当日録がかねて指摘してきた産経渡辺記者の偏向報道の実態を「つくる会」公文書が詳しく分析し、明らかにしました。下欄に掲示してあります。
日録コメント欄に「あきんど」の名でよく知られる方は池田修一郎さんといって、北海道在住者で、私は手紙を交す仲になったが、まだお目にかかってはいない。
このところコメント欄に宗教と政治をめぐるテーマで「橘正史」さんと「誤認官」さんのお二人がたびたび発言している。池田さんは「橘正史」さんと個人的に知り合いだそうである。私にファクスで彼の信仰のテーマに対する反論を送ってきた。
本日はこれを掲示する。
「橘正史」さんの信仰をめぐる所論は、コメント欄の4月24日3:32、25日14:44、28日02:32、29日21:42、5月1日00:24、1日10:47、3日02:09、3日02:44、などで、それらを見ていただきたい。
もうひとりの「誤認官」さんが書いているのは信仰のテーマでは必ずしもなく、宗教と政治運動の関係に集中している。(「誤認官」さんは日本会議の事務局の方ではないかと私は推理している。)「誤認官」さんにしろ「橘正史」さんにしろ、今度の事件の発端に関する真相を知らなさすぎる。近く時間を見て私は昨年夏に遡って、私だけが知る真実のいくつかを今のうちに語り伝えておきたいので、しばし待っていただきたい。お二人の疑問に全部答える必要も義務もないが、しかし私が真相を語れば、私の考え方の出発点が少しは分ってもらえるだけでなく、この問題の見方が大きく、新たに修正されるだろう。
信仰には非合理な要素がからみ、政治と関わるときに危うい面がつねに出てくる。皇室問題は歴史知識のテーマではなく、「信仰」のテーマだと私は先に書いた(『諸君!』4月号)。それだけにきわどい面があるのが常だ。私はすべてのファナティシズムとは一線を画す。懐疑を伴わない信仰を、ファナティシズムという。
なおこうした問題の設定は私の思想上の立場の表明であって、「つくる会」の姿勢とは関係がない。教科書の制作団体がファナティックであってよいわけはないが、しかしそれは私がどうこう言うことではなく、私が立ち去った今、残された会の理事諸氏が考えるべき事柄である。
私が心配しているのは日本の保守政治のこれからの流れである。進歩的文化人や左翼リベラリズムへの敵愾心で自己を保ってきたこの潮流は、ひたすら左ばかり見ていて、知らぬ間に右のファナティシズムとの境界線を曖昧にしてきた嫌いはないだろうか。
問答無用のファナティシズムは小泉純一郎にまっ先に現れた。昨夏の劇場型選挙を人はたいしたことではないと思っているかもしれないが、あのとき〈自由と民主主義〉は間違いなく危殆に瀕した。
一度あゝいうことが起こると、人の心は次第に同じタイプの局面の変化に慣れてしまうのである。それがこわい。私はただ「つくる会」の話をしているのではないのである。
「迷い」ということ池田修一郎
岩田温氏の投稿(日録「怪メール事件」(四)4月24日付補説)は多くの識者にとって強い波となって響いた。正直私もその一人であります。
今までつくる会に対する思いは、何の迷いもないまま信奉し、そこに集まる方々を全て仲間として受け入れ、日本社会における矛盾を取り払う目的を一つにし、心を通じ合わせる事によって輪を広げていく事に、何の躊躇いもなく参加していたのが実体と言って良いでしょう。その中心に位置する西尾先生が今度、自ら会の内部の新しい危機と病根を提示し、最初はひどく衝撃を受けたのも事実です。
しかし、先生がそこまでして、つくる会の内部に矢を刺す何かがきっとあるのだろうと誰もが予測したに違いありません。
それに反応するかのように、若い岩田氏によって一つの組織の影響力の問題点が提起され、つくる会が抱えている重大な危険性が、多くの方に知られる事になりました。
当然それに対して様々な反応が起こり、新たな展開も生まれたわけですが、その反応の一つに、日本会議を仕切る中核の組織、日本青年協議会側からと思われる方面の非難は特に厳しいものとしてさまざまな意見が寄せられました。
私はつくる会にも日本会議にも全く縁のない立場でありますが、つくる会を微力ながらも日録を通じて支える気持は持ち続けてきたわけです。そうした立場の私にとっても今回の内紛は驚愕に値するわけですが、それよりも注目すべきは日本の保守層に深く関係する組織の実態を知る事の意味合いが、私には重くのし掛かったのが事実です。
組織側からの反応には様々なものがありますが、その中でたまたま私が知り合いでもある橘氏の投稿はよく知っている方であるだけに考えさせられ、注目に値すると思いました。
彼は谷口雅春師(氏とは言わず師と語る事に目を留めるべきです)の思想を噛砕くように切々と語られております。
その文中には「生長の家」の信仰を疑う事なく多くの若者達が日本の保守中道を支える為に、日頃から精神を鍛え励み、日本民族の真の在り方を問い、いかにしてこの国を守り抜くかを記しておられます。
確かに人間は視点を定め、迷う事なくその方向に突き進む事に人生の美学を見出すケースはあると思います。つくる会の発足もそうした美学が無くして有り得ないと見る事は可能かもしれません。
しかし私はある種の違和感をそこに感じないわけにはいきません。
人生の美学の追求の前に、人間ならば誰しも起こり得る「迷い」の感情というものが有るのではないか。どうしてそれを許容できずに前進できるのか。私にはその点がどうしても疑問として生じないわけにはいきません。岩田氏が組織に関わった際に感じたものは、おそらく私のそれと近いものがあるのではないかと思うわけです。
組織をまとめる際に自然発生する理念の洗脳は、突き進めば進むほど心地良さが増し、後ずさりする意識を自分自身が恐怖と捉え深みに嵌るというの実態かと思うわけです。そうした一種の危険性を回避する要素として人間は迷う余力を持ち合わせていると言えるかもしれません。それが人間の自然であり、生きる力の源なのかもしれません。
おそらく組織側にとっては、その迷いこそは逃げと断じ、時には卑怯者扱いまでして、組織の正当性を保つことも有ることは容易に予測できます。
本来志を強くするという事は、同時にそれと同等の迷いや疑念というものがあって初めて人間の感情は保たれるのではないでしょうか。橘氏は文中でハンナ・アレント女史に触れております。私は女史の著作に接したことはありませんが、西尾先生の著書に『地図のない時代』という本があり、それを読んでアレント女史の思想にわずかながら理解を示す事ができた事があります。
その時の私自身の見解と橘氏のそれとを対比しますと、どこかはっきりと食い違う点があるように思えてなりません。
橘氏はアレント女史の『革命について』を題材とされ語られていますが、私がとり上げる題材は『イェルサレムのアイヒマン』について述べられた西尾先生の見解によるものである点、多少の論点のズレはいたしかた無い事とお許しいただかなければなりませんが、しかしながら一人の思想家の本質を探る上では、題材の違いはそれほど支障を伴わないとも考えられますから、私なりの意見を上げさせていただくことに致します。
アレント女史が『イェルサレムのアイヒマン』について語ろうとしたものの骨子として、人間の迷いというものを強調する部分があります。ユダヤ人であるアイヒマンが自らナチスの手先となって同族をうらぎる背景に、人間としての弱さや個人の生き様を訴える文章が登場しますが、西尾先生はアレント女史の作品に触れ、真の意味での言葉の自由というものを感じ取られています。
実はこの話をする前に『地図のない時代』ではホーホフートという「個人の責任」を主張する作家と、アドルノという「組織による個人への主体性の剥奪」を当然と考える哲学者の論争を持ち出しております。
両者の見解は答えの出ない闇の世界に入り込む在りがちな論争であると同時に、二つとも「迷い」のない思想の典型であるわけですが、西尾先生はそうした両者の見解が極と極の衝突によるところに問題の根本があり、どちらでもない「迷い」の中に立つ強さに鍵があることを説いておられます。そしてその闇を取り払う手段として、アレント女史の作品は大きな存在であるとも語られています。
つまり「個人」と「組織」の主張の対立がいかに不毛で、無意味なものかをアレント女史の作品は追求してくれているとおっしゃっています。
ある一定の方向から人間の感情を見定める事の怖さを、私は西尾先生の本から教えられました。そしてそこには「人間がいかに迷いというものを多用しながら生きているか」が示されているわけです。迷いというのは人間にとって自由がいかに大切かということではないでしょうか。
しかしそうした見解に比べ、橘氏の論点は一種の形にこだわり、「人間とはこうあるべきだ、こうしなければならない」という拘束感を感じさせているように思うわけです。
それは時に人間にとっては必要でもあり、又生きる上で都合のよい支柱となるでしょう。しかし橘氏が言うように、人間とはそれほどスムースに方向を定められるように作られているのでしょうか。
氏は迷いというものを感じた事がないのでしょうか。いやおそらく絶対有るはずです。そして氏の場合、所属する組織においては出来有る限りその迷いを打ち消そうとしているのではないでしょうか。もしそうだとしたらば若い岩田氏をとうてい説得することはできないでしょう。岩田氏が一番申されたい点はそこなのではないでしょうか。
ですから西尾先生にとっては、今回の「日録」を拝見していると、藤岡先生の迷いこそは人間の本質の部分であり、重要な要素であるとおっしゃりたいのではないでしょうか。そうした思いやりこと、人間の正しい教えとなり、いつの時代にも残しておくべきものなのではないでしょうか。
5/10 一部訂正
新 し い 歴 史 教 科 書 を つ く る 会
つくる会FAX通信
第174号 平成18年(2006年)5月11日(木) 送信枚数 3枚
TEL 03-5800-8552 FAX 03-5804-8682 http://www.tsukurukai.com3月29日付け産経新聞報道記事の問題点
FAX通信第173号(5月2日)で、3月28日の理事会の内容を伝えた3月29日付け
産経新聞の記事が「不正確」「歪曲」などとされていることについて、会員か
らどういうことなのか説明して欲しいとの問い合わせをいただいております。
以下に、理事会終了後、会を代表して種子島会長と事務局の鈴木氏が産経新聞
記者に電話で伝えた内容と、実際に新聞に掲載された記事とを対比し、問題点
を解説します。■つくる会側の発表
3月28日の理事会は、午後8時40分に終了した。その後、理事間の和解の意味も
含めて事務局で急遽会場を用意し、懇親の場が設定された。その席で、午後9時
過ぎに、種子島会長と事務局の鈴木氏が産経新聞教科書問題取材班の記者に携
帯で電話した。まず、鈴木氏が、八木氏が副会長に任命されたことを告げたあ
と、会の新しい方針として、FAX通信第170号(3月29日)にも掲載された次
の項目を読み上げる形で伝えた。1.法務、財務、人事、教科書制度・採択制度研究について担当理事を任命し、
それぞれのプロジェクトとして早急に取り組む。さらにブロック担当理事を任命
し、支部の採択活動の支援に当たる。2.会長、副会長に担当理事を加えた執行部会を隔週開催し総会に向けた方針の
具体化に取り組む。3.執行部会で検討された内容は4月、5月、6月の理事会で逐次決定し、総会に向
けた方針とする。4.次期総会は、7月2日(日)に東京で開催する。
5.総会に向けた人事案件などについては6月の理事会で決定し、総会に提案する
以前に評議会に諮ることとする。なお、評議会は欠員補充等の人事を早急にはか
り、体制を強化する。6.前記方針を実現するために、種子島会長を中心に理事会が一丸となって取り
組む。7.前記方針の決定をみたので、藤岡、福地両理事に緊急に要請した会長補佐の
任を本日をもって解く。両理事のご尽力に感謝する。次に、種子島会長が携帯電話を取り、「つくる会は、『創業者の時代』から
『組織の時代』の第2ステージに変わらなければならない。そういう立場で新し
い方針を決めた」という趣旨のコメントをした。■3月29日付け産経新聞の報道記事 ※二重括弧を施した部分が、問題の箇所。
【見出し】
≪八木氏会長復帰へ≫/「つくる会」内紛収束
【本文】
新しい歴史教科書をつくる会は28日の理事会で、会長を解任されていた八木秀
次理事を副会長に選任した。≪7月の総会までに会長に復帰すると見られる。≫
同会の内紛は≪事実上の原状回復で≫収束に向かうことになった。
つくる会は先月27日、無許可で中国を訪問したことなどを理由に会長だった八
木氏と事務局長だった宮崎正治氏を解任。種子島経氏を会長に選任していた。
副会長だった藤岡信勝氏も執行部の責任を取って解任されたが、≪2日後に「会
長補佐」に就任していた。≫しかし、地方支部や支援団体から疑問の声が相次いだことなどから再考を決め
た。≪藤岡氏は会長補佐の職を解かれた。≫種子島会長は組織の再編などを進
めた後、≪7月に予定されている総会までに八木氏に引き継ぐと見られる。≫≪
宮崎氏の事務局復帰も検討されている。≫
≪理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された。≫種子島
会長は≪「会員の意見を聴いたところ、八木待望論が圧倒的だ。≫内紛はピン
チだったが、『創業者の時代』から第2ステージに飛躍するチャンスにしたい」
と話している。■産経報道記事の問題点
上記報道記事は、会長と事務局の正式発表の内容と会の立場を無視した問題だ
らけの内容である。以下、5つの論点にしぼって指摘する。(1)≪八木氏会長復帰へ≫(見出し)、≪7月の総会までに会長に復帰すると見
られる≫理事会では八木氏の副会長任命を決定しただけで、それ以外の決定は行
っていない。
なお、この点について付け加えておけば、種子島会長は理事会に対し「7月総会
で八木会長とする」ことを提案したが、討議の結果、それは含みとしておき、
会長は6月の理事会で決めること、「含み」の部分は対外的には一切公表しない
ことを確認した。従って、「含み」についても、理事は新聞記者に話すなどの
ことをしてはならないのは当然の義務である。しかし、理事の誰かがそれをリ
ークしたのである。そうでなければ、記者がその立場をわきまえず、特定のグ
ループと一体になっていたことの現れである。(2)≪2日後に「会長補佐」に就任していた≫ 、≪藤岡氏は会長補佐の職を解
かれた≫八木氏が会長に復帰する見通しとなった反面、藤岡氏はあたかも失脚したかの
ような書き方になっているが、そうした事実はない。もともと「会長補佐」は
会則にもない会長の相談役に過ぎないもので、2月27日の理事会が会長のみを選
出して散会したことから緊急措置として設置され、福地、藤岡の両名が任命さ
れていた。3月の理事会が八木氏を副会長に選任し、執行部が成立したので、役
目を終えて2人の補佐が退任したというのが事実である。これを、藤岡氏にだけ
言及し、あたかも権力闘争の結末であるかのように報じるのは悪意のある意図
的な書き方で、読者に誤解を与えるものだ。(3)≪宮崎氏の事務局復帰も検討されている≫
理事会ではこうした話は一切出ていない。理事会では、種子島会長が、2月28日
に会長の指示したFAX通信の内容を宮崎氏が別のものと差し替え、理事会の
投票者の実名まで公表する背信行為をおこなったことに触れ、「これは本来懲
戒免職にすべきことだが、過去の宮崎氏の会への貢献と、今後更に会に対する
攻撃をさせないという現実的判断から、宮崎氏から出されていた辞表を受理し、
円満退職の形で処理したので了解していただきたい」という趣旨の発言があっ
ただけである。本来、事務局の人事は記事にするほどのことではなく、しかも
まだ決まっていないことまで書くのは、記者のニュースバリューの感覚を疑わ
れる。
(4)≪理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された≫理事会としてこんな確認など全くしていない。そもそも、会として特定の人物
の「影響力を排除する」ことを確認することなどあり得ないことは、常識的に
判断すれば明らかである。西尾氏に関する話題は新田理事が理事会に持ち出し、
影響力排除を決議しようとまで提案したものである。これについては、「西尾
先生は正しいこともおっしゃる」、「西尾先生の発言をとめることは出来ない」
など様々な発言があり、それだけで終わったものである。もし、記事の通りの
ことを理事会として確認したとすれば、全理事がそれに拘束されることになり、
そうしたことからも、あり得ないことが理解できるだろう。(5)≪会員の意見を聴いたところ、八木待望論が圧倒的だ≫
種子島会長は、理事会直後の上記の電話取材では、このような話はしていない。
最後に、この記事の問題点を、総括的に述べておく。
第一に、3月28日の理事会決定は、会長人事ならいざ知らず、副会長人事を決め
ただけであるから、普通の感覚では15行程度のベタ記事(1段組み記事)扱いが
常識である。それを3段にまたがる大きな見出しを付け、大々的に報道したのは、
「八木会長復帰」を既成事実化しようとする記者の意図に発したものである。
新聞記者としては起こった事実を報道することに徹するべきである。報道を利
用して事実をつくり出そうとするのは、新聞という社会の公器の私物化と言っ
てよく、新聞記者のモラルとして絶対にやってはならないことである。第二に、3月29日付けの新聞記事は、前夜の9時53分に「産経web」でネット
上に配信されていた。取材から配信までが極めて短時間であり、記者は予定原
稿を準備していたと考えられる。4月3日、記者は「藤岡党籍問題」のガセネタ
を信じ込まされていたこと、謀略をしていた一味の一員であったことなどを事
実上告白していたから、新聞記者の権限を利用した上記の党派的行動は最初か
ら計画的なものであった疑いが強い。なお、一般会員の間にも数日前から、
「八木会長復帰」の情報が流れていた事実がある。第三に、つくる会としては、新聞報道がなされた3月29日の午前中に、種子島会
長、八木副会長の承認を得て、事務局から担当記者に対して正式に抗議した。
FAX通信第170号(3月29日)でも、特に上記の(3)と(4)について「明
らかに理事会の協議・決定内容ではありません」として会員に告知している。なお、4月30日の理事会で種子島会長と八木副会長が辞任したことを、産経新聞
は全く報道していない。これは、教科書問題取材班が解散したことと関係して
いる。会の「内紛」には一切介入せず、「内紛」が収まるまでは会の報道を一
切行わないという産経新聞社の方針の反映であると考えられるが、「内紛」を
書き立ててきたのが朝日新聞ではなく産経の記者であったことを考えると、こ
れはむしろ歓迎すべき方針である。周知の通り、産経新聞は「新しい歴史教科書をつくる会」の発足当初から、一
貫してこの会の試みを好意的に報道して下さった。今回、一部の記者の行動に
よってこのような事態に立ち至ったのは誠に残念でならない。しかし、会員各
位におかれては、産経新聞全体と一部の記者の行動を混同することなく、正確
な認識をお持ちいただくようお願いしたい。
5/12 追加
精神の怠惰
うろ覚えではあるが、平成元年頃の新潮45に福田恒存が以下のようなことを書いていた。
ただらつっと、そーなってしまった日本を見ていると
いやになる。「淀める水には毒ありと思え」というW.
ブレイクの至言が針のように胸を刺す日がやってこよう。
・・・日本が悪い方向へ行くのを押しとどめる手段は
もはやないように思う。
バブルの余韻が冷めぬころで皆忙しそうしていたあの頃に、なぜ、ただだらつっと、なのかちょっと不思議に思ったが、あとで思えば、要するに懐疑の心を失い、みな一様に金儲けに精出していた時代だった。
また、チェスタトン「正統とは何か」に、20世紀の最大の特徴は精神の怠惰である、とゆう文句がある。この本が書かれたのは確か第二次大戦直前の時代だったと思うが、あの危機に満ちた時代において何故精神の怠惰なのか、これも懐疑を持たず一方向へと流れる時代を言ったものであろう。
産経系の旧保守というか、雑誌の正論とか諸君とかみると、西のほうばっか向いてきゃんきゃん吼えてるという感じをもつ。これも、冷戦以前から続く、反左翼・反リベラリズムの惰性としか思えない。西尾氏もどこかで書かれていたと思うが、米国との経済戦争とか、小泉政権の左翼性とか、そういうことを見る精神の余裕もなく、惰性、精神の怠惰にはまり込んでいる、そんな感じがする。正論や諸君や産経新聞など、もぅ読んでいない。
西尾先生、あきんどさま
名指しでの書き込みですので、気は進みませんが、敢えてまた書き込みをさせていただきます。
1、申し訳ありませんが、あきんどさんとはたった一度、あるオフ会に参加させて頂いた際に、挨拶をさせて頂いただけで、どんな話をしたかも覚えておりません。それだけのことです。でも、たった一度お会いしただけなのに、気にしてくださっていることはありがたいとは思います。
2、私は、特に西尾先生にたてつこうとか、つくる会の内紛への批判とか、何にもなかったのですよ。ただ、私は、学生時代に文化会議に関った人間として、岩田氏や早瀬氏は他人とは思えないというか、後輩の後輩の後輩位かなあ、と思いながら、もし先輩であったならこうも言ったであろうか、ああも言ったであろうか、という思いで書いておりました。それだけのことで、本来なら、以前と同じように、ごくまれに、長谷川さんのご苦労をのぞいて、ああ、大変ですねえ、という程度のかかわりに留めておきたいと思っております。
3、先生はファナティシズムを否定されますが、熱意なくして何者も生まれません。吉田松陰だってファナティックでしたよ。西郷隆盛もそうでしょう。三島由紀夫だってファナティシズムは否定していません。別に、だからといって先生が否定してはいけない、ということではないのですが。私が念頭においてきたものとしては、小林秀雄氏の「様々な意匠」です。立場の表明、というのではないのですが、ものを考えるということを学んだのは小林氏からです。勿論、自分がその後継者だとか、よき生徒だとかいうのではありません。小林秀雄氏と江藤淳氏の対談で、この一点について話が食い違うのですよね。小林氏が、「君は、日本の歴史を病気というか」と言われましたが、私はあの言葉が好きなのですね。
「懐疑を伴わない信仰をファナティシズムと呼ぶ」といわれているのでしたね。幸か不幸か、私には当て嵌まりません。ヘッセの「シッダルタ」という小品をご存知でしょうか。私は、別に自分が賢いなどとは思っておりませんが、純粋に素直に信じることの出来る人々は、正直羨ましいです。
4、「迷い」が無い、と言われますが、恥ずかしながら、深刻に悩むし迷うことしばしです。苦しいですよ。でもそんなことを吹聴してまわる必要はありません。文章を書いている以上、考えに考えてこう思う、ということを提示してはいますが、ああでもない、こうでもないなんて途中のことをつらつら書くなど、読む人に失礼だ、という感覚が私にはあります。全く書かないわけではありませんので、不徹底といえば不徹底です。林房雄氏でしたか、ものを書くのは恥をかくことだ、といわれたのは。上田秋声のように、死ぬときは自分の書いたものなど全て焼却してしまいたい、と思うかも知れませんね。
5、アレント女史については、恥ずかしながら、権威には権威を、と思い、たまたま読みかけていたものの中で、思いつきで引用したまでで、真正面から言われると、ああそうですか、と答える以外にありません。恥ずかしい限りです。群盲象を撫でるのたとえではありませんが(これも仏教の説話ですね)私の理解など、象のしっぽの先っちょ位なもんです。だから私は常に「如是我聞」のように書いているつもりです。他の立場があることを否定などしていません。
6、このひとつしかない肉体を持って生きるということは、何かの立場に立つということでもあります。そこに責任が生じます。小林秀雄氏は「信じることと知ること」の中で、「知る」というのは万人が万人知ることが出来るように知ることだ、「信じる」というのは己一人のことでありその信じたところに責任を負うのだ、という意味のことを言われていました。私は、そのように「知る」ようつとめ、己の「信じる」ところに殉じたいと思います。しかし、「信じる」ということの背後にある無限の「含み」を感じ取れない方々には、単なる純粋まっすぐ君の妄信のように見えるのでしょうね。私は、そう見られることを恐れはしません。しかし、常に見返しますよ。「あなたは何を信じ、何に責任を取ろうとしているのですか」と。
7、「アイヒマン裁判」のことは色々な方が書かれていますね。アレント女史の文章は読んでいませんが、あれはカルト宗教の信者たちが「騙された」といって自分を免罪する心理に通じるものがありますね。敗戦後の一億総懺悔はまた違うかも知れませんが、知識人にはそれに近いものがあったかもしれません。個人と組織の関係という難しいテーマです。ただ、他者を殺しても自分が生き延びようとする生存本能を超えて、他者を助けるために自分の死を選ぶことが出来るのもまた人間の姿だ、と言うことが出来るでしょうね。表面上の信仰の有無などは関係ありません。大体、信じることなくして疑うことは出来ない、と小林秀雄氏が言われています。その言葉の意味を本当につかんでいるかどうか私も自信はありませんが、「迷いも悟りもしない若干のフィリステル」にはなりたくないとは常々思っております。そしてアイヒマンになるのは簡単で、信仰に生きるのは難しい。そして、その逆も又真である。
8、先生の言われる保守の中にもさまざまな潮流があることについては、もう何十年も前から判っていることです。私がなぜ三島由紀夫氏の文章を最初に引用したのかをもう一度読み返して頂ければ、あるいは申し上げたいことが解っていただけるかも知れません。本当は、何も言いたくなかったのですよ。誹謗中傷もデタラメも黙っていたっていいんです。しかし、つい書いてしまったのが運の尽き。こうして又、その書いた文言を捉えて色々と忖度され、批判される。文章を書くということは、つくづく恥をかくということですね。
9、「誤認官」さんが、どういうつもりで書かれているのかは知りませんが、書かれている内容からしても彼は国史研のOBなのでしょう。許せないという気持ちは、よくわかります。彼にとっては、「ある組織」というよりももっと身近なものであるはずです。先人の積み重ねを大切にするのが保守だとすれば、少なくともこのサークルに関して岩田氏は保守主義者ではなかったということです。それは誤解の余地がありません。
10、「背私向公」という言葉があります。聖徳太子の言葉です。戦時中、「滅私奉公」と言われましたが、人間の現実に即した言葉ではありませんでした。「私に背きて公に向かう」のが人間の本当の姿だ、として軍部や政府に対してその硬直した思想を厳しく指摘したのが、国民文化研究会の前身である日本学生協会の方々でした。現在の学生と戦前戦中の学生は比べ物にならないほど人間としての中身に懸隔があるように思います。戦歿学徒の遺書をひもとく時につねにそれを感じます。自然に頭が下がるという心情になれるということ、それは頭でっかちで人の心が解らない人には無理なことなのでしょうね。今はそんな人ばっかりになってしまってるのでしょう。
11、私が谷口氏のことを「師」と書いていたのは、三島由紀夫氏の文章の中で一貫して「師」と書かれていたので、そのまま使っていたのであって、敢えて区別していたのではありません。宗教者に対してだからこれでいいのかな、という程度の心持で書いておりました。勿論、尊敬の念はありますが、文章表現としてあきんどさまが気になさるほどのことではありません。そこに私の「無意識」を読み取られても、私には何の関係もないことです。
12、この間「他人を見下す若者たち」という新書を読みました。「仮想的有能感」というものをはじめて知りましたが、なるほどそうなのかな、と思われました。
思いつくままに、本当に、余計なことと思いながら、恥知らずにもまた書いてしまいました。
>左ばかり見ていたが右のファシズムとの境界線を曖昧にしてきた。
小泉首相を実は左だと論評されてましたが、首相は右も左も何もない政治的定見はない人で靖国神社参拝にも行くが平気で皇室典範改正もやる。痛し痒しの中立的人です。右の激しい人といえば小林のりしん氏で、氏がアメリカを叩いた時、西尾先生が反対されたのは左と戦わなければならない段階での二正面作戦を避けるためと理解していました。先生は今度の郵政の問題でアメリカを討った。さらに右のファシズムを叩くとなると戦線が拡大し過ぎるのではないでしょうか。但し、わたしにはファシズムかどうか判断できる証拠の知識はありませんが。中国は国共合策で日本に対抗した。日本の国益と主権を犯している勢力は国内外あちこちにいる。合策も必要な時ではないでしょうか。
西尾先生へ
新田均
(訂正要求5)
先生は、一月十六日の理事会で「新田理事は『西尾名誉会長はいかなる資格があってこの場にいるのか。理事ではないではないか』と紋切り型の追及口調で言いました」と書いておられますが、このような事実は存在しません。執行部が出してきた文書について私が質していた時に、「あなたの発言は失礼だ」と言った西尾先生に対して、「文書に名前を連ねていない先生に失礼だと言われる理由が分かりません」と言っただけです。ここには明確な事実の歪曲があります。その歪曲が単なる聞き違いではなく、私を貶めようとする意図に裏打ちされているのだとしたら、事態はもっと悪質です。訂正を求めます。
先生の日録を読ませていただいて、結局、先生はこれまでの人生の中で、面子や利害やイデオロギーを越えて、自らを疑い、体験によって自分の思索を深め、社会正義を実現したいと考える自立した個人に出会うことが出来なかったのではないか、と残念に思いました。先生が、私たちの行動に「薄気味悪さ」を感じられたのだとしたら、それは自立した個人が正義感に基づて覚悟ある行動をとり、それが自然に一致するなどということを信じる用意が先生の側になかったためだと思います。宗教イデオロギーにとりつかれた組織のロボットたちとでも解釈して納得しなければ、自らの世界観が崩壊してしまうような不安が先生を襲ったのかもしれません。
[追記 西尾先生作・西尾劇場(激情?)「余りにも悲しい物語」(別名「怪メール事件」)の感想を最後に記させていただきます。
西尾先生は、「つくる会」の理事諸氏を指して「余りに彼らは孤独に耐える力がない」とおっしゃっておられますが、私が見るところ、最も孤独に弱いのは西尾先生御自身ではないかと思います。自らの影響力の衰えに対する不安と焦燥、「忘れられるくらいなら、嫌われたほうがましだ」というのが、先生を突き動かした衝動だったのではないでしょうか。そして、その思惑は今のところ「大成功」のように見えます。しかし、その破壊力によって、結局は、御自身の栄光を未来に語り継いでくれるはずだった人々まで、みんな吹き飛ばしてしまったのではないか、そんな憂いを抱いているのは私だけなのでしょうか。]
ー「西尾先生への訂正要求」了ー
〈補足〉
西尾先生のいう「怪メール事件」についてのお尋ねがありましたので、簡単にお答えしておきます。私は怪文書などというものを作成も、発信もしておりません。藤岡氏から文書でお尋ねがあった時に、次のようにお答えしました、
「無名または変名で根拠のない怪文書を送ったり、本人のいないところで悪評を流したり、手先を使って扇動したり、という卑怯な手法は貴方たちの手法で、私の手法ではありません。私の流儀は、個人の責任で、自分の名を名乗って、根拠を示し、本人の面前で、あるいは名指しで批判するというものです。」
私が「コンピューター問題」を重視するのは、「怪メール事件」をごまかすためではありません。また、この問題は「言った、言わない」などという些細な問題でもありません。この問題が重大な理由は以下の四点です。
①.この問題が私たちが西尾・藤岡両氏と対立することになった直接の原因であったこと。
②.この問題は、1000万円の被害という巨大な虚偽が宣伝され、そのために宮崎氏に対して「出勤停止」という具体的処分が下された上に、降格・減給処分までが提示され、さらには西尾・藤岡両氏らの口を通じて広く会員に喧伝されました。ここには本来の被害が不明の「怪メール事件」(世間に喧伝したのは西尾・藤岡両氏)などとは比較にならない名誉毀損であること。
③.具体的被害についての究明は行わず、そのイメージだけを誇大に宣伝して、特定の人を攻撃し、貶めるという手法は「コンピューター問題」と「怪メール事件」に共通するものであり、「怪メール事件」なるものの本質を理解するためには「コンピューター問題」の真相を明らかにすることが不可欠であると考えられること。
④.むしろ、「怪メール事件」の方こそ、「コンピューター問題」とそれに続く虚偽や暴言や圧力や陰謀を覆い隠す煙幕ではないかと考えられること。
なお、私は今回の「つくる会」騒動について、純粋な会員の皆さんに対して大変申し訳なく感じておりますが、それが無意味な「内紛」だったとは考えておりません。むしろ、これからの保守運動の未来を考える上で、貴重な教訓を多く含んだ出来事だったのではないかと感じています。それについは、私たちが立ち上げたブログ「つくる会の体質を正す会」(http://tadasukai.blog58.fc2.com/)で語ることにいたします。
ただし、西尾先生や藤岡先生を信仰されている皆さんには「目の毒」だと思いますので、御覧にならないことをお勧めします。
新田均さん
他人のブログに、これだけ書き込みをさせて貰ったのですから、西尾さんの寛大さに謝辞を述べて立ち去るのが普通でしょう。謝辞どころか捨てゼリフですか・・相当の不作法ですネ。
かつては(短期間であったが)個人的な交流もあり、また、酒の席に同伴した体験もある私としては、新田先生のご指摘に対して、思い当たるフシがありすぎてどうしよう?という状態です。。。(-”-)
せめて、何も語らないでいることが、クリスチャンとしての「慈悲」であるかと心得ます。。。(-_-)
ただ一つだけ、民俗学者の大月隆寛さんを追放した時もそうですが(事務局長だったな(苦笑))、「思想だけ」を物差しにして、人の選り好みをするのはあまり上手い方法であるとは思えません。。。
西尾先生の師匠(筋?)である福田恒在先生は、自分は人の好悪の判断は「顔」で決めていて、それで実際に付き合ってみて、その判断は常に正しかったと語っておられます。。。(『私の幸福論』参照)
福田先生の持論であり真言であると思いますが、「顔つき」にその人の「人格」が「全て」現れているのであり、その「人格」で判断すれば人物眼を間違えることはないということですね。。。
力量不足というのは、相手の人格を見抜く力が最初からなかったということであり、それがあればもともと混乱自体も起きなかったのではないでしょうか。。。
ちなみに、つくる会設立当初、大月さんについて、「あいつは信用できるのか?」と言った理事か誰かがいたそうですが、私は「会って顔を見りゃ判るだろ? あるいは、発表している雑文の1つ2つに目を通せば、だいたいどんな人間であるかくらい判らないのか?」と怪訝に思いましたね。。。
ところで、私が新田先生を「先生」とお呼びしているのは!(^▽^)、個人的に面識はないのですが(「専門」も違うし)、つくる会が発行している「史」の巻頭発言に共感したという経緯があったからです。。。
そこで、新田先生は、自分は地元で、実名を出して教科書改善運動を行っているが(世間からは白い目で見られるのにも関わらず)、つくる会の集まりで、嬉々として自分の「歴史認識」を語っている参加者を見かけるが、こんな場所で偉そうに語るヒマがあるなら、地元で名前を出して活動してみたらどうなんだ?というような内容を語っていました。。。(「善意」による記憶違いはあるかもしれない(笑))
私は大いに共感して、思わず賛同する手紙を書こうかと思ったほどでした。。。(^皿^)
私もね、実家でね、国旗掲揚したり、あるいは大声で軍歌を歌ったりしてね、近所の人間が急によそよそしくなったなんて体験をしていたものですから。。。
軍歌でなくても、大声で歌うのは単純に「近所迷惑」であることに気が付いて、これは自粛していますが(苦笑)、祭日に国旗はずっと掲揚しています。。。(ところで、つくる会の支持者なら、「当然」自宅で国旗を掲揚されていますよね?)←近所に憚って国旗も掲揚できないようでは、国直しの実現は覚束ないかと思われます
それとですね、「保守論壇」が左に向きすぎていたからおかしくなったのでなく、戦前から間違いは始まっていて、軍部の悪口を言えば自己正当化される、自分はもういっぱしの知識人であると勘違いしていた連中がいたのが、そもそものおかしくなる元凶だったのです。。。
これは、福田恒在全集の最初の論考の冒頭で語っていることです。。。
福田恒在先生ご自身が、自分もそうだった、軍部批判だけしていっぱしの人間になったつもりでいたが、それは甘い考えだったと反省する弁を述べています(福田恒在全集第1巻「近代日本文学の系譜」参照)
私は、福田先生(間違っても「和也」ではない!)の全集を読んだ時に、この冒頭の言葉が最も印象的というか、軽い衝撃を受けました。。。
ここまで鋭い自己批判をしている人間にお目にかかったことがなかったからです。
そして、他にここまで自己批判した人間はいないということは、戦後の保守論壇自体が、軍部の悪口を言って優越感を持つという、まあ、かなり奢り高ぶった誤った認識から始まっていたのですね。。。(だから、その後、左だけ見て優越感に浸る怠惰に至るのも当然の帰結でしょう)
ここまで鋭い自己批判(哲学的には「自分を疑う」ですか?)が出来たからこそ、福田先生は「戦後最大の評論家(思想家?)」としての名声を得ることになったのだと思います。。。
「福田先生の最大のライヴァル(?)」と言われている故・林健太郎氏でさえ、自己批判の甘さに気が付いていませんでした。。。(だから、安易な戦前の軍部批判や、日本は朝鮮を侵略したとかの発言が出てくるのです)←日本の歴史を否定するつもりはなく、軍部がやったことは何でも悪いと言いたかったのでしょう。。。そして、その時の自分は絶対的に正しいという「心の奢り」があったのだと思います
他者の悪口を言って自己正当化する愚を避ける、そんなことは、福田恒在先生の全集のいっちばん最初に出てくる言葉なんだから、「保守」を名乗る人間なら誰でも、当然、弁えておくべき教訓だと思うのだが、結局、誰も先生の貴重な発言の意味が判っていないのはどういうことなの?
(やれやれ、これじゃ話にならないよって思っちゃうんですけどね、それでも私の発言は「生意気」なんでしょうか?)←戦前から(福田先生以外は)誰も気が付かなかったんだから仕方ないのか?
私は数年前から「つくる会」会員の主婦です。会合に出たことはありませんが署名集めはさせていただきましたし、「国民の歴史」に感動させていただきました。「史」も毎回大切に読ませていただいてました。会長、理事の方々を「純粋に」尊敬申し上げておりました。ところが、西尾先生が会を離れることのいきさつの文をここで読んで、まず会に対してそれから西尾先生に対して不信感を持ちました。しばらくぶりに今日ここへ来て、新田先生の文に触れ少し救われたような気持です。無意味な内紛だと考えたくありません。今朝の新田先生のご意見に触発されてつい投稿しようという気になってしまいました。
あきんどさん、こんにちは。Ozekiと申します。
あきんどさんは、我ながらまぬけな言い方になってしまいますが、やはり商人の方なんですよね。ひとりの商人の方がこれだけの本を読んでおられる。正直、あなたが書いているのを読むと、内容は別として、どういうわけか氷川清話に出てくる渋田利右エ門さんを思い描いてしてしまう。だから正直、あなたの書いた内容は氣にしていない。
私も物づくりの商人なのですが、農民の出のゆえ、たぶんあなたほど上手な商人ではない。それでも、商売の上手下手は別としてこうして商人の私たちが意見を述べられるというのは、インターネットの時代だからとは言え、すばらしいことではないだろうか。
渋田利右エ門があの世から見たら、この姿を何と見るだろうか?あなたの書き込んだ内容については、私にはもはや難しすぎてまったく理解できない領域に入ってしまったけれども、それを想像すると樂しくなる。
ともあれ、そういう意味で長谷川様には謹んで感謝申し上げる。必ずしも西尾先生に対して有利とも思えない発言に対して、十全な環境を提供したのは、もちろん西尾先生の度量があったればこそであるが、長谷川樣、あなたは歴史的に充分誇るべき偉大なことをしたと私は証言したい。だれが認めなくても。(私が褒めたからと言って、あなたの謙遜がこの記述を消さないように願う)
池田氏の「迷い」に関する論考は基本的に正論であると思います。しかし、それを日本会議なり谷口雅春氏を崇拝することに対してのみ「迷い」を抱くことを求めるのは間違っています。
そもそも新しい歴史教科書を作る会、保守派・右派政治思想運動、いや、自らが政治思想を語ることそのものについて「迷い」を抱くべきでしょう。
そういう「迷い」があってこそ、はじめて人は、自らが正義であり自らがすべて正しいという独善的政治思想運動に陥ることを防ぐことができるのです。これは保守派・右派だけではない。あらゆる政治思想運動に共通した問題だと思います。
岩田氏は確かに日本会議、谷口雅春氏に対して疑いの念を抱いている。しかし自らの主催する組織、政治思想運動に対してはひとつの「迷い」もない。自分達こそが正義であると思っている。それは結局、日本会議、谷口雅春氏を信奉する人と変わりが無いのではないでしょう。しかも日本会議メンバー、谷口雅春氏を信奉している人達の方が現時点では多いでしょうから、こちら側の人が常に「迷い」を感じている人がいる可能性が高い。
もっとも岩田氏はまだ若い。今まさに自分自身そのものに対して「迷い」を抱いているかもしれないし一度は政治思想の道に入る以上是非「迷う」べきでしょう。
池田氏はハンナ・アレントを引用しているが本当にハンナ・アレントの言説を理解しているのでしょうか?岩田氏が唐突にエドマンド・バークを引用した時にも違和感を感じましたが池田氏の引用の方がよほど違和感を感じた、いや、間違った引用であると感じます。既存の著名な思想家の言葉で自己の言説の正当化を図ってはならない。物を語るにはあくまでも自分自身の言葉で語るべきでしょう。もし、その著名な思想家をなんとも思っていない人にとっては、何の説得力も無い行為にしか過ぎないわけですから。
>Ozekiさま
評価していただき、大変嬉しく思いました。
実は、迷い、後悔し、混乱ばかりする毎日だったりします。
西尾先生の御著書に触れるたびにいつも感じますのは、「激しさ」と「安心感」です。
ニーチェ・マキャベリ、韓非子を知りました。(と申しましても、ほんのさわりのところを知ったと言うことです)
いずれも一緒に過ごしたなら、こちらが気が狂うかもしれないと思えるような個性的な男たちです。
西尾先生の激しさにもこの男たちと同じようなものを感じますが、先生は今を生きておられる存在、私の感覚(目と耳の2つですが)を通っての先生は、もし私が気が狂っても、最後まで看てくれる男であるだろうと・・・。
これは「安心感」です。
先生は常に大きな課題に向けてお言葉を発しておられます。
「国を潰してなるものか」
「我家を(家族を)潰してなるものか」
「自分を潰してなるものか」
と戦いを挑んで来られた様に思います。
先生の魅力は、まず個人、西尾幹二個人の考え方がズバーと、私のような一主婦にも心に響き、分かりやすいと言うことです。私にとって、この日録を読む、コメントを読む行為は辞書を片手にしてでも楽しい事なのです。
いろいろわかった時の喜びは・・・本当に嬉しいです。
「西尾先生こそ孤独に弱いのでしょう」と言う人がいますが、先生も孤独に弱いのかもしれませんが、それを乗り越えての孤軍奮闘の日々をお過ごしの先生には、『「大きな理性」が「私を」働かせ、何かをさせるのである』のように、考える前に体が前に出て行くのを止めれないものを感じます。
沢山の人たちと袂を分かつ結果になったとしても、先生の中には、ご自分の達成感や、その行動の結果、意を同じくする人達が知らぬ間に集待っていることに喜びを感じて来られたのだと思います。
「・・・純粋な会員の皆さんに申し訳なく・・・」の文章は、会員の皆さん貴方方は純粋なのですよ!と少しばかり褒めていらっしゃる言葉です。
ご自分のブログでない場所に、捨て台詞まがいの言葉を残す品性のない方もこの世におられます。
西尾先生対何? 分かっておりましたが本日、正体がはっきり致しました。
新田氏をブレーンとする「作る会の体質を正す会」ということです。
私はどこの会にも所属してない者故、ちんぷんかんぷんのことが沢山ありました。会長人事で、どうして藤岡先生が会長になられないのかしら?と。ご活躍は目覚しいものを感じておりました。ははぁ~ん、とこの度よ~く分かりました。
後継ぎの長男の性格が少し支離滅裂気味、美男子故の弱さを持つ次男が後を継いだが、外から来た番頭さんとそのお友達にそそのかされ、拉致されたと同じ状態のまま。次男坊いまどこに?
私は今、新ゴーマニズム宣言 第3巻の36章『「史ニストのお歴々」文部大臣に会う』のページ149の西尾先生のギラギラ輝いているお顔を再拝見し、長男も次男坊ももう一度オヤジにぶつかって行って欲しいと考える次第ですが、時間と言うものは人を遠いところに連れて行くものなのかもしれませんね。
西尾先生を応援します。
新田前理事の文章を一読し、「つくる会」の末端の、饒舌よりも行動を重んずる平凡な一会員として所感を申し上げます。
人間は立場によってものを考え、ものを感じる存在であり、ましてや西尾先生から厳しく論難され、激しく指弾された八木元会長や新田前理事達のお立場からすれば、とてものこと承伏できず、反論し逆襲に出たい言い分や論拠も多々あり心情も山々でありましょう。畢竟、「因果の論理」の応酬において、それは尽きるところなく際限がないものと思われます。
しかしながら、御両者を「品格の次元」と云う観点から見比べると、そこには雲泥の差があるものと感じます。御両者の対立の構図は、思想家としての立場から「つくる会」の理念と志操を守るべく「目的のためにも手段を選ぶべき」ことを標榜して譲らなかった「創立者」と、政治的な企図から「つくる会」において主導権を確保し、かつ、人脈(旧友)を擁護すべく「目的のためには権謀術数も駆使する」こと憚らなかった「後継者とその徒党」の間の葛藤であったものと思われます。
そして、後者は自ら掘った墓穴故に、八木元会長は屈辱と挫折に苦悶されつつ、新田前理事達は激しい憤懣と怨念を胸に、退会を余儀なくされたものと思われます。また、西尾先生もその志操故に、再び「つくる会」に復帰されることはないものと承知致します。悲痛の極みと云わざるを得ません。
向後、西尾先生には、保守思想界の重鎮として、大所高所から、敗戦後還暦を経てなお崩壊しながら漂流する吾が国が向かうべき方向を明示していただきたく、また、八木教授には、この挫折を天与の試練として受け止められ、人間として一回りも二回りも成長され、次代の保守思想家の雄として大成していただきたく、そして、新田教授におかれても、鉾を納めて自らの言動を深く内省せられ、その憂国の熱意と才気を更に錬磨され、保守思想界において所を得て応分の御活躍をいただきたく、切望申し上げるところです。
布袋和尚さんのコメントは感動しました。まったくその通りだと思います。八木さん,新田さん等はもうここらで観念されたらよいと思います。言い分はいろいろあるとは思いますが,やはり西尾先生とは格が違いすぎる(失礼とは思いますが)というのが正直な感想です。
それにしても藤岡氏は何を考えているのでしょうか。私には不気味な存在です。今後つくる会は藤岡独壇場になるのでしょうか。ブログを立ち上げてすぐ「コメント欄に特定個人の誹謗・中傷に当たる書き込みが見られるようになりました」と言ってコメント欄を廃止しましたが,ここで言う特定個人というのはご自分のことでしょう。自分の悪口は読みたくないと言うことですか。今回の内紛であの人は漁夫の利を得たように見えます。
西尾さん、藤岡さん、八木さん 皆さん、良い面は色々分かるのですが、負の面がまだ確定しません。西尾さんが一番、正直なようです。ですから、負の面は(決して小さいものではないが)もうこれ以上露出することは無いでしょう。藤岡さんの負の面は今回、西尾さん等が暴露されましたが、それがどの程度、認知されるかは、今後の藤岡さんの対応如何でしょう。一番不確定要素が高い、つまり落ち込めばどこまで落ち込むか分からないほど深い可能性があります。(新田さん等による反撃の進展によれば、民主党の前原さんの二の舞になりかねません)八木さんの負の面は今回始めて西尾さん等により暴露されましたが、これは西尾さんの誤解や思い込みによるものも少なくない(また確たる証拠がある訳でもない)ようなので、大して大きくならないような気がします。なにしろ、桃太郎のような童顔が幸いしています。要するに根は深くない。今後まだ当分紆余曲折はあるだろうが、このお三方の影響力はどんどん低下していくと思います。また「つくる会」自体の影響力も。3年後など、参戦するかどうかもあやしいと思います。(産経や扶桑社も迷いに迷うでしょう)すると、一挙に崩壊・分裂して、霧散するか、いくつかの運動に分裂するかも知れません。教科書やその採択の運動は見直されることでしょう。
なにが負の面か。それならあなたは聖人君子か神様仏様か。日本人の教科書が自爆して、手を打って喜んでいるのはチャイナ・コリアとその手先だ。
ここに掲載された「つくる会FAX通信」を見て会の崩壊を確信した。怨念と自己正当化に満ちたこの文書。藤岡氏が権力を握るとこうなるのですね。チェック役がいない。
西尾先生はなぜ八木氏と一緒に藤岡氏も潰してしまわなかったのか。今のつくる会は純粋近代保守のつくる会とはいえないですよ。
この度の騒動を日録のつくる会顛末記以降から拝読致しておりますと、一貫して先生の思想家としての信念に基づいた行動を、あくまでも自己の思想に忠実たらんとする姿勢に敬服致しました。
新田先生は、いろいろな謀略が西尾・藤岡先生側にあるとおしゃっておられるようですが、賢い人は、すぐばれるようなつじつまの合わない嘘はつかないと思います。
言論人として、嘘を書きたてるような事を、今までの西尾先生の業績をフイにするような事を果たしてなさるでしょうか。
八木、新田先生より失うものは大きいです。八木・新田先生に比べて先生には挽回の時間が短いです。謀略までして、八木・新田先生を追出す事にどれだけの利があるのでしょう。
そんな浅はかな事を、思慮深い先生が一体なさるでしょうか。
日録4月2日の日録に「心機一転して『桜の咲く少し前」を書いてバカバカしい事から離れたいと思っているのに後から後から追いかけてくる。」と書かれており西尾先生のつくる会の騒動に対する苦悩が読み取れます。
先生は思想に遊ぶただの書斎人ではないのだと思います。
言行一致、理想と現実の差異を一身に引き受けておられるのだと思いました。
一歩間違えば、思想家・西尾幹二の名声を失うかもしれないのに、身を呈してつくる会の創設時の理念からの組織の変質を訴えているのではないか。この騒動は、戦後日本の60年の間に溜まった垢、今や悪弊な官僚機構の構造改革が不可欠なように、つくる会にも必要な改革なのかもしれないと想像致しております。
欺瞞に満ちた小泉政権の構造改革は中途半端に終わりそうですが、西尾幹二の行う構造改革は、真直ぐに斬り込み誤魔化しのないハードランディングなのでしょう。
そのためには、あえて孤独も辞さず、西尾先生自ら問うのは信念があったか否か。考え抜いて自問自答しながら信念を強くしておられるからこそ、孤独を耐え抜く力がお有りなのではないでしょうか。
先生の信念を曲げることなく孤独に耐え抜いておられる姿を、この度の騒動で初めて日録を通して垣間見させて戴きました。
長谷川様、そのような生の先生の戦いに接する機会を作って頂き有難うございます。
私には、先生の本気が生で伝わってまいります。
その女ソルベさんと同じく、私も西尾先生を応援致しております。
西尾先生は「つくる会の膿を出す」とおっしゃって今回の事態になりましたけど、人材がいなくなってしまいましたね。
藤岡先生を会長にして本当にいいのでしょうか?
解散したほうがいいのでは?
西尾先生、一般人の天皇に対する思いと絶対天皇制的世界観を持つ人の思いを混同してはいけないような気がします。
日本国憲法は天皇制を象徴と規定していますが、この象徴の文言の意味するものは何か多くの憲法解釈学者が取り組んでいますが、天皇制廃止論者以外は、結局、大日本帝国憲法下の天皇制ー統治権(控除説)に落ち着きます。統治権の無い天皇に対する多数の国民の支持は何かといえば、アイドルスターに対する憧れ以上特定宗教に対する信仰未満の、精神に対する拘束力の極めて弱く教義化されていない緩やかな信仰としか説明しようがありません。それを警戒してか、共産党系一部憲法学者は、何とか控除説を克服しようと日々努力されているようです。
私は皇室典範改訂問題については、既に組織化された既存宗教団体、右翼のファナティシズムは問題無いと思います。既存宗教団体、右翼にはファナティシズムを発露するための儀式・装置、集団を何らかの形でもっております。ところが一般人にはそれがないので、強引な皇室典範改悪は、国民的な予期しえぬ大規模なファナティシズムを発生させる恐れがあります。
保守派・右派の中でどの特定宗教団体や政治思想組織がどのくらいのファナティシズムを有しているのかはあくまでも噂、憶測といったレベルではありますが既に社会的になんとなく知られているものです。こちらを警戒すること、分析することは、あまり意味が無い行為のように思われます。
。。今回の一連の騒動を拝見していますと、要するに其の大小に拘らず組織の上に立つ者の常日頃の心構えの在り様に拠って、世間が平時平穏の時はいざ知らず、現況の如く日本を取り巻く近辺が騒々しく否応無く日本国民を刺激せずに置かない又、この先益々この波は激しさを増すと思われる現状では、其の組織を大きく撹乱する事にもなるのでしょう。
西尾先生は、其の著に於いて「自己愛、知性」について、「自己愛を否定もしない。しかし人間が安易に自己愛を克服した如く装う事は、知性の敗北である。この自己愛と正面から向き合い、日々真剣勝負をする行為、行動が知性である。」と看破されています。
自己愛、私利私欲。何とも厄介なもの。人間が持って産まれた、否定仕様にも又ぞろ現れる、其れ故先生は否定もしないと云われ、日々此れと真剣勝負をすると云われる。
吉田松陰も処刑前夜に書いた「留魂録」に、高杉晋作の問い、「男子の死ぬべき処は如何に」に対し、自分もこの事を投獄以来考え続けきたが今に至って死の一字に就いて発見する所があったとして最後に「人間と謂う者は、生死を度外視して要するに成す心構えこそが大切なのだ」と言っています。
古今東西を問わず、一流と謂われる人物は此の事、所謂自己愛(自分自身)との真剣勝負を続け己を磨き続けられたのでしょう。生長の家の谷口先生、幕やの手島先生に於いても同様と拝察します。
西尾先生も如り、自分自身に非常に厳しい先生です。でなければ切っ先鋭い言説評論等表れえません。自分自身、自己愛との真剣勝負を続け又、実践されておられると確信します。故に、自分に続く者に対しても又、厳しく在らざるを得ないので有ります。自分に続く者に対し厳しくないという事は、其の者を同士と見ていないか、自己愛との真剣勝負を放棄した事になるからです。これぞ日本の保守本流です。
我が国体の真髄、三種の神器、鏡は無私、勾玉は慈悲、剣は智慧、と各々の本源と解されています。
剣は智慧の本源、剣は人も切るが己をも切る、此れと正面から向き合い日々真剣勝負又、日常の事を学問として行動する、そこからしか真の智慧は生れない。
今の我が国の問題の本源も此処にあるように思われます。今回先生が特に厳しくあられるのも、戦後のこの我が国の知性の在り様に対するからである様に察せられます。
願わくば、先生に続く諸兄の益々の御研鑚を切に希望します。
和而不同。付和雷同は知性の敗北です。
海外在住の一「つくる会」賛同者又、西尾先生のファンより。
>ペシミストさま
FAX通信の具体的にどの個所かどのように怨念に満ちていると判断なさるのかをお書きください。単なるレッテル貼りのコメントは以後御断りします。
>皆さま
他人を不愉快にすることが目的であるHN、
罵倒のみで、具体的な根拠をしめさないコメントも御断りしています。ご理解ください。
>レベッカさま
以前より、暖かく見守ってくださり有難うございます。
布袋和尚さん パチパチパチ。
私のような弱い人間は自己規制として「投稿はしばしば自分自身の鏡であり、自分がこうなって欲しいという心の奥にある願望を自覚しないちいけない」という内心ルールから見ると布袋和尚さんの投稿を歪んでみているかもしれませんが、まあ心はすっきりしました。
別サイトで書かれたものをこのサイトで批判するのは私の流儀ではないのですが、新田プログと西尾プログの両方のサイトに投稿するのもいやですから、今回は勘弁してもらいまして。
新田先生の意見を読んでいて感じたことは、色々な方がお書きのこと以外でいうと「新田先生の基準は世の中の摩擦を出来るだけ少なくして、場合によっては主義主張を変更してもいい」という如何にも日本的なものが中心軸にあるように感じました。それに対して「思想家としての主義主張は曲げてはならない」という西尾先生の主張が一致するわけがありません。
宗教の問題でも近代宗教が正しくて古い宗教が正しくはないと西尾先生が書くわけがないから、ここでも新田先生に妙な誤解があるのじゃないかと思ったりしています。
私の自分の仕事、事務処理の日常作業の効率化という仕事では社長や役員の指示納期や目的には従いますが、方針レベルのことでは抵抗する場合もあります。過去の例で見ているとやはり曲げた場合は「あああのときもっと抵抗すればよかった。社長や役員のメンツも大事だが、会社の業績を上げるほうが大事なんだからもっと抵抗してきっとわかってくれると信じてあげたほうがよかったな」ということが実際には多いのです。
考えてみれば当たり前の話であって、私の仕事は論理ステップで数百万になる業務システムの機械化ですから、社長や役員であっても薄ぼんやりとわかっているつもりになっているだけで、実は無知の自覚がないのです。
中国への対応でも政治家の影響を受けたためか、新田先生のやりかたはある意味で日本的であり、海千山千の自己中心的で利己的でえげつない文化を持った欧米や中国への対応が出来るのだろうかと不安を感じるものがありました。
機械計算課長様へ。
自分も新田さんの一連の投稿について同じ印象(摩擦を出来るだけ少なく)を持ちました。
しかしそれが新田さんの無意識的な信念なのか、あるいは読者を味方にとりこみ、
西尾さんを「日本的な和を乱す異端」として指弾追放するための計算であるのか、
自分には判断がつきませんでした。
(連続投稿ですみません)
新田さんご自身の文章によれば、新田さんは会議で西尾さんに面と向かってかなりキツイことをおっしゃってらっしゃいます。
西尾を沈黙させ排除する目的は、会話の礼儀作法に優越するとの態度です。
新田さんはその発言について、なんらはばかる様子がおありでない。
そこで自分は、新田さんにはアプレゲエル的な性格があると思います。
しかし新田さんの言わせると、和を乱すのは西尾さんであるということらしいのです。
これはもうわけが分かりません。
伝統的日本人の顔と合理的近代人の顔を都合良く使い分けていらっしゃるのでしょうか。