非公開:『GHQ焚書図書開封』への論評

 今のところ三篇の論評がなされている。

 二つは産経新聞、一つはWiLL8月号である。

 産経新聞は6月21日の石川水穂氏、27日の力石幸一氏のご論評である。前者は書評ではなく、この本の第一章の提出した戦後史の闇を切り拓く発見の解説である。後者は書評である。以下にこの二篇を掲げる。

 WiLL8月号は堤尭氏による書評である。このほうは雑誌が次の9月号になってからでないと掲示できない。

 ご論評くださった三氏に御礼申し上げる。

【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 GHQ焚書の一端明るみに
2008年06月21日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 ≪3人の学者が関与≫

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が戦前・戦中の日本の書物を没収した「焚書(ふんしょ)」に日本の著名な3人の学者がかかわっていたことが、評論家の西尾幹二氏の研究で明らかになり、今月17日に発売された西尾氏の著書「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)にその研究結果が詳しく書かれている。

 3人は、刑法学者の牧野英一氏と社会学者の尾高邦雄氏、倫理学者の金子武蔵氏である。

 西尾氏が3人の名前を見つけたのは、帝国図書館(国立国会図書館の前身)の館長を務めた岡田温(ならう)氏が「終戦直後図書館界大変動期の回顧(2)」に寄せた回想記の次の一節だった。

 「この年(昭和22年)の4月14日外務省の矢野事務官来館、この件(言論パージ)に関する協力方を求められ、次いで出版物追放に関する調査のための小委員会が設けられた。…専門委員として東京大学の尾高邦雄、金子武蔵両助教授、それに私が加わり、小委員会は主として帝国図書館館長室で、本委員会は委員長牧野英一氏主宰の下に首相官邸内会議室で行なわれた。…仕事としては余り楽しいことではなかった」

 西尾氏はさらに、「追想 金子武蔵」という本で、尾高邦雄氏がこんな追悼文を寄せている事実に着目した。

 「第二次大戦が終って、GHQによる戦犯の調査がはじまったころ、東大文学部にもそのための委員会が設けられ、どういうわけか、先生とわたくしはそれの委員に選ばれた」

 追悼文には、2人が貧しい身なりでGHQを訪れたところ、出迎えた二世の係官が驚いたことや、金子氏が動ぜず平然と調査結果を報告したことも書かれている。

 ≪GHQから東大に要請≫

 西尾氏はこれらの文献から、次のように推定した。

 まず、GHQから政府を通して東大に協力要請があり、文学部に委員会が設けられた後、金子、尾高の2人の助教授が指名された。2人はやがて帝国図書館に呼ばれ、専門委員として、出版物追放のための小委員会に加わった。小委員会での結論を受け、牧野氏が首相官邸での本委員会で没収の決裁を行っていたのではないか。

 西尾氏は、(1)3人の学者が具体的にどう関与していたか(2)3人以外に没収に関与した学者はいなかったか-などについて、情報提供を求めている。

 金子氏はヘーゲル哲学の権威で、西尾氏が東大文学部に在学中、文学部長を務めていた。尾高氏は東大、上智大教授、日本社会学会長などを歴任し、マックス・ウェーバーの「職業としての学問」の翻訳でも知られる。

 牧野氏は東京帝大法科を銀時計で卒業し、判事、検事を経て東大教授を務めた刑法学会の長老である。戦後は、貴族院議員や中央公職適否審査委員長などを務め、文化勲章を受章した。

 西尾氏は先の文献で3人の名前を見つけたとき、「言いしれぬ衝撃を受けた」という。

 研究によれば、GHQの民間検閲支隊(CCD)の一部門であるプレス・映像・放送課(PPB)の下部組織、調査課(RS)が没収リストを作成し、実際の没収作業は日本側に行わせた。没収リストは昭和21年3月から23年7月までの間、46回に分けて順次、日本政府に伝達された。昭和3年から20年9月2日までに刊行された22万1723点の中から、まず9288点が選ばれ、最終的に7769点が没収された。

 ≪今も続く国際的検閲≫

 「焚書」とは別に、GHQが行った新聞や雑誌に対する「検閲」の実態は、江藤淳氏の「閉された言語空間」(平成元年、文芸春秋刊)で明らかにされた。

 この検閲には、「滞米経験者、英語教師、大学教授、外交官の古手、英語に自信のある男女の学生」が協力した、と同書に書かれている。また、その数は1万人以上にのぼり、「のちに革新自治体の首長、大会社の役員、国際弁護士、著名なジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授」になった人々が含まれているが、経歴にその事実を記載している人はいないという。

 GHQが去った後も、「閉された言語空間」は続いている。江藤氏は国際的検閲の例として、昭和五十七年夏の教科書問題を挙げている。日本のマスコミの「侵略進出」の誤報をもとに中国・韓国が教科書検定に抗議し、記述変更を約束させられた事件である。その後も、中韓両国が検定教科書に干渉し、それを日本の一部マスコミや知識人が煽(あお)り立てるようなケースが後を絶たない。

 江藤氏に続いて、戦後知識人の“正体”を突き止めようとする西尾氏の研究の進展を期待したい。

(いしかわ みずほ)

産経書房 GHQ焚書(ふんしょ)図書開封
西尾幹二著(徳間書店・1785円)

 最近の大学生は、対米戦争があったことすら知らないといわれる。「GHQ」と聞いてもピンとこない若者が多いだろう。

 戦争の記憶が薄れていくのはある意味仕方のない時代の流れである。しかし、日本には、歴史を歪(ゆが)める特殊な力が存在した。

 GHQによる占領政策である。江藤淳氏が『閉ざされた言語空間』で取り上げた「検閲」の問題は有名である。

 戦後、7000冊以上の書籍が消されたことは、これまでほとんど知られることがなかった。本書はこの「焚書」の真相に初めて迫った労作である。

 本書の目的は2つある。一つは、この文明破壊ともいうべき焚書の実行プロセスを解明することである。ナチスによるユダヤ人虐殺もユダヤ人の協力が不可欠であった。GHQの焚書にも日本人の協力者があったことが、著者の調査でわかってきた。

 そしてもう一つは、戦前の日本人が世界をどう見ていたかという問題である。戦前は軍国主義一色に染まっていたというイメージが戦後定着している。しかし焚書書籍にそういった熱狂はない。

 日本人は敵の意図も実力も十分知りつつ、やむにやまれず自衛戦争に突入していったことが、焚書図書を通して浮かび上がってくる。

 戦前の日本といわれて、磨(す)りガラスを通したようなぼんやりとした像しか浮かんでこない人がほとんどだろう。焚書がそうした事情にどうかかわるのか?

 研究はまだ緒についたばかり。戦後63年目に、ようやく日本人は歴史の出発点にたったといえるのではないか。

力石幸一

お知らせ

スカイパーフェクTV241 日本文化チャンネル桜

日本よ、今…闘論!倒論!討論!2008
  「環境危機と洞爺湖サミット」 Part1&2

 今回は「環境危機と洞爺湖サミット」と題し、政治・外交、環境問題の専門家達が集い、友好・親善に陥りやすい日本の戦略性のなさを徹底検証していきます!
 地上波では絶対に見られない充実の討論会。2夜連続でお楽しみください!

放送日時

 Part1:6月26日(木) 20:00-21:30
 Part2:6月27日(金) 21:00-22:00

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パネリスト (敬称略50音順)

 日下公人(評論家・社会貢献支援財団会長)
 児玉千洋(エコテスト株式会社 代表取締役)
 西村眞悟(衆議院議員)
 西尾幹二(評論家)
 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)
 宮崎正弘(作家・評論家)

司会

 水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)
 鈴木邦子(外交問題研究家)

6月の仕事

 どういう訳だろう、よく分らないが、今月は雑誌発表の仕事が集中した。先月からやってきた課題がひとつづつ片づいてきたせいだが、全生活がスケジュールにハイジャックされているような拘束状況がつづき、少し疲れた。すでに表に出たものとこれから出るものを合わせ、一覧し、ご報告する。

1)「思想の誕生」(連載)『撃論ムック』西村幸祐責任編集 第一回「ひとり暗い海にボートを漕ぎ出す」(20枚)店頭にすでに出ている。

 『撃論ムック』にはしばしば書いてきたが、今度月刊になるという。西村さんの新門出を祝し、連載をひき受けた。

 連載の内容はむかし日録に書いてきたような思想散策である。

2)「決定版・坂東眞理子の品格を斬る!」『新潮45』7月号(24枚)店頭にすでに出ている。

 編集部がつけたリードには「『女性の品格』308万部、『親の品格』87万部――。著者は元高級官僚にして、昭和女子大学長。その品格を稀代の論客が問う」となっている。

 なぜこんな論文をわざわざ書いたかというと、秋に出す『真贋の洞察』(文藝春秋)という私の評論集で「贋」の実例を丸山真男以下何人も取り上げたのだが、今の読者は知らない人ばかりだ、というので、じゃあみんなが知っている「贋」の一例を出そう、と思いついて、二冊の「品格」を串刺しにした。新刊の『親の品格』に主に焦点を当てているが、著者は男女共同参画社会基本法をつくった張本人。そのときの内閣府の初代局長である。

 『女性の品格』『親の品格』ともに論じる必要のない無内容の本だが、官僚として彼女のやったことを背景に置くと、本とそれを書いたキャリア官僚の興味深い像がみえてくる。

 小さな評論を書くためにも、彼女の若い頃の本(菅原眞理子の名で出していた)や役人として参加していた対談、座談会、講演録までさがし出して、虱潰しに読んでみた。

 何をやるにも容易ではない。少し面倒でいやになったが、出来映えはまぁ面白いので、褒めて下さい。

3)イスラム教徒のインドネシア人を大量に受け入れる政府の政治的無知。大量失業、国情不安定を防ぐために「労働鎖国」を敷くべきである。
『SAPIO』7月9日号(6月25日発売)(10枚)

 「移民」は救世主か問題児か、と題したSPECIAL REPORTの「反対論」を代表した。「賛成論」を書いたのは大前研一氏と聞く。

 外国人1000万人の導入のための移民庁設立案(中川秀直の唱える)の出ている時代だから、いよいよ来たなという感じだ。昔とった杵柄(きねづか)でさっさと書いた。

 移民庁、外国人参政権、人権擁護法――すべてひとづながりの悪法、自民党腐敗政権のおできが発する膿を見る思いだ。

4)皇太子さまへのこれが最後の御忠言
『WiLL』8月号(6月26日発売)(52枚)

 例の第3弾である。21日校正も終了したばかりだ。

 「最後の」と付けられたが、じつは第4弾も予定されている。まだまだ書くことが残っているから、書き切るまでは止まらない。ただ皇太子さまへの御忠言にはもう限界がある。今度は国民の責任が問われねばならぬ。

5)巻頭言・真贋について(前)『澪標』5月号(15枚)

 岩田温君や早瀬善彦君がまだ学生だと思っていたら、堂々と立派な思想雑誌を発刊して、存在感を一段と発揮してきた。日本保守主義研究会に、会名も改めたようだ。

 その雑誌『澪標』(れいひょう)に巻頭言をたのまれて、お祝いの意をかねて書いた。保守的はあっても保守主義はない、と書き出したら勢いがついて長くなり、3回に分載されるらしい。お手数をおかけして申し訳ない。

 岩田氏、早瀬氏――お二人ともよく勉強をしていて、とてもたのもしい。保守言論界に若い力が欲しかった。いよいよ出て来たという感じだ。自重して大成して欲しい。

 この次からはこの雑誌にのっている思想は本格的な論評の対象にする。勿論、遠慮もしない。

 年間購読料5000円、Tel.Fax.03-3204-2535にお問い合わせになるとよい。岩田氏は「松柏の会」という会員制のゼミナールも主宰している。

お葬式と香典

 お葬式に香典をつつむという習慣を守っているが、最近それを辞退されるケースや、葬式そのものをやらない場合もあって、小さくない戸惑いを覚えている。

 この冬三人の知人が旅立った。

 高校の同級生と同じ高校の恩師、そしてこの十年ほど信頼し合える仲となった私と似た仕事をしている学者の三人である。恩師は当然十数年歳上である。他の二人はほぼ私と同年齢といっていい。

 私はいま72歳である。高校の同級生約50人のうち10人ほどが他界している。多い方だと思う。

 20台で逝った三人は自殺だった。中年の死は圧倒的にガンが多かった。60歳台ではじつは一人しか亡くなっていない。ガンである。残っている同級生はみな矍鑠(かくしゃく)としている。なにか仕事をしている。よく酒も飲む。

 と思っていると、今冬一人が逝った。70台半ばのある先輩が、「君、70を過ぎると同級生が次々と消えて行くよ」と数年前に言っていて、そんなものかと当時実感がなかったが、最初の例が出て、あゝやっぱりと思った。

 私は自分が老人だという自覚がほとんどない。仕事の内容は変わらないし、食欲も酒量も落ちない。大学の勤務を離れてからの方が生活はずっと充実している。

 ところが、昨年路上で二度ころんだ。何でもない路面の小さな凹凸に躓(つまづ)いた。二度とも若い女性が走り寄ってくれて嬉しかったが、やっぱり老人としか見られていないのだと思った。

 手の平のすり傷を医者に診てもらい、路面が荒れていたからだと言ったら、医者は「いや、あなたの脚がちゃんと上っていなかったんです。自分では上げているつもりでしょうが」といわれた。

 私が一番自分も歳をとったなァ、と思ったのは41歳になったときだった。もう若い方に属していないと認めるのはショックだった。しかしそれ以後は加齢については何も感じないできた。

 70になっても感じなかった。が、周りが容赦しないのだ。新聞をみると同年齢の訃報がつづく。妻は私の亡き後の自分の暮し方を気にしている。

 私の葬式についてどうしたらよいかと遠慮なく聞く。「慣習に従って世間並にやりなよ。お通夜はお酒とご馳走をたくさん出して賑やかにやって欲しい。お香典は正確にきちんと半返しにする。間違ってもどこぞへ寄附いたしましたとはやらないでくれ。寄附したいなら半返しをした残りを世間に黙って寄附すればよいのだ。香典のやり取りには鎮魂の意味があるんだよ。」などと勝手なご託を並べることもある。

 高校の友人のお通夜とお葬式はいまの私の趣旨にほぼ添っていた。お浄めの席は賑やかで、遺骸のある隣りの部屋は臨時クラス会のような酒を酌み交わす談笑の場となった。

 新聞記者だったその友人は、むかし酒席で、「西尾、お前言論雑誌でどんな派出なケンカをしてもいいが、負けるケンカだけはするなよ」などと肩を組みながら大きな声で耳許で叫んだのを私は思い出し、ふと涙ぐんだ。

 談笑の中に追悼がある。威儀を正さなければ祈りがない、などということはない。威儀を正すとかえって気が散れて、余計なことを考えたりしてしまう。

 高校の恩師の葬儀はキリスト教の教会で行われた。国語の先生だったが、黒板に英語やフランス語をどんどん書くユニークな先生だった。

 私は試験の答案の余白に、出題の意図をウラ読みする批評を書いたり、先生の人生観を風刺する歌を書いたりすると、必ず面白い返事の文句を書き並べた答案が返されてきた。私は今でもそれを大切に保管している。

 教え子に囲まれた先生の葬儀は荘厳で、立派な内容のある追悼の言葉で飾られていた。私は教会用のお香典袋を用意して持って行ったが、固辞され、受け取ってもらえなかった。そういう方針だというのである。他のすべての参会者が香典袋を押し返されていた。

 私は自宅に帰ってからも落ち着かなかった。追いかけて花環でも贈ろうかと思ったが、迷っているうちに時間が過ぎた。

 香典の金額は少額である。小さな寄進である。ただの形式である。しかしそれで気が鎮まるということはある。

 自分が参加したという裏付けのようなものである。私は先生を思い出すたびに、まだ務めを果していないような居心地の悪さを引き摺っている。

 私と似た仕事をしている学者の知友の場合には、葬式がなかった。遺族が身内だけで葬儀をすませ、初七日を過ぎてから訃報を伝えてきた。最近よくあるケースである。取り付く島がない。

 友人知人にも鎮魂の機会を与えるために葬儀がある。香典だけ送る、という手もあるが、それは好ましくない。自宅にバラバラに出向いてお焼香をするというのも、遺族への遠慮がって限りがある。どうして普通の葬式をしてくれなかったのかと私は遺族に不満を持った。

 私は一計を案じ、都内の某会場を借りて追悼記念会をやることにした。著作家の友のことだから、遺徳や業績を偲ぶ人は多い。

 しかしこのとき、人が死んだらできるだけ他人と違うことはしない方がよいと私は思った。

 死を迎えるのはどこまでも自分であるが、死ぬ前の自分と、死んだ後の自分は社会的な存在なのである。

『逓信協會雑誌』2008年5月号

『GHQ焚書図書開封』発刊と新事実発見(二)

 この本は一冊で終わるのではありません。ひきつづき二冊目が準備されています。

 第二冊目の目次は下記の通りです。

『GHQ焚書図書開封』第二巻
   目次(予告)

一、 従軍作家の見たフィリピン戦場最前線
二、 「バターン死の行進」直前の状況証言
三、 オランダのインドネシア侵略史①
四、 オランダのインドネシア侵略史②
五、 日本軍仏印進駐の実際の情景
六、 日本軍仏印進駐下の狡猾情弱なフランス人
七、 人権国家フランスの無慈悲なる人権侵害
八、 アジア侵掠の一全体像①
九、 アジア侵掠の一全体像②
十、 『太平洋侵略史』という六冊本シリーズ
十一、 大川周明『米英東亞侵略史』を読む
十二、 『米本土空襲』という本

 すぐにも刊行と思ったのですが、準備不十分で、予定の8月には間に合いそうもありません。恐らく10月になるでしょう。やはり最初の一冊が出ないと出版社のスタッフも弾みがつかないのです。

 焚書図書は七千数百点あり、テーマも多岐にわたるので、紹介し始めたら際限がなく、これで終わるということはないのです。

 三冊目も四冊目も予定されていますが、勿論私にその時間と体力が許されゝばの話であり、版元に継続する根気があればの話です。

 いづれにしても私の身にできることは小さく限られています。ご紹介できるのはほんの氷山の一角です。

 私の仕事はどこまでも消された本の世界の「開封」にとどまり、焚書の全貌を見渡すのは次の時代の人の課題となるでしょう。

『GHQ焚書図書開封』発刊と新事実発見(一)

 ようやく『GHQ焚書図書開封』が徳間書店から刊行されます。店頭に出るのは6月17日です。以下に表紙と目次を掲げます。

 2部構成になっています。第1部の調査と研究に時間を要し、刊行が予告より2ヶ月遅れました。戦後の政治文化史にとって衝撃となる事件を語っているはずです。

 本日6月7日23:00より、この第1部の内容について、文化チャンネル桜で私が一時間かけて、何が「衝撃」であるかのあらましをお話しします。

 実際に本が出たとき、店頭で手にとっていたゞければ分りますが、図表や証拠文書の8種の付録がついており、地図もふんだんに入っていて、読み易い展開です。

 文章はテレビの復元ですから「です、ます調」で、視覚に訴える工夫もなされています。

GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本 GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本
(2008/06)
西尾 幹二

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  GHQ焚書図書開封・目次

[第1部]―――――――――――――――

第一章 「GHQ焚書図書」とは何か

「焚書」と「検閲」は別である
東京大学文学部の関与
秘密裏に行われていた陰険な「没収」
帝国図書館館長室と首相官邸での秘密会議
尾高邦雄、金子武蔵、牧野英一
占領軍没収リスト作成班によるふるい分け
文部次官通達による没収の全国展開
占領軍に失敗感があった
アメリカに移送された大量の文書の行方
東京裁判とつながる可能性
没収された本の若干例

第二章 占領直後の日本人の平静さの底にあった不服従

言葉と謀略による「戦後の戦争」
私信を「検閲」した恐しいシステム
日本社会の不気味な沈黙
日本人が戦後たちまち従順になった諸理由
戦闘は終わったが戦争は続いていた
ABCD包囲陣に対する戦中の日本の静かな決意
当時の日本人の勁さは何だったのか

[第2部]―――――――――――――――

第三章 一兵士の体験した南京陥落

歩兵上等兵「従軍記」の感銘
正確に自分を見つめる「目」
戦場の人間模様
ついに南京入城
南京から蕪湖へ
平和でのどかな南京の正月風景

第四章 太平洋大海戦は当時としては無謀ではなかった

パラダイムが変わると歴史の見方は変わる
日米もし戦わば、を予想する本
日米大海戦は「日本有利」という事前観測
「限定戦争」と「全体戦争」
ハワイ占領とパナマ攻撃ははたして誇大妄想だったか
日本を侮れないぞと必死に瀬踏みしていたアメリカ
ソ連が見ていた極東情勢
太平洋の戦いの本質は「日英戦争」だった

第五章 正面の敵はじつはイギリスだった

一九二〇年代、日米は「若き強国」にすぎなかった
日本が「敵」として意識していたのはイギリスだった
「平和もまた戦争同様、凶悪である」
宣伝戦の重要さを知って始めたのはイギリスだった
イギリスは文明の模範であり卑劣の代表でもあった
植民地インドにおけるイギリスの暴虐
日本にとってイギリスの脅威とは何であったか

第六章 アジアの南半球に見る人種戦争の原型

イギリスが手を伸ばしたもう一つの新大陸
空白の大地はどのようにして発見されたか
アメリカ独立戦争のネガティヴな影響
新植民地に咲いた悪の花
いまもオーストラリアはなぜ元気がない国家なのか
国家の起源と独立戦争が歴史に対してもつ意味
日本を「第二のスペイン」にしてはならない

第七章 オーストラリアのホロコースト

本国イギリスもたじろぐ植民地の白人純血主義
マオリ族を中心に――
タスマニア原住民の悲劇
アングロサクソンによる少数民族絶滅
歴史書の没収はホロコーストに通じる
日清戦争後のオーストラリアは日露戦争後のアメリカに瓜二つ
二十世紀の戦争の歴史を動かした人種問題

第八章 南太平洋の陣取り合戦

イギリスとアメリカの接点
「南洋」情勢を概観する
植民地が抱く帝国主義的野心
オランダ、ドイツ、イギリスによる南太平洋の分捕り合戦
第一次世界大戦と日本海軍の役割
日本の「人種平等案」を潰したアメリカとオーストラリア
第一次大戦直後からABCD包囲陣の準備は始まっていた

第九章 シンガポール陥落までの戦場風景

ワシントン会議によるハワイとシンガポールの軍事要塞化
シンガポール攻略とアジアの解放
壮絶! コタバル上陸作戦
日本軍を歓迎した現地の人々
シンガポール陥落と世界各国の反応

第十章 アメリカ人が語った真珠湾空襲の朝

昭和十八年四月に日本語に翻訳された米人の空襲体験記
ホノルルの朝の情景
カネオエ飛行場の空爆
日本軍はけっして市街地攻撃はしなかった!
当時の日本の新聞に見る「十二月八日」
壮烈! 真珠湾攻撃
著者のアメリカ人の語る日本軍の実力と襲撃の世界的意義
必ずしも奇襲とはいえない

あとがき

文献一覧
付録1-8

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(日本文化チャンネル桜出演)スカイパーフレクTV241Ch
 
出演:西尾幹二

6/7 (土) 本日 23:00~24:00
第23回:GHQ「焚書」図書開封の刊行と新事実の発見

お知らせ

touron080606-03.jpg日本文化チャンネル桜出演

本日6/6(金) Part2: 21:00-22:00
◆どうなる!?東アジア軍事情勢

パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 太田述正(元防衛庁審議官)
 川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
 田代秀敏(大和総研主任研究員)
 西尾幹二(評論家)
 西部邁(評論家)
 松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子

WiLL論文について

ブログ歴史と日本人―明日へのとびら―(耕氏 筆)より

おかしな竹田恒泰氏の論文  

 竹田恒泰氏が『will7月号』で西尾幹二氏の論文を批判しているが、はっきりと言うならばおかしな批判ばかりだ。竹田氏は西尾氏を「保守派を装った反日派」扱いしているが、それはむしろ竹田氏のほうではないか。
 
 竹田氏は西尾氏の「この私も(中略)天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という片言節句を取り出して、それを抜き出した上で「天皇制度を「廃棄」するのは、およそ保守派の言論人から出る言葉ではあるまい」と言っている。ところがこれは竹田氏の詐術である。なぜなら西尾氏の原文は、「(それまで皇室が近代原理に犯されつつあることを批判した上で)皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という内容である。この文章自体「保守派」に危機感を促す修辞だと思うが、それでなくとも文章の本意を読み取らず、言葉の一部分を抜き出す竹田氏はどこかおかしいのではあるまいか。さらに竹田氏はこう言っている。「廃棄とは廃棄物を処理することを意味し、この言葉を天皇に使った人物は後にも先にも西尾氏だけであろう」。竹田氏は日本語にも難があるらしい。「廃棄」を説明するのに「廃棄物」を使ったら同語反復で説明になっていない。「廃棄」とは「不要のものを捨てること」であり、「廃棄物」という言葉を選んだのは西尾氏の主張を気色悪く見せようという手だろう。
 
 皇室が「不要」とは何事かと言い出されかねないが、この「廃棄」に賛成している部分は西尾氏が想定する最悪の状況になった場合、という話である。その文意を全部無視して「皇室の存在を良しとしない」などと決め付けられてはたまったものではない。
 
 西尾論文の主意は皇室に学歴主義、平等主義という近代原理が入り込み始めており、「人権」という最大の近代原理が入りこむのは時間の問題である。左派はすでにそのことを言い始めている。伝統を無視し、「人権」を尊重するようになってしまえばもはや日本社会は融解する。そのような皇室になってしまったら廃棄もやむを得ない(原文を読めばわかるが、「そうならないようにしよう」、という語感が言外に含まれている)。西尾氏は皇室とは日本人の「信仰」であると理解しており、したがって皇族は神としての存在を求められる。「人権」などという原理を認めればそうした日本人の原信仰は破壊しつくされてしまう、ということだ。竹田氏曰く「英国のゴシップ紙と何ら変わることはない」そうだが、これのどこが「英国のゴシップ紙」なのだろうか。
 
 西尾氏は皇室に近代原理が入り込んでいく過程を明らかに雅子妃に見ている。雅子妃には「キャリアウーマン」としての前歴などではなく、伝統的皇室として行動していただきたい旨を主張している。日本皇室の西洋王室化を懸念しているのであり、いっそ西洋王室のようになっていくか、それともそれが日本社会に深刻な悪影響を及ぼす前に「廃棄」してしまうか。この命題は保守派にとって突きつけられた課題のはずだ。仮に皇室が伝統的皇室を裏切ってもひたすら維持するのか、そうではないのか。尊皇家であればこそ考えなくてはならない課題である。ところが竹田氏にはそのあたりの視野は全くないようである。西尾氏ばかり擁護していると思われるのも何なので余談ながら触れるが、この命題にたいしては当の西尾氏すら揺らぎを見せているように思える。
 
 竹田氏は皇室が批判されれば印象が悪くなると考えている節がある。だが事はそんなに単純ではない。まさに西尾氏が「内部から崩壊しようとしている」と述べているように、近代社会(国民)と伝統社会(皇室)が乖離し、齟齬をきたし始めているという深刻な問題がある。雅子妃の問題はその一つの表れに過ぎない。皇室の根本である祭祀に皇后が個人的理由から参加されない、ということになれば皇室が公的存在であることすら薄れかねない。
 
 竹田氏はこうも言っている。「これまで皇室は幾度となく危機を乗り越えてきた。将来生じる危機も必ずや乗り越えていくことを私は信じている」と。竹田氏が信じたくらいで乗り越えられるのなら苦労はないと皮肉ってやりたいくらいだが、そうは思わないらしい。天皇が「神に接近し、皇祖神の神意に相通じれば、今上さまと同様、必ず立派な天皇におなりあそばす」であろうことは私も同意する。だが「神に接近する」こと自体を皇室自身が拒み始めていることに警鐘を鳴らしたのが西尾論文ではなかったか。雅子妃だけではなく高円宮承子さまの話など、皇室の西洋王室化乃至は大衆化が幾たびか報道されるようになった。「開かれた皇室」という妄想の元に皇室の世俗化、大衆化が進行しつつある。それは皇室が「祭り神」でもなく「国民の慈母」ですらなくただの名家の一つに下がってしまいかねないほどの危機が迫っているということだ。これは「世継ぎ問題」だけに修練されるものではなく、永い皇室の歴史の中でも未曾有の事態と言わなければならない。
 
 竹田氏は最後にこんな言い方をしている。「私のような三十二歳の青二才が、人生の先輩にこのようなことを言うのは申し訳ないが、もし私のこの注告(ママ)を読んで少しでも思いを致すところがないとしたら、そろそろ世代交代の時期が迫っているのかもしれない」。これこそ「卑怯」で「品格に欠ける」態度と言わなければならない。最初の西尾発言の作為といい、言論人として、(「旧」がつくとは言え)皇族の一員として醜態をさらしているのは竹田氏のほうではないかと思うのだが、どうだろう。

*なお一応読者の一人としてではあるが論文を評させていただいたので、この記事は西尾氏と竹田氏のブログにトラックバックさせていただくことにした。

文:耕

 WiLL5月号の末尾のしめくゝりの文章を参考までに掲示します。尚「第一の提案」は主治医の複数化の要請です。

 しかし先の医師によると、殿下がそういうお言葉をお漏らしになるとそれが報道されて、妃殿下の病気が重くなる、だから何も言えない、そういう網にからめとられたような状況だ、というのだが、果たして本当だろうか。それほどの事態であるのなら、このまま時間が推移していくのはさらに恐ろしいことで、やがて日本の皇室がものの言えない沈黙の網にからめとられていくのをわれわれ国民は黙って看過してよいのか、という別の問題が発生する。

 じつは私などが一番心配しているのはこのことで、妃殿下のご病状が不透明なままに第126代の天皇陛下が誕生し、皇后陛下のご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい、という身勝手な、薄明に閉ざされた異様な事態が現出することを私はひたすら恐怖している。

 そしてそこに、外務省を中心とした反日の政治勢力がうろうろとうごめく。中国の陰謀も介在してくるかもしれない。天皇家は好ましからざる反伝統主義者に乗っ取られるのである。そして、皇族に人権を与えよ、という朝日とNHKの声は高まり、騒然とする。国民はどうなっているのか読めないし、どうしてよいのかも分らない。ただ呆然と見ているだけである。

 皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない。

 そうならないためのさし当たりの私の第二の提案は、宮内庁と東宮につとめる外務官僚の辞任を実施することである。外務省も今のうちなら、ない腹をさぐられるよりその方がよいときっと思うだろう。

文:西尾幹二
WiLL-2008年5月号

お知らせ(日本文化チャンネル桜出演)スカイパーフレクTV241Ch

6/7 (土)23:00~24:00
第23回:GHQ「焚書」図書開封の刊行と新事実の発見

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日本よ、今…「闘論!倒論!討論!2008」

  放送時間
パート1 木 20:00-21:30
パート2 金 21:00-22:00

今後の放送予定

6/5
(木) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢

パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 太田述正(元防衛庁審議官)
 川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
 田代秀敏(大和総研主任研究員)
 西尾幹二(評論家) 
 西部邁(評論家)
 松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子

6/6
(金) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢

パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 太田述正(元防衛庁審議官)
 川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
 田代秀敏(大和総研主任研究員)
 西尾幹二(評論家)
 西部邁(評論家)
 松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子