花冷えの日に(二)

 トヨタの豊田章男社長がアメリカの公聴会に呼ばれて、謝罪して涙を流した。謝罪したのはまずい、といった論調があったが、他にどんな手があったろう。勿論、謝罪したからには訴訟はこわい。巨額の弁済が求められよう。しかし、トヨタ車がアメリカ市場から叩き出されるという最悪の結果だけは免れたのではないか。

 へたをすると本当はそうなる可能性が十分あった。サンディエゴ近くのハイウェイでプリウスが暴走して止まらないと騒ぎ立てる男がいて、パトカーが駆けつけて止めるという事件が新たに起こった。連日トヨタ非難の声が燃えあがっていたときだったから、まずいときにまずいことが起こったものだと誰もがハラハラした。何の関係もない観客席の私だって、またしても因縁をつけられるのだろうな、とトヨタが気の毒になった。

 現地の新聞が大騒ぎしかけたが、アクセルのメモリーが入っていて、それを点検するかぎり何の異常も発見されなかった。ブレーキもアクセルも正常に作動していた。騒いだ男が怪しいことは明らかだが、トヨタは賢明にもそれを道徳的に糾弾しなかった。男はブレーキとアクセルを両方踏んだんじゃないか、と男に逃げ道を与えてやった。それが効を奏したらしい。アメリカの世論もこれ以上トヨタを弾劾するのはいかにも見苦しい、と気がついたようだ。

 今度の件でアメリカに理性が甦ったかどうかは分らない。事件の最終の帰趨も今のところ分らない。日本企業叩きのリンチ事件をアメリカはくりかえしている。日米スパコン貿易摩擦(1996)、米国三菱セクハラ事件(1996)、東芝フロッピーディスク訴訟(1999)。いずれもクリントン政権時代(1993-2000)の悪夢のような出来事である。

 80年代を通じアメリカの製造業は日本に敗れつづけた。90年代初頭に「戦勝国は日本だったのか」と悲鳴に近い憤怒の声が上ったのを私は忘れない。90年代に入ってバブルが崩壊し、日本が不利になった。アメリカは規制緩和と市場開放の名の下に日本経済の独自のシステムをひとつひとつ壊しにかかった。日本は自分が何をされているのかあのころさっぱり分らなかったのだ。そしてそのかたわら、アメリカは何だかだと難癖をつけて、威勢のいい日本企業を潰すことに余念がなかった。

 アメリカのやってきたことはつねに国家利益を目的とした国家的行動だった。少し大げさにいえば、軍事力を使わない軍事行動である。今度トヨタに加えられた仕打ちもその一つと考えていいだろう。トヨタにほんの少しスキがあれば、GMを追い抜いたトヨタを倒すために、スキを突いていくのはむしろ政治的正義とさえ考えているだろう。私はこの論理はそれなりに分るつもりである。

 私にむしろ分らないのは国家ということを考えない日本の経済人、企業人である。トヨタ自動車の会長で、日本経団連代表としても有名な奥田碩氏は次のようなことばを平然と語りつづけているのにむしろ驚くのである。

 「今のトヨタというのは、国際企業であり、地球企業なのです。」「地球全体を見ながら、社会、経済の仕組みを作っていかないと、とても二十一世紀は乗り越えられない。」「日本の技術で必要なものがあれば、日本は積極的に他国に移転していかなければいけないと思います。」(朱建栄氏との対談本『「地球企業トヨタ」は中国で何を目指すのか』2007)

 「国や地域という垣根にとらわれていては、企業も国も成長できません」「東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑みたい。」(時事通信社の講演2003.1.20)

 「摩擦を避けながらアメリカでの業績を上げて行くには、外国人取締役を増やす必要があり、今まで現地生産やGMとの合併事業などを進めてきたが、まだまだ『日本企業』のレッテルが取れないとの思いがある。」(朝日新聞2005.5.10)

 グローバリズムであるとかボーダレスであるとか、幕末と終戦につづく「第三の開国」であるとか、そういうことばがぽんぽん出てきて、そして理想のモデルとしているのがEUの市場統合であるのはまた世の多くの、EUに対する誤解を絵に描いたようなものの考え方なのである。

 サブプライム問題に端を発した金融危機はたしかにあっという間に世界をまきこみ、国境を越え広がった。危機の波及がボーダレスであり、地球規模であったことは紛れもない事実だ。しかしその後に起こったことはまったく正反対の動きではなかったか。つまり危機の克服となると、これは国家単位でなされるほかなかたではないか。

 グローバリズムだのボーダレスだのというのはすべてが順調で、いい環境の下にあり、条件がそろっているときには理想的にみえるが、危機に至ればみな自己中心になる。自国中心行動になる。アメリカがいい例である。

 奥田氏は「日本企業」のレッテルがさながら悪であるかのようにネガティブに語り、日本という国家に守られているくせにそのことに気がついていない。自民党という親米政権が倒れたことがトヨタに不利に働いていることを少しでも考えただろうか。

 それよりもなによりも、奥田氏のような日本人としての国家意識をもっていない能天気なリーダーが指導していたがゆえに、トヨタは政治的に攻撃されたのである。トヨタ事件は技術の過失のせいでも、新社長の未熟のせいでもない。朝日新聞が「地球市民」という歯の浮くような言葉をはやらせたように、永年にわたり奥田氏が「地球企業」などという甘い概念をまき散らし、トヨタ社内にだけでなく日本社会にも相応に害毒を流してきた報いがきたのだともいえる。

 今度のトヨタ事件は、世界の各企業が多国籍のようにみえて、それは外観か衣装であって、じつは根底においてはナショナリズムで動いていることを赤裸々に証明したといえよう。

 第三の開国とか東アジア共同体とかアジアとの共生とかいうことばが日本の言語空間にだけ無反省にとび交っているが、法秩序のない中国、国家以前のあの大陸地域と共寝するつもりなのだろうか。

 最近韓国企業の活性化をよく耳にする。韓国経済の好調が伝えられる。麻生内閣の当時、だからほんの一年くらい前だろうが、韓国経済は危機にあり、日中が共同で危機打開の援助を与えたことがあった。その後、ウォン安がつづいたので、それが韓国の輸出力を上昇させている原因ともいえるが、どうもそれだけではないようだ。この国には日本にはない強烈なナショナリズムがある。李明博大統領は官民一体となって世界市場を開拓し、日本が得意としているはずの原子力発電で最近日本を出し抜いてアラブ首長国連邦との巨額契約を獲得した。

 日本が余りにも無警戒で無防備なのは、政治と経済が一体化して動くアメリカ的行動力が韓国にあって日本にない、この点だけでは必ずしもなく、日本企業から技術者が流出して韓国にどんどん技術が移転しつつあるという話をよく耳にすることだ。詳しい事情を知る者ではないが、機密保護法ひとつない戦後日本の自己防衛本能の弱さは、政治や軍事だけのことではなく、経済的な国力の基盤を毀すところにまで次第に及んでいるのではないかとの憂慮を抱いている。

つづく

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