伊藤悠可氏誌す
「なぜ、ここにいる」と先生を罵倒した男。先生は全共闘を彷彿されたという。全共闘世代。これは先の親世代が甘やかして育てた過剰肥料の産物だ。或いは、心が緩んでいた時に生んだ子供たちだ。戦争で緊張感があった。その時代に命をなげうった人には子供がいない。終戦で、死ぬかもしれないという危険がゼロになった。そこでどっと子供が生まれた。「ああ、死ななくてよかった」と弛緩したときに生まれた子供たちなのだ。だから二十歳になってイタズラをしたのだ。今まで彼らがやったことを児戯でなかったと思ったことは一度もない。そのオフセット版がいみじくも先生があぶり出した保守屋の中年。全共闘世代を評する限りサルトルは当たっている。「この世に放り出されただけ」の存在なのだ。私も全共闘世代に入るらしいが。
そう言えば、「保守」の人口が増えたなというのが、あるときからの印象である。今回のような事件をみると、水増ししたに違いない。こんなにいるはずがない。あの当時は全然いなかった。
こういうときは悪人のほうがわかりやすい。善人は語るべきときに語らず、語ってはならないときに語ったりする。不測の事態というときには、善人が当てにならないだけではなく、実際に悪い役割を果たす。
「愚直」というのはない。愚かなるものは必ず曲がる。「愚曲」はあり、「愚直」はなし。私が歩いた拙い人生からでもそれが言える。自分で愚直といってえばる人間はほとんど曲がっている。
「保守」という言葉も、全共闘が汚してしまった「総括」と同じように穢れてしまうのだろうか。紫の朱を奪うものたちの手によって。
「目的の為には手段を選ぶ」。これが日本人の澡雪の中心である。先生は昔から左翼であっても進歩主義者であっても、隔意なく人間として敬意をもっておつきあいなされた。それを最近の日録で知って我が意を得たりと思った。九段下会議で先生の身振り手振りをみているだけで、それはわかるはずだ。
「目的の為に手段を選ぶ」。その中には、禮も長幼の序も金銭の使途の性格も、さらに言えば団体に参加しているという動機までも、規範されるものであろう。つまり、卑怯をしないということだ。
わが古代から中世へかけて廃れていた思想に「恩を知る」ということと、「分を守る」という思想があって、それは平和的な感情でもあるが、運命的な思想に培われたものであると私は信じる。けれどもその運命を裏切らんとした人々が不必要な動乱を敢えてしたために、世の人々が難渋したことも幾度もあったので、これも日本だけのことではないであろうが、この二つの感情が自然と流れていた時代と人世にノスタルジーさえ感じる。
突き詰めて言えば、この二つさえ放擲しないで生きられるなら、人としてあまり大きな過ちはおかさないでいられると思うほどである。保守知識層が結集してやっておられる運動の大半は、「大衆感化運動」だと思っている。大衆覚醒運動と呼んでもかまわない。しかし、この運動の核にほとんどの大衆が入ってきては困るのだ。
こちらが大衆浴場になってしまったら、誰に呼びかけるのであろうか。
(つづく)
つくる会の種子島会長、八木副会長は4月30日の理事会で会長・副会長のみならず理事も辞任し、会そのものから離れると発表しました。
さらに新田、内田、松浦、勝岡の四理事も辞任。
ただし、会長、副会長の自己弁解を披瀝したつくる会FAX通信172号は、新執行部(高池会長代行)の成立直前に、これを出し抜いて出した種子島、八木両氏の犯した、不正かつ卑劣な文書で、ただちに無効となっている。
私はただ、八木は知らず、種子島の何故かくも、陋劣なるかを、彼を知る旧友とともに哀れむのみ。
4/30 追記
ここの部分に書くのが妥当かどうか、というのは作る会の首脳部の辞任もあったようだし、この私の投稿の内容は「新しい友人の到来三」に対する反論ではないわけです。
今回書き込んだ内容が妥当かどうかは読み手に判断してもらうことになりますが、最近20年くらいの自然科学の歴史史家の研究成果から得られた知見があります。
知見というより自然科学そのものを見る仮説なのですが、その仮説から今回の一連の話を考えてみたい。主軸になった考え方は「科学のダイナミックス」村上陽一郎から得ています。
自然科学という西洋文化で生じた分野の考え方を今回の問題に類推していいかどうかは私も確信が出来ません。特に私のような日本社会は相互信頼で生きていると考えている弱い人間には前提として存在しているすべてを疑え、またはすべてを批判せよとでもいう考え方にはついていきにくいのですが、まあモデルとして考えてみたわけです。
自然科学ではだいたい次のような考え方をしています。
①反証可能性のないものは科学ではない。
①-1.何百万回という反証を受けた科学理論でさえ、一つでも反証があったらそれは理論から仮説に格付けが落ちる。
①-2.したがって自然科学では絶対の真理はありえない。絶対の真理であったら反証の可能性がないから自然科学の範囲を超えてしまう。
②自然科学は仮説の体系である。
②ー1.自然科学の理論(仮説)を倒すのは事実でなく別の理論(仮説)である。
②-2.自然科学では事実から考えているのでなく(帰納的に考えるのでなく)、仮説モデルから考えている(演繹的に考えている)。
③自然科学はそれを作った文化の影響を強く受ける。
④科学理論が正しいかどうかは多くの専門家が正しいかどうかを認めることによってきまる。
①から④は常識的自然科学観から見るとほとんど逆ではないでしょうか。ところが一例で仮に歴史を自然科学の類推で見ると歴史は物語であるというモデルは決しておかしくはないわけです。ずいぶん昔になりましたが「朝まで生テレビ」で社会党の福島みずほが歴史は事実の累積であると反論していたのを思い出しますが、最近の自然科学の考え方からはこれは間違いなのです。
さて今回の一連の西尾幹二氏の批判活動を①から④に当て嵌めて考えて見ましょう。
まず①の反証可能性は確実にあるのはわかります。批判された人間へ反証をしてくれと書いているのですから、またそれが技術的に出来る環境を用意していると書いていますから、この部分はOKでしょう。勿論この批判に反論しないこともありうるし、WEBで見ると八木氏は西尾幹二のわなに乗るなと書いているサイトもありますけど。
②から④の部分は現時点ではなんともいえません。実際に色々な方の反証は反証になってない印象が私はしていますが、どうなのですかね。
こちらでは始めまして。
人間関係の推移が「科学的」に「正しい」とか「間違っている」とかに意味があるのでしょうか・・・「感情」まで考察の対象にすればいいのかも知れませんが、、、、。
しかし、今回の事情、お察し申し上げます。
一から出直しですね。。。(-o-)フゥ
まあ、しかし、辞任した方々には、まだ一片の良心が残っていたということが、せめてもの救いでしょうか。。。
私は、種子島さんを筆頭に、どの理事も別に憎んでいるわけではありませんからね。。。(私は、以前から、田中英道先生の次は、種子島さんが最も相応しいと思っていました)←ご著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生 』を読んで、そう感じました。。。(--)
ただ、悪に目をつぶる事はできないし、本人たちのことを本当に思いやるなら、むしろ罪を償う機会を与えてやるべきだとさえ思います。。。
(罪を憎んで人を憎まず(-へ-))
西尾先生
いつも興味深く「日録」読ませていただいています。
瑣末なことですが、伊藤さんが言われているのは、
「戦争が終って気が緩んで生まれた」といっていることから、団塊の世代といわれ全共闘世代ともいわれる世代のことかと思います。
だとすれば四理事の皆さん、新田(昭和33年生)、内田(昭和33年生れ)、松浦(昭和34年生れ)、勝岡(昭和32年生れ)の世代は、それよりも10年か一回りもお若いはず。西尾先生の「全共闘を彷彿とする」という喩えが有ったからといって、かれらを全共闘世代というのはいささか混同が過ぎるかと思います。
四理事の方々はもしかすると、保守学生が保守学生らしくなくなった世代なのかもしれません。『ウヨク』を公然自称してもあまり困難なく教壇などに立てるようになった人たちかもしれません。
少なくとも四理事の皆さんは、もとよりのこと「全共闘」体験はないはずですし、多数の一般学生大衆の前で「全共闘」学生と相対峙した実践経験もない筈です。「全共闘」のなれの果て、つまり一般学生から全く遊離した「左翼セクト学生」と、地下室で対峙したことはあっても・・・。彼等は、いわば遅れてきた世代です。
そういう意味では、インターン経験のない医者のような「実習不足の保守運動家」であって、世間知らずで政治策略ごっこ好きの『学者様』達なのではないでしょうか? それが、単に礼儀知らずとして露呈しただけのことだと思います。
機械計算課長こと松井康雄様の書き込みを拝見して、理解が行き届かないところもあるかも知れませんが、もしかしたら、「99.9%は仮説~思いこみで判断しないための考え方~」で述べているようなことを言われようとしているのかな、と思いました。
最近、書店の店頭でよく見かける本でしたので昨日購入しまして、読んでみたのですが抜群に面白い本でした。なぜ飛行機が飛ぶのか、その理由は正確にはわかっていない、という話から始まって、この世の中のありとあらゆることが、仮説で成り立っていて、いつ180度覆るか分からないものだ、というのは極めてスリリングで面白いでしょう。小学校時代にアイザック・アシモフの科学エッセイを読んで以来の面白さでした。
なぜこんなことを場違いにも書くのかといえば、西尾先生の”推理小説”が現実を動かしたことによります。私は、つくる会の”内紛劇”には強い関心を持つことが出来ませんでした。誰もが自分の「仮説」によって推理し、行動することによって更にまた次の「仮説」を立てていく、というようなことを繰り返しているように、(この本を読んで書いているので、この感じ方自体がこの本の影響のもとに書いているともいえますが)見えたからです。
その中で、例えばですが、つくる会や西尾先生、また他の先生方の電話やファックスが盗聴されていた可能性はないのだろうか、などという「仮説」が思い浮かぶからです。
現実ではばっさりと、結論が出てしまったことですから、それについてとやかくいうつもりも無ければ資格もないと思っていますが、顛末紀その他をそれなりに丹念に読んでみたつもりなのですが、何か腑に落ちないものを感じているということだけは、あるいは袋叩きにあうかも知れませんが、申し上げておきたいと思い、機械計算課長こと松井康雄様の書き込みを見て、(きちんと理解したうえではないと、自分の理解力自体を割り引いて考えてはおりますが)あえて、書き込みいたしました。
自然界の摂理の中に面白い研究発表があります。
仮に全体を1000という数字で表すとそのうちの4個や5個が別の働きをしても、全体に及ぼす影響は殆どなく、それは15個まで同じ現象なんだそうです。ところが16個目からは確実に全体に何かの影響を及ぼすようになり、その16個の存在は無視できない存在になるんだとか。
この原理はあらゆる自然界に当て嵌められるようでして、全体の1.6%という数字は一つの目安なんだそうです。
ですから仮につくる会の教科書が国内のシェアの1.6%に達している場合、この教科書の存在は必ず何かしらの影響を及ぼすということになります。
私はつくる会の教科書の採択率の数字を知りませんが、目標値をそこに印し、まずは努力すべきだと思います。そのための再出発を新たな有志同士のもと為されることを切に願います。
橘さん>
今日は休みで連休中に休出する予定なので今日に返事をしておきます。なおHNは面倒でしょうから、課長とでも呼んでください。私の常駐するサイトではそのように読んでもらっています。
私はご紹介の本を読んでいませんが、WEBで見ると主旨は同じです。もともと5年ほど前にカッパブックスで村上陽一郎氏の本(この方も専門は自然科学史です)を本がバラバラになるほど読んでなるほどと唸った経験があります。とくに科学は人間の認識が作り上げたものであって各種の自然科学に対する考え方が180度違うという指摘に驚いたものです。
ご紹介の本の99.9%がどういう意味か知りませんが、日本では千三つという落語の言い回しがあって、ある大うそつきがあって、そいつの言ったことは千回に三回も正しくない(残りは嘘)という意味ですが、99.9%なら千一つですな。私は中身をみていませんが、表題の意味は謙虚であれという意味に受け取りましたが。
ドクターマタヤン先生>
マタヤン先生でも沖縄は日本の日常生活文化のコアをのこしているという仮説を持っているわけです。この仮説はすべての人間の生活を含んでいるはずですから、感情も入っていると考えています。
もっとも私のこの自然科学史から生じた考え方を選んだ目的は、これによって自分自身がわからない部分が解明されたら、そのきっかけになればいいと思っています。この自然科学史から演繹された考え方は認識論を背景に持っていますから、逆にいうと自然科学は人間が創ったものだから感情を含む文化から生じると私は考えています。そういう意味での普遍性はあるでしょう。一方この考え方自体は内部矛盾を持っており、「多くの専門家が支持する仮説は理論になる」という考え方自体は歴史を見ればわかりますが、多くの専門家が正しいといったことが正しくないことは幾らでもあったわけです。いわば考え方はすでに反証を受けているわけです。
私が今回の一連の西尾先生の投稿を読んでいて、またその反応を読んでいてわからないのは何を背景にして西尾先生がここまで過激な表現をとったのかです。このサイトに投稿したおかげでしょうが、色々な方の意見をメイルで貰いましたが、私は「結局、西尾先生は威されるのが一番嫌いで、今回もそういった組織の力を振りかざしたものに対しての怒りが一番あったと理解しています」という某氏の意見に同意するものです。これが今回の西尾先生の大前提にあると考えると色々なことが納得できます。
従って多くの反論、例えば宗教団体に対する忌諱も西尾先生にはないのでしょう。個人主義からくる西尾先生の怒りでもなく、日本人の集団主義や和を重視する態度に対する怒りでもなく「結局、西尾先生は威されるのが一番嫌いで、今回もそういった組織の力を振りかざしたものに対しての怒り」であるならほとんどの投稿が見当違いであったと思わざるを得ません。仮に私の認識が正しいなら多くの西尾先生の投稿に対する意見は反証になっていないようにも思えます。
繰り返しますがまあこの自然科学の考え方を援用する考え方が正しいかどうかは私もわかりませんが、わかりやすく説明するのに考え方が明確なら同意を得やすいから「自然科学の考え方」を援用しただけの話なのですが。
あきんど@携帯さまへ
それはいわゆる「百匹めの猿」現象ですね(^^)
現在の採択率は、確か0.4%でしたよね。その前が0.04%ですから10倍で、波及効果は凄いものがあったわけですね。大体、あの郵政解散がなければ、また違った結果になったかもしれませんしね。世の中一寸先は闇ですが、次回にこの4倍に増やせれば1.6%です。大体老舗の教科書会社でも10%取れていないところも多いのですから、目標に掲げたのはよいですが、簡単にいくはずはないのですよね。営業云々で言えば第一義的には扶桑社の責任ですが、扶桑社は営業に人を割いているのでしょうか。前回はそれでも私のいる地方にもやってきましたが、今回は影も見えませんでしたね。(ワガチホウハステラレタノカモシレマセンガ)それでも10倍に伸ばしていたわけですね。それは杉並区のあの凄まじい左翼過激派の連日にわたる反対活動に対して徹底的に応戦した地元支部の方々の熱意もあるわけですが。
何れにせよ、一年近い時間を空費したわけですから、7月2日の総会では全国の会員・支援者に対して是非とも再出発を高らかに宣言して頂きたいものと思いますね。また、それが出来るものと期待もし応援もしています。
別に急に思いついたわけではありませんが、「採択」の話などは早計に思います。。。
まずは会本来の目的に立ち戻って、正統な学問に基づいたマトモな教科書を作ることに全力を注ぐべきでしょう。。。
対外的には、つくる会はいったい何をやっているんだ?という目で見られている状態で、採択などされるはずがない。。。
第一、採択させるという目先の利益に目がくらんで、急ぎすぎた結果が今回の醜態です。。。(また同じ轍を踏むのか?)
地道で誠実な活動をすることで、まずは会員の「信頼回復」が先で、それからようやく、一般の人への働きかけも可能になるのであり、採択などはその後の話です。。。
(私としては、辞任したとはいえ、あのような人物が会長になった前歴のある会が作った教科書などを、いったい誰が信用してくれるのかと思いますが。。。)←「信頼回復」なくして会の復活はありません
30日の理事会で、八木一党に連なる人たちが一斉に辞任しました。先生は安堵されているのでしょうか。
私は、新たな戦いの幕が上がったと認識しています。
これからは、八木一党に連なる人たちが、自分の言葉で公に語るでしょう。どんな工作が行われたのかも、誰がキーパーソンだったのかも。
先生は、これまで四人組と言われる人たちが、何とか内部の問題を内部で処理しようとしてきたと考えたことはないのでしょうか。
「宮崎発言」が問題となっていますが、本当に宮崎氏は「諸団体の組織名」をあげたのですね。そのこともやがて明らかになるでしょう。
「新田発言」を根にもたれているようですが、「つくる会」という組織は「名誉会長」が専従職員の人事について「指揮命令」出来る組織なのでしょうか。そういう組織なら、それは納得するしかありませんが、「人事権」を持たない人間が、自身が「創業者」であることを理由に「懲戒権」を発動し、「あいつは懲戒免職だ」と決定したら、それはそれはどんな温厚な戦闘的でないと揶揄される人物でも、「地位保全」を訴え出るでしょう。私だってそれは闘いますよ。「泣き寝入り」はしません。それがどんなに運動上大切な「創業者」であってもです。
西尾先生は理事会に提出された「藤岡信勝理事」が「報告」した「宮崎言行録」が本当に確かな資料だと断言できるんですよね。
私には、よく言えば「権力闘争」、悪く言えば「パワーハラスメント」が、ここまで組織を深刻にしていることに正直あきれています。
昨日の理事会で、新しい理事の候補を藤岡氏が発表したといいます。結局藤岡氏の子飼いの理事が増えるだけなのではないですか。(組織の情報管理上その五人の名を明かすことはいたしません)
先に私が示した採択率の数値は一つの目標値であり、さ迷う組織を纏める意識の元、述べさせていただいたわけであります。
科学的論理が体制をしばるようなものにはなっていけないのは当然です。
しかし、採択を一つの目標の範疇にする組織であるならば、その現実とど真剣に向き合うことも大切であります。
私はそうした現実を背中に背負う役目を、たらい回しした結果惨劇を産んだのではないかという、あきんど的直感があるんです。
戦う方程式の認識は充分されながらも、いざ有事の際に背後の組織に頼り過ぎたのではないかと。
つまり組織が先にあり・・・の担保取りから行動してしまっている。
日本の各地には本気でつくる会の思想に賛同していた方々が沢山いるんです。でも彼等はどれだけの成果を上げれば手応えを感じるのか知らないわけです。
感性にばかり走りますと実体を見過ごしますし、実体ばかりに目を懲らしますとこれまた不都合です。
ジョーイ君の感性は理解出来ないわけではないですが、人間というのは「こうだ」と決め付けられない辛さを背負う部分も必要なんです。その論理からは「あーすれば良かった。こうすれば良かった」というような意見しか生まれない事が多いんです。
貴兄の気持ちの本質を疑う余裕をいつか私達に解りやすく示してみてください。
それが確認できたあとなら貴兄の意見は最もだと言い切れます。
4月30日の理事会の結果に満足しています。
望みどおり6理事が辞任し、八木氏は会自体も去る。
そして新しい5人の当代きっての指導者を迎え、これからのつくる会は盤石でしょう。
小林先生には教育基本法改正に向けて精力的に活躍されています。昨年あたりから会に貢献していただきたいと思っていました。小川先生は今回の騒動に関するお知恵を拝借していました。感謝致します。また石井先生は旗揚げされたばかりの都教連の運営も大事ですが、つくる会との連動は欠かせません。上杉さんにはあの合同会議における重要な提言を戴きました。理事会の改革を期待しています。
大阪の濱野さんは支部活動の要です。東京支部は目下厭戦気分の中ですが、やがて立つでしょう。
まさに望みうる最高の布陣です。
西尾先生の身体を張った論陣に保守の構造改革を見ました。これからもしっかりと進路を照らしてください。
やがて時間を見て、この間の顛末について部外者として見解をまとめたいと思っている。私自身は西尾氏の足元にも及ばない浅学の身であるし、全くの無名ライターであるので、自費出版は確定しているようなものだが、負債を背負っても、私なりに見聞きしたことについて残しておきたいと思う。つまり外部の保守層から見た「つくる会顛末記」である。
この間の騒動で、当事者の意図は別として、保守勢力の国民運動の一角は大きく疲弊し、組織内部に疑心暗鬼と猜疑心が生じたことは事実である。そしてそれはつくる会に留まらず、他方の極へと飛び火した。
私自身のこれまでの発言も、言わば「振りかかる火の粉を払いのける」それであり、本来つくる会内部で処理すべき案件が、「日本会議・日本青年協議会」の存在意義の否定へと波及してきたからに他ならない。
それゆえ突然降って湧いた西尾批判勢力の登場、これこそカルトの為せる業との意見もあろうが、自身の関わった人物や組織を擁護、弁護し、また知りうる事実について開陳するのもまた人情であろう。そうした行いが奇異に見えるというのなら、さまで現代の人間関係、志操というものが淡白になったことの証左である。(生長の家教団が巷間語られるようなカルト教団であるのなら、このコメント欄の投稿数の寂しさは、一体どう理解したらよいのか。生長の家応援団のあまりの少なさよ。それはそれで生長の家の現状を表しているといえよう)
原点の宮崎発言問題である。誰かが言ったが、宮崎氏が「諸団体の組織名」を上げて「脅迫」したというのなら、その「脅迫の事実」をもって責任を取らせればよいのである。宮崎氏の「杉並区での運動戦術」が、「組織の方針」と大きく「離反」していたというのなら、その由を持って「懲戒」の動議を発動すればよいのである。
やがて宮崎氏本人からも取材して、氏の発言の詳細と、藤岡氏が理事会に提出した発言メモの差異については明らかにしたいと思う。宮崎氏に義理立てする格別の事情があるわけではない。私自身が「生長の家教団」の信徒ではないし、宮崎氏が「生長の家」の信仰を有しているのかはわからない。よって私の行動は決して「信仰心」を「共有」するがゆえの行動ではない。しかし、そこに「冤罪の可能性」があれば、自分の目で確かめたいというのが私の信条である。(前にも述べたが、私の政治運動の原点は「狭山事件」である。被告の石川一雄氏は「冤罪」であると確信している)理事が辞めたことをもって、宮崎問題が終結した、あるいは宮崎発言が事実認定されたというのは早計であろう。解雇が正当であったか、不当であったかのか明らかにしたい。
つくる会内部では、30日の理事会において、とりあえず「八木」「内田」「新田」「勝岡」「松浦」氏等「日本会議・日本青年協議会・日本政策研究センター・国民文化研究会」の係累は辞任(排除)となった。つくる会執行部としては事態の沈静化へ向けた第一歩として安堵しているのだろうか。西尾氏はどうなのか。
六人の理事が辞職し、同日計ったかのように五人の理事が補充される。種子島氏、八木氏の辞任の挨拶を記載したFAX通信は、配信途中から差し替えられた。このことは会長、副会長の釈明の機会が奪われたことにはならないのか。地方に伝えることがはばかられる内容が書いてあったのだろうか。理事会の疑心暗鬼は、こうした件から地方にも伝播するものである。藤岡氏のブログでは、早速この経緯で八木氏を批判するコメントが載せられていた。
果たしてこれでつくる会内部での動揺はやむことになるのか。
言うまでもなく、地方支部に行けば、つくる会と日本会議の支部の役職を兼務している人たちは、それこそ山のようにいる。その人たちは今後どうなるのだろうか。
さて本題の保守の問題である。言うまでもなく、現在の保守国民運動は拉致問題を扱う家族会・救う会のネットワーク、教科書検定採択運動のつくる会ネットワーク、そして皇室典範・教育基本法・靖国・憲法問題に取り組む日本会議の大きく三つのグループがある。皇室典範問題には文化人の会があるし、憲法、教育にはそれぞれ憲法臨調、教育臨調が有るが、いずれも有識者・文化人勢力であって、全国的な運動組織ではないからこれは省く。
平成七年の戦後五十年決議の頃は保守勢力として、遺族会、日本郷友連盟、英霊にこたえる会や、日本世論の会、中村あきら氏の昭和史研究所、大東塾を中心とした時局懇グループ、展転社を軸にした昭和の日運動、領土問題に取り組む新樹会、新日本協議会、夏期学生合宿を開催する国民文化研究会があったが、いずれも代替わりや、高齢化、後継者不足などにより組織運動は難しくなっている。全国的国民運動は先の三つのグループであるといってよい。
今回のつくる会騒動で、日本会議の事務局を担う日本青年協議会の出自、沿革が問題視されたが、「生長の家」との関連性を指摘する人たちは、今後も引き続いて日本会議への批判活動を展開するつもりであるのか。
藤岡氏は自身のブログで「信仰を持つ人たちとの連携」ということを言っている。そこには多数の宗教団体ネットワークを有する日本会議との協調の姿勢がうかがえる。しかし、それは西尾氏の思惑とはズレている。
西尾氏が保守勢力に巣食う「日本会議」「生長の家」一派を追い出すというのなら、西尾氏の矛先は、つくる会下部組織にも拡大するということになる。それとも西尾氏のつくる会での戦いは名実ともに終わり、主戦場は「日本会議・日本青年協議会」へと移行するのか。
西尾氏がいずれの道を選択するにせよ、それは自公政権の基盤をますます強化し、自民党内の公明党批判勢力を弱体化させ、創価学会の国政への影響力を強化することになるのではないか。その点について答えてもらいたいものだ。
そして皇室典範改悪を阻止し、国立追悼施設建設を頓挫させ、北朝鮮との国交樹立の前に拉致被害者を奪還することが国益だと認めさせ、占領遺制の憲法・教育基本法を糾し、近隣諸国への土下座外交を改めるため、「日本会議・日本青年協議会」「宗教右翼・神社右翼」と闘うというのであるならば、そのグランドデザインを示してもらいたい。
八木秀次氏が新しい歴史教科書を作る会を退会したようですね。これで一挙に形勢逆転です。単なる政治団体活動家じゃない孤高の思想家であると、西尾先生が言論人としての株を上げるところだったのに、その座を八木秀次氏に奪われてしまったようです。
残念でなりません。西尾先生、どうして暴露話をもっと煮詰めてから発表しなかったのでしょうか?若き精鋭達の勇気ある告発も結局有力知識人に利用されただけのようなものになってしまいました。本人達にとっては良し悪しは別として自分自身の真摯な大学生活の総括だったと思うのでそれがなにやら汚れたイメージで見られかねない状況に陥ったこと、誠に残念です。
人間西尾幹二は悪いところがいっぱいあるのは確かです。しかもその悪いところは極めて世俗的です。しかし、その世俗性こそが西尾先生の評論の良さを生み出しているのであり、こういう事態は結局致し方ないとしかいいようがありません。
今、全国各地で、一市井人達による緩やかなオピニオンコミュニティーが形成されつつあります。既存組織団体を拒まずされど頼らず、そういうコミュニティーが更に発展していけばまた新しい形の政治的・思想的アンガージュマンの潮流ができてくるでしょう。一つの時代の区切りがついたのかな?最近そういう気がします。
藤岡信勝東京大学教育学部元教授が新しい歴史教科書を作る会副会長になられたようです。元共産党員、アカの手先。藤岡信勝氏に対して保守派・右派からの誹謗中傷がこれから活発になされるかもしれません。
しかし、私はどうも藤岡信勝氏を好きになれません。それは元日本共産党員だからではなく、50過ぎまで日本共産党員をやっていればそのまま日本共産党員をやるのが道義にかなっているということです。
所謂、政治結社、政治コミュニティーを知らない方は、日本共産党員=アカ=革命を目論む危険分子と思われるかもしれません。しかし必ずしもそうではない。日本共産党は一つの組織であります。日刊赤旗をとり集会に出かけデモ行進に参加し、生活で困ったことがあれば共産党系税理士、弁護士、医者、日本共産党選出地方議員を利用する。政治運動体であると同時に生活コミュニティーでもあるわけです。
そう、つまり共産主義イデオロギーを信奉していることだけから日本共産党員なわけではない。そこに自分の生活、アイデンティティーがあるからこそ日本共産党員なのです。真の共産主義哲学者にとっては党組織はむしろ拘束以外の何物でもないでしょう。
以上の論説は、既存保守派・右派政治思想活動組織の構成員である方が、実は必ずしも真の保守主義なり真の右翼思想が分かっているわけでもないし、それを追及しようとしているわけでもない、実は左派的メンタリティーをもたれた方も結構いるという事実と、実際に知っている60代の日本共産党員の方の知り合いを見てのあくまでも仮定の話ですが。
左派から保守派へ転向した有力知識人として、西部邁氏がいます。しかし、西部邁氏は確かに全学連運動の闘士でしたが、大学院入学以降は近代経済学を専門としています。左翼過激派からの転向は既に20代においてなされているといっていいでしょう。西部邁氏にとって問題となっている転向は、全学連の闘志が保守思想を語るということであり、研究者としては、近代経済学から社会科学と人文科学の統合学、その一つの形態としての保守思想と、その変貌は転向というよりは研究の深化による変化といっていいでしょう。
その意味において藤岡信勝氏の転向は極めて特異です。いずれにせよ藤岡信勝氏は、日本人的メンタリティーからは、東京大学教育学部教授ポスト欲しさに日本共産党を利用しただけの卑劣漢というレッテルを貼られるのはやむを得ないでしょう。
やはり藤岡信勝氏は西尾先生が主張するように本格的な転向論、それも政治思想的意味での転向論ではなく、人間藤岡信勝、生活者としての藤岡信勝としての内省を世に発表するべきでしょう。
丁度私の会員の更新の時期と重なり継続するか否かと一時迷っていました。が、今回の辞任劇の前に更新の手続きをしていて正解でした。西尾先生の今回の決断は大いなる賭けと感服しました。会の運動は会の目的遂行の為だけにあるのだと確認しました。
西尾先生の一聯の告発を拝読してからずっと考えておりました。先生のようなお立場ならあのように思い切ったことを仰られるのもいたし方のないこと。ただ、それを立場の違う者がやれ「支持」だ、やれ「反対」だと軽々に論ずるのも何かそぐわないものを感じます。ただただ、そのお言葉を重く、そして深く受け止めるのみ。
岩田氏や早瀬氏の報告も、小生のよく知らない世界の話ですので興味深く拝読いたしました。今度の八木氏や「四人組」の不可解な行動の背景の説明としてはよくわかりましたが、何人かの方が述べておられるように、必ずしもここから「近代保守対神社右翼」などといった話に結びつけるには飛躍があるのではないのでしょうか。そもそも今回の問題の本質がそういった思想的なところにあるとは考えられない。もっと単純なこと、例えば彼等が明らかに年長者に対する礼を失しているということ(確かにこれ自体「保守」の変質と言えなくもないとしても)、そして所詮徒党を組んでしか行動できぬ「一人でいて寂しい男」たちであることなどに起因するのでは。
今度のことについて、私見をまとめます。
八木氏は、「自らの預かり知らぬことで勝手に引きずり下ろされた」と主張しているようですが。本当でしょうか。「怪文書頒布」事件に対する関与については、すでに氏自身が『論座』での某氏との対談においてなかば認めているのではないのでしょうか。小生も、『産経』での第一報を見た時にはまったく事情に疎く、何がなんだかわからなかったのですが、その後の様子、ことに『論座』で氏が「あっ、それは今、タブーなんですよ」と奇妙な含み笑いをしながら言っているのを読み、はじめて氏が裏で相当画策しているか、もしくは少なくとも「陰謀」の存在を承知しているらしいことに気づきました(副会長に復帰したのは、その対談の直後でしょう)。それまで氏の持っている一種の「弱さ」については薄々気がついていたのですが、これで多分にその誠実さについても疑惑を抱き、また画策していることを完全に隠すのならまだしも、得々として自慢しかねぬ態度に暗澹たるものを感じざるを得ないようになりました。ともかく、今度のことで「(他のことで)正しい主張をしていても、その人間が正しい人間とは限らない」(その逆もまたしかり)ことだけはよくわかりました(藤岡氏については、初めからああいう人だと思っていたが、ここでは触れない)。
ただ、これまで西尾先生の論考を拝読しながらずっと気になっていたことは、「八木氏が仮にそれほど指導力のない、信用ならぬ人物だとして、そういう人を会長に推挙した側にも責任の一端はあるのではないか」ということでしたが、どなたかが仰っていたように末尾まで読み到って、先生が責任の所在を明らかにして下さったのでようやく安堵しました。勿論、あくまで今度の事態に立ち至ったことについては、すべての当事者に応分の責任があるのですから。
もっとも、八木氏の解任の理由としては、かなりあやふやなものがあったことも事実です。「中国社会科学院の研究員たちと討論を行なったことばかりではない」というからには、少なくとも理由の一つとしては挙げられたのでしょう。そしてそのことが件の対談の中でも、かえって自分の解任がいかに「不当」なものであるかという口実として専ら用いられていることからしても、解任の理由として加えるべきではなかったのです。たとえ、誰も氏がここまで卑怯な手段を用いるとは豫想していなかったせいもあるとしても。
社会科学院との討論自体は本来ならむしろ評価すべきことでしょう。たとえ、『正論』を見た限りでは氏たちが反論せねばならないところで何も言っていないとしても(とかく、八木氏にはこういった面での「弱さ」が目立ちすぎます)。もしそこでオルグされたとすればやはりその程度の人間だったというだけのこと。
また、採択の結果が0.4%しかなかったことも解任理由の一つにされているようですが、橘さんが指摘されておられるように決して悪い数値ではないでしよう。そもそも元々の目標が非常識な程過大だったことの方に問題があり(このことは憂慮していました)、氏の責任を云々するならばむしろそちらの方を問うべきだったのではなかったのではないでしょうか。この件でも、どなたか氏を諌めたのでしょうか。本来、教育の正常化は少なくとも半世紀かけて行わなければならない事業であるにもかかわらず、餘りに短期的な成果を求めすぎたのかも知れません。
結局、真因は八木氏や「四人組」の今回の醜態にではなく、つくる会の規約や運動方針のあり方、そして組織自体に元々内包されていたと言わざるを得ません。それを何とかしなければ、また同じことが繰り返されるでしょう。とにかく、今はつくる会の再生を冀うばかりです。
誰がトクをしたか、という側面からみることで、謀略をしかけたものを特定できる、という仮説が若し成り立つならば、今回の本当の黒幕は藤岡先生ということになると思います。
西尾先生は本当は利用されたのではないでしょうか。少なくともそういう見方も成り立つ、ということは考えてみても良いことのように思えます。
「時が熱狂と偏見を和らげた暁」を待つことにいたしましょう。東京裁判などと違い、存外早くくるかも知れませんしね。
それにしても、仮に謀略合戦だとしたら、藤岡先生は天晴れですね。
ただ、臥薪嘗胆されて、何があっても組織に残り続ける、というのは、「責任を取る態度」として結果として評価に値すると思います。少なくとも当事者であり続けるということですからね。やめてしまっては復権の機会も失われます。いさぎよさは悪徳である可能性さえ否定できないと思うのですよ。その意味でも、藤岡先生は、天晴れですね。
>課長様
そうですね。決して「謙虚であれ」というメッセージを書いているわけではありませんが、結果としてそういうことにもなるかな、と思います。面白いたとえとして、全く同じ言葉が、全く違う意味合いで使われる場合があり、その前提の違いを無視して論じ合ってもすれ違うばかりで決して相互理解に到ることはできない、という意味のことが書いてありましたが、このことは、なるほどそうかな、と思わされました。
江戸時代の地図と現在の地図で、同じ言葉で同じ場所に姫路城があったとしても、そのもつ意味合いは、全く違う、という例えでした。言葉の意味内容のすり替えは、共産主義者の得意技で、同じ「民主主義」でも、彼らにとっては「民主集中制」のことであり「プロレタリア独裁」が「民主主義」の定義であった、というようなことですね。これはジェンダーフリー推進派がよく使うテでもあります。保守的な述語を使って革命を志向することも、充分可能だと思われます。言葉とその内実には充分な注意が必要だと思います。ちょっと話がずれてしまいました。
私は今回の問題は損得の見極めをする余地は殆どないと思います。
それでいくと八木氏・種子島氏を別の意味で更に追い詰める形になるんではないかと感じます。誰が損をし、誰が得をしたかは、もしもそれを問うとしたら本人以外が明言する根拠はありませんし、それを問い質す主旨はこの問題には不適切ではないですかね。
ここで問われているものは「人間が持つ弱さとの向き合い方」ではないかと思うんです。
私はそれを最初に感じ「群れるタイプ」と「群れないタイプ」に色分けし観察したのですが、藤岡氏はいうなれば最後まで自分を裏切れ無い気持ちを捨て切れなかった方と言えませんかね。元々氏は共産党に所属し、西尾先生はそれにはっきりと違和感を示しました。つまり、共産党などの組織が本来持っている「群れ」による力の誇示を糾弾したわけです。
またこの組織が特に異常さを表すのは、なんの地位も名誉も求めていない純粋な人間に対し投げ掛ける誘いの罠を手段として利用しながら、本人にはそれを言葉に出させない責任という問題点において、氏は回りの誤解の方が強いという主旨を述べられた点が一種の社会的責任の欠落を物語っていることに気付けない幼稚さを孕んでいると言えます。簡単に言えば自分の足元が見えていない。
なぜ群れをなすかを疑ったことがないのかな、と回りがそう見るしかできない応えしか反ってこない現実があるんです。
実はこれは組織に所属する方が何故か見落としがちな視点です。
組織に入る入らないが良い悪いと申しているのではないのです。
そこに足元を委ねるにせよ、なぜ最後まで疑う勇気を欠落してしまうのかを問うわけです。
そうした甘さというか弱さというか、その点だけが極地的に温いのは何故なのかという問いです。
それが押しなべて共通して見れる傾向があることに問題点が浮き彫りにならざるをえないわけです。
けして一匹狼になれと言っているわけではありません。また、自分の弱さを何かで補えと言っているのではなく、判断は逆で、その弱さを捨てずに自分らしさをいかに自分のものとして表現するかを貫き通せと言いたいわけです。
西尾先生が藤岡先生に問いたかったのはそれではないかと思うんです。
社会が既に極地的な言論と想像性を期待しない1980年代のさなかでも党を脱党できなかった弱さはいったいどんな理由からなのか・・・それと向き合う責任があるわけです。
それが不可能ならば、共産党を脱党しても極から極への単純移動と見る他なく、その後遺症は依然と現在の行動にも顕れていると見るしか無いわけです。
仮に他国への亡命を決断するさい、その時の自分との問答は計り知れないものが存在すると思うわけです。知識人でなくても当たり前におきる感情とどうして向き合え無いのかという単純な疑問を私は見落としたくないわけです。
この疑問詞は今回登場してきたメンバーにも共通して当てることが可能な詞です。何故ならその方々は皆組織の一員でいることに違和感なく存在しているからです。
唯一藤岡氏は脱党という経験があり、他の方々よりは自身と向き合えるチャンスを有していたと言える点は「得」と見る余地はあるのかもしれませんが。
ちょっと話がかみ合っていないようですね。私、あきんどささまの問題意識に付き合おうという気持ちがわいてこないものですから、さきほどの次の書き込みをしましたが、あまりよく読んでいなかったもので、大変失礼いたしました。
この前の書き込みは、私の本筋のものではありませんし、別に疑問を晴らしていただく必要もありません。ただ、こうも見ることが出来るのではないか、というひねくれたものの見方を提示してみたまでです。
あと、組織の中とか外とかつまらないことにこだわっておられるようですが、組織の中でも一匹狼になれる人もいれば、一人でいても群れている以上に付和雷同する人もいるのではないですか?何か外形による思い込みを前提として書いているように見えて仕方ないのですが。もし違ったらごめんなさい。私、あまりこうした議論をするのは好きではないのです。
つくる会そのものにとって見れば、何にせよ会に残り続けること以外に責任をまっとうする道はないのであって、その点、藤岡先生は立派だ、と思うだけです。西尾先生も、八木先生も4理事も、やめてしまったのだから、つくる会への責任を取りようにも取れないだろうな、と思っただけです。