伊藤悠可氏誌す私はあまり心配していないのです。われわれが目撃している事実は「カタルシス」だということがだんだんわかってきたからです。「Katharsis」というのは内臓の中に溜まった悪いものを排泄させることを意味する言葉らしいのですが、易の火風鼎の卦がそれです。鼎は三本足の素焼きの祭祀具。中央下から火をくべて、上部の鍋の供物を煮るのだが、これを神聖なものとして供するには、一度逆さにして調理の残り物、残滓を除いてからでないといけない。
カタルシスだと悟れば、こびりついた煮物は除かれる。「森鴎外か小説『渋江抽斎』に登場させた人物。『金風さん』と親しく呼んでいる人は長井金風のことだが、彼は『最新周易物語』でこんなことを書いている。
『――徳川の時、渡邊蒙庵とかいひし物があって、遠州のもので、真淵の末流を組んだものだが、日本書紀の注釈といふを書き、それが冷泉卿か、菊亭卿の手から上覧に入ったといふので、おおひに面目を施したつもりに思ってゐた。一年洛に上りその卿に謁することになった。本人の考へでは余程賞めに預かることと心得て行ったのだが、恭しく導かれて謁見を賜はつたまではよかりしも、卿は蒙庵を一目見て、その方賤しき匹夫の身を持って、国家の大典を注釈せんなど、神明に憚らざる不埒ものである、といつたのみで、御簾は既にきりきりっと捲き下された。蒙庵はぶるぶると振ひながら罷りくだつたといふ。』
金風はこの卿のわきまえのあるを讃え、もと国史というものは百姓を導くために書かれたものではなく、帝王の鑑として帝王のためにつきうられたのみである、と言っている。古事記の傳なり、初期の注なりと我れは顔に物して、小人匹夫が触れ得るものにあらず。あまりにおのれを知らざる天朝を憚らぬものどもで、田舎の神主あがりの国学者などというもののしたり顔して御事蹟を喋々するのが多い、と怒っている。
伊藤思う。いまどき、このようなことをいう知識人はいないし、またいたとしても巷間、誰もそれに服するものなどはあろうはずがないが、しかし、面白い話だと思って読んだ。天朝、国家の大典という言葉をかざして人を黙らせるのが痛快だという意味では勿論ない。身分の隔てがなくなった今、誰もが人倫国家を云々できるようになったが、本来、精神の貴族性をもたない人々が参加できるような運動ではないのであろう。百姓というのは精神性の「貴」と「清」とが無縁な人というふうに充当すれば、この長井金風の意とするところはちっともおかしくはない。
つくる会FAX通信172、173号が発行されました。173号の前半に種子島、八木両氏の捨て台詞めいた弁明文の要約、後半に藤岡氏の公正めかした美しい演説文の要約がのっていますが、ここではそれらを取り払って、本日録に関係のある部分のみを掲示します。
(2)藤岡・福地両理事による反論
両理事は、「つくる会の混乱の原因と責任に関する見解」という本文6ページと
付属資料からなる文書を用意し、概要次のように述べ会長・副会長の辞任理由
に反論しました。〈我々両名は、2月理事会の翌日28日から3月28日理事会までの1ヶ月間、種子島
会長を支える会長補佐として会の再建に微力を尽くしてきた。3月28日の理事会で
は、副会長複数制が妥当であるとの我々の進言を無視し、会長はその任命権を行
使するとして八木氏のみを副会長に任命した。それでも理事会の宥和を重視し、
我々はその人事に同意し、二度と内紛を起こさないようにしようという精神で合
意した。このまま何事もなく推移すれば、7月に無事に八木会長が誕生したはずで
ある。ところが、この理事会直後から、会の宥和と団結の精神に反する不審な事態が
続発した。
1.3月29日付け産経新聞は理事会の内容を歪曲し、理事会で議論すらしていない
ことまで報道された。理事の誰かが誤情報を流して書かせたのである。2.3月末から4月初めにかけて、西尾元会長の自宅に一連の脅迫的な内容の怪文
書がファックスで次々と送られた。これについて西尾氏が自身のブログで発信す
る事態となった。3.4月3日、渡辺記者は藤岡理事に面会を求め、藤岡理事に関する「平成13年
日共離党」という情報を八木氏に見せられて信用してしまったが、ガセネタであ
ることがわかったと告白して謝罪した。6日には、謀略的怪文書を流しているのが
「八木、宮崎、新田」であると言明した。福地理事は、事態は深刻であり速やかに事の真相を糺す必要があると判断、4月
7日に種子島会長に八木副会長から事情聴取する必要があると進言したが拒否さ
れた。4月12日、西尾宅に送られた「西尾・藤岡往復私信」は八木氏の手にわた
ったもの以外ではあり得ないことが判明した。同日、藤岡・福地の両理事は会
長に対し、八木氏が3月理事会の精神に反する一連の謀略工作の中心にいる可
能性が極めて高く、その証拠もあることを説明し八木氏の聴聞会の開催を改め
て求めた。会長は、1.八木氏に確かめ、事実を認めれば解任し、自分も任命
責任をとって会長を辞す、2.否認すれば八木聴聞会を開く、と表明した。翌
日13日、種子島、八木、藤岡、福地、鈴木の5人の会合の場がもたれ、冒頭で会
長は両名の辞任を表明した。従って、前日の1のケースであったことになる。
こうして会を正常化しようとする我々の真摯な努力は水泡に帰した。この間、種子島会長は、「過去は問題にしない」と言い続けてきたが、一連の
謀略による内紛の再燃は、宥和を確認した3月理事会の後に起こったことであり、
現在の問題である、また、辞任の理由として、我々両理事が内紛を仕掛けたか
のように語っているが、それは明らかな事実誤認に基づく責任転嫁である。〉(3)討論の流れ
田久保理事から、「藤岡理事は八木氏宅へのファックスにたった一言書き込ん
だ言葉について八木氏の自宅に赴き、夫人に謝罪した。藤岡氏の党籍問題に関
するデマ情報の流布は極めて重大な問題であり、八木氏はそれを他の理事など
に公安調査庁の確かな情報であるとして吹聴したことについて藤岡氏に謝罪す
べきである」との発言がありました。事実関係についても、参加者から具体的
な補足情報の提供がありました。内田理事は、藤岡理事の言動が会の最大の障害であるとして、藤岡理事を解任
すれば種子島会長は辞任を思い留まるのかと質問しました。それに対し、種子
島会長は、それが筋だが健康に自信がない旨述べて会長を続けるつもりはない
と発言しました。
(中略)
議論は2時間半以上にわたって続きましたが、結局八木氏は謝罪せず、種子島・
八木両氏は辞意を撤回するに至らず、辞任が確定しました。この両氏の辞任に
続いて、新田・内田・勝岡・松浦の4理事も辞意を表明(松浦氏は欠席のため文
書を提出)、会議場から退出しました。
(以上)
5/3 追記
>藤岡氏の公正めかした演説文の要旨
そうですね。
この理事会の報告を拝見しますと、すべてが、西尾先生が義憤をもってこのブログで明らかにされたことばかりですね。藤岡先生が進んで努力をなさった結果、というわけではありませんね。
記憶を辿りますと、西尾先生が事実を顕かにしなければ、藤岡先生は「八木先生の副会長復帰(七月会長復帰)」で妥協なさっていたはずでした。その妥協を許さぬというのが、そもそもの西尾先生のお怒りでした。
種子島先生は、藤岡先生のそうした権謀術数を目の当たりにご覧になっているから、形勢有利となるや八木落しをまくし立てる態度に承服できなかったのでしょう。同じ権謀術数のお人として。
つくる会再生のためには、八木、種子島を含む6名の辞任を認めてはならないと思います。辞任が認められる場合は、彼らの無実が証明され、騒動を引き起こした事態を収拾するケースのみかと思います。それ以外は、事実を認めて謝罪しても除名にすべきだと思います。ましてや、今回のように黙秘するような態度をとる場合は、訴えを起こす姿勢で挑むべきではないでしょうか。
つくる会自身が自己の中で起こった悪に対して厳しくなければ、どうやって世の中の悪に対抗していくというのでしょうか。
二度とこのような事態が発生しないという姿勢を見せない限り、つくる会の信頼を完全には取り戻せないように思います。
つらいですが、今、つくる会が判断ミスをすると、会の将来に大きな影響を与えてしまうように思えます。
結局のところ、問題は鈴木尚之氏なのだと思いますが、
西尾先生はどうお考えなのでしょうか?
2ちゃんねるのJR板で見つけました。
鈴木尚之(すずき・なおゆき)さんの略歴
=公刊資料より作成
1947年6月23日 福島県白河市に生まれる
1966年4月 新国労に就職
1968年3月 民社党入党
1970年3月 中央大学第二法学部卒業
1982年9月 鉄労経営対策部長
1984年9月 鉄労情宣部長
1985年8月 鉄労企画部長
1986年7月 鉄労副書記長
1987年2月 鉄労書記長
〃 9月 鉄労友愛会議副議長
1991年6月 大内啓伍衆議院議員秘書
1994年6月 民社党福島県連副委員長
〃 12月 福島民社協会代表理事
1996年10月 衆議院福島3区で無所属で出馬し落選
1998年4月 青年自由党福島県本部長
〃 7月 参議院福島選挙区で青年自由党から出馬し落選
1999年2月 新しい歴史教科書をつくる会事務局員に
〃 7月 濤川栄太氏追放事件
2000年4月 「鈴木敬」の偽名で教科書改善連絡協議会事務局長就任
2002年2月 小林よしのり氏追放事件
2005年12月 西村真悟衆議院議員の弁護士法違反事件で大阪地検特捜部に証拠隠滅容疑で逮捕される
2006年3月 新しい歴史教科書をつくる会事務局長代行就任
今、西尾日録に、伊藤惣可氏の「天下国家を語る心得について」が掲載されています。私はこれは西尾先生ご本人が匿名を使って書かれているのかな?と思いましたがインターネット検索によればどうも実在される方なようです。
何故、「私のような愚民が天下国家について語っているのか?語る資格があるのか?」という自問自答は、保守派政治思想コミュニティーにおいては必須な内省といってよいでしょう。近代保守思想の開祖故福田恒存氏の文芸評論を読めば当然かのような内省を政治思想青年はうながされざるを得ません。私も既に旧西尾日録に似たようなテーゼで投稿したことがあります。
このテーゼは平成初期の保守派学生の間では割合大きな思想的問題でした。そして多くの人材がこのテーゼの振るいにかけられ大学卒業後、普通に就職したのでした。割合このテーゼは今でも我が国の庶民感覚として息づいていると思います。
インターネットサイト2ちゃんねるでは激しく天下国家に関するディスカッションを戦わせていると10レスポンスもしない内に「無職、引きこもり、キモオタ」とのアスキーアートを用いた罵倒が浴びせかけられてきます。
私は活字媒体や人生を通じてこのテーゼについて自分自身葛藤したわけですが、新しく保守派政治思想運動に従事された方は、インターネットサイト2ちゃんねるによって無機質なバーチャルな他者によってそのテーゼを極めてダイレクトにつきつけられることになります。
そうなればこのテーゼ自体も極めて矮小化されて、このテーゼ自体を無視してとにかく天下国家について猛烈にオピニオンした方が勝ちだということになります。このテーゼはオピニオンに揺らぎを与えるだけの戦術になってしまい、戦術までに堕ちきればこんどはそれは一切無視する方がいいと新しい対抗戦術まで生まれてきます。かくして、最近では、インターネットサイト2ちゃんねる自体でもこのテーゼに連なる罵倒も無くなって来ました。
ただ、このテーゼは政治思想を語るにあたって、自らを振るいにかけるため非常に重要な儀式ではあると思います。この儀式を経なければまともな言論は生まれない。一人のしがない道化師すらも演じることはできないとも思っています。
そう、このテーゼは、政治思想という他者に語りかけるための言葉に対する自己の心の中にやどる道徳律の問題なのです。これは表の言葉として出しても、日本国憲法が主権在民を宣言(故小嶋和司東北大学法学部教授)する以上、詮無いことです。表の言葉に出してはオピニオンに対する対抗戦術にしか過ぎないのです。結局はあくまでも自分自身の問題であります。この道徳律は他人がどうこういってもどうしようもない。ただ、道徳律無き言葉は駆逐されるであろうと自然の流れにまかせるしかありません。
さて、私も結局、このテーゼについてここでは軽くいなしてしまったわけですが、最近はあまりにも批評として取り上げられないテーゼなので誰も何も感じないのかもしれない。感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。そういう面で、この巨大保守派政治思想コミュニティー新しい歴史教科書を作る会で会員を含めた大紛争が勃発している今ここに、伊藤惣可氏が西尾日録で批評を発表した意義があるのではないかなと思います。