TEL QUEL JAPONより(2)

日本人洗脳工作 & SUSUMU OKANO (2)

米戦時情報局が見た中国共産党の日本人洗脳工作

日本軍の特攻や玉砕に大きな被害を受け、その対策を心理戦争の面から講じようとしていたアメリカ軍とくにOWIは、延安で中国共産党軍とくに八路軍が多くの日本兵捕虜を獲得し、日本労農学校で反戦教育を施し、その卒業生の日本人民解放連盟への組織化によって日本軍へのプロパガンダ工作をシステマティックに実施しているのに驚いた。

そして1944年の現在は岡野の提唱した日本人民解放連盟中国ばかりか日本でも反戦活動を行う準備を進めている第四段階である。

「戦陣訓」のしばりによって、日本兵捕虜には敗戦協力しか帰国の途はないことに八路軍は気づいた。そこで敵軍工作部は反軍国主義、さらには社会主義思想注入のための再教育を捕虜に受けさせる。さらに思想改造をしたかれら捕虜を前線に送り込み始めた。

OWIや国務省のジョン・エマーソンらは、延安で設立され、多数の日本兵捕虜の再教育を行っている日本労農学校に注目した。『延安リポート』で48ページに及ぶ長文のリポート第45号「日本労農学校(一つの研究)」はOWIのコージ・アリヨシの授業参観や取材に基づく労作である。

学校では、岡野校長は批判と自己批判を学生の進歩に不可欠なものと信じている。彼によれば、それは深く染み付いた古い思考を脱ぎ捨て、新しい生活様式を受け入れるのに役立つ。

網走刑務所にいる日本共産党幹部徳田球一から延安の岡野に密使として派遣された岡田文吉(延安名、沢田淳)という日本共産党員がいる…岡田は「延安入りを敢行した際にも、特に軍部に顔の利く、河本大作氏の庇護をうけて(!これで歴史解釈は大きく変わる)、その目的を達した」という(川口忠篤『日僑秘録』太陽少年社):(参照:暴かれていた河本大作の嘘

1945年末にも予定される連合軍上陸に解放連盟は八路軍とともに上陸し、連携した宣伝・宣撫の戦術、戦略を練っていたことに注目したい。第44号「華北日本人民反戦同盟第一回大会 日本兵士代表の諸決定」は反戦同盟の上に意識の高い者を集めた共産主義者同盟であることを示している。毛沢東が絶好機の到来があれば、解放連盟の共産主義者同盟員を第5列に仕立て、八路軍による日本占領の戦略を念頭に入れていたとも考えられる

岡野は毛の指示を受け、労農学校で集団批判や監視活動を実行した。重慶には鹿地亘や青山和夫のような日本人亡命者が捕虜を指導したし、国民党軍は彼らの協力を歓迎した…日本人捕虜がいる世界の戦域において延安のみで、「社会主義的非戦思想の教育ないし洗脳」(『日本兵捕虜は何をしゃべったか』)が行われた。:(Bruxelles注:Brain Wash=洗脳とMind Controleは別行為をさす。Brain Wash=洗脳という語は中国共産党にその語源を発する、ということを思い出した。)

延安を訪れる連合国側のジャーナリストやアメリカ軍の将校に対し、共産党色を隠し、穏健な民主主義者のポーズを取った。こうした手法が5年後の毛沢東の中国支配の道をひらいた。(SnowもSmedley等もまんまと騙された)

占領期日本では戦時期に洗脳された捕虜や知識人が道具として利用された。その後は工作を受けた一部の日本の政治家やジャーナリストが彼らに代わった。

参照:山本武利 20世紀メディア研究所代表

・・・・・追記:2012年10月29日・・・・・
戦争とインテリジェンス:山本武利
山本武利氏は戦争とインテリジェンスのおそらく日本最高の専門家。日本人のこれまでの戦争理解が観念的すぎる(悪く言えば現実無知である)ことがよくわかる。
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・・・・・追記:2012年11月4日 平成の日常から HP紹介・・・・・
国民全体に浸透しおそらく100年は続くだろう日本人洗脳
後世普通の人が当たり前のように口にするWGIPの一例と、
体験者が記録した詩歌 = 短歌反論の反論 < 元ペイジ

「TEL QUEL JAPONより(2)」への2件のフィードバック

  1. 最近では通州事件を知っている中高生がいるそうですが、私が中高生時代(昭和45年(1970)前後)、通州事件はおろか通化事件など、見たことも聞いたこともありませんでした。聞こえてくるのは、シナ人というのは残酷な民族で、昔、両足を別々の馬に綱でつないだ後、その二頭の馬を反対方向に走らせる「股裂き」という処刑法があったとか、「三光作戦」という訳の分からない単語や「日中友好」という言葉、隣の中共がどうも独自の政治をやっているらしいという噂だけでした。
     書店では、毛沢東の赤い表紙の『実践論』や『矛盾論』の分厚い本が並べられ、週刊『少年マガジン』のグラビアや読み物にも、シナでの独自取材記事が載っていて、「・・・人々は、何でも自分の手で作ってしまうのだ。」などと、好意的に書いてあったものです。

     元日本兵がシナのおばあさんたちの面前で、地べたにへばりつくようにして土下座して謝っている様子は、随分前にテレビで見たことがあります。その時感じたのは、「いたたまれない」気持ちと同時に、言いようもない「嫌悪感」でした。そして湧き上がったのは、「沈黙を守っている戦中派が大多数の中、この男は、どうしてこのような行動をするのだろう?」という疑問、言い換えれば「こんなことをする男は、日本人ではない」という反発にも似た感情でした。

    ここで指摘されるように、その男が「野坂参三やアメリカの戦時情報局(OWI)の心理操作専門家たち」により洗脳された日本兵だとしたら、相当洗脳された分、謝罪の仕方も半端ではないのも確かに頷けます。

    紙田治一氏の遺稿『ああ・・・悲劇の通化暴動事件』を拝読しましたが、読むに堪えない悲惨な結末に至る過程の中にも、のどかな風景描写や女性たちの様子など、目に浮かぶようでした。

    特に、終戦の日が近づくにつれ、子供たちの間で奇妙な切り紙の遊びが流行り出し、満人の間で次第に反日の空気が生まれる所や、終戦の日を境に朝鮮人たちが復讐心をむき出しにする所、とりわけ事件の後、通化市の百貨店で「通化事件戦利品展示会!」が開かれた時、風貌も変わり果てた藤田実彦大佐が、人々の前で「対不起(ティーブチー)、すみません」と何度も呟きながら頭を下げる場面は、どんな小説の描写よりも、圧倒的な迫力と説得力を持って読む者に迫ってきます。

    ここでふと思い出したのは、映画「ベンハー」の、ガレー船の漕ぎ手である奴隷たちを酷使する、鞭を持ったローマ兵と、シナの映画によくある、父親に怒られ、大家族の前でひざまづき、泣きながら自分で自分の頬をたたき続ける、みじめな男という光景です。
    これらの登場人物のえげつない行動は、相手が、こちらの意をいくらでも受け付ける「空っぽの入れ物」である、と思える者だけが成し得る仕業であって、いくら映画やドラマでも、日本ではほとんどお目にかかれないものです。

    この日本人決起の「通化事件」そのものが、恐らくハメられたものであるとの指摘は、けだし慧眼であります。それはこの遺稿に描かれた、説明のつかない数々の出来事が暗示しています。

    映画『カッコ―の巣の上で』のように、「うるさい邪魔な奴」にはロボトミーの手術で廃人にさせるがごとく、「洗脳」という多くの日本兵の精神を崩壊させる「人を食った」方法は、彼らの伝統と民族性に、恐らくピッタリしたものであったでしょう。
    また「社会主義」という思想は、およそ「自己批判や反省」とは無縁の民族が手にした、他者に自己批判という苦しい営みを強いるための、願ってもない道具であったに違いありません。その証拠に、社会主義どころか「解放以前」にすっかり戻った現代でも、子供がお気に入りの玩具を頑として手離さないように、我々日本人に求める賞味期限が切れそうな「過去の反省」を、執拗に、エンドレステープよろしく繰り返しているからです。

    ところが現代我々が目にするのは、あの戦争でひどい目に会った人民どころか、派手な格好で人を上から見下ろす傲慢な成金であって、品が無く鼻をつまみたくなるような観光旅行客の姿が、日本人全般のシナ人に対する「心理的現実」なのです。

    最近、一頃よく見掛けた「文革」を題材にした映画が見られなくなったのも、自分たちの今の現実とかけ離れていることや、文革の悲劇自体が、あくまで彼ら自身の国内問題であって、普遍性を持たない事に気付いたためでありましょう。

    世間的に一定の評価を受けながら、私が全面的に支持できない作品の一つに、『めぐみ 引き裂かれた家族の30年』があります。カナダのクリス・シェリダンとパティ・キム監督夫妻によって制作されたこのドキュメンタリー映画は、横田夫妻の苦難の30年間を、事件の概要と夫妻の日常生活、また関係者のインタビューを中心に感動的に描いています。しかし横田夫妻の講演会で、聴衆の一人だった若い女性が、「在日の友達から、あなたたちも同じことをしたでしょ?」と言われるんです、とメソメソ泣きながら発言しているシーンを織り交ぜている所を見て、横田夫妻には申し訳ないが、感動が半減すると同時に制作者に対する不信感が生まれました。

    こうした作品は、やはり我々日本人自身が製作しなければ意味がないのであって、他国がどう思おうが、あくまで自分の主張を貫けるかの覚悟が、こんなところにも問われているのです。

    その意味でBruxelles氏が主張されるように、紙田氏の遺稿を元に映画製作すれば、『氷雪の門』のように、我々自身の意識改革に役に立つと共に、嘘を「押し返す」パワーになるに違いありません。

    我々が急がねばならないのは、自らは何の努力もせずに「日本人に対する精神的優位」という、親からの持参金を持って、大陸からなだれ込んでくる「箱入り息子、娘たち」や国内の反日勢力から、我々の子弟を守るべく、最強の武器を用意することなのです。

  2. 黒ユリ様
    はじめまして。コメントありがとうございます。
    西尾先生のご好意により、日録の場に登場させていただいているBruxellesと申します。
    日録の読者のかたや坦々塾の会員の方々との出会いの機会をいただいてとてもうれしく思っています。
    紙田治一氏の遺稿に関しては、黒ユリ様と同様、藤田実彦大佐が百貨店の前で、鼻水をたらしながら何日間も頭を下げて謝り続ける場面が、一番鮮明に記憶に残っています。そのあとすぐに病死。文革の実体を思い出せば、非常にわかりやすい場面です。
    ー他国がどう思おうが、あくまで自分の主張を貫けるかの覚悟が、こんなところにも問われているのです。ー全く同感です。日本人自身にコンセンサスがなく、しかも本来の主張を貫く意思も見られませんので、世界の人々から見れば、日本人も日本国も何をどう考え、どのように理解されたいのか、全くわからない、混乱の極み、なのではないでしょうか。沈黙と譲歩と忍耐を美徳と考えている間は、最強の武器を用意しても、現実対応は全くできないでしょう。
    すばらしいコメント大変ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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