「日録」休載のお知らせ

江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋

 明1月26日に『江戸のダイナミズム――古代と近代の架け橋――』(文藝春秋刊、640ページ、¥2762)が書店の店頭に出ます。よろしくお願いします。

  この本の内容紹介は1月元旦付の当ブログ「謹賀新年」に譲ります。

 新刊の刊行を機に、平成14年8月2日から4年6ヶ月つづいた「西尾幹二のインターネット日録」を本日より以後、当分の間、休載することを申し述べさせて戴きます。永い間ご愛読をありがとうございました。

 理由は、残りの人生に私が自分に課している著述活動とブログとの両立が時間的にも、精神的にも難しくなったからです。人間が一日に文字を書くために意識を集中させるエネルギーの定量はほぼきまっています。

 以下に私の著作計画、残りの人生のための本づくりの計画を、自分への誓約という意味もこめて、あえてお示しします。

1、国民の歴史 現代篇

 呼称は、国民の現代史、または国民の昭和史、未定。

 日露戦争後(1906)から平成18年(2006)まで。

 3000枚(二部作)。

 国民の歴史と同じポイント式記述。
 徒らな歴史論議にはまらない大叙事詩構想。

 日本人の各時代の暮しに着目、文学作品や思想史にも注目、
 戦後は経済史を無視しない。

 人間が各時代を生きていた呼吸が伝わるような叙述でありたい。
 歴史は民族の生の物語であって、事実の正否を見定める論争書ではない。

  

 その基礎作業 進捗状況
(イ) ヴェノナ文書や旧ソ連文書などを通じた主に英米の20世紀史、裏面史、あるいは中ソ関係の暴露史についてインテリジェンス研究家柏原竜一氏とすでに三年目の研究に入っている。研究は今後一段と活発化させる。

(ロ) GHQ焚書図書開封と題して本年2月よりTV文化チャンネル桜で放映開始。毎月10冊程度紹介。 昭8-昭和20の国民感情と、日本から見ていた日本国民の世界像を再確立する。同名の書籍の出版も計画中。

(ハ) ニュルンベルク裁判と東京裁判と題した比較共同研究を在独エッセイストの川口マーン恵美さんとすでに開始(「秋の嵐」(三)(四)参照)。いずれ対論と各自の補論をまとめて刊行する。余談だが、『諸君!』3月号に拙論「勝者の裁き――フセインと東條のここが違う」を書いたが、すでに共同研究の成果が早くも少し現われている。

(ニ) その他の文献蒐集もすすむ。ご承知と思うが、『新・地球日本史』①②は、同じ時代のポイント式記述で、編者として私が経験をつませてもらったことは有難い。

 以上は『国民の歴史』の現代版を書きたいともう三年も前から言いつづけて少しづつ準備し、『江戸のダイナミズム』の完成に追われて実現できなかった思いを表現してみたまでのものです。

 対象時代は1906年から1950年(朝鮮戦争)までの案と、1989年(昭和の終焉)までの案とが考えられますが、平成の衰亡と拉致、領土、歴史教科書、靖国、郵政民営化まで書かないと収まりがつかないように思えます。

 当然のことですが、『江戸のダイナミズム』の12ページに及ぶ「参考文献一覧」をみていると、次から次へと新しい研究のヒントが生じ、新しい本のアイデアが生まれてきます。ある人に「先生は200歳まで生きるつもりですか」とからかわれました。

 『江戸のダイナミズム』の主題は、要約すると、「詩と言語と文字と音のテーマ」です。古代史は哲学的に書ける世界でもあります。現代史は哲学的に扱うと過ちますが、古代史は「詩と哲学」の世界といってもいいほどです。

 というわけで、「詩と言語と文字と音のテーマ」で、例えば哲学的発想で、『柿本人麿論』を書けないかと空想しています。否、空想ではなくて、略体歌・非略体歌をめぐる研究最前線の重要文献をすでにどんどん蒐めているのです。ひょんなことになるかもしれませんし、ならないかもしれません。これはあくまでまだ夢です。

 九段下会議という政治的な知識人会議をやっていたのはご存知と思います。昨年解散しました。最後までメンバーとして残った12人が私の許に再結集して下さり、その方々を中核として、その他に私の旧友等も参加して、「坦々塾」と名づける勉強会が結成され、メンバーはいま35人ほどを数えます。この侭いくともう少し増えるかもしれません。でも、気持の合ったクローズドな会です。

 何をしているかというと、講師のお話をきく勉強会で、私も講演をし、政治的活動はいっさいいたしません。講師は第一回が宮崎正弘氏、第二回が高山正之氏、第三回が関岡英之氏で、近く第三回が行われ、第四回には黄文雄氏を予定させていたゞいています。

 ここで、毎回私が1時間半の講座を持つ約束になっていて、第三回より『江戸のダイナミズム』からの継承テーマとして、『日本の天皇と中国の皇帝』を連続講義することにいたしました。日本・中国・西洋のカミ概念の比較が狙いです。『国民の歴史』の第8章「王権の根拠」の拡大版でもあるといえば分り易いかもしれません。

 うまく行くかどうかまったく分りません。途中で私はもうダメだと投げ出してしまうかもしれません。今の日本で流行している天皇論は閉鎖的にすぎるし、中国論は反中国論でありすぎます。もっと相対化した立体的な高い視点からの「天皇考」が必要だと思っていますが、私には荷が重く、これも口で言ってみるだけで一冊の著作になるかならないかまったく分りません。

 以下に次は順不同ですが、出版社もきまっていて、いずれも実現しなければならないものばかりを列記します。

2、 あなたは自由か ちくま新書 約三分の一完了

3、 ゲーテとフランス革命 「諸君!」連載決定

     
 
 その基礎作業 ゲーテとの対話 PHP新書200枚 今年前半に約束。

4、 翻訳ニーチェ「ギリシア人の悲劇時代の哲学ほか」(中公クラシクス)

 2、と4、はすぐ近い将来にお目にかけます。4、はむかしやった仕事の復刻ですが、じつは少年時代のニーチェの文章を新たに新訳で加えようと今毎日訳しています。

 ニーチェは高校生のころに三人の幼な馴染と同人活動をやっていました。そのときの文章ですから、私は少年らしい訳文にしたいと、「僕たちは」を主語にしたういういしい気分を表現します。この本は9月刊行予定とききます。ショーペンハウアーの「中公クラシクス」(3冊)は今の時代に珍しく増刷がきまりました。

 3、は大仕事です。すでに日録の「秋の嵐」(一)(二)で、構想を報告ズミであるので再論はいたしません。資料はドイツの研究書も、日本の文献もほぼ蒐集終了です。

5、 韓非子 新潮社 約束ズミ

6、 わたしの昭和史 続篇 新潮社 約束ズミ

7、 ニーチェ 第三部(人生の義務)筑摩書房

8、双六のあがりは昭和のダイナミズム1000枚

 どうせこんなにたくさんはできないだろうとお笑いになるでしょう。私に徳富蘇峰の生きた時間を天が与えて下さいますように。それでも無理みたいですね。

 それにまた時局をめぐる雑誌論文もある程度――数をあえてへらしても――書かねばなりません。それと本の出版とは別のことで、連載はありがたいのですが、雑誌を追っていると本を書けなくなります。そこにインターネットが入ると身体が三つに分れてしまいます。

 勿論今まで「インターネット日録」を書くことで自説の整理もしていましたし、コメント欄の鋭い観察のことばがいつまでも心に響き、私の思考を豊かにしてくれることもたくさんありました。

 日録は役に立っていました。他でできない面白い活動でもありました。でも、最近だんだんゲストエッセーが増えたり、入試問題を出したりするのは、私に時間とこころの余裕がなくなっている証拠でした。

 いつ再開できるか分りませんが、将来もう一度やってみたいと思うことがあるかもしれません。そのときは多分、今のスタイルとは違ったブログとして再登場することになるでしょう。

 いずれにせよ、私はいまひたすら本を書く仕事に没頭したいのです。まだまだ体力があるのです。

 本を書くのに必要な力は知力ではなく体力です。少くとも今の私にとってはそうです。

 私の体力維持にご協力下さい。

 「西尾幹二のインターネット日録」の休載をお許し下さい。

「「日録」休載のお知らせ」への28件のフィードバック

  1. 長らくご苦労さまでした。小泉人気に浮かれていた頃、「狂気の首相で日本は大丈夫か」を読みハッとさせられ、私は正道に戻れた気がします。先生には感謝しております。
    今後の壮大なビジョンがどうか達成できますように陰ながらお祈りいたします。

  2.  彫刻家の平櫛田中(1872-1979)は、百歳の時点で「現役」でした。私も一生懸命書きます。また、お会いしましょう!

  3. 西尾先生、本当にお疲れさまでした。日録が読めなくなるのは残念ですが、先生が今後も元気にお仕事を続けるには、最良の選択だったのかもしれません。ますますの御活躍をお祈りします。そして、無料で日々素晴らしい御文章を読ませていただいたことに、心より御礼申し上げます。本当に有り難うございました。

  4. いつも楽しみに拝読しておりましたので、残念ですが、
    またいつかブログという形で復帰されることもあるというお言葉にご期待申し上げております。
    最近、ネットの世界でも小泉前首相の批判が多く見られるようになりましたが、格差社会がどうこうという以前に、
    小泉さんは本当に日本のことを考えて総理の座についたのだろうか?という小泉さんの不勉強やいいかげんさや出鱈目さのほうが私は気になっておりました。先生が「狂気」と言われたのもそういう意味だったのではないかと感じます。
    今後はご著書を楽しみにお待ちしますが、時にはテレビにも出ていただけますように。。
    どうぞ御身お大切にお過ごしくださいませ。

  5.  本当に長い間お疲れ様でした。先生とこの「日録」の存在とがなければ、小生がインターネットの世界に足を踏み入れることはなかつたでしょう。その意味も含めて、非常に感謝しております。
     今後の御計画表を拝見していて、とりわけ『ニーチェ』の執筆を再開されるおつもりがあると知り、とても嬉しく思いました。また『韓非子』についても、「いつ拝読できるようになるのか」と、今から期待しております。先生の御健筆と御健康とを、心よりお祈り申し上げます。そして、今後も機会があれば御指導の程を賜れますよう、宜しくお願い申し上げます。
     

  6. 西尾先生 ご苦労様でした。
    小泉選挙の際の先生の奮闘に共鳴し、又は救われた思いをしてから一年半与、投稿させて頂いてから半年以上、いつの間にか一年近くなります。この間は、まさに日本の転機であり、私の人生にとっても同様でありました。
    私も、インターネットの世界と少し離れて、活字の世界に没頭したいと思います。
    どうも、有難うございました。

  7. 西尾先生のところへ届く声の場所がしばらくなくなるのは少し残念な気もしますが、先生の執筆活動の時間と体力を考えれば、やむをえないことですね。是非、いろいろな構想を実現されてください。
      著述家には二つのタイプがあると思います。人生のある程度の時期までに、作品を書きつくして、後半生や晩年は沈黙するタイプと、その正反対に、最後の最後まで、意欲的に活動を継続して、若い頃よりもより旺盛な意欲を示していくタイプ、ですね。小説家ですと志賀直哉が典型的な前者に該当し、谷崎潤一郎が代表的な後者にあたるといえましょう。谷崎の凄さは、彼自身に訪れた肉体的「衰え」さえも、どんどん主題にしてしまう「衰えのなさ」を持ち続けたこと、ですね。60代なら60代でしか、70代なら70代でしか、80代なら80代でしか書けない作品がある、と谷崎は考えていたに違いありません。そこには、「過去」と「未来」をつなぐ、時間の扱いの術があった、と思います。たとえば、永井荷風は、最後まで、創作を勤勉に継続していたとはいえ、晩年は無内容な小説作品ばかりになってしまいましたけれど、どこかの年齢で、彼は自分の精神的成長を止めてしまったのではないか、と思います。成長を止めてしまうというのは、自分の人生の過去の時間に、誰もが行うような管理を施して、どこかの年齢段階を自分の時間の基準にしてしまい「老い」を招いた、ということではないでしょうか。私達は「20代が最盛だ」という、単に生理学的観点からの判断で自分の人生の時間を安直に管理するとき、30代以降の時間のニヒリズムを自分で勝手に誘致し、更には「衰え」も実現してしまいがちです。それと全く同様に、「これが自分の代表作だ」と思ったとき、実はその著述家は、晩年の成熟を暗に放棄してしまっている。晩年の成熟を実現するには、その反対を実践すればいいのですね。つまり、「代表作」はさらに未来にあり、過去の代表作はその前半部分である、と考え続けることは、創作家の衰えのなさを約束する、といえるのではないでしょうか。過去の自分の時間の仕方の巧みな人間が、未来の成熟を手に入れることができる、ということなのでしょう。
       谷崎は79歳で亡くなりましたが、私は彼が90歳あるいは100歳になっても作品を書き続けたに違いない、と思います。小説家の谷崎と思想家の西尾先生を比較するのは何となく奇妙ですが、しかし、「200歳まで」と周囲に言われるほどの先生の構想の果てしなさは、非常に谷崎的なものを私に連想させます。実はまだ「代表作」は書かれていないのだ、ということが、西尾先生の意欲を強くしているのではないか、と私は想像しています。その意欲の実現のためには、当然、過去の時間管理でなく、現在の時間管理にも意識的でなければいけないわけで、日録に費やす時間を、各構想に向かわせなければならない、ということになるわけですね。200歳はともかく、100歳の西尾先生の思想的成熟は観たいです。そのとき、今30代の私も還暦すぎですね。そうした未来のためにも、日録の休載は忍耐して受け入れることにします(笑)
       ただ、過去録にも非常に参考になる文章がたくさんあり、私にとっては全体として何冊分かの著作のようになっているので、ホームページそのものを閉じることは、避けていただきたく、お願いしたい所存でございます。

  8. 西尾先生、並びに長谷川管理人様、お疲れ様でした^^
    毎日楽しみにしておりました・・・さして大学を出た訳でもなく
    ただただ拝金の身でしたが、沢山の知識、見識を学ばせて頂きました。
    ちと、寂しいですが更なる前進ご期待申し上げます。
    私も、また記述の再読で新しい自分を見つけたいので
    本編の閉鎖をしないよう希望いたします。
    長い間ありがとうございました。合掌^^

  9. 西尾先生、今までありがとうございました。
    今後のますますのご活躍を心待ちにしております。
    長谷川様をはじめスタッフの皆様も本当にお疲れ様でした。

  10. このHPが休載されると知り、初めてコメント投稿します。小生は「新しい歴史教科書をつくる会」内紛発生の頃から、ずうっとこのHPを読んできました「声無き民」の読者です。その間、西尾先生の国家、社会の不正に対する告発に同感、痛憤を禁じ得ないと同時に、学問上の啓発を多々受けました。
    他方、このHPに投稿される方は、そのコメント内容のレベルが質的に非常に高いと感心しておりました。
    そこで1月25日の渡辺様のコメント最終行に書かれているとおり、ホームページそのものは残され、「西尾幹二先生を囲む会」とでも題するHPに名称変更して、先生の思想の賛同者がゲストエッセイ風に投稿する。その投稿文に各自コメントをするというは如何でしょう。

  11. 西尾先生、長い間ありがとうございました。日録開始間もなくから愛読させて頂きました。当初から本の執筆活動に加えて日録への投稿をされる先生のエネルギーに感嘆しておりました。記憶に残っているのは、アメリカのイラクへの攻撃と北朝鮮の動きを関連付けて論じられた2003年の開戦直前の論評です。あの時点で先生はアメリカのイラクでの成否と北朝鮮問題の展望を的確に予測されていたとあらためて思います。コメント欄に投稿することもなく、ただひたすら読むだけの怠惰な日録愛読者でありましたが、最後に御礼だけはと投稿させていただきました。今後も先生の新刊書愛読させて頂きます。ありがとうございました。

  12. 一冊読めば、また次の本を読みたい・・・というように先生が好きになり、生の先生のお顔を、お声をお聞きしたい(ご講演などを拝聴したい)私に、この「日録」は先生にお会いしたような喜びを与えてくれました。

    コメント欄で、先生と語りたい方がこんなにもたくさんいることにも喜びを感じました。

    先生の大事なお時間です。どうぞ書くお仕事に没頭なさってください。そしてまた、私たちに新しい刺激をお与えくだい。

    「わたしの昭和史 1 2 ―少年編―」
    「人生の価値について」
    「ニーチェとの対話」 は特に大好きな本です。

    「わたしの昭和史の続編」も楽しみにしています。
    勿論「国民の歴史 現代編」はじめ著作計画のご本の誕生を、今か今かとお待ちいたします。

    「先生は200歳まで生きるつもりですか」とからかわれる先生が大好きです。

    「日録」の世界を楽しませてくださいました西尾幹二先生、管理人の長谷川さん、ありがとうございました。

  13. 作品が書店の店頭に出る時期だけでも、日録に発信して頂くことは難しいですか?
    読者の我が儘ですね・・すみません。
    今後も新しい著作を楽しみにしております。

  14. 西尾先生、大変お疲れ様でした。
    2005,7夏の鎌倉での先生の講演会時、ご年配方が多い中、著書のサインをいただく時に「学生さん?」と声をかけてくださり、意外と気さくな人だなぁと思ったのが、先生との本格的な思索の旅の始まりでした。
    この日録は私にとっての道標のような場所でしたが、これからは自分自身の羅針盤で目標を目指してゆく覚悟です。

  15. ほとんど毎日のように日録を見ていた一人です。休載されることを知り、西尾先生に応援メッセージをお届けしたくなりました。全共闘世代で、札幌住人というだけで先生に嫌われそうですが、仲間数人と西尾幹二研究会を何年もずっとやっています(月一回)。「西尾幹二の思想と行動」を読んでいますが、今度出る「江戸のダイナミズム」も楽しみです。先生を支持している人間がいることを知っていただきたいと思います。

  16.  西尾先生、親しく御謦咳に接するが如く「日録」を愛読させていただくことを得、御著作の拝読等と相俟って、汲めども尽きぬ御啓導に与りました。満腔の愛惜の念とともに、深甚の感謝を申し上げます。また、御誠実に管理人の任を全う下さいました長谷川様、長きにわたり本当に有難うございました。

     先生が「国民の歴史」を著され、「新しい歴史教科書をつくる会」創立の中心に立たれたことにより、国民の精神史に新たな潮流が生じ、戦後を風靡した陰気の寒流を押し遣る力強い黒潮が現出し、表層においては逆波も立っているようですが、深みにおいては今や大きな本流となって流れ始めているように思われます。歴史的な名著というものの意義について思いを致す所以です。

     そして今、満を持して「江戸のダイナミズム」が刊行されました。僭越ながら申し上げれば、この御著作は、「日本国民の精神史」を包越する「世界諸民族の文明史」の観点から、それぞれシテとしての運命を背負った民族が歴史に記した古代伝承に、近代人として先生が真正面から立ち向かわれ渾身の力(天与の透徹した直観力と強靭な思想批判力)を振り絞られ、その真実在たるの真偽を追及された壮大な御論考であると拝察し、瞠目し、あらためて全章を通して精読させていただくべく、店頭発売(当市においては1月30日)を心待ちにしているものでございます。

     この歴史的大著の御刊行という節目において「日録」に休止符を打たれ、先生には御著作専一の御生活にお入りになられる由、正に「天の時かな、むべなるかな」の一語に尽きるものであると存じ上げます。何とぞ蘇峰先生や鉄斎翁の如き天寿を授かられ、「国民の歴史・現代篇」を始めとする雄大な御構想による御著作を世に顕わされ、遂には「昭和のダイナミズム」を完結され、「天皇を戴く日本民族の文化・文明」と「日本国民の真実の昭和史」の世界史における意義・役割について御闡明下さいますことを一向に御期待申し上げ、先生と御令室様の愈々の御健康とともに衷心よりお祈り申し上げるものでございます。

  17. 西尾先生、イギリスより読ませていただいております。このたびブログを休載なされると聞き、はじめてコメント致します。さしあたりお疲れ様でございました。

    私は海外でのくらしが長く、これまでの人生の三分の二ほどを海外ですごしてきました。さりながら日本人としての意識を失わずにここまでこられたのは、先生をはじめ、福田恆存氏や山本夏彦氏等の著書ならびに言論活動によるところが大きかったように存じます。

    私自身は理系人間のため歴史や政治経済を専門的に勉強したことはないのですが、いつか英語で日本の近現代史を著したいなどと思惟しております。「日本側の視点に立つ」ということを肝に銘じ、資料と格闘するつもりです。二十四歳の若僧がかんがえる壮挙と笑ってください。

    長くなりましたが、これからはブログではなく書物を通して先生と対話することを楽しみにしております。時節柄、何卒御自愛くださいまし。

  18. 西尾先生、お疲れ様でした。そして長谷川さん、本当に。誰よりも長谷川さんこそ感無量でいらっしるであろうことは言うまでもないことです。

    「江戸のダイナミズム」読み始めました。「諸君」連載中は、何かこなれない標題だなと思っていましたが、そのまま出されるとは、先生らしい直球ですね(失礼!)。契沖だ、仁斎・徂徠だ、宣長だ、ニーチェだ、ソクラテスだと神話中の人物と対話されるさぞや高踏的な書物かと思いきや、語り口が「そっちの方がずっと高級なんです」とか「ちっとも美しいと思わないですね」とか、座談というか、講演の語りのような思い切った文体を採用されていらっしゃることに少々驚きました。参考文献がまた凄いですね。「徂徠」欄にも「本居宣長」欄にも小林秀雄の名前がないのも。それなのに津田左右吉全集33巻があったりして。まあ、僅かばかりでも驥尾に付すべく、参考図書のうち三点をAMAZONと古本屋に注文しておきました。

    同時代の最高最強の知性が掘り進む鉱脈を目の当りにし、世界が一新される体験こそ、我々の望み得る根源的な喜びの最たるものでしょう。「絶対に現代的であらねばならぬ」(アルチュール・ランボー)。

    先生がまたしても旺盛に新たな船出に乗り出されることは我々の歓びであり、順調な航海を祈るばかりですが、同時にお約束いただいた時論を適時に拝見し、ああ西尾先生はまたしても思わぬ方向から我々に襲い掛かり、残酷な真実を剔抉されたなという実感を味わいたいものであります。「狂気の首相で日本は大丈夫か」や皇室典範から外国人受入問題に及ぶ余人を以て代え難いご活躍を思えば、日本が、今、依然として先生をどうしても必要としていることは言うまでもないでしょう。昨年1月の氷雨降る野外の日比谷公会堂の皇室典範阻止国民大集会の後、靴の中をずぶ濡れにして日本橋までのデモ行進が終わった時、車の中から西尾先生が、皆さん有難うと言葉を掛けられたのを見て、先生は雨の中ここまでお付き合いされたのかと意外の感に打たれ、先生の思いの真剣なることが諒解されたのでした。

    どうか、天が先生に籍すに必要な時を以てし、予定通りご計画の書物を書き上げられ、未踏のジャンルに次々と新たな批評の神殿を打ち建てられんことを。

    本欄の常連諸氏を差し置いて横からご挨拶申し上げました。お許しください。

    先生、どうぞお元気で。テレビや講演会でまたパワフルなお姿を拝見し謦咳に接せられますように。

    しばらくは、
    Adieu! 

    そして、
    Bon Voyage!

    管理人注:ご本人の申し出により、一部改変しました

  19. 西尾幹二様

    前略 失礼します。

    私は九段下会議の第一回のときに上京してお会いし、名刺交換させていただきました。また、「新・国民の油断」を送付いただいたときには拙い感想文をお送りしたところ、葉書で返書をいただきました。

    今般、日録を休止されるということですが、先生の今後の遠大な執筆計画を拝見するとそれもやむを得ないと思います。私は毎回日録に掲載される先生の文章を読んでいろいろと考えさせられることが多くあり、本当にありがとうございました。

    大学等の入試問題で先生の初期の文章が出題されることが多いのは、決して解決はつかないけれども、私たちの生き方の根本を問うようなテーマが多く若き日にそれを読んだ教師に忘れがたい印象を残しているからだと思います。私自身、先生の御著書を読むようになったきっかけは「ヨーロッパの個人主義」です。

    近代以降、国家の独立を維持するために無理矢理に西洋文明を取り入れなければならなかった日本という国家及び日本人の宿命のようなものを、日本的なるものと圧倒的な西洋文化との狭間で懸命にバランスをとりながら先生ほど問題から逃げずに論じ続けられた知識人をほかに知りません。

    その意味で、今後、先生が、歴史、哲学、文明論といった非政治的な分野で健筆をふるわれることは、私にはとても楽しみです。

    ただ、周りの国際情勢を見渡すと、日本はいろいろな意味で岐路に立っているように思われます。

    アメリカのイラク戦争の失敗は帝国としてのアメリカの終焉の始まりのような気が私にはします。それは、北朝鮮問題に対するアメリカの腰の引けた姿勢が何より証明しています。

    中国とロシアという2つの台頭する問題の多い帝国に対し、日本は非常に難しい舵取りを迫られていると思います。国内政治も、小泉内閣というある意味で常軌を逸した内閣の終焉の後、方向性を失い漂流し始めている印象があります。

    ですから、是非、先生には月刊誌などに今後も国際情勢や国内政治について目の覚めるような評論をお書きいただきたいと願っております。

    草々

  20. 拝啓 西尾幹二先生

     長い間、「日録」を拝読させていただき本当にありがとうございました。「日録」は西尾先生との距離感が近く、あたかも先生と対話させていただいているかのような、ご著書を拝読するのとは違った「味わい」がありました。

     例えば、以下の「日録」上の靱く温かな先生の言葉には、私がある他者の言葉に深く傷ついて心乱れおろおろしていた時、「そうだ!その通りだ!!」と共鳴しつつ救われ、しだいに穏やかな気持ちになってふと我に返ることができたことが思い出されます。父親から叱咤激励されたかのような、そんな感覚だったのかもしれません。

     「自尊心を傷つけられ、怒りで判断を失うようなことは、誰でも人生のいろいろな場面で遭遇するだろう。が、それを恥じてはならない。それくらいの愚かさを持たない人間の自尊心はたいしたものではないのだ。」(平成17年4月5日付「日録」)

     また、「続・つくる会顛末記(三)の2」での次の先生の告白には、私に大きな衝撃が走りました。西尾先生ですら「人生の深淵」に陥りかねない瞬間があるのかと驚き、同時にこうしたことをあえてご公表されたことに不思議な感動を覚えたのを記憶しています。上記「日録」上の箴言は、やはり先生ご自身の痛切なご体験がおありになればこそのものだったのですね。

     「いろいろな思いが重なって、そば屋の二階の忘年会で、(中略)私が思わず滂沱と涙を流したことがあります。余りにも耐え難いことの多い一年だったのを思い出してでした。私が感情を怺え切れなくなったのは後にも先にもあの年の反省会の夜だけでした。」(平成18年6月1日付「日録」)

     今回の「日録」の休載は、たぶん前々から先生がお考えになられていたことで、「つくる会騒動」に決着がつき「江戸のダイナミズム」の大著が刊行されたこの時期の、非常に前向きなご決断だと理解します。「日録」では十分に楽しませていただきました。これからはご著書をより熟読玩味させていただきたく存じます。今後とも人文科学の碩学として、そして何よりも人生の大先達としてお導きいただければ幸いです。末永いご活躍をご祈念申し上げる次第です。

                         敬具

                  平成19年1月28日 高石宏典

  21. 西尾幹二様

    初めまして。日録の更新はもうないのですね。残念です。

    先生の本は何冊か読んでおります。難しいけどなんとかついていってます。オピニオン系もいいですが人生論系が格別ですね。

    この日録もいろいろ参考になりました。文学史や精神史が素養にないと、個別の現実に直面してばかりで、振り回されるだろうという指摘は、自省の言葉として心に刻んでおります。

    江戸のダイナミズムはさっそく取り寄せました。読むのが楽しみです。

    それでは今後もお元気でご活躍を。

  22. 「日録」の休載が知らされているのですから、今更投稿などすべきではないのかも知れませんが、高石宏典様の投稿を読んで思わず筆を執りました。

     「自尊心を傷つけられ、怒りで判断を失うようなことは、誰でも人生のいろいろな場面で遭遇するだろう。が、それを恥じてはならない。それくらいの愚かさを持たない人間の自尊心はたいしたものではないのだ。」(平成17年4月5日付「日録」)

     高石様の引用されたこの文章は、私は読んでおりませんが、その次ぎに引用されている、平成18年6月の文章ははっきりと記憶しています。そして、統一地方選挙に絡む周囲の雑事を終えて帰宅した私にとって、両文章とも、年甲斐もなく涙をこらえきれなくさせるものであり、それだけに救われた思いにもなるのです。

     思わず、少し変なことを書いたかも知れませんが、実は、本日雑事で出かける前に、『諸君』3月号が届き、西尾先生の章を読ませて頂き、いささか興奮気味でもありました。「江戸のダイナミズム」も勿論ですが、『諸君』3月号の先生の論文も、裂帛の気迫溢れる歴史的文書であると思います。

     滅裂な投稿になって申し訳ありませんでした。
     

     

  23. 日々の生活で新聞を読むように毎日に日録を訪れるのが日課となっておりましたので、日録の休載は、正直のところ寂しい気もいたします。でも泉のごとく湧き出でてくる先生の旺盛な創作意欲を伺いまして大変嬉しく、また大いに私まで勇気づけられております。

    コメント欄の高石宏典様が仰っておられますが、ただ先生のご著書を拝読していた時よりも日録を拝読するようなって、確かに先生のご著書をより間近に感じることが出来るようになった気が致します。
    日録で心に残った印象深い箴言はいろいろありますが、私は高石様がご指摘なさった直前のご文章に大変印象深く考えさせられました。日常的な規範に囚われた凡人の常識人の私にとしては、大変耳が痛くまた大変な刺激でもありました。

    「・・・つまり真に価値ある行為は危険と一体で道徳とは関係ないと私は言いたいのである。道徳は人間の行為を小さくする。」(日録:平成17年4月5日)

    平時には、常識人が一番でしょうが、変化の激しくまた何が真実か見分けられぬ現代を生き抜いて行くには、危険と一体で身を呈して行動することが出来るか否かで、人間の価値が決まることもあるのではないかと、この度の先生のつくる会の内紛劇を外野席ながら拝見致しておりまして思った次第です。

    近刊の大著「江戸のダイナミズム」を、私も拝読致し始めたところです。日録の「橋本新吉のこと」を拝読致しておりました頃より「江戸のダイナミズム」の刊行を心待ちに致しておりました。「江戸のダイナミズム」を執筆中の「学問の尽きせぬ喜び」、先生のご苦労と感動が生々しく伝わってまいりまして当時は大変感動致しましたことを覚えております。

    平成16年3月31日の日録から引用:
    「契沖の万葉研究に日本の近代の国語学が礎石を置いて、宣長という巨大な山容を乗り越え、昭和の橋本進吉に至った言語解析の一本の太い流れである。契沖仮名遣いから上代特殊仮名遣いに至る、江戸の国学の発見の紆余曲折と橋本による再発見のドラマは、たしかにじつに劇的である。」
    「なぜ今までこんな世界があるのに知ろうともせずにうかうか過ごしてきたのだろう。」
    「大著を眺めては、凄い精神のドラマが演じられたのだとそのつど感銘を新たにしている。」
    「橋本進吉といい、有坂秀世といい、私の今までの知見の範囲に入ってこない未知の世界であった。しかし、いつどんな出会いがあるか分らないものだとつくづく思う。年をとっても、何が起こるかわからないのだと思った。」
    「しかし、ふと思ったが、橋本進吉の生きた時代の研究環境は恐ろしく困難で、不便で、苛酷であった。便利を求める私は、なぜか根本的に間違ったことをしているのではないか、という後ろめたさを覚えた。その不安な気持ちは必ずしも今うまく説明できない。彼の時代にコンピュータはない。すべての万葉仮名の分類はカード書きこみとその整理に始まる。根気のいる地味な作業だったに相違ない。」

    橋本新吉などの先人達と同じような忍耐、努力の中から「江戸のダイナミズム」を生み出されたのだと推測致しております。日録での執筆中の先生の創作裏話は、もう一編の「あとがき」を拝読しているようで日録の果たした素晴らしい一面であったと思います。

    現在の日本は、第二の敗戦を向かえていると言われます。「漂流国家日本」の転機を、先生に、「やまとだましひ」の思想を掘り出して、益々混迷の度を深める日本を救い出して欲しいものと、「江戸のダイナミズム」を拝読しながらふと思った次第です。

    本当に長い間、日録を大いに楽しませて戴きまして有難うございました。またこのような機会を確保して下さいました長谷川様にも感謝申し上げます。
    先生の新たに生み出されるご著書を今後も楽しみにして、熟読し精神的糧として私の人生の含みを大きくしてまいりたいと存じております。
    先生のご健康と益々のご活躍をお祈り致します。

  24. 2年ほど前でしたかこのブログを発見し、ネット社会にまで乗り込んでおられる先生の姿に、驚嘆させられました。メリットもありましょうけれど、費やされる時間、エネルギー、精神的負担も大きい筈ですのに、先生のタフネスに本当に驚いておりました。閉じられるのは残念ですが、紙上にてお目にかかるのを変わることなく楽しみにしております。

    御計画に「ニーチェ」第3部を入れておられるのに、先生の「意地」を感じます。10年以上前、とある講演会の後、少し質問させていただいたその最後に「先生、『ニーチェ』の3部は・・・」と申し上げた途端、「やります!やりますよ!」と即座におっしゃっていたことを思い出しました。

    どのジャンルの事柄であれ、先生のお考えは私にとって先ず面白く、真実をえぐっており、そして徒に観念的でも衒学的でもなくて解り易い、と思っております。そして真実の前には何のデメリットを省みず、良識、時の趨勢に反するのは勿論、通俗的な情けや友愛も捨て去るところが素晴らしい。言論人は先生のように、すべからく剛毅で徹底的に孤独なものであるべき、と思います。

    どうぞお体をお大事になさってください。益々の御発展を期待しております。長谷川様、有難うございました。

  25. 西尾先生始めまして。この日録はもう4・5年見続けているような感じがします。毎朝このページを開けるのが、日課のようになっていました。

     休載ということで、大変残念なのですが、西尾先生には日本のために大きな仕事が待っているのでしょう。その分野での今後の大活躍を心よりお祈り申し上げます。
     さて、当日録読者の皆さんには、それぞれ心に残る箴言があるようですが、私は、何時頃のものかわすれましたが、次の言葉が忘れられません。というより、何かの時に必ず口ずさむようにしてます。

    「人は苦い真実を直視して眼球の奥に黒い斑点が映ずるまで、じっと瞼を閉じないで見つづけなければならない」。

    西尾先生の「男は強くあるべき」という生き方の全てが込められているようで、非常に強烈な印象が残ってます。
     今後も、先生の「血で書かれた」本を読んで生きたいと思います。

  26. こんにちは、KOGAと申します。約3年ぶりに投稿させて頂きます。昔、長ったらしい小林よしのり氏批判を書いた野郎といえば、思い出して頂けるかもしれません。

    先生の今後の仕事の予定を拝読しました。どれもが魅力的で、今から待ちきれません。ただ、これだけ大風呂敷を広げてしまうと、早速ゲーテに「大作をしないように気をつけたまえ!」と言われてしまいそうですね(笑)。

    ところで、少しだけ不満がございます。もちろん、『国民の歴史 現代篇』にそれも書くとおっしゃるかも知れませんが、大航海時代から大東亜戦争、さらに郵政民営化へとつながる、キリスト教文化圏との五百年戦争の視点で、近代史を書いてもらいたいと思います。

    しかし、もし先生がお書きにならないということでしたら、僭越ではありますが、私が代わりに書いてみたいと思います。だらだらと無意味な人生を送っていますが、このまま腐らせてしまっていいのだろうかと疑問に思っています。私には、ほんの少しだけ、才能がありますから。

    サン・フェリーペ号水先案内人の発言から書き始めましょう。西欧の天使と悪魔の両方を書ければと思います。本当は、その奥底にあるキリスト教精神の本質まで追求したいのですが、大作をしないように気をつけなければなりませんので、止めて置きます(笑)。

  27. >いすけ屋さん
    小泉人気は当時、こわいくらいでしたね。あの頃、小泉氏を正面から批判した人間が何人いるでしょう?西尾先生は真先に書いておられたこと、このブログが証明しています。

    >みいこさん
    最近コメント欄にちょくちょくおいでくださっていて、大変楽しく読ませていただいていました。
    書物をお書きなんですね。がんばってください。

    >匿名希望さん
    日録を愛読してくださり、管理人として大変感謝しています。

    >とろろさん
    最近では小泉批判はテレビのコメンテーターでも言いますが、あの頃はみんなよいしょでしたね。

    >キルドンムさん
    長いおつきあいでしたね。個人的に「おめでとうございます」と申し上げておきます。・・・・忍耐あるのみ?

    >東埼玉人さん
    インターネットもときどきご覧になってくださいね。紙の媒体より、本音が語られることが早いし多いですよ。

    >渡辺さん
    ご要望にお答えして、エントリー等、そのまま掲示できると思います。それに、そのうちこれらが書物になる日が来ると思われます。個人的に・・・メール届きましたか?

    >銀一さん
    私にまでご挨拶ありがとうございます。

    >H.T生さん
    質の高いコメントが多いと言っていただいて大変嬉しく思います。ただ、このブログを「囲む会」に改名して持続させていく計画は・・・・ありません。作ってくださる?

    >Mabooさん
    もっと投稿して欲しかったです。

    >その女 ソルベさん
    遠くフランスから大和撫子の強さをいつもお示しくださいました。ありがとうございます。

    >JOZさん
    作品の発信ができるかどうかちょっとわかりません。

    >秋童さん
    若い方にこそ、西尾作品を読んでいただきたいので、大変嬉しいです。

    >牡羊さん
    同じ世代かな・・・。もっと早く応援のコメントが欲しかったです。

    >アイオロスさん
    ご丁寧な文章でありがとうございます。「江戸のダイナミズム」が日本国民の精神史とは、私もその通りだと思います。

    >o.y.さん
    イギリスからもご覧になっていたのですね。日本人の心意気をどこにいても、忘れないでいたいですね。

    >丹沢さん
    雨の中のデモの逸話は西尾先生の誠実さをよくあらわしていましたね。

    >藤本さん
    今度から月刊誌を中心に、西尾先生の論説を探してくださいね。

    >高石さん
    高石さんがつらかったときに勇気付けられた話はとても感動しました。

    >syurinさん
    そうですね、西尾先生の人生論もいいし、何気ない旅行記もとてもいいですよ。

    >レベッカさん
    日録がもう一篇のあとがきになっているとの指摘、本当にそのとおりで、そう言っていただいて嬉しくなりました。

    >神戸人さん
    日録を発見して、愛読してくださり有難うございました。

    >edomontoさん
    日課として読んでいたものがなくなると寂しいですよね。

    >KOGAさん
    よくよく覚えていますよ。「国民の歴史 現代篇@KOGA」待っています。

    >みなさまへ
    管理人の私は、西尾先生の文章を大勢の人に広めることができたことで、日本のためになったと自負しています。

    今回、永遠のお別れではなく、一時的なお別れだと私は思っているので、大層なことは申しませんが、西尾幹二のインターネット日録ご愛読誠にありがとうございました。また近い日に、再開しましたとのエントリーを上げることができますように。

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