坦々塾・新年の会

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渡辺 望 35歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

  この日録でも幾度か紹介されていますが、西尾先生を囲む坦々塾という研究会が年に4回のペースで営まれています。

 西尾先生が参加されていた「九段下会議」が解散した後、最後まで会議に残ったメンバーの中で、西尾先生の周囲で志を同じくする13人の有志が、これからも先生を囲み勉強研究を続けたいと希望しこの坦々塾は結成されました。その後、西尾先生とその有志の努力によって会は大きく拡大し、私のような者も、その末端に加えていただくことができました。現在、メンバーは50人を数えるに至っています。

 休日の午後の早い時間に集まり、まず西尾先生の講義、そしてその後、外部から講師の先生をお呼びして講義していただき、それをもとにして討議を重ね、いったん散会したのち懇親会に移行して夜遅くまで談論風発する。これが、坦々塾の会の毎回の基本的なスケージュールです。
 
 1月12日の坦々塾の会は、当初、新年会のみをおこなう予定でした。しかし新年会のみをおこなうというのはいかがなものか、新年会の前に勉強・討論の時間を入れようということになりました。西尾先生以外の講師を坦々塾の中から選んで、諸氏が取り組んでいる問題について報告・そしてその報告に基づいて坦々塾の皆さんで討議するということになりました。

 当初は40人以上の参加が見込まれていましたが、予定変更などで残念ながら参加できない方もあり、参加者は35名ということになりました。  

 一言で言うと坦々塾は「混成部隊」と言っていいように私は思います。19世紀のイギリスの思想家J・S・ミルを評して「・・・J・S・ミルという人は何々学者と呼ぶのが困難な人であった・・・」という加藤尚武の言葉があり、私は加藤のこの言葉がとても好きなのですが、坦々塾という「混成部隊」 について考えるとき、いつも加藤のミル評を私は思い起こします。

 加藤の言わんとするところは、各分野に旺盛な関心をもちそれらを凌駕していたミルにとって、「専門」というものはついになかった、自分の好奇心と世界とのかかわりだけがあり、ミルはそのかかわりを一般化する能力に生涯長けていた、ということなのでしょう。坦々塾には、原子力問題の最先端の専門家がいらっしゃるかと思うと、金融問題の専門家も多数いる、あるいは、政治党派集会について緻密に調査していらっしゃる行動家、私のように西尾先生の哲学書や文芸評論を敬愛していることがきっかけで参加させていただいている人間もいます。

 びっくりするのは、これだけ違う各分野の人物が、討論会や懇親会で全く違和感なく話しあうことができて、充足感と次回への会の期待感をもって、いつも必ずその日を終えることができる。皆さんが自分の専門について、一般化して語る言葉の術をもたれていること、そして相手の専門に対して好奇心と敬意を絶やさないこと、それを失わないことによって、坦々塾という「混成部隊」は、不思議なまとまりをもって、国内でも稀にみるマルチな「総合部隊」になっていく実力を醸成しつつあるように思えます。

 もちろん、坦々塾がカバーする知識のこうした幅の広さは、西尾先生の知性の幅の広さに基づいてデザインされているものだ、といえるでしょう。西尾先生とミルをだぶらせるのは西尾先生にとって不本意かもしれませんが、実質が似ているという意味ではなく、「何々学者」という言葉でおさまりきらないような、いろんな分野をすばやくしっかりと渡り歩いているという加藤のミルへの形容は、西尾先生の思想のスタイルへの形容として相応しく、また坦々塾全体のこれからの可能性を形容するにも相応しい形容でもあると私は思うのです。

 さて、1月12日の坦々塾の新年の勉強会は西尾先生の、「徂徠の『論語』解釈は抜群」という坦々塾の会で毎回連続している講義から始まりました。その後、坦々塾 のメンバーの方々の「反日左翼勢力の動向」「ディーリングルームの世界」「エネルギー危機と日本の原発」の各テーマについて発表討論がおこなわれました。

 西尾先生の徂徠の解釈論は、坦々塾の会で毎回内容的に連続しているもので、また言うまでもなく「江戸のダイナミズム」の最重要のテーマの一つでもあります。儒学の文献を解釈することは中国の社会構造を理解することと、あまりにも密接不可分であって、従来の日本の大半の儒学の文献学者はこのことを見落としており、そしてそのことが、日本の中国へのあらゆる誤解を誘引していったということを西尾先生は徂徠以外の学者と徂徠のさまざまな対比の中で指摘されます。

 毒にも薬にもならないような儒学解釈を展開してきた数々の解釈者と、本物の解釈、すなわち中国社会の想像もつかないような構造を見極めた徂 徠の解釈を比較される西尾先生のお話は毎回ユーモアにも富んでいて、伝統的解釈と徂徠の斬新な解釈の比較に、講義の最中、和やかな笑いの雰囲気が絶えません。徂徠の「論語」解釈は本当に,私達の意表をつきながら,いつのまにか中国社会の真実に私達を連れていってくれる、刺激の連続なのです。坦々塾の皆さん は先生の講義を楽しまれながら、現実の中国の表層を批判することはもちろん大切だけれども、その表層の下の深淵を見据えること、現実への「批判」を確かな 「全体的批評」としていってほしい、という先生のメッセージをしっかりと感じられているように思われます。

 講義の本旨からはややずれてしまうことかもしれませんが、徂徠を語る上でよく叩き台にされる伊藤仁斎について語りながら、西尾先生が仁斎と山本七平をなぞらえて、両者がビジネス文明に追随した形でしか孔子の文献を解釈していない、存在論が欠如している、つまり浅い、ときっぱりとおっしゃるあたり、たいへん面白いと私は思いました。司馬遼太郎や山崎正和に対しても西尾先生は批判的ですが、要するに、ビジネス文明に受けがよい形で、儒学に対してにせよ歴史に対してにせよ、薄められたことしか語らない思想家を先生は概して非常に嫌われているのだなあ、と妙に納得する思いを感じました。

 「反日左翼勢力の動向」についての報告討論に参加しながら私は「左翼とは何であるか?」ということについて改めて思いを張り巡らさざるをえませんでした。 たとえばかつて江藤淳は「ユダの季節」という論文で、「左翼とは何であるか?」という問いについて、「徒党」と「私語」という言葉を使い、人格論から「左翼とは何であるか?」を説明しましたが、私はその「ユダの季節」の「左翼」の基準をその日の報告討議を通じて改めて考えました。

 何でもかんでもかまわないので、日本という国を否定するテーマを選び「徒党」を組む。そして「徒党」の中でもちあげあい、かつ相互検閲して、彼らの中だけしか通用しない「私語」を語り合う。やがてその「徒党」と「私語」を国民的に拡大しようとする陰謀ならぬ陽謀をたくらむ。江藤はキリストを裏切ったユダがこの「徒党」と「私語」のロジックによる人格論としての「左翼」だったといいます。江藤の論旨に疑問もないわけではありませんが、「左翼」は実は「人格」の問題である、という指摘は現在の日本の現状からすればかなりの正当性をもっているのではないでしょうか。

 この国には、江藤が「ユダ」と喩えた左翼は依然驚くほどの数、形を変えて延命しているようです。なぜ延命できるのかといえば、結びつくはずのないテーマを「私語」でお互いを結んで、「徒党」を組むがゆえに、なのです。たとえば、本当は矛盾した論理関係にあるはずの「護憲」と「反皇室」の主張に、同じ人物が多数集うというような醜悪な現象が続いています。

 次は「ディーリングルームの世界」と題された金融についての抽象性と流動性に富んだ金融の世界というものについて、一般には理解しにくいことを、なるべくわかりやすく噛み砕いて説明してくださる報告でした。私のような金融の素人にも理解しやすいものであったのはありがたい説明でした。

 「資本主義」というものを、金融という面から考える思考法に私達はなかなか慣れていません。歴史なり時間なり国家なり、いわば「安定した」概念を使い考えがちです。
  しかしたとえば、「何でもお見通しの相場のプロ」というものは古今東西絶対に一人もいない、そういう人間がいるという思考法自体を、相場の世界を知らない証拠だ、という報告説明は、私のような金融の素人の頭脳にビシリと矢を射込むものでした。金融相場の事情を左右する諸要素はあまりにも多岐に渡り、しかもその影響がどう動くかは経験則からも不明としかいいようがない。歴史や政治を語るようには金融を語れない根本がここらあたりにある、といえましょう。そういう「何でもお見通しのプロ」がいるとすれば、戦争や天災その他、人間社会に起こりうるあらゆるリスクまで見通す神のような人間がいる、と想定しなければならないのでしょう。政治の天才がいるようには金融の天才はいないのに、私達はつい金融の世界に独自の論理があることに気づかないでいろいろな失敗をしてしまいます。

 金融面からみた資本主義というものはそういうものでありつつ、しかし、アメリカのヒビだらけのドル体制がアメリカの軍事力によってかろうじて担保されているにすぎない、それは明日にでも急激な崩壊を来たすものなのかもしれない、というような生々しい政治的現実にも関係している、ということが この日の報告と討議で実によく認識されました。

 ・・・この新年会から数日後、アメリカの株値崩壊が起きましたが、報告討議を思い出して、不思議なほどにあわてる気持ちなく、事態を冷静に考えることができらのも、この日の報告討議に拠るものが大きかったといえるでしょう。  

 「エネルギー危機と日本の原発」での日本のエネルギー問題の報告は、悲観面と楽観面の双方からの緻密に指摘に始まり、日本のこれからにおける原子力エネルギー供給増大の不可避を熱心に説かれました。私に関して言えば、今まで意外に曖昧であった原発問題への姿勢が、この日の報告討論で、完全に肯定派に定まるほどの説得力を、この報告から感じるほどでした。

 エネルギー価格の変動が私達の生活全般にかかわっていること、食料自給率も実のところはエネルギー自給率から大きく影響を受けざるをえないことは、最近の原油価格の変化が思いもかけない食料品の価格に影響を与えていることからしてあまりにも明白というべきです。食料自給率に関しての観念的・農本主義的な議論でなく、エネルギー自給率に関しての実質的な議論をこれからの日本人は厳しくしていかなけばならないのでしょう。

 報告では、原油の残存埋蔵量や産出量のデータにさまざまな誤謬やカラクリがあること、そしてそれに代替する原子力エネルギーというものがどういうものであって、また原子力の安全性を「安全」の意味をわかりやすく説明することによって論証されていました。

 論証の中で、日本のエネルギー問題への意識は呆れるほど低い、しかし日本の原子力エネルギーの技術は突出するほど優秀である、という奇妙な二面性への苛立ちが幾度もあらわれ、私は実にしっかりと共有できたように思えます。そしてこの奇妙な二面性は何処となく日本人らしいという匂いも私はふと感 じました。現状への認識対応の全国民的鈍感さと、その現状にありながら世界的に突出した技術力をもてあましているという二面性は、日本が幾度も直面してきたことであるのでしょう。あるいは「もてあまさせられている」のかもしれませんが。

 苛立ちが共有できたのは、切迫している現実(原油価格)とあまりにも近接している問題であったせいもあるでしょう。ただ、多くの貴重な資料を丁寧に説明されたせいもあり、時間が不足してしまい、幾つかの説明を省かざるをえませんでした。報告検討はこれからも続きます。 

 儒学思想の受容の在り方、左翼政治集会の現状、金融市場の問題、そしてエネルギー自給率の問題と、新年早々、いかにも「混成部隊」の坦々塾ら しい幅の広い、しかし日本という国のこれからを模索する上で、どこかでしっかりとつながっている幾つかのテーマが語られて、少なくとも私には、たいへん刺激的な時間でした。

 報告者の講演を終えた後、会は懇親会に移行しました。先輩諸氏は酒杯を傾けながら、新年会の勉強の成果、今年のこれからの日本の展望、各々の抱負などを遅い時間まで楽しく過ごされていました。懇親会の時間もあわせて、私にとって新年早々、忘れられない一日となりました。

文:渡辺 望

ご案内

「真実を見つめる都民の会」では、「偽装大国日本」と銘打った「パネル展」」を開催します。
期間は1月31日から2月2日までの3日間です。
場所は地下鉄後楽園駅前、文京シビックセンター一階、展示室2・アートサロンです。

「つくる会東京支部」ホームページに案内チラシが掲示されています。

さらに2月2日(土曜)にビデオや映画を観ながら歴史問題の争点を研究します。 

ご関心のある方はぜひご参加ください。参加費無料です。
会場は、文京シビックセンター地下1階 学習室です。

プログラム① 東京裁判に関するビデオを題材とします。 
前編(いわゆる「A級戦犯」の尋問調書から)  10:00-11:15
後編(パール判事の問いかけたもの)      11:15-12:10

プログラム② いわゆるB級戦犯・岡田資中将の法戦(題材:新作映画『明日への遺言』)                   12:15-14:05

なお同じ会場で15:00から、西尾幹二先生による「特別講演」が開かれます。
講演 『「GHQ焚書図書の開封」刊行をめぐって』
~日本人はなぜこんな大事な文献を放棄してきたのだろう~

こちらは入場整理券を発行しますので、お早めにお申し出ください。
整理券発行場所は、1月31日から開催される「パネル展」会場の受付です。

連絡先 090-2410-2431(小野)

文:真実を見つめる都民の会

月刊誌『自由』2月号

jiyuhyousi.jpg 月刊誌『自由』2月号(1月8日発売)に、石原萠記、加瀬英明、藤岡信勝、西尾幹二の「新春座談『自由』50年の歩み――安保闘争から歴史教科書問題まで――」が掲載されました。

 その後半で「新しい歴史教科書をつくる会」の現下の問題点が整理され、明解に語られています。最重要の指摘は、安倍前首相が介入して3億円がフジテレビから一種の「だまし」で八木一派の手に渡ったいきさつを屋山太郎氏が証言している、との藤岡氏の告知です。座談会の最大のポイントです。以下は藤岡氏のその部分の発言内容です。

 フジテレビが三億円出すに至ったのは、屋山氏によれば、次のような経過だそうです。

 年が明けてからだと思うのですけれど、屋山氏が安倍総理に電話して、「扶桑社が教科書をやめるということになった。これは大変困る。何とかしてくれないか」と頼んだ。安倍総理から、「誰に言えばいいのか、誰がポイントなのか」と聞かれたので、「それはフジサンケイグループ会長の日枝さんだ」と答えた。それで、安倍総理が、日枝さんに働きかけた。

 屋山氏が安倍総理に電話して一夜明けた翌日には返事が来て、日枝さんが三億円出すことになった。扶桑社の子会社として育鵬社というのをつくって、すぐに社名が決まったかどうかは分かりませんが、それで出すという話が決まった。そういうことを私は屋山さんから直接聞きました。

 安倍さんは、「つくる会」の教科書を念頭において、扶桑社がもう採算が合わないからという口実で出さないというふうに理解していたはずです。安倍さんは自民党若手の教科書議連の中心メンバーでしたし、安倍内閣時代に「つくる会」の教科書がなくなるという事態を危惧して動かれたのだと思います。

 しかし、八木・屋山グループは、安倍首相の善意を利用して、『新しい歴史教科書』はそもそも「つくる会」の教科書ではなく、扶桑社の教科書だということにして、そもそも「つくる会」を弾き出して、八木さんたちのグループに教科書をやらせるというふうに話をすり替えたのです。安倍さんの意向はそうではなくて、「つくる会」の教科書を出し続けるために影響力を行使したと思います。そのことは安倍さんに近い政治家の方からも確かめている。ところが扶桑社は教科書の書名を変える、執筆者も替えると言う。代表執筆者の私はクビです。編集方針を変える。支援組織をつくる。「つくる会」は解散して、個々のメンバーは仲間に入れてやる。こんなことを「つくる会」がのめるはずがありません。

 次に以下の二つの引用で、つくる会問題の本質の指摘とそれに対する西尾のスタンスが余すところなく語られていると信じます。

 この問題の最大の被害者は、私ではなく、藤岡さんなんですよ。藤岡さんの人格を侮辱するビラがまかれたわけですから。いや、侮辱するレベルではなく、藤岡さんの社会的立場をなくそうとしたのですから。公安調査庁情報というものを遣って、他人の存在を脅かすことは犯罪ではないのですか。証拠は八木さん自身が言論雑誌に書き残しているんです。警察だの公安だのの名を用いて、他人を蹴落とすことが許されるのなら、われわれ小市民は穏やかに生活することが出来なくなります。そしてつくる会が、要するに乗っ取りの対象になった。しばらく私は見ていて、横で見ていただけですけれど、これはおかしいと。絶対におかしいと気が付いた。藤岡さんとつくる会を守らなければいけないと。

 最大の被害者は藤岡さんとつくる会で、私は見ていられなかった。つまりあまりにも明白な不正が行われた。正義に反すること、素朴な意味での正義に反することが行われているということを私は友人たちにも申し上げています。それで再生機構に名前を貸すのをやめた人が何人もいます。正義の問題だ、単純な正義の問題だと何人もの人が気付きました。

 以下は藤岡さんご自身が自分の口からは言いにくいことでしょうから、私が代弁します。藤岡さんは八木秀次氏を名誉棄損で民事提訴しているだけでなく、11月初旬に「偽計による業務妨害罪」で、八木秀次、宮崎正治(元つくる会事務局長)、渡辺浩(産経新聞記者)、「ミッドナイト・蘭」こと中村世志也の四名を東京地方検察庁に刑事告訴しました。東京地検は正式受理した模様です。「藤岡信勝先生の名誉を守る会」も既につくられ、つくる会は理事会だけでなく、約5000人の会員がこの裁判の行方を見守っています。

 私の手許に有志が集まって作成したと聞く東京地検への「嘆願書」が送られて来ています。これは私が関与した文章ではありませんが、よく書けているので、その要点を紹介することで、「問題の核心」をお話ししたいと思います。

 藤岡氏が平成13年まで共産党員であったという公安調査庁情報と称するものを、八木氏は『諸君!』や『SAPIO』で「公安調査庁の知人に確認した」と記述しています。東京地検はその「知人」なる人物の実在の有無を明らかにする義務があると思います。「嘆願書」はまずそのように訴えています。

 次に、その「知人」なる人物の氏名、所属部署、身分を明らかにすべきです。また八木氏の言うように公安調査庁に「知人」がいれば、他人の情報を得ることは可能なのか。普通には可能ではないはずです。ならば、それを可能にした八木氏の特権、氏の同庁との関係は何なのかを説明して欲しいと述べています。

 以上が事実であった場合、現時点では氏名不詳の「知人」には、当然ながら刑事責任が発生するのではないか。何故なら、公安内部の「知人」が公安という国家機密機関の情報、しかも非公開の個人情報を、八木氏という特定の人物に公刊雑誌に複数流布させることを可能にしたからであります。

 以上にあげた諸点は「知人」の実在を前提とします。もし「知人」が実在の人物ではなく、八木氏による創作・ニセ情報であった場合には、八木氏の刑事責任が発生するのは如何せん防止しがたいのではないか、と問うております。

 関係者によると、この「嘆願書」は既に約100人の署名がなされ、東京地検に送られているそうです。署名は今後増えるでしょう。

 よく考えて欲しいのですが、平成13年、すなわち最初の教科書採択の年まで、藤岡氏は保守派の隠れ蓑をまとった「隠れ共産党員」であったと、公安の権威を使って言い立て、藤岡氏をつくる会から失脚させようとしたのですから、卑劣この上もない行為です。八木氏が藤岡氏のいる理事会などで「平成13年まであなたは共産党員ではなかったか」と堂々と声を上げ、公開討論をするのなら、それは少しも卑しいことではありません。

 私が残念なのは、今の世の中が、公安利用などということに敏感でなくなり、仲間を公安に売ることが不正の極みだということさえ分らない人々が、保守言論界の名だたる名士たちの中に少なくないほどに、世の中の道徳観が麻痺していることです。

 私が憤りを覚えているのはひたすらその一点です。それがこの問題に対する私のスタンスの最大の部分です。

 以上のほかに、つくる会のテーマに限っても14ページにわたってさまざまな観点が詳しく討議されていますし、『世界』と対決した『自由』の1960年代以来の長い歴史も追跡されています。まさに戦後史の欠かせないドラマです。

 『自由』は簡単に入手できない地域もあるかもしれません。

 『自由』誌本号の入手及びご購読のお申し込みは、お近くの書店または、自由社(電話:03-5976-6201/FAX:03-5976-6202)までお申し込み下さいますようお願いいたします。

文・西尾幹二

平成20年 謹賀新年

謹 賀 新 年

水のかき消える滝

 七十歳を過ぎると、さすがもう時間は刻々と迫っているのだと、厭でも考えざるを得ない。しかし、日頃なにかと考え思い付くことは、仕事の上の新しい計画なのである。

 昨年と同じように今年に期待している、私という人間の鈍感さである。なにも悟っていない愚かさでもある。

 いつ急変が身を襲うかもしれないことに薄々気がついているのに、気がつかない振りをしている自分にたのもしささえ感じている。

 死の淵に臨む大病を二度しているので、あのときの感覚は分っているつもりだが、忘れるのも早いし、日々思い出すこともない。本当は分っていないのであろう。

 上田三四二という歌人がいた。何度もガンに襲われて逝った。私は彼の書いた私小説が好きで、好意的に論評し、文通もあり、死後彼の文庫本の解説も書いた。

 上田の小説は病院とそれをとり巻く環境、たえず自分の死を見つめる心の弱さや自分への激励を書いていた。やさしい心の人で、文章も柔かく、しみじみとした味わいがあった。

 彼の書いた比喩で、死は滝壷の手前でフッと水が消えてしまう滝を橋の上から見下ろしているようなものだ、という言い方があった。

 記憶で書いているので正確ではないかもしれないが、人間が生きているということは水量が多い川の流れである。それが滝になってどっと落ちる。落ちた水は滝壷に激流となってぶつかり、飛沫をあげるのが普通だが、この場合には落ちる途中でいっさいの水がいっぺんに消えてしまう場面を想定している。

 大量の奔流が落下の途中でフッとかき消え、その先はもう何もない。上田さんは、来世とか霊魂の不滅とかを信じることができないと言っていた。大抵の日本人はそうである。

 宗教の教えは来世を期待することと同じではない。むしろ期待しない心を鍛えることにある。

 彼は小説の中でつねに自分の死のテーマにこだわっていた。こだわり過ぎているとさえ思うことが多かった。あるとき、死を平生考えない人間がむしろ正常なのだ、という彼の感想があった。それはかえって彼における死の意識の深さを感じさせた。

 私は上田さん宛の手紙で、病いの中にあるときの私はあなたの作品に共感し、分ったようなつもりになっているが、本当は何も分っていないのかもしれない。私はあなたが知っての通りどちらかといえば「社会的自我」で生きているタイプの人間で、かりに不治の病に仆れても、結局は今までの自分を変えることはできず、あなたから見て軽薄な、表面的な「社会的自我」で活動する人間であることを死ぬまで守りつづけ、追いつづけるほかない人間であろう、という意味のことを、いくらか自嘲気味に書いた覚えがある。

 苦悩する聖者を前にした浅間しい凡夫のような立場に立って、私は彼の作品を読み、論評し、かつ私的にも交流した。

 私は本当には死の自覚を持っていない人間に違いない。

 一度だけこんなことがあった。

 都心から深夜高速に乗ってタクシーで一路自宅へ急いでいたときだった。点滅する前方の光の乱射がどういう心理作用を及ぼしたのか分らない。私は自分の意識が突然消えてなくなるということがどういうことか分らないのに、それが一瞬分るような、なにかがくんと身体が揺さぶられるような、眩暈のような感覚にとらわれた。私はしばらく息を呑む思いがした。

 自分の意識が消えてなくなる?これはどういうことだ?

 自分がなにか違う次元の相へスリップインしたような、ついぞ体験をしたことのない異様な恐怖が私を襲った。

 うまく言葉でいえないが、それはたしかに恐ろしかった。私は目をつぶってやり過した。

 上田さんの、滝壷の手前でフッとかき消えてしまう不思議な滝の光景がしきりに思い合わされた。

 タクシーは間もなく高井戸から環状八号線に入り、いつも見ている馴染みの商店街を目にするにつれ、私は自分を取り戻した。私は携帯を取り出して、もうすぐ帰るよ、と自宅へ電話した。

 あっという間の出来事だった。

(『礎』第2号からの転載)

文・西尾幹二