「つくる会」FAX通信の「特別報告」が下欄に掲示されています。(5月30日)
福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長)
18年5月28日・記二ヶ月会長種子島経氏が失敗した原因である三大勘違い
福 地 惇混乱してしまった「つくる会」を正常化する任務を帯びて登場した種子島前会長が、志半ばで挫折せざるを得なかった三つの原因を指摘したい。三つの勘違いに基づく判断錯誤が失敗の原因である。書きたくもないが、あるブログに出た種子島氏の手記を読み一文を物するものである。
第一 「西尾院政?」を毛嫌いした不明なる勘違い
元会長で名誉会長の称号を帯びた西尾幹二氏と種子島氏が、東大教養学部時代からの知友であることは誰もが知るところである。私は西尾、種子島両氏は気脈を通じつつ会の正常化に取り組むものと理解していた。
西尾氏が怒って名誉会長の称号を返上した直接的原因は、宮崎事務局長処遇問題に対する八木秀次会長(当時)の身勝手な方向転換、「宮崎=四人組」の会運営攪乱工作の「全共闘的礼儀知らず」への怒りであったことは明らかだった。種子島理事も同じく激しく憤っていたと私は見ていた。ところが、八木・藤岡解任、種子島会長誕生に際して、理事会攪乱を狙った産経新聞報道の意図を見破れずにその手に乗せられた。
「西尾院政?」と言われて種子島氏がどうしてウロタエル必要があったのだろうか。西尾氏は種子島氏を信頼して万全に支持していたのだ。会を生み育て上げた盟友から会の正常化を託されたようなものだ。西尾氏から様々な智恵を拝借し、取れる方針は取れるだけ積極的に取れば良かったのである。円満に名誉会長を辞退したのではないことは、他の誰よりも友人なる種子島氏が知っていたのではなかったのか。盟友の名誉を回復せんと頑張るものと胡乱な私などは素直に思っていた。
だが、種子島氏は「西尾院政」と言われるのを極度に嫌った。よその誰様から「院政」だと言われて何の痛痒があるものか。西尾氏のアイデアを借りても、これは会長の俺様のアイデアだと正々堂々と言って、何の問題があったのだろうか。誰が文句を言うのか。左翼や西尾氏に敵対せんとする者だけだろう。友人と相談することと、「院政」などと言う大時代的な用語とは全く異質な次元である。友人としての信義とは何なのか。
要するに、自意識過剰で友人の西尾氏と相談でもしたら、操縦されていると揶揄されるのではと極端に怖がり嫌悪したのであろう。そのために会務を本道に返すと言う彼に与えられた本務を蔑ろにしてしまった。外道と言う可きである。第一の勘違いから導出された重大なる失敗である。
第二 「人事を会長に一任する」が理事会で信任されたとの一人合点の勘違い
青天の霹靂で中継ぎ会長に任命された時、とっさに思いついたのがこれであり、理事会の承認を得たと種子島氏は言い続けた。我々は、新任会長の社会良識を信頼していたから、何の異議もこれに差し挟まなかったのである。だが、あの時、この新会長提案に反対したかったのは、種子島氏を疑惑の目で見ていた「八木=四人組」だったはずだ。私が思うに、本会理事会は奉仕活動的役務を厭わぬ各界の一端の人々の集合体である。官庁や営利企業体のヒエラルヒーとは異質のフラットな集団なのだ。そこに、アメリカ流マネージメント、当節我国でも一般化しつつあるトップ・ダウン方式を実施しようと本気で思っているとは誰も思わなかったのでは、と私は思う。本理事会にトップ・ダウン方式は本来的に馴染まない。村寄合的合議形態がどうして悪いと言えるのか。それを本気で人事一任を委ねられたと思っていたならば、その不明さは如何ともし難い。日本の文化・伝統を尊重する歴史教科書を作ろうという本会の会長に相応しいかどうか、誰でも分るのではないか。
理事各位の意向を聞きながら会務を推進するのが社会常識と言うものだ。しかも、今回は執行部と事務局トップの瓦解であるから、理事諸氏の合意が形成されるところを目指すのが種子島氏に与えられた責務であろうと私などは考えた。これが間違いだと彼は言う。世間の評価は如何なものなのであろうか。
第三 問題の核心への無知と悪魔の誘いが良く見えた勘違い
①執行部再建問題、②事務局長選任と事務局建直問題、③コンピューター問題の解決が、種子島氏に課せられた三大任務だった。
彼は何を解決したか。何も解決できなかった。その原因は、第一、第二の勘違いであるが、それだけではない。寧ろ更に重大なのは、「八木=宮崎=四人組」たちの会のヘゲモニー掌握への飽くことを知らぬ謀略に乗せられた、この不明さである。
①も②も③も、八木派は、悪どい謀略工作を重ねて本会のヘゲモニーを固めようとした。その謀略勢力の本質を見抜こうとしなかった愚である。彼らは、西尾名誉会長、藤岡理事ら有力者を排撃する目的から「謀略工作」「謀略運動」を続けた。これは種子島氏にとっては「想定外」の新事態の出現だったのだろう。
ところで、この「謀略工作・運動」は、名誉毀損や偽証罪や脅迫罪に限りなく近い犯罪行為を伴ってなされたのである。私は種子島さん目を覚ましてくださいと諫言した。会長補佐に任じられていたからである。友人の信義を毛嫌いしても、老会長には犯罪行為への嫌悪は当然有るだろうと信じていたからである。上記犯罪は「国際基準」でも犯罪である。この「国際基準」は、私が「国際基準」のマネージメント違反者だと種子島氏が辞表に非難を込めて書き込んだ文言である。ここに援用する。
閑話休題。一言申し添えるが、マネージメントの達人は、平気で嘘もつく人のようだ。藤岡氏のことは知らないが、私が会長補佐を自ら求めたと虚言で中傷している。「売り込んで来られた」と記述している。彼に要請されたのだ。何をか言わんやである。序に一言、私がマネジメント不能の不良理事であるのは、彼が早寝早起きの生活習慣であるのを知りながら、傲慢にも時間も見図らずに深夜に電話で再三叩き起こされたと言う意味のことを書いている。トンでもない言いがかりだ。私は早朝に態々時間を確かめて電話していたのである。しかし、私がマネージ不能だとの証拠は、この一件だけしか書かれていない。どのようなマネージ哲学なのか理解を超える。
さて、良識派理事の言うことを一切聞くものか、友人西尾氏のアドバイスなぞ絶対に受け容れるものかと頑なになったアメリカ流マネージメントの達人種子島会長に魔の手が及んだ。彼が、本来戦うべきであった勢力が甘い言葉と詭弁で老会長を誘ったのだろう。「西尾幹二や藤岡信勝の言うことを聞くと産経新聞はこの会を見捨てるぞ、八木はフジ産経グループの絶大な信任を得ているぞ、八木の地方支部での人気は大きい、多くの全国会員達の信任を失うぞ」などと言う詭弁で説得されたのだろう。勿論、魔の手の集団は、「八木=宮崎=四人組=産経新聞某記者」である。
さらに、静かな理事達はもう既に殆ど八木派だ、藤岡も福地も間もなく降参して我々の軍門に下る筈だなどと掻き口説いて、種子島氏を陣営の長老に改造したのではないのだろうか、などと性悪の小生などは勘ぐってしまうのだった。その情景を見ていないから推測だが、新田ブログに大量の理事会内外関係情報が掲載されている。それらを分析したならば、或いは確証が取れる可能性もある。だが、そんなことは時間の無駄だ。
孰れにせよ、本会理事会の構成はフラットで、人員は多士済々である。だから、アメリカ流種子島マネージメントは全く馴染まないのだ。古いそして親しい友人との信義を尊重すべきだろう。理事達の意見を公平に聞き、そこから方針を決めてゆくべきであっただろう。本理事会のようなものでは、日本伝統の寄合合議が一番なのだ。仮令それらを古いとか、前近代的だとか、おとしめ揶揄する者達が出でてきたとて、何を懼れる必要があろうか。何を恥ずることがあろうぞ。ご自分の頭で考えたことが、こんなトンでもない魔の手に乗せられることであったのだ。三省、四省すべきではないか。
犯罪は隠蔽しても良いが、合議は恥ずべきなどと言う頓珍漢をなぜ会長に選んだのだろうか、今となっては我々理事全体の不明を恥じるのみである。
二ヶ月会長種子島経氏は、日本の社会良識を峻拒したがために、国際基準に反して犯罪者と手を組んでしまったがために、自ら犯した犯罪行為を隠蔽せざるを得なくなってしまった。詭弁と曲筆を弄して自己正当化に余念がない恥ずべき勢力の長老になると言う、パラドキシカルな運命をたどらざるを得なかった。今や、前老会長は奸知に長けた本来の敵である「八木=宮崎=四人組」におだてられて第二つくる会を立ち上げようとのアジ文書まで撒き散らす恥ずべき立場に立ってしまった。
ああ無情と言う外ない。
(了)
平成18(2006)年5月29日(月)
全国支部長・評議員合同会議の結果報告
原点に立ち返って「つくる会」運動を再構築へ
『新しい歴史・公民教科書』の普及活動を積極的に展開 次期総会(7月2日)で、新体制確立へ「つくる会」は、5月27日、東京港区の「友愛会館」で「全国支部長・評議員合同会議」を開催し、理事会から「理事会内における一連の紛糾」の経過と「つくる会」をめぐる動向について報告が行われ、この問題をめぐって活発な論議が行われた。論議は午後1時から5時まで4時間にわたったが、「つくる会」存続の問題にも関わる危機感を共有するなかで行われたため、真摯な協議となった。最終的には、今回の「理事会内における一連の紛糾」の集結を踏まえ、「原点に立ち返って『つくる会』運動を再構築していく」方向が拍手で確認された。
理事会はこの会議の結果を受けて、7月2日に開催される「第9回定期総会」までには新会長を選出して新役員体制を確立し、「つくる会」運動の前進に向けた新方針を提案することとする。
なお、会議では、(1)『新しい歴史・公民教科書』の普及活動を積極的に展開する(2)教育基本法の改正に関して「つくる会」の声明を発表することが報告され確認された。
会議は、午後1時に高池会長代行のあいさつで開会、座長に高池会長代行を選出してスタートした。報告事項として新たに選出された新理事5名と監事1名の報告が行なわれ、出席した上杉千年、小林正、石井昌浩の3理事から理事就任に当たってのあいさつと力強い決意が述べられた。
新理事(4月30日 第89回理事会選出)
小川義男 私立狭山ケ丘高校校長
小林 正 元神奈川県教組執行委員長・元参議院議員
石井昌浩 元国立市教育長・拓殖大学客員教授
上杉千年 つくる会評議員・教科書問題研究家
濱野晃吉 つくる会大阪支部長・経営コンサルタント会社社長新監事(5月26日 第90回理事会選出)
梅沢昇平 尚美学園大学教授
※第90回理事会では、5月22日、中西輝政理事から辞表が提出されたことが報告され承認された。
続いて・『新しい歴史・公民教科書』の普及活動を積極的に展開する・教育基本法の改正に関して「つくる会」の声明を発表することが報告され確認された。
次いで協議事項に入り、藤岡副会長から「『つくる会』をめぐる動向と対応の方針」について資料にもとづいて詳細な説明が行われた後、出席者全員による協議となった。
この協議は、危機感を共有するなかで行われたため真摯に進められ、多くの質問、疑問、提案が支部長、評議員、理事から出された。なかでも「理事会内の紛糾」が長引いたことへの批判と「一刻も早い事態の収拾と新たな体制の確立とつくる会運動の方針を確立すべき」との要望、提案が数多く出された。最終的には、今回の「理事会内における一連の紛糾」の集結を踏まえ、「原点に立ち返って『つくる会』運動を再構築していく」方向が拍手で確認された。
また、執行部から、論議のなかで、八木氏の中国訪問に関する「特別報告」も行われたことを追記する。
-特別報告-
理事会が真に危惧していた八木氏らのもうひとつの”暴走”
中国社会科学院の企図する日本攻略に関して平成18年5月27日
新しい歴史教科書をつくる会
「つくる会」が目指した教科書改善・正常化運動の妨害者は、国内の左翼勢力のみならず、これと連動した中国、韓国、北朝鮮であることはもはや説明を要しない。なかでも、中国(中国共産党)は、その中心的位置にある。日本の教科書の検定で、「侵略」を「進出」に書き換えさせたという「誤報事件」から1980年代以降の教科書問題はスタートしている。誤報事件を煽ったのは「朝日新聞」をはじめとする左翼マスコミであるが、これを利用して日本政府に圧力・攻撃を加え続けてきたのが、共産党による独裁国家・中国である。とすれば、私たち教科書改善・正常化を目指す者にとって、中国が”最大の敵”であることは言うまでもない。
中国のねらいは、単に教科書問題に留まらない。あらゆる手段、工作を通じてアジアの覇権を確立するために日本を支配しようとしている。そのためのター ゲットが「教科書問題」や「靖国問題」を貫く「歴史認識」問題なのである。
そのことを理解すること無しに、執拗な教科書・靖国攻撃を理解することはできない。つまり中国は国策としてこれを行っているのであり、「話せばわかる」というレベルの問題ではない。中国はありとあらゆる手段を通じて工作してくる国なのである。中国が如何に教科書問題を重視しているかは、あの執拗な攻撃と、南京の「大屠殺記念館」に、その象徴として「つくる会」副会長の藤岡信勝氏の写真を掲出していることを見ればすでに明らかである。私たちが好むと好まざるとにかかわらず、「つくる会」は中国にとってそれ程「目障り」な存在であり、それゆえに「ありとあらゆる手段を通じて工作する」対象なのである。
中国の最近の動向が如何に危険なものであるかは、中西輝政氏が、『正論』4月号で「中国の対日工作を予言していた米国の『防諜官』の驚愕証言に学べ」という論文を書き、『文芸春秋』6月号でも「日中戦争はもう始まっている」と題して警鐘を乱打しているとおりである。「つくる会」もこの認識を持たなければならないことはいうまでもない。
このような状況のなかで、八木氏らは昨年12月中旬、「つくる会」の事務局職員有志の観光視察旅行に同行する形で中国を訪問した。盧溝橋にある「中国人民抗日記念館」や南京にある「南京大屠殺記念館」等一連の反日施設の見学がその目的であったということであるが、それに留まっているかぎり、特に問題はない。
しかし、その視察旅行のなかで「つくる会」会長であった八木氏が、中国社会科学院日本研究所を訪れ、蒋立峰所長等と『新しい歴史教科書』を巡って意見交換をする機会を得」たという。ことがここに及ぶと、これは全く別次元の問題となる。八木氏は、この意見交換の内容について、『正論』3月号、4月号で公表しており彼の頭のなかに、この行為が問題であるとの認識は全くなかったようである。先に述べたとおり、中国は「つくる会」にとって「最大の敵」なのである。その中国に「つくる会」の会長が乗り込んで「意見交換」を行うとするならば、「つくる会」にとって大きな方針転換であり、当然、執行部会や理事会で慎重な協議を尽くした上で、十分な準備を行って臨まなければならない大問題である。しかし、私たちは、中国側との対話を全く無意味だと言っているのではない。八木氏は執行部会にも理事会にも全く相談することなく、「意見交換」に臨んだのである。これは、完全な「会長独断による暴走」である。このような「暴走」が、如何に危ういものであるかは、中西輝政氏の指摘するとおりである。そればかりではない。産経新聞5月18日付の報道によると、今度は「中国社会科学院の蒋立峰・日本研究所所長等研究者グループが来日し、新田均氏ら日本側研究者と激論を交わした」「両者は今後も互いの主張を戦わせる機会を設ける」とのことである。この日本での討論が、何処で行われ、新田氏の他にどのようなメンバーが参加していたのかは不明であるが、4月30日に、「つくる会」内部における一連の謀略等不祥事を行ったことに起因して、和解の呼びかけを振り切って理事を辞任せざるを得なかった人々と、中国の国家機関である中国社会科学院・日本研究所所長等研究者グループが再び会ったということの重大な意味を、八木氏等は認識できないのであろうか。これでは、中国が狙っていた「つくる会」の分断にやすやすと成功したということになるのである。
しかも、今回の中国側の来日が、当時会長であった八木氏の手紙による提案によって行われたものであることが、その後の調査で明らかになった。八木氏は、昨年末、蒋立峰所長宛のお礼の手紙のなかで「正式に合同研究シンポジウム公開討論会のことを提案」していたのである。もちろん、執行部会や理事会に相談することなく全くの独断である。会員の皆様には、この八木氏の独断的行動が会長としてふさわしいのかどうかはご理解いただけるのではないかと思う。
こう考えると、もし4月30日に八木氏と4理事が辞任していなければ、「つくる会」内部での十分な議論も準備もないまま中国との交流路線が「つくる会」の方針にされてしまった危険性が十分にあったのである。これは明らかに中国の国家機関が仕掛けてきた工作である。否、中国側が仕掛けたのではなく、八木氏らが「飛んで火にいる夏の虫」になったのである。中国側はこれは利用できると考えたのであろう。中国は「意見交換」などどうでもよいのである。「つくる会」会長であった八木氏との交流が明らかになれば、「つくる会」の内部に混乱が生じ、うまくいけば、会の分裂=弱体化が起こると踏んだ中国側の工作がそこから始まったのである。そして、八木氏らは、結果として中国が意図したとおり行動した。中国側の、工作がまずひとつまんまと成功したということになる。
八木氏は、当初多くの会員の期待を集めていたが、残念ながら、その期待に応えるような人物ではなかったという結論にならざるをえない。
このような報告を会員に対して行うことも、ある意味では中国側を利することになることは十分承知している。しかし、八木氏らのグループによってその後も「つくる会」つぶしの悪質な言動が続いていることを看過することはできないことから、「つくる会」を守るために敢えて公表するものである。桜井よしこ氏が5月21日付産経新聞紙上で「いま、中国に重宝がられる首相を選んではならない」と言っているように、「つくる会」は「いま、中国に重宝がられる会長を選んではならない」のである。八木氏には、この重大な過ちに一日も早く気づいてほしいものである。
理事会は、このような理不尽な妨害をはねのけ、7月開催の第9回定期総会において新たな体制を確立し、教科書改善運動の一層の前進を計っていく決意である。
以上
Posted by 松田
会員管理ソフトですが、別にこういうのでもよかったわけでしょ。
かんたん商人顧客管理2
これとDELLのデスクトップなら10万円でお釣りがきますよね。
5/27付け「クライン孝子の日記」で、クライン孝子サンが90年代にドイツで西尾先生の通訳をしたと書いていますが、これは本当なのでしょうか?俄かに信じがたいのですが・・。ニーチェの翻訳をされている先生がドイツ語の通訳を、しかも専門家でもない人に頼むなんて・・。
もし事実ではないのなら、名誉毀損にあたるのではないでしょうか?
↑ほら、またこんなちょっと考えれば済むようなことに対してコメントがある
あっしも英語の通訳頼むことあるよ
というか、そうしろと言われてる
考える時間を稼ぐために
で・・・結果として、いざやらせてみたら、全く使えないのが来ることもあった
(このコメントは採録されないかもしれませんが)もういい加減にして下さい西尾先生。心ある人は先生から離れていきますよ。いまの状態はまるで新左翼の内ゲバのようです。ネットには下品な言葉が飛び交っています。その中にかって先生の支持者だった人もいるはずです。管理人の長谷川さんも悩んでおられると思います。
Posted by 松田
種子島さんの勘違い
種子島さんの書かれた文章をいくつか読んだんですが、なにかというと西ドイツでも米国でもみんな自分のいうことを聞いたという自慢話が多い。そして、彼はどうもこれをドイツ人やアメリカ人が種子島個人に頭を下げていると勘違いしてしまったようです。もちろん、彼らは川崎発動機日本本社課長、現地法人社長という肩書きに頭を下げていたんであって、たとえ社長が中卒の英語もなにもわからない人であっても、それはそれで従ったと思います。会社というのは軍隊のごとく命令系統がはっきりしていて、雇用関係があるわけですから、上司の人品うんぬんとは関係なく従う職務上の義務があるわけです。種子島さんがこれを自分の実力だと勘違いしてしまったのが痛かった。
以前とあるバーで、どこかで板金工場を経営するとかいう壮年男性と同席になり、彼をえらく怒らせてしまったことがあります。その人が怒っている理由は、どうも私が彼に対して、自分が雇っている若い工員たちと同じように接しない、媚びへつらわないのが気に入らないということのようでした。もちろん、年長者として敬語は使っていましたし、とりたてて失礼なことを言ったわけではないのですが、やはり私にとってはバーで隣合わせただけの無教養なおやじですから、それ以上の尊敬の念をもて、へりくだった態度をとれと言われても無理な話です。種子島さんの嘆き、つくる会では誰も自分のいうことを聴かなかったも、このおやじの勝手な言い草を思い出させます。ただ、小さいとはいえ自分で工場を経営する個人事業主と、成功したといはいえ一介のサラリーマンを同列に比較するのは、板金工場のおやじにも失礼かもしれませんが。
結局種子島さんは、会社や軍隊のような命令系統のはっきりした組織と、大学や学会のようにそうではないところとの違いを認識できなかったのです。たとえば、大学の教授会なんかでも、それぞれの教授は一国一城の主であって、学部長といえども各学科の人事などには口を挟めないのが通例です。学部長はむしろ対外的な名目上の代表であって、誰も儀礼以上には言うことをきかないのがごく普通です。対内的には司会者のような役割を果たすにすぎません。そして、これはなにも日本だけの現象ではなく、ドイツの大学でもアメリカの大学でも同じことなのです。ですから、種子島さんはアメリカ流のマネージメントを持ち込んで失敗したわけではなく、その組織にそぐわないマネージメントをして頓挫してしまったのだと思います。会長という名目上の役職をえれば、学者として全く実績のない人のいうことであってもみんなが従うと思った、一体どうしてこんな奇妙なことが思えたのでしょう?中継ぎとして起用されたのを知っていたのなら、中継ぎとして職務を全うすればいいものを、なにか勘違いしてしまって、中継ぎに相応しくない行動をとり始めた、自分に指揮権があると思い誤った。これを老醜といっては酷でしょうか。この自らの勘違いゆえに、かかなくてもいい恥をかき、汚さなくてもいい晩節を汚す結果になってしまったのだと思います。ちかぢか兵庫県明石市に隠遁する予定だそうですが、これでは明石の住民でさえ種子島さんには鼻もひっかけないのではないでしょうか?まことにお気の毒様です。
旧八木派と、事実上の西尾・藤岡派の争いはここにきて、早稲田閥 対 東大閥という様相を呈してきたようにも見えます。そして、どうも早稲田閥は腰が引けているという印象がいなめない。対して東大閥は、非情とも思えるほどの冷酷ぶりであり、徹底しています。世間の人はこれを見て、恐いなぁとかやり過ぎだとか思うかもしれません。しかし、私にはとても納得できるのです。概して早稲田出身者は元気こそいいが、反東大とかいって、衆を頼んで徒党を組み仲良しこよしの傾向が強い。学会でもなんでも早稲田出身者だけの会とか作っているのはここだけです。これに較べて、東大出身者は数こそ少ないけれど、こうした権力争いで踏んだ場数、経験が違います。彼らは、西尾先生も福地先生もふくめて、若い頃から仲間内での醜い争いや足のひっぱりあい、引きずり降ろしに慣れているのです。東大生のライバルは東大生であり、彼らの競争にかける情熱は半端ではありません。まだ大学院生のときから、同じ学科のライバルたちと血で血を洗う内部抗争に明け暮れてきているのです。場数を踏んでいるから迷いがないし、決然としていて、これと睨んだ相手を徹底的に殲滅しようとするのです。ひとりが片付けば、またひとりと。東大生の争いはとても汚く、手段を問わないのがその特徴です。私のような私学出身者にはとても真似ができません。だから、本来関係のない種子島さんを血祭りに上げるくらいのことはなんでもないんですよね。恐いですねぇ。
>元西尾ファンさま
管理人の私の気持に気を遣っていただきありがとうございます。
ただ、これしきのことで、西尾先生に愛想をつかす人は、
最初から西尾先生の著作のその元にある思想を理解されていなかったのではないでしょうか?
ですから、それはそれで仕方のないことだと思います。
私自身、勿論あちこちで、西尾先生が下品な表現で貶められているのを見るのは苦痛です。ですが、左翼に限らず、人が集り、組織となれば路線闘争は起こるものです。今回西尾先生がお書きになっていることは、八木派が出て行かれた後の、残った理事の皆さんが「つくる会」の傷を癒し、立派に再出発していくための確認作業だと思っています。
そうそう、これぐらいのことでもう支持しないとかって・・。
支持されるされないで、先生は書いているわけじゃないでしょう。
確かに、いささかうんざりではあるが、事の発端はどこのあるのか?
そう考えると一番うんざりしているのは当の先生だろう。
書かざる得ない状況を作っているのはだ~れ~なのかぁ・・・・?! それに調子に乗った外野がうるさすぎ。
こう書くと、「盲目的な信者が」と揶揄する連中もいましょうが、正直、私も、最初のころは「え、先生・・?」と疑ってしまいました(ネットの表現ってどぎつく響きますからね)。
でも長年の読者なら今まで書かれてきたことや行動されてきたことからして
この状況において、やはり信じられるのはどちらか?と問うた時に、
西尾先生のほうなんだろうな、と今では考えます。
一度、疑ったので強く信じることができます。
てっく様
貴方は何も悪くない。
コメンター様がこの日録にふさわしくないとお書きですが、貴方の文は人品卑しい人が書いた讒間文に対するお返しの文であります。
この日録の舞台に出てきている人々は貴方の文で刺激を貰い、時々頭の体操にもなり、何より悪者退治をしてくれるウルトラマンか月光仮面かと・・・。主婦の私には刺激があって、とても勉強になりお月謝をお届けに上がりたいくらいです。感謝。
「ちょっとムカつくことがあった」
私も人のこと言えないですけどね、かつて存在した、日録掲示板で、「自称・西尾幹二の弟子」であると、声高に主張していた人物がいます。。。(面識あり)
さっき、新田さんのブログを見たら、その人、コメント欄で思いっきり西尾先生を(偉そうに)批判していた。。。
おいおい、あれほど信奉していた西尾先生を簡単に見限って、よりによって四人組支持に回るとはどういうことだよ?
やっぱりなぁ、西尾先生の弟子を自称する割には、言動が軽率だと思っていたけど、結局、西尾先生の思想を理解しないで、自分勝手に解釈して持ち上げていただけなのね。。。(-o-)アーアダナァ
私の場合はね、西尾先生の思想を「完全に理解」して、西尾先生の思想を「克服」することで、結果的には距離を置くようになったんですよ?
だから、同じように一時は西尾先生を信奉していながら離れた人間だとしても、同列には扱わないで欲しいですね。。。(-”-)
西尾先生から離れたけれど、間違っても4人組や「卑怯者」、あるいは「ペテン師(?)」と同調するなんてバカはしないよ(苦笑)
(まあ、まだ未熟だから、ちょっと信じかけたこともあるけど、でもね、途中でだいたい本性を見抜けるくらいの眼力はあるからね♪)
「まさか西尾先生が自分でつくった会の実情を暴露するはずはないだろう」
「まさかあれだけの方(西尾先生)が自分の立場を脅かす行為はしないだろう」
おそらくそう考えている方が多かったでしょう。
そしてそのような所謂世間の常識を利用し、見えないところで情報を操作したのが八木氏だったということのようです。
「人間は○○○のようなもの、だから神を信じなさい」
そうやって神の存在を絶対化させ、疑う事なく生きる姿を理想化する方に「もしもその神があなたを疑ったらあなたはあなたを疑えるのか」と糾せば、その人の中の自分と神が初めて一体化していない事に気付ける事をニーチェは解いた。
暴露をしない保証なんてこの世に存在しない。
ましてや暴露される側が、世間の常識を悪用するなら尚更せねばならない。
そうしたベクトルを働かせる覚悟があるかどうかが、つくる会の理事には不可欠であることを西尾先生は語りたいのだと認識します。
> 今回西尾先生がお書きになっていることは、八木派が出て行かれた後の、残った理事の皆さんが「つくる会」の傷を癒し、立派に再出発していくための確認作業だと思っています。
長谷川さんのこの視点に賛同いたします。
残られた理事の先生方、そして、新たに選出された新理事の先生方、ともに事情をよく理解し共有して、よりよき教科書を児童生徒の手に渡すために必要な通過儀礼なんだろうなと思います。
新理事の中には、小川義男先生のような、「世界一受けたい授業」やチャンネル桜の教育系の番組において、非常に感銘を与えるお話をされる先生のお名前も見え、今後の会の行く末が明るく希望に満ちたものであることを裏打ちしています。
そこには、外資のマネジメントなんどが荒らす余地のない、慈しみと厳しさに満ちた世界が開花していくに違いありません。
一方、出て行った理事たちも、どのようにかして新しい教科書を立ち上げてくるでしょうが、彼らが教壇に立って生徒に語りかける姿を想像するのは難しい。
あのように非礼を重ねて出て行き、悪罵を重ねるのみならず、事実を歪曲して流布し続ける人間たちに、教育者として無垢の生徒の前に立つ姿など、とても想像不可能なのであります。
世間はいずれ事の真実を理解します。
スポンサーがどうたら、募金がどうたらこうたら、いまはそういうものは一切心配する必要のないものです。
どれだけ真実に立脚して行動できるかが勝負の分かれ目だと思います。
教科書問題は、第一期の自由な時代が終わりを告げ、反左翼の神社関係とそれらと結ぶサンケイ、扶桑社の一部の手に乗っ取られようとしている。
わたしには、それも時代の趨勢のように思える。神社関係の教科書を扶桑社が作り、神社関係の学校のみが採択する。それが一番、採択に近い道ではないか?
作る会の歴史的な黄金期は、すでに終わったと見る。
長谷川さん
西尾ブログの愛読者各位
「元西尾オファン」というのは私なりの下手なレトリックです。これからは別なハンドルネームを使います。
私が西尾先生を十分に理解していなかったと言えばその通りでしょう。私ごときが簡単に理解できる程度のものではないからこそ先生の著書を愛読しているのです。逆に,生半可な理解しかないのに「ファナティック」なまでに西尾崇拝をしているのは先生の望むところではないはずです(そのような方が時々見受けられます)。それから西尾思想を十分に理解していると自負している方は,最後まで先生と行動を共にする覚悟があるのですか。
西尾先生とて人間です。八木氏を見損なったようにときには誤った判断をすることもあるでしょう。最近の西尾先生はいささか暴走気味ではないかと心配しているのです。八木氏が怪文書の実行犯だという確たる証拠があってサピオにあのようなことを書いたのですか。同士の藤岡さんの人格攻撃から始まって,「四人組」批判,50年来の親友の種子島氏のことを「ペテン師」呼ばわり・・・。
ちょっとした記憶違い,聞き間違い,判断の誤りは誰にでもあるし,他人の悪いところを強調し自分の悪いことは控えめに話すのは人間の性でしょう。日本の文化と伝統を愛するなら,徹底的に糾弾しないで少しくらい許したらどうなのか,というのが私の率直な感想です。
ジョバンニさんは「一度、疑ったので強く信じることができます」とおっしゃいましたが、小生は、先生を信じつつも疑い、疑いつつも信じたいと思います。
今のところは、事情が事情ですので、おかしな連中を叩いて貰って大いに結構なのですが、それが一段落すれば、一切から手を引いて、本来の先生にしかおできにならない仕事に戻られていただくことを切望しております。
先生と「最後まで行動を共にする」自信はありません(今すでに、考え方において距離はできている)。ただ、今後も先生の一読者ではありつづけたいと思っております。
山崎行太郎です。
小生は、一貫して西尾幹二支持です。
場違いかもしれませんが、
西尾先生への「応援」と「激励」の意味を込めて、つい最近、「月刊日本」に書いた拙文の一部を転載します。
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●西尾幹二の内部告発は、きわめて文学的な行為だ。
これは、直接的には文壇や文芸誌とは関係ないが、きわめて文学的だと思うので、ちょっと触れておきたい。いわゆる「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛騒動のことである。
私自身は、思想的にも政治的にもかなり共感するが、会員でもないし、関係者でもないので、その内紛騒動の実態については詳しくは知らない。新聞報道と西尾幹二のブログからの情報程度である。要するに外野席から、眺めて楽しんでいる無責任な野次馬でしかない。しかし、私は、一部の良識派文化人が言うような意味で、この内紛騒動が無意味だとか、不毛だとは思っていない。むしろ、逆である。当初は、この内紛騒動の主役は前会長で、更迭されたり復帰したり、そしてまた辞職したりを繰り返している八木秀次かと思っていた。だが、よく見ていると、次第にこの騒動の主役は西尾幹二であるということがわかってきた。むろん私は西尾幹二を内紛騒動の責任者として批判しているわけではない。むしろ、逆だ。そこで私はホッとしたというのが正直な感想である。
西尾幹二は、もともとはニーチェの翻訳などで知られたドイツ文学者として出発し、そして早くから文壇や文藝ジャーナリズムで、それほど派手な存在ではないが、数少ない貴重な保守系の文藝評論家としても活躍していた人である。後に、歴史教科書問題等に打ちこみ、三島由紀夫や江藤淳などが去った論壇で、新しい保守思想家として一家をなし、保守論壇やアカデミズムやジャーナリズムの世界で華々しく活躍し、今は保守論壇の重鎮として多角的な顔を持つ存在なわけだが、しかし私としては、やはり文藝評論家・西尾幹二というイメージが強い。
言い換えれば、この「つくる会」の内紛・騒動の意味は、文藝評論家・西尾幹二という観点からしか解けない問題だろうと、私は推測する。おそらく、政治や思想という次元でのみ、この内紛・騒動を読み解こうとすると、厳しい内部告発に至る西尾幹二の焦燥感や暗い情熱の意味が理解できないだろう、と思う。その意味で、私は西尾幹二を突き動かしている焦燥感と暗い情熱に興味がある。それはきわめて文学的、芸術的な問題である。それは世界や人間に対する根源的な違和感である。話し合えば解決するというようなレベルの問題ではない。
たとえば、西尾幹二は、ブログの中で、次のように書いている。
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≪私が心配しているのは日本の保守政治のこれからの流れである。進歩的文化人や左翼リベラリズムへの敵愾心で自己を保ってきたこの潮流は、ひたすら左ばかり見ていて、知らぬ間に右のファナティシズムとの境界線を曖昧にしてきた嫌いはないだろうか。≫
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今更、言うまでもなく、西尾幹二や、あるいは西尾幹二の先輩格に当たる小林秀雄以後の多くの保守系と言われる文藝評論家や作家たちは、「左のファナティシズム」を批判し、攻撃してきた。そしてその批判攻撃の成果は、今や、大きな花を咲かせようとしている。「保守反動」として罵倒され、差別されてきた保守派は、今や論壇やジャーナリズムの中央に立つようになっている。保守思想家を「保守反動」と言って批判・罵倒する人はもはや存在しない。
では、問題は解決したのか。保守思想家や保守系の文藝評論家たちの思いは達成せられたのか。
そこに西尾幹二の焦燥感と違和感の根拠がある。その焦燥感と違和感の対象となっているものを西尾幹二は、「右のファナティシズム」と呼んだのであろう。言い換えれば、右であれ左であれ、要するに思考停止した「ファナティシズム」こそが、保守思想の真の敵なのだ。つまり、保守思想はファナティシズム批判として存在していたはずだ、ということだ。
その意味で西尾幹二の蛮勇を私は貴重なものとして高く評価する。つまり、これを言い換えれば、文壇や文芸ジャーナリズムにも「西尾幹二」が必要だということだろう。残念ながら、今の文壇には「西尾幹二」がいないのである。「冷静に、粘り強く、話し合いで解決していきましょう…」(笑)というような、世渡り上手な似非紳士、似非政治家モドキばかりが跋扈している。
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「罪を憎んで人を憎まず」
これが原則でしょう。。。
西尾先生は、「罪を犯したこと」を糾弾しようとしているのではない!
「罪を犯したかどうか」を徹底的に追及して、「罪を犯したことを認めようとしない不誠実さ」を糾弾しているのである!!
それが、西尾先生の筋の通し方です!
そんなことは、「西尾先生を理解している人間」だったら、簡単に理解できることじゃないのかな??
ちなみにね、私は、西尾先生の思想を「理解」したからこそ、その思想と自分の思想には齟齬があることに気が付いて、結果として距離を置くようになったのです!
「理解」したとしても、行動を共にする選択もあれば、逆に拒否する選択だってあるでしょ?
「思想」に共鳴したならば、どのような欠点や間違いがあっても、最後まで行動を共にするなんて、そのくらいの覚悟はしていました!!
「欠点」を含めて信じることが、本当に人を信じることであると思っていますからね。。。。
思想的についていかれなくなったので、距離を置くことにしたのです。。。(人間的な欠点なんて、思想に共鳴すればたいして気にならないからね)
(中途半端にしか信じられなくて、それでいて安易な批判をする行為自体にめっちゃ腹が立つ)
西尾さんの今回の一連の投稿につきまして、自分は緻密さに欠けていると感じました。
しかし西尾さんがこのような文章をお書きになるのは、今に始まったことではありません。
自分の知る限りの西尾さんの過去一貫した特徴として、曖昧な判断材料しか揃わない場合であっても、
ご本人が必要と認める判断を下すことに躊躇がない、発言に遠慮がない、
という積極的な点がおありだと思います。
過去の西尾攻撃の多くは、西尾さんの積極性を彼の弱点とみなし、
積極性の故に緻密さに欠けてしまうところを攻撃の手がかりとしています。
そして攻撃は、ときに忠告や諫めの体裁をとっておこなわれてきました。
そして西尾さんが「忠告や諫めの体裁をとった攻撃」に影響されて言を曲げることは、
自分の記憶する限りありません。
判断を先延ばしにする慎重さや公平さよりも、一刻も早くなんらかの判断を下して
アクションをとることが求められる場合がある、という考え方があります。
西尾さんはそれを実践していらっしゃる。
自分が西尾さんに第一に期待する点は無謬性ではありません。
少ない材料で決断する積極性を高く評価しています。
その意味で、今回も期待が裏切られることはありませんでした。
おそらく西尾さんを最も敵視する者は、西尾さんに最も似て積極性を備えたタイプの人物でしょう。
中途半端な人物が西尾さんを忌避したり攻撃したり「忠告したり」する様子は、
自分の目には滑稽な限りです。
「元西尾ファン」を改名しました。
西尾先生は,自分がかつて信じた八木氏が誤りを犯したのだったら,自分の不明を恥じてしばらくは沈黙を守ればと思うのだが,ブログだけでなく雑誌にまで彼の罪を告発しています。それから,親友の種子島氏は会長としてかなり苦労されたと思いますが,その労をねぎらうでもなく,いきなり「ペテン師」呼ばわり。それこそ西尾先生が嫌悪した全共闘的な態度ではないでしょうか。それとも西尾先生には我々には計り知れない深慮遠謀があって,会のため,日本国のため,あのような挙に出たのでしょうか。
私にはよくわからないのでしばらく見守りたいと思います。
ところで,尊野氏曰く『中途半端にしか信じられなくて、それでいて安易な批判をする行為自体にめっちゃ腹が立つ』と言っていますが,西尾先生は『懐疑を伴わない信仰をファナティシズムという』と言っています。
「君はここまでの覚悟が出来るか!?」
まだ、それほど西尾先生に共感していたわけでもなかった頃にですね、こんなことしているですよ?
横浜にある公立大学の大学院に入学した頃の話です。。。
社会学を専攻していた私は、「男女平等」の実現を目指す研究をしようと思っていました。。。
ちょっとフェミニズムにかぶれていた頃で、指導教授も、上野千鶴子を尊敬しているような東大出身の人間でした。。。
フェミニズムには、まだ「それほど」批判的でもなかったのでね、あまり違和感は持っていませんでした。。。(知的レベルがあまり高くない人だと思ったけど(苦笑))
ある日、ゼミの輪読で、上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』という、重々しいタイトルの割には中身のない本を読むことになりました。。。
ちょうと、レジメ作りの担当が私だったのですが、担当した章に、ちょっと看過できない記述があったのです。。。。
従軍慰安婦問題をテーマにした章(どんな内容か、だいたい想像がつくでしょう)の冒頭で、西尾先生と藤岡さんの名前を出して(江藤淳もいたかな)、この連中はドイツのネオナチと同様の「歴史修正主義者」であるという愚劣なレッテル張りをしていたのですね。。。(藤岡さんは、名前は出さずに、「自由主義史観」という言葉で暗に示唆していた)
当時、すでにつくる会の会員でしたが、そんなことを口にすれば、大学で生きていけなくなるような状況だったので(今も、そんなに変わっていないだろう)、絶対に隠しておこうと硬く心に誓っていました。。。
だって、ゼミの初日に、指導教授が口にした言葉が、「最近、つくる会なんてのが出来てね、小林よしのりのマンガに影響された若者が多数参加しているという憂うべき(?)状況があるのよねぇ」なんて世間話するんですよ?
その時、偶然にも、私の鞄には「史」と「SAPIO」が入っていて、本当に心臓が止まりそうになりましたが、「小林よしのりって知ってる?」と聞かれたので、「えっとぉ、『おぼっちゃまくん』とか書いていたマンガ家でしたっけ?」なんてとぼけておきました(笑)
いや、当然の行動でしょ?
誰が「ああ、知ってますよ! 僕の鞄にちょうど「ゴーマニズム宣言」が連載されている『SAPIO』が入っているし、ついでにつくる会の会報である『史』だって入っていますよ? さっきの小林よしのりに影響されてつくる会に入会している若者っていうのは、あなたの目の前にいるこの私のことです!!」なんて正直に答える人間がいるのか!?
それでですね、上野サンの本のレジメを作るのに、つくる会を批判している記述についてどうするか悩みましてねぇ。。。
いちばん無難なのは、この部分の記述をレジメに書かないで無視するという方法でしょうね。。。
だって、この記述を書いた場合、つくる会の支持者であるはずの私が、つくる会批判に追従したことになっていましますからね。。。
これで何とか乗り切ろうとしたのですが、どうしても「歴史修正主義者」というレッテル張りだけは見過ごせないと思ったのです。。。
それで、レジメを発表した時に、ちょっとだけですが、「この西尾さんを『歴史修正主義者』だとレッテル張りをしているのは、少し言いすぎではないでしょうか? 私は、西尾さんの本を読んだことあるのですが、そんな人間ではないと思います」と弁護したのですね。。。
さあ、大変だ!
いきなりキレましたよ、その指導教授!?
私のことを「あなたは西尾大好き人間(?)なのよね」とレッテル張りをして、これみよがしに西尾先生の悪口を私の前で口にするようになりました。。。
そんなことが連日続いたのですが、まだ「それほど」西尾信奉者でもなかったので、「イヤミな行動する人だなぁ」とは思いつつも、適当に受け流していました。。。
しかし!
ある日ですね、指導教授があまりに西尾先生は偏狭な思想の持ち主であるとゼミで口にしてたので、同じゼミ生だった韓国人の女性が、「西尾幹二って、『右翼』なのですか?」と口にしたのですね。。。
そしたら、その指導教授は、「うーん、そう『かも』しれないわね」って答えたんですよ!
さあ、大変だ!
今度は、私がぶち切れました!!
「お前、さんざん西尾先生を右翼みたいな偏狭な思想の持ち主であると口汚く罵っていただろ? だから、韓国女性が誤解することになったんだよ? その責任はお前にあるんだから、ちゃんと『そうだ、西尾は右翼だ!』と断言するのが筋だろ? なに「そう『かも』しれない」なんて責任逃れする発言してんだよ!?」
そんな風に、心の中で怒りが爆発していましたね。。。
本当に、この言葉で指導教授を罵倒してやりたかったのですが、立場を考えてぐっと押さえました。。。
ただし!
「西尾幹二が『右翼』だなんてこは絶対にありえない!!」と、かなり強い口調で二度繰り返して言葉に出しました。。。
さあ、それからはもう、指導教授と私とで、西尾先生を巡って大論争する毎日が始まりました。。。
相手の体面もあるので、言い負かすわけにはいかなかったのですが、私が絶対に自分の意見を譲らなかったので、情勢としては私の方がいつも有利に議論を進めていましたね。。。(相手との知的レベルが違いすぎたからね)
そしたらね、議論で勝てないとなったら、今度は、「論文指導」にかこつけて、ねちねちと嫌がらせしてきたよ、相手は。。。
本当に、うっとうしくて仕方なかったです。。。(論文の内容で議論するならまだしも、些末なことで揚げ足を取るので面倒だったなぁ)
本当にね、「それほど」西尾信奉者でもなかったのに、なんでこんなに西尾先生を擁護して、さらに嫌がらせまでされなきゃならないのだ?と思いました。。。
あんな体験は、もうこりごりですね。。。(-o-;
(しかし、「かなりの西尾支持者」だった時に、あのような状況になっていたら、いったいどんなことしでかしていたか、想像するのも恐ろしい!(笑))←そんな指導教授の研究室なんて絶対に受験しなかったか?(苦笑)
>悩める西尾ファンさま
お考えはよくよくわかります。
きっと最も日本的な、感情を抑えることを美徳とするお方だろうと想像しています。
種子島さんの文章がなければ、あれほどの書き方はなさいません。八木さんの反省の弁があれば、深追いはなさいません。
両者とも、自分が正しいという姿勢を保っているから、西尾先生は筆を緩められないのです。男の世界って、そういうものなんじゃないのですか?
>高木さま
よく理解なさっているな、と感心しました。
私もそう思います。
>山崎行太郎さま
書きこみ有難うございます。
時々、読みにいっています。今後も是非気軽に書き込みをお願いいたします。
>尊野さま
ここは生真面目でいやだ、とか言いながら多くのコメントご苦労さまです。コメントを書き込めないようにしたことはありません。システムの不具合だったのでしょう。
本エントリーにあまり関係のない個人的な話は少し控え、じっくりとした論を展開してくださいね。
「木枯らし紋次郎状態」
最初は、「あっしには関わりのないことで」と思っていたのに、いつの間にかだいぶ関わってしまっている今の私。。。
言葉が悪かったかもしれないけど、やっぱり「懐疑」とかの表現を使っても、西尾先生が言おうとしている哲学的な懐疑の意味を本当に理解しているとは思えないです。。。
まあ、自分で言うのも何ですが、「完全な理解」にまでかなり近づいたと思うんですが、それ以上の探求は止めたのですね。。。
その私から見ると、西尾先生の言葉を引用しているけれども、本来の意味が判って使っているとは思えないのです。。。(だから、いくら哲学用語を使って批判されても、ちっとも心に響かないですね、使い方が甘いので。。。)←ニーチェの主要な著作だってちゃんと読んでいますよ?
(ただ、私が義理人情に薄い人間ではないことを理解していただきたい)←それが「木枯らし紋次郎」の生き様だから。。。(-3-)~♪
―― 子供は親の、親はその親のまねをする ――
院政、崇拝者、信者、のこの言葉の前に「西尾幹二」とつけたら、皆が黙るとでもお思いですか?
あぁ、男なら(いや、女でも)一生に一度は呼んでもらいたい(?)。絶対に呼んでもらえない男が口にする卑怯なやり方である。呼ばれるくらいの男になってみろ。院政? むかし“羽織ゴロ”と呼ばれた男が「そろそろあんたの世の中だよ」という悪魔の声の文を書く。院政? 欲しけりゃ自力で取ってみな!という勢いが大人(年配者)から無くなったら、若者は健康を損ないます。 あぁ、一度は手に入れたのよね。そしてだれも崇拝者、信者とは言ってくれなかった。
今の日本では、人を好きになること、物事を好きになること、に何か知らんおっかなびっくりしている人だらけだ。「そんな事して何になる?」とか「勝ち組み負け組みという単細胞思考」によるのか失敗を極度に恐れ、若い男女が恋愛できない。あぁ、実に勿体無い。心身共に若いときにしかできないことがあるのに。日本人は欧米人に比べて匂いがない。欧米人の彼らは本当に臭い。動物に例えれば存在感があるということになる。日本人は身体の匂いはなくても、精神の香りがあった。高貴な香りを持っていた。
今の日本で数少ない高貴な香りを持つダイナミックな男に「貴方は貴方の晩節を汚すおつもりか?」とアドバイスをされる方がおられます。高貴な男は己の晩年の為には生きていない。今を現在を生きておられるように思います。西尾先生の仲間への批判には、愛情と無念のようなものを感じます。あちらブログの方の批判には悪意と下品なものを感じます。悪意と下品さからは何も生まれません。
仏国で育った息子はとてもいい高校生活を送っていた。好きな女の子、そして友達とのダイナミックな交友。見ていて本当に楽しそうだった。「母ちゃん、今日○○○を連れてきていい?」と土曜日毎にガールフレンドがきて我家で一緒にお昼御飯を食べた。あるときガールフレンドと大喧嘩し目に涙をためていた。
「この成績はなんだ! ちっとは部屋をかたずけなさい!」と、そうとは知らない私が叫んだ時、「母ちゃん、俺にもつらい時があるんだよ!○○○とはもう終わりなんだ!」心の比重計が上がったり下がったり。日本の若者にも息子が過ごしたようなワクワクどきどきの青春の時間を過ごして欲しいと思っている。そうでない人生は若者にとって、むごすぎる。「俺は日本人なのに、日本を知らない。お願いだから日本の大学へ行かせて欲しい」と。いま息子は日本にいる。私は日本国のために息子を手放したつもりでいる(ちょっとカッコつけすぎ?)。母親の私の気持ちに、息子は「うん、母ちゃん、オッケー、任しといて!」と軽く返事してくれるだろう。
60代70代の日本人よ。もっとプランシプルを貫いてください。40代50代は貴方方を見て、彼らの今が在るのです。誰に、何に、遠慮がいりましょう! 戦後の日本を立派に復興させた貴方方です。
「 院政? ふん、自力で取ってみな!」と叫びましょう。若者の健全な精神の為にも。
私もご一緒いたします。
西尾幹二先生いつも応援しております。
小川義男先生は子供が大好き。厳しくて情の深いお方。あの眼光を見よ!本物の男である。
元日教組委員長の槙枝氏は凄いハンサムで女性にもてた男。そして平成3年に北朝鮮の金正日から親善勲章第一級を貰った男とか。今度は中国から勲章が来るのかな? さて、誰にでしょう?
日教組と戦ってこられた小川先生が「つくる会」に来られた。あぁこんな喜びはない。とても有りがたいことです。
本当、美徳が通じる日本に戻って欲しいものです。
しかし、昨今の社会保険庁だけではないですが、次から次へと信頼すべき地位についている人たちが、いずれバレることを恐れもしないで、いとも簡単に不正に手を染める時代になっています。
ましてや、こんな日本を改善する目的を持ったつくる会の幹部にも現れてしまいました(こちらの方が心ある日本人を深く傷つけたと思います)。
まさに、誰を信じて良いかわからない時代が到来しています。
不正な手段を使う者に対して、どう立ち向かうべきか。美徳を重んじる日本人の苦手分野ですが、今こそ考えなければならないときではないでしょうか。
「少し解せないことが」
山崎さんのコメントを興味深く読んでいたのですが、少し判らない部分がありました。。。
ファナティズムについての記述ですが、ファナティックであるということは、妄信して他人の意見に耳を傾けないような人間を想像します。。。
一種の狂人といえるかもしれません。。。
しかし、文学者も、一種の狂気、ファナティックな素質を必要とされる職業でもあるのではないでしょうか?
そうだとすると、世渡り上手の文学者も問題ですが、ファナティックではない文学者というのも、文学的な素質として上等であるといえるのかどうか、なんてことを考えていました。。。
山崎さんの見解を伺いたいと思うのですが、いかがでしょうか?
八木氏が更に中国の学者を日本に招いて,新田氏らと共に「激論」したとのことで,驚きました。一体旅費や接待の金はどこから出たのだろう。中国の学者が日本に来る用事のついでに議論したのだろうか。しかし中国の感覚からすれば,一回日本から行って議論し,また中国から来て議論した訳だから,もう一種の「関係」が出来てしまっていることになるのではないか。言ってみれば「朋友」とみなされてもおかしくはないだろう。八木氏が「一緒にお酒が飲める人はいい人」という人間観の持ち主であるなら,そういう「関係」を梃子にどんどん泥沼にはまりこんでいく可能性が十分あると思われる。
八木氏の前回中国での意見交換の記録を見ると,どうも「あなたの立場はあなたの立場として認めますが,私にも私の立場があるので,あなたも私の立場を認めて下さい」という姿勢が一貫している。しかしこのような姿勢は何ら意味をなさないだろう。その根本的な理由は,そもそも歴史認識の議論をする際に,こうした相対主義的な立場では限界があるからである。
歴史が仮に物語だとすると,各民族集団の数だけ歴史があって良いことになる。これが相対主義の立場である。しかし中国の公式的な立場にとって,歴史は決して物語ではなく,天下のどこでも通用する普遍的な歴史である。もっとも朝貢体制という,本音と建前をうまく並存させた国際秩序を運用してきた中国は,一々あらゆる物語を全て抹消しようとはしない。ローカルな,一部地域でのみ通用する物語も,仮にそれが中国の普遍性を認める上であれば,存立を許される。八木氏の根本的な問題は,最初に「あなたの立場はあなたの立場として認めます」という姿勢を出してしまっているところである。こういう姿勢を,向こうは中国の普遍的な歴史を認めた,と受け取るであろう。それに対して,自分の立場も認めてほしい,という申し入れは,ローカルな物語として一応存在を許してね,という程度にしか受け取られないだろう。しかしこういう申し入れも,中国の公式的立場からすれば公式には受け入れられるはずはなく,こういう腰の低い要求すらはねられるという形で,全く無様な結果に終わることになる。正に八木氏は,中国から見て既に中国の軍門に下っているのである。
保守派の論客が中国に行って議論するのなら,本来ならばそうした中国の掲げる普遍性を動揺させることがまず目指されねばならないはずである。そのためには相対主義的立場では明らかに不足であり,日本と中国を共に包含するような,別種の普遍史をこちらから提示し,納得させるという姿勢が必要になろう(それは必ずしも「侵略」か「自衛」かという二分法には関係しないし,善悪の判断に帰着するようなものでも無いだろう)。争いは普遍的な歴史を巡って展開されるのであり,それは物語の「棲み分け」では決して有り得ないのである。
この意味では,日本の歴史とは世界史の一部であるし,また日本の歴史は日本においてのみでなく,その世界における意味が問われねばならない。中国が普遍的な歴史として歴史を語るということは,その歴史認識を欧米でもアフリカでも,どこでも正しい歴史として語るということなのである。中国と歴史認識論争をするというのは,世界を舞台に国際競争を遂行するということである。しかし八木氏の姿勢にはその覚悟が見られず,ただ単に島国日本の中だけで,日本の日本史の物語が流通することの承認を求めているだけである。しかし日本の中だけのことなら,そもそもそれについて何で中国にお伺いを立てる必要があるのだろうか?
以上のような八木氏の姿勢は,中国から見れば全く脅威ではない。島国のローカルな物語がいくらあったところで,国際的な普遍史は全然揺るがないからである。「小日本が相変わらず何か言ってるよ」と,欧米その他の人々と共に笑って済ませられる程度のものである。
そもそも八木氏は,そういう戦いをしようという気はなく,理解を求めに行ったようだ。しかしそういう,うわべの配慮を得ようとする行為に何の意味があるのだろう。中国も恐らくそんなことには興味はあるまい。
私は日本の保守派が中国に行って議論すること自体を否定しようとは思わないが,議論するなら大変な準備と覚悟が必要である。八木氏らには,国際競争の厳しさへの認識と,それへの緊張感が欠けているとしか思えない。彼等にはやはり,島国日本の内部でしか通用しないローカルな「つくる会」しか構想できないのではあるまいか。大局的に見れば,西尾・藤岡両氏の「つくる会」は戦う怒りの会で,八木・新田氏らの「つくる会」はそれに対して一種の「癒し系」(怒りと戦いに耐えられない・そうしたこととは距離を置いて,自分の世界に安住したい人々のための)ということで,ある種の役割分担は出来るのかも知れないが。
日本が本当の危機に立たされたのは近代が初めてであろう。弱肉強食,適者生存の厳しさをくぐり,直視しているかどうかが,日本における(普遍的な意味でではない)近代保守と古代保守(?)の主要な違いの一つなのではないだろうか。八木氏らはやはりなんとも呑気で牧歌的な世界に生きているように思えてならない。まあそちらの方が幸せだろうとは思うが。
他人のことが言えるような立派な人間か、新田ブログに書く人間は
藤岡のタクシー代は請求の相談のみで、現実問題として支払いがなされかったらしい。
すると、目的は宮崎が相見積りも取らずに詳細資料なしに1000万ものソフトを発注し、あまつさえ、請求書もなしに口頭による指示で525万円を送金した問題の糊塗ではないのか。
そして、事務員があのような直訴状を理事会に出すこと自体が狂っている。
おそらく、書かされたものではあろうが。
新田は、いまさら下克上かなわずやめてしまった会の崩壊を望むより、八木を盛り立てて独立独歩の道を歩むがいい。
出来上がった教科書で勝負してくれ。
見苦しい言挙げはもう良い。
尊野さんへ
義理人情がどうのというよりも、現在口を極めて西尾氏を感情的にののしっている人間は、元々西尾氏の周りにいないほうが良かった人間。
何のとりえもない人間が、偶然にも、それも西尾氏が事大主義者でないゆえに興味本位で気軽に声をかけた。
自らの持ついわれなきルサンチマンの緩和にそれが役に立った。
ひとつ間違えれば最大の敵に回るような輩、可愛さ余って憎さ百倍と言ったところか。
元々、高邁な思想などとは縁遠く難しいことは理解する能力も意欲もない。
単純に自分の意見と違うこと自体が許せない。
そんなところではないでしょうか。
新田という男たちも似たもの同士なのかもしれない。
それゆえ、妙に波長が合う。
昔の仲間が集まって、数を頼みにつくる会の主導権を握れるかと思いきや、げに恐ろしきは慧眼の持ち主。
裡によからぬ二つ心を持った者同士、すなわち八木と使い魔である新田、それにその子分の松浦、自らの判断ミスもあり、なんとか宮崎を追い出そうとしていた種子島、それも宮崎が意外な抵抗を見せたので、あまりつつくと自分のほうに火の粉が降りかかることを恐れ、たちまち変心してしまった日和見爺さん。
こんな輩どもが慧眼の持ち主の私心なき、捨て身の振る舞いで、悪事は遂に成らず。
とうとう仕掛けた自分たちが去ることに。
ただし、こういう輩はしつこく、勝手な思い込みが激しいのが身上。
そう、まるで三国人のように。
また、お尻も軽いが口も軽いから大変。
鳴かぬなら、殺してしまえホトトギスとばかりに、
昔の古巣のつくる会がどうなろうと知ったことか。
俺たちのいないつくる会などつぶれてしまえと逆恨み。
その暗黒の波動に引き寄せられたのが、ミットモナイ蘭をはじめとする、西尾氏と意見が違う、それゆえ疎外感を覚えていた、拗ね者たち。
今や、そのレベルは2ちゃんねるの悪口スレッドの代わりとなった。
単に、これが実相でしょう。
要するに、行き場のないものの吹き溜まり。
話は変わるが、ご立派なことをのたまっている松浦が別れた奥さんと養育費で揉めているというのはまことであろうか。
国や、辞めた会を憂うより前に、我とわが身をこそ憂え。
それに、古来より、寺社が政に口出しをしてロクなことになった例がないではないか。
身を謹んで謙虚に日々を暮らすが良い。
そして、教え子のことを考えて、もう少し自分の大学の値打ちを上げるように。
それとも就職の希望がないので「でも、しか」で教師になったのか。
あの時代、よくあった事だが。
悩める西尾ファンさん。
(中途半端に)信じて、懐疑なしをファナティックとはいわないでしょう?
だから、尊野さんの言い分はとても筋が通っています。そうです。尊野さん腹を立ててください。怒ってください。墫野さんに軍配。
何でも中途半端はいけません。信じることにおいても。人を好きになることにおいても。ファナティック的(?)だと、人がジェラシーを覚えるくらいにやらなきゃだめです。これこそ生命を感じる瞬間でしょう。
西尾先生をすべて理解するということ、どうしてできましょう。理解しようとしているうちに好きになるのです。私は客観的にその人を理解しよう(知ろう)としたことはありません。私の全人格・全感覚で知ろうとします。主観がとても大事です。
尊野さん「。。。あんまり関心がないのだが、又覗いてしまった。。。」などといわないで、全てのこと、ファナティック一歩手前まで行ってみられたら如何でしょう。貴方の細胞が喜んで、素晴らしい「論文」ができるのでは? そしてよい教科書作りに貢献してください。
ちょっとだけ批判的な書き方になりますが、お許しください。
(私の認識に間違いがあればご指摘ください)
八木氏の中国詣でを批判されている方々は、それをご自身が知った時期を明記の上されたほうが宜しいのではないでしょうか。
と申しますのは、中国詣でも確かに批判対象ではありますが、一連の事件と切り離して批判することも可能ではないかと思うんです。今回の西尾先生の発言に後押しされなくても、それ自体が発覚された時に批判すべき対象として捉らえることが可能です。ましてや正論での八木氏の論文を読んだうえでもまだ批判が出ず、ここの話しをみて批判するとなると、やや便乗した形と見れる行為かなと感じます。
ですから、中国詣でをいつどのように知ったかを明記することで、違った重みが加わるのではないかと思います。
そうしませんと、指摘が浮つき読み手に染み込まないように感じます。
また、相手サイドからの批判を受けやすいポイントになる恐れさえ感じます。
如何なものでしょう?
毎朝,職場に来るとまずパソコンのスイッチを入れ,IEを起動し,「お気に入り」に登録した西尾ブログをクリック,という日々を送っています。「つくる会内紛」以来,仕事が停滞していますが,大変勉強になっています。
ところで,私は数理科学系の研究者ですので,「歴史」も「哲学」も「文学」も全くの素人です。ですからこのような分野で文系の人(このブログに登場する方たちは皆さん文系でしょう)と本格的に論争しようとは思いません。まして西尾哲学を批判するなんてとても畏れ多いことです。ただ一言,理系の人間が考えている懐疑について書かせていただきます。
我々の分野では(文系もそうかもしれませんが),完全な理解に到達するまで追求したら論文なんて一つも書けないで終わってしまいます。ですので,まずは中途半端に理解し(信じて)先へ進み,ある時ふと懐疑が生じて,そこで立ち止まって考え,また理解が深まって,信じて先へ進み,の連続です。ですから尊野氏の言う『中途半端にしか信じられなくて、それでいて安易な批判をする行為』というのは(それを口に出して表明するかどうかは別にして)いつも頭の中で繰り返している絶対に必要な作業なのです。理系の分野では—といってもすべての分野に精通しているわけではありませんので断定はしませんが—,「真理は一つで議論を重ねていけばいつかはそこに到達する」という信念があります。正しいものは誰が見ても常に正しく,相反する「真理」が同時にいくつも存在し,百家争鳴ということは,少なくとも学会誌上ではあり得ないのです。卑近な例で言えば「1+1=2」を人によって認めたり認めなかったりということはあり得ないのです。どちらが正しいかは,厳密に定義された言葉を用いてきちんと証明できるし,実験をすれば一目瞭然なのです。このような万人が認める真理(これを認めることはファンティシズムではありません)から出発し,より高い真理を求めて,それが認められたら,またそれを出発点とし,より高いところへ,という繰り返しです。ですから,ファナティシズムなんて神の領域であって,そのようなことを安易に口にする人を見ると,どこか胡散臭さを感じさせます。
私が西尾ファンになった理由は,先生はファナティシズムから最も遠い方だと感じたからだとおもいます。先生がいつか猪口邦子のことを「どこかで聞いたことをさも偉そうに」と批判していましたが,マスコミに登場してる論者は,保守,リベラル,左翼を問わず,猪口邦子と五十歩百歩で,およそ懐疑と縁遠く,偉そうな人ばかりですね。
以上,尊野氏や,尊野氏を follow するその女ソルベ氏に対する答えになっているかどうかわかりませんが,また「つくる会内紛」とも無関係な話ですが,私の拙文が嚆矢となってホットな議論が展開すれば幸いと思っています。もちろんバッシングを受ける可能性も覚悟しています。
「思わぬエールをいただいて恐縮(?)」
うーん、いつの間にか、またここの常連に舞い戻ってしまったカンジだなぁ。。。
私の方が距離を置くというより、多分、こんな人間は受け入れてもらえないだろうと思っていたのだが、思わぬ励ましの言葉まで頂いてしまうとは。。。(^へ^ゝ
まあ、ぶっちゃけですね、思想的な距離はあるといっても、西尾先生のことが嫌いになったわけではないのですね。。。
感情レベルで反発するようなミットモナイトな行動なんて、そんな低俗すぎる行動はしませんよ。。。(^へ^)
まあ、なんというか、思想レベルというか、西尾先生とは「人生観」というか、「男としての生き方」あるいは単に「価値観」に違いがあるのですね。。。
簡単な例を挙げると、西尾先生からすれば、「モーニング娘。」なんてちゃらちゃらしているだけで「軽薄」だという印象しか持っていないでしょう。。。
でもね、私からしたら、彼女たちだって、一生懸命に真面目に生きていて、将来は立派な大人になる可能性を秘めている女の子たちなんですよ。。。
それに、杉村太蔵議員に象徴される、ちょっと軟弱で軽薄そうに見える若者もね、よく話を聞いてい見ると、けっこう根性があったり、日本に対する愛情だって強かったりする側面だってあるんです。。。
だから、いきなり「日本は滅ぶ」とかの悲観的な言葉を発する感覚についていけないんですね。。。(憂いを見せることが格好いいという哲学思考が染みついているのではないか?)
私にしたらね、今の若者は、将来の日本を背負うに足る十分な素質を持っていると思うし、その才能を伸ばす手助けをしたいという意気込みでいるんです。。。
だから、それに水を差すような発言が多い「保守論壇」とは、当然、距離を置くことになりますよ、気分を害されるだけだから。。。
教科書改善運動自体には関心がないわけではないけど、私としては、もっと若者なりの活動方法を模索したいと思っています。。。
そもそも、歴史とはけっこう面白いものなんだよ?ということを教えてあげないと、教科書うんぬんの話をしても通じないと思うしね。。
そういう啓発活動を、ネットのコメント欄とか自分のブログとか使って、若い人に向けてちょっとずつ実行しています。。。
(だから、広い意味で、教科書改善運動を「側面的」には支援しているんですね♪)
防衛研出身の秦郁彦さんが、南京人数問題について著書の中で
ある主張は○人、別の主張は○人、結論として中間値の○人ならば中共の同意も得られるのではないか、
という主旨の記述(いわゆる中間説)をされていたことがあります。
自分は読みながら「フーン、なるほど」と納得していたのですが、
西尾さんが足して割る考え方は問題であると主張されていたのを拝読し、
これは西尾さんの方がスジが通っていると思いました。
このとき己の第一の課題として、人数問題のディテールですとか、
あるいは人数問題の国際政治的な意味とかも大切な話ですけれど、
なぜ西尾さんの看破された問題点を自分は見過ごしたか。
そしてこの課題をおざなりにしたまま西尾さんの主張に触れ続けると、
自分の内心に西尾さんへの依存が生まれる可能性があり、
またその依存を畏れるゆえに西尾さんを忌避したり、
あるいは根拠薄弱な西尾敵視の衝動を抱くようになるであろう、と考えました。
そこで第二の課題として、西尾さんの主張に触れてさまざまな感想を抱く自分について、
もう一人の自分がチェックする意識を持ち続けよう、と。
しかしその後、対アメリカ外交に関する岡崎久彦さんの発言の問題点を
自分は看破できなかったし、今回の八木問題も我が内心で似た経緯をたどりました。
これは難しい問題だと思います。
話は飛びますが、悩める西尾ファンさんが理系の人としていろいろおっしゃっています。
たとえば「百家争鳴ということは,少なくとも学会誌上ではあり得ない」とかおっしゃられますと、
実態としてはその通りなのですが、実証主義批判をどうとらえるのかという話になります。
確かに、仮説と検証という科学的手続きについては、依然として有効なツールであると思います。
しかし科学的手続きの積み重ねの上に真理に至ることができるという考えについては、
実証主義批判とは別に、昭和初期の時点で理論的基盤が否定されているとの見方があります。
数学基礎論のヒルベルトが唱えた無矛盾の公理系、これを理系的真理と読み替えていただきたいですが、
そのような公理系はゲーデルの不完全性定理によって否定されているからです。
爾来、数学者は、かつて哲学者がそうであったような宇宙全体に対する知性の挑戦という野心を捨て、
個々の専門分野のタコ壺の中にこもってしまった、との印象を自分は抱いております。
「妄信、軽信、あるいは偶像崇拝」
私の批判対象は、主にミットモナイトな人を念頭に置いていたので、「悩める西尾ファン」さんのことを直接に批判する気はないのですね。。。
懐疑を持っていることは良いことだと思います。。。
私が許せないのは、適当に持ち上げておいて、それも虎の威を借る狐のごとく、自分も崇拝者と同じようにエライのだと勘違いして傲慢になっている人間であり、そういう連中にいちばん腹が立つのです。。。(今度は別にすり寄る対象を見つけて、今まで持ち上げた相手を罵るとは、本当に節操がない不埒な行為ではないか?)
普通に疑問を寄せること自体には、何も気にはしていませんので、ご了承しておいて下さい。。。
(最初から不快感も持っていなかったし。。。(・_・))
西尾先生には,夜中にぶしつけに投稿させて頂いた拙文を紹介して下さり,恐れ多いことと思っております。
>あきんど様
初めまして。いつもコメントを拝読しております。
私がどういう経緯で投稿に至ったかということを,正直に申し上げた方が良いと思います。以下のように申し上げれば,それによって西尾先生を攻撃する側からの批判を誘発する恐れなしとしませんが,しかしそうした批判そのものは何ら重要ではないと思いますので,やはり書きたいと思います。また,若干の補足説明もさせて頂きます。
私自身,もともと「論壇」の言論をこまめに追いかける人間ではなく,西尾先生の高論に惹かれたのも昨年の総選挙の前後からです。ごくごく最近の読者に過ぎません。また,つくる会とも全く関係がありません。つくる会とは関係ない人間であるために,軽々にどちらを支持するとか,紛争をあおるような事を書くのは無責任だと思い,そこでおっしゃるように今回の内紛とは切り離して考えることも可能な中国訪問,中国学者との「議論」について,投稿させて頂きました。
八木氏の中国訪問も,今回の一連の「内紛」及び論争の過程の中で,断片的に情報を見ていく中で知ったに過ぎません。その時は,問題の所在を明確に意識するには至りませんでした。その後本日録でも引用された,てっく氏の批判を見て,そういう見方もあるかと思いましたが,しかしその論点は拙論とはまた異なると思います。私が今回の投稿に至った直接の原因は,八木氏らが中国の学者達と日本で,再び「議論」したということを知ったことにあります。その事実を知ったところで,もう一度この問題を考える機会を与えられ,一種のひらめきが湧いて,拙論となりました。一回と二回では,それも一回目に対する反省が明示されていない中での二回目というのでは,やはり衝撃が違います。
ただ,八木氏の中国学者との「議論」も,今回の「議論」が一体どのようなものであったのかということが明らかになった上で,また新たな判断を下すべきでしょう(もちろん私の批判がそのまま通用してしまう可能性もある)。私の批判はあくまで昨年の中国訪問の際の「意見交換」に即したものです。私の主張が,現在の状況のみに即応した八木氏批判・藤岡氏擁護にあるのでないことは,強調したいと思います。私が主に言いたかったことは歴史=物語という論の批判と,普遍史を考えることの必要性です。西尾先生が八木氏批判という一点に目を付けて紹介されたのでは決してないということは,先生が「大切な論説」として紹介して下さっていることからも明らかで,そう言明すること自体おこがましいでしょう。
また,「私は日本の保守派が中国に行って議論すること自体を否定しようとは思わない」と書いたように,中国との「議論」そのものを拒否しているのではありません。中国の「工作」を警戒する必要はあるにせよ,そればかりを前面に出してもどうにもならない面があります。ただ近代以前の世界から突然踊り出てきたような八木氏らの半端な姿勢では,必要な「議論」には程遠いように思われたため,批判したのです。
実を言うと,中国と「議論」するなら,むしろ西尾先生にやって頂きたいという思いすら私にはあります。というのは,やはりこういう「議論」には思想が必須だからです。私は日本の左派の知識人が中国に行って紋切り型の日本批判を行うことをしばしば苦々しく思っています。その理由として敢えて挙げたいのは,いくら中国で日本批判をしたところで,中国にとって実は得るものは無い,ということです。自分達が聞きたい批判を日本人の口から聞いたところで,それは中国人にとって何ら異質な思想との出会いを意味しません。そういうことをいくらやっても,誰の為にもならないのです(こういう考え方は,「牧歌的」でしょうか?)。
私が「怒りと戦い」という言葉を使ったのも,言論と思想の領域について言っているのであって,軍事ではなく,拙論が中国との軍事衝突を煽るものと読まれることがあれば,そういう意図は私には全くありません(この点については書いた当初は意識していませんでしたが,めいさん(私は面識はなく,時々ブログを拝読しているだけです)のトラックバックを見て断っておく必要があると思いました。そちらにも何かコメントしようと思っています)。
あきんど様の批判的なコメントのお陰で,以上のように私自身もより意図を明確化することができたと思いますので,感謝します。また,またしても長文になってしまい,失礼致しました。場を与えて下さっている西尾先生と長谷川様に,改めてお礼申し上げたいと思います。私自身現在は考えが色々揺れ動いている最中で,今後も勉強させて頂きたいと思います。