拉致問題の新しい見方 (五)

 
 一昨年の10月15日の帰国に際し、5人の記者会見があり、現地で一番地位の高いといわれる蓮池薫さんの目が異様に光っていて、無気味だったことを覚えている人は少なくないだろう。
 
 私は当時次のように書いた。
 
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 帰国直後、記者会見に出るのを最初いやがった1人の帰国者の発言は、私に奇妙なものを感じさせた。8人の日本人が亡くなられているので、「私のようなものが皆さんの前に出るのは忍びない。表に出るような身分ではない」(『読売』10月16日)という発言は不可解な印象を与えた。有名な元北朝鮮工作員から、この日本人は高い地位の工作員であったという証言も得られた。
 
 私は17日付の私の「インターネット日録」に「ここから先は憶測である。歴史から一つのことがいえる。ナチスのユダヤ人迫害には、ユダヤ人による組織的協力があった。全体主義の恐怖社会で生き残りに成功した者は、過去にそれなりのことはあった」と書き添えた。
 
 インターネットの書きこみに、私のこの言い方は余りに無情だ、容赦がなさすぎる、という批判が乱れとんだ。また私を擁護する反論もあった。(『正論』平成14年12月号)
 
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 ある自民党の有力な政治家が、「蓮池さんは犯行の当事者なのだから・・・・」という言い方をテレビで敢えて言った。私の直観はそう間違ってはいなかったのだと今は信じている。
 
 けれども過去に何があったにせよ、彼が悲劇の犠牲者であることに変りはない。表面的な善悪で問うべき事柄ではまったくない。けれども、お子さんがたも無事手もとに取り戻したのだから、ここで洗いざらい全部体験を語って、安否未確認者や特定失踪者の情報を待ちわびる人々の期待に応えるべきだと誰しもが思うのだが、私は必ずしもそうならないのではないかと、一抹の不安を抱くのである。
 
 強靭な意志力、したたかな心理眼、物怖じしない演技力、信じさせておいてさっと翻すあの裏切りへの胆力、知力、行動力――そういうものの一切を有していたからこそ両家は帰国できたのである。(曽我さんの場合には米兵がらみに北の目算があったためで、別ケースと思う。)
 
 私は蓮池・地村ご夫妻とそのお子さんがたを、あの社会の本質を知っている生き証人と考える。発言に注目したい。文章を詳しく書いてもらいたい。ことにお子さんの出版を期待する。私が心配するのは、彼らが北に残留する犠牲者に対し加害者の位置にあるかもしれないので、発言に自己防衛のかすみがかかり、これ以上の事態の解明にかえって蓋をしてしまう可能性が小さくないと考えられることである。

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