していいことではないのはわかります。それは批判する自由を自ら放棄したことになるからです。仮に外部の宗教団体から容喙があってそれを批判できないのなら、自民党と公明党の共闘体制を批判できないでしょうし、同様に北朝鮮や中国や韓国の国家主権の侵害を批判できなくなるのではないでしょうか。それは思想家につぃては致命的なのではないでしょうか。私は企業の実務家ですから法律違反でなく、でも多少スジの通らないことでも組織ルール違反の他組織の容喙をむしろ肯定的に認めますが、思想家はそういうわけにはいかないのでしょう。
明確に西尾幹二は「キリストの幕屋」に対して批判をしていません。私はそれは今回の一連の論説から考えれば「キリストの幕屋」が「作る会の人事への容喙」をしていないからだと理解をしています。
おそらく「日本会議」の場合は人事まで容喙したという認識を西尾幹二は持っているのでしょう。その辺りになると私は現場や経過を知りませんから、何が正しいか判断しませんが、すくなくとも西尾幹二に対する反論はまず「人事への容喙」をしたという認識は西尾幹二の勘違いであるという反論ではないでしょうか。または人事への容喙をしたがそれはこれこれの理由のあることであって、ちょいと誤解があるよと相互誤解を解くことではないでしょうか。しかし実際には投稿されたかたが日本会議の責任者かどうか知りませんが、プログの反応は人事容喙疑惑を否定するのではなく、「日本会議」がなくても作る会はやっていけるのかという西尾幹二を脅迫しているように主観的には見えます。
この私の認識が誤解であればいいがと思いますが。
新田均さんへ
自分では迫力ある文を書いているとお思いでしょう。然しそれはアジ演説者の心理に近い様な気がします。
反論する権利を主張されていますが、読まされる読者の迷惑など、一顧も与えない。全共闘的な体質と云うのは当っていると思います。
機械課系課長こと松井康雄様
まずもって、私は「日本会議」の中枢にいて責任を持つ立場の人間ではありませんが、コメントします。
西尾先生が「日本会議」が人事にまで容喙したという認識を持っておられるということは、「日本会議」にとっては確かに大事な部分だと思います。
それに対して、そうではない筈であり、その証拠はどこにあるのでしょうか、と私自身は既に問いかけています。
3月7日の日録「つくる会顛末記」の中で、西尾先生は次のように述べておられます。
この文章を読み、「直接的な人事介入」の事実は証明されていないのだと判断して、証拠を示してください、と述べているわけです。
一方、西尾先生は学生さんたちの証言を掲載されて、「日本会議」一派?が怪しい集まりであるという刷り込みを読者に行ない、なおかつ、そういう一派が保守運動(の一部)をリードして来たことについて、批判されています。
西尾先生は、やはり3月7日にこう述べておられます。
「ひょっとすると思想的にみて、現代日本の保守運動に二つの流れがあるのかもしれません。その対立が会のこの紛争に反映したのかもしれません」
これらのことから考えれば、今回の問題は、人事介入の問題に止まらないのだと思います。
ゆえに、学生さんたちの書いておられること、認識に関して、間違いや思い違いについて、数人の方々も指摘しているのでしょう。
「二つの流れ」「その対立」
という西尾先生の認識には、正直申しまして驚愕しました。そんなことは、一度も考えたことがなかったからです。
日本会議(の中枢にいる人たち)も持っていないのではないか。
一方的に「対立」だと宣戦布告されたにも等しい「日本会議」は、どこをどう説明すれば良いのか、非常に困っているだろうことを想像します。
尊野ジョーイ(Jun♪)様へ
それに、基本的に日本の学会はレベルが低すぎるので、ちょっと「優秀」だったら、すぐに名前は広まるような気もします。。。(W部昇一さんとか)
これはレトリックでしょうか。立花隆の「ロッキード裁判批判を斬る」を読むまでもなく、W部氏と言うと、憲法をはじめとしたあらゆる法に無知なくせに声だけは大きい、と笑い物にされている方(秦 郁彦氏にも同じ指摘をされてましたよね)。
「 」つきの評価なのでレトリックだとは思いますが、皆さんが誤解されるといけないので、一言述べさせていただきました。
機械計算課長こと松井康雄様
お名前を間違えて記載してしまいました。
大変失礼致しました。
また、管理人の長谷川様 このコメント掲載でお手数おかけして恐縮です。
【藤岡氏の釈明への疑問】
>1970年代のことと記憶するが、韓国で太刀川という人が
>国際的なトラブルを起こすちょっとした事件があった。この
>人がたまたま日本共産党の党籍があったために、日本共産党
>はかなり不利な立場に立たされた。そこで、これ以後、長期
>にわたって海外で活動したり生活したりする党員は離党させ
>る規則がつくられた。
↑これは1974年に韓国で日本人留学生2人が北のスパイとして逮捕された「民青学連事件」のことだが、KCIAが日本共産党員としたのは太刀川正樹氏ではなく早川嘉春氏である(太刀川氏は「朝鮮総連秘密連絡員」とされたが日共党員歴はない)。
しかも早川氏は71年5月に党を除籍されていると、74年4月25日に金子満広常任幹部会委員が談話を発表している(このことは翌日の新聞各紙に報道されている)。
「太刀川氏に日本共産党の党籍があった」というのも「日本共産党はかなり不利な立場に立たされた」というのも事実誤認である。
朴大統領狙撃事件の直前、あれだけ大騒ぎになった「民青学連事件」を「トラブル」「ちょっとした事件」とはいかなる感覚か。
それから「怪文書1」なるものの藤岡氏の経歴
>S39 4月16日開催の道学連在札幌編集者会議出席、
道学新支部再建準備会出席
↑こんな経歴を八木氏が思い付きで書けるわけがない。少なくともこの部分は何らかの公的機関の調査であろう。
新田氏は甘えておられます。ご自分の家にコンピューターがないので、隣の家へ出向いて貸してもらい、その隣の主人の悪口を書くようなものです。
西尾先生が全てを書き、手の内を堂々と見せてくださった後、大分たってからの反論「あぁ言った、こう言った」は、女の私でもしたくない行動です。 このブログを読んでおられた新田氏は西尾先生がお書きになった「・・・新田は・・・」の字が読めた時点で、間髪いれず反論されれば良かったものを・・・。哀れです。
痩骨さんのご意見
『自分がどう考え、どう行動し、なぜ辞任に至ったか。貴方の信念行動 人格が表れるような文を書き、その文章が人をどう動かすかに賭けてはどうですか』
に賛成です。新田氏ご自分のブログで読んでみたい。
尊野ジョージさんのご意見
『西尾先生が、西部、小林の両氏に対する批判文を両名を作る会から排除する為に意図的に挑発する文章を入れて書いたので、純粋、正直な若者(つまり私)はそれ以来西尾先生の文章を素直に読めなくなりました』
にも甘えを感じます。 世の中、騙された(?)あなたに問題が・・・、一つや二つ騙され(?)てもついて行きたい俺・私がある場合もある。「男の世界は生きるか死ぬか」その中での戦いを展開されている男一匹西尾幹二に軍配あり。でも尊野ジョージさんは西尾先生が気になるのでしょう? それだけに、いい男なのです。西尾先生は。
新田氏のお言葉
『「哭泣の書」を読むと・・・八木氏との関係を情緒的に書き上げ人々の同情を引こうとされているように見えます。このように事後と事前を強調することで騒動の本来の出発点をごまかそうとされているのではないか、そんな懸念が私の心の中で生じたことを申し添えておきます』
には、「言葉づかいが丁寧ではある」と言うことしか私の心に生じませんでしたことを申し添えておきます。あぁ、それともう一つあります。西尾先生は、八木さんと藤岡さんのご両名は愛されたのだと思います。女の勘です。
新田氏は西尾先生に「訂正」を要求されておられますが、こんなに遅れてきた言葉に、先生はお返事を書く必要はないと思います。
先生のお時間はもっといいことにお使いになられることを・・・。
1000万というのは公開サイトやコンピュータシステムでしょうか?こういうのは会員のなかからボランティアを募って開発した方がいいと思います。完全に外部に発注するとちょっとしたメンテナンスでも多額の保守費をとられます。ハードウェアや運営も最近はASPといって外部のプロバイダを利用するとかなり節約できます。一度会報か何かでメンバーなどを募ってみては如何でしょうか。私もITには詳しいので必要あれば無料でお手伝いします。
とろりーさん
あーHNのことは気にしないでください。長いHNを使うのがいけないのです。松井康雄というと元某ビールメーカの著名な役員さんと同一名で勘違いされたことが何度かあって、そこで日本ちゃちゃちゃ時代から使っているHNと本名を重ねたのです。私の仲間は課長さんと呼んでくれていますが、それでいいですよ。年齢は58歳の神奈川の年商80億の某製造業に勤務する事務システムエンジニアの成れの果てです。
とろーりさんは年上かもしれませんが、私のほうも様でなくさん付けにさせていただきます。
お書きになった意味は理解できたと思います。その返事はもう一度この長いスレッドを読み直してからでないと、でもそしてそれをやっても駄目かもしれませんが、やはり相手の前提や目的を考えることが相互理解の大前提だと思うし、それがわからないのは気持ちが悪いですから。
いつになるか知りませんが西尾先生からさらに返事に添ったご投稿があることを私は期待しています。現時点ではこれ以上言えません。
橘様
今、私は小嶋和司憲法論集を読み込んで、男系の皇統の護持のために憲法学を援用するのではなく憲法学から男系の皇統の護持を論証しようとしています。おそらく挫折するとは思いますが。
特に日本国憲法解釈にあたって根幹となっている、8月革命説、憲法制定権力、国民主権、憲法とは如何なる法か、通説的な日本国憲法の構造について検討しているところです。小嶋和司氏は、もともと故宮沢俊義東京大学法学部教授のお弟子さんですから、8月革命説=国民が憲法制定権力=国民主権という構造を完全に否定していません。また、憲法解釈に人権思想、民主主義思想以外の我が国の歴史的慣習、伝統を憲法解釈の中に取り込むことをはっきりと明言していないのです。
小嶋和司氏は、60歳と割合若くお亡くなりになられました。
そして、小嶋説はその後深化されることなく、もっぱら法哲学なり法学概論でしか引用されることはありませんでした。
小嶋説をヒントにした新しい日本国憲法解釈学を打ち立てて、憲法学として本質的な女系天皇否認論を誰かが世間に発表する必要があります。それは本来憲法学者がやらなければならないのですが誰もやろうとしません。
もっとも自分は日本国憲法無効論者だからという人もいるでしょう。しかし、だからといってそういう人は人権思想なり民主主義思想を全否定しているわけではないでしょう。日本国憲法無効論にたっても理想とすべき憲法における天皇制の問題という憲法学は成り立つのです。
人権思想と民主主義思想と我が国の伝統、慣習、天皇制を調和させたアンチテーゼで終わることのない正攻法の憲法学が今こそ必要です。そしてその営みをしない限り皇室典範改訂問題だけでなくまともな日本国憲法改正論議すらできないでしょう。
なににせよムードだけで我が国の本質的問題ですら決せられる事態は防がなければなりません。
西岡先生のアメリカ観は小林よしのり先生のそれと大きな違いはなかったようですね。
社会運動は賛同者を広げていかなければ運動の目的を達成できませんが、賛同者が広がれば広がるほど思想の差異も広がるジレンマに陥ります。それは避けられないことです。協賛相手が大きな組織・団体であれば主導権の移動もありえる。かくして先生は解任されたのでしょう。明治維新政府から西郷南洲が討伐されたように。保守の教科書も1ッ冊にはかぎらない。左翼のように何冊でも出てきてよい。歴史観は一つではないのですから。小林よしのり氏とよしみを回復される手もある。保守も複数あってよい。歴史の荒波から日本精神を回復する道は複数あった方が生き残れる。
西尾先生の前提は間違っていませんか?
・産経新聞の報道は本当に捏造ですか?
・「怪文書」を送ったのは本当に八木氏ですか?
・藤岡氏の党歴問題での弁明は信用できるのですか?
・藤岡氏は歪曲と自己正当化の天才ではないですか?
・「4人組」は悪人ですか?(新田氏の文章を読む限りそうは思えない)
・田久保氏や福地氏は本当に信用できるのですか?
・鈴木尚之氏はどこかの勢力の工作員ではないですか?
私もよーく考えたいと思います。
「騙した俺が悪い‥のか? 騙されたお前が悪い‥のか?」(ギター侍の波田陽区風)ってカンジですか?
まあ、いかにもオピニオン的な発言に見せかけて、実は政略的意図が隠されていた手腕は見事ですけどね。。。
でも、私だったら、両名に直接会って、「お前等は邪魔だから出ていかんかい!?」とやり合いますけどね。。。
しかし、オピニオン雑誌を政略的に利用してもいいのかな??(公正な議論の場ではないのですかね? だから「信頼」されて「漫画雑誌」よりも高級だと思われるんじゃないのかな?)
まあ、私がアマちゃんだったということに関しては全く異論はないし、それについては今さら何も語ることはありません。。
ただ一つ気になるのは、「思想家」だから政治とは無関係みたいな発言はどうなんですかね?
この発言自体に「政略的意図」が含まれていると勘ぐってみるのは、少しは成長した証になるのでしょうか?(^▽^ゝ
それと、私はもう西尾先生の書く文章は読んでおりませんし、日録にも目を通してなかったんですけどね。。。
ただ、今回の騒動は、私がお世話になった方が含まれているし、宗教についても一言語りたかったというのが大きな動機かな。。。
それと、渡辺昇一さんは、英語学(学者的資質)ではP.hdを持っていたと記憶していますが。。。(立花隆と比較しては、どっちもどっちという気もしますがね(苦笑))
新田先生、残念ではありますが新田先生の反論文・質問状はあまり閲覧者・投稿者の興味を引かないのではないかなと思います。
今、西尾日録で争点になっているのは、①保守派・右派政治思想運動と宗教団体との関係、②保守派・右派学生運動と宗教団体との関係についてです。西尾先生の論考の中心である新しい歴史教科書を作る会首脳とそれらの方々を支持する組織を含めた内紛自体が直接争点になっているわけではありません。
西尾日録の閲覧者、投稿者は保守派。右派の方が多いと思いますが、①、②については多かれ少なかれ自分自身実際に経験したことや感じたことがある問題なのです。したがって閲覧者、投稿者の興味も引くし激しいディスカッションも沸き起こる。
同じ投稿者でもスタンスが若干揺れ動くこともある。その典型例が私ですが。私は②に関しては最終的的には既存組織に所属していなかった若き精鋭よりです。これは断絶的世代交代でしょう。この波はもうさからえないのではないかなと思います。①の問題についてはもっとうまくやる方法はあるのではないかなと思っています。
話しをもとにもどしますが、結局、新田先生の論考はほとんど相手にされない、又は罵倒のネタにされる可能性が高い。
しかし、反論文・質問状をこの西尾日録に出したこと自体は意義があると思います。これがネット上でのムードでかきけされてしまえば、ほとぼりがさめれば西尾先生の論考の信憑性に疑を呈することになります。新田先生、どうか他の投稿者のオピニオンに惑わされないで欲しい。たんたんと既に送った手紙を日ごとにここに発表していけばいいと思います。
西尾先生へ
新田均
(名前を先に書いているのは、読みたくない人は読まなくてもいいよ、という思いやりの表現です。私には西尾先生を崇めている人々の信仰を破壊したり、その悲鳴を聞いて悦んだりといった悪趣味な意図はありません。)
(訂正要求3)
「つくる会」顛末記(三)には、私どもの「声明」を指して、「問答無用のなじめない組織的思考、討論を許さない一方的な断定、対話の不可能という現象」と述べ、これは「突然の挑戦状」であったとしています。これは事実とは正反対の悪質な宣伝です。事実は、「コンピューター問題」に関連して、宮崎事務局長の処遇が理事会で継続審議になっていたにもかかわらず、それを無視して執行部が宮崎氏に辞任を迫ったことに抗議し、理事会での議論を要請したにすぎません[追記 しかも、それは八木会長に宛てた抗議で、会長を通じて他の理事にも私たちの考えを知らせていただくことをお願いしたものですから、もちろん、理事会外に問題を持ち出したわけではありません]。また、四人連名の文書となったのは、それ以前に、個別に出していた意見が無視されたためで、「突然の挑戦状」などというものではありませんでした。
それに、私には最初から宮崎氏個人を守ろうなどというつもりはありませんでしたし、今でも、そんな考えはありません。ただ、誰に対してであろうと、「コンピューター問題」なるものをでっち上げて処分しようとしたり、それがうまく行かなくなると陰で辞任を迫るというような[陰湿で]理不尽なやり方が許せなかっただけです。
その上、人事や運動の総括に関して理事会で公明正大に議論すべきだとの私の主張については、「声明」後の12月13日に電話をくださった藤岡氏も「僕も原則的に、それは全然、賛成ですよ」と賛意を表されていましたし、「いろいろお聞きしてよかったです。また宜しく」と言われていたくらいですから、この時に「問答無用」の状態など存在しませんでした。むしろ、藤岡氏が大変危惧しておられたのは、私たちに対してではなくて、帰国した西尾先生が「大暴れしないか」ということでした。そして、事実、そのように事態は動いて行きました。
したがって、私たちに対して「問答無用」「討論を許さない一方的な断定」「対話の不可能」などのレッテルを貼ることは、事実を転倒させるものですので、ご訂正下さい。
新田さん
他人のブログに乗り込んで、読みたくない人は読まなければいい、と前置きして、好き放題な書き込みをする、相当な不作法だと思いますネ。
新田様に。
かねてより貴著を拝読しておる者ですが、今回の一連の投稿も興味深く拝見しました。
当事者の声を直に聴かせていただき、感謝しております。
西尾さんが「つくる会」について、少なくともその一部の方について、
ある時期より相当の絶望を抱いているように書いてらっしゃって、
自分には謎でしたが、新田さんの文章を拝読してまったく腑に落ちました。
新田さんの指摘される「事実関係」について自分は理解したつもりですし、
ごもっともと感じるフシもあります。
ただ、年齢の違いか、あるいはなにかしら美意識の違いか分かりませんが、
今回のような訂正要求目的のためにこういう文言を書けてしまう方が、
西尾さんにとっては身内感覚だったであろう「つくる会」の中心におられるとは、
西尾さんにはホント大変なことだったと思います。
逆に新田さんにとっても、今まで労多くして西尾さんに意の通じぬ、
ご苦労がおありだったこととお察しします。
なにか気の効いたことが書ければ良いのですが、
自分はただ嘆息するのみです。
西尾先生の前提は間違っていませんか?
・産経新聞の報道は本当に捏造ですか?
・「怪文書」を送ったのは本当に八木氏ですか?
・藤岡氏の党歴問題での弁明は信用できるのですか?
・藤岡氏は歪曲と自己正当化の天才ではないですか?
・「4人組」は悪人ですか?(新田氏の文章を読む限りそうは思えない)
・田久保氏や福地氏は本当に信用できるのですか?
・鈴木尚之氏はどこかの勢力の工作員ではないですか?
私もよーく考えたいと思います。
Posted by: 佐久間 at 2006年05月09日 01:09
↑これにひとつ付け加えます
・種子島さんが八木派に転向したのは、納得できる理由があるのではないですか?(きっと藤岡の人格でしょう)
新田さんの文章には嘘があるとは思えません。誠実な人柄を感じます。
それから「共産主義研究者」さんの藤岡党歴問題への疑義は貴重な指摘です。藤岡はごまかしの天才かもしれません。
西尾先生にお尋ねしたいのは、
平成11年の濤川氏追放工作に
鈴木尚之氏が果たした役割と
藤岡氏の関与です。
あれこそ謀略ではないですか?
西尾先生自身も当時は濤川氏を信用した
と聞いていますがどうなのでしょう?
西尾先生は、またどのような動機で『論語徴』などを読もうと思われたのですか。
今までの論争を拝見した率直な感想を言うと、国士の論争としては些かスケールが小さいように思います。後世の日本人も見ているのですから、どうでも良いような瑣末な事をいつまでも論じ合うよりは、すっきりと別れ、別々の教科書をつくるべきでしょう。どなたかが言っていましたが、保守の教科書が一つである必要はないのです。
私は、日本会議系の先生達には、もっと天皇や日本の国体にこだわった教科書を作ってもらいたく思います。今のつくる会の教科書は足りないものも多いはずです。
「殿方は謀略がお好き」
多かれ少なかれ、私を含めて誰もが誤解や偏見で人を見ているのでしょう。
おそらく、誰かが絶対的に正しくて、誰かが絶対的に間違っているなんてことはないと思いますよ。
正しくは、誰かが絶対に正しいと「思いたがって」いて、誰かが絶対的に間違っていると「思いたがって」いるのでしょう。
新田先生の「西尾信仰者」という表現は皮肉でもなくて、ただ「偶像崇拝」を意味しているだけでしょう。。。
イエス・キリストは偶像崇拝を厳しく戒めていますが(聖書を参照)、不完全であるはずの人間に完全を求めると、間違っていても正しいと強弁したり、一言の批判すら許さないなど、おかしなことになるからじゃないですかね。。。(私も、一言批判しただけで、嵐が収まるまで半年も投稿自粛した経験があるし)
私は、もともと日録にもつくる会にも魅力を感じなくなっていたので、基本的に何があろうと関心はないし、これ以上のごたごたには関わりたくないですね、正直なところ。。。
(保守とかにもあまり関心がない普通の若者からすると、新田先生の書き込みのどこに異常性があるのか、全く見当もつかない。。。(-o-ゞ)
尊野ジョーイ君は、若いのになかなかですね。キリスト教についての理解にも深いもを感じますよ。是非ともお励みください。
キリスト教社会では、偶像崇拝というは嚴に戒められていて、人間を崇拝することは、単に幼稚なだけでなく、崇拝する側にもされる側にも人間性を損なうものとして危険であるとされていますよね。
人間を崇拝している人は、まず信用できない人ですからそういう人からは離れたほうがいい。人間性の幾分なりとも毀損されずにはすまない。今日まで己を崇拝していたものは間違いなく明日には軽蔑か憎悪の対象にされてしまう。ここが日本人に理解できない人が多い。これは悪い伝統の一つかも知れない。西郷南州が死んだのも一つにはこれですよ。気をつけた方がいい。
先生方もどうぞご注意ください。
また思想界には魔女狩りの風習があって、欠点やら弱点を見つけては馬鹿にし貧しい自尊の念を満足させ、逆に他者を低く見ることによって自分の劣等意識の慰めるという傾向が多少なりともあるのは誠に悲しむべきことである。心配しなくても50年もすればどれが優れているかは自然と業績は確定して、後世に残るべき仕事はちゃんと受け継がれて行くであろうのに。
もう魔女刈りは止めて、出来るだけ良い仕事をしたらそこを見つけるようにしたほうが、お互いに幸せになれるだろう。その点、三島由紀夫は褒めるがうまい人だったよね。たいした作品でなくても、多少とも見込みがあれば義理堅く必ず良いところを見つけ出す人だったように思う。ここはぜひ見習って行きたいと思う。まして、三島とは比べようもない凡才の身とあってみれば。(私は三島教徒には非ずです)
ニーチェは、「事実などはない。あるのは解釈だけだ」と言ったとか。(孫引き)それからすると、西尾先生の事実と新田先生の事実が同じでないということになる。お互いいうだけ言ったら後は綺麗に身を処していただきたいと切に願います。
思想家はやはり後世著作だけなくその行動と志も問われざるを得ないと思う。倫理が低い人は綺麗事を言っても全然だめで、逆に真実が後世ずっと埋もれてしまうことはないですよ。幕末でもきら星のごとく志士というのが現れて死んでいったけれども、やはり策におぼれたりする人は最後にやられる。どんな策も赤誠には及ばずだ。
山本七平氏が、捕虜収容所の生活を描いているがその中で一番だめだった階層の人というのが描かれていて、それがインテリだったという。自分たちで自治が出来ない。その点感心したのが伝統を守る職人や芸能の人あるいは技術者などで、皆で間違いなく紳士的に自治を形成し過ごし易い社会にする。それに引き換えインテリが作るのは暴力団社会だったそうだ。これには普遍性があるそうで収容所のあちこちで見られた。
このことは、「つくる会」のずっと続いているごたごたにも本質的において関係し、示唆を与えていると思う。
藤岡先生の党歴ですが、たしかに辻褄の合わない点もありますね。
北海道の教員に友人が多いので、藤岡先生の北海道時代のことをいろいろ聞きました。
党から「右傾化」と批判されるトラブルもあったようです。
そんなに党に忠実な党員ではなかったようです(筋金入りじゃなくて安心しました)。
もう少しまとまったらここで発表します。
新田氏へ
反論する姿勢は誠実であると思いますが、もはや細かな部分について言った言わないの議論を仕掛けると、水掛け論となるだけなので、問題の本質から人の目をそらそうとする意図があるのではないかと勘ぐってしまいます。
まず最初に反論すべきところは、本題の怪文書FAXじゃないでしょうか?
鈴木氏の言うところ、八木氏とあなたが所有する「西尾・藤岡往復私信(鈴木氏の印付き)」が、西尾先生宅へFAXされたこと、の疑惑をまず晴らさないと、怪文書FAXは送ったけど他の部分は間違っているので訂正して欲しいのか、そもそもこんな脅迫行為は行っていないと言いたいのか、ぜんぜん見えてこないです。
他の部分も重要だとは思いますが、まずは、怪文書FAX(=脅迫行為)についてどうなのかを明らかにしていただきたいです。
西尾先生へ
新田均
(訂正要求4)
「つくる会」顛末記では、私どもの「声明」を指して「異質の集団の介入」と言ったり、「一つのネットワークが一つの組織に介入して、四人組をその先兵として送り込んできているのではないか」と言ったりしていますが、事実無根です。
私たちは、互いに推薦しあって理事になったわけではありません。誰が推薦したのかは知りませんが、それぞれが採択の実績や裁判での活躍、あるいは中韓の教科書批判の実績を買われて理事に推薦され、集まってみれば、昔なじみの顔があったというだけのことです。
また、私たちが日本会議や日本青年協議会の意向を受けて動いたなどという事実もありません。事実はむしろ逆で、日本会議による仲介に熱心だったのは藤岡氏の方でした。
執行部に退職を求められた宮崎氏は何人かの人々に相談したそうですが、その中には、「宮崎さんが辞めさせられるのなら、これまでのようには協力できないね」と発言した有力団体の関係者もいたとのことです。そのことを12月9日に宮崎氏は藤岡氏に率直に伝えたようですが、それは当然のことでしょう。「つくる会」には、特定の個人の信条や活動実績に共鳴して協力して下さっている有力者も多いのですから、その人が辞めさせられたりしたら、困ったことになるのは目に見えています。
事実、八木氏や宮崎氏が解任された後、彼らの個人的な関係で繋がっていた有力寄付者からは多額の寄付金の停止や返還を求められることになってしまいました。宮崎氏の立場に立てば、自分を信頼してついてきてくれた人々に対して、濡れ衣まで着せて自分を追い出そうとした不誠実な組織への支援を、それでもお願いし続けることなどできないのは当然でしょう。
それに、組織運動に少しでも関わったことのある人なら分かることですが、他団体との関係や事務の要である事務局長が、後任も決っていないの辞めたりしたら組織は大混乱に陥ってしまいます。事実、宮崎氏が停職にされていた間や辞任して後の事務の停滞や混乱には看過できないものがありました。
宮崎氏の前記の発言が意味していたのは、その程度の常識的なことに過ぎなかったのですが、この言葉から藤岡氏は「日本会議が宮崎支持に回った。自分は敵視されている」とは判断し、勝手に怯えてしまったようで、急に態度を変え、「日本会議には『つくる会』立ち上げの時には大変お世話になりました」などと話しはじめたそうです。
ちなみに、「どうしてそんなに私を辞めさせたいのですか」との問いに対する答えは、「要するに、相性かな?」というものだったと言います。藤岡氏による執拗な宮崎批判の根底がこんなものだったとは、開いた口が塞がらないのは私だけではないでしょう。
さて、藤岡氏は「摺り寄ろう」とでも思ったのでしょうか、日本会議の椛島氏に会いに行くことを八木会長に提案したそうです。そのことを八木氏から聞かされた私は「内部のゴタゴタの収拾を他団体にお願いするようなみっともないまねはやめた方がいいのではないか。日本会議にしたって迷惑だろう」と忠告しました。しかし、八木氏は「藤岡さんが熱心なんです。椛島さんに仲に立ってもらって、それで、彼が納得して円満に収まるのなら、それでもいいと思います」とのことでしたので、私はもうそれ以上言いませんでした。
後で八木氏から聞いたところでは、12月14日に椛島氏と会った時の藤岡氏は「借りてきた猫」のようで、日本会議に対する感謝の言葉を並べ立て、「分裂するようなことがあれば、協力が難しくなるので避けてほしい」との椛島氏の言葉を、まことに素直に聞いていたとのことです。そして、この会見の後で、八木氏と藤岡氏との間で、宮崎氏の停職処分を解き、事務局長に復帰させることが確認されて、さらに、帰国した西尾先生が大騒ぎしないように抑えに行く役まで、藤岡氏が買って出たと聞きました。その時は、「これでようやく解決だな。本格的な運動の総括を行って未来の展望も開けるだろう」と私は悦んだものです。
ところが、藤岡氏は西尾先生を抑えるどころか、大叱責を受けたためでしょうか、全く態度を変えて、宮崎氏や八木氏を糾弾し始めたのです。宮崎氏が「自分をやめさせれば、日本会議、日本政策研究センター、キリストの幕屋、全国の神社などの諸団体が、つくる会の支援から一斉に手を引く」などと具体的組織の名前まであげて、藤岡氏を脅迫したなどというのは、後から藤岡氏が考え出した創作にすぎません。自分が勝手に日本会議の影に怯えて、八木氏のリーダーシップにしたがってしまった惨めな姿をごまかすために、またもや宮崎氏に濡れ衣を着せて脅迫者に仕立て上げようとしたのでしょう。
藤岡氏とお付き合いの長い西尾先生ならば、彼が、時と所と相手と状況によって、言葉をすり替えたり、誰かを悪役に仕立て上げたりして、自己保身を計ることくらいはよく御存知のことだろうと思います。それなのに、どうして、彼の言葉を鵜呑みにして、「異質の集団の介入」などという虚偽を信じておしまいになったのか、私には大きな謎の一つです。
[追記 たしか西尾先生は「自己弁明のためにあっさりと他人を売る。しかもその他人は自分を守り、支えようとしている人である。信義は弁明より値が安い。自分が誰かに媚びを売るために、信義なんか糞くらえ、なのだ。藤岡氏はそういう男である」(怪メール事件(四))と書いておられましたね。]
要するに、私たちが「つくる会」の理事になったのは他団体の意思とも、互いの意思とも無関係であり、今回の問題について他団体の圧力を利用しようとした事実もありません。また、これは私のことではありませんが、宮崎氏が「俺を辞めさせたら全国の神社、全国の日本会議会員がつくる会から手を引く」と「会を脅迫する言葉を吐いた」事実もないとのことです。この点をご訂正下さい。
[追記 西尾先生は3月5日に八木氏に会われて「肝胆相照らした」時に、「[宮崎氏の事務局長復帰を宣言した]12月15日の「会長声明」を読んで、藤岡は『八木に対して殺意を覚えた』と言ったんだよ。これは仲間内では有名な話だ」と八木氏に告げたそうですが、これは本当の話でしょうか?]
だんだんと無限ループにはまっているようです。黒沢明の羅生門(芥川龍之介「藪の中」)の通り、それぞれが真実を語っているつもりでも、皆の話をつなぎあわせると複雑怪奇になるのが人の世の常です。「人は自分にだって嘘をつく」生き物です。企業社会で何年も生きて痛感するのは、内部の抗争を暴露して外部や他人に応援を求める人間にはニセモノが多い。彼らをトラブルメーカーやクレーマーと呼びます。(一人前の人間は当事者どうしで片をつけるものです。社員による企業告発などやむえないケースも一部にあるでしょうが)。
ブログのアクセスが多くなっても、それは大部分がつくる会の内紛を面白がって見ている者で、反つくる会連中やただの野次馬が集まっているだけではないですか。
高慢なことを書いて失礼ですが、新田氏の心情はコメントで理解できるし、藤岡氏についても今後も教育運動で頑張って頂きたい人だ。そろそろ-仲直りは無理でも-全員が怒りをおさめて真っ当な教育議論に戻ればどうでしょうか。
あと蛇足ですが、
[キリスト教社会では、偶像崇拝というは嚴に戒められていて、人間を崇拝することは、単に幼稚なだけでなく、崇拝する側にもされる側にも人間性を損なうものとして危険であるとされていますよね。]
その代表例、典型的例がキリスト教だろ。人間崇拝(イエスに対する崇拝)を途方もないスケールで実践しているのが当のキリスト教だよ。だから簡単に異教徒を無視し殺戮できたんだよ。日本の神社なんて可愛いもんだよ。
新田様
藤岡先生の宮崎氏に対する「要するに相性かな」という発言は、運動路線の対立ではなく、個人的な好き嫌いで人事を動かそうとしたと取れますが、そういう理解で良いのでしょうか。
だとすると、この騒動は一体なんだったんでしょうね。渡部昇一氏の著作を借用すれば、「萬犬虚に吠ゆ つくる会問題」ではないですか。
新田様へ。
事実に基づく訂正要求を目指していらっしゃると思いますが、
失礼ながら根拠が伝聞にすぎないように見受けられます。
新田さんの一連の文章には西尾さんを否定的に評価する表現がしばしば見受けられます。
根拠のシッカリした訂正要求と組み合わせた上での西尾否定であるならば、
これは読むに値すると思いますが、結果的にそうではありません。
西尾さんの誹謗が目的ではなく訂正要求が目的であると思われたいのであれば、
もっと材料を揃えた上で文章を書いていただきたいものです。
また、そもそも西尾さんに訂正を求める前に、
新田さんご自身によせられた卑怯行動の疑惑をはらす必要もありますでしょう。
そのあたりはどうお考えなのか、自分はどうも新田さんという人物の本心が分かりません。
「人事は所詮好き嫌い」と言われるものですが、更迭の理由に「相性の悪さ」があるのは内心の側面では立派な理由です。藤岡先生がそうおっしゃたのならばという前提で言えば、それは「正しい」。しかし、惜しむらくは正直過ぎて、けっして面と向かって言う言葉ではない。
人の首を斬りまくってその人たちの家族を路頭に迷わせるような嫌ぁな渡世を渡ってきたわたしとすれば、今回の人事騒動は見方によれば「稚気あふれる話」に過ぎないように思えます。
得意先から大きな鯉をもらってきた同僚の話ですが、さっそくカミさんに頼んでまな板の上で料理させたところが、さあ大変!「まな板の上の鯉」どころか、鯉が大暴れして捌きが終わった時にはカミさんが血まみれになって大息をついていたとか。
落花狼藉、風狂じて後・・・同じ釜の飯を食っていた仲間同士、この辺で血まみれの体に水をぶっかけてお互いにさっぱりと水に流したらどうでしょうか。
『月刊日本』6月号の”山崎行太郎の『月刊・文芸時評』”の最後の一節に「西尾幹二の内部告発は、きわめて文学的な行為だ」の見出しでつくる会の騒動で西尾先生を衝き動かしている”焦燥感と暗い情熱”に焦点をあてて、これを”きわめて文学的・芸術的な問題”と裁断して、先生の”蛮勇”を”貴重なものとして高く評価する”と述べています。
まことに痛快で頓首致しました。(失礼ながら)このような鋭くボルテージの高い論考は山崎さんには出色と観じました。