私は右の時評で、死病に襲われた近い仲間たちの懊悩(おうのう)の深さ、あわてぶり、命を惜しむ病人の執着の強さに、作者は自然なやさしさで対応していると述べたが、彼は病人たちの心の混乱にいつも自分の心の混乱を重ね合わせて見ていたに相違ない。
彼自身が命を惜しみ、あわてていたのだと思う。
彼は医師としての優越者の余裕で病人にやさしくしていたのではない。自分の心の混乱が他人の苦悩の姿に写し出されるのを見ていた。隅々(すみずみ)までそのことに気がついていた。それゆえの秘(ひそ)かにして切実な心の闘い、倒れそうになる自分の弱さとの闘いが、内的に結晶し、あの独特な、すべてを包みこむような柔和でやさしい文体を生み出したのであろう。読者の心を静寂にする文体の効果は、ひとえに死を恐れる自分への正直さ、素直さと、それを乗り越えようとする精神的闘いから生じている。
『この世 この生』で死をそれ自体として直視した四人の宗教的人格を読み解こうとした著者の傾倒ぶりもまた、このような自分の心の危機の克服のためであったように思える。
文中に「良寛に惹(ひ)かれて十五年、すなわち再発をおそれて過ごしたそれだけの期間」というような文言がふと吐息のように洩(も)れ出ているためばかりではない。冒頭部分に「死の際(きわ)まで死を思わないで生きることは人間の生き方のもっとも健全なものにちがいない。」とある一行に、私はかえって著者の死の自覚の深さをみる。
そして、この評論の中心主題が「時間」であることに、あるいは彼岸の救済を排した上での時間と永遠の問題であることに、端的に、著者の主要動機がよみとれるように思える。
叙述の流れがあるモチーフにさしかかると転調し、にわかに急迫する例は、評論では珍しくないが、本書にもそのような屈折点がある。それは「時間」である。
「道元は時間を憎んでいるかに見える。」と書かれた「透脱道元」の中の一行からあと、著者は急速に一つの関心に向かって自己集中し、われを忘れる勢いである。
そこまでの叙述は道元の単なる解読である。ていねいな解説といってもいい。ところが屈折点からあと、著者の「自分」が出てくる。はっきり表に出てくる。
「遊戯良寛」でも同じようなことがいえる。手毬(てまり)をついて「一二三四五六七(ひふみよいむな)」と歌う「良寛のそれは文字ではない。時間である。」のあたりからあと、評論の主題は歌論から宇宙論へ転じていく。
つづく
上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月