当「日録」にハンドルネームBruxellesでよく投稿されていた方で、TMさんという方がいます。その方のブログTEL QUEL JAPON
は歴史の秘密にせまる新鮮な情報と発見に満ちています。大変に感服し、これから何度かに分けてご紹介したいと思います。
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西尾先生のメイルを拝見して
はじめて自分のBlogを振り返りました。
まだざっと半分しか振り返っていませんが、
力を入れたのは5テーマあると気づきました。
1.プロパガンダのもとは、心理学とそれから派生した
広告技術にあるということ。もとは100歳以上生きたフロイトの甥。
ロックフェラーの人格改造をしたのは、別の心理学者ですが。
強欲な資本家ほどフィランソロピストなのはそれが彼らが指導した
戦略だから。慰安婦像にしろマイクホンダにしろ、あの方面も
広告代理店が介入しています。その名前も突き止めた記憶あります。
これはほかにだれも言わないので、読者の反応全くなしです。
2.日中友好と日本兵の洗脳
立派な日本兵が、洗脳教育されて
土下座して泣き叫んで詫びているfilmをみて
いたたまれない気持ちになりました。
野坂参三が絡んでいます。アメリカの心理操作専門家たち(日系人もいる)
3.日米了解案&松岡洋右に関して&
(日米開戦、終戦工作)
4.ルーズベルト政権にいた共産スパイ
及び、イギリスのケンブリッジ・ファイヴ
の解明&寝返ってすべてを告白したスパイたち
それと原爆関連のスパイ
5.ウイルソン大統領とFRBの成立
リンカーンの解明
FRBの成立過程は、非常に重要で
このへんから経済や金融資本や政策の一部が
国境をなくす、いわゆる陰謀論の必然。
ひとことだけと言われたら、やはりFRBの正体
とその成立の詳細を言い残したいかも、です。
陰謀論に与するつもりは全くありませんが。
FRBが政府から独立しているのは間違いない。
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通化事件 追記4
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷:ねずさんのひとりごともう30年以上前に福井先輩から通州事件については聞いていたけれど通化事件は初めて知った。Dixie Missionは中国共産党の何を見ていたのだ!日本人民解放連盟を調べていてこの事件に突き当たった。
通化事件Wikipedia参考文献の一番上に「 医師・紙田治一の記録」というものがある。今日はもう遅いので明日に読もうと思っている。もしや、と思ったがやはりそうであった。紙田治一の生涯 [記録]に親子の写真が出ている。現在は画家となっている紙田彰が処女詩集「魔の満月」(書肆山田刊)を持って詩壇にデビューした頃、詩人として出会っている。つまり自らキーボードをたたいて体験者として通化事件の記録を残した紙田治一氏は私の古い友人の父親であった。
追記:2012年10月12日
通化事件:英文資料を読むより10倍の時間と100倍の疲労を感じ、何度も何度も休憩を入れながらフラフラになってようやく読み終えた。思考がいろんな方向に結びつき、過去の情報と繋がり、閃いては消え、立ち止まっては、頭を休め「読み」に戻る、また途中何度も投げ出したくなったことも事実である。古い友人の父親が書き残したものでなければ、途中で「読み」を放棄していたかもしれない。いろんな思考が立ち上がり浮遊し、途中で時間を奪った。心と頭が疲れた切った。これを読んで、疲労困憊しない日本人はいないだろう。知識があればあるほど独自の判断を入れたくなる。そして現場にいなかった者として、いくら考えても深く考えても、それは「独断」を免れない。判断は論理を必要とするが、今は疲れて論理が動かない。かすかに感情的思考がただ残るのみである。所謂感想である。
感想1:南京虐殺と、慰安婦問題に類似したものがセットで出てくる。これらは、通化事件からパクった転用ではないか。つまり、自分たちのしたことを、立場を逆転させてあれらを捏造したのではないか。だからありありと、目の前に展開するように語れるのだ。そっくりすぎる。つまり通化事件が、南京や慰安婦の種、になっているのではないかということ。
感想2:これを水島さんにぜひ映画にしていただきたい。このインパクトなら南京のPropagandaを押し返せる。私は過去記事で水島さんの映画のコンセプトを2度否定している。過去記事1&過去記事2。早い話が南京のPropagandaを打ち崩すための映画に「南京の真実」などという勘違いするようなタイトルを付けること自体が最悪である。「7人の死刑囚」などというコンセプトも否定すべきことをはっきり否定するものではない。死刑囚という前提を持ってきて、どうして否定できるんですか。 「通化事件」だったら、南京の虐殺というのは、なかったとかあったとか言ってるけれど、本当はこれだったのかと、たいていの人は思うでしょう。慰安婦もしかり。嘘よりも事実が強いに決まっているのです。事実を見せれば、パクリがわかる。
感想3:満州国成立前から満州には漢人が多くいた(焚書図書開封7)らしいけれども、文章の中で満州族を漢民族のように勘違いしている記述が2度あったのが気になった。(引用:だが、第二の悲劇は日本人よりも、むしろ満人……今は中国人となった漢民族の上に、より多くの試練を下すものであった。)満州人は本来女真族の筈で、五族協和で満漢が出てくるのは満州族は漢民族ではないということなのだから。
感想4:この資料は元共同通信社記者、社会部長・山田一郎氏の著「通化幾山河」(『秘録大東亜戦史』満州篇下巻、富士書苑、昭和28年)を基本的に参考にした。ーとありましたが、本当に山田一郎なる人がいたのかどうか、身分を隠した、いかにも偽名のような名前。幾山河にしても瀬島龍三回想録と同じタイトルで、内容と合わないように思うのです。なぜそう思うかといえば、「このとき、山田一郎著「通化幾山河」について事実に相当違いがあるという多数の意見が出され」という筆者の発言もあるので、この点は見落としてはならないのではないかと。所々に日本軍の悪や平和主義が匂うところも、少し気になる。この程度のマイナス史観は「言挙げ」の松原久子氏にもあるものなので、気にする方がおかしいが。パースペクティブをもって書くためにはこの本を参考にせざるを得なかったこともよくわかる。山田一郎氏に関してはあとで調べれなんとかわかるだろう。
感想5:映画にする場合は、紙田氏の視点、つまり蜂起自体が仕組まれた工作にハメられたものであるという見方で描くのがベストだと思う。(引用1:略称「日解連」と呼ばれるこの団体は、北支山西省延安の日本人政治学校で岡野進(野坂参三)から共産主義教育を受けたといわれる杉野一夫(杉本一郎)という人物の指導の下に、中共軍の日本人に対する意志伝達の下請け機関として生まれたものであった。引用2:岡野進(後の日本共産党の野坂参三氏)が作ったという大会運営方式で議事が進んでいった。)通化事件には明らかに岡野(野坂)の影がある。ひとつ前の記事にNozaka was responsible for the POWsと書いた。野坂は延安で日本人捕虜の思想改造を担当していた。その完成したものが通化に来て全てを動かしている。野坂と一番頻繁に接していたAriyoshiはOWIのPropaganda心理作戦の専門要員である。仕組まれた工作の必要がなければ、延安から共産党員化した日本人が送り込まれる必要はない。(参照)野坂が教育したPOWsは全てが農村出身者か無産階級者であった、で?と思ったが、共産化しやすそうな人間を選んで命を維持させ(他を殺戮することで、彼らはすでに選抜された者なのだ)彼らを優遇し、完璧な党員に仕立て上げたものと思われる。通化事件加害者の中には中国共産党に加わった旧日本軍人が多くいた。実際彼らは満人や国民党兵や多くの日本人住民を虐殺した。戦後「中国で女を強姦したとか、中国人を多数虐殺した」とか歴史の証言者として語る日本人の多くは、中国共産党員になっていた日本人だとすると、すべての説明がつく。事実彼らはそうしたのであり、それを証言するのも彼らが宿題として持ち帰った任務なのだ。いずれにせよ通化事件は引っ張り出して公にし拡散しなければならない。いろんな不可解な謎の解明に繋がるはずだ。
感想6: この通化事件を読んで一番思うことは、ねずさんのひとりごとのタイトルにあるように「国を失うことの過酷」に尽きる。国を失えばこうなるのだと、読んで鮮明に感じ取っていただきたい。本来人間存在は国家とかくも直接に一体化しているものなのだ。私が一番それを感じたのは以下の部分だ。(引用:「紅軍進駐万歳!」と赤い字で大書したアーチである。楊旧通化省長以下の日満要人が駅頭に出迎えた。手に手に赤い小旗を持って。)国を失くすということをこれほど痛感させるシーンはない。否応なく奴隷化しなければならない被占領者の悲哀であり屈辱である。たとえハメられたとは言え、決起した日本人たちを誇りに思う。日本は占領期間があったとは言え、国土が残り国民も日本人であり続けた。しかし満州国は消え、その国民も泡のように消えた。「国を失うことの過酷」をシミュレーションでもいいから体験することは、今の日本人の意識に大きな変革をもたらすだろう。そう願いたい。
追記:2012年10月28日
感想7:紙田治一氏遺稿のこの部分、永久陣地「光建設」の計画は、どのような作戦と連動していたのだろうか?敗戦を目前にして、日本本土が占領された場合、ここで踏ん張るという発想は地政学的にも有り得る。永久陣地という呼称も「光建設」という計画名も非常に説明的でわかりやすい。それは着々と準備されていたのだ。御前会議で敗戦が決まった時点で、計画は突如破棄・忘却されたのだろう。敗戦後関東軍が引き上げたとは言え、共産中国は余力が出来次第、やはり不気味な「永久陣地」をたたきつぶそうと、計画的に延安から前田光繁をはじめとして、骨の髄まで共産化した工作員を送り込んだと解釈できる。
追記:2012年10月17日
通化事件 その1 & その2 & その3 & その4:
通化事件に巻き込まれた流転の王妃:
追記:2012年10月19日
通化事件 その5 &
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追記・参照 2012年10月29日
年表 日中戦争以後詳細:
戦中・戦後を中国で生きた日本人について:
Interview List 必読:
岡野進の残留日本兵改造
例:11.日本人民解放連盟の出現
例:7.解放連盟の学習会
例:11.牡丹江
例:4.敗戦後の満州:
例:28.和平会談決裂
例:29.残留日本軍の終焉:
米澤泰英 新刊案内:
暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏
長谷川毅著:Tel Quel Japon過去記事:
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・・・・・追記:2012年11月8日・・・・・
無理だと半分諦めていた書物を入手した。大東亜戦史7満州編(下)、富士書苑 昭和49年2月5日9版発行、というものだ。謹呈 中東和英の署名と印鑑がある。この人は執筆者のひとりだ。その裏には寄贈者 川北哲殿、という記述もある。お借りした先は、和歌山県立図書館。貴重な写真、イラスト、略図などもある。人が借りて読んだ痕跡は全くない。何故この本を入手したかといえば、山田一郎氏の「通化幾山河」が収録されているからだ。全部で18あり「通化幾山河」は7番目にある。軍人であろうと民間人であろうと、満州に暮らし引き上げてきた親族のいらっしゃる方には、興味深い書物になるのではないかと思う。文字を介してであれども「現地に飛ぶ」体験が視点が必要だと思うからだ。「大事に扱ってください」と図書館員からの伝達があった。言われなくても、撫でるように大切に扱うつもりだ。皆さんにもそうして欲しい。
・・・・・追記:2012年11月10日・・・・・
この文章のなかに以下の部分があるのでピックアップしておく。よくある名前なので何とも言えないが野坂と行動を共にする山田一郎なる人物(おそらく仮名)が登場する。野坂同様大抵が別名を持っているので紛らわしい。
四六年五月二十三日付の東京のCICが野坂の帰国日程をまとめたものがあるにはある(26)。しかしそれは一月十二日に福岡、一月十三日に東京に着いたといったソウル以降の記録が新しいだけである。釜山から福岡までに同船した者には森健、山田一郎、梅田照文のほかに佐藤タケオという人物がおり、さらに野坂よりも数日前に釜山から福岡に着いた岡田文吉が、彼と東京まで同行したとある。
ついでながらこの岡田文吉はTel Quel Japon過去記事に登場する延安名、沢田淳なる人物で、網走刑務所にいる日本共産党幹部徳田球一から延安の岡野に密使として派遣された男である。ご記憶あるだろう。あの河本大作の力を借りて日本から延安入りする日本共産党員である。
探してみるとこの文章に「通化幾山河」を書いた山田一郎氏が登場する。松本重治にイメージが重なる人物のようだ。ひょっとしてこの山田一郎氏と同一人物なのだろうか?
・・・・・追記:2012年11月23日・・・・・
大東亜戦史7満州編(下)、富士書苑 昭和49年2月5日9版発行、を読んで暗澹たる気持ちになった。整えたインフラ、武器、軍人、そこに暮らした日本人、日本の敗戦は、すべての投げ捨てのような気がする。武装解除の命令の前に、熟慮すべきことがあったのではないのか。せめてこの本を紹介しておきたい。
参照:菊千代さん: 参照:鉄太郎さん:
コメント
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西尾先生、大変ありがとうございます。
せっかくご紹介いただきましたのに、この記事、肝心の「通化事件」へのリンクが消えていました。リンク元に依頼し、本日復旧させていただきました。ようやくリンクが繋がったので、ご連絡いたします。
ただ、入稿者本人の紙田氏が全く気づかない間に、ごっそりと中記事が抜き取られていた、と言うことでした。wikipediaのほうも、リンクが繋がらなくなっていました。しかも本人が気づかない間に。
Tel Quel Japonのリンクは重要なものほど、ほとんど切断されています。書いてweb上にあげた本人ではなく、全く未知の第三者によってこうしてリンクがきられると言うことが、これは大変恐ろしいことですが、推量ではなく事実として確認できたことは、よかった、と負け惜しみですが、そう結論付けたいと思っています。