管理人による出版記念会報告(七)

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guestbunner2.gif長谷川真美

 
 つづきまして学習院大学名誉教授の吉田敦彦(よしだ・あつひこ)先生です。

ブーバー対話論とホリスティック教育―他者・呼びかけ・応答 ブーバー対話論とホリスティック教育―他者・呼びかけ・応答
吉田 敦彦 (2007/03)
勁草書房

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面白いほどよくわかるギリシャ神話―天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて 面白いほどよくわかるギリシャ神話―天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて
吉田 敦彦 (2005/08)
日本文芸社

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世界神話事典 世界神話事典
大林 太良、 他 (2005/03)
角川書店

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日本神話 日本神話
吉田 敦彦 (2006/05)
PHP研究所

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 吉田先生は神話に関する研究書や一般書をたくさん書かれた、人も知る神話学の世界的な権威、日本を代表する神話学者でいらっしゃいます。お願いもうしあげます。

 吉田敦彦氏のご挨拶(一)

西尾先生、本日は本当におめでとうございます。私のような者が、お話させていただくのは、本当に僭越ですけれども、先生からのご指名ですので、しばらくお耳を汚させていただきます。

 本文だけで550ページに垂らんとする大著述の『江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋』で、西尾幹二氏は、本居宣長の『古事記伝』をその精華とする「文献学」における、わが江戸期の文化の世界にも比類の無い価値と先進性を、端倪すべからざる博識を駆使され、満腔の情熱を傾注されて、もののみごとに解明してのけられた。

 西尾氏によれば「歴史意識」と呼べるものが成立した地域は、地球上でただ地中海域と中国、日本のみだが、「文献学」は奇しくも17世紀から19世紀にかけての時期に、これらの三地域に並行して勃興した。ただ中国で、古代語の精密な解明を目指す清朝考証学が開花したのは、乾隆、嘉慶の両皇帝の時代(1725~1820年)であり、この中国の文献学には、聖典として尊尚された経書の絶対性をそもそもの前提としていたので、その聖典であるテキストへの本来的懐疑は存在のしようがなかった。

 聖典であるテキストをも相対化する文献学は、西洋と日本でだけ成立したが、西洋で近代文献学の真の端緒を開いたヴォルフの『ホメロス序説』は、1795年に刊行された。ところがわが国では、清朝考証学の全盛期より半世紀も前にすでに、荻生徂徠の儒学によって、脱孔子の道を拓こうとする野心的な模索がされており、そのあと1745年には、当時30歳だった富永仲基によって、仏教の経典を批判的に考究した主著『出定後語』が刊行されていた。

 このような「聖典」に対する批判的な態度を西尾氏は、「一つの自立した知性が聖典の背後にまわり、宗教の開祖を相対化する破壊の刃を突きつけるという危険な意識」と呼ばれ、「不思議なことにそのような意識にいちばん早く目覚めたのは、・・・・江戸時代の日本であったことに気がつきます」と、言われている。

 ところがこれらの徂徠の儒学と仲基の仏教経典研究のあとに出て、国学の基礎を確立した偉業となった『古事記伝』44巻の中で本居宣長は、言語科学的分析を、それらよりいっそう厳密なものにする一方で、それによって明らかにされる『古事記』に書かれていることに対しては、後代の知恵による懐疑や批判を加えるのを、いっさい許容せぬ立場を徹底して貫いた。『古事記』のテキストに対するこの宣長の態度は、エッカーマンとの対話の中でゲーテが「ヴォルフはホメロスを破壊してしまった」と論評したという、ホメロスの原文に対するヴォルフの取り扱い方とは、まさに正反対のもので、一見すると徂徠や仲基の文献学に世界に先駆けて見られた、先進的な批判精神をいっきょに後退させてしまったようにも見える。

 だが西尾氏はこの宣長の『古事記』の原文の扱い方が、西洋古典文献学とその方法に倣って聖書、とりわけ福音書の原文を分析しようとした聖書解釈学とが、やがて共に陥ることになる陥穽を先んじて回避していたという点で、じつは別の意味できわめて先進的で、あった所以を、鋭く指摘されている。

つづく
つづく

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