Hanada三月号より

管理人長谷川です。

 西尾先生に関する記事がありますのでご紹介します。
是非ご覧ください。

 月刊誌Hanadaの2019年3月号(今月発売)の19ページのFRONT PAGE で山際澄夫さんが「左折禁止」というコラムを書いておられます。内容はここの日録の記事「2018年から2019年初にかけて思うこと」を冒頭に紹介し、保守政党である自民党への苦言となっています。山際氏には西尾先生の論文評価とともに、日録の紹介となりましたことにも感謝しています。

 また、既にお知らせしていました文春オンラインが掲示されています。コメント欄でおなじみの「あきんどさん」のことについてもお話されています。

「Hanada三月号より」への5件のフィードバック

  1. 文春オンラインのインタビュー記事、拝読しました。
    「新しい歴史教科書をつくる会」時代の人間関係については、西尾先生はこれまでも
    雑誌などで書いておられますが、これほどまでにも当時のお気持ちを生々しく語って
    おられるのを初めて読みました。当時の先生のお気持ちを推し測ると、、、、
    言葉が出てきません。小生だったら直ぐに心が折れているだろうと思います。

  2. 岡田 敦夫様
    はじめまして、あきんどと申します。
    今回の話題に私が関わっておっりますので、そういった経緯から、このコメントを貴兄にレスする形で書かせていただきます。

    今回先生が「国民の歴史」でのインタビューを請けられ、本当にご実直な感想を述べられていらっしゃいますよね。
    ご自身の本来のお仕事を、大きくオーバーワークする仕事を、この作品と一緒に立ち上げた先生の人間性に、私はその後に色々と接する機会を得る形となりました。
    実は私は未だ先生とお会いしたことがなく、実は何度か講演にお招きいただいたのですが、私の都合が悪くお応えできていません。
    つまり、本来ならファンの一人として扱われて充分な立場の私なんですが、そんな私に先生は永年気持ちを寄せていただいたのは事実です。

    色んな形で先生とコミュニケーションをとらせていただいたのも事実です。
    でも唯一成しえていないのが、直接出会ったことがないという現実です。
    私が40歳の時、下半身の痺れが両足を襲い、病院で検査を受けた結果が「多発性硬化症」という病気の疑いがあることを告げられました。
    脊髄に障害が起きる難病の一種で、症状を抑える薬はステロイド以外に今も存在しない「死を待つ病気」だと言われています。
    実は私の母方の実兄がこの病気で亡くなっています。

    ところが私の場合運がよく今は再発がなく、その後穏やかに生活しております。
    当時はこの病気の恐ろしさを、全く理解していない自分がいました。
    ただ単に「こんちくしょう、こんちくしょう」と心に叫びながら入院していました。
    この悔しさを唯一癒してくれたのが「国民の歴史」だったのです。
    入院中は看護師さんに注意されながらも夜中に枕もとの電気を付けながら、この本と向き合っていました。しかもその横には分厚い辞書を置きながら・・・。

    ステロイドの効果が強すぎて、夜中もほとんど寝れないのが現状でした。
    今もあの時の記憶は鮮明によみがえります。私が店のオーナーになって4年目の夏でしたから・・・。

    それでも店のことが気になって、入院中も昼間だけ仕事をすることを許してもらって、入院3週目あたりから昼間仕事をしていました。

    たぶん普通なら絶対許してくれないことだと思うんですが、担当医はなぜか許してくれました。うれしかったです、その時は。昼間働いて、夜は病院で休む条件で過ごしました。それが2週間ほどありました。

    私の代わりを女房が受け継いでいましたが、さすがに子供三人を養いながらの仕事はきつすぎて、たまらず私は担当医に直談判して出社の許可をもらいました。
    私がその時なぜそういう気持ちになれたのかというと、「国民の歴史」を読みこんでいたいたからです。
    自分の病気なんて個人的な問題であって、それよりも会社のことの方が心配で、気持ちが自分ではなく会社に傾注できたんです。
    ちなみに当時は会社を経営し、社員が二人いて、家族は女房と子供が3人いました。
    今思えばこんな試練の時はありませんでした。

    でもその時感じたのは、病気入院中の私より、もっと大変なのは女房だということ。
    私を介護していなくても、仕事しながら子供の面倒をみるというその苦労。
    これは旦那が元気に働いているのならまだ救いがありますが、旦那が入院となると本当に地獄だったと思います。

    私は今も女房には感謝の気持ちで一杯です。
    女房のそうした献身的な支えがあって、西尾先生の本の価値が高まったという現実もここで語らせていただけると幸いです。

  3. 入院空いていた際、6人部屋だったんですが、隣にたまたまいた方が、新日鉄室蘭の下請け会社の社長さんという方で、色んな話をさせてもらいました。
    その社長さんに「池田さんずいぶん読書が趣味のようですね」と言われ、それがきっかけで色んな歴史の話をするきっかけになったんです。その時持ち込んでいた本は「国民の歴史」「国民の道徳」「新しい歴史教科書」でした。その中の「あたらしい歴史教科書」をその社長さんに渡して薦めたところ、「こんなにわかりやすい歴史の教科書は、初めて読みました。いい教科書ですね」と言われたんです。

    病棟というのは一週間もすると仲間がガラッと変わる環境でしたが、隣の社長さんとはずいぶん長くのお付き合いになり、実は他の本も色々紹介したんです。病院にはいろんな本があって、その中で社長さんが好むような本を選んで読んでもらいました。

    どうやら最初に読んだ「新しい歴史教科書」がよっぽど気に行ったようで、それに見合った本なら喜んで読んでいました。
    今までこの話題は少しだけ紹介してきたんですが、他人に関わることなのであまり話題にはしてきませんでした。
    でも、もういいでしょう。
    その社長さんはヘビィスモーカーだったんですが、少しタバコをやめようかなと、気持ちを素直にしてくれたことが印象的でした。

    他愛のない話ですが、こんな親父同士の会話こそが、本当は今の時代大切なんじゃないかと感じます。

    歴史に学ぶという現実は人によってその効果の現れ方は様々でしょう。
    一緒度に考えると一番裏切られるものが、この分野なのではないかと思うんです。

    私は一番苦手な日本史を大学受験の項目に選び、なんとか3流大学に入学したわけですが、あんなに勉強した日本史が、いざ社会人になった時にまったく脳裏に納まっていない現実に直面するのです。
    後輩たちの中に歴史に詳しい人間がいて、秀吉や家康の人間関係をじわじわ言い出すんですよ。

    こんちくしょう・・・と思ったのはその時が初めてで、そのトラウマみたいなものに勝ちたい気持ちが多分根本的にあったんだと思います。
    「あんなやつに負けたくない・・・」と思いながら私は北海道に下野しました。もう少し歴史の本当のところを勉強したい気持ちは、後輩とのやりとりがきっかけだったのかもしれません。

    これ実は今回はじめて語る真実なんです。
    けちょんけちょんにされた私の歴史認識が元々あったんです。
    なぜ今までこれを伏せてきたかというと、簡単です。私個人のプライバシーによるものです。

    あいつに負けたという意識を認めたくない自分の自我が強く20代の頃にあったからです。
    でも北海道に帰ったころはそんなものはどうでもいいくらいに、現実の問題が私を待ち受けていました。

    30歳を過ぎて結婚した私にとっては、この現実は何も価値観のない問題となっていくんです。
    結婚してそんなトラウマみたいなものから解放されている状態だというのに、心のどこかに歴史に対するコンプレックスが多分あったんでしょうね。例えばトイレに入るときも昔の歴史教科書とか参考書を持ち込んで、ただ読みふける自分がいたんです。
    まったく意識がない状態で。

    ところが、ある日夜中に訪れた近くの本屋で、うずたかく積もられた「国民の歴史」と出会うんです。本当に運命の出会いでした。
    結婚してお財布はすべて女房にあずける現状の中、私のポケットには2000円しか当時なかったのです。
    「国民の歴史」はたしか当時1600円くらいの価格だった。1800円だったかもしれない。いずれにせよ私のポケットマネーで買える金額だった。

    私はその分厚い本を数ページ読んだ後、レジに向かったのです。

    「国民の歴史」と「私」の出会いの始まりでした。

  4. :

    幹二先生、こんにちは!! !

    ・・そっかぁ~、先生は ‘ 83歳なンですね!

    老人に喧嘩を仕掛けるのは、俺の趣味では無いので、最期まで付き合うよ! !!

    *

    h31.19.02.16 : 14:30 . jpn .

    子路

  5. :

    幹二先生??

    「あなたは自由か?」・・は、買う気は無い、金も無いし、欺瞞的なタイトルだ。

    しかし、ラスト 渾身の一作は買う用意がある。

    *

    15:29 ,

    子路

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