トランプよ、今一度起ち上れ!

WiLL 2023年1月号より

 なぜトランプか――それは彼の自己英雄視のロマンティシズムが時に役に立つからだからだ

高知能、低知性の時代

 米国の中間選挙の投票が終わり、注目の上院の大勢がきまらず、ジョージア、アリゾナ、ネバダの三州の行方が未定の十一月十一日にこれを書いています。予想されていた共和党の圧倒的大勝は下院にも起こらず、民主党は大敗を免れた、と安堵と喜びの声を発するだけでなく、次期大統領選挙への見通しも明るいと言わんばかりの勢いです。

 その際バイデン大統領は一貫して「民主主義」が共和党によって脅かされているという前提に立ってものを言っています。恐らく米国民の半数は、このもの言いに反発しているでしょう。いったい民主主義を危うくしていたのはどこの誰だったのか、忘れているわけではあるまい、と。けれどもメディアは気が早く、トランプの勢いに翳りが出て来たのをここに見て、共和党内部の混戦を予測し、新しいスターとしてフロリダ州のロン・デサンティスの名を持ち上げ始めています。ブッシュやクリントンやバイデンのような職業政治家の嗅味紛々たる常識を打ち破ったトランプの魅力。その大言壮語や子供っぽい所作や芝居がかったパフォーマンスの政治効果は、すでに早くも終りかけているとメディアははやし立てています。メディアはいつでも、どこでも所詮浮気なのです。ロン・デサンティスは若いのだから慌てない方がいいでしょうね。私はトランプの時代が終わったとはまったく思っていません。

 トランプは保守の思想がしっかり身についている指導者です。素朴な家族主義、伝統と信仰への信頼、初め分からなかったのですがいざというときにはっきり示された軍事力への傾斜、しかし彼は戦争嫌いで、一方軍は彼を最も信頼しているという逆説。小さな政府という理念とそれに見合った減税政策、オバマやバイデンには出来なかった徹底的な反中国政策、メキシコとの国境の壁の具体的なリアリズムに現れた確信と実行力、北朝鮮に単身乗り込んだ勇気ある人間力、等々を挙げていけば切りがありません。

 この間あるインテリぶった男がテレビでオバマは教養があり、言葉使いも豊富だけれども、トランプはワンセンテンスの単純な表現力しか持っていない、と言っていましたが、言語の力というものを知らない人間の言うことです。トランプのワンセンテンスの繰り返しには力があり、変化もあり、展開もあり、決して単調ではない。政治家は文学者ではありません。現代は知能指数は高いけれども、知性の低い人がいわゆる政界・官界・企業社会を覆い尽くしています。日本も同様です。オバマは八年間の大統領の立場を利用し、六千~八千人の体制順応派を造り、行政府の高級官僚、裁判所の判事、警察の幹部、目立つ政治家を手なづけ、今の左翼全体主義に導き、アメリカ社会を牛耳りました。彼らが司法省を抑え、FBIを支配し、今やりたい放題に振舞っています。「ロシアゲート事件」はその代表例でした。これはトランプ政権の末期に「オバマゲート事件」と名を替え、新たに告発され、民主党の悪事がとことん白日の下にさらされる切っ掛けとなるところでした。

 政権が変わらない限り法律も新たに動き出さない。法の秩序は普遍中立ではない。これが今のアメリカ社会ではないですか。

 2020~21年の大統領選挙は目も当てられない不正まみれだと日本のユーチューブで言葉の限りを尽くして罵っていたケント・ギルバートさんが、ある日突然同じメディアで選挙に不正はありませんでした、バイデン当選を認めることこそがアメリカ民主主義ですと言い出したとき、私は腰を抜かさんばかりにびっくりしました。手の平を返すような大変身ぶりを見せたのは、あのいつもは手堅いもの言いの古森義久氏にも認められました。いったい今までの自説はどこへ行ってしまったのでしょう。私はしきりに首を傾げました。しかし考えてみるとご両名はアメリカに戻ればアメリカ人として、あるいはそれに近い立場で活動をつづける人々です。右の措置はご両名のいわば運命への屈服にほかなりません。

 二年前、アメリカで何かが起こったことは間違いありません。それはアメリカの建国の理念を揺さぶるほどの、一歩間違えば内戦をも招きかねないほどの大事であったことを世界中の人々は承知しています。国連もEU諸国もみな知っていても知らぬ振りをしているのです。アメリカであれどこの国であれ、代表者が仮面を替え、国内はこれで決まったと新しい仮面を主張し始めたら、どこかおかしいと思ってもその国がそれでいいと言っている以上、他国が口出しする余地はありません。バイデン政権はそのような疑念と不安定の中を船出し、今なお本来の権威を失ったまま走航しているのではありませんか。

 それを見抜いて正確に分析し、自由な立場からアメリカをときに批判しときに教導するのが外国のメディア、日本のような同盟国の言論人の本当の仕事ではないでしょうか。言葉を封じられている病めるアメリカのメディアの口移しそのままの垂れ流しをつづけるだけの日本の新聞・テレビ・出版界のていたらくは見るも無惨というほかありません。

 そこで二年前の現実のアメリカをもう一度吟味し直す必要があります。あのとき何があったのか。トランプはなぜ権力を失ったのか。なぜ正論を貫くことが出来なかったのか。彼は実行力あるリアリストではなかったのか。それとも感情に溺れる空想家だったのか。何処でどう間違えたのか。今あらためて問い直してみましょう。

 私には当時SNS大統領選挙観戦記を書こうとしていたときの生のデータ、耳と目の経験しかありません。でも、その方がかえっていいのです。

堕ちた米民主主義

 振り返ってみてトランプを苦しめたポイントは三つありました。第一に連邦最高裁判所の徹底した無責任、逃げの姿勢です。アメリカがこれほどひどい司法の無力をさらけ出す国とは思いませんでした。無力というより司法の腐敗、堕落、背徳です。

 各州の判事、司法長官のレベル以下の逃げ口上や怠慢はまあ予想の範囲内でした。目の前に不正を見せつけられた例の夜中のジョージア州の一件。開票所の監視カメラが映したごまかしようのないシーン、何千票ものトランプ票がみるみるバイデン票にカウントされる光景を州の公聴会で見せつけられても言を左右する司法関係者を見て、傍聴席は哄笑の渦に包まれたそうです。つまり大衆は全部を知っていて大笑いだったのです。

 問題は、連邦最高裁判所の判決です。トランプは一年も前から最終決定の場として最高裁に期待し、必ずここがやってくれると確信していました。郵便投票のデタラメを罰するのもここしかないと。しかるに判決は一切の理由説明なしの「却下」でした。

 テキサスを筆頭に南部諸州が怒り出しました。北東部のペンシルバニアなど四州の憲法違反を提訴しました。「お前たちの勝手な不正投票で大統領選に番狂わせが起こるのは迷惑千万だ」と。憲法遵守は各州平等の義務のはずです。これはまったくの正論です。テキサスには全国から一斉に拍手が送られました。しかるに最高裁は狂っているとしか言いようがありません。

 最高裁は再び「却下」です。二度目には理由をつけていました。テキサスなど南部諸州はペンシルバニアなどの遠い他州の選挙を問題視する機能がないというのです。単に距離が遠いというそれだけの理由です。小学校の自治会の取り決めですら、こんな理屈はあり得ますまい。

 「廊下を走らないようにしましょう」と全校自治会が決めました。校舎のはずれにある五年生の子は授業が終わると野球やサッカーの道具を持って走り出します。違う建物の三年生の生徒から出口でぶつかって痛いと声が上がり、自治会にこれを止めさせてほしいと提訴しました。自治会はいかなる理由をもって提訴を「却下」できるでしょうか。建物や階数が違うのは理由になるでしょうか。

 戦後日本は教育をはじめアメリカ式の民主主義を文化の基本原理の一つとして受け入れました。しかし日本国民は今ここにきてアメリカの民主主義をもはやまったく認められない、と宣言すべきです。多数決の原理すら公正に運営できない国は民主国家とすらいえない。否、法治国家とすらいえないのかもしれません。西部劇時代の野蛮と非文明の地肌が再びさらけ出されました。

 連邦最高裁はただただ内乱が怖かっただけです。ロバーツ長官は判事たちに「お前たちは責任がとれるのか」と問責したという話も伝わっています。しかし、それは政治の領域の判断です。司法の番人は司法の公正に忠実であればよい。政治への出すぎた介入は慎むべきです。アメリカという国家はすでにどうしようもないほどに病んでいるといえます。

 連邦裁判所の身勝手な思い込み、差し出がましい政治への干渉をもって、米大統領選挙は事実上ここで終焉を遂げています。

 トランプ大統領はこのとき声明を発表しました。

「悲しいかな選挙は不正であり、その多くが詳細に触れることもなく、完全にゲームを変えてしまった。最高裁をはじめとするすべての裁判所は裁定(正しい判決の実行)をせず、“根性なし”だったし、そのように歴史に残るだろう」(2021年3月20日)

 このときトランプはほぼすべてのソーシャルメディアから追放されており、最後の砦であったパーラーへの参加すらアドバイザーから阻止されていると言われていたので、「Save America Now PAC」を通じてかろうじてメールでこの声明を発表することができました。

 自国の大統領の最後の言論の自由すら奪ったアメリカ社会の異常心理については後に述べます。

ペンスの裏切り

 トランプを苦しめた第二のポイントは、ペンス副大統領の裏切りでした。ペンスとの仲はいまだにはっきりしません。その後、ペンスはトランプを讃える演説などをして関係を修復しようとしていたようですがペンスの果たした「ユダ」の役割は党にとっても本人にとっても致命的でした。2018、19年の二度にわたるペンスの反中国・反共産主義の名演説は世の月並みな副大統領の成し得ない洞察力に富んだもので、力量に感服しましたが、残念ながら1月6日にやるべきことをやらなかった「逃げの選択」は政治生命を左右しました。

 年末から年始にかけて選挙人投票の獲得票数は民主党若干有利のまま両党が鍔迫り合いを演じていました。ただ「不正選挙」という嵐のような国民の声が沸き起こり、大統領選の勝敗の行方はどうなるかわからないままクリスマスを迎えました。

 全米各州からの選挙人は結果を未開票のまま1月6日にワシントンの連邦議会に集まりました。通例はそこでシャンシャンと手打ち式をして無事に終わるのですが、このときは違いました。選挙人の投票は結果を初めてここで公開して、認定するか否かを裁定するのは、副大統領の仕事と決まっていました。副大統領が議長役を務めるのが年来の取り決めでした。今回はペンスの一挙手一投足に注目が集まりました。

 ペンスが問題の多いいくつかの州の選挙人獲得数は認定できない、ときっぱり言えば、驚天動地、大統領選は振り出しに戻ることになります。そして連邦議会が改めて投票によって大統領を決めることになります。ただし議員全員の多数決ではなく、各州が一票ずつ投じる百年以上前の方法に戻るべきともいわれていて、共和党が有利になり、あっというまにトランプ当選の決定が下されるともしきりに言われていました。トランプ陣営の最後の期待でもあったのでした。

 しかしペンスは不正の多いと言われる州の認定を拒否するとはついに言いませんでした。失望が走りました。と、そのとき、言っている間もなく連邦議会議事堂内部への暴徒の乱入が始まり、議場は総立ちとなり、議員はみな逃げ出し、何が何だか分からなくなってしまいました。

 私はあのときペンスが認定拒否表明さえしていれば、情勢は変わったと今でも思っています。トランプ勝利にすぐに道が開かなかったとしても、トランプに暴徒煽動の罪を被せるという「弾劾」の声をメディアが一方的に広げるわけにもいかなくなり、乱入者にはANTIFA(アンティフア)などもいることが正式に証明され、もう一つの道程が公表されるという利点があっただろうと信じるからです。

 このあたりの事情は謎だらけで、深く闇に包まれています。なぜペンスは裏切ったのか。彼は1月6日の行事を済ませた直後にイスラエルに行くことになっていました。しかし行事の何日か前にイスラエル行きは中止すると宣言されました。ペンスの身に危険が迫っていなかったとどうして言えるでしょう。一枚岩の左翼はいざとなったら何でもするのです。イスラエル行きの計画自体も、あるいはまたその中止決定も、どちらも実は身を護る手段だったのかもしれません。

 ユーチューブに「中川牧師の書斎から」という味のある時局解説のコーナーがありました。中川牧師は、トランプは戒厳令を敷いて軍の正式の協力体制の下に中国など外国の選挙介入を調査し、票の再監査を行うべきだと早くから主張していました。大統領の権力を維持している間にできる最後のチャンスを生かすべきだとも言いました。それにはペンスの命がけの協力が必要で、彼の認定拒否は神の与え給うた千年に一度の信徒としてなし得る信仰の力の見せ所だ、というようなことさえ言いました。福音派の信者たちはあのとききっと同じ心境だったのでしょう。

 ペンスの「ユダの弁明」を私は知りません。したのかどうかも知りません。ペンスに限らず共和党議員が今回危機感に乏しかったのもトランプの誤算でした。マコーネル院内総務などという米上院の「二階俊博」にトランプは怒りまくっていました。もし今回の選挙で敗退すれば共和党は二度と大統領選では勝てないだとう、というような広い危機感が党内に分有されていたようには私には見えませんでした。

 保守はどこの国でもぼんやりしているのが取り柄なのかもしれません。民主党新政権は九人いる最高裁判事をいっぺんに十三人に増員して、増やした全員を左派で占める案をすでに考えているとか、移民をどんどん入れて左派の人口を増やし同時に民主党に投票する有権者数をも比例的に増大させるなどのアイデアが実行に移されだしています。国家や国民の幸福など念頭にありません。「左翼の独裁」が目的でしょう。選挙人投票という大統領選挙の伝統的方式をすら変えようとしていると聞きます。これが実現したら共和党にもう勝ち目はなく、アメリカは今までわれわれの知るアメリカとはまったく別の国に姿だけではなく内実ともどもがらりと変わってしまうことになるでしょう。

馬淵大使「先見の明」

 トランプのぶつかった第三の壁は、すでに先にも申し上げている通り、マスメディアが堂々と憲法違反し、言論の自由を破壊し、自分の国の大統領の発言まで封殺して当然という顔をしていたことです。しかも永久封鎖まで宣言したというのは驚くべき事実です。それよりもさらに驚くべきは、これらのすべてをやり抜けて選挙を完遂したあと、あれは少しやりすぎだったと反省する人は少しいたかもしれませんが、やりすぎとの自覚があるフェイスブック、ツイッター、グーグルなどの全社を挙げての一連の行動を犯罪として摘発し、そのCEOを犯罪人として弾劾するべきだという声が少しも効力を示さないことです。

 アメリカはもはや完璧に憲法を逸脱した非民主主義国家に成り下がっています。以上に取り上げた事例は、アメリカ合衆国の権力構造に明白に異変が生じ、ホワイトハウスの大統領府を超えた何らかの新しい権力がすでに実在し、選挙を動かし、政府を取り換え、官僚の任命権を握り、軍の司令塔を左右している(軍だけは今もバイデンにではなく秘かにトランプに忠誠心を尽くしているという説もありますが)という一連の力の交代劇が行われているという恐るべき事実を示しています。

 これはやはり「革命」でなくて何でありましょう。日本の政治学者諸氏にこの点をお尋ねします。革命でなかったら何と名付けたらいいでしょうか。

 それからもう一つ。アメリカの権力構造が変動し、ホワイトハウスの上位に「超権力」が存在するらしいことは、かねてディープ・ステートの名で言われ、日本では馬淵睦夫さんが早くから指摘して周知され、「establishment」という言い方もありますね。馬淵さんが最初に言い出した頃には半ば疑わしく見え、陰謀論だという反論さえありました。しかしたとえ馬淵さんが言うほど歴史に明白なラインが引けるかどうかは今からないとしても、今度の選挙で現実に異変が存在することが具体的になりました。馬淵さんの先見の明の功績は讃えられるべきだと私は思います。

 しかし、それでも歴史として語られることが多いので、私には馬淵さんの言う政治権力の実態は今ひとつ明らかにならないのです。ディープ・ステートはウォール街の金融資本につながり、地球をワンワールドとして支配するユダヤ民族の自己解放運動に由来するといくら言われても、私に推量できるのはそういう思考心情が存在することすなわち政治心理の次元までであって、世界を現に統括する組織、機構、議会、政体までが一元的にユダヤに支配されつつあるとはとうてい思えず、これも一種の観念論のように思えてなりません。

 パワーの泉は結局は経済でしょう。それならわかります。グローバリズムの経済運営が格差社会を増幅させ、世界の富の一極集中を引き起こして、中国とも協力関係を結べる条件の広がりをもたらすということ、確かにそういう不安はあります。しかし、アメリカ政府の上にあるとされる「超権力」は習近平とはおそらく相容れず、さりとて中国の民主化・近代化に手を貸すつもりもなく、あの大陸には何らかの独裁国家が必要だと思っているに相違ない・・・・・と私はここではたと立ち止まって考えます。この「超権力」は戦前の軍閥が群雄割拠していたあの古めかしい中国のイメージに依然として囚われたままでいるのではないでしょうか。

 まあ、色んな疑問が湧いてきます。

 二年前に多くの人の予想に反しあっという間にトランプが失脚し、バイデンが正式に大統領の座を射止めた背景の動きには何があったのか、永遠の闇に終わるのか、今後少しずつ解明されて行くのか、今のわれわれにはことに外国人である私にはたしかに明確なことが何か言えるテーマではありません。しかしこの背景にはアメリカ社会の変貌があります。アメリカが今急速に中国やロシアのような全体主義国家に体質が似て来ていることは深く憂慮されます。「中川牧師の書斎から」が言っていたように、あのときトランプは戒厳令を敷いて軍の正式の協力体制の下に、中国やベネゼエラなど外国の選挙介入を調査し、票の再監査を行うべきだったのではないでしょうか。それにはトランプ自身が“右翼ファシスト”として内外から非難される覚悟を要しました。しかし実際に彼がしたことは、ワシントンDCの連邦議会議事堂前の広場に予想されるところの大群衆の支持者を呼び集めることでした。大群衆に歓呼の声で迎えられることを彼はひたすら希望していたのでしょうか。戒厳令か、それとも連邦議会議事堂前か、この二者択一は運命の岐れ目だったのではないでしょうか。

 乱入事件に対しトランプに政治責任はありません。彼は煽動演説をしていませんし、乱入の始まったとき現場からはるか離れた位置にいました。けれどもなぜ連邦議会議事堂前に1月6日に大群衆を必要としたのでしょうか。左翼の罠にはまるのは目に見えていた筋書きではありませんか。私はあのときすでにそう心配していました。トランプには自己英雄視のロマンティシズムがあり、これが唯一の政治的欠点でした。

 しかし他方から見れば、米中対立、米露対立のような硬直した場面で大戦争を引き起こさないためには、固定観念に囚われないこのロマンティシズムが、いよいよになると役に立つ光であり、希望でもあり得るのです。ウクライナ戦争の行方を決めるこれからの国際政治の光景(シーン)にトランプがいないのは私は口惜しい。いざというときに自国の強さと弱さを計量できないバイデンのような職業政治家はとてもあぶない。

 大切なのは、自分の立場や姿勢を固定せず、現実の変化に当意即妙に対応できる自分に関する自由の感覚への信頼です。今の世界の指導者の中でこの自由を保持している人物がトランプのほかにいるとは私には思えません。

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