管理人による出版記念会報告(五)

   

小澤征爾―日本人と西洋音楽 小澤征爾―日本人と西洋音楽
遠藤 浩一 (2004/09/16)
PHP研究所

この商品の詳細を見る

 遠藤先生の朗読のつづき

(七)伊藤仁斎の『論語古義』はもとよりとてもいい本です。例えば孔子が鬼神や人間の死生を論じないのは、こういう問題は人おのおのが自得すべきことで、本来人に教えるといった性質のものではない、だから口に出さなかったのだ、という解釈(巻の六十一余論)など、私はハタと膝を打ち、内心深く納得します。仁斎の孔子解釈は悪くないのです。しかしこれはあくまで仁斎の孔子解釈であって、『論語古義』を読んでいると純粋なる孔子、あるいは孔子それ自体というものがあたかも実在するかのごとく、そしてそれを自分だけが知っているというがごとくであって、彼が囲いを作って孔子の言説をその中に追い込んでいくような印象を受けます。

 新井白石にも荻生徂徠にもそれは感じません。『論語』をはじめ四書がテキストとして不完全だという自覚が仁斎にはまったくないかのごとくです。孔子の残した客観的で正確なテキストなどじつは存在しないのです。門人によって纏められた現存の『論語』の外に、孔子をめぐる膨大な言説と伝承がある。それは畢竟、すべてが神話です。この自覚こそほかでもない、私が本書でくりかえし強調して来た主題でした。

 (十)北ヨーロッパ人の人文主義者エラスムスが古代復興を志して真っ先にしたことは、ヴェネチアに行ってギリシア語を学ぶことでした。不完全なギリシア語の知識で彼は新約聖書のギリシア語訳を完成させようとします。そもそも聖書の原典テキストはギリシア語で書かれていたからです(中略)。

 ヨーロッパ人が同一性を確立するのに、十五-十六世紀には異教徒の言語であったギリシア語の学習から始める――この不条理は日本人にはありません。仏教や経書といった聖典の書かれた文字の学習を千年以上にわたって断たれた不幸な歴史を、日本人は知りません。

(十三)文献学は認識を目的とします。しかし宣長やニーチェのような人にとって、認識はなにかのための手段でしかありません。二人は徹底的に文献学的ですが、また文献学の破壊者でもあります。通例の安定した客観性を目指している認識の徒には、とうてい理解の及ばない目的があるからです。

 それは一口でいえば、余り単純な言い方で気がひけるのですが、神の探求です。しかしそれは神の廃絶と同時に行われる行為で、懐疑と決断は別のものではなく、つねに一つの行為です。

 本章ではヨーロッパの文明の開始起点に不安があり、中国にはあまりそれがない、という観点をひとつ提起してみました。不安のあるなしは幸、不幸とは関係ありません。

中国には不安がない代わりに、歴史もありません。否、中国は歴史の国といわれていますが、歴史は自然と違って、変化の相を特徴とします。事実の一回性を尊重します。そういう意味での歴史がないのです。

(十四)地球上に歴史意識が成立したのは三地域しかありません。地中海域と中国と日本列島です。十七―十九世紀に、そこで文献学が同時勃興しました。江戸の儒学・国学が一番早かったといえるでしょう。古代と近代を結び合わせる言語ルネッサンスが、西洋古典文献学においても、清朝考証学においても、江戸につづいて相次いで起こりました。本書は可能な限り、三者を比較しつつ総合的に描こうと試みました。

 文献学は宗教の問題でした。私は思想史に関心がなく、偉大な思想家にのみ関心があります。

遠藤さん、有難うございました。
 

 会場は500人は入るという大広間。スクリーンに朗読中の文字を映すため、場内の照明は薄暗く落とされた。

 始まったばかりなので入り口は、人と人がぶつかるほど混雑しており、私は人混みを掻き分け、壁際の椅子が並んでいる場所に移動した。遠藤先生は、正面演台に向かって左手にある司会台に両手をつき、大きな体を少し前かがみにして、マイクに向かって朗読なさっていた。右手の大きなクリーンには、朗読されている文字が映し出されていた。

 西尾先生の文章は内容があるのに難解ではない。声に出せば心地よいリズムがあることがわかる。そのうえ、薄暗い中で遠藤先生が、ソフトでありながら力強く、メリハリの効いた口調でそれを朗読されるのだ。私はまるで芝居の世界に迷い込んだような、なんともいえないよい心地がした。その場は、背景の音楽とともに幻想的な雰囲気がかもし出されていた。宮崎さんの心憎い演出である。

 今、手許に来た朗読のテープを改めて聞いていると、つい聞きほれてしまう。音声をアップする技術が身に付いたら、是非この箇所だけでも皆さんにお聞かせしたいと思う。

 なお、上記に漢数字の番号が打ってあるのは、小冊子に抜粋してあるものと同じ便宜上のものである。

つづく

edodai75
映し出された画像
edodai1

朗読する遠藤氏

平成14年(2002年)8月から平成16年11月までの過去録はこちら

「管理人による出版記念会報告(五)」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: Blog-Umschau
  2. ピンバック: Blog-Umschau

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です