全集の最新刊(三)

宮崎正弘氏書評 第十八巻『国民の歴史』
 あの強烈な、衝撃的刊行から二十年を閲して、読み返してみた
  歴史学界に若手が現れ、左翼史観は古色蒼然と退場間近だが

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西尾幹二全集 第十八巻『国民の歴史』(国書刊行会)
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 版元から配達されてきたのは師走後半、たまたま評者(宮崎)はキューバの旅先にあった。帰国後、雑務に追われ、開梱したのはさらに数日後、表題をみて「あっ」と小さく唸った。
 二十年近く前、西尾氏の『国民の歴史』が刊行され、大ベストセラーとなって世に迎えられ、この本への称賛も多かったが、批判、痛罵も左翼歴史家から起こった。
初版が平成11年10月30日、これは一つの社会的事件でもあった。もちろん、評者、初版本を持っている。本棚から、ちょっと埃をかぶった初版本を取り出して、全集と比較するわけでもないが、今回の全集に収録されたのは、その後、上下二冊の文庫本となって文春からでた「決定版」のほうに準拠する。それゆえ新しく柏原竜一、中西輝政、田中英道氏らの解説が加えられている。

 初読は、したがって二十年近く前であり、いまとなってはかなり記憶が希釈化しているのは、印象が薄いからではない。その後にでた西尾さんの『江戸のダイナミズム』の衝撃と感動があまりにも大きく強烈だったため、『国民の歴史』が視界から霞んでしまった所為である。
 というわけで、正月休みを利用して三日間かけて、じっくりと再読した。こういう浩瀚な書籍は旅行鞄につめるか、連休を利用するしかない。
 そしてページを追うごとに、改めての新発見、次々と傍線を引いてゆくのだが、赤のマーカーで印をつけながら読んでいくと、いつしか本書は傍線だらけとなって呆然となった。

 戦後日本の論壇が左翼の偽知識人にすっかり乗っ取られてきたように、歴史学界もまた、左巻きのボスが牛耳っていた。政治学を丸山某が、経済論壇を大内某が、おおきな顔で威張っていた。それらの歴史解釈はマルクス主義にもとづく階級史観、共産主義の進歩が歴史だという不思議な思い込みがあり、かれらが勝手に作った「原則」から外れると「業界」から干されるという掟が、目に見えなくても存在していた。
 縄文文明を軽視し、稲作は華南から朝鮮半島を経てやってきた、漢字を日本は中国から学び、したがって日本文明はシナの亜流だと、いまから見れば信じられないような虚偽を教えてきた。
 『国民の歴史』は、そうした迷妄への挑戦であった。
だから強い反作用も伴った社会的事件なのだ。
 縄文時代のロマンから氏の歴史講座は始められるが、これは「沈黙の一万年」と比喩されつつ、豊かなヴィーナスのような土偶、独特な芸術としての高みを述べられる。
 評者はキプロスの歴史博物館で、ふくよかなヴィーナスの土偶をみたことがあるが、たしかに日本の縄文と似ている。
遅ればせながら評者、昨年ようやくにして三内丸山遺跡と亀岡遺跡を訪れる機会をえた。弥生式の吉野ケ里でみた「近代」の匂いはなく、しかも発見された人骨には刀傷も槍の痕跡もなく、戦争が数千年の長き見わたって存在しなかった縄文の平和な日々という史実を語っている。
 魏の倭人伝なるは、取るに足らないものでしかなく、邪馬台国とか卑弥呼とかを過大評価で取り上げる歴史学者の質を疑うという意味で大いに賛成である。
 すなわち「わが祖先の歴史の始原を古代中国文明のいわば附録のように扱う悪しき習慣は戦後に始まり、哀れにも今もって克服できない歴史学界の陥っている最大の宿唖」なのである。
「皇国史観の裏返しが『自己本位』の精神をまでも失った自虐史観である悲劇は、古代史においてこそ頂点に達している」(全集版 102p)

 西尾氏は中国と日本との関係に言語体系の文脈から斬りこむ。
 「古代の日本は、アジアの国でできない極めて特異なことをやってのけた、たったひとつの国である。それは中国の文字を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでも維持する。これは決然たる意志であった」(92p)

 「江戸時代に日本は経済的にも中国を凌駕し、外交関係を絶って、北京政府を黙殺し続けていた事実を忘れてはならない」(39p)。

 こうして古代史からシナ大陸との接触、遣唐使派遣中止へといたる過程を通年史風ではなく、独自のカテゴリー的仕分けから論じている。

 最後の日本とドイツの比較に関しても、ほかの西尾氏の諸作論文でおなじみのことだが、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の偽善(ナチスが悪く、ドイツ国民も犠牲者だという言い逃れで賠償を逃げた)の発想の源流がヤスパースの論考にあり、またハイデッカーへの批判は、西尾氏がニーチェ研究の第一人者であるだけに、うまく整理されていて大いに納得ができた。
 蛇足だが、本巻に挿入された「月報」も堤尭、三好範英、宮脇淳子、呉善花の四氏が四様に個人的な西尾評を寄せていて、皆さん知り合いなので「あ、そういう因縁があるのか」とそれぞれを興味深く、面白く読んだ。
 三日がかりの読書となって、目を休めるために散歩にでることにした。

「全集の最新刊(三)」への4件のフィードバック

  1. 1月14日
    〇〇 樣  ☆☆ 樣

    昨日は坦々塾で大層お世話になりました。
    先生のお話が明快で心地よく、私にもよく理解できた氣がして嬉しく、
    その勢ひで飮み過ぎ、今日は二日醉ひです。

    内容については、正式のリポートや皆樣の感想が日録に載るのでせ
    うから、私が喋々する必要はありませんが、最後の、中西さんについ
    ての先生の觀察に、大いに我が意を得たことだけを申します。

    實は、私は先生と中西輝政さんについて論じたことが、斷片的ながら、
    何度かあります。最後はたしか3年數ヵ月前、中西論文を讀まうとして
    途中で投げ出したことを、電話で申上げ、あれは相當な惡文ではないで
    せうかとお尋ねしたら、「勿論さうだ」と保證して下さいました。

    それから2年後くらゐでせうか、 安倍ブレーンたりし中西さんは、「さ
    らば安倍晉三 もはやこれまで」といふ文章を書いたので、おやおやと思
    ひました。
    どういふ事情なのか、西尾先生にお訊ねしてみようかと考へましたが、
    畏れ多いとも感じて果せずにゐるうちに、〈西尾ー中西〉對談が行はれ、
    先生の「久しぶりに中西氏と肝膽相照らした」といふ感想が出て、 お恥
    づかしながら、正直に申すと 、私はこれにも、おやおやで、先生に中西
    さんのことは申上げにくくなつたと、祕かに思ひました。
    中西さんが、つくる會に後足で砂をかけて去つて以來のことを、まさかお
    忘れではあるまい・・・。

    昨日、先生が中西さんについておつしやつたことは、

    ①トランプ嫌ひである。といふことは、日米を通じたメディアの風潮に忠
    實に乘つてゐる(池田附記:實際、各種コメンテーターから、NHKのアナ
    ウンサーに至るまで、トランプ批判をしなければ、テレビに出る資格がな
    いと思ふらしく、異口同音に惡口を竝べ立てます。中西さんは、さういふ
    風向きを讀むことがお得意です)。

    ②自己を保全する(池田附記:これこそ中西さんの眞骨頂でせう。機を
    見、場所を窺つて、最も安全かつ有利に身を處す。つくる會を出たのも
    勿論それ。”さらば安倍晉三”も居場所がなくなつたので、移動しただけ
    のことでせう)

    ③(西尾先生を)警戒してゐる(池田附記:それはさうでせう。あの裏切
    りを先生が忘れてくれてゐる、とはいくらなんでも思はないでせう)。

    ④中國獨自の「近代」はあり得ると斷じ、イスラム・ステートのパワーを
    認めるが、その明確な説明がない(池田附記:以前、中西論文を投げ出
    した際、論斷はあつても論據が示されてゐないやうな氣がしました。ただ
    それは、惡文のせゐもあつて、讀者として見つけにくいのかなとも考へま
    した)。

    以上を西尾先生が的確に捉へてをられるのは當然で、それに今さら我
    が意を得たりとは、つくづく己が愚かしさが厭になりました。つまり、自分
    では先生を尊敬してゐるつもりでも、實は尊敬し足らなかつたのです。

    潮匡人講師のお話も明快でしたね。自衞隊の最高指揮官(を安倍首相
    は自稱してゐるが)は天皇陛下たるべしとの説に快哉を叫びました。た
    だし國防の現状は、我々の悲觀などを遙かに越えてほぼ絶望的ですね。
    いま生きて酒などを飮んでゐられるのも、單なる僥倖に過ぎないのでせ
    うね。

    昨日も今日も、一片の雲もない上天氣ながら、嚴寒ですね。
    御自愛御健勝を祈り上げます。

  2. 〇〇樣  ☆☆樣

    新潟にどれほど雪が降らうと、世界に如何なる惡黨どもが蔓延らうと、こちらが少し智慧を出せば、なにか對處法が見つかるのではないでせうか。それを一切せず、自ら、ひたすら亡國へ亡國へと突き進んでゐるの
    が今の日本でせう。

    潮講師は、あまりにばからしいので、笑ひながら話し、我等聽衆も笑ひましたが、正に「笑ふしかない」ですね。ドン底にゐて、這ひ上れる見込みのない時は、誰もああなるのでせうか。

    敗戰以來、天皇陛下も皇室のどなたも、軍服を召されないし、軍の學校にもお這入りにならない。こんなことは、世界のどこの王室にもない。それも學習院ならともかく、國際キリスト教大學・・・と、講師は苦笑しましたね。

    それでも、非常時には「軍の救出に頼むしかない」のでせうか。頼まれた「軍」がやる氣になるとすれば、よほど人がいいのでせう。日本人の眞骨頂ですね。

    仲のいい親戚に、海上自衞隊13期の男がゐます。彼は、江田島での1年間の猛訓練を了へて少尉(三尉?)に任官するとすぐに、(今の)我が住ひに近い晴海埠頭から、世界一周航海に出發しました。時折、そのことを語ります。

    その思ひ出を文章にし、一本にまとめもました。立派な文學であると、私は激賞しました。緊張の裡にも、うら若い柔軟な心は、あらゆることを捉へ、ヴィヴィッドに反應します。樂しげでもあります。

    そりや樂しいでせう。國家の干城といふ最も崇高なpositionに就いたばかりの若者・新任士官。
    どこの國に行つても、日本との關係にかかはりなく、(文明國であればあるほど)最大の敬意を拂はれ、最高の待遇を與へられたに違ひありません。

    彼が感奮・感激して、自身が國の名譽まで擔つてゐると思ひ上がり、身を愼んで、全身全靈を以て職務に勵み、内外の人々に接し、お國に一身を捧げる覺悟を固めて歸國したのももつともです。

    その自衞隊が國内でどう扱はれてきたか、彼は一切語りません。流石 、もののふと私は喜びます。あれこれ水を向けても、不平不滿は、絶對に漏らしません。
    ここで、自衞隊の國内での扱ひについて愚見を申上げるつもりでしたが、自
    身の精神衞生によくないので、やめます。すみません。

    「中西氏のアメリカ観には、類型的で、単線で、個人的な思い込みを強引に当て嵌めているような印象」には、全く同感。なに觀にせよ、私はあの人を全く信用してゐません。

    アメリカが(ヨーロッパの)亞種にしても別種にしても、自己の正當性を全
    ての前提としてゐることに變りありません。

    プロテスタンティズムとピューリタニズムがどう違はうと、我こそ正義であ
    り、これに從はぬ者を殲滅することこそ正義であると考へるところは同じです。

    いづれも、まつたうであり、他者が正義と考へ、自らを破滅へ驅り立てる我等日本人が地上にゐることは謎ですね。貴種なのでせうか。絶滅危惧種といふべきか、絶滅確實種といふべきでせうか。

    〇〇樣  ☆☆樣

    冬晴れや衞士交替の擧手の禮
    懷しき臘梅の香へ歩の急かれ

    本日、東御苑を吟行。俳句よりも、蕗の薹の收穫の方が好成績。ーーと申すつもりでしたが、寒さのせゐか、今年はそちらもさつぱり。ゼロかと思ひましたが、うろついてゐるうちに目が慣れると少しは見つかり、なんとか13個摘みました。
    〇〇樣の圖案を年賀状に剽竊したお詫びの印に、そのうちのやんごとない感じの5粒をお送りします。
    今日は

    蕗の薹畏き場所に身を固く

    でしたが、一週間もすればにょきにょきでせう。

    過日、先生とお話しました。

    中西(輝政)氏は ”後足で砂をかけて”、 田中(英道)氏は ”泥水をかけて”、出て行つた。忘れたわけではないが、そのこと限りでは許してゐるし、必要な場合は附合ふ。
    それぞれ、いろいろな缺點があるが、それを避けるやうにすれば、かなり役に立つこともある。

    といふことのやうです。なるほど、先生の頭の良さは言ふまでもありませんが、それ以上に、恐るべき大人ですね。
    18卷(全集)で英道さんに解説を頼んだのは、多分永原慶二批判をやらせるためだつたのでせう。ぴたりと的中、お見事!

    こちらは、來週初めに再び猛烈な寒波襲來とはいふものの、待春、春近しといつた感じがそろそろしてきましたが、雪國では、まだまだでせうね。

    お大事に。

  3. 先日米国の学生の会話に聞くと、中東戦争で国内向けの広報活動の仕事をしていた人があの戦争は作られたんだと愚痴を言っているところでした。会話の流れは最終的に「でも大東亜戦争は正義の戦争だったんだよね」 で終わりましたが未だに70年以上の前の戦争を引きずるとはルーズヴェルト大統領が一番人気の国は違います
    米国の歴史の授業は大東亜戦争以降、大英帝国が植民地を失って米国が第一の座に就いた とまでは教えますがその理由は誰も言いません(質問している人がいませんでしたが誰も答えませんでした) 私は日本がプリンスオブウェールズを木っ端みじんにしたことが理由だと思いますが彼らにとってアジアとは中国も日本もみな同じようなもので違いがない 植民地支配を無くしたのは英国のおかげだと英国の大使が言ってましたが そこに日本が来ないということはそうなんでしょう 日本の主張が海外に広まるときは西尾幹二先生のほうが海外で飛ぶように売れているはずですが、日本の事を英語で勉強する人は左翼の意見ばかり耳にするので会話が合わない 嘘も100言えば真実になると言いますが、保守の意見はほとんど海外に広まりませんし そもそも日本人自身が興味ありません 海外は日本のアニメを通じて興味があるけど 歴史をたどれば軍国主義、性奴隷という先入観から抜けれるわけもなく 絶対に一言「日本は戦前悪い国だったが」と前置きしてから会話を始めます。これが戦後外務省が大人しくしていた結果なんでしょうか 江戸時代に船荷を海賊に襲われたら被害届を役所に出すと本に書かれていましたが、サイバー攻撃を受けた防衛相が同様に被害届を出している現状、日本人は300年以上変わっていないのかもしれません もっとも、へらへらしている日本人が一番悪いのですが 外務省の事なかれ主義(出世のために国民が居るという発想)は出世のために増税をしたがる財務省同様、日本人が政治に興味が無いのが原因かもしれません

  4. 西尾先生の『国民の歴史』を興奮して読んだのが確か年齢で言えば高校生時分でした。小生は昭和56年(1981)生まれです。
    私は当時定時制高校の二年生で、昼間は配管工として一級配管士の祖父和男のもとで働き夜は学校に行くという生活をしていました。難しくてよくわかりませんでしたが、楽しい思い出がよみがえります。
    読書家であった養父と弁当を食べながら、この分厚い書物について語り合ったのは今も忘れえぬ思い出です。
    両親が私の三歳の時に離婚した後は、紆余曲折を経て祖父母にそだてられたのですが、養父であり祖父の和男は血縁のない祖母の再婚した人でした。
    祖母が癌で中学三年のときに他界した以後も、その関係性は実の親子より強く維持されました。実の孫がいるにもかかわらず私のほうが好きだったようでした。養父は大変なインテリで、この人が思えば西尾先生ら産経新聞によく書かれていた先生方に引き合わせてくれました。私の思想形成は養父抜きには語れず、その中でも特に思い出深いのが『国民の歴史』です。よくこの分厚い本を配管工事の休憩時間中に読んだものだと今から思い出しても感心します。
    なぜ養父と私の紐帯が強かったのかといえば、血はつながらなくとも思想信条の上ではもう親子以上だったからでありましょう。養父の強い憂国の気持ちや愛国心はそのまま私に引き継がれ、お互いに一緒にいれば話題は日本のことばかりで、まったく飽きませんでした。
    その後私は産経新聞社の奨学生として立教大学に進学し、日本現代史教授の粟屋憲太郎氏のもとで東京裁判研究をしましたが、当然左派の巨魁粟屋氏とは思想的に相容れませんでした。そこで日本思想史に専攻を変え、所属ゼミも、西尾先生が『国民の歴史』で引用されている荒野泰典先生のもとに移りました。「江戸の日本は鎖国にあらず」と初めて日本で言った人で、氏は左翼ではありませんでした。
    以後、津田左右吉の研究に打ち込みまして、三年前に幸いにも『津田左右吉、大日本帝国との対決』を勉誠出版より上梓することができました。今現在は、ベトナムで一日本語教師として働いております。日本史では大学に職がないものですから。
    最近ですが、先生の『個人主義とは何か』に出会いまして、先生は33歳でお書きになられたようですが、わたしもこの処女作が35歳でして、主張がところどころ符合するので驚いてしまいました。津田左右吉という人は簡単に片づけられすぎているし、等閑視されていますが、これほどの愛国者はいないと確信しています。日本人の弱点を鋭く突きすぎているために、疎まれた向きもございます。ぜひご紹介したく、お邪魔した次第でございます。

    そのご私事ですが、昭和9年生まれの養父は足をわるくしたために働けなくなり、年金もかけておらず、生活苦と病のために、自死を選びました。その手記を、当時顔を出していた西部邁氏の発言者塾で発表したら、西部氏が大勢の塾生に向けて、私の手記を声に出されて読み初めまして完読されたのです。
    その中には藤井聡さんや有名な方もおられました。西部氏にとって私の養父の自死はよほど興味深いテーマであったようでした。
    そして私をずいぶんかわいがってくださった西部氏は、「俺も昔はずっとこの死に方だった。しかし、家族に説明がつかない」とおっしゃって、自殺について否定されたのです。これは実に興味深いご発言でございました。今もなお、その言葉が頭から離れず、西部氏の自死を思うとき、どのような心境の変化があってそのことに至られたのか謎として残っております。

    西尾先生とは一度、靖国神社の外でお目にかかったことがあり、お名刺を頂戴した記憶がございます。この一回だけでございますが、ずっと心に残る碩学の一人としまして陰ながらお慕い申し上げております。雑文失礼いたしました。

    ベトナム(ハノイ)より

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