『天皇と原爆』の文庫版の刊行

平成24年(2012年)1月に刊行された『天皇と原爆』が「新潮文庫」になりました。7月末に発売です。

天皇と原爆 (新潮文庫 に 29-1) 天皇と原爆 (新潮文庫 に 29-1)
(2014/07/28)
西尾 幹二

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解説 渡辺望

前著『アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか』について、アマゾンに出た書評のひとつを紹介したい。

炎暑の刺激的な読書体験 2014/7/28

By nora

年が行ってからはあまり刺激的な読書はしてこなかった。意識的に遠ざけていたわけではないが、いまさら刺激を受けてもしょうがないだろうという気分があった。それなのに、こんな刺激的なタイトルの本を読んでしまったのは、梅雨も明けないウチから続く今年の炎夏のせいだ。
暑い夏にあえてアッツイ鍋物を食べるという避暑対策があるが、刺激的読書をすれば暑さを忘れ、ゆるんだ頭も少しは活性化するかもしれない……というわけで、扇風機の回る部屋で寝転びながら読み始めた。
十分に刺激的な読書体験となった。
まえがきから『日本は「侵略した国」では、なく「侵略された国」である。「日本はアジアを開放した」と言っているが、アジアの中で外国軍に占領されているのは日本だけである』といった刺激に溢れたフレーズが続く。私にとって初見の「歴史」が次々と紹介、展開されていく。読み終える頃には、シャツは汗でびっしょりと濡れ、アタマも妙に動き出した。そのせいで、年甲斐もなく「歴史」とは何だろう、と考えることとなった。
web検索するうちに、「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である(イギリス歴史学者E.Hカー)」という言葉を見つけた。
カーは、『「歴史上の事実」とされるもの自体が、すでにそれを記録した人の心を通して表現された主観的なもので、「すでに主観的である」歴史上の事実と私たちが対話してゆく道は、自らの主観を相対化し問い直す存在として接しようとするところにこそ開ける』と言う。
これはけっこう大変な作業だが、せっかくこの本で、たくさんの「新しい歴史」を見つけたので、アタマがまたスローダウンしないうちに関連本を読んで見ようと思っている。

 本を読んだ新鮮な「驚き」が素直に語られていて、著者としてはまことに嬉しかった。

 ぜひこの方に『天皇と原爆』のほうも読んでいただきたい。炎暑の中のもう一度の「刺激的な読書体験」になるのではないかと期待している。

 また、ここで述べられているE・H・カーの歴史とは過去との「対話」だ、という考え方は、私の『決定版 国民の歴史』(文春文庫)に新たに追加した序文「歴史とは何か」にも通じるので、目を向けていただければありがたい。

「『天皇と原爆』の文庫版の刊行」への5件のフィードバック

  1. イギリス人の1番嫌いな国はアメリカだと思います。1次大や戦後のロンドンオリンピックでの両国の選手同士の角逐は今も語られるものだそうです。 ちょうど海洋覇権が英から米へ移り英国人特有の現実感覚で以後アメリカと海外戦略は常に共同歩調をとり常に従うという苦渋の選択をしたことに起因しているからと思います。老大国と若造の覇権国の関係は腹立たしいことが多いと思います。

  2. 上記の著作ではなくて恐縮ですが、西尾先生の著書のなかでぜひともアマゾンレビューを書きたかったのが以下の「異なる悲劇 日本とドイツ」です。本日読み直して以下を投稿してみました。最大一万文字という制限があるのでぎりぎり使って書いてみました。

    (以下投稿済み)
    本書は1994年に出版された。(特に重要な第二章の「ヴァイツゼッカー謝罪演説の欺瞞」は93年に雑誌に掲載)。本書があと5年早くまたは10年早く出版されていたら当時の風潮も変わっていただろうと思わせる名著である。振り返ればインターネットもあと10年早く普及していたら朝日新聞が捏造した従軍慰安婦騒動は確実に世界へ波及しなかっただろうと確信している。ネットが普及したころでさえ、「日本よりドイツのほうが過去を反省して責任を果たしている」という俗説をとなえる者がネット上に多かったが、それに反論する者は本書内容に基づいて反論することが多かったことを思い出す。

    なぜ「日本よりドイツのほうが過去を反省して国際的な責任を果たしている」という都市伝説が日本中で広まったのか、それについては本書の分析対象ではないが、私が多感な青年期の1980年代後半にメディアや出版物を観察してきたので、その観察結果からだいたい次のようなことに総括できると思っている。

    要は、没落した共産主義系左翼の最後の悪あがきということである。
    東京大学史料編纂所の教授をされていた酒井信彦氏が、80年代に共産主義が退潮して日本の左翼勢力が弱くなると思っていたがまったく予想を裏切られたと書かれていたが、左翼は共産主義が退潮して本来であればオピニオンリーダーの座からひきずりおろされるところを、過去の日本たたきをすることや、また海外の反日を煽ることなどにより、オピニオンリーダーとして生き残ることができたのである。

    「日本よりドイツのほうが過去を反省して国際的な責任を果たしている」という俗説はどのようにつくられていったのか、いつころから誰がそんなことを主張しはじめたかは調べてないので詳細はわからない。私の記憶が鮮明に残っているのは1980年代後半の朝日新聞の狂ったキャンペーンである。手を変え品を変えてこの手の主張をしていた。そしてワィツゼッカーの逸話とともに同じドイツ人である元ドイツ首相のシュミットをよく利用して、「このようにシュミットも日本の反省が足りないからアジアで孤立していると言ってるぞ」とキャンペーンをしつこくやったのである。とくに終戦記念日が近づくと毎年ひどかった。記憶では一年中そういった戯言を記者やいろんな識者に主張させては繰り貸して記事にしていた。とくに「朝日系(朝日新聞、朝日ジャーナル)」「岩波系(雑誌世界など)」「日教組など左翼教師系の言説や出版物」の<三馬○トリオ>はこれが彼らの主張の最初に必ずくる枕ことばのようになっていた。そして社会党や共産党の政治家も完全に洗脳されていた。地方紙など日本全国の津々浦々に浸透して「一大反省ブーム」を引き起こした。
    そして現在では中国や韓国の首脳がこれを言い出している。日本では下火になったころに日本の言論界の影響を強く受けてきた中韓に伝染していったようである。

    そもそも「日本よりドイツのほうが反省した」と日本人に信じ込ませれば、左翼にとってどんな良いことがあったのか? 私が当時を思い出して推測するに、左翼にとっては次の5つの大きなメリットがあった。

    1)日本人への有無を言わさぬ「反省」と「自虐」の強制が可能となる。
    世界中でさんざんと非難されているナチスドイツと同レベルの政体や虐殺さが日本にあったと信じ込ませれば、左翼が思うがままに日本人に「反省」や「自虐」を強いることができる。とくにナチスドイツとA級戦犯が同一などと思い込ませることができれば靖国参拝もナチスの墓詣でと同じと非難できるなど大きなメリットがあった。
    日本の左翼は極端に自閉症的発想がきわだっていた。原爆を落としたほうよりも原爆を落とされたほうが悪いそれはポツダム宣言を受諾しなかったからだなどと訳のわからない(もちろん実証的検証でも完全に間違っている)説を主張した。日本が「アジア中から非難されている」という構造にしたかったので左翼の誘いに容易にのらないインドネシアやフィリピンなどへの捏造工作はひどかった。カンボジアはそれどころではなかったが一段落ついたら戦後の餓死問題などで工作を仕掛けようとした。

    2)左翼による言論弾圧の正当化ができる。
    左翼にとって気に入らない連中の言論弾圧ができる。そのための正当化ができる。
    朝日新聞の本多勝一などが復活させて捏造した南京大虐殺像へ疑問をもつ者、あるいは左翼が強いる過去の「反省」などに疑問をもつ者を言論弾圧して口を封じたいというのが左翼の本音であったが、言論や表現の自由という建前があるため法律での言論弾圧はさすがにできない。ところが「ナチスドイツと同じようなことをやった」に信じこませることができれば「ドイツだってナチスを擁護する言論は許されてない」と法律で言論弾圧を正当化できるのである。おそろしいことに社会党の土井たか子などはそのように主張していた。南京大虐殺はなかったという日本人は逮捕されてもしかたないと主張した。ソースがほしい人間は過去の新聞記事をさがしてほしい。土井たか子ひとりだけではなかった。さすがに自民党の政治家でそんな発言をする政治家はいなかったと思う。社会党が政権をとっていればその手の言論規制法をつくろうとしただろう。これは冗談ではない。共産主義者は基本的に全体主義的思考なのであるが、同時にリベラルであるかのように装っているのでいろんな偽装をした。

    3)共産主義の悪から日本人の目をそらせることにより左翼の過去の悪行の隠蔽ができる。
    実は本書の第1章に書かれている通り、ナチスドイツは「国軍以外の特殊任務部隊」「秘密警察」「強制収容所」などの特徴がある。これはなにを隠そうスターリンのソ連や毛沢東の中国やその他東ヨーロッパの共産国にこそ当てはまった。アナロジーでいえば日本の戦前の特高が秘密警察にあたるとか、強制収容所は米国の日系人強制収容所がそれにあたるとか日米でも該当する要素が皆無ではないが、なによりその規模が徹底的に違うのである。左翼にとってはナチスドイツは日本と同じとイメージを流布させることにより、過去の共産主義の悪魔化を抑止できる。つまりさんざんと過去に共産主義社会を美化してきた左翼のイメージダウンを防ぐことができたのである。

    4)当時の真の政治問題から日本人の目をそらせることができる
    当時の80年代から90年代の真の政治問題は北朝鮮問題や中国問題であった。北朝鮮の当時やっていたことは無茶苦茶で、多数の工作員を日本社会にもぐりこまさせ、韓国では旅客機に爆弾をしかけて落下させたりした。
    こうした問題が真の政治問題であると日本人に認識されると左翼にとって困ったことが起こる。たとえば北朝鮮をことさら美化してきたことの責任が問われる。それを日本の過去の歴史認識問題を蒸し返すことにより阻止できたのである。

    5)海外の反日勢力を左翼の味方にできる
    さらに日本人にとっては恐ろしい側面がある。「ドイツと違って日本は反省していない。なぜならドイツの敵国や周辺国は今やなんら怒ってないが、日本の周辺の中国や韓国は怒り狂っている」。日本のマスコミが世界中にこのデマを流してきたのである。
    つまり、日本の左翼が「中国や韓国の反日を煽る」–> すると当然「中国や韓国は怒る」–> そうすると「周辺国は怒っているのは日本が反省していないため」と見せかけることができる。日本は反省していないと見せかけるため、なおさら左翼は中韓を煽るというモチベーションが強まるのだ。こうして中国と韓国を左翼がまきこむことにより日本国内で形勢を逆転できた。左翼は海外の反日勢力と手を組んで日本をいたぶる。

    以上だらだらと書いていて、「何をしちめんどくさい理屈を書いているのか、中国や韓国の難癖を批判だけしてればよいだけだろ」と感じる日本人は多いだろう。けれども以上のような理論武装を日本人がみずからして反論するのが特に外国などに対してはきわめて有効である。過去の日本の左翼の洗脳が世界中に浸透してしまったからである。
    朝日新聞等がそれこそ徹底的なキャンペーンで「日本はドイツほど反省してないから中国や韓国は怒っている」というスローガンを猛烈な回数で世界中に発信してきた。それに反論するためには西尾氏のこの著作で書かれていることは最低限理解しておかなければ日本人として反論するのはむずかしいだろう。

    ここで話が大きくそれるが、多くの日本人にとって理解されてないのが左翼というものの恐ろしさである。なぜ自衛隊が認知されているのに「いっさい軍備せず」の憲法9条が今も残っているか? 社会党や共産党の左翼政党が衰退して北朝鮮の異常性が明らかになっても、カンボジアなどでの自衛隊の活動が国際的に認められても憲法9条が頑として残っているか? それは自民党の政治家などが日本の左翼の本当のおそろしさを理解していなかったからである。政党が衰退しても過去にマスコミや教育、学問の中枢を左翼が支配したことの意味をほんとうに理解していなかったのである。

    アフガン戦争やイラク戦争のころに詳しい経緯は忘れたが自衛隊が米軍の戦艦に石油を給油するという話があったときに私はひとりの国民として個人的には反対であった。理由は自衛隊が「戦争終結後」になおゲリラなど危険が想定されるなかでの戦地のインフラ回復にむかうのには何ら問題ない。しかし日本の生命と安全に直結しない戦争に戦闘以外でも自衛隊が参加させるということは今後日本の左翼の猛反撃を浴びて憲法9条改正は完全に遠のいていまうと確信したからである。米国から援助をもとめられたら自民党の政治家は「日本人の生命を直接おびやかされるわけではない戦争への自衛隊の援助は給油だけでも認められない。そうしなけれほんとうに自衛隊と米国が協力して日本を守るために戦闘を行わなければならないときに協力できない。それは米国が置きみやげとして憲法9条がいまだに残る日本の宿命だ」とでも言って米国を説得しておけば通用したはずである。
    安易に米軍戦闘を支援してしまったから、日本の左翼の「戦争まきこまれ論」が復活して憲法9条改正はまた遠のいてしまったのだ。とくにイラクの大量破壊兵器やアルカイダ支援説はデタラメであったから日本の受ける打撃は最悪であった。左翼は安全保障議論において世間的には形勢を逆転させた。

    また河野談話の河野はほんとうに左翼の心理の核心とおそろしさを理解せずに、左翼の「まだまだ日本は反省していない」という異常なイデオロギーに感染してしまった。左翼のおそろしさは超絶したダブルスタンダードにある。たとえば南アフリカのマンデラが死んだら左翼は「愛をもった立派な平和主義者である」などとおべんちゃらを言う。マーチンルーサキングは偉大だと言う。ところがマンデラなどの発想は過去の加害責任者を一人残らずひきずりだして罰するなどをせず、罪をにくんで人をにくまずという寛大な姿勢で建設的未来を築いていこうというものであった。左翼の発想はこれとまったく逆で正反対だった。岸信介などA級戦犯は悪魔であるから戦後なにをしても悪魔だと考えた、昭和天皇は原爆投下を命令したトルーマンより責任が重いと考えたなど徹底的に日本側のみが一方的に悪くて悪魔であると日本人を洗脳した。マンデラと違って過去を徹底的に蒸し返して日本人を叩きのめす。それは左翼がオピニオンリーダーとして生き残ることができるという巨大なメリットがあったからである。

    本書を補完する意味で、西ドイツ(現代のドイツが継承した正当なドイツであった)が戦後に共産主義者に対してどう対応したかという歴史がかなり重要である。本書にはその部分については言及されていなかったと思う。(もし見逃していたら大変申し訳ない)。これは最重要である。これこそが「日本とドイツの違い」である。西ドイツでは政治や教育、学問から共産主義を敵として対決した。社会の中枢部を共産主義者に占有されなかった。だから日本のように反省と謝罪を強制するヤクザのような存在がドイツに少なかった。もちろんドイツの周辺国であるポーランドやユダヤ人が建国したイスラエルなどと、中国や韓国など日本の執念深い周辺国がまったく違うという相違点も大きい。ただしドイツとイスラエルがたびたび戦争認識をめぐってぎくしゃくしてきたという事実はある。

    西ドイツの憲法裁判所の判決で共産党の結党を禁じたということを知っている日本人がどのくらいいるだろうか。ドイツはナチス再結党も禁じたが、共産主義者にも同様にきびしく対処したのである(1960年代になって別の政党ならよいと緩和されたが共産党再結党は相変わらず禁止)。ところが日本はまったく正反対であった。左翼が吉田茂の逆コースと非難する時期に一時的に共産主義者の追放をちょことやっただけで、その後は共産主義者のやりたい放題であった。共産党や社会党の勢力はどんどん伸張。日教組により義務教育は共産主義者を養成する思想養成所になった。NHKは共産主義賛美の大報道をくりかえした。これこそが日本とドイツの違いだったのである。

    本書の記載されていないもうひとつの重要な観点はユダヤ虐殺へのキリスト教の影響と関与である。ナチスがユダヤ人を識別するためにユダヤ人の胸につけさせたワッペンはヨーロッパ中世で行われた悪行の再現であった。
    けれども著者はドイツを厳しく批判しながらも、ドイツ人なりの知恵を発揮して悲劇とむきあい克服しようとしたと同情的に描かれていると思った。これでこそ良心をもった日本人であると思った。日本を擁護しようとしてドイツをことさら悪魔化しようとする罠におちいってはならないと感じた。

    私は戦前・戦中の歴史は知らない。知らない時代はこうだと確信をもって語る自信はない。なるほどこういう見方もあるのかといろいろな考え方に納得するだけである。けれども現代の自分の生きてきた歴史については学者やマスコミの屁理屈にはだまされずにかなりの確信をもって語ることができる。最近アマゾンで「永続的敗戦論」という一橋大出身の学者がだしている書籍を見てびっくりした。かなり倒錯的な発想法に驚いた。こういう形で左翼の理論が生き延びているのかと唖然とした。なんだかんだと奇形的レトリックをもちいて日本を擁護する人たちに対して難癖をつけているようだ。

    私は朝日新聞などジャーナリズムが猛威をふるった歴史を目撃してきた。これはくだらないジャーナリズムに左右された日本の悲劇であり、あまりに日本人の一般大衆の平均的知識水準だ高かったために起こった悲劇であると思う。なまじ一般日本人の知識が高いために新聞の影響力が異様に高いのだ。北朝鮮の問題が深刻になりつつあった時期に従軍慰安婦騒動に国民の目をむけさせた朝日新聞は、まあいくら考えても頭のおかしい新聞社であるが、当時は日本中が扇動にふりまわされた。朝日新聞は落ち目の左翼の宣伝塔として完全に立派に機能した。これだけひどいのだから戦前も戦中も相当に狂っていたに違いない。そう思って戦前の歴史も少々勉強したが、案の定であった。

    とにかく朝日新聞等が左翼の言い分の「日本はドイツほど反省していない」を日本人に植えつけて猫も杓子もそれを言うような時代があって、西尾氏などが反論してさすがに日本ではその後下火になっていったが、海外では中国や韓国がそれを現在やっている。ドイツに行って「日本はドイツほど反省しておりません。先生!日本人に反省の仕方を教えてやってください」と猫なで声でささやくが現在のドイツ政治家はシュミットなどのような癖の強い政治家と違って聡明らしく今のところ引っかかっていないようである。ひょっとすると西尾氏の主張などがドイツに伝わってドイツ政治家に届いたのかもしれない。

    政治家は基本的には安易に歴史問題を発言しないほうがよいというのが私の認識である。政治の世界に歴史認識をもちこむと現在の経済や政治の真の懸案でさえうまくいかなくなってしまう。世界中の国家が、他国との間の歴史を蒸し返して、互いに相手国との「資産」と「負債」を勘定する。相手国が負債が多い負債者側だと負債を返せと主張する。相手を「加害者国」と認定する。この運動が世界中に拡散したら、ますます国民感情レベルでの平和は遠のくだろう。ただしこれは理想論である。常に政治に歴史をもちこむ中国や韓国(彼らにとって歴史とは「過去への政治である」)は欧米とは明らかに異なる。だからこれからの政治家は理論武装しなければいざというときに相当に不利になるだろう。政治家などにとっても本書は必読である。
    中国が元日本軍人の手記などを持ち出して日本の反省は足りないと現在非難している、これなども中国が米国へサイバー攻撃をやっているのと同じレベルの工作活動だと。そう断言できる政治家は日本にどのくらいいるだろうか。過去の左翼学者や朝日新聞など言説に洗脳されたアホ政治家であればそういう考えは頭のすみにも思いつかないに違いない。本当に河野などに見られてきた自閉症的な日本の政治家は有害だ。

    本書のギュンターグラスへの批判なども面白かった。どうしてギュンターグラスはドイツの統一に反対したか。このあたりの分析は深く他章もそうであるがドイツ人の深い闇にせまっている。ギュンターグラスの代表作である「ブリキの太鼓」は映画で見たが、なんとくだらない映画なのだろうか。
    本書のための調査や分析などを通じて著者は歴史理論を深めていったと思われる。
    第1章より。「1891年から1906年の間に数千人の日本人移民がカリフォルニアに渡った。アメリカの白人たちには人種差別意識がことのほか強く、サンフランシスコの地震と大火の騒ぎの最中、日本人移民は血祭りに上げられ、略奪、暴行をほしいままにされた。州議会は条約に違反して、日本人の財産を制限し、学童を別のクラスに隔離する法案を通した」。日系人へのアメリカの強制収容所の規模とおそろしさなどについては本書は言及されていない。その後ずいぶんたって詳細が日本人に知られるようになったのだろう。(日本の左翼は日本側の加害に関しては捏造や歪曲してまでも喧伝したが、日本側の被害についてはほとんど知らないふりをした)
    日系人をすさまじく弾圧したアメリカがドイツのユダヤ虐殺をえらそうに非難できるのかと指摘できるのは日本ではないか。もちろんこのようなことを政治家が言ったらまずいだろう。けれども一般の日本人や日本の知識人は日本が不当に批判されていたら異議申し立てをするのは当然である。

    微妙だが、過去の反省を一切しないほうがよいというのではない。たとえば関東大震災のなかでの流言飛語による朝鮮人への殺人などは教科書でも教えるべきで、暴動のなかでのパニックとくに裁判にもとづかないリンチの恐ろしさについて教えるのは悪いことではないと思っている。でもこれと慰安婦を教科書に載せるというのはまったく意味が違う。なんでもかんでも反省するのがよいと思っている日本人はこの違いがわからないから閉口する。とにかくジャーナリズムというのは単なる一次情報の流通以外は流言飛語の類いしか書かないものと思っていればほぼ間違いないと思っている。馬鹿な学者の抗議や本を読んで、それを真に受けるのは少数である。ところがマスコミの巨大な輪転機をまわせば一般大衆にそれを一気に植え付けることができる。くりかえしわかりやすく粗雑化したイメージを植えつけて特定の条件反射を起こすように大衆社会を改造できるのだ。

  3. ドイツは反省したふりをしている。がしかしナチスがやったことにしている。

  4. 周辺国がドイツに対して何も言わないのではなく、言えないだけ。これは、ドイツ軍の占領地域で、住民たちは、積極的にユダヤ人殺しに参加した。
    リトアニアでは、リトアニア人によるユダヤ人の集団虐殺事件が多発し、皮肉にもドイツ軍が占領して軍政を敷くことで、虐殺を止めることになった。街中をドイツ軍が巡回して睨みを聞かせている間は、リトアニア人はユダヤ人に手出しができなかった。当時を知るユダヤ人は、「ナチスが、我々を守ってくれるなど、おかしなことになったと思わずにいられなかった」と書き残しているほど。
    ルーマニアでは、ユダヤ人殺しの残虐さにナチスの将校が激怒したとか、ウクライナでは、ウクライナ人によるユダヤ人殺しに対して、ユダヤ人がナチスに助けを求めたほど。
    つまり、ナチスのユダヤ人虐殺は、欧州の歴史において、決して特殊な出来事でもなく、古来より行われてきたことだという認識が、ドイツ神話を唱える左翼の頭からかけている。
    ユダヤ人を穴埋めにして、焼き殺している木版画が残されているが、ナチスが行ったことは、これの再現であり、異なる点があるとすれば、殺害方法が機械化によって、効率化し、殺害人数が巨大になったことだろう。
    ユダヤ人については、どこの国も程度の差あっても、同様の経験をしているので(あの厚顔無恥なロシアですら、ユダヤ人のことでドイツを責めたりはしない)、ドイツを責めると、「あんたらにだけはいわれたくない」と切り返され、責任問題が飛び火するから沈黙しているだけ。
    要するに、「ユダヤ人のことについては、お互いに黙っていましょう」という非公式な合意が、欧州各国でなされているということだ。

  5. 友人がはるばる日本から送ってくれました。
    これから拝読させていただきますが、嬉しくてお便りしています。
    先生の【GHQ焚書開封】はネットで拝見させていただいておりますが、先生より少し年下の私は教科書の墨塗りなども覚えており、何も考えずに幾星霜過ごしてまいりましたが、今改めて終止符のない戦後を実感させられております。まだ戦後は続いている…それが69年目に改めて感じる現実です。

    考えれば哀しく汚辱にまみれた日本は如何に再生すべきか?69年ですっかり平和ボケした日本人が大東亜戦争時代の日本人に立ち還れるでしょうか。愛国精神など培わなかった69年を取り戻すのは中々一朝一夕には叶わないと思います。

    毎年靖国神社参拝者が増加、それも若者が増えているそうですが、そこからでも愛国精神が芽生えて日本を取り戻してほしいと願っています。

    御本を拝読して又お便り致します。
    どうぞ御身ご大切にお過ごしください…アメリカ在住

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