続・つくる会顛末記 (三)の2

続・つくる会顛末記

 

(三)の2

 読者によく考えていたゞきたいのは、この会は財力もなく、「この指とまれ」が理事勧誘の原則でしたから、理事には名のある人でなってくれるなら誰でもよく、それでも手を上げてくれる人を捜すのが困難なほど世間から敬遠されていた団体であった事実です。最近コメント欄に、この度の内紛の原因は「『つくる会』が一部の人に保守論壇の登竜門になっているからだ」という指摘があって、私は隔世の感を抱きました。

 大月隆寛氏と私とはたしかにあまり折り合いが良くなかったことを告白します。彼は終始西部邁氏の方を向いていて、公民教科書の執筆を西部グループに一任するか否かの一件で、伊藤隆氏と組んで、私に一方的圧力をかけて来ました。旧版公民教科書の執筆者は西部氏のほか、佐伯啓思、杉村芳美、佐藤光、宮本光晴の諸氏(『発言者』グループ)に八木秀次氏が加わっていて、新版公民教科書にいま名を留めているのは八木氏ひとりです。

 西部氏は「つくる会」をバカにして理事会に出て来たことは一度もありません。私は公民教科書の責任者に田久保忠衛氏(当時まだ理事でない)か加藤寛氏かを想定していました。伊藤隆氏と大月事務局長が西部一辺倒で、それなら西部らが真面目に相談にのるかというと、全権委任するなら書いてやってもいい、という不逞な態度で、歴史執筆グループとの合同会議すら可能ではありませんでした。「西尾が頭下げて来たら書いてやろう」と頭目が言ったとか言わないとか、手下の一人から噂が流れ、私を怒らせました。

 今でも屈辱的シーンをありありと覚えています。伊藤、西部、大月の三氏が待ち構えている部屋に、私が単身で(この件で藤岡氏も坂本氏も知らん顔でした)、無条件で公民教科書を書いていたゞくことを承諾する書類にサインするために出向きました。サインしなければ自分は「つくる会」を辞めると伊藤隆氏が私を脅迫したからです。伊藤、西部という60年安保全学連くずれに何で私が頭を下げなければならないか。

 いうまでもなく教科書検定を将来に控えて、伊藤氏の辞任は打撃だからです。というのは文部省の教科書調査官の多くが伊藤氏の東大教授時代の弟子だからで、この方面で圧倒的影響力があるという「伝説」が広がっていました。大月事務局長は悪役三羽烏の一人として、私と彼らとの間を連絡する最も憎々しい役割を演じつづけました。

 あるとき大月氏が自分の読書歴を話してくれたことがあります。網野善彦以下、左翼の著作家ばかりで、私はびっくりして、「君がつくる会にいるのは理解できないなァ」と言ったのは確かで、彼はこの件をいつまでも根にもって、思想が悪いという理由で解任されたとあちこちに書いていますが、そうではないのです。大月氏は自律神経失調症で自宅療養となり(本人が公表)、数ヶ月事務局空位時代がつづきました。会の内外から不在は困るといわれ、ついに限界と見て、お辞めいただいたのが事実です。会はその間もきちんと給与を払いつづけましたが、理事会ではボランティア団体としては精一杯のことはやった、もう仕方がないのではないか、という声があがり、高森明勅理事に交替してもらうことになったのです。

 大月氏が解任の件を記述する際、病気で会に迷惑をかけたこと、病気が肉体の病ではないので事務局長の激職に療後の身が耐えられるか否かが判定できず、理事会でみんなが迷い、憂慮したことについていっさい言及しないのは片手落ちではないですか。

 伊藤隆氏は教科書の近現代史の監修と修正に参加し、夜遅くまで熱心にやって頂き、感謝しています。また、一年かけた故坂本氏の記述部分の不採用で、傷ついた坂本氏の心のケアに人一倍気を遣って、帰りの車に黙って誘い、言葉をかけて下さった様子を後姿から拝見していました。小林氏が漫画で坂本攻撃をやりそうな危ない場面で、私が三拝九拝して止めてもらったきわどい頃でしたが、伊藤氏の坂本氏への思いやりあるやさしいケアがあのときどんなに有難かったかは口では言い表せません。

 けれども公民教科書の西部選択は決して成功ではなかったと思います。それにいまあらためて思い出すのですが、いよいよ検定の日が来て、伊藤氏の睨みのきく弟子たちの一人である調査官に威圧を与えるお役目ありがとうとわれわれは期待ひとしおだったとき、伊藤氏は初日に顔を出しただけであと放置し、聞けば調査官の前で煙草をふかして注意を受け、弟子に威圧感はおろか尊敬の念もなく、結局扶桑社の社員ががんばって何とか切り抜けたと聞きました。

 「伊藤先生は期待外れでした」が私の受けた報告です。執筆者代表である私は調査官に顔を合わせる機会はありませんでした。伊藤氏が師の威厳で検定終了の最後まで見張ってきて下さる、その方が効果的である、という方針だったからですが、そうはならなくて、私はいったい何のために西部邁氏に対するあの屈辱の叩頭に耐えることに意味があったのでしょうか。

 勿論、伊藤氏の名前が奥付にあるだけで、広い大きな意味で文部省への信頼喚起の効果はあったといわれるので、「西部公民」の評判が良ければすべて帳消しですが、しかし、実際には複雑で、いろいろな思いが重って、そば屋の二階の忘年会で、伊藤氏も西部氏も出てこない席ですが、私が思わず滂沱と涙を流したことがあります。余りにも耐え難いことの多い一年だったのを思い出してでした。

 私が感情を怺え切れなくなったのは後にも先にもあの年の反省会の夜だけでした。

 さて、大月事務局長の解任のことですが、ご病気が原因であることはいま申した通りです。大月氏は「病み上がりにようやく立ち上がろうとしたところを後からいきなり斬りつけられた」と「つくる会」解任を語っていますが、彼はあれほど忠誠を尽くした西部氏から、突如として『発言者』連載の中止を告げられたのではなかったですか。「後からいきなり斬りつけられた」人をわざと間違えて、親分には言えない憂さ晴らしを私に向けているのではありませんか。

 こんな事件がありました。真冬の会合で西部氏が私の外套を間違えて着て帰ってしまいました。私は外套なしで帰り、レストランに置き去りにした西部氏の外套を大月氏は車でその日のうちに届けました。けれども、西部宅にあった私の外套を彼は私の家へ車で持って来てくれませんでした。私は二着外套を所持していたので、翌朝の氷点下以下の寒さを辛うじてしのげましたが、彼が誰に必死に扈従し、盲目になっていたかが分るエピソードです。私は自分の外套を彼の指定する場所に翌日取りに行ったのです。平成11年(1999年)の冬のことです。

 今度の紛争で「つくる会」に集った知識人の「非常識」が、まさかそんなこととみんなに首をひねらせましたが、私は何があってもあまり驚かなくなっていました。

つづく

「続・つくる会顛末記 (三)の2」への17件のフィードバック

  1. 若い頃は結果結論を急ぐ傾向があったり、読み覚えた言葉や
    聞いた言葉に得意になったり酔ってしまうようだ^^
    理論武装だとか専門用語の羅列で得意になったり権威づけたり
    まったく浅ましい限りである。所詮、貧しい生い立ちが
    スノッブな人格と化し、時流に迎合して取り入る術に長けているだけ。
    大酒を喰らい天下国家を論じても他人に対する思いやりが無く不遜である。
    根が怠け者だから口先三寸、女一人も幸福に出来ない。
    そんな男に世の中を良くする力など無い・・いわゆる口舌の輩。
    こうした人格がもてはやされ、オピニオンリーダーなどと称して
    純な人々を迷道させる。私はなまじ大学など行かなかったから大江健三郎も
    三島由起夫も知らない。難しいことは分らないが、この国の行く末
    そして日本人の有様について悩み案じる気持ちは西尾さん、はじめ
    ここの皆様と同じだと思う。だから地元の「つくる会」にも誘われ関わったが、
    やはりどこにも居る。大言壮語で生活力の乏しい不遜な人間の為に運営費をめぐる不信。
    やがて人は離反し頓挫する。

    最近、歳のせいか、もしくは目も老眼となり細かいことが
    わずらわしくなって、日録の板の中には言葉の羅列で、長文も苦痛に感じる。
    失礼ながら何か本の読み過ぎではないかと思う時がある。
    よく吟味咀嚼して一般の人、普通の人にも理解できる平易な言い回し、
    優しい気遣いが欲しいと思う。そうすれば、人々の理解も得られ
    優れた運動や思想も支持されるのではないだろうか^^
    いくら正しい意見も大言壮語に構え根底に不遜な心根があれば
    人は心を寄せないと思う・・・先ず女性と金銭に綺麗な男であれ^^
    尊敬する大正十一年生れの戦中派の伯父貴が、ふと漏らした
    「昭和十年以降に生まれた男達はダメだな・・・。」そして「公平無私」

    戦後60年でこうなった国を綺麗にするには、また60年かかるのだろう。
    人生先が見えてくると鷹揚な気持ちで物事を捉えたいと思う。
    そして人それぞれが日々の暮しの中で研鑽していくしかないと思う。
    高齢の身である西尾さんの所見に意見、批判があるようですが少なくとも
    井戸を掘った人間です^^先ずは礼をもって接する、特に年輩者には・・・・
    そうした日常では当たり前のことが主義主張、ことの善悪の一点張りでは
    互いに傷つくだけで、陰で眺めている奴等の思うつぼだと思う。
    天下国家のことだから口舌の輩の酒代稼ぎでは困る。
    そして若さの暴走ではすまされない。西尾幹二さん、今しばらく頑張って下さい。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    長谷川管理人様  いつもご苦労様です。よろしくお願いします^^

  2. 「こんな格言を知っていますか?」

     「アテにするからはずれるんだよ」(by相田みつを)

     伊藤隆さんには、人間性を見ないで、ネームヴァリューだけで「過剰な期待」を寄せたのが大失敗した原因でしょう、厳しい言い方ですが。。。
     「伝説」なんて、ただの「うわさ」にすぎないんですから。。。

     ちゃんと、かの「調査官」に影響力があるということが事実かどうか、例えば、今もお歳暮のやり取りをやっているのかとか、たまにはご機嫌伺いの電話があるのかとか、そういう確認をしておかないと、「影響力がある」なんて話は、全く架空の話にしかなりません。。。

     そして、会の方針として、伊藤さんに調査官対策をお願いするという方針を決定したのなら、それが実行できることを伊藤さんに「確約」させて、絶対にやってくれと念を押す位のことはしなければいけません。。。(「教科書対策担当職」なんて作って、その責任者にする位の体勢作りが必要でしょう)

     あまりにも、「社会的な名声」あるいは「実績」を過大評価して、相手の人間性について鈍感すぎるような気がします。。。(人間を見抜く力が必要なのです)

    (私は、伊藤さんは、あまり偏った考えをしない人くらいに見ていましたが、どこか激しい性格があるし、それほど「人格者」ではないかもしれないと感じていましたね。。。)←近代史の「業績」についてはすごい人なのだろうけど

  3. 「物事をちゃんと把握して下さい」

     西部さんに『発言者』での連載をいきなり打ち切られたのは、大月さんではなく「宮崎哲弥」じゃないですか?

     どこかの雑誌で、ろくでもない批判文を書いたので、西部さんが「こんな奴の連載は載せられない」と思って、急遽、打ち切りにしたのです。。。(宮崎氏はそれを「逆恨み」して、「西部を告訴してやる!」とか息巻いていたらしい)

     大月さんは、大学を辞めてしまって収入が不安定になり、その話を大月さんの車の中で聞いた「人情派」の西部さんが、「よし、当面、1年間は100万円を保証してあげよう」と、その場で即決して『発言者』での連載を依頼したという経緯がありました。。。(こういう点については、確かに西部さんは「さすがなだな」と思わせる人間性を持っていますね)←「思想」については共感できないけど(苦笑)

     大月さんの連載は、約束の1年間が経過したので終了しただけでしょう。。。(--ゞ

    (自分の気に入らない相手、あるいは関心のない相手だと、情報の確認が杜撰になるのは、ちょっと「悪い癖」だと思います。。。(-”-))

  4. 「あまりに偏った見方です」

     大月さんは、思想がどうのとかにこだわらず、民俗学者らしく、相手の懐に入って、「人間そのもの」を見ようとしていただけではないかと思われます。。。(民俗学とは、物や人間の「あるがまま」に迫って、それを描き出すことを目的とする学問です)

     西部さんを盲従していたというのは、誤解であり、彼は、保守思想界そのものから距離を置いて、もっと違うスタンスで言論活動している人間であります。。。(西部さんについては、あの物言いはどうにならないか、とかの批判的な言葉だって投げかけているのですから)

     この大月さんの言論スタイルを理解できなかったのが、結局、大月さんからも西尾さんが誤解されてしまった最大の原因だったと私は見ています。。。

     ちなみに、外套の件については、両者の人徳の差であったのが真相だと思います、厳しい言い方になりますが。。。
     堅苦しい文章を書く割には、情に厚くて、意外と人なつっこい西部さんに、大月さんが好感を持って、それで外套を届けようと思ったのでしょう。。。(もともと、大月さんも情には厚い人ですからね)

     まあ、ここまで言っては身もフタもありませんが、西尾先生に関しては、わざわざ届けてあげようとは思ってもらえなかったということです。。。(あの人は、「思想」ではなく、人で判断する人間ですからね)

    (ただ、大月さんの方も、西尾先生に関して、だいぶ偏見を持っていたのも事実でしょうけど(苦笑))

  5. 外套の件について、自分は人徳の差とは思いません。
    相手によって対応を変えるということは、それぞれの相手に格別なメッセージを出しているのであり、
    こういうメッセージは、発信者の人柄を疑います。

    大月さん当人について、確かに情動の激しい方という印象を自分も抱いており、
    意図的に送ったメッセージではなく軽率や不注意の類であろうと思います。
    つまりその場、その場で軽率に無意識にメッセージを発することのある方なのであって、
    こういう方がしかるべき配慮や計算の求められる責任ある立場、
    たとえば「つくる会」の事務局長に向いておられるかどうか。

    一事が万事と申しますか、こういう方であってもそういう立場に据えてしまう、
    「つくる会」の苦しい状況を示すエピソードとして拝読しました。

  6. 尊野ジョ−イ(Jun♪)どの、長文御苦労さま。
    ただ貴殿の書くことは俺にはさっぱり分らん。バカかもしれん^^
    貴殿は新しい歴史教科書を広く全国に普及することに賛成か?
    それとも、ただの売文家でも志望してるのか?
    自らは見物人を決め込んで、他人の揚げ足取り。
    これを世間では【口舌の徒】 こうぜつ-のと と言うらしい。
    (口先だけ達者で、実行力を伴わない者。)
    もちっと、脳味噌を煎じてから出てきてくれませんか?

    管理人さん^^お手数をお掛けします。

  7. まったくの部外者の印象ですが、会を去っていった西部氏や小林氏は会を出て行ったことを大げさな思想問題にすり替えて自分達の著書の売り上げにつなげていったように思います。
     また、西部氏達ほど名の知れていなかった方々は、いつのまにか教科書をどうするかというよりは会を足場にして名をあげる方向に走っておられるようで、その意味で「保守論壇の登竜門」という表現をしました。
     教科書問題は、採択率からすれば、西尾先生をはじめとする先生方の活躍にもかかわらず運動は実を結んでいません。
     一般書としてあれだけ部数が出たものが教科書としては教育現場でほとんど採択されないという現実から出発してできることから一つずつやらなければなりません。
     私も自分でできることをやってみようと思います。

  8. 「大月さんの『親切』に気づかないのか?」

     忘れた外套を持っていってあげるほど「親切な」大月さんですよね?

     だから、西部さんが間違って着ていったなら、本来は西部さん本人が西尾先生に返しに行くべきところを、大月さんが代わりにわざわざ西尾先生に連絡する労を取ったのですよ?

     なぜ、他人が間違って着ていった外套を、大月さんが西尾先生に返しに行かないといけないのですか?
     大月さんは小間使い程度の人間ですか?

     そういう、若い人間だから(あるいは、「サヨクっぽい」知識人が好きだから?)といって軽んじる、「俺の所まで返しに来い!」という傲慢な態度でいる人間に、わざわざ人の代わりに返しに行こうと思う人がいるでしょうか?
     不満を言うなら、「西部、人に頼まないで、お前が自分で俺の外套をちゃんと返しに来い!」というのが筋でしょう。。。

     むしろ、大月さんには、「西部の代わりに電話してくれる労を取ってくれてご苦労様」と言うべきであるのに、反対に非難されるなんてとんだとばっちりですよ?(-o-)フゥ

    (だったら最初から、「西部さん、あなたの責任で外套を返して下さい、僕はそこまで面倒見られません」と言っておけば良かったのか?)

  9. 「こちらの方こそ意味が判りません」

    >銀一さん

    > よく吟味咀嚼して一般の人、普通の人にも理解できる
    >平易な言い回し、優しい気遣いが欲しいと思う。そうすれ
    >ば、人々の理解も得られ優れた運動や思想も支持されるの
    >ではないだろうか^^

     この下りには大いに共感しました。。。

     まさに、この言葉通り、私は、「論壇の内輪」にならないように、広く「一般の人」あるいは「普通の人」、それも特に「若い人」にも読んでもらえるような記述にすることを第一に心がけています。。。

     おそらく、ここの投稿の中では、これほど簡潔で分かり易い内容の記述はないでしょう。。。
     それを理解してもらえないのは、まだまだ私の努力不足ということなのでしょうか?

     それと、「見物人を決め込んでいる」という指摘は全く正しいし、私もそういう意識でいますし、会の将来についてはあまり関心がありません。。。
     ただ、過去に、熱心にこの運動に取り組んでいたので、その経験を精算させたいという気持ちがあるくらいです。。。

     そして、そのように少しは関心のある、まさに「一般人」にも開かれた会にする為には、私のような「傍観者的」な人間も受け入れる態度が必要ですよ?
     まずは「興味」を持ってもらうことが第一なのですから。。。

     むしろ、「見物人」であったとしても、興味を持ってくれて、あまつさえ投稿までしてくれるのですから、大事な「お客様」として扱う位の度量が必要だと思います。。。

    (これから、関心が深まる可能性だってあるじゃないですか?(^皿^))

    P.S.
     ちなみに、私もいわゆる「保守論壇」とは距離を取っているので、そこで名を上げようなんて気持ちはこれっぽっちも持っていません。。。(「諸君」も「正論」(+産経新聞)も読んでいません)

     教科書改善運動の必要性は感じていますが、つくる会の運動だけが唯一の手段とは考えていません。。。
     
     ああ、それと、売文業と同じかもしれませんが、将来は「研究者」を志しています。。。

  10. 尊王ジョーイとかいう馬鹿な奴のくだらない書き込みは無視するに限るね。
    奴のブログを読んでそう思った。単なる安倍マンセーのアホー。

    無視。無視。無視。

  11. 今日、月刊「諸君」に巻頭論文として、八木秀次高崎経済大学教授の西尾幹二インターネット日録に関する反論文が掲載されました。非常に言いにくい話ですが、ひょっとすれば、西尾先生は保守派論壇から完全に干されたのではないでしょうか。

    人間西尾幹二、ここは冷静になることです。

    非常に厳しい話を正直に申し上げますが、もはや管理人長谷川氏のサポートでは無理です。こういうときにたよりになるのはやっぱり男の友です。粕谷先生、どうか、人間西尾幹二の相談相手になって欲しい。粕谷先生は、生き馬の目を抜く、社長ですら駒にしか過ぎない、戦闘集団住友財閥の重鎮です。住友財閥で飯を食ってきたら何人もの人の失脚、死、カムバックを見てきたことでしょう。こういう男の辛さ、喜び、背中で表現する人生!これは女性には失礼ですが主婦には分からないことです。

    粕谷先生に是非ここで住友魂を示して欲しい。粕谷先生が西尾先生とサシで酒を飲むことを強く希望する次第です。

  12. 私は外套の件は、人徳という捉え方ではなく、好き嫌いの問題であると思います。

    私は西尾幹二先生が好きです。私に国を考えること(先生は日本の内外の敵から日本を擁護してくれました。特にドイツと日本の戦後保障では、朝日新聞が黙ってしまいました)、何かに夢中になること、そして夢中になることの危なさ、しかし、深く深くその「人・物事」と関わらなければ、何も見えてこないということを先生のご著書から学びました。

    神様が私たち人間に下さった「最大の贈り物の喜怒哀楽」のカオスの中で心がたくましく鍛えられるのだと思います。

    大月さんは西部さんが好きだったのでしょう。だから外套を届けられたのでしょう。

    尊野さん、貴方は人を好きになったことがありますか?あっちふらふらこっちふらふら、ご自分では客観的な見方で書いておられるように私には感じますが、「貴方はどこにいるのですか?」「貴方を感じさせてください!」 私は貴方が大学の教授や大学の論文にとてもこだわっておられる文章を何度か読みました。 
    「大学の中っていやな世界なんだなぁ」と。そのいやな世界の中でもがき苦しみつつ、教科書改善運動に真剣に取りみたいという貴方を感じ、まだお若い方ならば、何かに酔いしれるような心の動きを経験して欲しく先のコメントで、ファナティックの一歩手前まで行って欲しいというようなことを書きました。(貴方の心がワクワクして欲しいと思いました)

    私達はハンドルネームでここに書いています。ある意味卑怯です。

    そのことを考えれば、このブログへのいたわりの情は尊野さん貴方にはないのでしょうか? 貴方が気になるブログの一つが西尾幹二の日録なのでしょう? 私は西尾幹二を好きになれとは言いません。
    誰か「夢中になる人」があなたに表れてくることを、心から願っています。(本気です)

  13. >薩摩示現流さま
    投稿掲示不可すれすれですね。
    次回は、もうすこしそのようにお考えになった具体的根拠をお示しください。(といっても、全部ここにあるじゃないか、と言われればそれまでですが・・・・・)

    >尊野ジョーイさん
    メール届きましたか?反射的に感じたことを投稿するのではなく、まとめてじっくり投稿してください。

    >総合学としての文学さん
    大丈夫です。(論壇から干されることについて)

    私がサポートしているのはネットの管理のみです。ご心配なさらなくても、多くの相談相手、助言者、ここには見えぬ支援者に囲まれていらっしゃるはずです。

  14. 「『安倍マンセー』とは失礼な!?」

     私は、杉村太蔵議員のシンパなので、せめて「太蔵マンセー」と呼んで頂きたい!(笑)

     安倍さんは、次期首相としては最適な方なので応援しているだけであり、私の中ではすでにちょっと「古い人」に入っているくらいです。。。
     安倍さんの「次」として期待しているのが高市早苗さんで、むしろ、この方をプッシュしていて、ブログなんかも作ったのですが、それでも、高市さんでさえ、すでに私の中では「旬」ではなくなりかけている状態ですね。。。

     私のブログは、20代以下の読者を意識しているので、30代以上の方には合わないと思いますので、訪問は遠慮された方が宜しいかと思われます。。。(--)

    (日本の将来を担う「若者」を育てるのが私の目標ですから(^皿^))

  15. 西尾先生は大丈夫なようです。

    今度は八木秀次氏に厳しいことを言ってしまいますが、やはり、あの反論文は総合オピニオン雑誌のメイン論文をはれる代物ではありません。要は「僕は西尾幹二に疲れた」であり、それはわからないわけでもないのですが、しかし、もう少し、発展的なオピニオンを展開してもらいたかった。今となれば小林よしのり氏の西尾先生をモンキーに描く漫画もなにやら建設的論争に思えてきます。

    しかし、八木秀次氏。オンラインでは新田先輩に西尾日録と応戦させ、オフラインであまりたいした内容でない反論文をぎょうぎょうしく載せる。ひょっとして、「西尾幹二の文化大革命」なるフレーズも御本人がつけたものではなく、諸君編集部が付けたのかもしれません。ただ、如何せん世渡りの匂いと論壇政治の匂いをぷんぷんさせております。これはよろしくない。

    八木秀次氏もまだまだです。是非、精進努力し、自らを支えてくれた早稲田閥諸氏を今度は自らが支えられるように、骨太の保守派評論家になって欲しいです。

  16. 「ですから『木枯らし紋次郎状態』なのです」

    >ソルベさま

     本当に、ここのブログは、今回の騒動がなかったら、自分のお気に入りリストから削除して完全に縁を切ろう、別に気にもならないし無関心という状態だったのですよ?

     それが、ひょんなきっかけで、いつの間にか常連になり、あまつさえどうやら嵐の中心に巻き込まれそうな様相で、これは全く「想定外」の事態です。。。
     ホントに、西尾さ‥先生の書く文章は、雑誌関係も目を通さないし、この日録だってろくに目を通していなかったのです。。。

     今回の騒動も、過去にお世話になった人物(高橋史朗先生と椛島有三事務総長、それと勝岡寛二先生)が関係していたので、その関係上、少し口を挟んだのですが、当初は、それ以上は関わるつもりはなかったのですね。。。

     思い入れがないので、どのサイドにも特に味方しようという気も起こらないのです。。。(語弊があるかもしれませんが、私としては「雑感」を書いている感覚です)

     そして、実は、私は、大月さんと同じで、れっきとした「自立失調失調症の患者」であり、今も通院中で、「自立支援医療受給者資格」の手帳まで持っています。。。
     つまり、まだ「半病人」なのですね。。。

     「論文」を書きたいのはやまやまですが、構想を考えることまではできても、執筆する元気がまだないのです。。。
     本当は、こうやってネットに書き込むことも控えるようにと医者からは言われているのですが、文章を書く為の「リハビリ」として、雑文を投稿しているわけです。。。

     本当に熱中したいことですか?
     ちゃんとありますよ?

     反フェミニズム、ジェンダーフリー批判の研究が私の専門です。。。
     すごく画期的な論文を書く構想も考えています。。。
     ただ、資料を集めたり、実際に論文を執筆するのには、体の状態がもう少し改善しないと難しいでしょう。。。

     ちなみに、この病気にかかって何年も経過してましてね、ひどく悪化した時は、「寝たきり状態」が1ヶ月くらい続いて、このまま再起不能になるかと思ったほどでした。。。
     まさに、「地獄の淵」から生還したという気持ちでいますよ。。。

     また、現在も、まだ回復途中なので、ときどき体の調子がひどくなって寝込むことがあります。。。
     今も、体がちょっとキツイ状態で、頭が痛くてボーっとした状態で書き込みしています。。。(もうそろそろ限界でしょう)

    (まあ、どうも様子がおかしいのは、そういう状況もあるからですね。。。)←余談ですが、以前、「自律神経失調」ということをネットで公言したら、「精神病で頭がおかしい奴だ」と指摘して下さった方がおられましたが、「精神」ではなく「神経」であり、気力や思考能力が減退するだけで(平たく言えば「鬱病」か?)、頭が狂ったりすることはないので、お間違いのないようにお願いします

    P.S.
     そうそう、大学院ですが、社会学で反フェミニズムやジェンダーフリー批判の研究で受け入れてくれる大学はありません。。。
     どこを受けても必ず落とされます。。。(何度も落とされました)

     それに、日本の大学はレベルが低すぎて、一生懸命に研鑽して良い論文を書け書くほど理解されなくて、余計に入学が困難になります。。。(レベルを落として、さらにフェミニズムに追従する内容の論文を書けば通るのでしょう)

     もう、大学にはすっかり愛想が尽きたので、在籍していた(都の西北にある)日本史研究の大学院も辞めて(専門が違うし、ろくにゼミにも出られないし)、自分で独自に研究を続けるつもりです。。。(体が回復したら、専門職の資格でも取って、働きながら研究をしますよ)

     もし、反フェミニズム・ジェンダーフリー批判で受け入れてくれる研究室があったら教えて頂きたいですね。。。
     某首都にある大学院にいるフェミニスト教授は、以下のような内容の論文を書いただけで、激高して難癖をつけて落としましたよ。。。

    「女子総合職の実態分析」、http://lovenacchi.exblog.jp/

     どうやら、「男女差別だと声高に叫んでいるだけでは問題は解決しない」「女子総合職の問題は、男女差別だけでは解けない複雑な問題が絡み合っている」という記述がお気に召さなかったようです。。。(「男女差別だ」と叫ぶことしか能がない人間ですからね、いちばん痛いところを突かれたのでしょう(苦笑))

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