西尾幹二全集19巻目次

序に代えて 「かのようにの哲学」が示す知恵

Ⅰ 歴史と科学
『歴史と科学』(二〇〇一年十月刊)

第一章
歴史と自然
1日本文化の背後にある縄文文化
2原理主義を欠く原理を持つ日本人
3森の生態系の中で熟成した自然観
4世界四大文明に匹敵する「縄文土器文明」
5インドの叡智に魅了された「森の住人」たち
6原罪としての自然科学

第二章
歴史と科学
1科学と「人間的あいまいさ」の関係
2自然科学は現代人の神である
3科学は発展したが「真理」からは遠ざかった
4科学から歴史を守れ

第三章
古代史の扱い方への疑問
1砂漠の文化の基準で森の文化は測れない
2歴史学は科学に偏りすぎてはいけない
3 「二重構造モデル」の重大な過誤
4大陸文化と対峙する日本文化
5歴史は知的構築物にほかならない

あとがき
参考文献

Ⅱ 神話と歴史
「自己本位」の世界像を描けない日本人
危機に立つ神話
森首相「神の国」発言から根本問題を考える
古代日本は国家であり文明圏でもあった
大陸とは縁の遠い日本文明
知識思想世界のパラダイム

Ⅲ 憲法について
改正新憲法 前文私案
「改憲論」への深い絶望――参議院憲法調査会における参考人意見陳述
このままでは「化け猫」が出てくる

Ⅳ ご皇室の困難と苦悩
1 皇位継承問題を考える
  一 皇室の「敵」を先に念頭に置け
  二  「かのようにの哲学」が示す知恵(二〇〇六年四月・本巻「序に代えて」に掲載)

2 『皇太子さまへの御忠言』(二〇〇八年九月刊)
まえがき
第一章 敢えて御忠言申し上げます
第二章 根底にあるのは日本人の宗教観
第三章 天皇は国民共同体の中心
第四章 昭和天皇と日本の歴史の連続性
「WiLL」連載で言い残したこと――あとがきに代えて
主要参考文献

3  「弱いアメリカ」と「皇室の危機」
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」(二〇〇九年)
危機に立つ日本の保守
『「権力の不在」は国を滅ぼす』の「あとがき」(二〇〇九年)
天皇陛下はご心痛をお洩らしになった(二〇〇八年十二月)

4 皇族にとって「自由」とは何か
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体(二〇一一年)
背後にいる小和田恆氏(二〇一二年)
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったか(二〇一二年)
天皇陛下に「御聖断」を(二〇一二年)
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂(二〇一三年)
皇后陛下讃(二〇〇九年)

5 今上陛下と政治
歴史が痛い! (二〇一七年十月、ブログ発信)
沈黙する保守 取りすがるリベラル――インタビュー記事
陛下、あまねく国民に平安をお与えください――あの戦争は何であったのかを問い続けて――二〇一八年十二月十三日(靖國神社創立一五〇年 英霊と天皇御親拝)――
日本人は自立した国の姿を取り戻せ(二〇一九年三月一日)

6 令和時代がはじまるに当って
回転する独楽の動かぬ心棒に――新しい天皇陛下に申し上げたいこと(二〇一九年三月一日)

Ⅴ 日本人は何に躓いていたのか(二〇〇四年十一月刊)
序章 日本人が忘れていた自信
第一章 外交――日本への悪意を知る
第二章 防衛――冬眠からの目覚め
第三章 歴史――あくまで自己を主軸に
第四章 教育――本当の自由とは何か
第五章 社会――羞恥心を取り戻す
第六章 政治――広く人材を野に拾う
第七章 経済――お手本を外国に求めない

追補一
平田文昭・西尾幹二対談 保守の怒り(抄)
追補二
竹田恒泰・西尾幹二対談 女系天皇容認の古代史学者田中卓氏の神話観を疑う
追補三
国の壊れる音を聴け――西尾幹二論  加藤康男

後記

「西尾幹二全集19巻目次」への2件のフィードバック

  1. 今回の全集第十九巻はひときわ分厚いものです。机について姿勢を正して読まなくてはなりません。読書はよくベッドの中でするのですが、今回はそうはいきません。

    私は最初に月報を読み、次に後記を読み、加藤康男さんの文章を読んでから、最初に戻りました。なにしろ多分野にわたる集積なので、小説と違ってどこから読んでもいい。パラパラと眺めていて、Ⅲの憲法についての中の「『改憲論』への深い絶望」が目に留まりました。これは参議院憲法調査会における参考人意見陳述の西尾先生の発言だけを取り上げて記録しているものです。西尾先生にたいする諮問された主題は、「日本国家とは何か、日本文明とは何か」だったそうです。

    なにしろ文明論ですから、中身は重厚な講義です。

    あの頃、政府には西尾先生にこういう話を聞こうとする意欲?があったのですね。平成12年、約20年前の文章ですが、憲法論議をしなくてはならないというのなら、今現在こそ、まずこの章を政治家全員に読んでほしいと思います。

    全集ならではこその、集積です。

  2. >管理人長谷川様

    私も同意見です。
    20年前と言いますと、ちょうど私が「国民の歴史」に出会った頃の話です。
    その出会いがきっかけで私はこの20年間で人生の幅が膨らみました。
    その後、社会の仕組みも変化しました。
    一番顕著なのは、男女の序列です。

    女性が家庭に収まっていることに不満が募ると言い出す世の中になって、実際それが解除されると、実は女性にとって不幸が訪れる始発点だったという悲劇。
    今じゃ男性のほとんどが、研ぎ澄まされた女性のみを望か、もしくは母性本能を振りまく優しそうな女性を望か、最後はそのどちらにも適合しない女性軍を見て、結婚という意思がまったく感情の中に存在しないか、極端な言い方をすればそんな時代になってしまいました。

    憲法論はまさしく国防論と直結し、そこから波及する様々な社会現象をどう予測できるかが、思想家のみならず一般人も含めて現実的に取り組まなければならない課題です。
    日本のこの問題が、だれの目にも明らかなのは、問題点の「幼稚化」です。
    誰もが敗戦当時に煮えたぎっていた悔しさを、アメリカに抑え込まれた瞬間から、都合よく「幼稚化」する術を覚えたことを、忘れないほうがいいと思います。

    本当はもっと戦える資質がある国民だと思うのですが、この幼稚化現象には、さすがに歯が立たないのが現状で、本当の悲劇が舞い降りないとどうにもならないという意見が石原慎太郎氏などから意見が出るくらいの社会現状が漂う事態となってしまいました。

    どんなに悲劇が起きようが、もう何も感情が動かなくなってしまう現象に陥った際、最悪の悲劇しか本当は待ち受けていないのではないかと思うのですが、西尾先生はどうお考えになられるでしょうか。
    色んな事を考えて自分に置き換えてみると、その当事者の生活感というものが軸になるんだと思います。様々な体験や勉強が基礎になりますが、そういった基礎から変化して多様化している生活感が、実はとっても重要なファクターなのではないかと考えます。

    実例をあげますと、私の女房はまったくパソコンに興味がなく、スマホでせいぜい自分に都合のいい情報のみを受け入れる生活しか送っていません。
    私がこんな風に書き込みをしている姿を見ても、何の反応もありません。
    ある意味私たち夫婦は極端から極端な関係なのかもしれません。
    ところが、社会常識という点ではそんなに意見が食い違ることがないのです。
    お互いの認識を確認し合いながら、「へーそうなんだぁ」みたいな会話もよくあるんですよ。
    しかし一方で夫婦であっても全く関心を寄せない部分が絶対あって、別に危険性は感じませんが、ただその領域はお互いが関心を寄せない世界だという感じなんでしょうか。

    そうはいっても夫婦ですから実生活が一番大事で、お互いの感情の重点は尊重し合いながらも、生活における共通の課題や必要性みたいなものには、どんなことがあっても最優先です。
    私はそういう事が本当は若者たちに教え込まなければいけない、本当に大事な部分なんじゃないかと思うのです。

    「歴史と科学」を単行本で読んだ際、一番感じたのは、『人間の幸せって何なのだろう』でした。過去にさかのぼれば上るほどロマンがある。
    西尾先生はおそらくそれを意図してこれを描いた作品なのではないかと、私は受け止めました。しかし真逆に現代の科学の発展を「おい、お前たち科学者たちよ。君は何を知って何を知らないんだ。それをはっきりしろよ」と訴えています。
    書き方は違っても訴えている内容はこんな感じだったと思います。

    これが西尾先生の原発への基本的な姿勢なんです。
    けしてぶれていないんですよ、西尾先生は。
    ある日突然変化したわけではないのです。
    持論を社会にどう写すかという大きな問題と戦った証だと思います。

    それをおそらくこの全集は教えてくれると思います。

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