WiLL論文について

ブログ歴史と日本人―明日へのとびら―(耕氏 筆)より

おかしな竹田恒泰氏の論文  

 竹田恒泰氏が『will7月号』で西尾幹二氏の論文を批判しているが、はっきりと言うならばおかしな批判ばかりだ。竹田氏は西尾氏を「保守派を装った反日派」扱いしているが、それはむしろ竹田氏のほうではないか。
 
 竹田氏は西尾氏の「この私も(中略)天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という片言節句を取り出して、それを抜き出した上で「天皇制度を「廃棄」するのは、およそ保守派の言論人から出る言葉ではあるまい」と言っている。ところがこれは竹田氏の詐術である。なぜなら西尾氏の原文は、「(それまで皇室が近代原理に犯されつつあることを批判した上で)皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という内容である。この文章自体「保守派」に危機感を促す修辞だと思うが、それでなくとも文章の本意を読み取らず、言葉の一部分を抜き出す竹田氏はどこかおかしいのではあるまいか。さらに竹田氏はこう言っている。「廃棄とは廃棄物を処理することを意味し、この言葉を天皇に使った人物は後にも先にも西尾氏だけであろう」。竹田氏は日本語にも難があるらしい。「廃棄」を説明するのに「廃棄物」を使ったら同語反復で説明になっていない。「廃棄」とは「不要のものを捨てること」であり、「廃棄物」という言葉を選んだのは西尾氏の主張を気色悪く見せようという手だろう。
 
 皇室が「不要」とは何事かと言い出されかねないが、この「廃棄」に賛成している部分は西尾氏が想定する最悪の状況になった場合、という話である。その文意を全部無視して「皇室の存在を良しとしない」などと決め付けられてはたまったものではない。
 
 西尾論文の主意は皇室に学歴主義、平等主義という近代原理が入り込み始めており、「人権」という最大の近代原理が入りこむのは時間の問題である。左派はすでにそのことを言い始めている。伝統を無視し、「人権」を尊重するようになってしまえばもはや日本社会は融解する。そのような皇室になってしまったら廃棄もやむを得ない(原文を読めばわかるが、「そうならないようにしよう」、という語感が言外に含まれている)。西尾氏は皇室とは日本人の「信仰」であると理解しており、したがって皇族は神としての存在を求められる。「人権」などという原理を認めればそうした日本人の原信仰は破壊しつくされてしまう、ということだ。竹田氏曰く「英国のゴシップ紙と何ら変わることはない」そうだが、これのどこが「英国のゴシップ紙」なのだろうか。
 
 西尾氏は皇室に近代原理が入り込んでいく過程を明らかに雅子妃に見ている。雅子妃には「キャリアウーマン」としての前歴などではなく、伝統的皇室として行動していただきたい旨を主張している。日本皇室の西洋王室化を懸念しているのであり、いっそ西洋王室のようになっていくか、それともそれが日本社会に深刻な悪影響を及ぼす前に「廃棄」してしまうか。この命題は保守派にとって突きつけられた課題のはずだ。仮に皇室が伝統的皇室を裏切ってもひたすら維持するのか、そうではないのか。尊皇家であればこそ考えなくてはならない課題である。ところが竹田氏にはそのあたりの視野は全くないようである。西尾氏ばかり擁護していると思われるのも何なので余談ながら触れるが、この命題にたいしては当の西尾氏すら揺らぎを見せているように思える。
 
 竹田氏は皇室が批判されれば印象が悪くなると考えている節がある。だが事はそんなに単純ではない。まさに西尾氏が「内部から崩壊しようとしている」と述べているように、近代社会(国民)と伝統社会(皇室)が乖離し、齟齬をきたし始めているという深刻な問題がある。雅子妃の問題はその一つの表れに過ぎない。皇室の根本である祭祀に皇后が個人的理由から参加されない、ということになれば皇室が公的存在であることすら薄れかねない。
 
 竹田氏はこうも言っている。「これまで皇室は幾度となく危機を乗り越えてきた。将来生じる危機も必ずや乗り越えていくことを私は信じている」と。竹田氏が信じたくらいで乗り越えられるのなら苦労はないと皮肉ってやりたいくらいだが、そうは思わないらしい。天皇が「神に接近し、皇祖神の神意に相通じれば、今上さまと同様、必ず立派な天皇におなりあそばす」であろうことは私も同意する。だが「神に接近する」こと自体を皇室自身が拒み始めていることに警鐘を鳴らしたのが西尾論文ではなかったか。雅子妃だけではなく高円宮承子さまの話など、皇室の西洋王室化乃至は大衆化が幾たびか報道されるようになった。「開かれた皇室」という妄想の元に皇室の世俗化、大衆化が進行しつつある。それは皇室が「祭り神」でもなく「国民の慈母」ですらなくただの名家の一つに下がってしまいかねないほどの危機が迫っているということだ。これは「世継ぎ問題」だけに修練されるものではなく、永い皇室の歴史の中でも未曾有の事態と言わなければならない。
 
 竹田氏は最後にこんな言い方をしている。「私のような三十二歳の青二才が、人生の先輩にこのようなことを言うのは申し訳ないが、もし私のこの注告(ママ)を読んで少しでも思いを致すところがないとしたら、そろそろ世代交代の時期が迫っているのかもしれない」。これこそ「卑怯」で「品格に欠ける」態度と言わなければならない。最初の西尾発言の作為といい、言論人として、(「旧」がつくとは言え)皇族の一員として醜態をさらしているのは竹田氏のほうではないかと思うのだが、どうだろう。

*なお一応読者の一人としてではあるが論文を評させていただいたので、この記事は西尾氏と竹田氏のブログにトラックバックさせていただくことにした。

文:耕

 WiLL5月号の末尾のしめくゝりの文章を参考までに掲示します。尚「第一の提案」は主治医の複数化の要請です。

 しかし先の医師によると、殿下がそういうお言葉をお漏らしになるとそれが報道されて、妃殿下の病気が重くなる、だから何も言えない、そういう網にからめとられたような状況だ、というのだが、果たして本当だろうか。それほどの事態であるのなら、このまま時間が推移していくのはさらに恐ろしいことで、やがて日本の皇室がものの言えない沈黙の網にからめとられていくのをわれわれ国民は黙って看過してよいのか、という別の問題が発生する。

 じつは私などが一番心配しているのはこのことで、妃殿下のご病状が不透明なままに第126代の天皇陛下が誕生し、皇后陛下のご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい、という身勝手な、薄明に閉ざされた異様な事態が現出することを私はひたすら恐怖している。

 そしてそこに、外務省を中心とした反日の政治勢力がうろうろとうごめく。中国の陰謀も介在してくるかもしれない。天皇家は好ましからざる反伝統主義者に乗っ取られるのである。そして、皇族に人権を与えよ、という朝日とNHKの声は高まり、騒然とする。国民はどうなっているのか読めないし、どうしてよいのかも分らない。ただ呆然と見ているだけである。

 皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない。

 そうならないためのさし当たりの私の第二の提案は、宮内庁と東宮につとめる外務官僚の辞任を実施することである。外務省も今のうちなら、ない腹をさぐられるよりその方がよいときっと思うだろう。

文:西尾幹二
WiLL-2008年5月号

お知らせ(日本文化チャンネル桜出演)スカイパーフレクTV241Ch

6/7 (土)23:00~24:00
第23回:GHQ「焚書」図書開封の刊行と新事実の発見

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日本よ、今…「闘論!倒論!討論!2008」

  放送時間
パート1 木 20:00-21:30
パート2 金 21:00-22:00

今後の放送予定

6/5
(木) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢

パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 太田述正(元防衛庁審議官)
 川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
 田代秀敏(大和総研主任研究員)
 西尾幹二(評論家) 
 西部邁(評論家)
 松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子

6/6
(金) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢

パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 太田述正(元防衛庁審議官)
 川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
 田代秀敏(大和総研主任研究員)
 西尾幹二(評論家)
 西部邁(評論家)
 松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子

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