平成20年 謹賀新年

謹 賀 新 年

水のかき消える滝

 七十歳を過ぎると、さすがもう時間は刻々と迫っているのだと、厭でも考えざるを得ない。しかし、日頃なにかと考え思い付くことは、仕事の上の新しい計画なのである。

 昨年と同じように今年に期待している、私という人間の鈍感さである。なにも悟っていない愚かさでもある。

 いつ急変が身を襲うかもしれないことに薄々気がついているのに、気がつかない振りをしている自分にたのもしささえ感じている。

 死の淵に臨む大病を二度しているので、あのときの感覚は分っているつもりだが、忘れるのも早いし、日々思い出すこともない。本当は分っていないのであろう。

 上田三四二という歌人がいた。何度もガンに襲われて逝った。私は彼の書いた私小説が好きで、好意的に論評し、文通もあり、死後彼の文庫本の解説も書いた。

 上田の小説は病院とそれをとり巻く環境、たえず自分の死を見つめる心の弱さや自分への激励を書いていた。やさしい心の人で、文章も柔かく、しみじみとした味わいがあった。

 彼の書いた比喩で、死は滝壷の手前でフッと水が消えてしまう滝を橋の上から見下ろしているようなものだ、という言い方があった。

 記憶で書いているので正確ではないかもしれないが、人間が生きているということは水量が多い川の流れである。それが滝になってどっと落ちる。落ちた水は滝壷に激流となってぶつかり、飛沫をあげるのが普通だが、この場合には落ちる途中でいっさいの水がいっぺんに消えてしまう場面を想定している。

 大量の奔流が落下の途中でフッとかき消え、その先はもう何もない。上田さんは、来世とか霊魂の不滅とかを信じることができないと言っていた。大抵の日本人はそうである。

 宗教の教えは来世を期待することと同じではない。むしろ期待しない心を鍛えることにある。

 彼は小説の中でつねに自分の死のテーマにこだわっていた。こだわり過ぎているとさえ思うことが多かった。あるとき、死を平生考えない人間がむしろ正常なのだ、という彼の感想があった。それはかえって彼における死の意識の深さを感じさせた。

 私は上田さん宛の手紙で、病いの中にあるときの私はあなたの作品に共感し、分ったようなつもりになっているが、本当は何も分っていないのかもしれない。私はあなたが知っての通りどちらかといえば「社会的自我」で生きているタイプの人間で、かりに不治の病に仆れても、結局は今までの自分を変えることはできず、あなたから見て軽薄な、表面的な「社会的自我」で活動する人間であることを死ぬまで守りつづけ、追いつづけるほかない人間であろう、という意味のことを、いくらか自嘲気味に書いた覚えがある。

 苦悩する聖者を前にした浅間しい凡夫のような立場に立って、私は彼の作品を読み、論評し、かつ私的にも交流した。

 私は本当には死の自覚を持っていない人間に違いない。

 一度だけこんなことがあった。

 都心から深夜高速に乗ってタクシーで一路自宅へ急いでいたときだった。点滅する前方の光の乱射がどういう心理作用を及ぼしたのか分らない。私は自分の意識が突然消えてなくなるということがどういうことか分らないのに、それが一瞬分るような、なにかがくんと身体が揺さぶられるような、眩暈のような感覚にとらわれた。私はしばらく息を呑む思いがした。

 自分の意識が消えてなくなる?これはどういうことだ?

 自分がなにか違う次元の相へスリップインしたような、ついぞ体験をしたことのない異様な恐怖が私を襲った。

 うまく言葉でいえないが、それはたしかに恐ろしかった。私は目をつぶってやり過した。

 上田さんの、滝壷の手前でフッとかき消えてしまう不思議な滝の光景がしきりに思い合わされた。

 タクシーは間もなく高井戸から環状八号線に入り、いつも見ている馴染みの商店街を目にするにつれ、私は自分を取り戻した。私は携帯を取り出して、もうすぐ帰るよ、と自宅へ電話した。

 あっという間の出来事だった。

(『礎』第2号からの転載)

文・西尾幹二

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