西尾幹二全集19巻「日本の根本問題」目次

序に代えて 「かのようにの哲学」が示す知恵

Ⅰ 歴史と科学
『歴史と科学』(二〇〇一年十月刊)

第一章
歴史と自然
1日本文化の背後にある縄文文化
2原理主義を欠く原理を持つ日本人
3森の生態系の中で熟成した自然観
4世界四大文明に匹敵する「縄文土器文明」
5インドの叡智に魅了された「森の住人」たち
6原罪としての自然科学

第二章
歴史と科学
1科学と「人間的あいまいさ」の関係
2自然科学は現代人の神である
3科学は発展したが「真理」からは遠ざかった
4科学から歴史を守れ

第三章
古代史の扱い方への疑問
1砂漠の文化の基準で森の文化は測れない
2歴史学は科学に偏りすぎてはいけない
3 「二重構造モデル」の重大な過誤
4大陸文化と対峙する日本文化
5歴史は知的構築物にほかならない

あとがき
参考文献

Ⅱ 神話と歴史
「自己本位」の世界像を描けない日本人
危機に立つ神話
森首相「神の国」発言から根本問題を考える
古代日本は国家であり文明圏でもあった
大陸とは縁の遠い日本文明
知識思想世界のパラダイム

Ⅲ 憲法について
改正新憲法 前文私案
「改憲論」への深い絶望――参議院憲法調査会における参考人意見陳述
このままでは「化け猫」が出てくる

Ⅳ ご皇室の困難と苦悩
1 皇位継承問題を考える
  一 皇室の「敵」を先に念頭に置け
  二  「かのようにの哲学」が示す知恵(二〇〇六年四月・本巻「序に代えて」に掲載)

2 『皇太子さまへの御忠言』(二〇〇八年九月刊)
まえがき
第一章 敢えて御忠言申し上げます
第二章 根底にあるのは日本人の宗教観
第三章 天皇は国民共同体の中心
第四章 昭和天皇と日本の歴史の連続性
「WiLL」連載で言い残したこと――あとがきに代えて
主要参考文献

3  「弱いアメリカ」と「皇室の危機」
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」(二〇〇九年)
危機に立つ日本の保守
『「権力の不在」は国を滅ぼす』の「あとがき」(二〇〇九年)
天皇陛下はご心痛をお洩らしになった(二〇〇八年十二月)

4 皇族にとって「自由」とは何か
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体(二〇一一年)
背後にいる小和田恆氏(二〇一二年)
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったか(二〇一二年)
天皇陛下に「御聖断」を(二〇一二年)
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂(二〇一三年)
皇后陛下讃(二〇〇九年)

5 今上陛下と政治
歴史が痛い! (二〇一七年十月、ブログ発信)
沈黙する保守 取りすがるリベラル――インタビュー記事
陛下、あまねく国民に平安をお与えください――あの戦争は何であったのかを問い続けて――二〇一八年十二月十三日(靖國神社創立一五〇年 英霊と天皇御親拝)――
日本人は自立した国の姿を取り戻せ(二〇一九年三月一日)

6 令和時代がはじまるに当って
回転する独楽の動かぬ心棒に――新しい天皇陛下に申し上げたいこと(二〇一九年三月一日)

Ⅴ 日本人は何に躓いていたのか(二〇〇四年十一月刊)
序章 日本人が忘れていた自信
第一章 外交――日本への悪意を知る
第二章 防衛――冬眠からの目覚め
第三章 歴史――あくまで自己を主軸に
第四章 教育――本当の自由とは何か
第五章 社会――羞恥心を取り戻す
第六章 政治――広く人材を野に拾う
第七章 経済――お手本を外国に求めない

追補一
平田文昭・西尾幹二対談 保守の怒り(抄)
追補二
竹田恒泰・西尾幹二対談 女系天皇容認の古代史学者田中卓氏の神話観を疑う
追補三
国の壊れる音を聴け――西尾幹二論  加藤康男

後記

「西尾幹二全集19巻「日本の根本問題」目次」への23件のフィードバック

  1. 今回の全集第十九巻はひときわ分厚いものです。机について姿勢を正して読まなくてはなりません。読書はよくベッドの中でするのですが、今回はそうはいきません。

    私は最初に月報を読み、次に後記を読み、加藤康男さんの文章を読んでから、最初に戻りました。なにしろ多分野にわたる集積なので、小説と違ってどこから読んでもいい。パラパラと眺めていて、Ⅲの憲法についての中の「『改憲論』への深い絶望」が目に留まりました。これは参議院憲法調査会における参考人意見陳述の西尾先生の発言だけを取り上げて記録しているものです。西尾先生にたいする諮問された主題は、「日本国家とは何か、日本文明とは何か」だったそうです。

    なにしろ文明論ですから、中身は重厚な講義です。

    あの頃、政府には西尾先生にこういう話を聞こうとする意欲?があったのですね。平成12年、約20年前の文章ですが、憲法論議をしなくてはならないというのなら、今現在こそ、まずこの章を政治家全員に読んでほしいと思います。

    全集ならではこその、集積です。

  2. >管理人長谷川様

    私も同意見です。
    20年前と言いますと、ちょうど私が「国民の歴史」に出会った頃の話です。
    その出会いがきっかけで私はこの20年間で人生の幅が膨らみました。
    その後、社会の仕組みも変化しました。
    一番顕著なのは、男女の序列です。

    女性が家庭に収まっていることに不満が募ると言い出す世の中になって、実際それが解除されると、実は女性にとって不幸が訪れる始発点だったという悲劇。
    今じゃ男性のほとんどが、研ぎ澄まされた女性のみを望か、もしくは母性本能を振りまく優しそうな女性を望か、最後はそのどちらにも適合しない女性軍を見て、結婚という意思がまったく感情の中に存在しないか、極端な言い方をすればそんな時代になってしまいました。

    憲法論はまさしく国防論と直結し、そこから波及する様々な社会現象をどう予測できるかが、思想家のみならず一般人も含めて現実的に取り組まなければならない課題です。
    日本のこの問題が、だれの目にも明らかなのは、問題点の「幼稚化」です。
    誰もが敗戦当時に煮えたぎっていた悔しさを、アメリカに抑え込まれた瞬間から、都合よく「幼稚化」する術を覚えたことを、忘れないほうがいいと思います。

    本当はもっと戦える資質がある国民だと思うのですが、この幼稚化現象には、さすがに歯が立たないのが現状で、本当の悲劇が舞い降りないとどうにもならないという意見が石原慎太郎氏などから意見が出るくらいの社会現状が漂う事態となってしまいました。

    どんなに悲劇が起きようが、もう何も感情が動かなくなってしまう現象に陥った際、最悪の悲劇しか本当は待ち受けていないのではないかと思うのですが、西尾先生はどうお考えになられるでしょうか。
    色んな事を考えて自分に置き換えてみると、その当事者の生活感というものが軸になるんだと思います。様々な体験や勉強が基礎になりますが、そういった基礎から変化して多様化している生活感が、実はとっても重要なファクターなのではないかと考えます。

    実例をあげますと、私の女房はまったくパソコンに興味がなく、スマホでせいぜい自分に都合のいい情報のみを受け入れる生活しか送っていません。
    私がこんな風に書き込みをしている姿を見ても、何の反応もありません。
    ある意味私たち夫婦は極端から極端な関係なのかもしれません。
    ところが、社会常識という点ではそんなに意見が食い違ることがないのです。
    お互いの認識を確認し合いながら、「へーそうなんだぁ」みたいな会話もよくあるんですよ。
    しかし一方で夫婦であっても全く関心を寄せない部分が絶対あって、別に危険性は感じませんが、ただその領域はお互いが関心を寄せない世界だという感じなんでしょうか。

    そうはいっても夫婦ですから実生活が一番大事で、お互いの感情の重点は尊重し合いながらも、生活における共通の課題や必要性みたいなものには、どんなことがあっても最優先です。
    私はそういう事が本当は若者たちに教え込まなければいけない、本当に大事な部分なんじゃないかと思うのです。

    「歴史と科学」を単行本で読んだ際、一番感じたのは、『人間の幸せって何なのだろう』でした。過去にさかのぼれば上るほどロマンがある。
    西尾先生はおそらくそれを意図してこれを描いた作品なのではないかと、私は受け止めました。しかし真逆に現代の科学の発展を「おい、お前たち科学者たちよ。君は何を知って何を知らないんだ。それをはっきりしろよ」と訴えています。
    書き方は違っても訴えている内容はこんな感じだったと思います。

    これが西尾先生の原発への基本的な姿勢なんです。
    けしてぶれていないんですよ、西尾先生は。
    ある日突然変化したわけではないのです。
    持論を社会にどう写すかという大きな問題と戦った証だと思います。

    それをおそらくこの全集は教えてくれると思います。

  3.  奥様からご紹介があった通り、この第19巻は令和の御代が始まった今
    まさにタイムリーな出版だ。目次を見ただけでも、その内容のボリューム
    の厚さが伺える。特に『皇太子さまへの御忠言』は、書かれてからもう
    10年も経つのか、と大変驚いた。
     当時先生が『御忠言』されたのを、多くの人は驚いたと思う。反発を感じ
    た人も、恐れ多くて自分が言えない事を先生が代弁してくれたと思った人
    もいただろう。先生は、それでも書かざるを得ないから書いたのであって、
    皇室が問題なく、古来の伝統を引き継いでそこに存在しているなら、本来
    何も言う事はない訳である。
     しかし今のように「民主国家」として、天皇は「象徴」であるとなると、
    我々庶民も皇室に対して無関心でいる訳にはいかなくなった。そこでつい
    ついTV・雑誌のゴシップ記事でも覗いてしまうということになる。
     現代の報道のように、皇族方をまるで芸能人のように扱う態度は許せない
    が、では昔はどうだったかと言えば、戦後は似たり寄ったりだったのではな
    いかと思う。
     私は昭和34年の雑誌『週刊読売』(新年号)を持っている。特集には現在
    の上皇上皇后両陛下の御結婚に際し、主に経済的側面とこれに対する有名人
    の意見などが掲載されている。それを読むと皆、相当好き勝手なことを言っ
    ていると思うので、一部ご紹介します。以下引用

    『週刊読売』昭和34年 新年増大号(1月4日)
    特集・天皇家の結婚
     明けましておめでとうございます。謹んでみなさまのご多幸をお祈りし
    ます。
     さて、三十四年春にはいよいよ皇太子さまと正田美智子さんとの結婚式
    が行われます。天皇家にとっては何かとご多忙な年になるわけですが、皇室
    とわたくしたち国民の関係をどう密接にするかということも大きな課題にな
    りそうです。
     で、年頭の特集として天皇家の結婚をめぐる五つの話題をおおくりします。

    1. 東宮御所を一万円で新築!?波紋をまき起した間組の“奉仕落札”
    2. “お買上げは当デパートで”
    3. 二千万円の結婚式
    4. 日本で三万番目の金持

    皇太子さまのご婚約がきまって、天皇家はほっとされたことだろうが、
    義宮(よしのみや)さまは、二十三歳、学習院大学理学部をご卒業後、東京
    大学の研究室で“生物化学”のご勉強をなさっているが、ご結婚については
    「ぼくは、まわりの人たちに選んでもらうよ」とアッサリしている。そして
    むしろ妹さんの清宮(すがのみや)さまを励ますように「こんどは清ちゃん
    の番だよ」と明るくお笑いになったという。
     清宮さまは、この三月で二十歳になられる。おそらく三十五年は、ご婚約
    ということになるようだが、おムコさまには、どんな青年が選ばれるだろう
    か・・・。清宮さまの理想とするタイプは、気どらない、背の高い男性とい
    うことだが、いまの清宮さまは、旧皇族、旧華族の方々とつきあいはほとん
    どないし、宮内庁でもそういった方面からの人選は考えていないようである。
    また外交官は、天皇家が政治に利用されるという懸念から、のぞかれるので
    はないか、とも見られている。
     ともかく、ここ二、三年は、天皇家におめでた話が絶えないわけだが、それ
    だけにフトコロの方もたいへんだろうと、余計かも知れない心配もでている。
    そこで“天皇家の財産”にふれてみよう。
     戦前の天皇家は、アメリカの富豪カーネギーやロックフェラーの何十倍と
    いう大金持ちだったが、いまは年五千万円で生活しておられる。だから日本
    で三万番目くらいの金持でしかない。宮内庁の予算は、年三億八千二百二十
    一万四千円で、この内訳は
     内廷費(天皇家の生活費)       五千万円
     皇族費(秩父、高松、三笠の各皇族)  一千二百六十万円
     宮廷費(宮内庁)        三億一千八百七十一万四千円
     その他、皇太子、義宮、清宮さまの費用として  九十万円
    となっている。不動産はすべて国有財産だから、天皇家には、年五千万円と
    金銀財宝などの物件(五億ないし十億といわれる)があるだけ、ということ
    になる。
     天皇家への寄付は、年百二十万と皇族経済法で決められており、支出の方
    は、三百七十万円におさえられている。支出の大分部分は祭祀料、つまり
    見舞金である。
     皇太子さまの場合は別だが、内親王ご結婚の際は、内閣の承認をへて一時金
    三千万円が贈られる。清宮さまのときは、この三千万円が出るのだが、陛下の
    ポケット・マネーから、お出しになられるわけではない。戦前は、天皇家は
    毎年国庫から四百五十万円(現在の二十二億五千万円に相当)をもらっていた。
    有価証券や帝室林野局の土地百二十六万五百ヘクタール(百二十七万九百五
    町歩)を持っていた。この土地だけで、当時年八百万円から一千万円の収入
    があった。
     神さまから人間天皇へという時代の流れが、大富豪を、こぢんまりした
    “金持”に変化させたわけだが、皇室と国民をもっと密接な親しいものにし
    ようという希望は、だれの胸にもある。そのためにいろんな意見がでるのだが、
    その典型的なものをつぎに紹介しよう。

    5.「皇居を開放してほしい」
     昨年あたりから宮内庁を中心に、皇居に新しい宮殿をつくる計画が進められ
    てきたが、今度の新東宮御所のことにもからんで一部の人々の間では、なにか
    割り切れないものが残っているようだ。最近になって「皇居開放」の意見が
    急激に多くなったのも、その一つの現われではないだろうか。
     いま計画されている新宮殿は総工費約十三億円、戦前のようにヒノキ造りで
    はなく、日本趣味を取り入れた近代的な鉄筋コンクリート建築。外国使臣の
    接見、宴会などに当てられる公的な宮殿は千六百五十平方メートル(五百坪)。
    天皇、皇后が生活されるお住いの方は、六百六十平方メートル(二百坪)もし
    くは九百九十平方メートル(三百坪)のいずれかになる予定だ。すでに模型も
    造れるばかりになって、宮内庁では三十四年度予算に計上、大蔵省と交渉をは
    じめているという。完成すれば昭和二十年五月の戦災以来、十四年ぶりに新
    宮殿が建つことになる。
     しかし、これに対して反対の立場をとる人も決して少なくない。「皇居を
    国民に開放してほしい」というのがその希望だ。この「皇居開放論」の起こ
    ってくるところを各氏の意見から紹介してみよう。

       交通量からみて・・・
     この意見は一番多い。山の手から都心に出るには、なんとしても皇居を
    迂回しなければならない。忙しい時、時計を見ながら「皇居のなかに道路
    があったらなあ」と感じた人は多いはずだ。また皇居前広場を祝田口から
    大手町に南北に抜ける道は自動車の洪水で、約一キロのこの道を車で四十
    分かかったという話さえある。丸の内署の調べでは一日十三万台(午前七
    時–午後七時)の自動車、一日約二万人の人がこの道を通っているという。
     もし皇居を通り赤坂、四谷方面に出る道路なり地下道があれば、この
    交通量は、ずいぶん緩和されることになる。(作家曽野綾子さん、住宅公団
    総裁加納久朗氏、作家藤島泰輔氏)

       陛下の健康上から
     皇居の周囲は東京でも最も交通量のはげしい道路で囲まれている。また
    日比谷、丸の内などビル街も近い。このため自動車の排気ガス、暖房用の
    燃料から吐き出されるバイ煙のため、皇居一帯の空気の汚染度は極めて高い
    といわれる。こういう不衛生なところに日本のシンボルである皇居を置いて
    おくのはよいことではない、という説。(加納氏)

       封建的建築物だ
     現在の皇居は初代太田道灌、二代目徳川家、三代目天皇家と続く封建的
    遺物だ。権力を誇示した建物である。石は永遠性を表現、建物は民衆を威嚇
    した。堀は民衆を近づけなかった。こういう建物は現在、世界のどこの王室
    をみてもない。英国ですら道路に面し、女王一家不在の時は一部を自由に見
    学させているという。日本の皇室もいまは城の必要性は全くないはず、国民
    に近い場所に出てもらいたい。民主国家の象徴としてそれは当然ではないか。
    (大宅壮一氏、平林たい子さん、加納氏)

       お住いはどこがいいか・・・
     以上が大ざっぱに分けた皇居開放論の意見だ。といって皇居開放を望む
    人々は決して“天皇制”を否定する人々ばかりではない。もし皇居が開放さ
    れたら—各氏はこういっている。
     大宅氏「お住いは富士五湖辺などどうだろうか。空気もいいし、好きな
    生物学研究にも便利だし、観光の点でも外国使臣に喜ばれるのではないか。
    それに、道路もよくなる」
     加納氏「葉山がいい。現在の御用邸をコンクリートの近代建築にする。裏
    に広大な庭をつくり、山の手には簡単なお住いと一緒に馬場、ゴルフ場など
    を作る。陛下がいらっしゃらない場合は一般に有料で開放すればいい。また
    伊豆とか秩父に小さな別荘もお建てになるといいと思う。外国使臣との接見
    は赤坂離宮が最も適当だと思う。ここを東京のご宿舎に当ててもいいのでは
    ないか。宮内庁は丸ビルに進出すればいいのではないか」
     作家木村毅氏「戦闘的なあの皇居を出て民衆のなかに入られることが第一
    だ。それには京都の御所が一番いい。外国人にお会いになるにしても相手も
    喜ぶし、静かに落着いた生活ができると思う」

       皇居跡は公園に
     開放された皇居跡についてはだれもが「公園に」ということだった。住宅
    や劇場といったものより、遊歩道や公園にし、都会のイコイの場所としたい
    ようだ。皇居は百六十五万平方メートル(約五十万坪)、武蔵野の面影を伝え
    ているのは、東京近郊を探してもここだけだといわれている。それだけに、
    絶好なレクリエーションの場所である。
     「公園となれば封建的なものから解放されて、いかにも国民大衆の手に帰
    ったような気がする。みんなが楽しめる場所にしたい」(円地文子さん)
     しかし、こうした声に対し入江相政侍従は「よそへ新築するのはかえって
    ムダではないか。両陛下だけではなく、宮内庁まで移転しなければならず、
    遠方へ外国使臣や大臣閣僚などがくることも、実際には大変なことではないか。
    それに道路など整備するようになればなお一層、金がかかるようになる。そ
    ういうことになれば、より以上に世論をシゲキする結果にならないだろうか」
    と語っている。

       天皇が決めること
     ところで都市計画の面からみると、東京都建設局では、いま昭和四十年を
    目標に、全長七十一キロ都心を中心に八本の高速道路を計画しているが
    「これができれば皇居の存在も交通上では、それほど問題はなくなるはずだ」
    といっている。
     また、道路公団の岸道三総裁は「皇居が交通の邪魔になっているのは事実。
    しかしこれだけの理由なら皇居だけが問題ではなく、ほかにもまだまだある。
    単に皇居だけを考えずに、もっと大きな目で都全般を考える必要がある。もし
    開放されることになるとやっぱり公園だが、それにしては国民の公衆道徳を
    もっと高めなければなるまい。いずれにせよ開放ということは、天皇が決める
    べき問題であろう」といくぶん開放論には批判的だ。

       そっとしておきたい
     「天皇自身の決めるべきもの」とは開放論を唱える人々もいっていること
    だが一橋大学教授上原専禄氏は次のように語っている。
    「四年前天皇にお会いした時、天皇は“私は以前、徳川時代の天皇の日記を
    読んだが、当時は御所と国民とのつながりが深く、交際も極めて広かった。
    これは大変うらやましいことだ“とおっしゃっていた。こういう気持ちを
    陛下は持っていらっしゃるのだから、もっとそっとしておいてあげたい。
    民主化という言葉の道具としたり、ヒイキのヒキタオシにならないように
    してあげたい。皇居の問題にしても皇室が考えるべきもので、あまり口やか
    ましくいわない方がいいのではないか」
     その賛否は人によって様々だが、こうした国民の声が、そのまま天皇の
    お耳に入るだろうか。だれか天皇をキクのカーテンに包もうという人がいる
    のではなかろうか。その方が、われわれにとっては心配なことである。
    以上
    (注: 五つの話題の内、4と5だけご紹介しました)
     
    最後の一橋大学教授上原専禄氏の「そっとしておきたい」を読むと、当時
    はまだ良識があったのだろうと感じる。翻って今は、まさに皇室そのものが
    「民主化という言葉の道具」となり、その事を諫める声など、少なくとも
    政治の側からは全く聞こえてこないからだ。
     江戸時代までは、文武、つまり朝廷と幕府が緊張関係を保ちながらも共存
    してきた。60年前のこの雑誌を読むと、“現実政治を超えた存在としての
    皇室”という伝統も、戦後しばらくは、かろうじて生きていたようである。
    その細い糸も、現代では切れそうになっているのがよく分かる。まさに
    先生が「回転する独楽の動かぬ心棒に—新しい天皇陛下申し上げたいこと」
    の中で、「危機の日」を警告された通りだ。

     秋篠宮殿下は、皇室の行事は出来るだけ簡素に、などと国民に対する御遠
    慮とも思える御心情を吐露された。しかし民主、民主というが、一般の国民は
    本当に、皇室が国庫の無駄使いをしている、などと思っているのだろうか?
    そう思っているのは共産党とか社民党とか、皇室に関わる財産を「国民に還元
    すべき」などと(少なくとも表向きは)言っている連中だけだ。
     現代は、まさに政治の側が「天皇をキクのカーテンに包もうと」している
    時代ではなかろうか。では伝統の「文武抗争」において、遂に「武」が勝った
    のかといえば、現代の政治が、幕府や武家のような「武」であるはずもない。
     現代の政治は、「民主主義」という名前のついた、我が国の伝統にはあり
    えなかった「異物」、としか言いようがないと私は思う。

     私は昔小田実の本を読んで、当時成程と思ったことがある。はっきりとは
    覚えてはいないが、「自分はラーメンのおつゆが畳にこぼれる」そんな感覚
    でものを考える、というような事を言っていた。また民主主義というのは、
    「国民→(選挙)→政治家→国→政治家→国民」(うろ覚えの図です)とい
    う風に、政治が悪いのは、結局国民が悪いということになる、と書いていた。
    確かに政治家は国民が選ぶのだから、とんでもない政治家を選んで悪政が
    布かれれば、選んだ国民が悪いということになる。
     しかし民主主義のシステムを悪用操作して、如何樣にも現代政治の実権を
    握れることは、もう既に様々な識者によって、明らかにされてきた。だから
    小田実のように、ベクトル→でばかり考えていると、いつまでたっても埒が
    明かないということになる。

     皇室に関わる費用に関しても、それが国民の経済を圧迫することになるから、
    皇室にも国民と同様に貧乏になってもらわなければならない、というのは、
    誰かにそう思わされてきた、思い込みではなかろうか?しかも昭和34年の
    段階において、既に「皇室は日本で三万番目の金持」でしかないにも拘らず、
    である。そればかりか、何とかして皇室を出汁に、「平等」を実現しなけれ
    ばならない、という気違いじみた強迫観念に取り憑かれているのが現代人だ。
    このことは、昔から先生が長年に亘り、散々論じられてきたテーマでもある。

     だいたい昔は、「自分が天皇になりたい」などと思う暇人などいなかった
    だろう。以前もここで書かせて頂いたが、江戸時代に貴重な記録がある。
    「正徳二(1712)年10月、加賀藩の支藩大聖寺領内では年貢減免を求める
    一揆が起きた。その時、激高した農民たちが叫んだ言葉は、日本の政治思想
    史を語る上で欠かせないものとされている。『仕置き(政治)が悪くば、年貢
    はせぬぞ。京の王様(天皇)の御百姓(おんひゃくしょう)になるぞ』
    藩に背いて天皇の民になるという当時の危険思想の種をまいたのは、利常
    その人と言えなくもなかった」
    (「加賀百万石 利常夜話」 1998年11月27日 北國新聞)
    この記事は、加賀藩の第三代藩主前田利常が、幕府に睨まれていることを
    きっかけに、尊皇思想に傾倒していったことについて書かれたものだ。
    加賀藩独自の事情があったとはいえ、この時代百姓一揆といえども、幕府
    や朝廷をつぶせなどという過激なことは、つゆ考えていなかったことが
    分かる。
     この時代は、武士になりたい百姓はいたかもしれないが、それはもともと
    根が同じだったからではないか。私など、武士や忍者になりたい気持ちは分
    かるが、公家やまして天皇になりたい、などという気持ちは到底理解できない。
    それは現代でも同じではなかろうか。

     天皇や皇族方というのは、我々普通の日本人にとっては、富士山がそこに
    あるのと同様で、在って当たり前の御存在である。それを、何か民主主義に
    反するとか、平等、人権に反すると思うのは、何者かに吹き込まれた考え方
    に過ぎないのではないか。現代の生活形態や、身に着いた習慣や考え方から
    すれば、多少は無理があるかもしれないが、多くの識者が言うように、我々
    にとって皇室とは、皇室=日本国民でしかあり得ないと私は思う。
     重大な国難に見舞われている現代、もし我々国民一人一人が、乗り越えね
    ばならない壁があるとすれば、それは、まさに「日本の戦後民主主義」その
    ものではないだろうか。

  4. 長谷川さんの7月31日のコメントをありがたく拝読しました。

    20年前の文章ですね、と言われてハッとしました。そうだったのか、と。今の政府はこういう話を聞こうとする気がないようですね、と書かれているのをみて再びハッとしました。本当にそうだなと思ったからです。

    最近私が評論を書く気がなくなっているのは年齢のせいもありますが、私の話を聞いてくれる相手がいなくなり、もう本当に何を言っても意味がないという絶望感の方が強いせいです。

    それに言うべきことはすべて言い尽くしたとも思っています。今度の本は「日本の根本問題」と題したように最重要なことはこの中にことごとく言い尽くしているつもりです。

    残りの人生において、今後は少し姿勢を変え、少しづつ違った形の自分をみせて生きていこうと考えています。

    西尾幹二

  5. 長谷川さんの7月31日付のコメントに対して先に応答しましたが、これを基に新しい評論を書きました。

    「正論」10月号(8月末発売)の「トランプを孤立させるな」と題した一文です。さして長いものではありませんが、さらっと簡単に読めて、読者に今の世界の情勢下で何かを考えさせることが出来たら良いと考えています。

    8月10~15日ころに書き上げました。夏の日の避暑地での感想文です。

  6. 「トランプを孤立させるな」(正論10月号)、拝読しました。
    「今のこの国では『反共親米』を踏み外すことは朝日から産経までしないが、『反共』も『親米』もともに自分の立場を危うくしてまで誰も本気で実行しようとはしていない」。「『親米』は今の時代にこそ必要な賭である。アメリカとの協力はこれからむしろ本気度を試される真剣勝負にならざるを得ないだろう」というご指摘に、改めて肯綮に当たるものを感じました。
    トランプの対中政策の進め方について、以前から中西輝政氏が危惧され、今月号(10月号)の「WiLL」でも指摘していることがあります。
    「アメリカが対ソ冷戦に勝った最大の要因は、自由民主主義のイデオロギーの優位でもなければアメリカの軍事力や経済力でもない。それは、やはりアメリカが中国を引き込んで対ソ包囲網を完成させたからにほかなりません。裏を返せば、『中露が手を組んだらアメリカに勝ち目はない』ということです。
    その点、トランプ政権の対中政策は戦略論的に悪手と断じざるを得ません。先に周辺国や同盟国をアメリカに引きつけて対中包囲網を作り、それから本格的に中国の抑え込みにかかるというようなロードマップが描かれていないからです。
    いきなり関税制裁で中国の核心部分を締め上げる前に、東南アジアやインドなどにも安全保障上の対中包囲網を敷いておくべきだった。この点、今の対中強硬策の勧進元になっているピーター・ナヴァロやジョン・ボルトンは、果たしてどこまで考えていたのでしょうか。全く疑問ですね」。
    西尾先生が、『親米』の方策として「中国の過去二十年の急成長をどう阻止し、危険な芽をどう抜くかは、(中略)日米欧の経済協力のほかに道はない。日本の経済界は『自由』の体制を守るための犠牲にもっと自覚的であるべきだ」とおっしゃるのは緊要な提言と存じますが、かつてない「中露」の結託の実在、「日米欧の経済協力」の実現性と実効性への疑問が立ちはだかることを押さえておかなければなりますまい。ただ、新しいCOCOMの枠組み作りは戦略的に着実に進められているフシがあります。来年になれば東西の勢力は截然と分断されているかも知れません。共和党にはマイク・ペンスやマルコ・ルビオのような日本には見当たらないようなまっとうな有力政治家が活動しています。わが国の生存の道はアメリカにとって欠くべからざる日本、そのための断乎たるコミットメントを措いてないことはよくよく肝に銘じる必要があるでしょう。先日のトウモロコシの唐突な輸入もその一手なのかも知れませんが、それにしても習近平の国賓待遇の招聘は日本政府の真意をはかりかねます。アメリカとの合意・協調のもと進められていると思いたいところですが。
    日本の経済界への注文は彼らの胸に届くのは難しいと思われます。どこもかしこも中国に抜き差しならず投資をし踏み込んでいる以上、何とか元に戻ってくれと祈って過ごす他なかろうからです。「『自由』の体制を守るための犠牲」とは、中国への投資が水泡に帰すことに耐えること以外にないでしょう。政治は経済界の対中投資を最終的に無にすることを覚悟して進むべきです。第二次安倍政権発足直前、尖閣諸島国有化後に中国で反日デモが荒れ狂っていた時に、安倍晋三氏は、中国進出した日本企業は周囲の情勢を認識し、自分で責任を持って出所進退を判断せよと述べていたのです。トランプがTwitterで米国企業に中国撤退を呼びかけたように、ここまで実行しなかった企業には、政治も勇を鼓してリーダーシップを発揮せねばならぬ時が来ることを覚悟すべきでしょう。

  7. 冷や水を浴びせ、看板を塗り替へる

    西尾先生の「トランプを孤立させるな」(『正論』10月號)を拜讀しました。2箇所だけ引用して、勝手な聯想を附け加へさせていただくことにしました。申し譯ありません。

    (一)

    「いやしくも言論誌なるものに執筆する者は政権政党の政治家たちを畏怖
    させることは難しいとしても、彼等に冷や水を浴びせ、彼等の肺腑に突き
    刺さる言葉を吐くことが出来るくらいでなくては存在理由がないであろう。彼らと一緒になって野党を攻撃しているようでは、権力側から便利な存在として利用されるだけで、やがて利用もされなくなり、無視されるのが落ちであろう」

    言論誌やその執筆者はそれほど立派でなくてはならないのでせうか。これ
    まで、先生が執筆された言論誌を買ひましたが、先生を除けば、さういふ
    ”存在理由 ”を持つた人に出合つたことは滅多にありません。折角買つた
    のだから勿體ないとて、初めは他も強ひて讀みましたが、面白くなく、2度目3度目となると筆者の名と題を見れば、中身はほぼ想像がつくやうな氣がしてきます(大抵は、與へられたテーマに條件反射のやうな藝をするだけです)。

    私をさへ一向に刺戟しないのですから、政權黨の政治家たちは「冷や水」
    とは感じないのではないでせうか。まして、「肺腑に突き刺さる言葉」など期待できさうにありません。

    もつとも先生は理想を述べられたまでで、つづく「毎月送られてくる月刊言論誌の目次を見ていると」以下に記されてゐる現状認識は、それと正反對で、私も完全に同感です。

    同じ『正論』10月號でも、「『反日』の本質を暴く」(西岡力)などは讀む氣がしません。こちらが分つたやうなつもりでゐても、實際に讀んでみれば、有益なことが書かれてゐるのかもしれませんが、なに、損をしてもかまひません。筆者を全く信用してゐないからです。

    日本の戰爭責任を追及する會とやらのメンバーたりし過去は別にしても、
    河岸を替へて以來、常に政權黨と「一緒になつて」「権力側から便利な存
    在として利用され」續けてゐることは廣く知られてゐませう。彼にとつても「權力側」がこの上もなく重寶な存在であることは、言ふまでもありませんが。常に、實に露骨に權力者の意向に合せてものを言ひます。

    「拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない」(西尾先生よる評)安倍總理。その「安倍總理にすべて任せておけばいいのですと西岡氏は言つてゐた」(同前)・・・。「救ふ會」會長として、今はなんと言つてゐるのでせう。

    安倍總理が憲法9條3項を言ひ出した時、西岡さんは産經・正論に「ここまで來たかと心が踊つた」と書きました。私はその出だしを讀んだだけで赤面しましたが、安倍さんは平氣で、「うーん、ういヤツぢや」となるのでせうか。チョロイものなんですね。

    西岡さんに限らず、最近は權力に近いことを誇りにする書き手(ライタ
    ー)が殖えましたね。それとなく匂はせたり、堂々と「先夜、安倍總理と
    會食」といふキャプションをつけて二人竝んだ寫眞を掲げたりーー昔の言論人は、そんなものは隱したでせう。御用評論家などとレッテルを貼られたらアウトでしたから。

    今は見せた方が商賣上有利なのでせうか。先生のおつしやる「批評精神の欠落」と關係があるのでせうか。私は先生より若干若いが、かういふ動きにはついてゆけず、戸惑ひます。

    鬱陶しくなつてきましたが、政權黨との關係で、あと一人だけ。

    保守派ライターの大スターともいふべき女性がゐますね。先生が産經・正論で彼女の説を批判したら、その名前を削らされた・・・。西岡さんも安倍ブレーンとして有名ですが、彼女の方が安倍さんともつと親しいのでせうか。

    杉田水脈といふ代議士について、ウィキペディアにはこんな記述があります(○ ○は上記のスター・ライター)。
    「○ ○によれば、安倍晋三首相が『杉田さんは素晴らしい』と絶賛し萩生田光一議員と『一生懸命になってお誘い』し、自民党からの出馬が決まった。杉田は発表のツイートで『最後に背中を押していただいたのは○ ○先生です』と記している」

    これほどの影響力を與黨に對して持つてゐるのですね。あれほどの人氣者が、あれほど懸命に政權與黨に盡してゐるのですから、當然かもしれません。選擧に出たくなつたら、幹事長などより彼女に頼んだ方が早いかもしれませんね。

    しかし、その○ ○ さんが、たとへば産經・正論で9條3項に贊意を表した
    場合、筆者が安倍さんの身内だからと、讀者の方で割引いて評價するのではないかなどと、新聞社は心配しない(西尾先生に彼女を批判されるのには困つても)のでせうか。最近の讀者(國民)は、そんなことは氣にしないのですか。これも私には不思議です。

    (二)

    「数寄屋橋の交差点であの当時としては狂気の沙汰としか思われかねない孤高の絶叫調の演説を毎日のようにしていた痩身の赤尾の姿は、いつしかどこかユーモラスであり、気高ささえ漂っていた。『反共反米』は今の保守論壇の一部の大まかな方向性と言えなくもないが、危険を賭した赤尾の悲愴さも、言行一致の彼の悲劇的覚悟も、いまの保守系知識人にはまるきりない。一方、朝日新聞を始めとするリベラル左翼は、いつの間にかかつて保守系の人が担いでいた『反共親米』の旗を恥ずかしげもなく振るようになった。
    いつの間にか無自覚のままに標識や看板を替える。・・・」

    私も、あの街頭・車上演説が好きで、何度か聞きました。演説を終つた後
    でせうか、助手のやうな若者と丸の内線に乘り込んできて、私の鄰りに坐つたこともあります。愛嬌のあるお爺さんでしたね。あの演説は90歳近くまで續けたのではないでせうか。しはがれ声のジョークに笑つた記憶があります。固定リスナー・ファンがゐましたね。

    「トランプを孤立させるな」に接した時、私はたまたまメル友へのメールで赤尾敏のことに觸れてゐました。この友は實に頭がよく、素晴しい發想力も持つてゐますが、私より若いせゐか、昭和55年に清水幾太郎の核武
    裝論を讀んで感心したが、清水の前身・正體は知らないといふので、お節
    介にも私が講義しようとし、その中で、赤尾と清水を對比したのです。

    早速先生の御説も取入れました。全體では、先生仰せの「標識や看板を替える」に關係がなくもないので、その數節を書き寫させていただきます。

    「赤尾敏は大東亞戰中、翼贊選擧に非推薦で當選、衆院議員を務めました。そして、『大東亜戦争に関しては、赤尾は「アメリカと戦争するのは
    共産主義ソ連の策略に乗るだけである」として、対米戦争に激しく反対し
    た。このため右翼でありながら、戦時下の政府の国策に敵対する反体制派であった』(ウィキペディア)」

    「その頃、清水幾太郎は讀賣などの論説で、『米英撃滅』『撃ちてし止ま
    ん』と國民を煽りまくりました。その軍國調はアメリカにも知れてゐて、ミリタリー・ヨミウリのミリタリー・シミヅと呼ばれてゐたとか。つまり、赤尾敏の對極にゐたわけです」

    「そして敗戰と同時に、平和教に轉向、教祖として、平和産業・進歩業界
    に君臨しました。この時ももちろん赤尾と正反對でした」

    「私はもの心ついて以來、敗戰利得者に對する輕蔑・反感を募らせてゐましたが、その私にとつて、憎むべき敵のチャンピオンが清水でした」

    「その清水が核武裝論を言ひ出したのは、平和産業が斜陽化、恢復の見込みがなくなつてからです。清水の場合、『無自覚のままに』なのか否か分りませんが、『標識や看板を替える』常習犯たりしことは間違ひありません」

    「清水論文に貴兄が感心されたのはともかく、その背景に殆ど目を向けられなかつたのは、相當な手落ちではないでせうか」

    「この論文のみを、嚴重に隔離された場所でお讀みになつたわけではありますまい。『諸君』といふ雜誌でしたか。あちこちであの清水が!と何か
    と話題になつてゐた筈です。さういふ清水論文には、周圍の雰圍氣の中で、何か違和感をおぼえるのが正常ではないでせうか」

    「私から見れば2周の周囘遲れですが、それでも、脇目も振らずに一目散
    といふところが、貴兄らしく愉快でもあります。若い頃ノンポリで、ワッショイワッショイに對する嫌惡感を經驗する機會がなかつたのでせう」

    「法學部といふ無思考の群に無思考で交じつてゐたのが、後年目覺めて
    ”眞正保守 ”などを唱へ始められた。さういふ過去を隱さず、正直に語られるのは、他意なかりしせゐでせう。貴兄の善良さを私は信じます」

    「今後理論上の正しさを確認されたあとは、なるべく足許・背景に目を向けられゝばいいのではないでせうか。基本的に貴兄を信頼じます」  (以上)

    私の若い頃は「看板の塗り替へ」が大きな關心事でした。進歩主義全盛
    で、平和教が殷賑を極めてゐましたが、その教祖を初め、傳道師のほぼ
    全員が嘗ての大東亞戰爭の理論的指導者でした。つまり彼等は敗戰と同
    時に、揃つて看板を塗り替へたわけです。

    『學者先生 戰前戰後言質集』だの『進歩的文化人』だのといふ、あまり品
    のよくない暴露本が出廻つてゐました。あの雰圍氣は西尾先生も覺えてをられるだらうから、その思ひ出でも書くつもりでしたが、長くなり過ぎた
    ので、打ち切ります。

    「標識や看板を替える」ことは、いつでも、どこでも、誰でも、大抵やるものですね。その中で、「無自覺のままに」ーーこれが一番惡質ですね。
    「知つてゐてつく嘘の方が知らないで言ふ嘘よりはましである」(プラトン)
    「他人の目を瞞すことは、ときには生産的でさえありますが、自分で自分
    を瞞すことには救いはありません」(西尾先生)

    (追記)以上を投稿しようとしたら、その前に、土屋六郎さんのすごい論文が載つてゐました。

    中西輝政さんからの引用でせう。曰く 「アメリカが対ソ冷戦に勝った最大
    の要因は、自由民主主義のイデオロギーの優位でもなければアメリカの軍事力や経済力でもない。それは、やはりアメリカが中国を引き込んで対ソ包囲網を完成させたからにほかなりません。裏を返せば、『中露が手を組んだらアメリカに勝ち目はない』ということです。その点、トランプ政権の対中政策は戦略論的に悪手と断じざるを得ません。先に周辺国や同盟国をアメリカに引きつけて対中包囲網を作り、それから本格的に中国の抑え込みにかかるというようなロードマップが描かれていないからです」。

    いかにも中西さんらしい斷定だと感じました。たしかに一理ありさうですが、「中露が手を組」む?そんな可能性があるのか。 さうならない事前の仕掛けが絶對不可缺?「かつてない『中露』の結託の実在」とはどの程度のものか?などの疑問が湧いてきました。

    ーー「『自由』の体制を守るための犠牲」とは、中国への投資が水泡に帰
    すことに耐えること以外にないでしょう。政治は経済界の対中投資を最終
    的に無にすることを覚悟して進むべきです。ー一は中西説と土屋説の分れ目が、今の私には分明でありませんが、まつたくの正論と存じます。一晩寐てからゆつくりと考へてみます。まあ、私の頭腦にはむつかし過ぎて、意見など言へないでせうが。

  8. 池田さんの質問にお答えします。
    「「中露が手を組」む?そんな可能性があるのか。 さうならない事前の仕掛けが絶對不可缺?「かつてない『中露』の結託の実在」とはどの程度のものか?」
    ・・・中露結託の実在とは、7月23日の中露両軍の爆撃機などによる『初の長距離合同パトロール』」(添付産経新聞記事参照)を指して申しました。このようなタイムリーな連携軍事行動はかつてなかったものと認識しております。
    https://www.sankei.com/column/news/190805/clm1908050004-n1.html
    「七〇年代は米ソ対立以上に中ソ対立が激しく、ソ連は米中双方を敵としており、中国とは軍事衝突まで起こしていた。そこでアメリカは中国に接近してソ連を孤立させることができた。アメリカが米ソ冷戦で勝利を収めることができたのは、中ソが鋭く対立していたからといえるでしょう。いまのアメリカは、この冷戦勝利の根因を忘れがちで心配になります」(Voice7月号「『軽薄』な国際社会にのまれるな」中西輝政)。
    現在は「ロシアも中国も『対米対抗』という点で、最大の国益が一致して」おり、「すでに両国の「結束は容易に揺らがない」(同前)状態にあるようです。

    「『自由』の体制を守るための犠牲とは、中国への投資が水泡に帰すことに耐えること以外にないでしょう。政治は経済界の対中投資を最終的に無にすることを覚悟して進むべきです」と申したのは、昔日の東西対立の再現や反日活動の再燃、経済合理性から見て事業の継続が無意味になった場合への準備として原理的に考えればという意味においてです。日本経済界は、その準備はおろか、頭の体操をしているかさえおぼつかないのではと推測します。

    一点、 追加。
    「それにしても習近平の国賓待遇の招聘は日本政府の真意をはかりかねます」と書きましたが、中西氏の論文を読み返していてそのヒントが書かれていましたので引用します。
    「わが国は未来永劫、宿命として『大国中国』を近隣国としてもち続けなければなりません。その過程で、もし道を過ち、遠い未来においても中国民族が日本民族を『不倶戴天の敵』と記憶するような事態を導けば、子孫に大きな不幸の種を残すことになるのです。そこに『抑止』という営みに付いて回る本質的なジレンマがあることを、つねに意識していなければなりません」。(同前)。

  9. 土屋 樣

    早々に忝く存じます。

    私などが口出しすべき問題ではなく、質問する氣もないのに、
    朦朧たる頭に浮んだよしなしごとを毆り書きしてしまひました。
    お詫び申し上げます。

    考へてみますが、(トランプの)惡手か否かの判斷は私には無
    理だらうと思ひます。

    お教へありがたうございました。

  10. 土屋さんのお教へにより
    ①中露の軍事連係について露經濟紙が7月23日「モスクワと北京は軍事協力協定を刷新する」「中國と協議を進めるべきであるとの國防省の提案を、メドベージェフ首相が承認した」と傳へた。

    ②「中國がロシア極東の防空システムを利用することも含まれる可能性がある」「(中露)合同パトロールはアジアでの米國の活動抑制といふ中國の政策に積極的に關與するといふ露の意志表示」と露上院國防委員會の議員が語つた。

    ③アジアトゥデイ紙によれば、米國がホルムズ海峽問題で軍事的な壓力を深め、日本と「自由で開かれたインド太平洋戰略」を進めてゐることに、中露が對抗し、「初の合同長距離パトロール」により日米に「間接的な警告をした」と分析した。
    ことなどを知りました。

    7月23日に、露中の爆撃機などが、竹島周邊の日本上空を初の「合同パトロール」をし、韓國軍が警告射撃を行つたといふ新聞記事は讀みましたが、何かあればすぐにチョッカイを出して來る中露らしいな、韓國がこのところ、特にごてつづけてゐることへの、 いつもの反應だらう、くらゐにしか思つてゐませんでした。

    そこで、「現在は『ロシアも中国も「対米対抗」という点で、最大の国益が一致して』 おり、『すでに両国の「結束は容易に揺らがない』状態にあるようです」といふ中西・土屋説がどの程度のことなのか、自分でも少し調べ、考へてみました。

    たしかに、嘗てニクソン訪中などにより、米國が懸命に中ソの引き離しを計つた頃に比べれば、最近の米國には大した動きは見えないやうな氣がします(トランプも訪中しましたが)。といつて、それが「中露が手を組んだらアメリカに勝ち目はない」 に直結するか疑問ですが、不利な要素であることに間違ひありません。

    では最近の中露の接近とはどういふものなのでせう。
    サッター・ジョージワシントン大學教授は次のやうに分析してゐるさうです。
    「2013年のオバマ政権の世界警察官からの引退宣言をへて,米国は衰退の過程にあるとの認識があった。2014年のロシアのクリミヤ併合・ウクライナ関与は,ロシアの国際的孤立を強め,中国への接近を結果したが,中国の南シナ海での人工島作成後の西側との対立の中で,急速な露中接近が,特に軍事協力の面で起こった。第1にロシアが,中国に最先端兵器の,超長距離ミサイルS-400と第5世代戦闘機SU-35を売却した。第2に2018年9月シベリアで,ロシアは『Vostok-18』とい う30万人参加の大軍事演習を行ったが,中国が3200人の兵士を参加させた。第3に,中露海軍は,近年南シナ海,日本海,地中海などでの合同演習をしている。第
    4に,プーチン・習主席は20回以上の首脳会談を行っているが,軍関係者の頻繁な会談・交流は,両国の安全保障上の協力関係を裏書きする」
    「中露関係については,これまで,表面上は接近でも,ロシアの中国への恐怖,両国の歴史的,文化的関係から,やがては背反するとの観測が強かったが,今や新しい形の同盟になつた。それは,ロシアが米国に対抗するため,中国の台頭を受け入れたこと,中国に最新兵器を与えても2030年までは脅威でないと認識したから」
    「従来の同盟は,NATOが典型だが,一国でも侵されれば,他の国が合同で戦うという,安全保障上の厳格な規定を持つのに対し,中露両国は友好条約を持つが、安全保障上の義務はなく,弾力的な同盟である」

    なるほど、「新しい形の同盟」となると相當なものです。
    しかし、ロシアが「中国の台頭を受け入れた」には強い異論もあるやうです。次は日本のある研究機關の論文です。
    「プーチンは、中国が甘いパートナーではないことを知っているに違いない。石油・天 然ガス輸出案件にしても、中国の国営企業は基本合意はしても価格や利子の支払いをめぐって厳しい交渉を展開する。中ロのパーナーシップのあらゆる面を中国側が牛耳っている。中国の経済規模はロシアの6倍(購買力平価ベース)。しかも、ロシ アが徐々に衰えている一方で、中国の力は伸びている。西側諸国に背を向け、ロシアの影響力を強める絶好の方法に思えた戦略は今、ロシアが抜け出すのに苦労するワナのように見える。ロシアは対等なパートナーどころか、中国の朝貢国になる道を歩みつつある。プーチンがそれに未だ氣づかず、對策を考へてゐないだらうか」
    「中ロ両国は戦略的利害を共にするとともに、相反する利害を抱えている側面もある。 中国が『一帯一路』の名の下に西進政策を掲げているのに対して、ロシアはシベリア及び自分の勢力範囲と見なす中央アジアへの、中国の浸透を警戒している」
    「友好條約は義務がないので、これを軍事上の頼みとすることは、兩國とも決してしないだろう」

    なるほど、あのプーチンがいつまでも、屬國といふ屈辱的立場に甘んずるとは考へられません。それに、トランプのロシアゲート問題は米國内では一段落したが、いつまた火を吹くかもしれない。さういふ時に、ロシアとしては、トランプ政權下のアメリカと事を構へることは藪蛇になりかねず、氣が進まないのではないでせうか。

    支那の方でも、米國民主黨に、ペロシ下院議長のごとく、(特に人權問題などで)トラ ンプ以上の對支強硬派がゐることを思へば、さう安易に動けないはずで、現にずゐぶん愼重であるやうにも見受けられます。

    中露関係は「離婚なき便宜的結婚」などと言はれるさうです。利害では、アメリカの一 極支配ではなく、多極的な世界の維持を望んでゐる点で一致する一方、お互ひに不信感を抱いてゐると言はれます。サッター教授に、今囘だけは別と言はれても、簡單には實感・納得することができません。

    本年2月、トランプ大統領は、ソ連と結んでゐたINF全廃条約(中距離核戦力全廃条約――米ソ間で結ばれた軍縮条約)の破棄をロシア側に通告。その後米は、中距離ミサイルでは世界最大数を持つ中国に、米中ロの三ケ国での話し合いを求めたが、中国とロシアは応じず、條約は8月に失效ーーなどは、論理的正統性はともかく、好手、惡手のいづれに近いのでせうか。よく分りません。

    英フィナンシャルタイムズはこんな風に言つてゐるさうです。
    「西側は、対ロ・対中制裁等によって、中ロ接近を助長してしまったのではないかと、過度に気をもむ必要はないだろう。ロシアは中国に接近しても下位のパートナーである屈辱をなめることになり、それが長続きするとは思われず、また中ロ両国の間には求心力と斥力の双方が同時に作用しているからである」
    「中ロは共同軍事演習等で、日本、米国に軍事的示威も行ってくるだらう」

    これを受けて日本の研究機關は「日本は日米同盟を強化し、軍事的圧力は適正にはねつけると同時に、『こういうことでは協力が難しくなる』とのメッセージを、中 ロ両国に別個に発することが有効でしょう。同時に発すれば、中ロを同時に敵に回した印象を与え、両者の提携をあおることになるからです」と述べてゐます。

    「日本は、対中包囲網を完成させるための、千載一遇のチャンスを逃してはならない」ーーロシアのプーチン大統領が昨年年9月、ウラジオストクで行われていた「東方経済フォーラム」の全体会合で、安倍首相に「前提条件なしの日露平和条約を年内に締結しよう」と提案した際、それを”チャンス”とする意見が日本國内にありましたね。私は、プーチンが安倍さんをからかつたのかと思ひましたが。

    その2年前だつたでせうか、安倍總理が1年間にプーチンと(6囘?)會談したのは。
    (1囘目)いい雰圍氣で話せた。今年こそは北方領土解決の年にしたい。
    (2囘目)從來とは違つた、新しい發想で話をした。プーチン大統領も眞劍な表情で聽き入り、いくつか質問してきた。
    (3囘目)前囘の當方の言ひ分につき、大統領は「斬新なアイディアだ、鋭意檢討を進めてゐる」と言つた。
    (4囘目)領土について、いい手應へがあつた。具體的な内容は言へないが、劃期的な方向に向つてゐることは間違ひない。この件は次世代に申し送るのではなく、私の代で解決する。
    (5囘目・プーチン5時間遲刻)70年動かなかつた問題が急に進み始めるはずがない。根氣よく話合ひを續けたい。
    (6囘目)話は大きく進展した。經濟協力により、相互理解の土壤を作ることで一致。 具體的な枠組みも決めた。
    ーーといつたやうなことを安倍さんは言ひましたね。つまり北方領土が最後には消えて經濟協力に替りました。

    その直後、安倍さんはテレビ局を梯子しました。言ひ譯に廻るるつもりだつたやうです。顏色が惡かつた。當然「領土はどうなりました?」と訊かれるだらうと思つてゐたのでせう。

    然るに、最初の聞き手は「ここでは言へないだらうが、領土がいつ返つてくるかは、總理とプーチンの間で既に話がついてゐるんぢやないですか」と言ひました。それを聞いた安倍さんは「それほどでもないが」と言ひつつ、會心の笑みをもらした。ホッとした表情が印象的でした。

    つまりプーチンとの交渉の成否よりも、日本國民を瞞しおほせさうなことを、重視し喜んだのです。トランプ・プーチン・習近平がどうあらうと、これでは、日本國民は浮ばれません。安倍さんがプーチンにナメられてゐるだけでなく、我等國民は安倍さんにそこまでナメられてゐるのです。

    長くなり過ぎた(上、いささか厭世感も湧いてきました)ので打ち切ります。平素の不勉強で、知識も見識もないのですから當然ですが、中西説を斷乎否定もできず、全面的に服することもできませんでした。

    最後に「習近平の国賓待遇の招聘は日本政府の真意をはかりかね」た土屋さんが、中西論文に、「そのヒント」を見出されたことに一言。

    安倍ブレーンの一員たりし中西さんは數年前、「さらば安倍晋三 もはやこれまで」 と仰せられましたが、安倍ブレーンを止めた人の言に、安倍政權の眞意を示唆するものがあつても、なんの矛盾も不思議もないですよね。それにしても、なんともありきたりのヒントですね。

    平成21(2009)年の民主黨政權下で、天皇と習近平国家副主席の会見を、當時の小澤一郎幹事長が強引に實現させたとされ、「1ヶ月ルール」が話題になつたことを思ひ出しました。今囘はこのルールに則るのでせうね。「惡夢の民主黨政權」と評した(私も全く同感です)安倍さんですから、その點のゴリ押しはないでせう。

    今の二階自民黨幹事長は3、000餘人の大集團を引き連れた訪中といふ放れ業を、私の知る限りでも2囘は敢行しました。小澤一郎さんも同じやうなことを何度かやりましたね。

    宮澤内閣の時は陛下が訪中されました(私の目には、政府から派遣されたかの如く映りました)。

    遡つて、聖徳太子と遣隋使以來の、私の知る日支の行き來を思ひ出してみました。どれが國の爲、どれが媚中・賣國と區別することはできないのでせうね。

    (附記)中西輝政さんについての私なりの觀察を、昨年1月14日の本欄に書きました。『日本の「世界史的立場」を取り戻す 』(西尾幹二・中西輝政對談)をテーマにした坦々塾での講話への感想のあとに、つけ足したのでした。

  11. 池田さん、お付き合いいただき恐れ入ります。当方から申し上げることは特にありません。申し上げる材料もありませんので、別のお話をさせていだきます。
    本日、国立能楽堂で能「白楽天」を観てまいりました。以下、岩波「新日本古典文学大系「謡曲百番」から「梗概」を引用します。
    「唐の詩人白楽天が日本の知恵を計れとの君命により、筑紫の海に到着する。美しい朝ぼらけ、小舟に乗り釣をする漁翁(ぎょおう)と若者に出会い、白楽天の旅の目的まで言い当て、「言さやぐ唐人」(うるさい外国人)よと言って、再び釣をしようとする。白楽天は船を近付けさせ、詩歌問答をしかけ、目前の景色を「青苔(せいたい)衣を帯びて巌の肩に懸かり、白雲帯に似て山の腰を囲(めぐ)る」と詩に詠む。すると漁翁も「苔衣着たる巌はさもなくて衣(きぬ)着ぬ山の帯をするかな」と和歌で応じた。喫驚する楽天に、漁翁は日本では漁夫はおろか「生きとし生けるもの」、「花に鳴く鶯、水に棲める蛙まで」和歌を詠むと答え、楽天は和国の風俗に感じ入る。やがて漁翁は舞楽を見せようと告げて消える(中入)。住吉明神の末社の神が登場、先刻の出来事を語り、歌を詠み舞を舞う。やがて山影の映る青い海の波間から住吉明神が姿を現し、荘重に海青波を舞い、わが神力の尽きぬ限り日本は服従しないと告げ、楽天に帰国を促す。ついで伊勢・石清水ほかの諸神や八代龍王も示現して舞曲を奏し、神々の起こす神風に楽天の船は唐土へ吹き帰されてしまった」。
    日本の文化的独立或いは凌駕の主張、中華秩序への不服従宣言と侵略の意図の排撃のドラマである。本曲が書かれたのは文永・弘安の役からは百年近く過ぎた室町中期と目されている。西尾氏が著書で何度も指摘されてきたように唐の滅亡を以て普遍文明としての中国文明への尊敬は終わるが、ここでは盛唐の詩人白楽天を登場させ、後代の古今集仮名序の歌論の論理を持ってきて日本文明の優越の主張が展開されている。白楽天の尊重は源氏物語、枕草子に明らかだが、「平安期日本での崇拝ぶりは他に比類なく、和漢朗詠集の詩句の数も断然他を圧していた。当時、李白も杜甫もあったものではなかった」(大岡信)わけであり、敵の神を撃ったものであることがわかる。
     「住吉の、神の力のあらむ程は、よも日本をば、従へさせ給はじ、すみやかに浦の波、立ち帰り給へ楽天」と中国の侵略意図を見抜き、
     「手風神風に、吹き戻されて唐船は、ここより漢土に帰りけり、実(げに)有がたや神と君、げに有がたや、神と君が代の、動かぬ国ぞ久しき、動かぬ国ぞ久しき」と結ばれている。
    西尾全集第19巻を読むと、ここから江戸期儒学、林羅山や山崎闇斎の垂加神道まであと一歩だということがわかる。「中華はわが日本なり」という喝破である。
    さらには、白楽天に「不思議やなその身は賤しき漁翁なるが、かく心ある詠歌を連ぬる、その身はいかなる人やらん」と言わしめて、日本の国柄への自覚、高い民度の風土への矜持をもふくんでいる。
    その後、わが国は西欧近代を新たな機軸と仰ぎ、自らを空しくして学び菅原道真にも匹敵する漱石や鷗外のような高峰を生むわけだが、今やすでに西欧はわれわれのモデルたり得ず、自己を映す鏡を失った日本は「自分の位置測定をして世界像を確かめていく」(全集第19巻)すべを見失った。まして「機軸とする相手が今やアメリカだけだというのは、どう考えても危険きわまりない」(同前)。白楽天同様に、シェイクスピアを、ゲーテを、さらにはボードレールを撃つ精神が必要である。それはたとえば、「国民の歴史」がキリスト教の処女懐胎やイエスの復活をその核心にふくむキリスト教は、日本神話以上に神話的だとする精神である。ガリレイやデカルトが切り拓いた自然科学は、人間的要素を捨象した以上、新たな神話だとする視点である。中国古代も西洋近代もひとまとめにして、日本文明に対峙するものとなし、日本を独立の文明と主張したのが国民の歴史である。中国中心の東洋史からも、西洋中心の世界史からも日本史を救い出し、フェリペ二世と対決した秀吉や、上記の芸術・学問上の英雄の精神の系譜に繋がる書物なのである。

    1. 土屋 樣

      謠曲「白樂天」ですか。
      私は若い頃、2年間謠曲を習ひ、本を50~60册ほど持つてゐましたが、ほとんどが師匠からいただいたものだつたので、中に「白樂天」があつたか覺えてゐません。

      我等日本人は古代以來支那を、近代になつて西洋を意識しつつ、彼等と交流はしたけれども、決して彼等と同質ではない。我等には固有の文化・文明があることを自らに言ひ聞かせ、また實際に獨自の存在たるべく努力をしてきましたね。いぢらしく、涙ぐましいことであります。

      安倍政權の外交はそんなレヴェルのものではありませんね。

      今日の産經の「主張」(2面)には、「どうして席に着いたのか」と題して、次のやう に書かれてゐます。
      「安倍晋三首相が5日、ロシア極東ウラジオストクで、プーチン露大統領と27回目の会談を行ったが、北方領土返還につながる進展はなかった」
      「プーチン大統領は会談に先立ち、日本と安倍首相を虚仮(こけ)にする行動をとった。5日未明、北方領土・色丹島での水産加工工場稼働を祝う式典に、中継映像で参加したのである」
      「先端技術を導入した大規模な水産加工工場だ。日本に配慮せず、北方四島開発を進めていく姿勢を示した」
      「安倍首相はプーチン大統領と親しいというが、会談を重ねた結果がこの仕打ちである。島を返さず、日本から経済的実利だけ引き出そうとすプーチン政権の正体を認識しなければならない。安倍首相は首脳会談など開かず、さっさと帰国した方がよかった」
      「今回の会談で両首脳は、未来志向で平和条約締結作業を進める方針で一致した。共同経済活動として観光ツアーの試行事業を10月に実施すると確認した」
      「観光ツアーというが、ロシアが不法占拠する日本の島に日本人が観光に行くとすれば、悪い冗談だ」

      兩者が「親しい」仲なのは當然でせう。プーチンとして、これほどの相手と「親し」くせずして、他の誰と親しくできませうか。トランプや習近平に限らず(モナコやルクセンブルク大公国の宰相に對してでさへ)、これだけの仕打ちをし、虚假にしたら、どんな仕返しをされるか・・・。にこにこするだけ濟ませてくれるのは、日本國の安倍總理だけでせう。

      因みに、安倍・プーチン會談の通算27囘目はもちろん壓倒的世界記録。20囘を越えた頃、「これほどのことができるのは、世界で安倍さんだけ」と稱讚した御仁がゐました。たしかに、そのとほりでせう。

      「外交の安倍」「安倍の外交」とかの神話はどうして生れたのでせうか。外交評論家を名乘る加瀬英明さんも、「これが安倍外交!」とか、何度かおつしやいました。まさか、相手の外國からすればといふ前提があるのではないでせうね。

      その安倍さんが、世間で、保守とか右翼とか言はれる(諸外國からも)のは、世間が完全に狂つてゐるのでせうね。ここまで來ては、西尾先生が「こんな國は地獄に墮ちるだらう」と仰せになるのも當然といふ氣がします(關係ありませんか?)。もつとも、かく 申す自稱右翼の私自身が、嘗て安倍さんを救世主のごとく仰いだこともあつたのですから、人さまのことを嗤へませんが。

      今日の産經はよほど腹に据ゑかねたのか、「主張」の他に、1面のメイン報道、3面と22面の關聯記事にもずゐぶんなスペースを割いて、大きな字で「首相、成果アピール」といふ中見出しを掲げてゐます(ウソつけ、もう瞞されないぞといふ、産經の意思表示ではないでせうね)。

      すつかり安倍廣報紙と化してゐたここ數年の同紙にしては珍しいことです。といつて、以前のやうに正常な紙面を今後ずつと期待するのは早過ぎでせうね。

      土屋さん、如何でせう。「習近平の国賓待遇の招聘」の可否は私には判斷
      しかねますが、中西さんの「ヒント」とは、可たる可能性もなきにしもあらずとといふことでせうか。

      今日の産經の報道のやうなことを土屋さんはどうお考へですか。また、中西さんなら(安倍ブレーンであつてもなくても)、何と評するとお考へですか。
      トランプの政策がいかにあらうと、日本政府の資質や反應も大事かと思ひ、お訊ねする次第です。 お差支へなければ、御意見をお聞かせ下さい。

  12. 土屋 樣

    謠曲「白樂天」ですか。
    私は若い頃、2年間謠曲を習ひ、本を50~60册ほど持つてゐましたが、ほとんどが師匠からいただいたものだつたので、中に「白樂天」があつたか覺えてゐません。

    我等日本人は古代以來支那を、近代になつて西洋を意識しつつ、彼等と交流はしたけれども、決して彼等と同質ではない。我等には固有の文化・文明があることを自らに言ひ聞かせ、また實際に獨自の存在たるべく努力をしてきましたね。いぢらしく、涙ぐましいことであります。

    安倍政權の外交はそんなレヴェルのものではありませんね。

    今日の産經の「主張」(2面)には、「どうして席に着いたのか」と題して、次のやう に書かれてゐます。
    「安倍晋三首相が5日、ロシア極東ウラジオストクで、プーチン露大統領と27回目の会談を行ったが、北方領土返還につながる進展はなかった」
    「プーチン大統領は会談に先立ち、日本と安倍首相を虚仮(こけ)にする行動をとった。5日未明、北方領土・色丹島での水産加工工場稼働を祝う式典に、中継映像で参加したのである」
    「先端技術を導入した大規模な水産加工工場だ。日本に配慮せず、北方四島開発を進めていく姿勢を示した」
    「安倍首相はプーチン大統領と親しいというが、会談を重ねた結果がこの仕打ちである。島を返さず、日本から経済的実利だけ引き出そうとすプーチン政権の正体を認識しなければならない。安倍首相は首脳会談など開かず、さっさと帰国した方がよかった」
    「今回の会談で両首脳は、未来志向で平和条約締結作業を進める方針で一致した。共同経済活動として観光ツアーの試行事業を10月に実施すると確認した」
    「観光ツアーというが、ロシアが不法占拠する日本の島に日本人が観光に行くとすれば、悪い冗談だ」

    兩者が「親しい」仲なのは當然でせう。プーチンとして、これほどの相手と「親し」くせずして、他の誰と親しくできませうか。トランプや習近平に限らず(モナコやルクセンブルク大公国の宰相に對してでさへ)、これだけの仕打ちをし、虚假にしたら、どんな仕返しをされるか・・・。にこにこするだけ濟ませてくれるのは、日本國の安倍總理だけでせう。

    因みに、安倍・プーチン會談の通算27囘目はもちろん壓倒的世界記録。20囘を越えた頃、「これほどのことができるのは、世界で安倍さんだけ」と稱讚した御仁がゐました。たしかに、そのとほりでせう。

    「外交の安倍」「安倍の外交」とかの神話はどうして生れたのでせうか。外交評論家を名乘る加瀬英明さんも、「これが安倍外交!」とか、何度かおつしやいました。まさか、相手の外國からすればといふ前提があるのではないでせうね。

    その安倍さんが、世間で、保守とか右翼とか言はれる(諸外國からも)のは、世間が完全に狂つてゐるのでせうね。ここまで來ては、西尾先生が「こんな國は地獄に墮ちるだらう」と仰せになるのも當然といふ氣がします(關係ありませんか?)。もつとも、かく 申す自稱右翼の私自身が、嘗て安倍さんを救世主のごとく仰いだこともあつたのですから、人さまのことを嗤へませんが。

    今日の産經はよほど腹に据ゑかねたのか、「主張」の他に、1面のメイン報道、3面と22面の關聯記事にもずゐぶんなスペースを割いて、大きな字で「首相、成果アピール」といふ中見出しを掲げてゐます(ウソつけ、もう瞞されないぞといふ、産經の意思表示ではないでせうね)。

    すつかり安倍廣報紙と化してゐたここ數年の同紙にしては珍しいことです。といつて、以前のやうに正常な紙面を今後ずつと期待するのは早過ぎでせうね。

    土屋さん、如何でせう。「習近平の国賓待遇の招聘」の可否は私には判斷
    しかねますが、中西さんの「ヒント」とは、可たる可能性もなきにしもあらずとといふことでせうか。

    今日の産經の報道のやうなことを土屋さんはどうお考へですか。また、中西さんなら(安倍ブレーンであつてもなくても)、何と評するとお考へですか。
    トランプの政策がいかにあらうと、日本政府の資質や反應も大事かと思ひ、お訊ねする次第です。 お差支へなければ、御意見をお聞かせ下さい。

  13. 管理人 長谷川 樣

    同じものが二度這入つてしまひました。
    お手數恐縮ですが、どちらかをお消しいただければさいはひです。

  14. 池田様
    著名人のブログは不特定多数の方が訪れるパブリックな性格を帯びたものだと存じます。投稿をセレクトして掲載するサイトでない限り読者投稿欄に関しては玉石混淆を前提としているでしょうが、投稿子同士が意見を交わしたり質疑応答をし始めるとプライベートな場と化しがちであり、慎んだ方がよいかと愚考しております。事実、今回のご質問に対し、当方もとより開陳すべき卓見もなく、参考にもならぬ凡庸なことしか言えません。今後、ご賢察いただければ幸いです。
    1.尖閣諸島で既成事実を積み上げられる中で、習近平を国賓待遇で招聘する日本政府の意図は依然として当方には測りかねます。中西氏の所説を見て、日本外交の基礎にある心理はこれかと思い、「そこに『抑止』という営みに付いて回る本質的なジレンマがある」とすれば厄介なことだと感じた次第です。そこまでで、価値判断は留保しています。いまさらそんなレベルの認識かというつまらない話です。
    2.首脳会談の内容は明らかではありませんが、会談前後の周辺情報を見る限り、産経の報道に賛成です。一言で言えばこれでもかという屈辱的なものと思います。中露両軍が会談前日に軍事協定を結んだと報道されていることは中西説を裏づけるものです。
    3.中西氏は同意されると思いますが、推測に過ぎません。

  15. 全集第19巻を読む
    西尾幹二全集第19巻を手に取って何とか読み上げるまで一ヶ月近く、ほとんど悶々としていた。神話と歴史、信仰と科学をめぐる解けない秘儀に悩まされていたからだ。頭を整理するために、西尾氏の本文をたどってみたい。長い引用文からなる投稿は迷惑と感じるかたが多いだろう。無視していただければ幸いである。

    当方と同じく神話と歴史をめぐる秘儀に頭を悩ませている方が数名程度はおられるだろうと仮定し、その糸口を見つける作業を行わせていただきたい。そのためにはできるだけ原文の息遣いをそのまま持ち込んで構成すべきであろう。全文が長大になったので、5つのパートに分けて掲載させていただく。

    <その1>
    まず、「序にかえて 『かのようにの哲学』が示す知恵」「Ⅰ 歴史と哲学」「Ⅱ 神話と歴史」から、原文を用いた当方なりの要約である。抽出した各センテンスをつなげるために、本文、主に語尾、に若干の変更を施したことをお許しいただきたい。

    神話は歴史ではない。しかしあたかも歴史であるかのように信じて生きる実用(プラグマ)主義(ティズム)を、鷗外は小説「かのように」で提示する。「神話と歴史をはっきり考へ分けると同時に、先祖その外の神霊の存在は疑問になって来るのである。そうなったら前途には恐ろしい危険が横たはってゐはすまいか」と恐れるからである。日本の神々の存在は歴史事実かどうかの問題ではなく、われわれの信仰の問題、歴史であるかのように信じて生きる信仰の問題なのである。信仰であるからには、懐疑もまた必然である。懐疑を深めると信仰も深まる。皇室をめぐる日本の歴史は長い懐疑の歴史であり、同時にその灯の決して消えない歴史でもある。
    キリスト教も処女受胎やイエスの復活という「神話」を信仰の核心に抱えている。カントは信仰には信仰の道を歩ませ、科学には科学の探究をおこなわせるという、人間理性の二機能を分離し、難問をあえて不可知として未解決のままにした。この封印がそれぞれの独立性を担保し西洋文明の進展を促した。
    ガリレオやデカルトは、自然を人間の外にある観察と数学的探求の対象とし、ばらばらに解体して方程式に置き換えた。色、音、匂い、味、手触りなどの感覚的性質は人間の精神の中だけにあるものとされ、自然は人間と切り離された死の世界と化した。区分けされ、数値化されて、その死物世界が「客観世界」として有無をいわせぬ勢いで人間の前に突き戻される。さらに自然の概念のうちには人間も取り込まれ、その身体も、生命も、そして心の動きまでをも客体化され分析の対象となった。気がつけば「真理」は宗教や哲学の語るところではなくなり、自然科学の独占するところとなった。しかし、科学が最初に感覚的要素をそぎ落としたことは、その探究を数値的に行うための独善であって、既にして自然の本然の姿とは別した仮説によって成り立っているのである。自然科学によって世界を見る意識を変えさせられたわれわれは、古代や中世の人々からみれば、人工的仮説の上に成立した科学によって汚染されていると言えるであろう。自然科学は現代を生きているわれわれの原罪であり、それ自体が新たな神話なのである。
    日本の古代や中世の人々にとって、人間は自然の一部として自然との連続体として生きており、自然は人間の外に対象化されない未分離の世界としてあった。山川草木すべてが生きており、人間は生きている天地(あめつち)の一部であった。自然は活きていて人間と交感し、人はこの自然から生まれ出てまたそこへ立ち還るのだと考えられていた。歴史もまた四時を循環する自然に似て、同じ過ち、同じ迷い、同じ美しさの永遠の繰り返しと考えられ、またそれゆえに、一切の人事の脆(もろ)さと儚(はかな)さについて、純粋な、深い意識を育んでいたと言えるであろう。
    神話につながるということは、自然万物につながるという意味である。日本の天皇の場合が唯一つそうで、世界の他の王権に類例を見ない。日本人は自然に開かれ、全自然の中にわれわれとつながる生きた命を見、そこにカミが宿る世界を見る。天皇がカミだというのはわずかにそういう意味である。
    われわれはどんなに困難でも古代人のように感じ、考える努力をしなければ、古代史に立ち向かう意味がないだろう。あらん限りの想像力を駆使し、どこまでも科学とは逆の方向で真理に近づかなければならない。たとえば信仰心とどこまでも一枚岩のようにみえる古代人の法に対する意識を、神を感じなくなってしまった現代人の知性でもって解釈してもなにも明らかにならない。古代人の法意識の謎が解けなければ、信仰の中心点としての天皇の信仰の意味も役割も明らかにならないであろう。
    歴史と自然がいわば未分離で、人間が自然の一部として一体化していた時代の宇宙内の感覚をいかにして予感するかに、われわれが生命感覚と歴史をわが身に取り返すための一切がかかっている。

    ここで、西尾所説への補助線として古事記学者西郷信綱を引用する。
    「原始や古代という特定の時代が終わったからといって、(中略)原始的思考や神話的思考までが跡形もなく人間精神の歴史から消え去るわけではない。子供的なものが大人のなかに生きるように、人間精神にとっても過去は現在の深みまたは余白に保存され、さまざまな姿と化して明滅しつづけているわけで、私たちが過去の文化を、たんに論理的に宙でつかむのではなく、自己の経験的回路を通して理解できるのも、このためであると思う。
    ここに詩人の次のような言葉がある。『詩は裸身にて理解の至り得ぬ境を探る。これ決死のわざなり』(宮沢賢治)。おそらく『理論』のとどかぬ境、逆にいえば対象化以前の、存在の根ともいうべきもの、さらに詩人の言をかりれば『名辞以前の世界』(中原中也)に踏み込み、それを汲みとろうとするのは、あらゆる芸術家の心底にひそむ志であり、そこに神話的なものとの秘密の紐帯が生きていることは確実である」(「古事記の世界」)。
    「『理論』のとどかぬ境」は「『科学』のとどかぬ境」と言い換えてよいであろう。「芸術家」ならぬ身、また諸学に通じた古代史学者ならぬ身でも、記紀本文に当たり可能な限り思いを巡らしてみるほかはなかろう。

  16. <その2>
    ここでどうしても「国民の歴史」をひもとく必要がある。
    「そこであえて言うが、広い意味で考えればすべての歴史は神話なのである。
    『過去におけるいっさいの出来事は象徴である』というゲーテの言葉をまつまでもない。また、『いっさいの事象から歴史として残るものは、つねに、結局のところ伝説である』というエルンスト・ベルトラムの、歴史と神話の秘儀をめぐる有名なテーゼが示すとおり、われわれは歴史の純粋事実そのものを完璧に、客観的に把握することはできない存在である。過去について知り得るのは、過去に起こったことの象徴であり、比喩であるにとどまる。歴史はなにか過去の復元とは決して同義ではない。歴史は現代に生きるわれわれの側の新しい構成物である」。
    「繰り返すが、すべての歴史は広い意味での神話なのである。ことに古代において歴史と神話のあいだに明確な境界は立てられない。したがって『漢書』や『魏志倭人伝』もまた、他面では神話の一種であると言っておかねばならぬ。
    唯一無二の文字記録は、解釈の可能性を限定している点で、史料価値をいちじるしく損ねているのである。われわれはこれもまた広い意味での歴史解釈の材料の一つとして、すくなくとも神話と等価に扱われるべき性格のものであるということをまずここで強く言っておかなくてはならないと考えるのである」。
    「神話の本質を明らかにしようとする場合にわれわれがはっきり認識しておかなければならない前提は、神話の内容の今から見ての非常な不合理性、不条理性は、けっしてそのような話を生み出した人々が合理的に思考する能力を欠いていたことを意味するものではないということだ。そもそも人間がそのなかで合理的な思考を行わなかった文化などというものは、人間が地球上に発生して以来ひとつとしてない。
    かのヒトラー時代のドイツ人ですら、彼の演説を聴いて信じたのはその熱狂ではなく、時局に向けてのそのつど彼が発し訴えかけてきた『道理』なのであった。(中略)どんな時代にも人間は合理的思考に頼り、それによって解決できる問題はすべて合理的に解釈しながら生きてきた。神話は一つにはその形象化である。しかし神話の核心はさらにその先にある。どうしても合理的に解決することのできない問題が人間には残る。自分はどこから来て、どこに行くのか?この実存的問いに合理的答えを与えることは誰もできない。そして、誰にも与えることのできないこの答えになんらかの決着をつけているのが『神話』の根源にあるものなのである」。
    「神話の示す、一見荒唐無稽な非合理な形象や物語は、それを記述した人々にとってどこまでも自分の今生きている世界からはすでに遠い、もはやすでにわからなくなりかけている異世界の、かつてそのようなものとして過去にあったと信じられた伝承を端的に文書化する行為だったという意味において、これはどこまでも歴史記述の一結果なのである。
    『古事記』の序(中略)を見ても、『日本書紀』において、神代の記録に限って。『一書曰(ひとまきにいわく)』と幾つもの註記を並列して、さまざまな異説をできるだけ多く紹介しようとしているのをみても、神話的思考が自分の眼前から遠ざかりつつある時代の人の危機意識に発して、あえて文書化を志しているのだということがいえるように思える。
    口承されていた神話の記述化は、すでに神話的思考の克服の一里塚である」。
     
    「現在とどうかかわるかは定かではないが、かつて神々の世界としてそのような過去があると信じられていた、今の自分からみればすでに完全に異世界となった、遠い了解不可能な世界をはるかに遠望するような意識において、ひとつの区切られた世界を知られているままに記述していく、そういう無私の叙述にみえてくる。おそらく叙述者は現代のわれわれと同じように神々の物語の非合理に気がついていたであろう。しかし合理的に説明しようなどという気はさらさらない。論証など思いも寄らない。いずれにせよ神々の世界はそのようなものとしてあったのだから、そのようなものとして了解するよりほかに仕方がない、という説明の放棄が最初にある。
     それは信仰のようなものとは少し違う。過去を語ることは小ざかしい現在の意識をいっさい捨てることだ、と言っているようにみえる。物語の矛盾や辻褄の合わない点に気がついていないのではない。異世界はどこまでも異世界なので、解釈などはしないと言っているだけである。解釈を後世に委ねている。正確な叙述だけを心がければよい。神話が優れて歴史叙述の問題である所以である」。
     
    「つい昨日のことであった先の大戦のあらゆる現象が、もう今のわれわれ日本人には了解不可能な世界になってしまっている。神風特攻隊の行動、を合理的に説明することなどもう誰にもできない。『古事記』の記述者が物語の不合理に気がつきながら、なんの価値解釈も加えず、神々の世界はそのようなものとしてあったのだからそのように了解するよりほか仕方がない、と定めたことと、いったいどう違うというのであろう」。

    「文字は言語に及ばないが、その言語は行為に及ばないのだ。イエスも仏陀もソクラテスも行為者にほかならない。一冊の本を書いたわけでもない。遺された言語文字は弟子たちの聞き伝えにすぎない。伝説にすぎない。文字はいずれにせよ古人の行為を正確に写してはいない。それは記号であり、どこまでも符牒にとどまる。
     一民族の行為にしても同じことが言えるであろう。文字にははっきり記録されていない記憶があり、文字の記録利用に先立つ見えない体験があるはずなのだ。後に神話とか伝承とか呼ばれ、まとめられたものがそれであるが、そこをやり過ごしてしまっては一民族の歴史は見えてこない」。

     「『ケルト神話の世界』には、『口承だけで伝えられてきたあらゆる歴史的な物語においては、どこまでが神話の部分でどこからが史実であるかを見分けるのは不可能である。そんなことを探ってみても意味のないことだ』と述べられている。
     われわれはどんなに困難でも古代人のように感じ、考える努力をしなければ、古代史に立ち向かう意味がないだろう。
    神話を知ることは対象認識ではない。どこまでも科学とは逆の認識の仕方であらねばならぬ。
    認識とは、この場合、自分が神の世界と一体になる絶え間ない研鑽にほぼ近い」。

    神話と歴史の秘儀の謎は解けただろうか。小林秀雄流に言えば、進むにつれて謎は生き生きと深まったように思える。

  17. <その3>
    全集第19巻「後記」で、西尾氏は「貴方はもしも日本史を書くとしたらどこから書き始めますか、神武東征ですか、それとも縄文土器ですか」という問いを三回繰り返している。現代の常識的判断は、自然科学の成果に基づいて一万年以上前に氷河期が終わり人が列島に住み始めた頃とするだろう。そして考古学上の発見が相次ぐ縄文弥生時代の重要性をことさら強調する風潮が支配的である。一方、王権の始まりを描く古事記・日本書紀は、天孫降臨や神武東征の叙述において「神代」と「人代」とを直結させ、神話と歴史の区別を完全に無視している。戦後、人は見掛け上のそのばかばかしさに耐えられないと言って、これを科学の名において葬り去った。しかし、革命国家でない限り、すべての民族の歴史は王権の開始とともに始まる。皇室の原点の歴史がいっさい抹殺されて日本の歴史が書けるはずはない。それが証拠に、縄文弥生の後には、慌てて追いかけるようにして突然聖徳太子が語られたり、いきなり天武持統朝が強調されたりして、全体はもやに包まれたように曖昧模糊とした叙述に終わっているではないか。
    「国民の歴史」は、周知のとおり「1.一文明圏としての日本列島」「3.世界最古の縄文土器文明」「4.稲作文化を担ったのは弥生人ではない」と続き、その後に我が皇室の始原の歴史を強調した「6.神話と歴史」「7.王権の根拠―日本の天皇と中国の皇帝」が擬せられる。氏の意図は何であったか。
    「私の試みが成功したかどうかは別として、このような両論併記により、縄文弥生と天孫降臨神話、土器や埴輪の出土と天照大御神の物語という今は相反しているかのように見える二つの古代像を、分り易く結びつける説き方を実験モデルとして提出した。今後開発され、改良を加え、教科書等に広く採用される必要があるように思った。さもないと日本の皇室の未来は危ういことになりかねない」(p860-861)。
    「皇室の神話性のみが日本に残された唯一の信仰の国民的形態でさえある。これは最近の話ではなく、昔からそうなのである」(p861)。
    「国民の異常なまでの皇族への関心の高さは、ご尊貴の血の流れのか細い継続を何とかして守りたいという願いが日増しに高まっていることに関係しているので、皇族の側もそれを承知でお振舞いいただかなければならないことになる」(同前)。
    「日本神話の中の神話の精神は、日本とは何か?という問いも含めて、縄文時代の考古学的研究によって、少しずつ類推を深めるようになって今日に至っているのである」(p861-862)。
    「日本の歴史は再三述べてきた通り始まりがはっきり見えない。王権の根拠に蔽いを掛けた敗戦後はさらに見えない。しかし有史以来を仔細に見ると、古代豪族の存在といい、墳墓の形態の謎といい、文字誕生のいきさつといい、仏教彫刻に現われた美意識といい、見えない歴史の実体を先史時代に想定しないと説明できない面が多い。
    歴史は歴史だけから見ても見えない。文字に頼り過ぎる文献史学は宝物を見落としている可能性がある」(p864)。
    氏は古代史の真実に迫る上で科学の役割を否定しているわけでは決してない。自分中心に世界像を再編成しない主体性を喪失した科学主義と文献主義とを等しく否定しているのである。
    私に印象深かったのは、西尾氏が「(上記「国民の歴史」1章から7章において)縄文弥生の土器文明と皇室の起源である日本神話を両立させる位置づけをとりあえず実験的に試みてみたのである。残念なのは物語としての神話の内容に踏み込めなかったことである」(p860)と書いている部分である。謙遜と矜持をもって語られる果敢な「実験」が、赫々たる成果を収めたことは言うまでもないが、「神話の内容」がどう書かれ得たか関心をそそられるのは私だけではないだろう。

  18. <その4>
    全集第19巻で、西尾氏がとりわけ強調しているのは次のことである。
     「日本社会は、古代初期と明治初期と二度にわたって転換を図ったのに、今三番目の転換期が来ている。漢字漢語を機軸にする思考も、欧米語を機軸にする思考も、二つがともに無効になっている。私が『国民の歴史』で意図的に書きたかったことは、このことです。その点を警鐘乱打するためです」(p155)。
     「われわれは、いつまでもモデルが必要な国なのか。それとも自分たちで発信する国なのか。自分で発信するなら、われわれは自分の歴史の形をもう一回確認するべきだという意図で『国民の歴史』を書いたつもりです。
     私はその一方で、あらためて古代中国主義者であり、近代ヨーロッパ主義者でもありたいと思います。(中略)二つの文明を見すえて、もう一回自分たちの過去を振り返る。そこから日本本来のものを掘り起こすということがあってもいいのではないかと考えています」(p157)。
     自らを探り当てるために古代中国や近代西欧という普遍文明を学ぶという回路を経てきた日本文明は、現在すでに全力で学ぶべき活きた範型をどこにも求め得ない。アメリカがそうだとする軽薄な風潮は何も生み出してはいない。古代に遡って自己本位の世界像を描き、かつかつて日本の範型であった普遍文明の名に値する古代中国、中世・近世ヨーロッパに新しい今日の目で挑戦することがわれわれの文明を蘇生させる新しい課題になっていると氏は訴えるのである。
     しかしわれわれ現代の若い世代にその生命力があるかどうかが心配である。奈良・平安期の日本、幕末・明治の日本、戦後の日本に比すべきエネルギーが国民精神に蔵されているとは思えないからだ。うろ覚えだが、中西輝政氏の「大英帝国衰亡史」に、英国の宰相が、今日はアリストテレスを(原文で)30ページしか読めなかった、こんなことではならないと日記に書いているという一節があった。絶頂期の国民の生命力・向上心というのはそういう凄まじいものだと中西氏が解説していたはずだ。漱石も確か湯島聖堂で荻生徂徠を書き写す少年であった。幕末・明治初期はそういう「恐るべき子供たち」が簇(そう)出(しゅつ)した時代である。現代日本にも危機的時代が早晩来て、生命力の勃興が起きるかも知れないと見るべきかも知れない。
     
    そして、第19巻は「Ⅲ 憲法について」「Ⅳ ご皇室の困難と苦悩」と続く。端倪すべからざる指摘が随所にある。聖徳太子の十七条憲法には古代中国文明の、明治憲法には西欧近代文明の挑戦があり、国家建設の情熱に滾(たぎ)り立つ日本が、自分を映すべき鏡として両文明をモデルとしながら自らの国柄に基づく独自の憲法を作り上げものだ。しかしながら、われわれにはモデルがない。鏡がないところで、自分の歴史の中から自分の姿を紡ぎ出すことはものすごく下手で、古代日本も明治日本も経験しなかった未曾有の困難である。明治以来、自分を中心にした世界史が書かれたことはない。自分の独自性を映すべき鏡、対立する巨大文明を失ったわれわれはどうやって自画像を描くのか。そういう状態では日本は独自のものを編み出すことはできないという見解が述べられている。こういうことは誰にも言えない。当面、第九条二項の削除と第九十六条憲法改正手続きの簡略化のみに集中することを説く所以でもある。
     「問題は何か変則的な事態が起こったとき、関心をかき立てられ、これは大変だということで、『利口な無関心』でお上品に取り澄ましているわけにはいかなくなるという心の内側からの情熱の沸騰が大切なのです。
     心を取り乱すということがときになくて、何で信じるということが成り立つでしょう。今目の前に起こっている問題に心を痛めない人に、あなたの信仰は偽物ではないかと申し上げたい」。
     当方の以前の投稿を再録させていただく。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が女系天皇容認論を打ち出し、危機が現実のものとなろうとしている時のことだ。
     「私は思い出す。女系天皇容認を打ち出した有識者会議が開催されていた平成十七年か十八年初めではなかったかと思う。日比谷公会堂での集会の後、女系天皇反対の示威行進が日比谷から日本橋まで行われた。氷雨が靴の中まで浸した行進を終えた時、西尾幹二氏が乗用車の中から「皆さん、ありがとう」と慰労の声をお掛けくださったことを。「ああ、西尾先生は最後までおつきあいくださったのだ」というのが私の気持ちであった。当時出版されていたのが「狂気の首相で日本は大丈夫か」であったはずだ」。
    デモ行進に参加したのは私にとって初めてのことだが、もしかしたら西尾氏にとってもそうではなかったろうか。「心を取り乱」してやむにやまれず集会に参加し、五里霧中の中行進したのであった。
     「国民は絶望からの権力への意思集中の必要を一度も経験しないで半世紀をうかうかと過ごした。
     しかも、力は自分で築かねばならないのに、米国が与えてくれたので、今その米国が外交と軍事のお手伝いはもうやめますよ、とサインを送ってきているのに、日本はボーッとして呆然と立ちつくすのみである。本当に驚くべき『沈黙』である」。(p355)
     ホルムズ海峡の自国の船を守るのかどうか依然としてはっきりせず「立ちつくすのみ」の日本政府。
     「平和が続くのは結構なことだと人は言いますが、では正義はどこに行くのか。核保有国がいかなる不正を働いても、核を持たない国は屈服するほかない。これが例の戦後七十年の安倍総理大臣談話にある(パリ)『不戦条約』がもたらした『戦争自体を違法化する新たな国際社会の潮流』の行き着いた姿なのです」。(p500)
     北朝鮮がミサイル発射を重ねても、「日本に直接的な脅威となるものではありません」として国民に危機の実在を伝えず糊塗し、また発射を問題視しないトランプ政権に文句を言うわけでもない日本政府。所謂ダチョウの平和そのものであり、SLBMを含む配備が進み、遠からず実際に「屈服」がやってこない保証はあるまい。
      「Ⅳ ご皇室の困難と苦悩 2「皇太子さまへの御忠言」第二章中の一篇「皇后陛下の役割の大きさ」と「同 4皇后陛下讃」は、同年代の西尾氏による上皇后陛下へのこの上なく美しいオマージュである。上皇后陛下のお目にとまらんことを。引用を控え、読者に直接、音楽のようなその全文をお読みいただくのが至当であろう。
     Ⅳは「悠仁さまの帝王教育を」で終わっている。これは本年6月号の「正論」に掲載された最新の一篇である。
    「新しい天皇、皇后両陛下に是非ともお願いしたいのは悠仁親王殿下のご成人までも間近な帝王教育の向上である。現在のあらゆる思想上の迷いや誘惑から殿下を防衛する特段の教育にお取りくみいただきたいのである。加えて、安定した皇統の維持のために、旧宮家の皇室復帰、ないしは空席の宮家への養子縁組を進める政策をご推進いただきたい」(p525-526)。

    今年8月15日に半藤一利氏が悠仁様に2時間半のご進講「太平洋戦争はなぜ起こったのか」を行ったと報じられている。その経緯は問うまい。然るべき筋にお願い申し上げる。民族の歴史を独りの「歴史家」の見方に委ねるべきではない。加えて、先の大戦の資料はまだこれから多くのものが発見され発表されるはずである。歴史的位置づけには大きな転換があり得ると考えるべきである。そして、歴史とは何か、そして神話と歴史の秘儀のご進講がどうしても必要であろう。碩学かつ大批評家・歴史家である西尾幹二氏に少なくとも同等あるいはそれ以上の要請をお出しいただきたい。

  19. <その5>
      「Ⅴ 日本人は何に躓いていたのか」のハイライトは「第七章 経済-お手本を外国に求めない」にある。どうして日本経済は長期低迷に陥ったのか、その根源的な理由を十全に解き明かしたものである。これは中央官庁の合同初任研修のテキストとすべきものであると思う。
    アメリカが日本の「構造」を問題にして解体を謀ってきた際に、日本はなぜ意を迎えて応じたのか。部分部分がおかしいと言われてこれを変えていけば全体が機能不全に陥ることは当然である。日本解体の意図を見抜きこれに立ち向かう意志のない「救いがたい自我の弱さ」の然らしむるところである。自分で自国防衛をしない日本は事ある毎に足下を見られ簒奪され続ける。自分で自分を守る意志のないところ経済も立ち行かなくなる。ホルムズ海峡航行船舶の防衛は対米発言権回復の好機のはずである。
     宮澤喜一が退任後、田原総一朗のインタビューでこう答えている。
     「田原:1980年代になると、21世紀は日本の時代だといわれました。ところが90年代に入ってバブルが弾けた。そのときの総理大臣が宮澤さんだったわけです。バブルが弾けて不況になって以後、ずっと10年以上不況が続いているわけです。これは宮澤さん、どう見ていらっしゃいますか。
    宮澤:正直なところ、私もよく考えてみてもわからない。どうしてこうなったかということもわかっていないし、どうしたらこの局面を打開できるかということも、正直をいってまだわかりません」( 田原総一朗はこう語った(6)──田原総一朗流 再チャレンジ人生《追悼・宮澤喜一氏》宮澤元首相の最終講義 in 早稲田大学(2) »)。
     正直な発言であろうが、一国の宰相の発言としては平沼騏一郎の「欧州情勢は複雑怪奇」以来の視野そのものの喪失症状である。戦前、ワシントン会議以降、日本はアメリカに追い詰められても相手の悪意が見抜けず苦慮し続けたのと同じではなかろうか。相手の悪意を見抜けず、闘う意志を欠いていることに問題の根幹がある。以下、日米構造協議への西尾氏の言葉である。
    「構造というのは、前にもいった通り全体でひとつであって、部分だけ変えるわけにもいかず、しかもそれぞれの民族にとって互いに等価であって、これに手を加えることはできないものです」(p702)。
    「日本は独自に閉ざしているという強迫観念にとらわれてしまうのです。これこそすべての災いの原因なのです。
    これこそ、経済においても日本は国家意識を持てない、あるいは自己の独自性に対する真の自信を持てないでいる愚かさ、自我の弱さです。私はそこに、日本人が躓いてきた最大の原因があると思っています」(p705)。
    「日本側が、いや、俺たちの大事な財産だからこれは守るよと、何で胸を張って堂々といえなかったのか」(p706)。
    「なぜそれ(日本の企業間、企業系列間の競争の実情・・・引用者注)を見て、胸を張って我々のほうが正当な自由競争をしているといえないのか」。(同前)
    「公平が安心を与え、結合が国力を産む明治以来の国民的努力をあっさり否定してよいものでしょうか」(p709)。
    「私がいいたかったのは経済で敗戦を克服したはずの日本が経済で再敗北したことです。「菊と刀」代わりが今ウォルフレンの『日本異質論』です」。(同前)
    「たとえ良いことであっても、あるいは、良いことだからこそ、外国からいわれたことは一度はきっぱり拒絶せよ、とどうして多くの日本人はいわなかったのでしょう。
     自己本位ということが人間が生きていく生命力の鉄則です。それこそが今の日本が抱えている問題の最大の鍵ではないかと思うのであります」(p711)。

    江藤淳は1989年に、橋本内閣の行革をアメリカのための行革と断じ、日本を再び連合国の空間と化す第二の敗戦、第二の占領であるとした。西尾氏の「日本人は何に躓いていたのか」が2004年、「狂気の首相で日本は大丈夫か」が2005年、「皇太子さまへの御忠言」が2008年、これらの著作は時代に明確に違和を唱えた知性と勇気の書である。日本の歴史から湧き起こる声である。

    追補として三篇が収められていてどれも印象ぶかいが、とりわけ「追補1」平田文昭氏との対談「保守の怒り」(抄)の凜然たる論調に改めて驚いた。原本発売時一読したが、強い読後感のみ残り、内容は全く忘れていた。核心を素手でつかみ出す恐るべき対談である。

  20. 土屋 樣

    「西尾幹二全集第19巻を手に取って何とか読み上げるまで一ヶ月近く、ほとんど悶々としていた。神話と歴史、信仰と科学をめぐる解けない秘儀に悩まされていたからだ。頭を整理するために、西尾氏の本文をたどってみたい」とは見上げた心がけです。

    坦々塾の仲間の一人に、全集が屆く度に、これに丸ごと取り組み、最初から最後まで讀み通すといふ人がゐますが、私はそれをやつてゐません。全集への普通の對し方をしてゐるだけで、土屋さんやこの仲間には敬意を表せざるを得ません。

    私は「無視」などせずに、お附合ひするつもりで、「たど」られた後に蹤きましたが、 豫期した以上に氣持よく歩むことができました。自らの創見を竝べたものではなくても、十分存在價値があります。

    一例だけ引かせていただき、例によつて、勝手な聯想を記します。

    以下は土屋さんが竝べられた、西尾先生の文章(『日本人は何に躓いていたのか』・2004年ーー平成6年)。

    「構造というのは、前にもいった通り全体でひとつであって、部分だけ変えるわけにもいかず、しかもそれぞれの民族にとって互いに等価であって、これに手を加えることはできないものです」(p702)。
    「日本は独自に閉ざしているという強迫観念にとらわれてしまうのです。これこそすべての災いの原因なのです。
    これこそ、経済においても日本は国家意識を持てない、あるいは自己の独自性に対する真の自信を持てないでいる愚かさ、自我の弱さです。私はそこに、日本人が躓いてきた最大の原因があると思っています」
    (p705)。
    「日本側が、いや、俺たちの大事な財産だからこれは守るよと、何で胸を張って堂々といえなかったのか」(p706)。
    「なぜそれ(日本の企業間、企業系列間の競争の実情・・・引用者注)を見て、胸を張って我々のほうが正当な自由競争をしているといえないのか」。(同前)
    「公平が安心を与え、結合が国力を産む明治以来の国民的努力をあっさり否定してよいものでしょうか」(p709)。
    「私がいいたかったのは経済で敗戦を克服したはずの日本が経済で再敗北したことです。「菊と刀」の代わりが今ウォルフレンの『日本異質論』です」。(同前)
    「たとえ良いことであっても、あるいは、良いことだからこそ、外国からいわれたことは一度はきっぱり拒絶せよ、とどうして多くの日本人はいわなかったのでしょう。自己本位ということが人間が生きていく生命力の鉄則です。それこそが今の日本が抱えている問題の最大の鍵ではないかと思うのであります」(p711)。

    土屋さんの、以上に對する評價は「時代に明確に違和を唱えた知性と勇気の書である。日本の歴史から湧き起こる声である」です。本質を衝いた立派な評價だと思ひます。

    私はこの先生からの引用に、次の二つも加へたい。

    「『構造』は 人体になぞらえれば『細胞』や『組織』であって、手術によっても、投薬によっても変えようがない」
    「日本にとってたとえ良いことでも、外国の意志で行えば自国を裁く基準を外国にゆだねることになる」

    當時、これを讀んで、「細胞」「組織」といふたとへに強い衝撃を受け、自分には「構造」の意味がまるで分つてゐなかつたのだと思ひました。そして、それより5年前、職務として、日米電氣通信交渉(主なテーマは自動車電話の日本市場)を取材したが、輸入を殖やせといふ要求は交渉の議題たり得ても、日本市場の構造自體は決して日米協議の對象にならない、してはならないといふ意識が、自分にはなかつた、つまり基本的道理が分つてゐなかつたと氣づいた記憶があります。

    もつとも、電氣通信交渉は、制裁を背景にした米國のゴリ押しのために、決裂を決意した日本側が一度引き揚げたほどですから、その現場のことを聞かされれば、西尾先生が同書で非難された堺屋太一の「アメリカは日本の消費者のためにいいことをいってくれたのだから、怖がることは何もない」などといふ、甘つちよろい寢言を信じることはありませんでしたが。

    はつきりとは覺えてゐませんが、”Structural Impediments Initiative”は、「構造障壁イニシアティブ(主導權)」と譯すべきでところを、日本政府が「イニシアティブ(主導 權)」を「協議」と誤譯した(つまり、UNITED NATIONS→國際聯合同樣、我等馬鹿國民の神經を刺戟しないやうにとの親心による誤譯)と知つたのは、先生のこの著に觸發されて調べたか、誰かに教へられたのではなかつたでせうか。

    それはともかく、先生がかく鋭く、熱意のこもつた一文を書かれたのは「私の話を本氣で聞いてくれる相手の存在」をかなり感じてをられたからでせうね。

    今は「何を言つてももう手遅れれだという喪失感の方がつよい」との仰せ、遺憾ながら御尤もと申さざるをえません。私などでさへ、もうこんな國は・・・と感じるのですから。安倍批判ですら、先生はまだ、どこかになにがしかの望みありとお考へだつたからこそ、安倍提燈行列に取り卷かれつつ、『保守の眞贋』(平成29年)などを書かれたのでせうね。

    安倍批判といへば、先日、坦々塾の大先輩で、西尾先生の教養學部同級生の粕谷さんから頂いた情報では、どこかの週刊誌に次のやうな記事が載つたさうです。
    「日本滅亡グローバリズム政策を強力に推し進めてゐるのが、なんと眞正保守を謳はれる安倍政權といふのはどういふわけでせう。政權一代で、これほど日本を壞した例はほかにはありません。空前絶後のことでせう」
    「敗戰から74年を迎へた8月15日、東京・千代田區の靖國神社内で行はれた集會に登壇した、保守のネットメディア 日本文化チャンネル櫻 沖繩支局キャスターの我那霸眞子氏は、冒頭の發言をした。同日、靖國神社では、大村益次郎の横に特設テントが設けられ、午前に、日本會議や英靈に應へる會主催の『戰歿者追悼中央國民集會』が催されるのが恆例だ」
    「沖繩出身の我那霸氏といへば、昨年には、ジャーナリストの櫻井よしこ氏らとともに安倍晋三首相と座談會をしたほどの ” 仲 ”である人物であるはずが、一轉。次々と批判の言を竝べ、それまで拍手にわいてゐた會場は靜まり返つた」
    「我那霸氏は『(私たちは)國難の正體に目覺める』べきだとし、『國難の正體』は、『保守の皮をかぶり、國を賣るやうな人々が國の中樞を擔つてゐるといふこと』だとした」
    「理由に擧げられたのは、TPP、種子法廢止、改正入管法、アイヌ新法などで、同氏は『日本解體法』だと斷じた」
    「さらにかうした『外壓』にコントロールされるがままの日本をつくつた現與黨は黨名を『日本グローバリズム黨」に變へた方がいいとした。また『日本人の精神が戰後レジームにはめこまれてゐて、安倍政權はここから脱却するどころか、その『完成』を進めてゐるとし、『グローバリズム化が進めば、英靈の方々は二度死ぬ』と主張」
    「『國難に勝利すること』を誓ひ、演説を締めくくつた」

    我那霸さんの名前は聞いたことがありますが、水島社長同樣の安倍シンパ、櫻井よしこ同樣の安倍提燈擔ぎ、日本會議その他凡百の賣國團體の思想統制に盲目的に服してゐる人かと思つてゐました。私の誤解か、それとも彼女が變つたのか。

    西尾先生が論じられた日米構造協議の頃から、日本は相當な勢ひで崩れつつありましたが、今ほどのスピードはなかつた。「政權一代でこれほど・・・」といふ彼女の認識は正確で正しい。

    政治家として登場した頃の安倍さんの右翼的アクセッサリーに目がくらんで、救世主のごとく仰いだ自分としては、偉さうなことは言へません。戰後民主主義の申し子にして、WGIPの注射が骨の髓まで浸み込んでゐる人とは見えませんでした。氣づけば、70年談話の示すとほり、日本人の歴史觀ではなく、諸外國の歴史觀を己が歴史觀とする人だつたとは、我ながら迂闊な話です。

    我那霸さんにはそれが見えたのでせうか。國難の正體とは適切な表現です。これに氣づかず、亡國神輿を擔ぎ、安倍提燈を提げた人々で、巷は溢れてゐます(御神輿・提燈自體が國難の印なのです)。そして、嬉しさうに「日本を守る」などと叫んでゐます。御本尊同樣、WGIP注射の毒氣が拔けず、本人たちは正常な愛國者のつもりなので、厄介です。理を説いても通じる相手ではありません。

    我那霸さんが「手遲れ」でないことを祈ります。そして、叡智を集めて國難を克服されんことを。

  21. おっ!! !

    先生が、コメント欄に補足で居た!

    SNSみたく、軽めに時事問題を記せば良いと思うっすよ!

    漫画も無料でWEB に公開されてる昨今、

    ‘ 国が危ういと思うなら利益度外視ですよ~。

    *

    R01.19.09/15.

    13:39 .

    子路

    .

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