『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(四)

 いうまでもなく著者は科学者である。現代人である。客観的にすべてを見ている。

 本書の最初のほうに、人生の時間を「滝口までの河の流れ」と捉(とら)える著者の比喩(ひゆ)と、歴史を見る目とはつながっている。

 昭和41年に著者は結腸癌(がん)で入院手術した。予後のむつかしいこの病気で、再発を恐れつつ、死と向き合って15年以上を経過した。が、だからといって、死後の世界の救済は決して求めない。魂の存続は信じない。身をはなれた心の永続も認めない。

 「身体の消滅のときをもって私という存在の消滅するとき」と観じている。

 「死はある。しかし死後はない。死の滝口は、そこに集った水流をどっと瀑下に引き落とすと見えたところで、神隠しにでもあったように水の量は消え、滝壷(たきつぼ)は涸(か)れている。それが死というもののありようだ。」

 「死を避けることは出来ないが、死後はないと思い定め、思い定めた上は死後の救済に心を労することなく、滝口までの線分の生をどう生きるかに思いをひそめればよい。」

 この決然たる覚悟が、本書において西行、良寛、明恵、道元の四者を選ばせたそもそもの理由であったように私には思える。

 彼岸に救いを求めず、しかし此岸において超越を決せんとする精神、神の死を確認し、いっさいの神の影をも拒否しつつ、しかもなお神の探求者であることをもついに止(や)めなかった精神――それを西洋の歴史においてわれわれは例えばニーチェにおいて知るのであるが、したがって必然的に、本書もまたニーチェの提出した問題――永劫回帰(えいごうかいき)の説などの時間論に現われる――ときわめて近い距離にあるさまざまなテーマを展開させている。

 しかし、私に興味があるのは、上田三四二が四聖を扱うときの、ニーチェなどとはまったく異なる控えめなある種のやさしさ、柔和さである。それは一体どこからくるのだろう。

 四聖はいずれも靭(つよ)い精神である。それなのに、「〈無能〉に良寛の自意識があり、言いかえれば後ろめたさのあることはすでに見たとおりである。和みわたる心の底に、身をよせる悲しみと世界によせる感謝がある。」と彼が書くとき、良寛にではなく、そこに彼は自分の日常の心のあり方をそのまま自然に映し出しているようにみえるのである。

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です