管理人による出版記念会報告(十一)

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 そうしましたら、御本人の謝辞でございます。

 ここでは短めの挨拶を頂きます。中盤以降、もう一度、西尾先生には御登壇いただき、スクリーンに様々な関連画像とともに解説をいただく予定です。では西尾先生、お願い申し上げます。

 西尾幹二氏の謝辞

 突然の春の嵐で、歩くのもたいへんな折に、皆様ご参集いただきまして、心から御礼申し上げます。

  私は物書きのプロと思っておりまして、学者ではなくて、いわゆるライターとして生きてきたつもりでしたので、本を出したくらいで、出版記念会というものはやらないよと、ずっと言っておりました。ところがこの本に関連して、ある人が、先生、今度はお受けになってください。先生は明日にもお亡くなりになる可能性が常にあるのです、と、言った方が、しかも女性なので、愕然としたというよりも、卒然と悟ったということであります。

  もっとも、私の家内は私が深夜風呂に入っているときでも、帰りが遅いときでも、常にどうかなっているんじゃないかと思っているようでございまして、葬式のことがたびたび話題になるのであります。いざというときに自分ではどうしたらよいのか、と。でも私は今、いたって健康で、残念ながらそういうときはすぐ来そうにもありません。

  それはともかくとしまして、私は28歳のときに、ドイツ文学の学会の小さな賞をいただいたことがあるんです。丁度28歳でした。これは修士論文をまとめたもので、それから大体二本が対象になりました。論文の名前が「ニーチェと学問」と、もう一つが「ニーチェの言語観」という二つでした。これでおわかりと思うのです。「学問」というのと「言語観」というのは『江戸のダイナミズム』の二大中心テーマです。私の28歳のこの仕事が真っ直ぐ今回の本に繋がっているということが、今にして言えると思うのです。

  まさしくこれは江戸の学問の話です。長谷川三千子さんとこの間Voiceで対談いたしました。そしたら長谷川さんが道元を持ち出されたのですね。そこでそれはちょっと違うんじゃないか、これは学問の話なんですよと、申し上げたのです。宗教にまで近づいた学問のテーマなので、いきなり宗教ではない。

 学問論ですね。それから言語に対する興味というのが中心であります。ですから私の28歳のときの自己探求からこの本がまっすぐ繋がっているということ。そしてその賞をいただいたときに推薦してくださった先生、審査委員長の先生、そのときの学会の代表の先生の名前を言いますと、皆さんああ、聞いたことがあると思われるでしょう。つまり、推薦して下さったのが秋山英夫先生、論文の審査委員長が高橋健二先生、それからそのときのドイツ文学振興会の会長が手塚富雄先生。これらの先生はもうおられないのであります。

 人生しみじみと無常を感じますのは、ああ西尾君よくやったねと、あのときの二論文からとうとうここまで来たんだねと、言ってくれる人はいないのであります。本日も多数のご参集をいただきながら、実はドイツ文学の関連者は数えるほどしか来ておられないのです。私が如何に、彼らと違う人生を歩んだか、そして如何に決定的に専門家嫌いであったかとあらためて思います。今度の本も徹底的に専門家を排撃しておりますけれども、私は専門家というものを認めない。専門家は全人的に生きていないからです。私は彼らから、如何にして離れようかと思った。あるいは裏返せば専門家にはなれないと言ってもいいのかもしれない、なろうと思ってもなれない。

 しかし、今回の本を書くにつけて、昭和のある時期の国語学の先生ですごい人がいるなということを知りました。橋本進吉以下ね。これは専門家じゃなきゃできない仕事です。さきほどお話くださった吉田敦彦先生も専門家なんです。ものすごい専門家なんですね。専門家じゃなくてはできない仕事というのがたしかにあるんですよ。それはまた偉大なんですね。しかし残念ながら、私は出来なかったのです。それには理由がある。文学研究なんていうものは誰がどうやっても学問にならないからです。だから私は物書きになった。私は物書きにすぎなかった。でも、物書きなりに専門家に反逆したかったというのが、今度の本でございます。

 どうも皆様、このような春の宵の大事なひとときを犠牲にしてお集りくださって、私のためにお祝いをしてくださることは、身に余る光栄でございます。あつく御礼申し上げます。有難うございました。

 有難うございました。西尾先生、しばし壇上にお残りくださいませ。 

つづく

「管理人による出版記念会報告(十一)」への1件のフィードバック

  1. パスカルに「人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうるすべてを知ることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜならすべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべてを知るよりずっと美しいからである」という言葉があります。当日、西尾先生のスピーチを聞いていて、何よりもまず、パスカルのその言葉が私の頭に思い浮かびました。パスカルにはまた、「幾何学的精神」と「繊細な精神」の二者の精神の区別を通じて、いろんな意味において、後者の精神が世界の真理に近づきやすい、というくだりもあります。
     
      もちろん、「繊細な精神」というのは優しさやヒューマニズムという意味ではなく、特定の公理や専門的知識によって説明される特定の「眼」に納得できず、たえず様々な「眼」の可能性にこだわり、死にいたるその日までどんな解答にも満足できず、専門より真実を優先する精神、とでもいうべきでしょう。しかし近代とりわけ20世紀という時代は、パスカルの警句とは全く正反対の方に事態が進行してしまった時代です。西尾先生のかつての著書の中に「学問のためでなく、学会のためにのみ活動している学者」という実に的確な指摘の言葉があったと記憶しますが、つまり専門家の大半が安易な「幾何学的精神」の自足の果てに、そんなスモールポリティックスの世界に生きてしまっているのが現実で、専門家の諸氏はそれでいいでしょうが、真実というものを学問的認識に求めている一般人にとっては、この現実はたまったものではありません。
      
     「ライターとして生きてきた」という西尾先生の言葉は、自分はパスカル曰くの「繊細な精神」を自分は持ち続けたのだ、ということの言い換えであるように思えます。私の考えるところ、優れた大思想家は、皆、「ライター」ですね。しかしさらに重要なことは、ニーチェのように早々に研究者業を廃業し全面的に孤高の「ライター」人生を選択した潔癖な大思想家もいれば、その反面、「専門家」の虚しさを知りながらも、専門家と「ライター」を兼業し続けたたくさんの器用な大思想家がいる。そして西尾先生のスピーチは、ニーチェの潔癖すぎる潔癖さと、器用に専門家への軽蔑を隠し続けた大思想家の諸氏の両方ともを、私達が学ばなければならない本物の思想家と言われているように思います。
       
     おっしゃるように、専門家と一口にいっても、たいへんな専門家、優れた専門家というのもたくさんいるのですね。西尾先生は言語学の橋本先生の例を挙げられましたが、私は以前、必要があって、美濃部達吉や瀧川幸辰といった昔の法学者の著作に目を通したことがあります。その世界を極める専門家のすごさというのを感じると同時に、よく読むと、昔の専門家というのは、他分野への旺盛な好奇心が、専門分野の表現に巧みに現れている、ということがわかりました。わかりやすく専門家と「ライター」を兼業している人物より、ずっと隠れた奥深いところで、「ライター」を兼業しているのが昔の大専門家なんですね。だから昔の大専門家の本は、何処か面白くて、読んでいてもなかなか眠くならないんですね(笑)
       
     私達は専門と反専門のことを考えるとき、ニーチェの生き方に感動しますが、しかしいざ生き方の選択、という面で考えるとき、ニーチェのような専門家との潔癖な敵対は、ある意味で危険な精神行為で、「潔癖」は「潔癖すぎる」ことにつながりかねません。「繊細な精神」を静かにたたえた、巧みな大専門家というのも実はたくさんいるからですね。ニーチェならそれは見抜けるでしょうが、私のような凡人がいい気になってニーチェの精神を獲得した気になったとしても、それは難しいのですね。しかし西尾先生の著作を読んだ上で、西尾先生の当日のこのスピーチの言葉を考えると、そのわかりづらさが、わかりづらくないように思われてくる。ニーチェの在り方も、反専門と専門を使い分ける在り方も、そしてかつての大専門家の在り方も、皆、パスカル曰くの「繊細な精神」の旗のもとに集う、読むに値する人達なんだ、ということが、心から納得できるような気が私にはしました。これらすべてを正しく配慮しているからこそ、西尾先生の本は専門書であると同時に、反専門書でもあるのだ、と私は思います。

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