7月半ばに遅れていた私の全集第14巻『人生論集』がやっと出ました。第10回配本です。前回は第9巻『文学評論』でしたので、第10、11、12、13巻の四冊をスキップして、いきなり第14巻に飛びました。
そのわけは、この第10、11、12、13巻は世界の状況が急変した共産主義の終焉を第11巻に予定していて、編集が大変に複雑で難しくなってくるので、内容のまとまっている第14巻『人生論集』を先に出したのでした。
いち早く7月15日付である方から第14巻についていきなり次のコメントが届きました。
3.西尾幹二全集14巻が届きました。毎巻、書架の装飾がわりに並べておくだけで、中身は一度の読んだことがありません(ケースから出したこともない)が、今回は、一気に全部読みました。おかげで、このところ寝不足です。西尾さんの日常が軽妙なタッチで描かれていて、大変面白かった。
コメント by 藤原信悦 — 2014/7/15 火曜日 @ 12:05:03 |編集
(「正論」連載「戦争史観の転換」へのコメント)
箱も開けていないなんてひどいなァ、と思いましたが、第14巻は読み出したら止まらなくて寝不足になった、というくだりは正直うれしい感想でした。具体的エピソード満載の一巻ですので、この一巻は読みやすく、面白いこと請け合います。
まだ私の全集に近づいていない方はぜひこの巻を入り口に手を出して下さい。(株)国書刊行会の販売部長永島成郎氏(Tel 03-5970-7421)が買う巻の順序などについてはご相談にあずかります。以上はコマーシャルです。
以下に第14巻の目次を示します。巻末の「随筆種(その一)」も目玉商品です。
オモテ帯
作家 川口マーン惠美
ドイツからの手紙全編を通して共感を覚えるのは、西尾先生ご自身がご自分を上段に置くことなしに、すべてを正直に心に問い、疑い、弱い部分もさらけ出していらっしゃるところ。それは、とくにご闘病のシーンに顕著です。そして、死を恐れるご自分を見つめ、悩み、その挙句、あらゆる患者に癌を告知するべきだという理屈は「強者のモラルの極論ではないか」と憤る場面に、読む者は心を打たれます。つまり、先生ご自身も、紛れもなく、「本当の姿を見ることを本能的に拒否し」、「自分で自分を騙して生きて」いる人間、「完全な自由も、完全な孤独も」持たない人間の一人なのです。その謙虚さを感じるからこそ、ここに掲示される多くの疑問や考察は、読む者の心に素直に染み透っていきます。
(『人生の価値について』解説より)目 次
Ⅰ 人生の深淵について
怒りについて
虚栄について
孤独について
退屈について
羞恥について
嘘について
死について
教養について
苦悩について
権力欲についてⅡ 人生の価値について
断念について――新版まえがきに代えて第一部
無知の権利
自分への幻想
褒められること
成功と失敗
人生の評価
真贋について
虚飾について
ふたたび 真贋について
虚栄について
自由と混沌
独創性について
芸術と個人
自由と平等
ふたたび 自由と平等
自由と競争
自由の隠し場所
福音について
理解について
行為と言葉
思想ということ
書物の運命第二部
無私について
現実について
運命について
賭けと現実
現実は動く
理想と現実
政治と道徳
統治について
思想の背後
知ってしまった悲劇
孤独の怒り
始皇帝の展覧会を見て
出会いの神秘
聖人と政治
ふたたび 聖人と政治
内政と外交
言葉が届かない
ある歴史物語(一)
ある歴史物語(二)
ある歴史物語(三)
ある歴史物語(四)
悲劇について(一)
悲劇について(二)
悲劇について(三)
行為と無
人生の主役第三部
落ちていく自分
破滅について
危機の時代
狂気と正常
疾走する孤独
ニヒリズムについて
遊戯と真剣
不自由への欲求
青年の変貌
自閉衝動
深まるニヒリズム
自由の恐怖
違反と禁止
真理について
宗教と歴史
古代の獲得
知行合一
歴史の死
行為と観照
歴史と文学
預言者の悲劇第四部
インドでの戦慄
信じられないこと
人権について
浄、不浄の観念
インドの上流家庭
カースト制度の打倒
菜食主義
結婚の条件
差別の解消
不寛容な社会
差別と区別
個体という幻
裁きについて
自然の意志
意志と煩悩
忍苦の世界第五部
懺悔について
後悔について
取り戻せない過去
希望について
ある体験(一)
ある体験(二)
ある体験(三)
ある体験(四)
ある体験(五)
自分の知らない自分
死の統御について
死の自覚について
自覚の限界について
病気の診断について
羞恥について
人生の長さについて
人生の退屈そして不安(一)
人生の退屈そして不安(二)あとがき
Ⅲ 人生の自由と宿命について 西尾幹二と池田俊二
第一章 青春の原体験
第二章 ベルリンの壁崩壊がもたらしたもの
第三章 人生の確かさとは何か
第四章 近代日本の宿命について
第五章 しっていてつく嘘 知らないで言う嘘
第六章 アフォリズムは人間理解が際立つ形式である
第七章 ニーチェのはにかみとやさしさと果てしなさⅣ 男子、一生の問題
はじめに 日本人が、考えなければならない「問題」がある
第一章 「男子の仕事」で一番大事となるものは何か
第二章 時間に追われず、時間を追いかけて生きよ
第三章 この国の問題――羞恥心の消滅
第四章 「地図のない時代」にいかに地図を見つけるか
第五章 男同士の闘争ということ
第六章 軽蔑すべき人間、尊敬すべき人間
第七章 「自分がいないような読書」はするな
第八章 仕事を離れた自由な時間にⅤ 随筆集(その一)
女の夢、男の夢
蛙の面に水
村崎さんの偏差値日記
私は巨人ファン
大学のことばと会社のことば
買いそびれた一枚
ミュンヘンのホテルにて
西洋名画三題噺――ルソー、クレー、フェルメール
子犬の軌跡
音楽後進国の悲哀
親の愛、これに勝る教師はなし
恩師小池辰雄先生
愛犬の死追補一 「思想」の大きさについて 小浜逸郎
追補二 ドイツからの手紙 川口マーン惠美
後記ウラ帯
「真に高貴な人間は怨みとか焦りとか妬みとかを知らない。ただ怒りだけを知っている。勿論それで身を滅ぼすこともある。神のみが為し得る正義の怒りを、人間が常に過たずに為し得るとは限らないからである」(怒りについて)「生産的な不安を欠くことが、私に言わせれば、無教養ということに外ならない。それに対し絶えず自分に疑問を抱き、稔りある問いを発しつづけることが真の教養ということである」(教養について)
「他人を出し抜いて得をしようというのも虚栄なら、わざと損をして自分を綺麗に見せようとするのも虚栄である」(虚栄について)
「われわれは一般に真実を語ろうとする動機そのものの嘘に警戒をする必要がある」(嘘について)
「孤独感は自分に近い存在と自分との関わりにおいて初めて生ずるものではないだろうか。近い人間に遠さを感じたときに、初めて人は孤独を知る。孤独と人生の淋しさ一般とは違うのである」(孤独について)
(『人生の深淵について』より)
以上
いまだ拝読してません。しかし近所に住む御幸縁をいただいて、散歩のおりにしていただくお話から真贋の対比をする人物で彼のノーベル文学賞受賞者のある作家や思想的に同系列のSW氏を考えます。
全集のエントリーの場合、コメントは大変に書きにくい。なにしろ全集の文章は分量が多いので読み終わるまで書きにくいということがある。ただ、この14巻の場合、ほとんどが短編で、しかもそれぞれが完結しているからどこから読んでもよいし、ひとつひとつが短いので感想も書きやすい。
私の場合、自分の娘の事故死のこともあって、死に関すること、先生の病気のことなどを先に読み始めた。
西尾先生は、死んだ先に自分の意識が残るのなら、死ぬのは全然怖くない。だが、死んだあと意識がなくなるのであれば、それは本当に怖いことだと書いておられる。先生は11歳の頃も同じようなことで悩んでおられたらしい。
もし、意識が残っているのなら、前世の意識を残している人が居ても不思議ではないが、そういう人はいないようだから意識はなくなるのではないかと・・・・。
私は自分が死ぬのは怖くないと思っている。死後、魂というか、意識というか、そういうものが娘と再会できると思っているからだ。
この14巻には人生のいろいろな折に読めばいい文章が、数限りなく書いてある。先生が宣伝しておられるように、全集の入り口にすればいいと思う。
アマゾンで西尾先生の何冊かの著作にレビューを書かせていただきました。下記は全集のうち「ニーチェ」へのレビューです。レビュー読み直すとなんだかもっと良く書けそうだなと反省しますが素人なのでまあこんなものです。また何か感じたら書かせていただきたいと思います。
(以下転載)
ニーチェはその時代の流行思想により様々に解釈されてきた。ポストモダンが流行ればその思想的系譜の哲学者の観点からさかんに分析されたりしたのが、それである。哲学は本来素人にもわかりやすく解説するものだという考え方が流行すれば、かみくだいてニーチェを解説するのが流行した。けれどもどれもニーチェの本質に迫っていないのではないかと思えた。たとえばニーチェが「神は死んだ」とか「真実など存在しない、すべて解釈である」という思想の発明者とか大家などいうのはうさんくさい。そんな考え方を広めた思想家や評論家は当時くさるほど存在したからだ。「なぜニーチェなのか」という本質に迫っていない。
私はニーチェの本質はギリシャの民族的精神、とくにユニークなギリシャ民族の創造的精神を当時のヨーロッパでもっとも最高レベルで洞察して体現したことにあることだと思っている。ギリシャ民族の精神的鉱脈を掘り当てたことにより、つきせぬ深遠なインスピレーションを発揮したのがニーチェである。だから「ニーチェはこういう考え方と思想をもってかくかくしかじか・・」とわかりやすくニーチェの全体像を解釈するのはあまり意味がないと思っている。ニーチェの「反キリスト」もギリシャ精神が根底にあってのものであった。ひとつの民族の創造的魂を全体的に直覚して理解することはこういうことだという示唆をあたえてくれるのがニーチェであり、そういう意味ではドストエフスキーなどとの共通点も感じる。ニーチェはギリシャの文献学者として一流であったこともその思想的開花に大きく貢献しているのだろう。そしてその上でギリシャ人の魂を解剖しそれとある意味対決して、「ここは好きだ、ここは嫌い」あるいは「ここは創造的、ここは非創造的」だとおのれの好悪を明確にした。そしてその成果によって当時のヨーロッパ時代精神の断面を鋭く照射した。
西尾氏のニーチェは、思わせぶりなニーチェの解剖本とは違って、忠実にニーチェの仕事や当時のヨーロッパへの影響を丹念にとりまとめて高度な知見で整理したものである。ひと言でいえば「極めてオーソドックス」な、それでいて日本人にとってニーチェとは何であったかも自然に示唆する内容にもなっていて興味深い。
私はニーチェの専門家でもないし誰か思想家の専門家でもないが、ひとりの思想家と対峙することはこういうことだという最高のお手本であると感じた。つまりわかりやすく一人の思想家を解剖したいという誘惑をもたず、先入観ももたずに無私の態度で感性をとぎすまして思想家のあしどりと影響を追跡するということである。その意味で本書はオーソドックスであると感じた。
若い人が読めば、「なんだ。雑多な資料を紹介しているだけで著者独自の解釈や卓見が少ないな。もっと著者なりの個性でニーチェをすっぱりとした切り口で解剖してほしいな」と欲求不満になるかもしれない。けれども、それは読者がニーチェや解説者の単に何か面白い発想や思考を探しているだけにすぎないのである。たしかにニーチェはユニークな思想的断片を切り出すのは容易であろうけれども、ニーチェの本質はそこにはないと思う。
本書はいろいろニーチェの本を読んだが最高の解説本であると思った。これは言いすぎかもしれないが、あとは読者はこれ以外の余計な解説本を読まずにニーチェの作品そのものを虚心に読めばよい、とさえ思った。
失礼であり恐縮ですが、私はこの人生論集は過去に文庫で読ませていただきました。機会あれば再読したいと思います。
死生観はその人の思想に大きな影響を与えるようにも思うときもあれば、以外と影響は小さいものかもしれないと思うときもありますね。
私は凡人だから、尊敬できる偉大な先人や同時代の達人の思考をまねるだけです。最近は我が家ではスリムドカンの経営者の斎藤一人氏や医師の矢作直樹氏の本がブームです。リビングに置いてまわし読みしています。斎藤氏は中学しかでていませんが歴代の最高額納税者であったと思います。氏はなんの疑いもなく「生まれ変わり」を信じているようです。
矢作氏は「人は死なない」がベストセラーになりました。その他の著書も面白いです。 船井総研の船井幸雄氏の「人は生まれ変わる」なんかも面白いです。
選ばれたごく一部の人間が伝道師となってなにか畏れ多いことを世間に知らせる使命をもっているのかもしれません。(俳優の丹波哲郎とか)
あまりこういうことを真面目腐って書くと頭おかしいと思われるかもしれませんが、過去の経験ですが、近親者のうち立派な人間が亡くなった葬式に参加すると不思議なことが起こりました。快晴なのに納骨を見送るため火葬場にバスで移動するときにいつも豪雨となりバスが猛烈に打たれます。そうすると葬式にきた人々が「これは涙雨なのだ」と言います。そしてバスが火葬場に着くと不思議なようにいつも快晴にもどりました。
天候にはなにか秘密があると思って昭和天皇の崩御後に日本人が悲しみにしずんでいたときにほとんど東京では雨がふっていたことを思い出して、当時の天候を調べてみました。すると崩御の年だけ崩御後の一週間ほとんど天候は雨か曇りとなっていました。ほかの年とくらべてみると、あまりに平成元年(1989年)のその期間が雨か曇りが多いことで突出しています。
こんなのは非科学的かもしれず空想的仮説にすぎないかもしれませんが、思い出すと世の中不思議なことはよくあります。
非常に理性的な西尾先生のブログコメントにはふさわしくありませんが、感想を書いてみました
私事で恐縮ですが、数年前に公立高校教諭を退職しまして、悠々自適の生活と思っていましたが、我が家の屋根を葺き替えねばならなくなり、老後資金にと当てにしていた蓄財の多くを費やすことになりました。未だ六十代前半で今後の不安を抱えながら、西尾先生の全集発刊を知り、購入するか否かで随分悩みました。私の世代は、三島由紀夫・福田恆存・小林秀雄諸氏の御存命中、同じ大気を呼吸し、三氏の全集を購入して親しんで参りました。そうして、今また西尾幹二先生の全集発刊を知って、大仰のように聞こえましょうが、これを読まねば死ねないと、そう自分に言い聞かせて購読を決意しました。むろん西尾先生の御著書は中央公論社「世界の名著」以降の多くを拝読して、単行本として手元にありますが、だからこそ迷いました。しかし今は購入して良かったと思っています。殊に今回の第十四巻は、西尾先生の普段の息吹に直接触れたようで、感動も一入でした。私は現在は新採教諭の指導の仕事をしています。「ゆとり」世代の青年を担当しています。彼らは上記四氏の著書をほとんど読んでいないので驚きました。これからは紹介しようと思っています。今、高校の国語の授業の現場では、教材に村上春樹の小説が採用されており、それを高校生に教えなくてはなりません。しかしながら私の内部で村上春樹の評価が十分に出来ていません。西尾先生はどのように御覧になっていらっしゃるのかと想像しながら、教材研究をしております。西尾先生ならば、今の村上春樹は、かつての大江健三郎と同断に切り捨てられるのではないかな、なぞと考えながら、一昨年早稲田を出たばかりの青年と対応しています。お忙しい西尾先生でしょうが、現代日本文学についても、再び、御賢察をお示しくださる機会が今後あればと、勝手ながら存じております。と申しますのも、私共現場の教師には、例えば先の村上春樹評価についても、なんら当てになる批評がないからです。ともあれ、西尾先生には全集完結までお健やかにご活躍なさいますよう祈念申し上げております。次回十一月の配本を楽しみにしております。
久松大鶴様へ
お答えします。
拙著をご購入下さり有難うございます。
村上春樹の文学について、私は一度だけ『羊をめぐる冒険』を論評しています。全集第9巻の646ページです。ネガティブな評価です。あまり参考にならないかもしれませんが・・・・・。
652ページから665ページまで2部コピーし二人に渡しました。
一人はあの場に一緒だった林勝彦君。お互い原子力関連で約30余年、
彼は私の3年後に入社してきましたがこれまで職場が一緒になることはなく
昨年私が退職し、再雇用となって彼の部下として働くことになりました。
林君も10年前のことをよく覚えていて、西尾先生の記憶力に感服していました。
もう一人が私の直属の上司。女性登用の拡大が国有化された当社の
改革の一つ?そんなことで7月に着任した女性マネージャーです。
15,6歳?ほど若いFというマネージャーは電通大卒。入学時期を考えると西尾先生の講義を受講した可能性もあり渡しました。「私にも課題があります」との女子学生を思い浮かべながら(笑)
先週、原子力の職場がはじめてというFマネージャーを研修することとなり
「エネルギー情勢はは歴史的にも地理的にも俯瞰的考察が必要」
「外交、経済、環境」と密接に関連などと持論のエネルギー(原子力)問題を展開し、その後
マニュアル人間が現代社会(当社)の病巣だとか、いろいろと熱く語ったところ「小池さんから頂いたコピー(14巻)と同じことを話されていますね」ときたもんだ。
「エッ!」不意を突かれたが、なんだか嬉しくなった。そうなると止まらない、「自分がいないような読書はダメ」「本当に信じることはまずは疑え」等々、西尾節拝借とばかりと私の熱弁はとまりません。
更に西尾先生がなぜ「原子力を否定するかも」しっかりと教えました。
ところで、このFマネジャーは西尾先生の講義を受けていないとのことで「なんだよ~」とがっかりすると「私~全集を購読してみます」とFマネージャー。
「砕ききれないものもあるけど楽しめますよ」と敬意を表し、修終了となりました。私自身にパチパチパチ~♪営業完了