私は今回はことの発端をお話する役目です。そうすれば末端も違って見えて来て、事柄の全体がより正体を明かにするでしょう。
組織運動とか団体とかに何の関係もなかった私、詩人か哲学者かになりたくてなれなかった文学青年くずれの私は、「事務局長」とか「会則」とか「趣意書」とかがどうあるべきかを考えたことは一度もありません。「つくる会」創設時に藤岡さんから「記者会見」をやろう、と言われて面食らった覚えがあります。
「記者会見」は映画スターの婚約や警視庁の捜査報告のような場面にふさわしく、自分たちが勝手に起ち上げた私的団体の開所式には似つかわしくない、と思いましたが、勢い込んでいる相棒の心意気にすべてをお任せしました。当時本が売れていた自由主義史観研究会から25万円借金して、赤坂プリンスホテルの「記者会見」を何とかやりとげましたが、真中に坐った私はこういう大袈裟なことをするのが恥しくてなりませんでした。その後も私がこの種の場面をできるだけ逃げたことは、気がつく人は気がついているでしょう。
初代の事務局長は草野隆光さんといい、北大の助手をしていて、藤岡氏が北海道から連れて来ました。助手といっても藤岡氏より年上で、東大教授の藤岡氏を見下す態度でものを言っていましたので、いつか何かが起きそうだという予感は最初からありました。
草野さんは左翼運動の体験者でもあるせいか、有能な事務局長でした(恐らく過去の四人のうち最も有能)。会の規約や定款づくりも彼でしたし、私は目星い財界や文化団体めぐりも彼の案内で一緒にやりました。
忘れもしないのは「趣意書」は会長が書くべきなのに私がなかなか書かないので、彼が怒りだし、私が書いた文章をみてこんなのはダメだと彼に破り棄てられてしまったことです。私は子供にも分る平明な「趣意書」を書くなどという芸当がまったく苦手で、しかも当時重要な仕事だと全然思っていなかったのでした。
だいたい「たかが教科書」が私の意識の中にあり、そういうと「されど教科書」と反論されるので、それもそうだな、というくらいの認識でしたから、歯の浮くようなキレイゴトを並べた「趣意書」の文章などというものは書けといわれてもなかなか筆が動きません。現行の「趣意書」は私の書いたものではないはずです。藤岡さんと草野さんの合作だと思います。
もうひとつ草野さんに叱られたことがあります。役員列記のなにかの文書で、「事務局長」を理事・監事の後に置いたら、会長・副会長の次に位置づけるべきだ、と渋い顔で言われました。
草野さんはプライドが高く、かつ感情的に激昂する人でした。井沢元彦氏が好きで、彼を理事に入れたいとしきりに言っていて断られ、実現しませんでしたが、談論風発の思い出も多く、懐しい一人です。
草野さんは間もなく、私の知らない所で案の定藤岡さんと衝突し、会を去りました。草野解任に関する限り、私も狐につままれたようで、事情をまったく知りません。藤岡氏が「草野君はケシカラン」としきりに息まいていた顔だけを覚えています。本当に何があったのでしょうか。無責任といわれても、藤岡氏が北海道からつれて来た人のことですから、あの件だけは私の記憶の中は空っぽです。
それ以後の三人、大月隆寛、高森明勅、宮崎正治諸氏の事務局長の就任と解任に関しては勿論記憶もあり、自覚もあります。
とはいえ、大月隆寛氏は小林よしのり氏が自分の側近の仲間が欲しくて無理に乞うて理事に迎えた方でしたから、事務局長の就任も小林氏の意向が働いていたと思います。大月氏は民俗学者としてすでに一家をなし、当時大学教授でしたので、「つくる会」の勤務は不定期でした。(草野氏も北海道を往復していたので当然不定期でした。)
前回のコメントの「とめ猫」さんによる大切な論説を紹介します。
八木氏が更に中国の学者を日本に招いて,新田氏らと共に「激論」したとのことで,驚きました。一体旅費や接待の金はどこから出たのだろう。中国の学者が日本に来る用事のついでに議論したのだろうか。しかし中国の感覚からすれば,一回日本から行って議論し,また中国から来て議論した訳だから,もう一種の「関係」が出来てしまっていることになるのではないか。言ってみれば「朋友」とみなされてもおかしくはないだろう。八木氏が「一緒にお酒が飲める人はいい人」という人間観の持ち主であるなら,そういう「関係」を梃子にどんどん泥沼にはまりこんでいく可能性が十分あると思われる。
八木氏の前回中国での意見交換の記録を見ると,どうも「あなたの立場はあなたの立場として認めますが,私にも私の立場があるので,あなたも私の立場を認めて下さい」という姿勢が一貫している。しかしこのような姿勢は何ら意味をなさないだろう。その根本的な理由は,そもそも歴史認識の議論をする際に,こうした相対主義的な立場では限界があるからである。
歴史が仮に物語だとすると,各民族集団の数だけ歴史があって良いことになる。これが相対主義の立場である。しかし中国の公式的な立場にとって,歴史は決して物語ではなく,天下のどこでも通用する普遍的な歴史である。もっとも朝貢体制という,本音と建前をうまく並存させた国際秩序を運用してきた中国は,一々あらゆる物語を全て抹消しようとはしない。ローカルな,一部地域でのみ通用する物語も,仮にそれが中国の普遍性を認める上であれば,存立を許される。八木氏の根本的な問題は,最初に「あなたの立場はあなたの立場として認めます」という姿勢を出してしまっているところである。こういう姿勢を,向こうは中国の普遍的な歴史を認めた,と受け取るであろう。それに対して,自分の立場も認めてほしい,という申し入れは,ローカルな物語として一応存在を許してね,という程度にしか受け取られないだろう。しかしこういう申し入れも,中国の公式的立場からすれば公式には受け入れられるはずはなく,こういう腰の低い要求すらはねられるという形で,全く無様な結果に終わることになる。正に八木氏は,中国から見て既に中国の軍門に下っているのである。
保守派の論客が中国に行って議論するのなら,本来ならばそうした中国の掲げる普遍性を動揺させることがまず目指されねばならないはずである。そのためには相対主義的立場では明らかに不足であり,日本と中国を共に包含するような,別種の普遍史をこちらから提示し,納得させるという姿勢が必要になろう(それは必ずしも「侵略」か「自衛」かという二分法には関係しないし,善悪の判断に帰着するようなものでも無いだろう)。争いは普遍的な歴史を巡って展開されるのであり,それは物語の「棲み分け」では決して有り得ないのである。
この意味では,日本の歴史とは世界史の一部であるし,また日本の歴史は日本においてのみでなく,その世界における意味が問われねばならない。中国が普遍的な歴史として歴史を語るということは,その歴史認識を欧米でもアフリカでも,どこでも正しい歴史として語るということなのである。中国と歴史認識論争をするというのは,世界を舞台に国際競争を遂行するということである。しかし八木氏の姿勢にはその覚悟が見られず,ただ単に島国日本の中だけで,日本の日本史の物語が流通することの承認を求めているだけである。しかし日本の中だけのことなら,そもそもそれについて何で中国にお伺いを立てる必要があるのだろうか?
以上のような八木氏の姿勢は,中国から見れば全く脅威ではない。島国のローカルな物語がいくらあったところで,国際的な普遍史は全然揺るがないからである。「小日本が相変わらず何か言ってるよ」と,欧米その他の人々と共に笑って済ませられる程度のものである。
そもそも八木氏は,そういう戦いをしようという気はなく,理解を求めに行ったようだ。しかしそういう,うわべの配慮を得ようとする行為に何の意味があるのだろう。中国も恐らくそんなことには興味はあるまい。
私は日本の保守派が中国に行って議論すること自体を否定しようとは思わないが,議論するなら大変な準備と覚悟が必要である。八木氏らには,国際競争の厳しさへの認識と,それへの緊張感が欠けているとしか思えない。彼等にはやはり,島国日本の内部でしか通用しないローカルな「つくる会」しか構想できないのではあるまいか。大局的に見れば,西尾・藤岡両氏の「つくる会」は戦う怒りの会で,八木・新田氏らの「つくる会」はそれに対して一種の「癒し系」(怒りと戦いに耐えられない・そうしたこととは距離を置いて,自分の世界に安住したい人々のための)ということで,ある種の役割分担は出来るのかも知れないが。
日本が本当の危機に立たされたのは近代が初めてであろう。弱肉強食,適者生存の厳しさをくぐり,直視しているかどうかが,日本における(普遍的な意味でではない)近代保守と古代保守(?)の主要な違いの一つなのではないだろうか。八木氏らはやはりなんとも呑気で牧歌的な世界に生きているように思えてならない。まあそちらの方が幸せだろうとは思うが。
Posted by: とめ猫 at 2006年05月31日 03:20
とめ猫さんが鋭いご指摘をされていると思ったら、
さっそく西尾さんに引用されていて改めてお二人に敬服する次第です。
気になりましたのが、「中国の掲げる普遍性を動揺させる」という点です。
戦略目標としてはごもっともですが、具体的に何に依拠して動揺させますか。
自分の見るところ、社会科学院側は「人の命」という美辞麗句を盾に八木さんに合意を迫りました。
退路を断つ状況を作り出した社会科学院の勝利であり、
しかもそれが一方的な勝利ではなくウィン・ウィンに見えるように装われています。
戦術的に社会科学院を動揺させる手はなくもないです。
中共の歴史数十年は「普遍的な人の命という価値」とかけはなれていますから。
社会科学院は欧米その他が支持せざるを得ないような普遍性でなければ、
たとえ中共内部で批判や抵抗がより少ない考え方であっても、
国際的に唱えるに値しない、という政治的判断をおこなっています。
それが社会科学院の足かせであり、つけいることのできる隙かも知れません。
しかし社会科学院が掲げる美辞麗句を一度は認めた上での反論です。
戦術的な勝利であっても、戦略的な敗北を胚胎していると思います。
このスレッドに相応しくない内容になりますが、私の予想では今回の西尾先生の提示は最終章に入った感がありますので、現時点での私の仮想総括を述べさせていただきます。
一連の流れをここで掘り起こしましても読むだけでくたびれるでしょうから、省かせていただきます。
結局西尾先生は何を目的とされたのだろうという点が一番大切です。
つくる会を再生することだろう・・・と意見される方が多いかと思います。
しかし、私はそれは二の次なんだと思います。
確かにつくる会を存続することは大切ですが、それが目的になると主旨がぶれだします。
本来はつくる会が一つのツールとなり真の理想を生む環境を作れる事が先生の理想だったのではないでしょうか。
つくる会は確かにそれまでの教育会に竿を刺し、慌てさせました。それと同時に保守層のジレンマを解消する活躍もしました。
その事が何も効果が無かったとは言いません。
立派な効力も生んだのは事実でしょう。
しかし、それが目的ではないということを着目してください。
勘違いしてはいけないのは、そのような受け手の要求に迎合することが第一の目的ではないのです。
誰にも語れない苦しい本質を言うなら、日本を変えることがかなりのウエートを占めていると言えると思います。
日本の伝統とか日本の罪とか相対する問題にばかり着眼するとはたして本当の打開は生まれるんでしょうか?
歴代の事務局長はその立場としてかなり責任を感じながら仕事をされていたのは想像しますが、その方々は先程の私の説の範疇にスッポリ納まる行動範囲なんだと思うんです。
但し、彼等だけが色々言われていますが、実は私達も(少なくとも私は)批判の対象なんです。
理由
1)言われなきゃ解らない
2)最後は責任感が薄い
3)自分を省みない
4)新たな緒論を自ら生むケースをできない
5)色々な貴重な意見があるが、最後の責任の所在が曖昧
決め付けるようで大変申し訳ありませんが、自分が出発点になる覚悟が何より問われるということです。
それをいしきすると、なかなか語る言葉が見当たらなくなりがちですが、まずはそれを克服する意識が大事なんでしょう。
勘違いしてほしくないのは、黙ってろと言いたいのではないですよ。
つまり、形にこだわる事務局に何故振り回されるのかということです。
再度言いますが、つくる会は一つのツールなんです。圧力をかける立場でもないし、どなたかのふんずまりを解消する立場でもない。ましてや神とか天皇とかを支柱とする人間だけに風を送る目的などありゃしません。
日本を守るため・・・とか言いますが、新田氏のように様々な方々の意見を有効に繁栄することの難しさをそれほどたやすく出来ると思い込んでしまって、不安はないのでしょうか?
これって物凄い体力を要しますよ。少なくとも今まで一緒に仕事をいていた方々を取り込めなくてどうしようというのでしょう。
それでは出だしから躓いていませんかね。
だって彼等は理事だったのです。なぜ離れるんですか?それでいてあらゆる思想と理念を受け入れると、何故言えるのでしょう?
「自分が何を出来るか解らない。でも何かをせねばならない時代を感じる。自分はたまたまその時代に生きている。だから腰をあげねばならないと感じた」
と、私なら言いますね。
「ここからが『本題』でしょう」
今までの「告発」などは、ここに至るまでの「序章」にすぎません。。。(だから、私はたいして関心を持っていなかった)
表に出ることがなかったつくる会の真実、これが私がずっと知りたいと思っていたことです。。。
とかく、会にマイナスイメージになる情報は、「サヨクを利する」という金科玉条の屁理屈によって封殺されていました。。。
西尾先生は、会長(あるいは名誉会長)という立場に縛られて、自由にモノが言えなかった。。。
私も、その西尾先生の立場の苦しさを憂慮していたものです。。。
今回、名誉会長を辞したのは、「イヤになってやめた」だって?ふざけちゃいけないよ!
本来は表に出すべきであったつくる会の諸問題を、全て白日の下に晒すことが目的で会との関係を完全に絶ったのです!!
これからは、何の制約もなく自由に語ることができますからね。。。
私もね、かつては熱心に(大学で不当な扱いを受けながら)つくる会を支持していた人間ですからね、一体どんな「しょうもないこと」が行われていたのか、その実態については是非とも知りたいですね。。。
(そんな馬鹿げたことをしていた会に期待していたのかと、情けない気持ちになる可能性も大いにあるが)
『牧歌的構造』雑感
とめ猫さんの書かれた「日本が本当の危機に立たされたのは近代が初めてであろう。弱肉強食,適者生存の厳しさをくぐり,直視しているかどうかが,日本における(普遍的な意味でではない)近代保守と古代保守(?)の主要な違いの一つなのではないだろうか。八木氏らはやはりなんとも呑気で牧歌的な世界に生きているように思えてならない。まあそちらの方が幸せだろうとは思うが」。
という文章にほぼ賛成です。ほぼというのは近代保守と古代保守って何だろうという点で意味かどうかわからないからです。守るべき日本の文化や伝統が近代保守と古代保守でどうちがうのかが私自身不明確だからです。
それと守るべきものが牧歌的世界であった場合と考えてみればわかりやすいです。「弱肉強食,適者生存の厳しさをくぐり,直視している結果どうするつもりなのだろう」という疑問です。まさかとめ猫さんは日本全体を弱肉強食、適者生存の社会にしたいわけじゃないでしょ、明確に「まあそちらの方が幸せだろうとは思うが」とお書きですから。
そこで前者から、すなわち一つ牧歌的な世界を表現してみましょう。
①誠意を通じて酒でも飲んで話し合えば相互に理解できる。
②人格が重要である。日本社会は人が動かすのだから人格不良は否定される。
③相互に根本のところで信じあっている。信じる者は救われる世界。
④弱いものを助けるのは当然である。
⑤自己中心は悪いことである。
⑥働くのは自分のためでなく皆のためである。
⑦普遍主義や一神教的原理主義への嫌悪
⑧海を越えた向こうにも同じ「人間」がいるという認識がある。
⑨自分では気付かない特殊な人間観がある。
⑩嘘をつくのは悪いことであると考える。
⑪目的のためには手段を選ぶと考える。
⑫池に落ちた犬は助けろ。
⑬言葉を言わないでも通じるのがベスト。
⑭人は一人で生きているのではない。
⑮相手は悪意でやっているのではないと考える。
とりあえずこんなところかな。主として相手に対する誠意とか優しさとかを考えて書いた内容です。
日本の場合は自分を律する基準としてでなく相手にもそれを期待するところがあります。相手に暗黙のうちに期待すると見ると日本人の甘えの構造になりますし、また自分を律する基準とするとそれは相手に対する配慮や優しさになります。
中国の日本研究所のメンバーが国家の利益を目的にして、さらに心理の低層レベルで「中華主義」を持っていたら、相手に対する配慮なんかないでしょうし、日本が甘えてきても相手にしないでしょう。ちょうど西洋文明が自分たちの文化の優位性を理由にならない絶対一神教から得て、東洋やアフリカや米国の場合はネーティブインディアンの土地を略奪していったようなものです。
中華文化に対応するには仁者や徳者じゃ駄目なんだろうと思うわけです。だってちょっと考えればわかります。年がら年中戦争や論争や民族殺し合いばかりして知識と論理を絶対のものとして生きてきた国家的詐欺のプロ集団なんですから、日本的に情や法に従って誠実に対応すれば必ず問題は解決すると考えるのが無理があります。戦争だって相手の隙や油断や弱い点を突いて攻撃するのでしょ。勝者のやっていることは結果的に弱いものいじめそのものなのですから。
八木先生が「諸君」に文化大革命とのアナロジーで今回の騒動を書くようですが、ご自分を誰に当てはめて書いているのだろう。どの程度中国訪問についてご自分の反省があるのだろう。興味深いことです。
「おやおや。。。(^^ )」
とうとう痺れを切らせて、「保守界のプリンス」8木センセイが、ついに沈黙を破って『諸君!』に反論文を寄稿するとか。。。(発売は6/2)
なんと二段組みで11ページにもなる長文だとか。。。
人間は、「後ろめたいこと」があると、言い訳する為に言葉が多くなるといいますが、はてさて、どのような内容になるのでしょうねぇ(^o^)
(しかし、よくも、たかが「弁解の言葉」を11ページも載せたよな、文藝春秋の『諸君!』もさ(苦笑))←産経の「正論」に載せてもらえなかったのはなぜだろう?(^皿^ゞ
とめ猫さんへ
小生の言いたかったことを、より的確な表現で述べられているのに驚きました。ありがとうございます。ただ「朋友」の「関係」を結ぶことにより、ズブズブの泥沼に入り込むことを警戒していらっしゃいますが、むしろその関係を利用して、(最低限、宣伝だけでも)こちらの側に役立つように取り計らうことを試みるべきではないのでしょうか。いずれにせよ、八木氏には酷な注文だったのかも知れませんが。
「ここからが本領発揮」
西尾先生が、なぜ名誉会長を辞して、会から「完全に」離れたのか、今からその理由が明らかになるでしょう。。。(--)
イヤになって放り出した「だけ」ではないことを、「連中」は思い知ることになる。。。(^ー^)ニヤッ
(さぁ、いよいよ話は核心に突入するので、俄然?目が離せなくなるぞ!?(笑))
『諸君』7月号に、八木秀次氏の手記が載せられている。これに対する批判は当日録でも行われることであろうから、敢えて感想も述べない。
この機会に、「つくる会」の在り方について、最近考えてきたことを述べたい。
「つくる会」の任務・使命・達成すべき目標、またはそれをやや抽象的に表現するならば運動として果たすべき機能(以下、これらを一括して「目標」ということにする。)は、次のように分類できるだろう。
① 自虐史観を克服した、真に愛国的な歴史教科書を編纂すること。
② 上記の教科書を検定に合格させること。
③ 検定合格教科書を出版すること。
④ 出版された教科書が、教育委員会を通じてより多く採択されるよう活動すること。
⑤ 愛国的歴史教科書の宣伝普及活動。及びそれを通じた教育改革の運動。
以上のうち、①・②は基本的に達成できたのであり、その巨大な意義は、先ず認められなければならない。勿論リライトの問題はあり、この度も、西尾幹二氏の書いた部分が岡崎久彦氏によって書き換えられたことが指摘されているが、西尾先生には失礼な言い方かも知れないが、それは教科書改革の大きな流れから見れば二次的な問題であろう。執筆者の歴史観や歴史認識の問題は以後も続くとしても、むしろ今後は(この度についても同様であるが、)採択を容易にするための政治的及び営業的要請との調整の方がより大きな問題となるだろう。(今回は、前回扶桑社版のみA5版、他社はB5版に切り換える、というハンディキャップがあったから、リライト問題は避けられなかったであろう。)
「つくる会」の運動が困難且つ長期のものになるとすれば、当然ボランティア団体による社会運動と営利企業たる出版社との関係の調整は避けられない。「つくる会」は、不可避的に「数値目標」という、他の如何なる保守派政治運動にもない厳しさを抱えることになる。この厳しさが、運動の当事者にどの程度自覚されていたのだろうか。何しろ西尾先生にして、「だいたい『たかが教科書』が私の意識の中にあり、そういうと『されど教科書』と反論されるので、それもそうだな、というぐらいの認識」だったというのだから。尤も西尾先生のそのような認識は当初のことに限られていたであろうけれども。
昨年の春のシンポジウムであったと記憶するが、平松茂雄先生の講演の後、会場から「地理」の教科書もつくるべきではないか、さらには「国語」も、といった声が出され、会場は同意の雰囲気であったが、西尾先生はそれに水を差すように、「歴史教科書が10%以上の採択率に達しない限りそのようなことは不可能」、と断言された。(それは、当「日録」でもチラホラ見られる「保守派教科書が数種類あってもいい」といった類の言にも当てはまることである。)
また、今年の藤岡信勝氏の産経賞授与会において、この賞を藤岡氏に授与されたということは、フジ・サンケイグループが挙げて新しい歴史教科書を支援する意思表示、つまり扶桑社が新しい歴史教科書の出版から撤退することはないものと受け取りたい、という趣旨の挨拶をしておられた。
「つくる会」としては、二期連続コンマ以下の採択率が扶桑社の経営圧迫要因となっている現実と、それが「つくる会」の運動存立基盤を危うくすることを理解することが、当然にも必要である。この度の「内紛」の背後にその問題があったことは容易に推測できることである。
にもかかわらず、ここで、「つくる会」と扶桑社は、共通の目標に向かう対等な関係であることを確認することが必要である。フジ・サンケイグループは、単なる営利事業としてではなく、グループの使命として教科書出版を引き受けたのであろう。短兵急に小手先の対策に走ることなく、「つくる会」の根本的再建の道を選んで頂きたい。ホリエモンの「教科書なんかつくっても世の中変わりませんよ」、という戯言(たわごと)通りの結果に陥らないためにも。
さて、新しい歴史教科書の採択が進まないのは、「つくる会」の声が教育委員会に届かないこと、また、その「事勿れ主義」によることは今更言うまでもないが、教育委員会に採択権があることを明らかにしたことによって、採択推進運動の目標が明らかになった意義は大きい。教育委員会の本来の権限と責任を確認させ、「教育現場」の偏向にメスを入れる根拠を明らかにしたのである。
反面、教育委員会を相手にすることは、この運動の固有の困難さの根拠となる。それは、多くの教育委員会が(少なくとも教科書採択について)その権限と責任に無自覚であるかことによるが、そもそも教育委員会という組織自体が、その任命権者の意思からも独立した組織であり、外部からの働きかけに本来馴染まないことにある。そこが、議会や首長、または政党などにその要求を直接ぶつける政治運動(拉致問題であれ、人権擁護法反対であれ)と比較した場合の複雑さ、困難さとなり、高度な政治性がが求められることとなるのである。
反日・左翼の側は、既成の力関係によって扶桑社の採択を阻止しさえすれば、何を採択するかを要求する必要がないから、一般的圧力をかけるだけでよい。それに対して扶桑社の教科書を採択するためには、少なくとも三人の委員が自らの意思でそれを選択するように「仕向け」なければならない。そこで教育委員会に対する働きかけも、左翼の力1に対して当方は質的にも量的にもその数倍の力を要するのである。
そのような政治的力量は、ボランティア組織の「つくる会」には望むべくもない。本来、政治的経験を蓄積した組織の支援が不可欠である。西尾先生は、「つくる会」が自民党に働きかけることが問題であり、自民党の方が頭を下げてくるのが筋だ、といわれたが、自民党にそれができるくらいなら、問題は片づいていたのである。真正保守派の政治団体と位置づけられるべき日本会議や政策研究センターのメンバーが、組織の構成員として「つくる会」を支えてきたことは疑いなく、そのことは十全に評価しなければならないが、それら組織が上記の政治的力量を発揮するには及ばなかったことは認めなければならないだろう。そのことを非難するつもりは毛頭ないが、その事実から目を背けることは許されない。
では、そのような中で、「つくる会」を遮二無二でも引っ張ってきたのは誰であろうか?
本来、組織的にリードすべき闘いの多くを藤岡信勝氏個人の経験と能力に負ってきたのではないか。この闘いの直面する困難さに対する認識も、藤岡氏と多くの理事達との間に差があったのではないか。また、多くの学者、評論家、ジャーナリストにとって、「運動家」を一段低く見る傾向は歴然と存在する。藤岡氏の言動が、「つくる会」の「内紛」の原因となったことは事実のようだが、それを単に個人の性格の問題に帰着させるべきではない。
藤岡氏を「共産党的体質」と非難することは容易であるが、それが産湯と共に赤子まで流す結果になってはならないはずだ。
さて、結論に向かおう。
次の採択戦において、採択率10%以上を真剣に目指すのならば、あるいは、どなたかが、採択率が0.04%、0.4%と上がってきたのだから、次は4%位の目標なら達成できるのでは、と述べていたが、いずれにしても明確な数値目標を達成するためには、具体的な採択地域を選定し、重点的に力を集中する必要がある。その地域での重点的政治「工作」が必要である。重点地域では、必然的に反日・左翼勢力との対決が強まるだろう。
しかし、このような「作戦的」行動は、ボランティア組織には馴染みにくい。「つくる会」が従来の組織体系のままに「作戦的」行動をとっていくならば、「つくる会」の負荷は一段と増大し、トラブルが頻発する可能性が高くなろう。高度な政治工作を実行する専門的組織を、別系統で形成すべきではないか。扶桑社の営業活動は、(従来の「つくる会」とではなく、)この新しい組織活動と連携すべきであろう。新組織が、形式的に「つくる会」の内部組織か別組織とするかは検討の余地はあるが、両組織は当然友好協力関係にあり、メンバーの重複も妨げない。そうすることによって、本来の「つくる会」は、冒頭に述べた「目標」のうち、⑤を中心とした幅広い活動団体としての発展が保障されるだろう。
いささか場違いな提案とは思うが、運動の大転換期を迎えて、組織形態の在り方も視野に入れて関係者の検討を望む次第である。
コメントを下さった方々,ありがとうございます。
>高木様
私が普遍的ということで考えているのは,「普遍的」な価値というよりは,世界史,歴史のことです。ただそれが具体的にどういうものなのかというのは,むしろ私自身これから考えていかねばならないことです。
また,「お前こそ」という一種の言い返しは,どうも非常に限界があるような気がしてならないのです。そういう所で議論の対象になっている問題を超越できるような視点が欲しいのです。
>課長様
私の言いたかったことを,より的確に・詳しく表現して下さったようで,感謝します。牧歌的構造の十五点は本当にその通りですね。近代保守と古代保守で守るものというのは,私もまだ十分深めて考えていませんが,確かに牧歌的な世界と考えると分かりやすいです。私は何もあらゆる人に「近代保守」になれと言っているのではありません。私自身もそうなれるかどうか甚だ疑わしいと,率直に認めねばなりません。前者は,失われた世界への感覚を保ちながら,なおかつ近代の恐ろしさと残酷さをよく知り,適切な対応をとることの出来る集団であり,それはエリート集団でしか有り得ません。それに対して「古代保守」はもっと「自然的」であり,なろうとしたからといってなれるものではないでしょう。軍事的戦争では市井の民が犠牲になりますが,思想の争いはエリート集団によってしか遂行できないものであり,多くの人にとっては実はあまり関係のないことでさえあります。日本にまだそういう「古代保守」が残存しているということは,本来幸運として喜ぶべきことなのですが,つくる会の会長がそれでは困るだろう,ということです。
中国に対応するには単なる仁者や徳者では全く力不足なのはその通りでしょう。中国人の考えることは遙かに複雑で,それは漢族自体が歴史の極めて早い時期から異民族との抗争や被支配に遭遇して,早くからある種「近代的」状況に直面してきたせいでもあるでしょう。複雑さというのは一方では懐の深さということでもあって,それにコロッと参ってしまう外国人が多いはずです。媚中派は言わず,親中・嫌中も無用で,必要なのは知中派だけです。
文革ですか。言わずもがなですが,八木氏=林彪,藤岡氏=江青,種子島氏=周恩来,とでも言いたいのですかね?日本会議はさしずめソ連でしょうか……。「四人組」が逆になってしまっているのはご愛敬です。
>キルドンム様
やはり有利な形に持って行くのは難しいと思いますよ。宣伝ということならお手の物で,都合の良い解釈をされてしまうでしょう。議論をするにしても,政府に近い所にいきなり行くというのはちょっと相手を選び間違えたのではないでしょうか。
『ほとんど雑談』
とめ猫さん丁寧なご返事ありがとうございます。
HNは「課長さん」でいいです。58歳のロートルサラリーマンで様を付けられるほどの人材じゃありませんから。
実は私自身も近代的保守になれそうもないな(苦笑)と思っております。というか古代保守の精神を継ぎながら近代化に対応するわけですからそんな簡単じゃないと思えるのです。近代化が西洋化であったらという前提で考えていますから、①から⑮に反することが多いのでつい気にしないでやってしまいかねないと。技術や言葉の導入一つ見ても背景に相手が作り上げた思想や文化があって成立しているわけです。幾ら頑張っても西洋化の嵐は吹きすさんでいるわけです。そして「古代保守の精神を継ぎながら近代化や中国の攻勢に対応するわけですからそんな簡単じゃない」という自覚や恐怖感や危機意識は八木先生にはなかったような、まあこれは想像ですが。
前から対策的に思いついたことを書くと、
①海外向け国家の主権擁護を行う専門部隊を作る。いわば宣伝部隊です。このメンバーは愛国心のある多少根性悪いタフネゴシエータがいいのかも。
②日本人自身の基準を自覚させる。これは大変ですし長期戦を覚悟でやらないと。というのはつい癖で日本的①から⑮の対応をしかねないわけです。
結局とめ猫さんの意見とそんな違っていないではないかと思ったりしています。
(以下雑談1)
それとこれは反論があるかもしれませんが、仮に西尾先生の論説に多くの常識がある一般人が引くとしたら①から⑮の世界を当然の常識としていたら、引くのは理解できます。でもそういう人に次のような論説をどう考えるか意見を聞いてみたいです。
日本テレビでしたかアナウンサーが女性の下着を盗撮しようとして捕まって、その実名報道をぜず、他局の類似の事件では会社名と名前まで報道していることに批判が集まっています。これは実名報道云々より同一基準で報道がなされていないというダブルスタンダードを非難したものなのでしょう。
実はこれは作る会批判でも同じなんだと思うわけです。中国へ行って中国側にまともに反論できなかった政治家を作る会の賛成者の多くは批判するでしょう。政治家が批判されるのに作る会の八木先生が批判されないのはダブルスタンダードです。
作る会という浄財でもって会を成立させている組織では店頭公開した株式会社並みの対応か、もしかすると国家組織並みに対応が必要だと私なんか考えますが、作る会だけは違うのだというのもよくわからんです。
(以下雑談2)
「諸君」はざっと読みましたが八木先生は中国訪問のことは書いてなかったです。そして今回の騒動ではご自分を林彪に当てはめて考えているようです。
周恩来かまたは劉少奇の実務派官僚にあてはめて考えているのかなと想像していましたが。林彪は文化大革命を江青とともに主体的に行動していった当事者で、すると林彪という当事者が毛沢東に殺されると逃げ出しただけの話でしょうな。日本じゃ毛沢東のようなことをしたらそれは当然に犯罪ですから、作る会を守りたいなら在席して言論で戦えばいいだけの話でしょ。勿論いやになったから撤退したのでしょうけど。
それと八木先生はスクラッチビルドそのものを肯定もしていないし否定もしていないですな。スクラッチ=破壊だけであるという論説が某所にありましたが、これは八木先生自身の関心は別のところにあるようです。
西尾先生は「思想家の思想の自由」と「日本国の主権」を前提にしているように見えます。そして何より作る会への思想の自由をまもるために外部の人事面での容喙を排除しようとしているように見えます。
現在の自民党が民主党との比較でいい、悪いということでいうとまだマシだが、かといってそれは自民党を批判しないという意味でもないし、現在の自民党を肯定するという意味ではないでしょう。
自民党の実力者や派閥の長といわれている議員はきっと人間的な魅力があるのでしょう。そうでないと人はついてきません。でもかといって靖国神社に対する森前総理の論説を是とする保守系の人間は少ないでしょう。八木先生が小泉首相が怒っているということを言ったのか言わないのか、言ったのなら誰から聞いたのかよくわからんですが、仮にです、仮にこれが事実だとしたら作る会の思想の自由から考えると具合が悪いと西尾先生が考えるのは当然でしょう。
私ら実務をやっている人間はむしろ容喙が通常のことで、容喙の海の中で四苦八苦していますから西尾先生は自分と違う世界に生きているのだなと認識がありました。でも「日本国の主権を守る」ためには私たちには「思想の自由を守る」以外の方法もありうるだろうと思うわけです。それは実務家の立場ではありうると私は考えています。以下の記事は私のやっていることとは桁違いに違いますが、
日本経団連の御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)は1日、大阪市内のホテルで記者会見し、経済同友会が小泉純一郎首相の靖国神社参拝に再考を求めたことについて「小泉首相は適切に判断して行動している。経団連は過去に(靖国神社に関する見解を)とりまとめたこともないし、これからも予定はない。それは政治の仕事だ」と述べて距離を置く姿勢を示した。その上で、「靖国参拝が中国との経済関係で障害になっていることはない」と断言した。
実務家であっても自分の商売に自信と慎重さがある人はまともなことを言っているじゃないですか。
『桃の木の下で冠を正してはいけない』
一度に書き込めば管理人の長谷川さんへの手間もないのしょうけど、とめ猫さんの論説を何回か読んでいるのですが、その中で私でも付け加えられることがあると思いましたので書いておきます。
それは「親中、嫌中、でなく知中が必要だ」という言葉です。
私は「知中」の前に「無知中の自覚]があっても悪くないと考えています。
無知中という造語は自分の文化から相手の文化を類推する愚を指摘する意味で作ったものです。
WEBでの論説を見ていると、今回の八木先生の訪中相手はむしろ日本へ好意的な中国人ではないか、中国人だからといって八木先生の訪中をすべて否定するのはどうかと思うという論説があったから書いているのです。
私がこのWEBでの論説を読んでいて思ったのは、
①朝日新聞の論説によく似ているなという違和感
②それならば共産党政権中国における日本研究所の長という立場の一般人でない知識人が中国政府の意向を配していないとどうして考えられるのだろうという疑問
③実際に「正論」に載っていた八木先生が書かれた議論の内容から想像すると中国人は人を見ますから、八木先生は見透かされたとどうして考えないのだろうという。
④それと藤岡先生のプログで指摘された八木先生の公開資料の論説の矛盾です。
①を感じた理由は日本を占領して国際法違反の占領国の教育に容喙し、かつ動向を調べるためでしょうけど私文書の調査まで行ったGHQのメンバーの中にもそのやっていることはおかしい、日本の民主化のためによくないと日本から米国に帰国するときに日本人へ告白した正義漢(女性もいたでしょうけど)がいたのだから米国を肯定しろという論説に近い印象を受けています。でも全体として米国の国益を考えれば日本を弱体化したほうがいいに決まっていますからそういう方向に動いたわけです。朝日の論説は日本人の不思議な普遍性(誰でも裸になれば同じだ。誰でも日本人と同じに考える)という非普遍的な考え方の隙を突いて物事を曖昧にする論説が多いからです。
表題の『桃の木の下で冠を正してはいけない』は八木先生の酷い書き方をすればコソコソとゴキブリのように動き回って、ますます後で疑われるようなことをするな、冠を正すようなことをすると桃の木になった桃の実を盗んでいると疑われるから儒教でも居住まいを正すことは礼に適うが、その礼に適う行為より疑われるようなことをするなという意味で書いています。
正しいことをしているという確信があれば事前に正々堂々と西尾先生のように公開の席で言ったらいいのです。おそらくそうじゃないから「諸君」での論説、まるで子どもが苛められて親に甘ったれて泣いているような論説を書くのです。時間は幾らでもあったでしょうから西尾先生の土俵の上で西尾先生の前提や基本的な考え方に反論する横綱相撲を取ったらむしろ尊敬されるでしょう。
私が中国人のそういう立場の人間なら八木先生を信用しません。そういう意味で中国人に見透かされていると私は見ています。
中国の日本研究所の長が述べた論説の一つを例にとると、相手の領土を侵略しないというのは日本の西洋による植民地支配構造打破があってから国際的に認められたわけで、決してどの時代でも通用する普遍的な価値ではなかったわけです。
それは歴史が証明しています。
大東亜戦争が終結した後でも英国やフランスの植民地は残りましたし、米国がネーティブアメリカンの土地を強奪した土地を返したという話は聞いたことがありません。中国がトリキスタンやチベットで行っていることやベトナム戦争の後で行ったベトナム懲罰戦争を誰でも知っています。そして日本の保守の論説ではこういう論説がある、それに八木先生はどのように考えるのかを注目してみていたと想像するのは決して荒唐無稽ではありません。