『天皇と原爆』 堤堯氏書評
本書は著者がCS放送(シアターTV)でおこなった連続講話をまとめた。小欄は毎回の放送を楽しみに見た。これを活字化した編集者の炯眼を褒めてあげたい。
著者は日米戦争の本質を「宗教戦争」と観る。アメリカは「マニフェスト・ディスティニー(明白な使命)=劣等民族の支配・教化」を神から与えられた使命として国是に掲げ、それを「民主化」と称して世界に押しつける。ブッシュの「中東に民主化を!」にも、それはいまだに脈々と受け継がれている。
かつて第10代の大統領タイラーは清国皇帝に国書を送り、
「わがアメリカは西に沈む太陽を追って、いずれは日本、黄海に達するであろう」
と告げた。
西へ西へとフロンティアを拡張した先に、これを阻むと見えたのが「現人神」を頂く非民主主義国(?)日本だ。これを支配・教化しなければならない。
日露戦争の直後、アメリカはオレンジ・プラン(対日戦争作戦)を策定した。ワシントン条約で日英を離反させ、日本の保有戦艦を制限する。日系移民の土地を取り上げ、児童の就学を拒否するなど、ことごとに挑発を続けた。
日中衝突を見るや、いまのカネに直せば10兆円を超える戦略物資を中国に援助する。さらに機をみて日本の滞米資産凍結、くず鉄、石油の禁輸で、真綿で首を絞めるがごとくにして日本を締め上げる。着々と準備を進めて挑発を重ね、日本を自衛戦争へと追い込んだのは他ならぬアメリカだ。それもこれも、神から与えられた使命による。
彼らピューリタンからすれば、一番の目障りは日本がパリ講和会議で主張した「人種差別撤廃」の大義だった。大統領ウィルソンは策を用いてこれを潰した。彼らの宗教からすれば、劣等民族は人間のうちに入らない。かくて原爆投下の成功に大統領トルーマンは歓喜した。
ニューヨークの自然史博物館に、ペリー遠征以来の日米関係を辿るコーナーがある。パシフィック・ウォーの結果、天皇システムはなくなり、日本は何か大切なものを失ったといった記述がある。インディアンのトーテムを蹴倒したかのような凱歌とも読めるが、一方で、わがアメリカの抵抗の心柱となった天皇を、なにやら不気味な存在と意識する感じも窺える。
戦後、アメリカはこの不気味な存在を長期戦略で取り除く作業に取りかかる。憲法や皇室典範の改変のみならず、いまではよく知られるように皇室のキリスト教化をも図った。日本の心柱を取り除く長期戦略はいまだに継続している。このところ著者がしきりに試みる皇室関連の論考は、それへの憂慮から来ている。
従来、戦争の始末に敗戦国の「国のかたち」を改変することは、国際社会の通念からして禁じ手とされてきた。第二次大戦の始末で、はじめてそれが破られた。
改変の長期戦略は、日本人でありながら意識するしないに拘わらず、アメリカの「使命」に奉仕する「新教徒」によって継続している。
むしろ「宗教戦争」を仕掛けたのはアメリカだとする主張――それが本書全編に流れる通奏執音だ。いまだに瀰漫する日本罪障史観に、コペルニクス的転換をせまる説得力に満ちた気迫の一書である。
戦勝によって皇室を一挙に覆滅しないで皇族や家族制度をなくすことによって皇室を丸裸にして廃止させようとする息の長いアメリカの戦略を今になって思い知らされます。
家族制度は華族制度のあやまりです。もっとも、家族制度にも手を加えられて相当民族の気風が変質させられたとも言えますが。
浩宮と雅子のことですね。このお二人にはもはや敬称をつける気が起きませぬ。