西尾幹二全集刊行記念講演「戦争史観の転換」要約と感想

ゲストエッセイ 

 中村敏幸氏による感想

 今回の御講演に於いて、先生はペリー来航以来我が国が対峙してきたアメリカに対し、そもそも「アメリカとは一体何者か」という根源的な問題提起をされ、続いて近現代史の定説を覆す画期的な数々の見解を披歴されました。以下に御講演の要点をまとめ些か感想を述べさせて頂きます。尚、「 」内は先生の御講演内容の要約であり、他は投稿者の感想です。

1.アメリカとは一体何者か

 先生は冒頭、「太平洋を隔てた遥か東の大陸に、今からわずか350年程前に、突然異変が起こりました。予想も出来ない異変。把握しがたい別系列の人種、別系統の文化、自然信仰ではない、一神教教徒の集団が出現しました。これがまた厄介な相手で、どんなにはた迷惑でも無視する訳には行かないのであります。この様な隣人の存在は正直言って、我々にとって不運であり、不幸であります。しかし、我々は過たない様にするためにその存在形式を見極めて耐え忍ばねばならないのも現実であります。アメリカとは一体何者か、アメリカ自身は最も代表的な国のような顔をしていますが、アメリカは一つの国家だろうかという疑念を抱くのであり、アメリカは他の国々と全く異質な国なのではないか」という極めて大胆で根源的な問題提起をされ、「我が国が道を過らないためにはその正体を見極めなけれはならない」と訴えられ、数々の見解を提起されました。
  
2.第一命題:「アメリカにとって国際社会は存在しない」 

 先ず、「先の大戦が終わって67年、米ソ冷戦が終わって23年、少しずつ分かってきたことが有ります。米軍がヨーロッパ、ペルシャ湾岸地域、東アジアに駐留していた理由は、長い間ソ連に対する脅威だと思い込まされてきました。しかし、冷戦が終わり、ソ連が崩壊して脅威が消滅しても、米軍は撤兵しない。世界中の基地を維持し続けています。そもそも日本の本土は兵力がほぼ空っぽなのに基地は返還されません。人々はアメリカのこの特権的な地位に対し、おやこれはおかしいぞと思い始めていると思います。第二次大戦の終結により、西欧諸国は植民地の独立を認めざるを得なくなり、冷戦が終わり、世界は『ウェストファリア体制』に立ち戻ったかに思われますが、しかし、どうもそうではない、アメリカはそういう国々の一つと思っていないようであり、アメリカは国際社会の一員ではありません」と説かれました。

 つまり、「アメリカは国際社会の一員ではなく、世界を一極支配する役割を担った国である」と自己認識している国であると結論づけられたように思います。

 確かに冷戦が終わっても、アメリカは一部を除き世界中の基地を維持しているだけではなく、湾岸戦争やイラク戦争、コソボ紛争に続いてテロとの戦いを唱えアフガン戦争を引き起こし、撤兵するどころかサウジアラビアやコソボなどに巨大な軍事基地を増設しています。また、アメリカは「六か国協議」という茶番劇を続けながら北朝鮮の核開発をなし崩し的に容認し、中国の軍拡もアメリカの東アジアに於ける軍事プレゼンスを正当化するために必要としており、フィリピンからの撤退も中国の脅威を助長するためではないかとさえ疑われます。

3.第二命題:アメリカ人の自己認識 

 ここでは、「アメリカは独立当初から、旧大陸ヨーロッパは老成し、頽廃し、病んでいる。新大陸アメリカこそ純粋な救い主であるという観念を基本として長い間持ち続け、『アメリカは一つの国家であると同時に世界である』と常に主張しているかに見えます。」と説かれました。

 続いて「私が最近読んだ、1968年に出版されたアーネストリー・テューブソンという宗教学者の『救済する国家アメリカ』という本の序文には『旧世界の頽廃と新世界アメリカのイノセンス』、と書かれており、ヨーロッパは駄目だアメリカこそ救い主だと言っている訳で、このような観念がアメリカ人の胸中に宿っていると思います。」と説かれました。

 思うに、建国の父といわれた清教徒は、旧約聖書の持つ選民意識、残忍性、世界支配欲を色濃く反映したカルヴァン派の流れを汲んでおり、アメリカに入植した清教徒にとって、アメリカ大陸は約束の地であり、自分たちは選ばれた民であり、その意識が今日でも根強く残っているのではないでしょうか。確かに、今日のアメリカに於いて強い影響力を持つキリスト教原理主義者は、旧約聖書の無謬性を信仰の中心に据えており、旧約聖書に書かれたことをそのまま信仰する者にとっては、世界は選ばれた民の支配するべきものであり、この観念がアメリカ人の心の奥底に脈々と受け継がれているように思います。

4.戦争のたびに劇的に変化し、国家の体質を変えてきた国アメリカ

 「アメリカという国は最初から強い国であった訳ではなく、19世紀の初頭までは実力のない新興国でしたが、独立戦争、南北戦争、米墨戦争、米西戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を戦い、戦争のたびに劇的に変化し、国家の体質を変えてきた国です。第二次世界大戦に於いても、戦争の初期と終わり頃とでは、アメリカの戦争の仕方はガラリと変わりました。戦争の初期はシンガポール陥落に見られる様に、平家物語の世界のように一番乗り、二番乗りを讃え、また、第一次大戦風の意識で戦っていました。しかし、1943年(昭和18年)以降大きな転機を迎え、アメリカの戦い方はガラリと局面を変えて、命中精度を求めた戦いから、大量の弾薬を消費する戦争になりました。集中砲火、火炎放射器の登場、そしてB29が登場して絨毯爆撃が始まり、最後には原爆投下まで行い酷薄で無慈悲になりました。」

 「わずか350年前に生まれ、東アジアには無関係な国が何故そこまでやるのか、あの国の異常さとは何なのかを歴史を遡って考えて見ることが重要です。何故アメリカは繰り返し戦争をする国なのか、戦争の度に国家規模を大きくする国、少なくとも国家体質を大きく変化させる国、戦争が終わってからではなく戦争の真っ只中に変質する国、そして、それが次の時代への適応を果たす国。こんな国はアメリカの他に例がありません。そして、それは戦争が終わった以降の70年近くに及ぶ地球支配の構造を決めています。」
  
 また、「日本はみすみす負けると分かっていた戦争に準備不足のまま不用意に突入したと言われますが、そんなことはありません。開戦当初は勝敗のゆくえは分からなかったのです。ところが、アメリカは1943年以降、突如、巨大で酷薄な軍事国家に変身したのです」と説かれました。
 
 振り返って見ると、アメリカは建国以来戦争を好み、現在に至るまで殆ど絶えることなく戦争を繰り返し、その都度変質を遂げて強大になってきた国です。そして今日に於いても、アメリカは国力が衰え始め、世界一の借金国になりながらも、世界一の軍事費を使用し、更に日本や欧州諸国に支援を強制してまで戦争を続け、アメリカ一極支配によるワンワールドを目指しているように思われます。
   
5.権力をつくる政治と権力がつくられた後の政治

 「権力と政治の関係には、『権力をつくる政治』と、それに対し『つくられた後の権力をめぐる政治』の二通りがあり、『権力を作る政治』はむき出しの暴力を基本としていますが、我々が議論している政治は皆後者です。第一次大戦後、ワシントン会議やロンドン軍縮会議が行われましたが、これも何処かで権力がつくられた後の政治です。
 
 しかし、つくられた権力が行き詰まり、大きな裂け目が生じた時には、権力をつくる政治が行われ、その時にはむき出しの暴力が出現するということを歴史の上で度々経験させられてきました。現代もそうです。500年続いた資本主義の歴史が行き詰まり、金融資本主義が限界まできています。」と説かれ、アメリカによって、「また新たな権力をつくる政治」が行われつつあると警鐘を鳴らされました。
   
6.第三命題:脱領土的他国支配  

 ここで先生は、アメリカの他国支配が脱領土的遠隔支配であることを説かれました。

 「白人文明はスペイン、ポルトガルの覇権時代からは自国の外に掠奪の土地、奴隷的搾取の領土を求めることを通例としてきましたが、アメリカは例外で自国の外に奴隷の地を確保する必要が全くありませんでした。アメリカは領土と資源に恵まれ、人口密度も希薄で、移民を必要としていた位ですから膨張する必要の全くない国でしたが、その国が何故膨張してきたのか、ここに大きなこの国の持つ矛盾と謎があると思います。アメリカの西進は膨張する必要が無いのに『マニフェスト・ディスティニー』という、神がかり的な宗教的信条に基づいて行われてきたことは良く知られています。アメリカは中国大陸で列強が根拠地を求めて戦うことに冷淡でした。必要が無かったからです。そこで、『脱領土的他国支配』の方式を考え出したように思います」

 「大戦前、日本の指導者には利害関係に於いてイギリスを中心とするヨーロッパ的なギブ&テイクの国際関係は理解しやすかった。しかし、アメリカは、ヨーロッパ的なやり方を取らない。最初に私が提起した第一命題のように『アメリカにとって国際社会は存在しない』のです。日本の指導者にはアメリカの心の闇は理解出来なかったのです。イギリス人にも読めませんでした。イギリスにも読めなかったことが日本に理解できる訳がありません」 

 「日露戦争の後1907年頃から日米関係が悪化したことは良く知られています。ワシントン会議からロンドン軍縮会議を経て、正義のきれいごとを唱えるアメリカ、そのじつ武力と金融力によって世界の遠隔操作を目指すアメリカの変質、これは日本には理解出来きず、何とか折り合いをつけ妥協しようとしましたが翻弄され続けることになりますが、ここにもアメリカという国の権力の出現が影響していると思います」
  
 「日本はあの大戦前どうしてよいか分かりませんでした。アジアを解放しようとするより、アジアに仲間が欲しかったのです。そして、恐怖や不安を仲間と分かち合いたかったのです。一緒にやろうと、早い時期に中国にも韓国にも呼びかけているわけですから。しかし、相手が無知迷妄、危機感もないし、危機感を持っていたのは日本だけでしたから、ひたひたと不安が押し寄せていました」と世界の脱領土的な遠隔支配を企てるアメリカの野望に翻弄された日本の戸惑いと苦悩を語られました。
 
 司馬遼太郎は日露戦争までの日本は賢明であったが、それ以降急激に愚かになり、特に昭和は愚かで嫌いだと切り捨て、保守と称する人々の多くも司馬史観なるものに毒されておりますが、司馬氏を地獄の底から連れ戻し、先生のこの見解を下に論戦を挑みたい衝動に駆られます。また、ウクライナ大使等を歴任された元外交官の馬渕睦夫氏は、近著「いま本当に伝えたい感動的な日本の力」の中で、「昭和に入ってから急に大政治家戦略家がいなくなったわけではありません。明治維新以来の課題が先送りされ困難が積み重なってきた結果、昭和に入って進退窮まってしまったのです」と書いておられますが、西尾先生が展開された論にも相通じるように思います。

 司馬氏や昭和史の大家と称せられる輩は、アメリカの理解しがたい「脱領土的他国支配」に翻弄され包囲された当時の為政者の苦悩を憶念することなく、西尾先生の言われるように日本国内のことのみを考察するだけで、当時の世界がどのような意図のもとに動いていたのか、更にその下に隠されていた闇を見ない、先生の言われる「蛸壺史観」の持ち主に過ぎません。
 
7.戦後書かれた歴史書は中立的で日本人の叫びが書かれていない。 

 次に先生は、大東亜戦争調査会から出版されたGHQ焚書図書の一冊である「米英の東亜制圧政策」という昭和16年に出された本を取り上げられ、「戦後書かれた歴史書はまともな本でも、どれを読んでも中立の立場で書く、当時の追い込まれていた日本の声を誰も書いていない。即ち半分はアメリカの立場で書いている。これを読むと当時の日本人の叫びが全部分かります」と語られ、「この本の中にワシントン会議に出席したフランスの海軍大学校長カステックス海軍中将が、『世界大戦中日本は協商側に属した、ところがワシントン会議が始まるとイギリスはたちまち仮面をはいで、海軍
の海上優越権をアメリカに譲りたくないという腹から、20年来の盟邦日本を見捨てることに同意し、日英同盟を廃棄してしまった。・・・・。この時から日本とアングロサクソンとの潜在戦争は重大化した』と述べたことが書いてあります。戦争は始まっていると言っているのです」と説かれ、更に、「この本の中に『アメリカとイギリスによる対支文化工作の具体的内容』という章があり、キリスト教布教を中心とする文化侵略について詳しく書かれております。

 支那大陸では学校等の文化施設がキリスト教組織に支配され、大変巧妙なやり方で牧師や教会が後ろから支那の青年たちに反日を焚き付け、反日運動に対し英米系のキリスト教組織が背後に有ってお金を配って煽動していました。日本は調査を徹底して行い事実を知っていたのです。だとしたら日本は方策を過ったのではないでしょうか。

 知識人は知っていて書いているのに政治家を中心とする要路の人には届かなかったのです。読んでいても動かない、具体的な行動に反映させなかったのです」と説かれました。

 我が国は世界の情勢を把握することなく、やみくもに無謀な戦争に突入したというのが定説になって居りますが、そんなことはなく、少なくとも当時の識者はアングロサクソンの世界支配政策をしっかり調査し把握していたのであって、その事実はGHQによる焚書によって闇に葬られてしまったのです。そして、先生は戦後書かれた歴史書には対日包囲網の中にあって苦悩する日本人の叫びが聞こえてこないと訴えられました。
  
8.アメリカがどうしてパワフルな統一国家になったのか   

 「アメリカは独立戦争が終わると中央政府の力は衰え、主権のある独立したバラバラの州をどうやって一体性のある一つの国にまとめるかというのがワシントン以下の政治家にとって重大な課題でした。それが確立されアメリカがアメリカになった時、それが南北戦争です。大事なことはこの戦争の究極的な目的は、奴隷解放がメインではなく、州権を押さえて統一ある連邦の回復でした。リンカーン自身が大統領就任演説で『私は現在の奴隷州の奴隷制には直接的にも間接的にも干渉するつもりはない』と言っております。長い戦争であり、戦争が進行していく中で、結局奴隷制そのものを無くさないと南部の権力を倒すことが出来ないということが分かってきました。逆に言うと南部を叩き潰すことによってアメリカはアメリカになったのです。これによって、19世紀以降のアメリカの膨張の礎石が築かれ20世紀の運命を大きく変えてしまったとハッキリ申し上げてよいと言えるでしょう。何故なら、南北戦争以降、急速にアメリカの経済は発展し、産業国家としてアメリカの勢いが増し、膨張国家としても激しく大きくなって行き禍を世界中に振りまきました。もし南北が円満に分かれ
て州が独立した国家になっていれば、ヨーロッパのようにアメリカ大陸がいくつかの国に分かれていたら我が国の運命はどんなにか救われたことでしょう。私の今日の話はここに行きつく訳です。」と語られました。

 「南北戦争に於いて奴隷解放は手段であり、統一された連邦国家の実現こそが戦争の目的であり、この戦争によってアメリカがアメリカになり、膨張国家として世界に禍を振りまくスタート地点になった」と南北戦争に対する常識を覆す見解を提示されました。そして次に、それでは南アメリカは統一出来なかったのに、何故北アメリカは統一出来たのかに論題が移ります。

 9.南アメリカは統一出来なかったのに、何故北アメリカは統一出来たのか  
 「南アメリカには16の独立国家が生まれました。統一しようという動きは勿論ありましたがそれが出来ませんでした。それに対しアメリカは何故出来たのか。それはメシア的な思想によるものです。リンカーンは宗教家です。宗教的な信条が強かった人です。アメリカは国家であると同時に世界である。アメリカは常に世界政府を目指す。むきだしの暴力によって権力を作る政治を目指す。つくられた権力による政治は他の民族に任せておけば良い。アメリカが権力をつくるのだ。これは宗教的な情熱なくしては出来ません。その証拠として先程申し上げたテューブソンの思想をいくつか紹介しますと『合衆国は黙示録の指定された代理人として自らを正当化する必要は殆どない。神の摂理のステージ・マネージャーが歴史というステージの両翼からアメリカ国民が立ち上がるよう命じたかの如く思われる』、『千年至福王国理論の考え方はアメリカ植民地に対する独立の考えが誰かの頭に浮かぶ遥か前からあった。それはデモクラシ―の理想から独立して存在した』。即ちアメリカ国民は聖なる国民であると言っているようなもので、こういうことが力と結びついていたことは間違いないと思います。」と説かれました。

 テューブソンは、そもそもアメリカは独立戦争の前から、「千年至福王国を実現するために誕生した国であり、これは神の摂理である」と主張しているのですが、この宗教的信念によって北アメリカは統一を実現したと先生は説かれたのです。

 10.海上覇権国家ポルトガルとアメリカ 

 最後に先生は、アメリカは「脱領土的遠隔支配」をポルトガルの海上支配に学んだのではないかという仮説を披歴されました。
    
 「地球上を最初にかき回したのはスペインとポルトガルでした。つまり500年位前に『トリデシリャス条約』というものによって世界を二分しました。これは私の仮説ですが、スペインとポルトガルが世界へ進出した時のやり方に違いがありました。スペインは陸即ち領土を侵略するやり方でしたが、ポルトガルは海でした。脱領土のやり方でした。スペインは荘園をつくって大土地所有による領地支配をしたのですが、ポルトガルは海上を支配しただけなのです。スペインは大西洋を西へ真っ直ぐに進んだのですが、それに対しポルトガルはバスコ・ダガマがアフリカの西海岸を南下して喜望峰を回って北上しインド洋へ出ました。スペインとポルトガルでは侵略した地域の文化程度がちがっていました。ポルトガルが侵略した印度洋やアジアは豊かな海域であり、侵略した地域と折り合うことができませんでした。そこで、ポルトガルは『ポルトガルの鎖』を海上に張り巡らして、入港してくる交易船を掠奪しました。このやり方をイギリスが真似をします。18世紀位まで海上を封鎖する方法をとります。アメリカは遠隔操作の国と言いましたが、金融と海上と空の支配、ポルトガルとやり方が似ていませんか。アメリカは世界的規模で起こったことをしっかりと意識の中に持っていたと思います。」
   
 「外から地球全体を支配する発想。最初の話に戻りますが、日本列島から遠く離れたところに約350年前に特殊な集団が異常繁殖して巨大な意思を持つ権力を作り上げ、その権力の下に各種の政治学が生まれ、その政治学を一生懸命勉強していますが、しかし、それが行き詰ればまた更地にしてむきだしの暴力が新たな権力を生むということを繰り返すだけ、その様な発想で歴史と言うものを考えました」と御講演を結ばれました。

 今回の御講演に於いて先生は、常にきれいごとを唱え、清教徒的理想主義の仮面を被った覇権主義国家アメリカの歴史と正体を余すところなく説かれました。イギリスの清教徒革命は千年至福王国を夢見た革命であり、それが後にアメリカ建国へとつながったと言われておりますが、このようなアメリカの闇は親米保守主義者たちの目には見えません。世界各地への軍事力の展開と、グローバリズムや金融資本主義による世界の一極支配も限界に近づき、新たな裂け目が生じようとしている今日、アメリカによる「権力をつくる政治の動向」を諦視しつつ、我が国再生への道を模索しなければならないものと思います。

文:中村敏幸

「西尾幹二全集刊行記念講演「戦争史観の転換」要約と感想」への11件のフィードバック

  1. 事実関係を一点だけご確認頂ければ幸いです。私は社会科学畑の者として、マックス・ヴェーバーを通してカルヴァン派の一面を知っている程度ですが、権威ある彼の分析によれば、同派は『新約聖書』の核心を再生させようとしたと解されており、彼に限らず他の人も含めて、同派が『旧約聖書』に依拠していたという説は、寡聞にして知りません。

  2.  宗教改革はローマカトリック教会への抗議(プロテスト)として起こりましたが、ルターによる「聖書に帰れ」と新旧聖書のドイツ語訳により、旧約が普及し、旧約への回帰に至ったことは周知の事実であり、カルヴァンも「旧約聖書釈義」を著して居ります。
     また、カルヴァン派の流れを汲む清教徒は、彼らのアメリカへの移住を「出エジプト」になぞらえて居り、旧約との親和性は明らかと思います。

  3. 追伸です。西尾氏の『天皇と原爆』を読み返しましたが、カルヴァン派が『旧約』に依拠したと言う指摘はありません。ただ、北米への移民と開拓を「出エジプト記」になぞらえた記述(122ページ)がありますので、多分そのことを念頭に置かれたものと拝察します。しかし、カルヴァン派本来の「信仰告白」には、そのようなことは含まれていなかったと思われます。

  4. 選ばれたと信じた人々は、だから乱暴狼藉何をやってもよいと考えたわけでなく、逆に選ばれた保証がないために選ばれたに値する人間に変革されていくというエートスを、M.ヴェーバーは近代合理化の起動力と見なし、そういう観点から、マルクスの唯物史観とニーチェのキリスト教批判への反論を行いました。スミスやカントの学問もそういう背景から生まれました。アメリカの行動にゆがみがあるとすれば、それは上述のエートスや学問から外れたことを示すのであって、それらが原因でゆがみにのめりこんだというのは誤認ではないでしょうか。

  5. その後の調査によると、キリスト教では、旧約と新約の関係はキリスト生誕後の新約が中心であって、旧約は新約の中に止揚(Aufheben)された関係だそうです。つまり、旧約のすべての文言が信仰の対象になるわけではなく、新約と整合する限りでの観点に限られるということでしょう。これはカトリック、プロテスタントに共通ですが、とくに聖書信仰を強めた後者に該当するでしょう。ちなみに、旧約に依拠しているのは、ユダヤ教とイスラム教です。そうすると、御説はイスラム原理主義に当てはまる議論のように思われます。

  6. 歴史の捉え方はいろいろありえますが、究極的には力によって左右されます。力にも種々ありますが、その根本は経済力です。その根本を究めた人がアダム・スミスです。スミスは各派から誤解されてきましたが、これを払拭すれば、経済の基本認識は今でもスミス理論によって成り立っています。そのスミス視点から歴史を捉えれば、御説とはかなり違う世界観になるでしょう。いずれが正しいかは今は証明できませんが、今後の世界動向の中で結果的に大まかに立証されていくものでしょう。そのように私は達観しています。以上。

  7. スミスが誤解されたのは偶然でなく必然であった。(1)マルクスの搾取論=社会主義にとってスミスのブルジョア的労働価値論は邪魔者であったこと。(2)帝国主義化の時代にあって、スミスの重商主義批判は煙たかったこと。これらによる誤解の意図せざる共同戦線によって、スミスは神棚に祭り上げられた。しかし帝国主義や社会主義の崩壊と今日のバブル破綻によって、否応なくスミスは現実世界に生き返る。とすると、彼の学問を支えたスコットランド流のヴェーバー的宗教改革精神もそれなりの再評価の対象にならざるをえない。これが私の達観の根拠である。

  8.  かみ合わないと思いますが、下記ご参考までに。
     「根本においては、ただ一人のキリスト教徒がおり、その人は十字架上で死んだのである。・・・・・単にキリスト教的な実践のみが、十字架上で死んだその人が生き抜いたと同じ生のみがキリスト教徒なのである」〔ニーチェ「反キリスト者」〕
     *キリストは身を捨てて律法を狂信したパリサイ人の不正を諌めて「愛の宗教を説いたが、キリスト教はパリサイ人パウロによって変質させられたものとして始まった。
     「プロテスタントの大いなる罪は旧約全書を国民読本となし、そして、ユダヤの文字からなるものを偶像として定めたことである」、「プロテスタントはゲルマン的な自由意思、国民的な独自生活、人格的な良心の奮起を意味していた。しかし、宗教的にはその力を発揮することが出来なかった。何故なら、ローマ的中心の代わりにエルサレム的中心を置いたからである」〔アルフレート・ローゼンベルク「20世紀の神話」〕
     *一般に、プロテスタント教会ではキリスト磔刑の十字架ではなく、十字架のみを据え、マリア崇拝も認めず、偶像崇拝を厳しく廃しており、旧約重視は否定できないと思います。

  9. 私は前述のように、M.ヴェーバーを通して宗教改革の歴史的意味を知らされた者ですので、その他の細目の議論はできませんが、少なくとも彼の議論はニーチェを意識し、そのキリスト教批判への反論としては成立しうるものと理解します。また、近代合理化への一大起動力となったという彼の宗教改革精神の理解も、事実認識としては否定し難いと受け止めています。西欧の市民革命はもとより、近代科学や諸学問の展開は、ルネッサンスとともに宗教改革の影響を抜きにはありえなかったと思われます。この観点は、余りにも常識的かつ教科書的でしょうが、また帝国主義、共産主義、ファシズムやポストモダンによって崩壊したように見えますが、スミス論で言及したように、現代は否応なくそこに戻らざるをえない宿命を負っていると達観します。

  10. いつの時代でも、私たちに求められていることは、物事をできるだけ正確・適切に理解することです。スミスのすぐれている点は、経済学よりもむしろその判断方法を『道徳感情論』で提起したことでしょう。つまり、同感原理による「公平な観察者」視点です。そういう視点から、宗教を含む世界と日本を捉えたいと思います。その中で、スミス経済学への理解が極めて不公平(誤解)であったこと、そしてそのことが帝国主義等やバブル、財政問題を引き起こしてきたことを問題視しています。実際には帝国主義化への誘引が誤解を必要としたと言うべきですが、同様のことはバブルや財政問題についても言えますが、それらの破綻を通してスミス理解が否応なく求められていきましょう。私たちは「公平な観察者」視点から、その道筋を解き明かすだけです。それに成功した国民が栄え、逆らった国民は衰退するでしょう。

  11. M.ヴェーバーの合理化論で想起されることは、単なる合理主義や唯物論よりも、神信仰の絶対化のほうがより徹底した合理化を生み出す契機となったという視点です。キリスト以前では、罪を犯した人は生贄を神に捧げることによって救われると信じました。とすると、それを行う人間側に救いの能力を認め、神の絶対性に介入できることになり、偶像崇拝と同じことになります。その矛盾を解決したのが神の子イエスによる罪の贖いという信仰でしょう。免罪符の発行は、この信仰の意味を覆しますから、ルターの改革が行われました。この非合理な信仰心が、意図せざる結果として、最も徹底した合理化精神を生み出したとヴェーバーは理解しました。このヴェーバーの論証は、その限りでは見事に成立しうると私は判断します。ニュートンを始めとする科学革命や私たちが享受する近代文明もその延長線上にあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です