『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(五)

 ここで私のかつての時評(昭和59年8月号)を、もうひとつお読みいただきたい。

 〈七つの短編から成る上田三四二氏の連作「惜身命」(文学界)が今月の「天の梯(はし)」で完結した。一編ごとに異なる、死病に襲われた知友の悲痛な運命の転変を叙し、この地上に暫時(ざんじ)生をつないだ人間のはかなさに静観の目を注いでいる。

 医師であり歌人である作者は、この両方の世界に仲間がいて、いずれも中年から初老へかけての年齢なので、重病に襲来されることは珍しくない。死という「遁(のが)れぬ客」の到来を悟った病人の心は揺れる。

 文学、学問、思想、政治、信仰……これらはある程度の健康が保証された者がやる遊戯にすぎない、死に追い詰められた人間には無関係だ、と叫んでやけくそになる心境も真実なら、医者も女房もありがたい、今日生きていられたことがありがたいのだ、という生をいとおしむ心境になるのももう一方の真実である。

 上田氏はこのように動揺しながら死のふちにのぞむ者のそば近くに、自分の気持ちを寄り添わせていく。

 氏は慈愛の気持ちを片時も放さないが、しかし宗教家のような無理な構えはない。医者らしく死を見詰める客観性を保持している。それでいて、自分が出会った一人一人の人間の運命を大切にする思いはつねに深く、篤(あつ)い。感傷的では決してない。自然なやさしさが、作者の人格そのものから発している。この自然さこそが作品の魅力のすべてである。

 氏は医師として「大勢の患者に接しながら、自分が病気になってはじめて、死という亀裂(きれつ)の淵(ふち)の深さを覗(のぞ)いた」と書いているように、氏自身の八年間の大患の経験が、死者に寄り添うこのやさしさの根源を成していることは言うまでもないが、しかし、果たしてただそれだけがすべてだろうか。

 自ら病気をしても、そこから何も学ばない者は学ばないのだ。

 上田氏が自然に振舞っているのは患者に対してだけではない。文学に対してもそうである。否(いな)、氏は自分自身に対して自然に振る舞っている。あるいはそうあろうと努めている。そこにこの作品の、他者に対するやさしさがいやみにならず、命を惜しむ病人の執着の強さに女々しさも悲惨さも感じさせない、独特な視点の取り方がある。

 作者に宗教的意図はないが、地上のこの生は無常であろうとする超越的な目がどこかに生きていることを感じさせる作風である。

 最近氏が上梓(じょうし)したばかりの「夏行冬暦」と並んで、本作は本年度最も注目すべき成果の一つとなるに相違ない。〉

 事実、昭和59年は、駈(か)け急ぐかのような多産な年だった。故磯田光一氏と私とがその頃何年か担当した『東京新聞』の年末回顧「文壇この一年」でも、上田三四二『夏行冬暦』『惜身命』『この世 この生』の三作が59年度の特筆すべき成果として取り上げられ、私はベスト5の一つに選んでいる。一年に力作が三冊も上梓されたスピードぶりにもわれわれは目を見張っていたのである。

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

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