たいへん、お待たせ致しました。ここで乾杯です。乾杯の御発声は『江戸のダイナミズム』を出版していただきました、文藝春秋の代表取締役社長、上野徹(うえの・とおる)さんより頂きます。皆さま、お手元のグラスにお酒、ビール、ウーロン茶などをご用意下さい。
それでは上野社長、一言ご挨拶よろしく御願いします。入り口付近が込み合っておりますので、どうぞ皆様前の方へおつめくださいませ。乾杯のご用意をお願いもうしあげます。
それでは上野社長、ひとこと乾杯のご挨拶をお願いいたします。
上野 徹 文芸春秋社長 乾杯の音頭
ご紹介いただきました文藝春秋の上野でございます。この会の発起人の一人として、また版元からの御礼ということも合わせまして、発声のご挨拶をさせていただきたいと思います。
西尾先生、『江戸のダイナミズム』どうもおめでとうございました。さきほどもご紹介がありましたように、これはわが社の『諸君!』という雑誌に足掛け四年、さらに先生の場合は推敲と注の製作に二年という、本当にご苦労でなった本であります。
一人の思想家というのでしょうか、身を削るような長い思索と、研究の旅の結果が素晴らしいタイトルの本に結実したのではないかと思います。改めて先生には敬意を表したいと思います。先生もご本の中にお書きになっておられますけれど、日本の近代化というのはもう西洋史とは関係ないんだと。
日本の歴史の中そのものから醸成されたものがあって、これが西洋に比べて早く、かつ先進的であるのは、日本の歴史に立ち返って、それをバネとした力がこれを生んだからだとおっしゃっています。
このサブタイトル「古代史と近代史の架け橋」というのがこれだと思います。このテーマというか基調というか、それは本当に先生がおっしゃっていますが、テーマが何度も何度も繰り返されていて、時にはそのテーマが変奏曲のようにですね、何度も何度も繰り返されているのを読んでいると、だんだん自分の中にある一つのクッキリしたイメージが浮き立ってくるという、そういう仕掛けの本じゃないかと私は思っているんです。
私は個人的には読んでいると、なんていうんでしょうか、交響曲っていうんでしょうか、交響曲というか、雄大なシンフォニーの中に身を置いているような感じがいたしました。先生がおっしゃっていますけれど、日本人っていうのは、なにかこう、何者にも左右されないある背景の中に生きている、あるいは先生の言い方を借りると、不思議な鷹揚たる宇宙世界、その中に生きているんだと。それを一生懸命、それは何なんだろうというのを、生涯を通じて追求したのが本居宣長だとおっしゃっています。
ただ、しかしこの言葉というのは、やはり西尾先生にそのままさし上げていい言葉じゃないかと私は思っております。今なかなか思想的に混迷した時代に、西尾先生のこの本というのは、非常に貴重な、大事な本が出たのではないかと思っております。
あまり乾杯なのでおしゃべりをしてもいけませんので、それではですね、西尾先生にこういう素晴らしい本を書いてくださったことへの感謝と、さらにこれからのご健康とご活躍を皆さんと共に杯を挙げて、乾杯したいと思います。よろしいでしょうか。では乾杯!
乾杯の音頭までに上野さんを合わせて、7名のスピーチである。遠藤氏による朗読も15分。並みの講演会の半分は十分にある。しかも、並みの講演会ではこれだけのメンバーの集合はお眼にかかれない。
ただありきたりの、出版記念パーティーに来たつもりの人には、ご馳走を前にして立たされた状態でのこの時間はちょっと長いと感じたかもしれない。でもこうやってスピーチを活字にしてみると、それぞれの方が、おざなりな挨拶ではなく、西尾先生のご本を読んだのちに、しっかり自分のご意見を入れられた貴重な内容のお話しだったことがわかる。
できるならば、全員が着席してこれらを聞くことができたら、どんなによかっただろうと思った。(文・長谷川)
(乾杯ののち)
それでは皆さん、しばしご歓談ください。
私はたいへん浅学のものなので、こちらにコメントするのは気が引けるのですが。
全体に少し違和感を覚えております。
本居宣長は、古代のこと、神のことを、正しく見極めようと欲したからこそ、結果的に、厳密で、ある意味近代的な方法論をとったのでしょう。
また、文献的に分からない部分は、分からないこととして判断中止し、いたずらに根拠薄弱な推論の屋上屋を重ねる愚を犯さなかっただけではないでしょうか。
これは現代人に広く見られる伝染病です。
本居宣長は、古事記についても、他の古書と異なる部分については疑わしいことを明確に指摘しており、頭から「信仰」していたわけではないと思います。
津田左右吉は、日本書紀、さらには特に古事記の神話の記述に、編纂当時の政治思想が濃厚に混入していることを指摘していたと理解しています。
それは、当時の支配層が、それ以前に存在した歴史や神話をねじ曲げたことを意味します。
津田の推論は文献学的に行われており、正しいとしか言いようがないのではないでしょうか?
私は、本居宣長の限界も明晰であると思います。
それは神の定義があいまいであるとか、明晰な言挙げを慎んだとかいう部類のことではありません。
彼の限界は、「古事記と日本書紀とを直接対比しなかったこと」です。
本居以降の学者さんたちも、なぜか古事記と日本書紀とを対比しようとしません。
この「限界」は、哲学によって乗り越えることはできないと思います。
以上を簡単にまとめると、古代から彼の時代まで通底する日本的なものの、今だ明らかにされていない輪郭とその根拠とを知るために、
当時存在していた方法論を総動員して文献学的探求を行ったということで宜しいのではないかと思っております。
西尾先生の「ニーチェとの対話」でモンテーニュの「私は非常に単純な歴史家か、または群を抜いた歴史家が好きだ」を引用されたくだりがあったと記憶します。モンテーニュの言いたいことは、歴史観における健全な主観主義と客観主義は、歴史家において稀少な両者にしか生まれず、歴史観を破壊してしまうのは、この三流と一流の中間にあって、客観主義を装いながら凡庸な主観主義を駆使している二流の歴史家だ、ということなのですが、大学時代の知己で、少なくない同年あるいは同年に近い出版業の人間と話すとき、私はいつも、このモンテーニュの言葉を苦々しく思い浮かべます。
大概の私の出版業者の知己は「こういう本もあってもいいのではないか」という私の見解を素人呼ばわりし、出版不況の現状を知らない空論だというふうに言われてしまいます。私の見解が素人なのは事実だとして、では、出版者としての彼らの職人意識に、マーケットメカニズム以外のどういう見識が存在しているのか、というと、実に情けないものしかもっていない場合がほとんどです。大体、不況といいながら、出版不況の原因が、自分達出版人であるかもしれないという謙虚さが全く感じられない。さらに不思議なのは、純粋にマーケットメカニズムに徹しているかというとそういうことでもなくて、こういう友人に限って、どう考えてもおかしな出版計画や雑誌企画を思い描いていたりするんですね。
もちろん、モンテーニュが言ったのは歴史認識の問題であって、出版業界の話とは全く関係ありません。しかし、認識における「主観」と「客観」の図式に拘りすぎて、「客観」主義の立場を「マーケットメカニズム」主義に一致させつつ、その内実はいろんな主観主義の悪戯をして出版界を疲労させている、というのがこの日本の言論界の現状なのではないだろうか、と私はお門違いを承知で、モンテーニュの言葉を飛躍させて考えます。歴史家と出版人において、共通点を見出してしまうくらいに、私は認識における職人意識が嫌いで仕方ないのですね。モンテーニュが言う「単純な歴史家」は、自分達のできる範囲で読者に誠実に良書を提供しようとする地味だけれども忍耐強い出版人、「群を抜いて優れた歴史家」は、絶えず斬新で的確な出版計画や雑誌企画を有しつつ、むしろそうした斬新さがマーケットメカニズムを変えてしまうような、実は評論家としても一流な出版人、そういうふうに平行移動して私はモンテーニュの言葉を理解しています。
言うまでもなく文藝春秋は「群を抜いて優れた歴史家」に該当する出版社です。1930年代という難しい時代の「文藝春秋」のバックナンバーを読むとそのことがよくわかります。世論がドイツとの同盟賛成に急傾斜しているとき、「ナチスは日本に好意をもつか」という鈴木東民氏の論文を掲載し、あるいは近衛文麿に対するこれまた世論の急傾斜に対し、近衛の革新思想被れを厳しく指摘する阿部真之助氏の論文を掲載したりしています。もちろん、これらは、反体制というイデオロギー依存の形での懐疑から生じたものではなく、この日本にあって、この日本でしか生きられないという前提を決して動かさない上での懐疑主義ということであって、その良心はずっと文藝春秋において、維持されているということができるのでしょう。そういう意味で、乾杯の音頭を文藝春秋の社長氏がとられることは、西尾先生の今回の著書の出版元であったという以上に、西尾先生の著作の良心を象徴することに相応しいことだったように私には思われました。
二次会のレストランで、私の隣席だった方は、一般的にみて、あまり有名でない出版社の社長氏でした。しかしとても腰の低い見識豊富な人物で、私の知己に多いような二流の職人意識をひけらかしたりする出版人とは正反対の人物でした。「単純な歴史家(出版人)」か「群を抜いて優れた歴史家(出版人)」のいずれかはわかりませんが、モンテーニュが賞賛する人物であることは間違いないように思われました。「西尾先生の本を私のようなところでもいつか出版して、いろんな方に読んでいただきたいのですよ」と繰り返し言っていらっしゃいました。私は西尾先生がかつての著作で「自分の本当の姿はさほど有名でない哲学誌や文芸誌に載っていたころにこそある、とさえ思っている」という言葉を思い出して、「そのうち必ず、その機会がやってきますよ」と、だいぶ酔いのまわってしまった口で話したら、その社長氏は本当に嬉しそうな顔で頷いて、ちょっとだけいいことしたかな、と当日の楽しい宴の小さな満足感の記憶になりました。
「江戸のダイナミズム」には、「諸君」連載中から瞠目してきたが、この大著を改めて通して拝読し、以来、覚めやらぬ感動の只中にある。
その感動をどこからどのように、かつ簡潔に書き表そうかと切口を、構想を練り重ねてきたが、この名著全二十章の随所において闡明された絶類の卓説とその懇切な啓導に触発されて、私の凡庸な脳裡にも共鳴とともに新たな想念が次から次へと湧出し、その度に新たな視界が開かれる喜びが胸裏に満ちるが、その想念は次々に去来して際限がなく、コメント欄が再開されて久しく、かつ出版記念会などで言論人達の書評・所感文が発表されて早一月近くが過ぎているので、僭越ながら私も、先ず、総論としての所感の前段をここに寄稿させていただき、この歴史的大著を世に問われた西尾先生に対し満腔の敬意を表し上げることとさせていただきたい。
いつの時代にもどのような時代にも、真の賢人は、その時代を風靡し覆い尽くす空気(時には濃厚な瘴気)にも、惑わず懼れず真実を追及する。即ち、真実の神(高次元的実在)を探求する。
そのような賢人として、西尾先生は、東西(世界)の文明史という大舞台にニーチェと宣長を登場させ、言語と文字の問題を機軸とし、古代伝承(ミュトス)と古代・近代の古典文献学の関係を縦糸に、キリスト教をはじめとする世界宗教の消長と近代の思潮とを横糸に、それをこの大舞台「人間世界の文明史」という一枚の舞台背景に、真摯な学問(科学)的・実証的裏付けとともに、一つ一つ的確に位置付けるという雄大な白描を力行され、而して、そのような確たる学問(科学)的・実証的基盤を踏まえた舞台の上で、シテとしてのニーチェと宣長が、近代の思潮・文献学という限定的な思惟方法の枠と次元を遥かに超えたアプローチで如何に真実に向きあう卓抜した思想を展開したかということを本色として顕彰された名著であり、かつ西尾先生御自身も、それら真の賢人達と伍して「真実の神の探求」に真正面から取り組まれた渾身の歴史的大著であることに感嘆し、深く思いを致すところである。
而して、「真実の神を探求する」方法論として、西尾先生は、三段の法則(「価値」から「没価値」を経て「破壊と創造」へ)を提起され、その具体例として徂徠と宣長、ニーチェとハイデッガーを対比しつつ「しかしこの四者は古代と格闘し、古代の言語をめぐって徹底的に文献学的でありながら、文献学を破壊し、既成の神を廃絶し、近代の文献学を超えた彼方に新しい神を探求した」ことを闡明された。この四者をしてそのような探求を、就中、ニーチェと宣長をしてそのようなアプローチを可能ならしめたものは、いずれも絶類の天才としてのその比類なき透徹した直観力と強靭な思想批判力によるものであったと感得され、また、そのことを顕彰された西尾先生の御炯眼も、これと比肩されるべき真の賢人たる所以であると拝察する。
吾々が生きてきたこの人間世界の次元では、畏敬すべき古代伝承もその殆どは時間の経過と異文化との接触によりやがて謬伝と化し或いは消滅して遺跡のみを残し、また、時代が求める方便として出現した壮大なフィクションが世界宗教として時代を覆い尽くし或いはイデオロギーとして一世を風靡してきたという事実がある。時として既成の神を廃絶しなければならない所以である。
他方、真実の神が「高次元的実在」即ち「実在」であるならば、それは感応の対象とはなり得ぬ化石や抽象概念などでは決してなく、生きている存在であり生成化育する何者かでなければならないはずである。そして、そのような神を探求する方法は、西尾先生の先の四者やベルジャイエフなど、殊に宣長についての卓説を精読すればするほど、冷静な学問(科学)的・実証的方法にも耐え得るものであると同時に、それを超える次元においては純粋な畏敬の念と素直な心に裏打ちされた絶対的、信仰的な志向でもあることが不可欠ではないかと確信が更に深まりゆく。
真実の神を探求することにおいて、信仰者の側に立つことと科学の側に立つことは対立する要素とはならないのではないか。学問(科学)的・実証的方法を無視すれば謬伝と化し或いは時代的使命を終えた既成の神を廃絶する慧剣(見識)を持つことはできないであろう。他方、純粋な信仰心をないがしろにすれば真実の神が実するとしてもこれと感応道交することは不可能となるであろう。対立するのは「信仰者」と「科学」の立場なのではなく、探求者たる人格の内側に畏敬の念と素直な心と高い見識とを調和のうちに具えるか、反対にその人格に侮蔑の念と屈折した心と傲慢な偏見とを宿すこととなるのか、要は人格と見識の「次元」的な高低に根差す対立であるはずであると考える。津田某やそのエピゴーネンに宣長大人(うし)がわからないのも、西尾先生が読めないであろうことも、畢竟「次元」の高低の問題であり、「因果」の論理の対立などでは更々ないものと確信する。
未だ総論も半ばであるが、拙文を長々と開陳するに及び正に汗顔の至りであるので、ここで、この大著を拝読する間に頻りに念頭に浮かんだある名著の一節を紹介させていただき、前段の記述を終えることとし、次回から、総論の後段、そして各論について逐次寄稿させていただいたいと考えている。向後相当期間、このコメント欄が開設されていることを切望する次第である。
さて、真実の神と人間との関係について、小野浩先生(ドイツ文学・元明治大学教授)は、その労作「若きニイチェの識られざる神」の冒頭において、ニイチェの系譜伝承に対する畏敬の本質に関し、次のように論じておられる。
「かく子は親から生まれ、親はまたその親から生まれるが、私たちの立場に於いては、これを無限に遡ることが問題なのではなく、このような親子の関係がそれにもとづいて成立する究極の根源的生産力が眼目なのである。かく原理的に考へながら、生む力は生まれた力にもとづくといふ自覚を通路として根源的生産力に直面するとき、私たちは単なる人間主義の立場から一切を解釈することをやめ、却って人間実存を可能にする根源のうちに抱かれて一切をつつ眺めることを学び、それによって素朴な人間中心の立場をこえるに到るであろう。人間の親子関係を原理的に基礎づけるこの根源的生産力の人格的表現としての神は、もとより人間的次元に於ける子に対する親ではなく、やはり「全き他者」としての超越性はこれを保つのである。然しこの意味に於ける「全き他者」は弁証法的神学の用語と必ずしも一致するものではない。弁証法神学によれば、人は決して直接には神につらなり得ない、人より神へゆく道はなく、ひとり恩寵によってのみ、人は「全き他者」なる神に直面し得るにすぎないとされる。(中略)
全き他者の説は神と人間との次元的高低を明示してものとしては一応傾聴すべきものではあろう。基礎づける神は基礎づけられる人間よりも高次の存在であることは勿論であるが、またまさにそのことによって、真の神は人間とも隔絶することなく、これに連続するものでなければならない。真の絶対は相対を媒介し、これを止揚することによってこそ絶対たるに値する。具体的に言えば現実の神は身心ともに人間に対する生みの親となって始めて、相対を絶することなく相対を媒介し、これを根拠づけつつ真の絶対者たり得るのである。この媒介の実相が生産であり、その根本現象が人間的生産に対する高次の生産であり、そこに神の超越性とともに現実性が見られるのである。(中略)
このような方向をゆくニイチェこそ、これを一般西欧風に対比すればまことに際立った存在であり、この例外性を提げて西欧全体を蔽ふ異質の伝承複合と正面切って対決しなければならなかったところに、ニイチェ生涯の悲劇性が胚胎するのである。」
西尾幹二先生の大著『江戸のダイナミズム』を、表面的ではあるが読了した。
この書の第一の発見は、西尾先生が本居宣長を通して神話の世界に「信」を置いていることが看取されたことである。
書中、「『大鏡』『愚管抄』『神皇正統記』・・・これらの書物はすべて神代と人代と区別せず、天皇譜がまっすぐにつながっている歴史観の前提の上に展開されています。天皇譜と神話の世界は一直線につながっている。つまり日本の天皇制度は神話によって根拠付けられ、神話と王権が直結しているのです・・・神話は学問化されないなにものかであり、天皇の存在とつながった信仰の対象のはずでした」とある。
私なりに今まで、幾多の書に親しんできたが、これほど分かりやすい言葉で、日本の国柄までも含め、直截にさらりと言ってのける人はいなかった。私の意識では昔も今もこの感が強い。
平明な説明であるが、西尾先生は「大変なことを」言ってのけているのである。
読者は、この書を、「信」を持って読み進めば、言の林、神々の世界にまで深く分け入り、人によっては、わが生の証をさえ直覚できるのではないだろうか。それは必ずしも学問的蓄積の積み重ねだけに依るものではない。日本人が古今大切にしてきた、自然、生あるものへの素直な畏敬の念(こころ)があればよい。その明きらけく、素直な心がないとき、日本人は直感的に違和感を覚え、物事の本質が観えなくなる。
書の末尾にはまた、
「江戸時代には『道』という普遍性があって、それで初めて己の歴史への意=事=言の一致という個別の認識が確立されたのでした。ここから現代において何が欠け、何を確立することが急務かは自ずと明らかになるでありましょう」とある。それを西尾先生は「宣長は難解でも、時代遅れでも、反動でもありません。意=事=言の一致は常識を語っているだけです」と、これまたさらりと言葉を添えておられる。
日本という国は、具体的な『道』を基層とした、特殊かつ普遍性を有するホリスティックな国であることを知るのである。それが判れば、国民も徒に安っぽいアメリカニズムに酔いしれることもなくなるだろう。誇りと自信と使命感を取り戻すことだろう。
思想の核がなくなったとき、人間はいとも簡単に愚民に堕する。この理が判れば、凛とした日本人が蘇る。人間教育の原点は、ここにあるのではあるまいか。
なるほど、現代人は、要らぬ知恵、要らぬ学問を身に付けすぎたがゆえに、事理を履き違え、勝手な解釈で無明を抱え込み、人心を惑わせる人の何と多いことかを知るのである。
本書を通して読者の心は、山村の世界しか知らなかった村人が、生まれて初めて大海原を眺めたように、悠久の意識が拡がることを知るのではないだろうか。
矮小な日本人は、西洋、シナが無条件に日本より優れているとう思い込みが強い。外国に対して、日本の為政者の「位負け」はいったい何か、漂浪者のように刹那的人生を送る日本人がなぜかくも多くなったのか・・・等々を長いこと考えてきた。私の考えは日本人が悠久の文明史を抱えている国に生を享けていることの切なる実感、悠久の過去と現在が一直線につながっていることの自覚がないからである。
近代技術を見につけた日本民族の背後にでさえ「観えない」悠久の知恵ともいうべきものが潜在すること、そこに気付かなければ(気付かせなければ)、若者の心はふるえない。それは観えなくとも、常識を働かせれば、人は誰しも、ある程度は直覚できるものと信ずる。そんなことを、この本は骨の髄まで考えさせてくれる。
読者は本書をうかうかと読んではいけない。それほどに知恵が凝縮された本である。
いつも傍らに置き、ページをめくれば、
「現代において何が欠け、何を確立することが急務かは自ずと明らかになる」ことを実感することでしょう。
各分野の人も、本書を学問、人生の羅針盤にされることをお奨めしたい。
前回、総論の前段において、小野浩先生(元明治大学教授)の「若きニイチェの識られざる神」の冒頭の一節を引用しその締め括りとさせていただいたが、これは正確には、田中晃先生(昭和17年・九州大学助教授)の名著「日本哲学序説」の一節に小野先生が自らの所見を交えつつ簡潔に要約されての論述であった。
その田中晃先生は、同じく昭和17年の「生哲学」の序論において、「神話」と云うものについて、次のように闡明し卓説しておられる。
「神話は、天地開闢に於ける神々の所業を語ったものとして、まさしく神の言葉であるが、しかも、それを民族の声として語ったのであるから、それはまた人の言葉でもあった。そこに於いては、神の言葉が直ちに人の言葉に受けとられた。いかにして此のことが可能であったか。神話が神と人との対話であるとすれば、これを可能にする根拠がなければならぬ。しかして神話は天地開闢を語ったのであるから、天地開闢の構造そのものに、かかる根拠が含まれていなければならぬ。天地開闢とはいかなることであるか。天地開闢とは、文字どほりに天地の成立することであるが、しかし天地の成立したときには、そこに同時に人間の誕生を含んでいなければならぬ。人間を含まざる天地の成立は単に客観的であるが、それは神話の意味する天地開闢ではない。神話は天地開闢を語って甫めて神話であり、天地開闢の物語りは、まさに根源のロゴスである。さうして根源は根源の故に、客観の始まるとともに同時に主観の始まる所でなければならない。その客観が自然の成立であり、その主観が人間の誕生であって、両者の相即する所に、天地開闢神話が根源のロゴスたる所以がある。神々によって天地が開かれたとき、そこに直ちに人間がいたが故に、神々の言葉が人間の声によって語られた。神々の言葉とは、天地を開く構造のロゴスであり、人間の声とは、天地を開かれる構造のロゴスである。かくして天地開闢の構造そのものが神人の応答に外ならなかったが故に神話は神々の言葉であるとともに同時に民族の声なのである。神話の実相に於いては、神々の言葉と人の言葉とは、決して相岐れているのではない。」
西尾先生も、本著において、ロゴスの根源に言及し「音声言語から文字言語への局面の転換が(中略)人間の意識に決定的変化を与えることはもとより言うまでもありません。漢詩の訓練から日本語の表記が始まったことも前に記しました。けれども、それが文字言語の形成にどんなに決定的でも、文字を知る前の音声言語が基本になって文字言語へ人を動かしていく精神構造に変わりはありません。それどころか、文字を獲得して変化を遂げた民族文化の底流にはそれ以前と同じように流れるものがあり、(中略)歴史を動かす根源でもあります。音声言語があらかじめ備えていたこの力、神話の力といいかえてもいいものですが、文字言語はその枠を越えることはできないのです。
神話は歴史を動かします。神話が大切なのは、音声言語の伝承が後の世に伝えられるのはただこの形だけだからです。それを文字言語と同じ法則で見ることはできません。神話は歴史を動かすとしても、目に見えない隠れた背後の力によるのであって、神話に歴史が映し出されるという意味ではありません。神話は歴史の絵解きでは決してないのです」と喝破され、そして「本居宣長はこの隠れた歴史の背後の流れに目を凝らし、これを掴みだそうとした人でした。彼の有名な「人は人事を以て神代を議るを、我は神代を以て人事を知れり」は、私には少しも難解なことばではありません。世間の人々は歴史をもって神話を解釈するが、自分は神話をもって歴史を理解する、と言っているだけです」と宣長大人(うし)の志向を憶念され、ふり返って「しかし現代の学者は「古事記」の中の古語を信じて歴史の背後を見る、この当たり前な態度がおよそ見当がつかないほどに、素直な心を失って久しいのです」と慨嘆され、更に「宣長の認識が含みもつイデオロギー性」なるものを論う輩に対しは「こんな生意気な言句を吐く学者を生み出すほどに現在という時代は薄っぺらになり、頭の悪い人ほど津田左右吉の毒が回り易いという端的な証拠なのではないでしょうか」と憤激され一刀両断にしておられる。満腔の感嘆とともに心底共鳴申し上げるところである。
さて、田中晃先生は、同じく「生哲学」において、その神話論に関連して「ロゴス」と云うものについても「近世哲学の所謂ロゴスのみがロゴスの全面ではなく、西洋哲学史に徴しても、古代のロゴスは自然の言葉として成立し、中世のロゴスは神の言葉として語られ、人の言葉としてロゴスが生じたのは、ただ近世のことに過ぎなかったこと、近世的ロゴスを以て直ちにロゴス一般と考えるのは、却てロゴスの名において許されざる独断に過ぎない」と卓論しておられ、西尾先生は、本居宣長の「神の観念」について「本居宣長はひとりまったく違った立場でした。彼は神代と人代を区別しません。「現身」をもった神が天上の高天原から地上の芦原中国に降り立ったという、同時代の儒者達の近代的常識ではとうてい理解しがたい不可解な事象を、いわば歴史事実としてそのまま信じる態度を堂々と披瀝してわるびれるところがなかったのです」と直指しておいでになる。私は、「神話を現実の地理や歴史の反映として解釈するのはおかしい。神話には神話に特有の世界像がある」という萩野貞樹先生の御指摘や、また「神話に事実を見ようとするのは木に水を求めると同じ、象徴的意義を求めるのが唯一の道である。実証的志操を超克しない限り、因果律の独裁(次元律の排斥)を超越しない限り、人間の姿は斜視的となる」という奥津彦重先生(東北大学名誉教授)の御洞察に深く同感するものではあるが、なお、宣長大人(うし)が自然のロゴスに則って、吾が民族の古代伝承「古事記」に伝えられたコスモスをそのままに凝視し、素直にまったくこれを肯定せられたことを、うるわしい大和心の発露であり、真実そのものであると観ずるのである。
そして、西尾先生は、現代日本のカタルシスを念頭に、大いなる勇気を以て、吾々日本人という「民族」とその「国家」について極めて重要な辞立(ことだて)を宣せられたのである。 曰く「日本の天皇は神話によって根拠づけられ、神話と王権は連結している。中国でも殷の時代には神話的な祖先崇拝がありました。しかし周の時代になると、天命によって徳の高い天子が支配者としての権限を与えられるという易姓革命の思想が出て来ます。天の概念によって神話と王権の間が切れてしまう。そのため中国の皇帝は神話の世界とはまったくつながっていません。自然万物ともつながっていません。
神話につながるということは、自然万物とつながるということなのです。日本の天皇の場合がそうで、世界の他の王権に類例がありません。神話につながっているのは天皇家だけではありません。当時の豪族たちの祖先もすべて神話に出て来ますから、この構造はわれわれが祖先崇拝を通じて神話の世界につながっていることを意味します。日本人は自然に開かれ、自然の中にわれわれとつながる生きた生命を見、それが同時にカミが宿る世界だと思う。」
吾が民族と国家の未曾有の大敗戦の後において、民族の神話と天皇と国家のつながりを、広範重厚な学問(科学)・実証的基盤の上に、最も格調高く雄大に、かつ簡明に謳い上げられたこの辞立を締め括りとして、何とも身分不相応な私の総論の中段の筆を置き、満面の冷や汗を拭うこととしたい。