お葬式と香典

 お葬式に香典をつつむという習慣を守っているが、最近それを辞退されるケースや、葬式そのものをやらない場合もあって、小さくない戸惑いを覚えている。

 この冬三人の知人が旅立った。

 高校の同級生と同じ高校の恩師、そしてこの十年ほど信頼し合える仲となった私と似た仕事をしている学者の三人である。恩師は当然十数年歳上である。他の二人はほぼ私と同年齢といっていい。

 私はいま72歳である。高校の同級生約50人のうち10人ほどが他界している。多い方だと思う。

 20台で逝った三人は自殺だった。中年の死は圧倒的にガンが多かった。60歳台ではじつは一人しか亡くなっていない。ガンである。残っている同級生はみな矍鑠(かくしゃく)としている。なにか仕事をしている。よく酒も飲む。

 と思っていると、今冬一人が逝った。70台半ばのある先輩が、「君、70を過ぎると同級生が次々と消えて行くよ」と数年前に言っていて、そんなものかと当時実感がなかったが、最初の例が出て、あゝやっぱりと思った。

 私は自分が老人だという自覚がほとんどない。仕事の内容は変わらないし、食欲も酒量も落ちない。大学の勤務を離れてからの方が生活はずっと充実している。

 ところが、昨年路上で二度ころんだ。何でもない路面の小さな凹凸に躓(つまづ)いた。二度とも若い女性が走り寄ってくれて嬉しかったが、やっぱり老人としか見られていないのだと思った。

 手の平のすり傷を医者に診てもらい、路面が荒れていたからだと言ったら、医者は「いや、あなたの脚がちゃんと上っていなかったんです。自分では上げているつもりでしょうが」といわれた。

 私が一番自分も歳をとったなァ、と思ったのは41歳になったときだった。もう若い方に属していないと認めるのはショックだった。しかしそれ以後は加齢については何も感じないできた。

 70になっても感じなかった。が、周りが容赦しないのだ。新聞をみると同年齢の訃報がつづく。妻は私の亡き後の自分の暮し方を気にしている。

 私の葬式についてどうしたらよいかと遠慮なく聞く。「慣習に従って世間並にやりなよ。お通夜はお酒とご馳走をたくさん出して賑やかにやって欲しい。お香典は正確にきちんと半返しにする。間違ってもどこぞへ寄附いたしましたとはやらないでくれ。寄附したいなら半返しをした残りを世間に黙って寄附すればよいのだ。香典のやり取りには鎮魂の意味があるんだよ。」などと勝手なご託を並べることもある。

 高校の友人のお通夜とお葬式はいまの私の趣旨にほぼ添っていた。お浄めの席は賑やかで、遺骸のある隣りの部屋は臨時クラス会のような酒を酌み交わす談笑の場となった。

 新聞記者だったその友人は、むかし酒席で、「西尾、お前言論雑誌でどんな派出なケンカをしてもいいが、負けるケンカだけはするなよ」などと肩を組みながら大きな声で耳許で叫んだのを私は思い出し、ふと涙ぐんだ。

 談笑の中に追悼がある。威儀を正さなければ祈りがない、などということはない。威儀を正すとかえって気が散れて、余計なことを考えたりしてしまう。

 高校の恩師の葬儀はキリスト教の教会で行われた。国語の先生だったが、黒板に英語やフランス語をどんどん書くユニークな先生だった。

 私は試験の答案の余白に、出題の意図をウラ読みする批評を書いたり、先生の人生観を風刺する歌を書いたりすると、必ず面白い返事の文句を書き並べた答案が返されてきた。私は今でもそれを大切に保管している。

 教え子に囲まれた先生の葬儀は荘厳で、立派な内容のある追悼の言葉で飾られていた。私は教会用のお香典袋を用意して持って行ったが、固辞され、受け取ってもらえなかった。そういう方針だというのである。他のすべての参会者が香典袋を押し返されていた。

 私は自宅に帰ってからも落ち着かなかった。追いかけて花環でも贈ろうかと思ったが、迷っているうちに時間が過ぎた。

 香典の金額は少額である。小さな寄進である。ただの形式である。しかしそれで気が鎮まるということはある。

 自分が参加したという裏付けのようなものである。私は先生を思い出すたびに、まだ務めを果していないような居心地の悪さを引き摺っている。

 私と似た仕事をしている学者の知友の場合には、葬式がなかった。遺族が身内だけで葬儀をすませ、初七日を過ぎてから訃報を伝えてきた。最近よくあるケースである。取り付く島がない。

 友人知人にも鎮魂の機会を与えるために葬儀がある。香典だけ送る、という手もあるが、それは好ましくない。自宅にバラバラに出向いてお焼香をするというのも、遺族への遠慮がって限りがある。どうして普通の葬式をしてくれなかったのかと私は遺族に不満を持った。

 私は一計を案じ、都内の某会場を借りて追悼記念会をやることにした。著作家の友のことだから、遺徳や業績を偲ぶ人は多い。

 しかしこのとき、人が死んだらできるだけ他人と違うことはしない方がよいと私は思った。

 死を迎えるのはどこまでも自分であるが、死ぬ前の自分と、死んだ後の自分は社会的な存在なのである。

『逓信協會雑誌』2008年5月号

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