花冷えの日に(一)

 公園の桜はまだ咲きかけたばかりで、今日は一日雨模様で寒い。しばらく語っていなかった日本をとり巻く政治情勢についてゆっくり考えてみよう。

 政権交代以後わが国の外交が中国に傾いたことは民主党の既定の方針と思われているが、アメリカがそれよりも先に中国に急傾斜したことも無関係ではないと思う。アメリカが余りにも露骨に中国サイドに立った時期があった。日本をないがしろにした。そうなると日本は従来の対米従属の侭では米中両国からもてあそばれる危うい立場になる。中国に接近することでアメリカを牽制する必要があったに相違ない。

 政権交代後の日本の対中接近は不徹底で、動機も不明確だったが、アメリカを警戒させるには十分だった。このところ逆にアメリカの中国離れが目立つ。台湾への武器輸出、ダライラマと大統領の会見、そしてGoogleの中国からの撤退。急に風向きが変わった。日本の対中接近がなんらかの作用を及ぼしていないとはいえない。

 これには経済的動機が大きいことは分っている。人民元を値上げさせ、アメリカの輸出力を回復させる必要もある。2兆ドルを越える中国の外貨準備高は問題である。中国の不動産バブルは崩壊寸前である。アメリカは昔日本に課したような「プラザ合意」を中国にも押し付けようとしている。日本の「マネー敗戦」を知っている中国は今そうさせまいと必死である。

 アメリカと中国が綱の引き合いをしているのが経済的動機にあることは分っているが、日本の政権交代後の対中接近もまったく無関係ではなかったと思う。アメリカの中国離れは日本を眺めながら行われている。

 Googleの撤退が示すアメリカの反共意識の回復はいま日本を安堵させている。やはりアメリカは自由と民主主義のイデオロギーを尊重する国だ。そうなればこれ以上無制限に共産中国に傾くことはあるまいと。

 しかし、90年代のクリントン政権の無節操、中国接近と日本叩きを覚えているわれわれは、同じ民主党のオバマ政権が何を仕掛けてくるか分らない不安をも忘れるわけにはいかない。あっという間にまた風向きが変わるかもしれない。そしてアメリカは日本に不利益を与えるのを平然と承知で中国と手を結ぶかもしれない。米中が共同で日本いじめをする政策がわれわれの悪夢である。

 いずれにせよ風向きはたえ間なく変わっている。昔の米ソ対立時代のような「鉄のカーテン」を向うに回している状況とは違う。アメリカもしたたかで猫の目のように態度を変える。中国と日本が手を組んでうまく行った黒マグロ国際会議のようなケースもあるにはある。アメリカと日本が手を組んで中国やロシアを押さえるケースもきっとあるに相違ない。

 だからいちいち気をもんで一喜一憂しても仕方がなく、日本はこれから薄氷を踏む時代を肚を据えて乗り切っていかなくてはならないのだが、それにしては日本政府が場当り的で、方針が不明確で、CO2-25%減などという国益無視のきれいごと一点張りなのはまことに寒心に耐えない。

 およそ政府に国家理性というものがない。内向きでドメスティックである。そしてオバマ政権も歴代アメリカ政府の中ではやはり同じように内向きで、ドメスティックなほうである。財政破綻も省みず、国民皆保険制度を強行したりした。子供手当てでバラマキの小沢・鳩山政権と似ている処がある。

 私が心配しているのは、日米両政府の非国際的自閉的傾向のこういうときもとき、運の悪いときは重なるものだから気になるのだが、いま北朝鮮の政情が風雲急を告げているのである。今度こそ本当に危ないのかもしれない。デノミが失敗し、韓国の反共政権の援助も途絶えた北朝鮮財政はもうどうにもならないらしい。デノミは上層階級の財産を奪った。軍人が飢えている。暴動が起こったら、今度という今度は軍が金正日を守らないだろう。

 北朝鮮の動乱は周辺のどの国もが望んでいない。だから金正日は延命できたのだった。日、米、中、韓、露のどの国も心の用意がない。日本政府が一番なにも考えていない。こういうときに何か起こったら、まさに天下大乱である。

 実際、日本で話題となっている普天間基地の問題をみていると、議論の中に、国土の安全のためにどうするのが最もよいのか、という観点がない。最重要の観点がない。まったく異様な国である。

 こういうときに北朝鮮で何か起きたら、朝野をあげて周章狼狽するだけだろう。見ていられないし、われわれは本当に身の危険を覚える事態になるかもしれない。

 それでもどこか心の中で、アメリカへの期待がある。依存心理がある。正直、私にもある。情ないが(そしてある意味恥しいが)、北沢防衛大臣によりも、交渉しているアメリカの軍人のほうに国家理性を感じる。これは困ったことだ。私の「反米」思想と一致しない。あゝ、何とも耐えがたい矛盾だ。

 というのも、過日トヨタ自動車に向けられたアメリカの対日反感、情念の爆発、衝動的余りに衝動的な攻撃は、私には紛れもなくアメリカという国が引き起こした国家的行動の一つだと思ったからである。腹立たしくもあるあの反日行動は、イラクやアフガニスタンでまき起こされている野蛮の嵐と同じである。

 私はそれを是とはしない。しかし単純に非とはしない。むしろトヨタの奥田碩会長、日本経団連会長が説きつづけてきた「地球企業」の構想、国籍不明のボーダレスの経済行動よりも筋が通っているとさえ考えているからである。

 この話を明日またしよう。明日もまだ桜は咲いている。

つづく

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