『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(九)

 上田三四二の『この世 この生』の文庫解説が終わった。日録の読者であまり読んでいてくださる方はいないのではないか、と思っていたが、そうでもないらしい。
  
  若い友人の渡辺望さんが私信で、上田文学に接したときのご自身の記憶をつないで、次のような感想の一文を寄せてこられた。まず上田さんの作品を知っている人が、昔の私の文学仲間以外の若い人の中にいたのがうれしかった。
  
  本人のご了解を得て、私信をそのまま掲示させてもらう。

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渡辺 望 36歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 拝啓 西尾先生

 だいぶ涼しくなって参りましたが、お元気でしょうか。

 ここしばらく日録にてされている、先生が上田三四二さんについての過去に記された評論を中心とした文章の連載を更新の度に読んでおります。いろんな感想が湧いてきましたので、一筆執りました次第です。
 
 私は上田三四二さんについて、彼が一番高く評価されている短歌の人としての作品は残念ながらまったくといっていいほど知りません。また彼の思索の中心である、今回の連載で先生が触れられている宗教論についても、大学生の時代に、彼の吉田兼好論を斜め読みしたくらいです。

 しかし彼の小説に関しては、大学生から大学院生にかけて幾つか読み通して幾つかの印象が残っています。当時、大学の一般教養課程での国文学の授業で、「私小説」がテーマだったのですが、教授が少し変わった作家の選択をする先生で、ふつう、「私小説」というと、志賀直哉や安岡章太郎を講義することがオーソドックスなのに、上林暁のような作家を題材につかうような先生でした。その先生がよく題材に使った作家の一人に上田三四二さんもいたのです。そのことで、上田さんの小説の幾つかを知ることになりました。だから上田さんは私にとって、読んだことのない作家というわけではないのです。

 日録での先生の上田三四二論を読んで、そののち、当時、私が読んだ上田さんの本を久々にひっぱりだして再読しました。そしてこれはたまたまなのですが、私は上田さんの本を再読したその日、モンテーニュの「エセー」がふと気になって、それを再読したのです。

本当に妙なことなのですが、再読する度に私の心を惹きつけてやまなかったモンテーニュの「エセー」の説く「死の哲学」についての数々の文章が、そのときだけかもしれないのですが、何も感じられませんでした。私にとって存在論的真実に迫ったモンテーニュの言葉のどれもが、まったく色褪せたものに感じられて、自分の感じ方の変わりように、首を傾げたくなりました。これは明らかに上田さんについてのいろいろを再読してそれに惹かれたことと連鎖反応しています。

 私が上田さんとモンテーニュを比べてみて感じたことを何とか整理してみると、次のようなことになると思います。
 
 「死」の先に何もない以上、死の瞬間まで死を想わないことが実はもっとも人間的な行為であるかもしれない、ということは西尾先生の死生観の基軸で、「自由と宿命」での池田俊二さんとの対談でもそのことをおっしゃられていますね。上田さんの文学や思想が西尾先生のその死生観の支柱の一つであるということ、しかもそれが無神論者のニヒリズムのようなものでない、独自の「優しさ」にみちた主張になっている作家として上田さんをとても高く評価されていることを、日録の先生の上田論、そしてその後の上田さんの本の再読したことによってよく理解できます。

 その上で、なのですが、「死を想え」というヨーロッパ哲学の巨大な前提と、「死を想わないことがもっとも人間らしい」かもしれないという上田さんの世界からよく導き出される思想の両極について、私達はどう考えればよいのでしょうか?

 「死に親しみ、馴れ、しばしば死を念頭に置こう。いつも死を想像し、しかもあらゆる様相において思い描こう」とモンテーニュは言います。しかし、モンテーニュの言葉を逆さまに読めば、「死」は親しみ、馴れ、想像し、思い描ける可能性をどこかにもってる、ということを言っているのだ、ともいえます。
 
 どうも、「死」はそこで「不可解」というあるいは「わからないもの」という名前の、一つの意味を与えられていて、何かの作為を許容してしまうことが有り得る、ということになっているのではないでしょうか。
 
 やはり「死の哲学」の強力な主張者であったハイデガーが、死の意味をナチスに預けて、その意味の操作に身を任せたことと、モンテーニュのこの言葉は無関係ではないようにも思います。あるいは日本でも盛んになってきているホスピスケア、「死の教育」というものがどこかでもってしまういかがわしさ、ですね。性教育のいかがわしさほどでないにしても、果たして「死」は教育に値するのかどうか、それこそが実体を虚構する作為ではないか、と私は思います。
 
 こうした「死の哲学」的思考は上田さんがとらない考えなのでしょう。人生の時間を線分的に切断するものにすぎない上田さんにとっての「死」は、「不可解」という意味さえももっていない存在です。ある意味でまったく単純に意味が定まっているもの、それがゆえに、死の意味の操作もありえないもの、それが死というものなのかもしれない、私は西尾先生の上田論から、そんなふうに思いました。
 
  こう考えれば、西尾先生が言われるように、上田さんが「死」論よりも時間論に執着しそれを語ろうとするのは、ほとんど必然的なことだったといえるのですね。

 上田さんにとって、時間の切断にすぎない「死」という単純明瞭なことより、切断されても流れ続ける「時間」の方が、遥かに巨大で、本当に考えられれるべき不可解さをもっていると感じられるからです。おそらく、ヨーロッパ哲学のような「死」から「時間」へ、ではなく、「時間」から「死」へ、問いが逆転している。死が無意味なものである以上、「死への認識」ではなく、「時間への認識」が、思索にとっての最大の課題にならざるをえないのです。
 
  たとえば、「花衣」という小説、これは一読すると主人公の中年男性が、今はこの世になき女性・牧子との情事を回想する小説ですが、これらのことを承知した上で今読み返してみて、「時間」の主題がおそろしく明瞭に溢れていて、先生の上田さんの良寛論への指摘と重ね合わせて考えて、まったく驚いてしまいます。昔読んだときは一つの私小説として思われ読んだ小説群が、西尾先生の日録の上田論を読んだ後ですと、「哲学小説」にさえ思えてきました。

 美しく描写される染井吉野の散り様や、二人の情事の場面の背後に、世界を危うくする時間がひしひしと迫ってくる。「今まで堪えていた時の流れが堰を切って」というくだりもあります。特に二人の情事の後、牧子のヘアピンを抜く音が執拗に語られることに私はあっと思いました。昔読んだときはさして気にならなかった箇所です。執拗な描写ののち、「・・・・・・一つの音はそのあとの静寂に、次の音を誘う期待をこめているかと思われた」とあります。

 「線分的時間」にしか私達の人生が過ぎないのだとしたら、来世を信じるという人間に負けないように救済されるにはどうすればよいのか。このことが上田さんの世界について考える一番の大きな意味でしょう。西尾先生が上田さんの時間論が宇宙論的視点にまで拡大されて語られている、といわれますが、つまり「瞬間」と「永遠」を等価におくことのできるような精神的な認識行為が必要になります。時間を超えて際限なく広がっていく「永遠」を何かに閉じ込めなければならない、のですね。

 「茜」という作品では「時間の凍結」という言葉がありますが、つまりそれは「永遠
」を「瞬間」に閉じ込めるような激しい行為の比喩に他ならない。そして凍結を終えた後、それをささやかに楽しむ「和らぎ」も可能になる。上田さんは吉田兼好の「つれづれ」とは、そのような「和らぎ」であった、といっています。

 「時間の凍結」と「和らぎ」の行き来こそが線分的時間にしか過ぎない人生の救済たりうる。線分的時間の「線分」が時間という「永遠の線」に飲み込まれないで、枯れた滝壺の比喩を私達が受け入れることができるかもしれないのです。「花衣」での「ヘアピンを抜く音」は時間の凍結に他ならず、「次の音を誘う期待」とは、その凍結が解けた「和らぎ」に他ならないのでしょう。これはおそらく、ヨーロッパ人の書けない小説なのではないでしょうか。

 先生は上田文学の「優しさ」を言われますが、それはこの「和らぎ」なのだ、と思います。その優しさが芯のとおったものなのは、「時間の凍結」という精神的行為の段階に上田さんが徹底しているからでもある、と思います。この両者があってこそ、「枯れた滝壺」の比喩は、ニヒリズムから救い出されます。ヨーロッパ哲学でニヒリズムを主張する「死の哲学」者は、ファシズムに傾斜したり狂人になったりする人間が少なくありません。「時間の凍結」しかないからです。しかし上田さんが取りあげる日本史上の来世否定論の人物の多くはそうした狂乱には至らない。そこにはこの「和らぎ」の有無がかかわっている、私はそう思います。

 私は正直言って、日録の先生の上田さんについての文章の連載に触れるまで、上田さんという作家は比較的地味な作家だと勝手に思い込んでいました。しかし、先生の読み解きのおかげで、大袈裟な言い方になってしまうかもしれませんが、ヨーロッパ哲学の根源へのアンチテーゼということまで考えうるものが彼の作品の世界にあるのだ、と知ることができました。

 私もまた、死後の世界の意識や実存をほとんど信じることのできない人間ですから、上田さんの精神的格闘は無縁ではありません。無縁でないどころか、自分に身近な思考として、学ばなければならない対象だったようです。たとえば自分がまず生きていないで「無」になってしまう22世紀の日本や子孫のために語り考えることはどうして可能なのだろうか、ということは、私にとっていつまでも大問題です。そんな自分の考えるべき方向についてまた一つ資するところを与えてくださった先生の日録の連載に感謝の言葉と感想を言いたくて、文章をしたためました。

 長い文章になってしまったことをお詫びいたします。

 季節の変わり目、お体の方、くれぐれもご自愛くださいませ。

                                           渡辺望 拝

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