管理人からのお知らせ

☆ 現在当ブログは休載しています。

☆ 今までのエントリーはこのまま掲示します。

☆ コメント欄は閉鎖します。

☆ 雑誌掲載予告等はお知らせいたしません。

平成14年(2002年)8月から平成16年11月までの過去録はこちら

平成16年(2004年)6月から平成19年(2007年)1月までのエントリー一覧表(アーカイブ)はこちら

「日録」休載のお知らせ

江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋

 明1月26日に『江戸のダイナミズム――古代と近代の架け橋――』(文藝春秋刊、640ページ、¥2762)が書店の店頭に出ます。よろしくお願いします。

  この本の内容紹介は1月元旦付の当ブログ「謹賀新年」に譲ります。

 新刊の刊行を機に、平成14年8月2日から4年6ヶ月つづいた「西尾幹二のインターネット日録」を本日より以後、当分の間、休載することを申し述べさせて戴きます。永い間ご愛読をありがとうございました。

 理由は、残りの人生に私が自分に課している著述活動とブログとの両立が時間的にも、精神的にも難しくなったからです。人間が一日に文字を書くために意識を集中させるエネルギーの定量はほぼきまっています。

 以下に私の著作計画、残りの人生のための本づくりの計画を、自分への誓約という意味もこめて、あえてお示しします。

1、国民の歴史 現代篇

 呼称は、国民の現代史、または国民の昭和史、未定。

 日露戦争後(1906)から平成18年(2006)まで。

 3000枚(二部作)。

 国民の歴史と同じポイント式記述。
 徒らな歴史論議にはまらない大叙事詩構想。

 日本人の各時代の暮しに着目、文学作品や思想史にも注目、
 戦後は経済史を無視しない。

 人間が各時代を生きていた呼吸が伝わるような叙述でありたい。
 歴史は民族の生の物語であって、事実の正否を見定める論争書ではない。

  

 その基礎作業 進捗状況
(イ) ヴェノナ文書や旧ソ連文書などを通じた主に英米の20世紀史、裏面史、あるいは中ソ関係の暴露史についてインテリジェンス研究家柏原竜一氏とすでに三年目の研究に入っている。研究は今後一段と活発化させる。

(ロ) GHQ焚書図書開封と題して本年2月よりTV文化チャンネル桜で放映開始。毎月10冊程度紹介。 昭8-昭和20の国民感情と、日本から見ていた日本国民の世界像を再確立する。同名の書籍の出版も計画中。

(ハ) ニュルンベルク裁判と東京裁判と題した比較共同研究を在独エッセイストの川口マーン恵美さんとすでに開始(「秋の嵐」(三)(四)参照)。いずれ対論と各自の補論をまとめて刊行する。余談だが、『諸君!』3月号に拙論「勝者の裁き――フセインと東條のここが違う」を書いたが、すでに共同研究の成果が早くも少し現われている。

(ニ) その他の文献蒐集もすすむ。ご承知と思うが、『新・地球日本史』①②は、同じ時代のポイント式記述で、編者として私が経験をつませてもらったことは有難い。

 以上は『国民の歴史』の現代版を書きたいともう三年も前から言いつづけて少しづつ準備し、『江戸のダイナミズム』の完成に追われて実現できなかった思いを表現してみたまでのものです。

 対象時代は1906年から1950年(朝鮮戦争)までの案と、1989年(昭和の終焉)までの案とが考えられますが、平成の衰亡と拉致、領土、歴史教科書、靖国、郵政民営化まで書かないと収まりがつかないように思えます。

 当然のことですが、『江戸のダイナミズム』の12ページに及ぶ「参考文献一覧」をみていると、次から次へと新しい研究のヒントが生じ、新しい本のアイデアが生まれてきます。ある人に「先生は200歳まで生きるつもりですか」とからかわれました。

 『江戸のダイナミズム』の主題は、要約すると、「詩と言語と文字と音のテーマ」です。古代史は哲学的に書ける世界でもあります。現代史は哲学的に扱うと過ちますが、古代史は「詩と哲学」の世界といってもいいほどです。

 というわけで、「詩と言語と文字と音のテーマ」で、例えば哲学的発想で、『柿本人麿論』を書けないかと空想しています。否、空想ではなくて、略体歌・非略体歌をめぐる研究最前線の重要文献をすでにどんどん蒐めているのです。ひょんなことになるかもしれませんし、ならないかもしれません。これはあくまでまだ夢です。

 九段下会議という政治的な知識人会議をやっていたのはご存知と思います。昨年解散しました。最後までメンバーとして残った12人が私の許に再結集して下さり、その方々を中核として、その他に私の旧友等も参加して、「坦々塾」と名づける勉強会が結成され、メンバーはいま35人ほどを数えます。この侭いくともう少し増えるかもしれません。でも、気持の合ったクローズドな会です。

 何をしているかというと、講師のお話をきく勉強会で、私も講演をし、政治的活動はいっさいいたしません。講師は第一回が宮崎正弘氏、第二回が高山正之氏、第三回が関岡英之氏で、近く第三回が行われ、第四回には黄文雄氏を予定させていたゞいています。

 ここで、毎回私が1時間半の講座を持つ約束になっていて、第三回より『江戸のダイナミズム』からの継承テーマとして、『日本の天皇と中国の皇帝』を連続講義することにいたしました。日本・中国・西洋のカミ概念の比較が狙いです。『国民の歴史』の第8章「王権の根拠」の拡大版でもあるといえば分り易いかもしれません。

 うまく行くかどうかまったく分りません。途中で私はもうダメだと投げ出してしまうかもしれません。今の日本で流行している天皇論は閉鎖的にすぎるし、中国論は反中国論でありすぎます。もっと相対化した立体的な高い視点からの「天皇考」が必要だと思っていますが、私には荷が重く、これも口で言ってみるだけで一冊の著作になるかならないかまったく分りません。

 以下に次は順不同ですが、出版社もきまっていて、いずれも実現しなければならないものばかりを列記します。

2、 あなたは自由か ちくま新書 約三分の一完了

3、 ゲーテとフランス革命 「諸君!」連載決定

     
 
 その基礎作業 ゲーテとの対話 PHP新書200枚 今年前半に約束。

4、 翻訳ニーチェ「ギリシア人の悲劇時代の哲学ほか」(中公クラシクス)

 2、と4、はすぐ近い将来にお目にかけます。4、はむかしやった仕事の復刻ですが、じつは少年時代のニーチェの文章を新たに新訳で加えようと今毎日訳しています。

 ニーチェは高校生のころに三人の幼な馴染と同人活動をやっていました。そのときの文章ですから、私は少年らしい訳文にしたいと、「僕たちは」を主語にしたういういしい気分を表現します。この本は9月刊行予定とききます。ショーペンハウアーの「中公クラシクス」(3冊)は今の時代に珍しく増刷がきまりました。

 3、は大仕事です。すでに日録の「秋の嵐」(一)(二)で、構想を報告ズミであるので再論はいたしません。資料はドイツの研究書も、日本の文献もほぼ蒐集終了です。

5、 韓非子 新潮社 約束ズミ

6、 わたしの昭和史 続篇 新潮社 約束ズミ

7、 ニーチェ 第三部(人生の義務)筑摩書房

8、双六のあがりは昭和のダイナミズム1000枚

 どうせこんなにたくさんはできないだろうとお笑いになるでしょう。私に徳富蘇峰の生きた時間を天が与えて下さいますように。それでも無理みたいですね。

 それにまた時局をめぐる雑誌論文もある程度――数をあえてへらしても――書かねばなりません。それと本の出版とは別のことで、連載はありがたいのですが、雑誌を追っていると本を書けなくなります。そこにインターネットが入ると身体が三つに分れてしまいます。

 勿論今まで「インターネット日録」を書くことで自説の整理もしていましたし、コメント欄の鋭い観察のことばがいつまでも心に響き、私の思考を豊かにしてくれることもたくさんありました。

 日録は役に立っていました。他でできない面白い活動でもありました。でも、最近だんだんゲストエッセーが増えたり、入試問題を出したりするのは、私に時間とこころの余裕がなくなっている証拠でした。

 いつ再開できるか分りませんが、将来もう一度やってみたいと思うことがあるかもしれません。そのときは多分、今のスタイルとは違ったブログとして再登場することになるでしょう。

 いずれにせよ、私はいまひたすら本を書く仕事に没頭したいのです。まだまだ体力があるのです。

 本を書くのに必要な力は知力ではなく体力です。少くとも今の私にとってはそうです。

 私の体力維持にご協力下さい。

 「西尾幹二のインターネット日録」の休載をお許し下さい。

入学試験問題と私(六)

 次に掲げる評論文は昭和44年(1969年)12月号の言論誌『自由』にのった。『自由』は『諸君!』のまだない時代の唯一の保守系オピニオン誌で、福田恆存、林健太郎、竹山道雄、平林たい子、関嘉彦、武藤光朗の諸氏の同人的色彩の濃い評論雑誌だった。

 私の評論文の題名は「自由という悪魔」である。こういう題の論文が私の著述の中にあることを知る人がむしろ少いだろう。

 例の『悲劇人の姿勢』に収められている。

 じつは同論文の書かれた時期に注目していたゞきたい。

 前年の1968年に全共闘系学生によって東大安田講堂が占拠され、1969年1月には警察機動隊が封鎖解除に出動している。世の中は騒然としていた。

 1968年11月号の『自由』に三島由紀夫が「自由と権力の状況」を書いている。正確無比な文章である。この論文をも含め諸論を一冊にまとめた同氏の『文化防衛論』は1969年4月に出版され、同6月に『三島由紀夫VS東大全共闘』が発表されている。時代の雰囲気を思い出していたゞきたい。

 これだけ述べればここに掲示した問題文の「自由」の概念の歴史的背景は理解できるであろう。

 にも拘らず同問題は平成12年(2000年)、30年ほどの時間差を経て出題されている。そういうケースが他にも非常に多い。

 あの激しい時代に抗して展開された私の自由の概念は認識への冷たい複眼を求めていて、時代の情念、情緒、エモーションからいかに遠かったかをむしろ物語っている。

 きわどい思想の闘いの日の痕跡を、忘れずに30年後に入試問題に採用した日大の国語担当教官の記憶への意力にあらためて御礼申し上げたい。

日本大学 平成12年度
生物資源科学部

〔1〕 次の問題文を読み、後の問いに答えなさい[ 1 ]~[ 11 ]の解答は解答欄にマークしなさい。

 私にとっての自由は、私自身の生き方の(ア)程の中にしかない。

 私が自由であるためには、私は自由であろうとして生きるのではなく、私が生きることがそのまま自由であるように、そのように生きなくてはならaないという意味である。なくてはならない、という目的意識を表す言葉を用いただけで、すでに私は自由であろうとしているのである。A自由であろうとするとき、人は自由ではない。自由は条件でもなければ、目標でもない。自由は私たちひとりびとりの日々の歩き方の中にしかbないというのは、私達が二度と取り返すことの出来ない掛け替えのない一日、一日を生きているという、時間に関するある大切な、動かし得ない原理の上に立っているからである。

 十九世紀以来の自由主義思想はすべてこの点で躓(つまず)いた。いわゆる近代的自由主義者にとって、自由とは実現すべきものであり、生の目標であり、従って、自由は程度と分量の問題と化し、外から与えられる条件となり、計量可能の領域に収まった。

 しかし例えば、昨日自分はあることをし遂げたいと思ったが、邪魔が入って果たせなかった、誰しもこういうことではくよくよすることが無意味であることを知っている。しかし戦争がなければ、自分の青春はもっと美しかったろうに、というような思いからは人は容易に解放されることはないらしい。だが、いずれにしても、過去は不可逆なのである。何が美しいか、それは誰にもわからcないのだ。後悔などいくらしてみても、今の私達が一日、一日を掛け替えなく生きていく上になんの足しにもならない。そして、今の私達の社会には、自分のB今日の失敗を昨日の過誤で弁解する口実がなんと沢山(たくさん)あふれていることであろう。後悔や反省などいくらしてみても、今日を勇(イ)カンに生きる事の妨げにこそなれ、そこからは真の自由というものに通じる道は閉ざされているのではないか。

 「困難な務めを日々に果たすこと、他にはなんの啓示も要らぬ」は、ゲーテの静かな自信に満ちた言葉だが、こういう当たり前すぎる言葉を吐いて、そこに力強さがあるのは、それだけの実行力を備えていた人の言葉であるからだ。ゲーテは自由という概念を目の前に置いて、分量を測定したり、自由の仮想的を拵(こしら)えて、頭の中の影と戯れたりはしなかった。

 時代がどのように変わっても、自由という一概念にはなんの積極性もなく、自己を実現しようとする個人の意志的な努力のうちに自由は達成されるのではなく、僅(わず)かに予感されるのみである、というのは私には動かせない真実のように思えるのである。誰しも自由を求めて生きるのではなく、何事かをなし遂げようとして生き、[ X ]的に、ある自由感の裡(うち)に生きる、ということもあるかもしれなdない。人は自由を捕らえるのではなく、反対に自由に捕らえられるように、自由が意図せずして歩み寄ってくるように生きることが真の自由であろう。だが、そうして手にした自由でさえも、それが自由であると意識化されれば、たちどころに不自由に転ずることにしかならないようなものかもしれない。真の自由は客観的に認識できないし、主観的にも容易に自覚されることのないなにものかなのである。

 従って真の自由のもたらすかように大きな精神の緊張感には、誰でもが容易に耐えられるものではない。だから人々は自由を口にしてはいるが、本当の自由を求めているわけではけっしてなく、自由主義という名の小さな自由の枠の中へ、適度に不自由に制限づけられることを欲しているに過ぎない、とも言えよう。人は束縛を嫌って、自由を求めると言われるが、C自由であることもまた、一つの束縛なのである。

 自由があり余れば、人は不自由な観念に(ウ)レイ属したがるであろうし、自由の制限によって、安定と自己調和を得たいとむしろ願望するようになるだろう。文明が進展し、機械が余暇を生めば、なにものにも縛られeない自由の領域は[ Y ]的に増大する。つまり、それはなにもしないでいてよい自由ということだが、かかる消極的概念としての自由の領域は益々(ますます)ひろがり、それに比例して、積極概念としての自由の生き方は益々むずかしく、困難に見舞われるだろう。いや、現に私たちはそういう時代に入りつつあるのかもしれない。 (西尾幹二「自由という悪魔」)

問一    線(ア~ウ)にあてはまる漢字と同じ漢字を用いるものを次の語の片仮名部分から、それぞれ一つ選びなさい。
(ア)-[ 1 ] ① カ説  ② カ激 ③ 日カ ④ 歯カ
(イ)-[ 2 ] ① 鳥カン ② 基カン ③ 果カン ④ 壮カン
(ウ)-[ 3 ] ① 奴レイ ② 激レイ ③ レイ儀 ④ レイ句

問二 赤色(a ~ e)ないの中に文法上、他と異なるものが一つある。それを次の中から選びなさい。
[ 4 ] ① a ② b ③ c ④ d ⑤ e

問三 [  ](X・Y)に入る最も適切な語はどれか。次の中からそれぞれ一つずつ選びなさい。
X-[ 5 ]  ① 結果 ② 原理 ③ 絶対 ④ 意識 
Y-[ 6 ]  ① 感覚 ② 条件 ③ 相対 ⑤ 観念

問四 波線(緑色)の意味として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
[ 7 ] 
 ① 個別の知識が突然、まとめられて理解されること
 ② 人の祈りに応じて、神が姿を現して示すこと
 ③ 人知の及ばぬことを、神がさとし示すこと
 ④ 物事の本質や存在を、一瞬のうちに理解すること

問五   線Aの理由として、文脈上、最もふさわしいものを、次の中から一つ選びなさい。 
[ 8 ] 
 ① 自由であろうとすることは、既に目的意識にとらわれたものであるから。
 ② 人が既に自由の身であるならば、そもそも自由であろうと望むはずがないから。
 ③ 自由は人が意図するものではなく、向こうから歩み寄ってくるものであるから。
 ④ 自由は程度と分量の問題であり、外から与えられるべき条件と化したから。

問六   線Bからうかがえる作者の見解として、最も適切なものを次の中から一つ選びなさい。
[ 9 ] 
 ① 人々は、現在の失敗が過去の過ちに起因するとして、過去をふりかえるだけである。
 ② 人々は失敗の原因を過去の過ちで言い訳ばかりして、現在なすべきことを忘れている。
 ③ 人々は、現在の失敗の原因は過去の過ちにのみあるとして、言い逃れようとしている。
 ④ 人々は現在という時を後悔や反省のみで埋めつくし、無駄に費やしているに過ぎない。

問七   線Cの理由として最もふさわしいものを、次の中から一つ選びなさい。
[ 10 ] 
 ① 何もかも自分で決定しなければならないということが、そのまま制約と化すから。
 ② 自由も一つの観念である以上、その概念から一歩も踏み出すことはできないから。
 ③ 束縛があってこそ自由も存在するが、束縛がなくなれば自由という概念も消滅するから。
 ④ 消極概念としての自由は自覚できるが、積極概念としての自由は意識できないから。

問八 問題文の筆者の考えと合致するものを、次の中から選びなさい。
[ 11 ] 
 ① 自由とは実現すべきものであり、生の目標であり、従って、自由は程度と分量の問題と化し、外から与えられる条件となり、計量可能の領域に収まった。
 ② ゲーテは後悔や反省などいくらしてみても、真の自由に通じる道には至らないことを知っていたから、自由の仮想敵を拵えて、それと戯れたりはしなかった。
 ③ 真の自由をもたらす大きな精神の緊張感に耐えることは容易ではないので、あり余る自由の中では、人は適度に不自由な枠の中の安定と自己調和を願うようになろう。
 ④ 文明が進展し機械が余暇を生めば、何ものにも縛られない自由の領域はかなり拡大するだろうが、それは近代的自由主義者の目標としていた自由とは異なるものである。

管理人注:問題を都合上色分けしています。

入学試験問題と私(五)

 入学試験問題に自分の文章が使用され、プリントが送られてきても、私は目を通さずに片付けてしまうことが多い。たゞ捨てることはしない。

 四十年間文筆業をしつづけて来たので、採用例は決して多いほうではないと思うが、長期にわたれば相当の数になるはずである。しかし、袋に詰めてどこかに仕舞いこんで、昔のものはすぐには出てこない。

 今私が紹介しているのは最近数年の、たまたま部屋の片隅に積み上った紙の山の手前の方に偶然置いてあった一袋の中から拾った、面白そうな幾例かである。

 私の記憶では、入学試験問題になった私の本にはほかに『ニーチェとの対話』『日本の教育 ドイツの教育』『智恵の凋落』『自由の悲劇』などがあったように思うが、それらの本からの出題例は今手許で見つからない。

 そして、これも興味深いことなのだが、『異なる悲劇 日本とドイツ』(改版本『日本はナチスと同罪か』)、『歴史を裁く愚かさ』『国民の歴史』などからの現代国語への出題例は、私の記憶にないだけで例外はあるのかもしれないが、思い出せない。

 政治と戦争に関わるものが避けられるのは止むを得ないのだとしたら、1995年以後の私、ことに「つくる会」に関わり出してから以後の私は、もはや教育に役立つ文章家として扱われていないのかもしれない。

 その中で唯一の例外は『人生の価値について』(1996年)である。これは一篇の分量が一問題にふさわしいので、利用されそうだと本を出す前から予想していた。

 東京医科歯科大学の次の出題もこの本からである。

東京医科歯科大学 平成11年(1999年)
医学部・歯学部共通問題

 次の文章を読んで、後の設問に答えなさい。

 重症患者ばかりの入っている病棟に入院したことがある。

 不思議に思えたのは、明日にも死を迎えるかもしれない人々にも「社会生活」があることだった。検温、点滴、回診、検査、食事、自由時間と繰り返される毎日は、すべて他人との接触やかかわりで埋められている。病棟の中でさえ、他人から悪く思われまいとする思惑や、少しでも重んじられたいという見栄があり、そういうものがあるかぎり、人間は気を紛らわし、自分というものの本当の姿について考えないようにしていられるのである。だからパスカルは『パンセ』のなかで次のように言っている。

 「小さな事に対する人間の感じやすさと、大きな事に対する人間の無感覚さは、奇怪な傾倒のしるしである」

 死という大きな事に対しては無感覚で、その代わりに死ぬ何時間か前まで、隣人のなにげない片言や、友人の口もとに浮んだ薄笑いなどを気にして、死を考えないで済ませていられるというようなのが、人間存在の持つ喜劇性の現われだというほどの意味であろう。もっとも、生きるということはまさにこのような喜劇性を演じ続けることでもあるのだから、わが身に即せば、これまで笑ってしまうことは誰にも許されまい。私もまた毎日「小さな事に対する感じやすさ」を持つおかげで、明日わが身を襲うかもしれない運命の異変に「無感覚」でいられるのである。つまり困難で恐ろしい事は考えないで済ませることができるのだ。

 重症患者を多数抱える病棟の必ずしも惑乱していない様子。ときには屈託のない顔が戸口からのぞかれ、笑い声さえ聞える、静かで落着いた雰囲気。私はかつてそういう病室の空気を遠望して、異様な思いがしたものだった。患者たちはなぜ泣き喚かないのだろう。なぜ髪を掻き毟り、眼を血走らせて廊下を走ったりしないのだろう。そんな気力も消え果ててしまったのだろうか。そうかもしれない。しかし、そうばかりではなく、どんな状況にあっても、人は小さな関心事に心がとらえられることにおいて生き続けられる存在なのかもしれない。

 パスカルはこんなふうにも言っている。

 「人間というものは、どんなに悲しみで満ちていても、もし人が彼をなにか気を紛らすことへの引き込みに成功してくれさえすれば、そのあいだだけは幸福になれるものである」

(西尾幹二「人生の価値について」より)

 
 設問 人間の持つこうした性質に対して、あなたは病人と接する時どのような配慮をし、またどのような立場や態度をとるのがよいと思いますか。(六百字以内)。

 読者の皆さん、きわめて簡単な内容の設問だが、答えるのはじつにもって容易ではないとお考えになるであろう。

 この大学は競争熾烈な難関校である。

 採点官が何を基準に点数をつけているのか、設問が余りにも空漠として、方向不明なので、責任のない私の方がかえって恐ろしくなって、気を揉む始末である。

 ごらんの通りパスカルの引用で問題は終っているが、原文ではそれに次の文章がつづいている。著者に無断で削除され、出題されている。

 

 そういえば、あと生命は何日かと思われていた重い患者の病室から、巨人=阪神戦のナイターのテレビ放送音が聞えていたのを覚えている。

 人間が生きるとはなんという痛ましく、悲惨なものであろう。自分の力のとうてい及ばない事柄に対しては、人間は考えないで済ませてしまうという防衛本能を備えているのかもしれない。しかしまた、他方からみれば、人間はなんという強さを身につけている存在なのであろう。死の直前まで自分を維持し、惑乱しないでいられる心の構造はどういう仕組みになっているか分らないものの、それに対し私はやはり畏敬の念を覚えずにはいられない。

入学試験問題と私(四)

 「入学試験問題と私」(一)で取り上げた昨春の上智大の出題はやはり反響があり、ひきつづきコメント欄に小さな論争がくりひろげられているようだ。受験生にとって不当で、著作権者にとって無礼なあの問題は、加えて採点者にとっては採点上の困難をもたらしていよう。

 できるだけ客観的評価を下したいというのが公正を標榜する入学試験の目的のうちにある。そのために客観テストが普及し、○×式か番号記入式かが広く行われてきた。私の中学時代、高校時代はその方式のピークだった。

 あれから徐々に修正され、文章を書かせるべきだという思想が入試の世界に少しづつ広がった。たしか東大の入試で字数をきめて葉書の挨拶文を書かせる出題例があったが、あれが○×式を打ち破る走りだったと思う。

 噂では複数の採点官の点を平均して結果を決めたと聞いている。一点差で当落がきまる入試である。合否線上には同点者が並ぶ熾烈な戦いである。文章を書かせて、採点官の主観でどうにでも結果が左右される問題は採点する側にしても迚も恐いのである。

 一般によく工夫された出題は採点がし易い。ずぼらな出題をすると採点であと苦労する。私が教師生活中にずっと経験してきた不文律である。

 もともと人生に公平な客観的評価はあり得ない。評価に主観が入るのは人が生きていくうえでは避けられない。そう考えれば、文章を書かせる記述式にひそむ評価の不正確を恐れる必要はなにもないともいえよう。

 私はそう考えるし、そう考えていたい。しかし、勿論採点官ができるかぎり公正で、レベルが高いというのがすべての前提である。いい加減な人が採点するのだとしたら、単純な○×式・番号記入式のほうが安全にきまっている。

 次に掲げる大阪芸術大学の平成10年の試験は私の『人生の価値について』(平成8年新潮社刊)からの出題で、きわめて単純な記述式である。大変に採点に苦労するであろうと最初から予想されるような出題内容である。

大阪芸術大学(1998年度) 
放送学科 編入学試験問題
時間90分

次の文章を読んで、あなたが考えたことを600字以内に書きなさい。

 自由と平等は正反対の概念なのに、歴史のなかではつねに一緒に姿を現わすのはなぜだろう。

 一方の人間の自由は、他方の人間の不自由を意味する。したがってお互いに自由を主張し合っていれば、必ず優勝劣敗が生じる。誰でも勝つのはいいが、敗けるのは嫌だから、誰もが敗けないですむ和解協定を結んで、ほどほどのところで自分の自由に手を打ち、自由をなかばあきらめる。それが平等である。

 平等は自由に対するいわば歯止めの装置である。

 しかし、自由がどこまでも無制限に許容されて、平等による歯止めがまったくあり得ない世界が存在することを、ここで見ておかなくてはならない。作家、思想家、芸術家などの相互の関係がまさにそれである。彼らはみな自分が真物であって、相手は贋物であると、てんでんばらばらに自分の自我を主張し合い、独創と個性を競って止まるところを知らない。各自は自分の尺度で自分を評価する。全員がその前で沈黙する客観的で絶対的な評価基準はない。つまり「平等」という歯止めが存在しない。

 考えてもみていただきたい。作家、思想家、芸術家は自分の才能を存分に発揮するための自由はなにものにも制限されてはならないと信じているはずである。しかし自分の能力をさらに上回る他の相手が出て来て、他の相手も同じように独創と個性を主張してくるとき、敗けるのが不快だからといってこちらが平等を唱え、誰もが敗けないで済むための手打ち式、しばしの休戦協定を結べるだろうか。

 あるときロンドンの俳優労働組合が、売れない俳優にも売れると同じように平等の機会を与えよ、と要求したという記事を読んで、私は唖然(あぜん)としたことがある。イギリス社会の病患の深さを物語る。役者が売れる売れないは、才能と幸運のいかんによる。人気という儚(はかな)い虚栄も才能のうちである。彼らが平等や機会均等を言い出したら、舞台芸術はおしまいである。

 つまり、芸術とか思想の仕事に、自由はあっても平等はない。自我の果てしない、不安定な露所はあっても、それへの歯止めはない。仕事の成功は一瞬の、緊迫したきわどさのうちに決する。露出した無数の自我の相互にかもし出すカオスのなかで、最終的にけりをつけてくれる審判者のいない自由の無制限の恐怖と、仕事の成功とは、隣り合わせている。

西尾幹二著「人生の価値について」より 新潮社刊

 ここからどんな答案が書かれたのか、私には想像がつかない。ある意味でいい出題だともいえるし、受験生に衝撃を与える内容であったとも思う。

 けれども、「最終的にけりをつけてくれる」以下の最後の一行に同文の中心主題が集約されていることに受験生が気づいて、解答してくれたであろうか。またそのような採点基準で採点者が評点してくれたであろうか。

 私は文章を書かせる記述方式の入試も、よく考えてみると、なぜか空恐ろしいこと、罪深いことをしているような気がしてならない。

入学試験問題と私(三)

 私の最初のドイツ留学は1965年の7月から67年の9月、30歳になったばかりの2年間だった。ドイツの大学は休みが多い。私は閑さえあれば、ヨーロッパ全土を歩き回っていて、夜はオペラや演劇、昼は美術館を見て歩く旅行三昧の歳月で、ヨーロッパ体験が目的だと粋がっていた。

 以下の文は帰国してすぐに綴られた32歳の頃の体験記で、小林秀雄の影響下にあることを告白しているような文章だが、しかし若い頃外国に出なかった小林とは明らかに違うことも言っている。⑤の傍線部分の「この円周を打ち破る」経験ということばを今40年振りに読んで、私にだけ分る秘かな思いがあるのである。

 私は「円周」の内側にお行儀よくおさまっている学者、知識人、専門家、文壇人のたぐいの価値観に否定的で、一生その手のタイプを破壊しつづけて来たように思い出される。この問題文の中でも最後に、パルテノンに手放しで感激する美術評論家の感傷を「猥褻」だと言って罵倒している個所がある。

 入学試験の問題でよくこんな大胆な個所が選ばれたものだと感心する。しかも問7で「円周を打ち破る」意味を30字で書けと問うてさえいる。若い学生諸君に無理ではないのか。

 「円周を打ち破る」は私の人生そのものであった。近刊の『江戸のダイナミズム』でも、江戸文化という最も完成度の高い円周の中で「円周を打ち破り」そこを超え出たひとびとにもっぱら焦点を当てている。

 私の若い時代の文章が今頃になって、平成14年に出題された。私の人生を予言した一語を見落としていないのを知って感服もし、不安にもなり、こういう国語担当教官を擁した昭和女子大学とはげに不思議な大学であると思った。

昭和女子大学平成14年度
B日程試験(文学部・生活科学部)

(一)次の文章を読んで、あとの問に答えなさい。

 美術館という組織力は、「知識」を強いて、「感動」を奪うために存在するかのように、私には憂鬱だった。

 というのは、ここでは、「美」があたかも不動の、絶対の顔つきをしているからである。

 「美」もまた、人間の感受性という曖昧な武器に支えられて、辛うじて存在しつづけている不安定にして、流動的なものではないだろうか。恐ろしいような傑作が目白押しに並んで、たがいに効果が相殺されてしまうウフィチやプラドの内部をいくども行き来しているとき、私を襲ったのは、ただ、説明のしようもない孤独感だった。私が口もきけなくなるような「美」の放射能を浴びていたというのなら幸いである。そういう瞬間もあればこそ、美術館はくりかえし私にとって、旅の唯一の誘惑であった。

 が、美的感動とは、じつに気まぐれで、相対的なものである。永年あこがれていた作品の前に立ったとき、偶然、頭痛でも起こしていたらもうお仕舞いである。その反対に、同じ美術館を二度訪れる幸運にめぐまれ、一年位の間に感動の質がまったく変っていることに気づいて、私は自分の感受性の頼りなさをかみしめた。だが、「美術館」の方は前に見たときと少しも変っていない。おそらく十年後にふたたび訪れても同じことだろう。

 「保存」という近代的な意志にささえられて、「美」があたかも絶対的なものであるかのように、無数に蒐集され、陳列され、静止している美術館では、作品の美もまた後年の歴史が不断に[ A ]しているのだという事実を忘れさせやすい。一枚の絵はカンヴァスと絵具とから成り立つ物質でしかないのである。多くの日本人がこころみているヨーロッパ美術行脚も、イタリアから北上してフランドルへ行ったか、フランドルを見てからイタリアに南下したか、旅の行程に応じて幻影が織りなす感動の質も変ってこよう。だが、頼るべきものは、その感動の人間的あやふやさ以外にはないのであって、作品とは幻影であり、決して[ B ]ではないことを忘れてはなるまい。

 私がフィレンツェを再訪した五ヶ月前にアルノ河が氾濫し、街のいたるところにまだ土砂の山が残っていた。ミケランジェロのダヴィデで知られるアカデーミアの奥の一室の、トスカナ派の作品は全滅であった。ガラス戸越しに、私は無造作に積み上げられた整理中のカンヴァスの山を見た。それはまるで大学の文化祭やデモの後の、プラカードを積み上げた自治会室のような有様だった。復旧には十年かかるでしょう、と案内人が言った。私はしかし、なんの不条理も感じなかった。芸術はすべていつかは亡びるべき運命にあるのである。一時的にでもそのことを忘れさせる巨大な西洋の美術館や博物館の方が、美の確実性に関する錯覚の上に成り立っている一個の[ C ]のように私には思えたのであった。

 いったいヨーロッパ美術の「美」を知るなどということはどういうことなのだろうか?安易に語られ勝ちな西洋体験への反省を強いられるのも美術館のなかである。じっさいに数多くの実物に接したことが、西洋美術を知ったということになるのだろうか。あるいは逆に、一生を日本の外に出ないで、複製画ばかり眺めて暮らすことが、知らないということを意味するのだろうか。展覧会で見た一枚の本物のゴッホは、「『ゴッホの手紙』を書く動機となった私の持っている一枚の複製画の複製と見えた」という①小林秀雄氏の痛烈な逆説は、たとい一生に一度クレラミューラーを訪れる機会に恵まれたとしても、一生の大半を日本で暮らさなければならない日本人の、西洋文化への宿命的な決意を語ってやまないものがある。

 翻訳を通じてドストエフスキーを論じ、レコードを頼りにワーグナーに感動してきたわれわれの教養の在り方は、実際、良し悪しの問題ではないのである。それ以外に仕方がなかったのは事実だとしても、そう居直るのではなく、②代用品を食って酔うことが出来たという事実の一回性を軽んじてしまえば、本物に出会ったとき、感動の純粋さを期待することさえも出来ないだろう。

 私は数え切れぬほどの傑作の氾濫に数時間身をさらしたあとで、美術館を出るとき、いつも不図たまらない空しさを覚えるのが常だった。美術館の数をひとつずつ重ねてゆく度に、たしかに私の見方は変っていった。臆断は訂正された。思いがけない驚きにも出会った。好きであった作家が嫌いになり、今までよく知らなかった、未知の作家を発見したりした。

 だが、私はヨーロッパ美術の「美」に本当に感動したのだろうか。生まれ故郷オランダの外に一度も出たことのないレンブラントは、イタリアに学んだどの同時代人よりもイタリア・ルネサンスの本質を理解していたと言われる。ヨーロッパ各国の美術館を短時間に次から次へ矢継早に見て廻った③「教養人」にすぎない私は、経験の量がふえるにつれて、しだいに自分でも何をしているのか解らなくなってきた。私は「感動」という言葉に過剰に警戒している自分自身にいくたびも気がついた。

 しかし経験の量が豊富であることが理解を深めないなどと言っているのではない。森有正ではないが、「経験」ということばの意味が厄介なのもここにある。そもそも「自己」をもたないような人がいくら経験を積んでも、さもしい話題さがしの、薄っぺらな体験崇拝に終るだけであることは明瞭であるとしても、今度は逆に、「自己」などというものをおよそ容易に信じている人には、経験によってなにかが新しく開かれるということも起り得ない。

 私が帰国して間もなく、東京でレンブラント展が開かれた。たまに複製ではなく、本物のレンブラントの肖像画の幾枚かが日本人の目にもふれたわけだが、しかし、そういう企て自体が、いかにも私には④複製画的にみえたのである。むろん日本に渡ってきたのはオリジナルである。レンブラントを代表する最高傑作が来ていないというようなことが問題なのではない。ミロのヴィーナスという最高の作品が上野で展示されて、大群衆をよんだが、それはコピーが来ても同じことで、いや、そういう企てが、美術全集のページをくって美的感性にひたすら研ぎすませてきた日本人の「自己」というものにいかにも見合った程度に抽象的だということを言いたいのである。

 今では西洋の芸術に関し、われわれの中には西洋人以上に美食家である人が多い。閉じられた円周のなかで「自己」を信じることほど容易なことはない。ヨーロッパ美術行脚にもし意味があるなら、⑤この円周を打ち破る経験を意識的にくりかえすことにあろう。代用品ばかり食べてきた味覚は、本物に飢えているのでは必ずしもなく、むしろ空想上の本物に食傷して、空想と現実との区別が容易につかなくなってしまったのである。

 永年の念願がかなってギリシャ旅行をしたある美術評論家が、アクロポリスのパルテノンを最初に見たときの、浮き立つような感動を綴った美文調の文章を書いていたことがある。西洋芸術に関するこの種の感傷語は日本ではいたるところに溢れているが、私はこの文章をよんだとき、ある言いようもない猥褻感をおぼえた。どうしてそんなに容易に感動できるのか、私にはさっぱり解らない。アテネ空港からまっすぐアクロポリスにやってきて、いきなり見上げた丘の上のパルテノンがどんなに荘厳で美しくみえたとしても、写真や文献でつみ重ねてきた専門家としての知識、言いかえれば、空想が豊富であっただけに、純粋な感動はそれだけ得にくくなっていると考えるのが自然ではないか。だが、西洋の芸術に関する限り、不思議なことに、知識をもっている日本人ほど感動と感傷を混同する。この人はおそらくパルテノンをまだ見ぬうちに、飛行機で羽田を飛び立ったときに、⑥すでに「感動」していたに違いないのである。

(西尾幹二『ヨーロッパ像の転換』)

注 ウフィチ・・・・・・・・イタリア、フィレンツェのウフィチ美術館
   プラド・・・・・・・・・・スペイン、マドリッドのプラド美術館
   クレラミューラー・・オランダ、アムステルダムのクレラミューラー国立美術館>

問1   空欄[ A ][ B ]に入る語として、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。
 【1】 ア 証明  イ 創造  ウ 調整  エ 関与  オ 現象
 【2】 ア 現実  イ 具象  ウ 事物  エ 実体  オ 本質

問2   空欄[ C ]に入る漢字三字の語を本文中から選んで記しなさい。回答番号は【3】

問3   ①小林秀雄について、(a)どのような文学者だったのか、(b)小林作品はなにか、それぞれもっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は(a)【4】(b)【5】

 【4】  ア 人道主義の立場から、宗教的色彩の濃い評論を発表した
     イ 批評・評論のジャンルを確立し、古典の世界にも深く傾倒した
     ウ 新心理主義文学を紹介し、みずからも実験的な作品を発表した
     エ ドイツ文学の翻訳に力を注いだよか、歴史批評でも活躍した
     オ 西欧文学との比較を通して、私小説、風俗小説を批判した
 【5】  ア 純粋小説論  イ 歌よみに与ふる書 ウ 無常といふ事
      エ 堕落論  オ 古寺巡礼

問4   ②代用品を食って酔うことが出来たという事実の一回性を軽んじてしまえば、本物に出会ったとき、感動の純粋さを期待することさえも出来ないだろう とあるが、この理由としてもっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【6】
    
     ア 代用品に感動した時に与えられた印象の強さを記憶していなければ、本物と接した折に、純粋な感動かの判断もできなくなるから
     イ たとえ代用品とはいえ、一回でも感動してしまった事実を残念に思い、きびしい自省が加えられない限り、純粋な感動が得られるだけの能力すら持ち得ないから
     ウ 代用品への心酔から始まった体験を見くびるような軽率さからは、本物と直面したとしても、純粋な感動を受容できるような繊細な感性が生み出されないから
     エ 代用品に感動したことが確実に存在したと自覚されない限り、たとえ本物と出会ったとしても、純粋な感動を生み出そうとする姿勢も生まれないから
     オ たとえ代用品に感動したとしても、一回限りの貴重な原体験であり、本物からの純粋な感動も、その充実感を深めることでしか形成されないから

問5   ③「教養人」にすぎない私 とあるが、この表現にこめられた筆者の心情について、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【7】

   ア 作品への印象を変えていく自己の拠り所の無さへの反省
   イ 西洋美術の本質を一向に理解できない自己へのさげすみ
   ウ 経験ばかりを重ねるだけの自己への哀れみ 
   エ 知識だけが豊富になってしまった自己への皮肉
   オ 感動を覚えられない自己の鈍感さへの羞恥

問6   ④複製画的にみえた の比喩によって、筆者はどのようなことを指摘しようとしているのか、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【8】

    ア 著名な作品とはいえ、レンブラントの一部しか公開しないこの企画は、断片的な知識だけを提供する点で、複製画のありかたに似ているということ
    イ 日本人のレンブラント理解を打破するほどの衝撃力を持たず、表面的な理解しか与えない点で、複製画と同程度でしかないということ
    ウ 深い理解よりも、教養的な理解を求めようとする日本人の要求に応え、一通りの知識を与えようとした点で、複製画のようなものだということ
    エ 何枚かの本物を集めたこの企画は、レンブラント理解を固定化してしまい、複製画によって形成された、誤った理解を一層増幅させてしまうということ
    オ 日本人の美的感性のレベルに対応したこの企画からは、オリジナルの持つ神秘性を脱落させた、複製画のような浅さしか感じられないということ

問7   ⑤この円周を打ち破る とあるが、どのような意味なのか、三十字以内で説明しなさい。解答番号は【9】

問8   ⑥すでに「感動」していた とあるが、美術評論家のどのような状態が「感動」と表現されているのか、四十字以内で説明しなさい。解答番号は【10】

問9   本文の内容と一致するものには①を、一致しないものには②をマークしなさい。解答番号は【11】~【15】

 【11】 オリジナルか複製かどうかの区別は、鑑賞者の美術体験の質を確定させる決定的な要素ではない
 【12】 コピーを通してしか接触できなかった制約が、西洋美術への安直な体験を語らせる主因になっている
 【13】 作品の美が先験的に存在せず、見る者の感受性によるものである以上、美術体験の共有は不可能である
 【14】 美術館からその作品が本来成立した場に戻されない限り、作品の真の美を見極めることはできない
 【15】 鑑賞者が西洋美術への自己の姿勢を問い直すことに応じて、作品の姿も変貌していく

入学試験問題と私(二)

 上智大学の設問の立て方でおかしいと私が思ったのは、いうまでもなく問2の「反論をして下さい」である。寄せられたコメント欄の最初の四人の読者の反応も、この点がおかしいと皆が例外なく言っていて、取り違えはない。

 ある人は出題文の主張に対する解釈はいくつあっても成り立つが、はたして反論の形式でそれがたとえ一つでも成り立つものか、と疑問を呈している。反論に模範解答があり得るかとも言っている。

 ある人は大学側の「出題者の意図に反論して下さい」と解答欄に書くのが正答ではないかと茶々を入れ、また別の人は、自分が受験生なら出題文の内容は「全く正論、反論はない」と書いて上智大への入学を諦めるだろう、とまぜっ返している。

 大学の出題者は「確信犯的リベラル」で「質の悪い問題」だと、政治的肚を見抜いている人もいた。

 ということは国語の入試問題が思想調査に化けているという意味だろう。

 どういう思想調査をしているのか分らないが、上智大の受験生は昨春、同問題を前にして多分当惑しただろう。出題文に共鳴したか、少なくとも納得した受験生はなおのこと、何を書いてよいか分らなくなって呆然としたに違いない。

 私は不必要に受験生を迷わせる問題は良くないと考えている。能力や学力を知るうえでも役に立たない。

 次に掲げる日大の問題は平成10年度でやや古いが、私の旧著、第一エッセイ集『悲劇人の姿勢』(1971年新潮社刊)からの出題なので、『ヨーロッパの個人主義』と同じ私の若い時期の文章である。送られて来た問題用紙を見て少しうれしかった。あの本をまだ覚えている国語担当教官がいるのだと知って、それが意外でもあり、有難くもあったのである。

 取り上げられた短文「歌劇お蝶夫人」は筑摩書房の『ちくま』という広報誌(1969年12月号)に掲載された目立たぬ小文である。同文の前半の約半分の分量がこの入試問題に使用されている。このあと議論はまだまだつづくのである。

 出題内容も形式もきわめてオーソドックスで、奇をてらった処はない。正答を私は聞いていないが、私までが迷うような手のこんだ難問、不必要な落とし穴はつくられていないように思った。

 私は平明で、迷路のない出題内容が一番良いと考えている。しかしそれなら点差がつかないので、入試らしくないということになるのかもしれない。

 それにしても私自身がもう忘れてしまった30歳代の前半の自分の未熟な文章が入試に使われるのは何となく気羞しく、またそれでよいのだろうかとも考えることが多い。

日本大学平成10年

 《日本人の作品が外国の劇場で上演されることもときたまあると聞いていたが、私は二年間の滞独中に、そういう幸運に恵まれたことはなかった。ヨーロッパで日本および日本人を演じている舞台といえば、ポピュラーなのは、相も変わらず『お蝶夫人』なのである。

 その昔、これは長崎が舞台だというのに、背景画に富士山を描いたりして、ひどいちぐはぐがあったそうだが、私の見たハンブルクの舞台装飾はそれほどひどくはなかった。障子や畳のある座敷を舞台正面にしつらえ、窓から桜の花がみえ、(ア)丸木の橋、庭の稲荷など、たぶん版画や書物で得た知識から作られたのだろう。それなりに上手に、日本的情緒を出していた。尤(もっと)も、その「日本的」ということに過度にこだわり過ぎているように見えるのが、われわれの感覚にある程度は逆らうのだが、今はそこまでは問うまい。

 日本航空の外国支店の窓口によくある小型の石庭なども、大抵は日本人の工芸家の手になるのだろうが、それでも作られた日本以上のものとは言えないのである。それ以上のものをハンブルクのドイツ人舞台装置家に期待することは無理だろう、私はそう思った。しかし、幕が開いて、オペラが進行するにつれ、成程いままで気がつかなかったが、(1)「日本的」と呼ぶ以外にないようななにものかが矢張りたしかに実在するのだ、と納得した。というのは、装置も衣装もそんなに気にならないのに、いかんせん役者の動作だけはなんとしても気になって(イ)仕方がなかったからである。

 日本で人を呼ぶときよく手を叩くが、それはかなり間伸びした手の叩き方が普通であるのに、ところがお蝶夫人が女中のスズキを呼ぶとき、まるで拍手のようにパチパチと間断なく叩く。木魚を叩く場面もあるが、恰(あた)かもジャズドラムを打ち鳴らす具合に賑やかである。女性が立ったまま障子を閉める。子供が足を投げ出している。ピンカートンが障子にノックする。(これはまあ許されてよいかもしれない)しかし、三幕の最初のところで、お蝶夫人が座敷の真中に、立て肘(ひじ)で、腹を下にして、男がだらしないときによくするように横臥したりする。座敷に座ったり、立ったりする動作が不自然なのは仕方ないことかもしれない。日本の民衆を演じた合唱隊がどうかするとすぐ土下座をするのも、知らないための誇張かもしれない。

 しかし、一般に喜怒哀楽の表し方が狭い日本座敷という場にどうしてもそぐわない。これは芝居と違って、オペラであるから、ある程度大袈裟(おおげさ)な動作になるのも止むを得ないことなのではあるが、それにしても、あの時代の日本女性が畳の部屋を端から端へ猛然とつっ走ったり、憤りの余り女中のスズキを見るから乱暴に突き倒したりするだろうか?貞節を守って自刃する日本女性なら、その情熱は内に秘められた忍従への情熱なのであって、激情はわずかな動作から迸(ほとばし)るものでなければならないのであって……等々、私が勝手に考え出すこと自体が、すでに私が「日本的」というものを抽象化している証拠かもしれない。

 それにしても矢張りおかしい。なんとなき異和感はどうしても拭(ぬぐ)えない。日本人が演ずればいくらオペラでもこんな風にはなり得ないと思える部分は、舞台上の動作、振舞であって、装置や衣装に相当する部分ではないのである。これが [A] のオペラであることを十分に差し引いても、この舞台に欠けているものは、日本人ならうめることが可能なものばかりである。そしてその欠如に気がつくのも、やはり日本人だけであろう。装置や衣装という目に見える部分の「 [B] 」は、いくらでも輸入可能であり、訂正可能であるが、立居振舞までは、容易に再現できないものらしい。》

 尤も、オペラ歌手たちは日本人らしさを演じようなどという意図を初めからあまり持っていないに相違ない。オペラ歌手の所作などはもともと大雑把なものである。これを日本の新劇俳優が西洋人になり切ろうとしている(ウ)苦心と比較することはむろん出来ない。それにしても、西洋人が日本人を演じた舞台などは、ヨーロッパでは依然としてほかに容易に見られないから、これは私にはなかなか貴重な経験だったのである。

 ふだんドイツで、シラーやクライストの舞台を見ているときに、私は西洋人の演ずる西洋の舞台を見ているという事実をいつしか忘れてしまう。言葉の不便はいつまでもつき纏(まと)うが、そういうものだと諦らめる気持が出てくる頃には、芝居そのものの心が私を摑(つか)み、役者が何国人であるかなどは実際どうでもよくなってくる。尤も、ドイツ人の演ずるモリエールやクローデルなどは、ドイツ人の演ずるシラーやクライストの芝居以上にドイツ人臭さを感じさせるものである。これも私にはひとつの発見だった。おそらくフランス人が見れば、私以上にパリの舞台との相違をはっきりと感じとるだろう。だが、ドイツでは、フランス物をすでに(a)自家薬篭中のものにしているし、そのドイツ的上演はひとつの伝統にさえなっている。

 そして、そういう意味でなら、『お蝶夫人』のごとき娯楽オペラも各地ですでに何千回と上演され、私の見たあの舞台には、西洋の観客の趣味好尚に逆らうものはなにもないだろう。それだけに、(2)日本という写し紙にうつし出された西洋のこのグロテスクは、西洋人の行動のパターンがいかにわれわれの間尺に合わないものであるかを否応なく拡大して見せてくれた。そして日本人の行動様式や生活様式には、意外に独自なパターンが今なお確然と存在するのであって、われわれが悲観することはないほど生活の「型」というものはまだ生き残っているのかもしれないという思いに私を導いた。

 といっても、それは風俗や習慣のパターンであって、それだけではまだ文化と呼べるようなものではない。だがまた、風俗や習慣、すなわち立居振舞、動作、応待、交際、儀礼、そして他人の行動に対する心理反応に至るまである一定の様式が存在しないようなところに文化というものを想定することは出来ないだろう。そしてそういうわれわれの生の様式は、百年にわたる「西洋化」によって荒廃し切っていると考えられているが、ある種の無言の抵抗が(3)そこに働いていないとは言えないだろう。

(西尾幹二「歌劇お蝶夫人」)

問一 空欄 [A] ・ [B] に入れる言葉として文脈上最も適当なものを、次の1~4の中から一つずつ選び名さい。
【13】 [A] {1 当世風  2 玄人好み 3 大時代趣味 4 ハイカラ趣味
【14】 [B] {1 外国 2 仕草 3 粉飾 4 習熟

問二 波線(下線)部(ア)~(エ)の漢字のうち、読み方が〈湯桶読み)となっているのはどれか。次の1~4の中から一つ選びなさい。
【15】 1(ア)丸木  2(イ)仕方  3(ウ)苦心  4(エ)間尺

問三 二重傍線部(a)(青色)の意味として最も適当なものを、次の1~4の中から一つ選びなさい。
【16】 1 好意的に迎えられているもの。
    2 思うままに使いこなせるもの。
    3 すっかり馴染みになっているもの。
    4 効果が十分に浸透しているもの。

問四 傍線部(1)(赤色)を別の言葉に置き換えて説明するとどうなるか。文脈上最も適当なものを、次の1~4の中から選びなさい。
【17】 1 舞台装飾の工夫もあって異和感のない日本情緒がオペラの舞台に作られている。
    2 日本人にしか感受できない身体的振る舞いがオペラの舞台に欠けている。
    3 書物の知識を借りてでも日本の再現へのこだわりがオペラの舞台にはある。
    4 日本人が日本というものの核心と感じるようなものがオペラの舞台に現れている。

問五 傍線部(2)(赤色)はどういうことを言っているか。次の1~4の中から最も適当なものを一つ選びなさい。
【18】 1 西洋人が日本人を演ずる『お蝶夫人』の舞台に、日本人が強い異和感を感じること。
    2 ドイツの劇以上で上演中の『お蝶夫人』を見ると、日本人が西洋人を演ずるに通じる無骨さがあること。
    3 日本の伝統文化を鏡にしてオペラ『お蝶夫人』を見ると、西欧の粗放な感性が明らかになること。
    4 オペラ『お蝶夫人』を通して西欧人の異文化への関心の強さが、日本人には強く感得できること。

問六 傍線部(3)(赤色)の意味するものは何か。次の1~4の中から最も適当なものを一つ選びなさい。
【19】 1 私たちの生活文化に生じた大きな変化。
    2 私たちの精神的基層に残っている生活様式の発想と型。
    3 西洋文化を受容しつつ歩んで来た日本の近代。
    4 西洋化による不均衡の中で生じた私たちの生の病理。

問七 問題文の主旨に合致するものを、次の1~4の中から一つ選びなさい。
【20】 1 ヨーロッパの国同志での交流に異和感がないほどには、ヨーロッパの日本への理解が届いていない。
    2 過去百年にわたり西洋化した結果、模倣の域を脱したところまで日本の近代化が進んでいる。
    3 日本人の生活様式に根ざした振舞いや所作は、ヨーロッパ人には所詮(しょせん)演じきれないものである。
    4 西洋にとって日本がまだ遠い存在である分だけ、日本を演じたオペラは日本人である私には異様に映る。

注:段落は適宜変えています。
  また、試験問題の傍線部など色で変えました。

入学試験問題と私(一)

 入試シーズンが近づいている。私の文章もしばしば入試問題に使われる。これは名誉なことなのか、不名誉なことなのか分らない。オヤと不審に思う使われ方もあるからである。

 内容の一部に手を加えて使われても、入試問題に限っては、多分法律できまっているのだと思うが、何も文句が言えない。出題したことを私に伝えてくるケースもあれば、何も言ってこないこともある。何年かして入試問題収録集を出版する会社から知らされて、初めて出題されていたことを知る場合もある。

 入試に使用したことを感謝してお礼にお菓子を送ってきた大学もあったが、最近はそういう例も少くなった。農学部で製造したスパゲティソースの缶詰を謝礼だといってドンと大量に送ってきた大学もあって、そういうのは微笑ましい。

 私の本で出題例が一番多いのは『ヨーロッパの個人主義』からである。1969年刊の処女作で、何回使われたか調べることもできないほどに多く、ほとんどあらゆるページが利用されたのではないかと思うくらいである。

 二、三年前に国立法科大学院の第一回の試験問題に採用されてからは、各種の問題集やテキスト集への収録がまた数を増した。これは一般の出版物だから必ずそのつど2000円か3000円かの使用料が支払われる。

 しかし、愕然とした出題例もなかにはある。出題者の常識をちょっと疑わざるを得ないというのは平成16年度の上智大学のケースである。

 読者の皆さんはどう思うか、ここに問題をその侭ご紹介する。

上智大学(2006年度)
入試種別:海外就学経験者入学試験(1月実施分)
学部学科:総合人間科学部 心理学科

1.以下の文章を読んで、各問に答えなさい。

 数年前、私は近所の小学校の運動会を見物していて不思議に思ったことがある。

 「駆けっこ」の競争で一等賞になった子供に賞品が与えられない。子供はなにか紙切れのようなものをもらって、それでお仕舞いである。不思議に思って、そばに立っている先生のひとりにわけを尋ねたら、賞品を出すと生まれつき足の遅い子供にかわいそうだから、あとで生徒全員にノート2冊の参加賞を与えるのだというのである。私はおかしくて、傍に人がいなかったらたぶん涙が出るほど笑ったことだろう。

 私自身、「生まれつき足の遅い子供」であった。運動会が嫌いで、いつも劣等感に歯を食いしばっていた思い出がある。私が敗戦を迎えたのは小学校四年だが、したがってそれまでは、運動のへたな子供は良い兵隊になれない子供とされ、どれほど惨めな、つらい思いをさせられたかわからない。だが、人間とはそうやってだんだんに育っていくものなのではないか。私とは逆に、運動会は大好きだが、学芸会や展覧会のときには隅のほうで小さくなっていなければならない子供もいる。

 こういうさまざまな経験をつんで、子供はしだいに自分の適性を知り、自分の能力の限界を知り、現実に耐える訓練をつんでいくのである。

 たとえ「平和で民主的な社会の担い手」を作るというのがいまの教育の徳目であっても、子供は国家間の「平和」のために具体的に何をしたらよいのかわかるわけがないし、「民主的」とはせいぜいホーム・ルームの話し合いぐらいの意味にしか理解できない。つまり、それは「忠君愛国」という抽象的な終身の徳目とたいした変わりはないのである。子供の生活とかけはなれた、上から与えられた抽象的な徳目であるという点では同じことだからである。

 だが、じっさいの子供の世界は、現実世界の縮図である。スポーツやけんかの能力が子供の世界に序列をつけている掟である。これは今も昔も変わらない。大人の世界よりもっと原始的な弱肉強食の法則が支配している。こういう子供の世界に対して、生まれつきの頭脳の差、体力の差、才能の差をことごとく抹殺したきれいごとのことばを並べたところで何の意味があるだろう。賢い子供ならそういう大人の甘やかしに虚偽を感じるだろう。だが、それほど賢くない子供は、学校社会という温室がそのまま現実の社会だと思いこんで、いかなる保護の手も差しのべられない現実社会に出たとき、困難をひとりで切り抜けていく忍耐力をもうもってはいないのである。そういう教育は洋裁店をやめてくにへ帰ってしまうような子供をふやすだけである。

 運動会に賞品を出さないとか、優等制度をやめるとか、先生と生徒は人格的に対等であるから友達のように接するべきだとか、受験競争は子供の精神を歪める社会悪であるとか、こうした一連の戦後教育家の、子供に被害妄想を与えまいとまるではれ物にさわるような気の遣い方は、それ自体、教師の被害妄想のあらわれでしかない。その結果、先生は自信を失い、子供は気力を失う。なんの得るところもない。

 毎月三月になると「受験地獄」のことが飽きもせずにジャーナリズムの話題になるが、競争をまるで悪であるかのように書き立てていることは大きな間違いである。試験の内容や制度に問題はあるにしても、競争それ自体はけっして悪ではない。むしろ門閥や権閥が崩壊して、社会階層の平均化が進めば進むほど、「試験」への必要度はましてくるし、戦後の大学や高校への競争の激化が、民主主義観念の普及のせいであることは明瞭であろう。民主主義が進めば進むほど、競争は激化する。どんな世界にも指導する人間と指導される人間との区別が存在する。階級差がなくなり、人間が平均化すればするほど、エリート養成法としてもっとも安易で人工的な「試験」への要求度が高まるからである。一部の民主教育理論家がいうように、試験によって人間の能力を判定している価値観は、人格に格差をつけようとする思想の反映である、などという理屈はまるで民主主義の正体がわかっていない。民主主義というものは、どこかで、いつか、「完成」するものだという思いつめた信仰があるからである。愛の原理だから完成すると思っている。とんでもない思い違いである。

(西尾幹二「ヨーロッパの個人主義」講談社現代新書1969年より)

問1 この筆者が主張したいことを要約して下さい(300字以内)。
問2 この筆者の主張に反論して下さい(800字以内)。

謹賀新年

謹 賀 新 年 

 

平成19年(2007年)元旦

 私は今年の夏72歳になります。年末の病院での血液検査で数値上悪い項目は何ひとつなく、いたって健康です。しかし昨年同級生(旧友)を二人失いました。

 今年の冒頭には例年とは異なり、まず自分の喜びを語りたいと思います。それから野心を告知し、そしてその後にひしひしと訪れている内心の空虚感をさらけ出してみたいと思います。

 約2年半前の夏、当日録に「私は今夜ひとり祝杯をあげています」(平成16年7月23日)と怪気炎をあげた臆面もない次のような一文を認めたことを覚えていて下さる方もいるかもしれません。

2004年07月23日
私は今夜ひとり祝杯をあげています
昨夜応援掲示板に書いたものですが、こちらにも転載します。

====================

1408 私は今夜ひとり祝杯をあげています 西尾幹二 2004/07/23 01:54
 2004年7月22日、正確には23日午前1時、「江戸のダイナミズム」第20回完結稿の最後の数枚のゲラがファックスで諸君編集部に流れました。すぐに受領の電話が入りました。 

 今回は題して「転回点としての孔子とソクラテス」54枚でした。これで完結です。もう毎月、月の半分を苦しまなくて良くなったのです。

 ああ、なんという解放感!

 第一回は2001年7月号でした。3年間の断続連載でした。

 ついに終わったのです。嬉しくてたまらない。壮大なテーマで、
私には蟷螂に斧でした。 

 この5日、7時まで書いて、睡眠薬を呑んで、午後1時に起きだす
生活でした。一気に10枚くらい書くのは夜中でないと出来ないのです。昼間は文献調べです。

 いつまで出来るか分かりません。皆さん、せめて今夜だけ私のために
祝ってください。本は1000枚にもなるので急ぎません。

 いまひとりウィスキーの乾杯をしています。暑い日々、皆様もおげんきで。

 最後に「急ぎません」と書いたのが仇をなして、本当に時間がかかってしまったのです。この前後に『男子、一生の問題』を出したのを皮切りに、『民族への責任』『日本人は何に躓いているのか』『人生の深淵について』『新・国民の油断』(共著)を相次いで出版して、それから小泉総選挙にぶつかり、『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を書いたことはまだ皆さまのご記憶にも新しい処だと思います。

 ほかに再刊本二冊(『日本はナチスと同罪か』『人生の価値について』)をワック出版から出し、ショーペンハウアーの主著の旧訳も中公クラシクスで刊行してもらいました。正直私は『江戸のダイナミズム』の完成には研究のし直しの必要もあり、整理と修文が簡単でないことを予感していて、しばらく他の仕事に逃げていたいという思いも多少はあったのです。

 あの本はいつ出るのかという期待の声を八方から耳にしました。「つくる会」内紛よりもずっと前に作業を再開していましたが、やってみると、もう一度書き直すくらいの労力を要することに気がつきました。新しい難問に次々とぶつかり、補説の必要も生じ、膨大量の注の作成その他にも手間を取り、担当編集者にも苦労をかけ、溜息の出る思いのすることが何度もありました。

 すでに昨年末にご報告している通り、本は完成しました。全640ページ、図版25枚、注(二段組34ページ)、参考文献一覧(二段組12ページ)、そして索引は人名・書名・事項の三種類です。本は1月26日に店頭に出ます。表紙は16世紀の世界地図。定価は2762円です。文藝春秋刊。すべては作品をご覧いたゞく以外になく、どうか宜敷くお願いします。

 まず目次をご紹介します。

登場人物年表  4

第一部  前提編

第一章    暗い江戸、明るい江戸 10
第二章    初期儒学者が見据えた「中華の『華』はわが日本」 27
第三章    日・中・欧の言語文化ルネサンス 48
第四章    古代文献学の誕生――焚書坑儒と海中に没した巨大図書館(アレクサンドリア) 66
第五章    ホメロスとゲーテと近代ドイツ文献学 88
第六章 探しあぐねる古代聖人の実像 111
第七章    清朝考証学・管見 137
第八章    三段の法則――「価値」から「没価値」を経て「破壊と創造」へ 164
第九章    世界に先駆ける富永仲基の聖典批判 187

第二部 展開編

第十 章   本居宣長が言挙げした日本人のおおらかな魂 216
第十一章   宣長と徂徠の古代像は「私」に満ちていたか 241
第十二章   宣長とニーチェにおける「自然」 269
第十三章   中国神話世界への異なる姿勢――新井白石と荻生徂徠  295
第十四章   科挙と赤穂浪士 325
第十五章   十七世紀西洋の孔子像にクロスした伊藤仁斎 353
第十六章   西洋古典文献学と契沖『萬葉代匠記』 383
第十七章   万葉仮名・藤原定家・契沖・現代かなづかい 414
第十八章   音だけの言語世界から誕生した『古事記』 456
第十九章   「信仰」としての太陽神話 489
第二十章   転回点としての孔子とソクラテス 519

注 549
あとがき 583
参考文献一覧
人名索引 /書名索引 /事項索引

 「登場人物年表」という日中欧の思想家の名の年代差を示す表が興味を引くはずですが、本を開いてみていたゞくしかありません。代りに、広告帯の裏面にのせられた「あとがき」からの短い抜粋文を掲示しておきます。

 限りなき神の世界の探求

 地球上で「歴史意識」というものが誕生したのは地中海域とシナ大陸と日本列島のわずか三地点です。そこで花開いた「言語文化ルネサンス」は文献学の名で総括できますが、それは単なる学問ではありません。認識の科学ではありません。古き神を尋ね、それをときには疑い、ときに言祝ぎ、そしてときにはこれの背後に回り、これを廃絶し、新しき神の誕生を求めもする情熱と決断のドラマでもありました。

(本書・あとがきより)

 この本は可能な限り学問的手続きを踏んでいますが、学者の研究書ではありません。私は学者という存在を信用していないのです。学者は「評価」を逃げるからです。歴史上の人物を列記して、記述していく場合に、大抵の学者は歴史上のどの人物をも平等に扱おうとし、どれをも良しとし、良し悪しの価値のアクセントをつけません。

 私はこの本で新井白石、荻生徂徠、僧契沖、本居宣長の四人に例外的特権を与えています。さらにその中でも徂徠と宣長を上位に置きます。それ以外の思想家もたくさん扱っていますが、価値の上で明らかに差別しています。例えば伊藤仁斎には低い評価を与えています。勿論その理由を明記しています。

 ヨーロッパと中国の古代をどう評価し、どう理解するかもこの本の眼目の一つです。ギリシア・ローマの古典古代はアラビア人の歴史に属するのであって、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアに独自の古代はありません。他方、中国に近代はなく、中国はいまだに古代専制国家体制のまゝなのかもしれません。

 ここでいう「近代」というのは丸山真男が荻生徂徠に託して「主体性」の名において語った単眼的な内容のものではありません。近代性は神秘の反対語ではないのです。神秘を信じ、かつ否定し、神の背後に回ってこれを懐疑し、しかるのちさらに神を探求し、模索し、新たな神秘を決断する精神のことです。

 宣長にも徂徠にもそれがあります。ニーチェやドストエフスキーのような人神思想が日本にはあって、中国にはありません。たゞし明治以後の日本にもそれらはありません。明治以後の日本に存在を許されたのは思想の教師であって、思想家ではありません。江戸に比べると明治以後の日本は恐ろしく平板で、見窄らしいのです。

 まあ、そんな説明をいくらつづけても仕方なく、本を読んでいたゞくしか方法がないのですが、私はこの本で日本の思想界に一つの新しい価値の標識を掲げようと企図しているのです。

 それがどれくらい分ってもらえるか判然としない不安が私を捉えているのではありません。私が先に暗示した「空虚感」とは、世間から理解し、評価してもらえるかどうか分らない不安なのではなく――そんなことを私はこの歳でとうの昔に卒業しています――私の指し示す神がまだ不確かで、私の目指した価値がまだ歴史の岩盤に届いていないのではないか、という不安なのです。

 私はまだ到底覚束ない身なのに、仕事のできる残された年月は短くなり、この本を起点に次をどう探求したらよいのか、次第に選択の可能性が小さくなっている昨今の不明が私を迷わせているのです。

 道なお遠く、歩みは遅々としていて、目標だけが見えるがゆえの不安なのです。

坂本多加雄選集のこと(四)

 解説――恐るべき真実を言葉にする運命
 

坂本多加雄

 本書では、たとえば、日本でもっぱらドイツの良心を象徴するものとして称賛されるヴァイツゼッカー演説に関しても、ナチスの他民族への巨大な犯罪が、ドイツ人全体への復讐を招き寄せることを防止するために、懸命になって構築した論理の所産であることを指摘する。すなわち、ドイツの戦後処理の態度を、高潔な倫理観のあらわれというよりも、あくまで、そのしたたかな政治的意思の発顕として理解するのである。著者は、さらに、ドイツの日本に対する「悪意」にも言及しているのだが、そうした著者の姿勢に、「ドイツに見習え論」とは逆の、ドイツへの執拗な批判の意図を感じとる読者もあるかもしれない。

 しかし、著者の本意は、おそらくそこにはない。著者は、むしろ、日本が、ドイツを含めて西洋諸国に真に学ぶべきことを主張し、しかも、それは、「ドイツに見習え論」などが言うところとは、まったく別のことだと説くのである。その点は、著者が、本書で、西洋に「学ぶ」ことを、「崇拝」することから厳格に区別しながら、次のように述べていることに示されている。「われわれが学ぶべきは現実に対する西洋人の対応の仕方、リアリズム、自国民を守ろうとする生命力であって、その歴史観や戦争観などではない」と。言い換えれば、西洋の主張している個々の言説の内容を学ぶのではなく、そのような主張の背後にある精神の構えを学ぶべきだというのである。

 ところで、西洋人のそうした精神の構えの根幹にあるのは、いま引いた部分にある「生命力」に他ならない。ちなみに、「生きるため」とか「生きようとする意思」といった言葉は、著者の多くの文章に見られるものであるが、私たちは、ここで、著者が、ニーチェの専門的研究者であることを思い出すべきなのかもしれない。すなわち、著者の念頭にあるのは、個人や人間の集団が自らの生存を賭けて行動する姿勢には、外側からの安易な毀誉褒貶(きよほうへん)を超越するような、ある厳粛ななにものかがあるという認識であり、そして、このことをいささかも心に留めない言論は、どこか軽薄なものとなるという思いではないだろうか。

 著者の見るところ、ドイツの戦後処理の仕方にも、このような懸命に「生きよう」とする激しい意思が発顕しているのである。本書の意図が、世上の「ドイツに見習え論」を逆転して、単にドイツ批判を展開するところにあるのではないことも、以上のことを考慮すれば、自ずから了解されるであろう。

 さて、そうした見地から、改めて、日本の戦後処理の仕方を問題とするような議論を見てみると、そこには、当のそうした議論が全く自覚していないような、別の深刻な問題がうかがわれるように思われる。すなわちそうした議論は、自らの生き残りを賭けて行動しているドイツの姿の全貌に眼が届かず、ひとえに倫理的な模倣像のみを投影して、それに倣(なら)えと説いているのだが、実は、それは、今日の日本が、国家として「生きる」ということの切実さに対して、あまりの鈍感に陥ってしまっていることのあらわれではないのかということである。そして、それは、ひょっとすると、戦後の安楽な環境の中に置かれ続けてきたことで、日本自身の「生命力」が衰弱しつつあることを暗示しているのかもしれないのである。本書は、そのように訴えているように思われる。

 先にも述べたように、本書は、論争の書である。にもかかわらず、著者自身は、自分が、その文章の厳しい表現のはしばしから推測されるような「硬骨漢」ではないことを示唆する。確かに、「硬骨漢」といった言葉は、著者の言論人としての本領を充分に語るものではないかもしれない。それでは、著者の言論人としての活動を導いているものは何か。それは、おそらく、「なにものかに動かされたかのごとく、当時の世人の意に逆らう恐るべき真実を次々と言葉にするしかなかった『運命』」であろう。これは、著者自身がマキャヴェリと韓非を論じた文章の一節にみられる言葉である(『人生の価値について』新潮社)。本書は、そうした著者、西尾氏の「運命」から紡(つむ)ぎだされた貴重な一冊に他ならない。

(学習院大学教授)

年末のお知らせ

 あまり気のきかない話ですが、『江戸のダイナミズム』の事項索引の作成に年末までかゝり切りになり、私の手を離れたのは26日でした。担当の編集者はまだまだ作業がつづき、校了は年明けになるそうです。すべての作業が三冊分あるので、いつまでも身軽になれません。それでも、私はやっと年末に解放されました。

 そんな事情で今月は他にたいした仕事も出来ませんでしたが、店頭にはかろうじて三つほどお知らせするものが出ています。WiLL2月号の「無抵抗主義で国家も国民も自滅する」という評論が今月の新作です。

 『撃論』(西村幸祐・山野車輪責任編集オークラ出版)というコミックオピニオン誌が出はじめ、Vol.①で「日本はナチスと同罪か」と題し、私の論文の一部がマンガ化されています。

 関岡英之編『アメリカの日本改造計画』(イーストプレス)に私の今年の評論のひとつである「保守論壇を叱る」が「巻末特別収録」として再録されています。とても大事なテーマを語った一篇なので関岡氏の慧眼に感謝しています。

 日本文化チャンネル桜12月31日(日)夜8時~午前0時「日本の未来 アジアの未来――再び日本の核武装を語る――」に出演します。4時間討論のパネリストは黄文雄、田久保忠衛、西岡力、西部邁、西村真悟、平松茂雄、宮崎正弘の諸氏、それに私です。

 司会は水島総氏です。

 
 良いお年をお迎え下さい。