坦々塾報告(第九回)(一)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳

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 坦々塾の勉強会も第9回を数え、間もなく発足してから2年を迎えます。不肖私は「日録」を愛読し、投稿していた関係でご案内を頂き、初回より参加して今日に至っております。この2年弱の期間は、アッという間に過ぎたには違いないのですが、坦々塾の勉強会に参加して開かれた視野の拡がりからは、もっとずっと長い時間の壁を通り抜けてきたような気が致します。
 
 今回の勉強会は、過去8回のどの会よりも熱気に満ちていたように感じられます。いや、どの会とて、熱気に欠けたことなどはないのですが、今回は特にそれが外に向かって放射していたように思われるのです。

 西尾先生のお仕事が、多かれ少なかれその時々の勉強会に影響するのは当然のことですが、このたびは雑誌『飢餓陣営』に発表された「三島由紀夫の死と私」、同じく『WILL』に連載された「皇太子殿下へのご忠言」、そして前々回の勉強会で講義頂いた萩野貞樹先生の急逝と、大きな衝撃が相次ぎました。それらについて、「日録」にも紹介され、コメントも掲載されたので、お読みになった方も多いと思います。

 さらに、3月10日、チベットにおける僧侶・市民のささやかなデモに対する中共政府の無慈悲で血腥い弾圧のニュースは全世界を駆け巡り、五輪聖火に対する抗議の嵐を巻き起こしました。

 我が国においても、善光寺が聖火の出発地点となることを辞退する一方で、長野市内には数千本の赤旗が林立するという、かつての都内におけるメーデーでさえ滅多に見られなかったような異様な光景が現出しました。

 そのような情勢下に、胡錦濤が国賓として来日したのですから、連日「フリーチベット」を叫ぶ抗議の集会・デモが繰り返されたのは当然のことでしょう。従来は、数百人程度の集会・デモならば黙殺したであろうマスメディアも、今回ばかりは、多少控えめではあっても報道せざるを得ない状況になっていました。

 第9回の勉強会は、そんな胡錦濤が離日する10日に予定され、
①、西尾先生の「徂徠の論語解釈は抜群」
②、37年の防衛省勤務を定年退職された坦々塾メンバー小川揚司さんの「吾が国の『防衛政策』変遷と根本的な問題点 ――防衛事務官37年間の勤務を通じて痛感したこと――」
③、田久保忠衛先生の「最近の国際情勢と日本」
というテーマが決められていました。どのテーマをとっても現今の情勢の直面する課題と切り結ぶものばかりで、いやが上にも10日の勉強会は待ち望まれるところでした。

 そこに、さらに決定的な一打がもたらされました。

 西尾先生の大学時代の同クラス以来のおつきあいで、坦々塾メンバーの粕谷哲夫さんが、初めての中国旅行から帰ってきて、その報告の文章が寄せられたので、先生の「徂徠」の持ち時間を粕谷さんの中国旅行の報告に回したい、というメールが配信されたのです。

 先ずは、先生の熱い言葉をお聞き下さい。
 

私は「これだ!」と叫びました。粕谷さんの文字に驚きがあり、感動があります。是非彼の生の声で生の話を聞きたいと思いました。

 宮崎(正弘)さん、桶泉(克夫)さんという二人の中国専門家、高山(正之)さんという人間通と一緒の旅で目にし耳にするものが新しく、心が震えています。

 プラトンが「驚き」(タウマゼイン)こそ知の始まりと言った、そのような新鮮な感覚の消えぬうちに、彼が専門家ではないからこそ、彼の見聞を語らせたいのです。

 願わくば、あと5日、余計なものを読んだり、見たりしないで欲しい。感じたまゝ考えたまゝ、見聞きしたまゝを語って欲しい。

 粕谷さんの「報告」というのは、

昨夜 無事 中国・湖南省の旅から帰国することが出来ました。
強行軍でいささか疲れました。
見ると聞くとは大違いというか、今まで想像だにしなかったことを いろいろ見聞したいへん有意義でした。

と書き出し、以下A4版2枚にびっしりと感嘆の言葉が記されています。(このコピーが当日の粕谷さんの話のレジュメ代わりになりましたので、以下この文書を『レジュメ』ということにします。)

 さて、10日当日は、その粕谷さんの話から始まります。50人分に近い机と椅子が教室風に整列された部屋に、皆さん心なしかいつもより緊張した面もちで着席し、粕谷さんの話に耳を傾けました。

 始まって間もなく、早くも田久保先生がお見えになり、最前列の西尾先生と並んで以後の話をともに聞かれることとなりました。

 今回の粕谷さんの旅行は、昨年から始められた一連の中国旅行企画の第2回目で、「中国歴史・愛国主義教育基地探訪」というテーマです。4月26日に東京を発ち、上海を経て武漢に入り、翌日以後、長沙から湖南省各地を回り、5月3日長沙に戻り広州に飛び、翌4日帰国という、1週間超の旅程です。
 
 スケジュールによると、毎日4~5カ所以上を汽車や車で周遊移動し、見学するという、可なりの強行軍であったことが分かります。

 世界数十カ国以上、何百回となく海外渡航をされた粕谷さんが、中国に限って初めてというのは不思議に思っていたのですが、冷戦時代の商社の仕事は、旧共産圏については「東西貿易」という特殊な機関を通じて全く別の担当者が当たっていので、中国に限らず旧共産圏には足を踏み入れる機会がなかったとのこと。――納得。

 粕谷さんが、西尾先生の希望通り5日の間、これというものを読んだり見たりせず、帰国直後の状態を保持してきた、その思いのままを、1時間にわたって語ってくれました。その迫力を、私の筆力ではとても充分に伝えることは出来ません。
 
 粕谷さんのレジュメの躍動した表現を紹介しながら、私の感想を述べることで替えさせて頂きたい。それによっていささか陳腐な表現に陥ることになるかも知れませんが、どうぞ、お許しの程を。

 レジュメの冒頭は次のとおりです。

広州の里子取引(人身売買市場)(宮崎さんも現場を見るのははじめてと)。
文化大革命の負の遺産を捨てきれない中共の悩み。
それにしても影の薄い胡錦濤。
蒋介石と国民党は中国共産党に都合よく利用されている。

 広州は旅程の最後。その高級ホテルのロビーで公然と里子取引=人身売買が行われているとのこと。引き取り手(里親)は、中国人のみならず、欧米人も含まれているらしい。必要とあれば近くの医師が健康診断?もしてくれるようになっているという。
 
 そればかりか、それ以前の移動中にも、人骨の陳列、人骨売買・死体の取引らしきものを目撃しているというのです。
 
 そのような驚くべき中国社会の現実を、粕谷さんは、中国社会の「下半身」と呼びます。勿論、下半身があるからには上半身もある。上下両方を見る必要がある、と粕谷さんは言います。
 
 上半身だけを見て「友好」を唱える有識者・マスコミ・政治家達は大甘だ、ということです。一般論として分かり切ったことであっても、現地を見て改めて実感した上では、言うことの迫力が違います。

 世界各地を広く見聞してきた粕谷さんは、中国の下半身についても相対化してみることが出来ます。
 
 例えば、中国のトイレは、汚いことは汚いが、インドネシヤはジャカルタの中心部においてさえ、高いところから海にウンコを落としているのとどっちが汚いのか、と言います。
 
 一方、インドの汚さも、衛生的な不潔の意味では中国と変わらないが、ただ、宗教的な穢れ(けがれ)を嫌うという規範があるが、中国の汚さは、衛生的に汚いことは勿論、宗教的・道徳的な規制を全く欠いた汚さだ、ということです。

 武漢の街が本当に汚いとも、嘆いています。

 再び、レジュメの一部を引用します。

人口の都市集中は 休耕田を増やしている、意外に多い休耕田。
車窓から見る武漢⇒長沙の田園風景は唐詩の情感を誘う。
毒餃子事件は中国製品輸出拡大阻止を企てる外国製造業者の妨害行為という庶民認識。
紅衛兵は毛沢東をどう見ていたか、四人組逮捕直後の紅衛兵たちの歓喜⇒市中の酒・爆竹はオール売り切れになった。
紅衛兵の熱狂狂乱とその後の冷却、そして4人組み逮捕時の興奮は、チベット/オリンピックの愛国熱狂も同じパターンならん。
紅衛兵の破壊活動はタリバンと酷似、紅衛兵は交通費タダ・食事宿泊タダ。

 中国の高速道路は立派なもの。その建設投資は海外の華僑富豪の手によっているが、決して愛国的意識で投資しているわけではない。手数料収入で30年回収ということになっているが、実際はもっと短期回収のカラクリがあるという。ちゃっかりカントリーリスクを計算しているわけです。日本人の投資とは全く違う。(台湾人の場合はどうなのだろうか。――筆者の疑問。)

 粕谷さんは、フライング・タイガーズに関する展示に特別に関心を寄せられたようです。
 
 フライング・タイガーズとは、蒋介石軍の一翼として、米国の退役軍人シェンノート将軍(支那名:陳納徳)のもと、米国製戦闘機カーチスP-40(この戦闘機の通称がフライング・タイガー)数百機で編成された空軍部隊(飛虎隊)。義勇軍ということになっているが、歩兵部隊ならいざ知らず、戦闘機百機単位の部隊が米政府の支持・承認なしに派遣できるわけがない。昭和16年4月(つまり日本の対米宣戦布告の半年前。)には、ルーズベルトが秘密裏に調印していたという。
 
 粕谷さんは、戦時中・少年の頃、P-40のことなどよく知っていた、と半ば懐かしそうに語っておられたが(緒戦の頃は、日本の零戦の方が強かったようだ。)、内心、沸々たる怒りをたぎらせていたに違いない。
 
 「真珠湾攻撃を不意打ちだのといって非難するが、これは国際法の中立義務に対する公然たる侵犯である。」
 
 米中の、このような卑劣さは一部で指摘されては来たのだが、それが「抗日戦争」の一環として堂々と展示されているとすれば、その厚顔さに呆れるよりは、日本人を舐めきっているそのことに、怒りを新たにしなければならない。

 さて、話は尽きませんが、レジュメのうち、2~3を引用してこの辺で筆者の報告を締めさせて頂きます。
 
 粕谷さんの、その人柄を通じて、このたびの体験が、きっと多くの日本人に影響を与え、拡げていくことを期待し、また確信しています。

チベットと新疆で中国政府はどうすればいいのか分からず困っている模様。
反日・抗日宣伝には 蒋介石・国民党を肯定することなくしてはありえない中国共産党の矛盾。
中国共産党員には簡単にはなれない⇒大紀元の党員脱党の過剰な報道はウソ・・・・・共産党員の特権をすてるはずがない。

 なお、このたびの旅行には、坦々塾メンバーの鵜野幸一郎さんも参加しており、その感想を述べています。その要点は、――
 ① 世界は悪意に満ちている。特に米中共同。(例:フライング・タイガーズ)
 ② 裏社会と表社会の連続体。net社会に対するウィルスばらまきの脅威。
 ③ 裕福な中国人が、自国を嫌って海外にますます出てゆこうとしている。

[追記]
 坦々塾の翌々日(一二日)、中国四川省でマグニチュード7.8大地震が発生。
 地図でみると、湖南省長沙と四川省成都とは直線距離で800キロはありますから、粕谷さんの行かれたところには被害は及んでいないでしょうが、被害の規模は見当がつきません。
 犠牲者にはご冥福を祈念し、被害者にはお見舞いを申し上げます。
 この大地震が、中国情勢をさらに複雑なものにすることは、疑いありません。

つづく

文:等々力孝一

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