友人からの応援歌

 WiLL新年号に久し振りに少し力の入った評論を書いた。「トランプよ、今一度起ち上れ」という檄文のようなタイトルの文章である。

 小石川高校時代の友人・河内隆彌君からこれに同意し、応援する趣旨の手紙をもらった。河内君は元銀行員、70過ぎてか友人からの応援歌ら国際政治の名作を次々翻訳して、喝采を浴びた巨才である。その彼から誉められたのでうれしくなって、ここに掲示させてもらう。

 拙論については、他の方々からの論評も出始めているので、各自参考にして、考えをまとめて書きこんでいただけるとありがたい。

 勿論トランプへの批判があってもそれは自由である。

西尾幹二大兄

WiLL1月号読みました。西尾幹二ここにあり、西尾節の復活嬉しく拝見。電話だとうまく会話が続かない懸念あり、お手紙にします。本信のお返事は気になさらないで結構です。

 

 で、大論文ですよね。現代世界の病理、不条理の根源である2020年のアメリカ大統領選挙の不正を糺す内容ですが、雑誌編集部は表紙には出さない、目次の扱いも小さい、ほかのクダラナイものは(岸田とか木原とか)鳴り物入りの扱いが」不満ですが、これがいまの日本なのでしょうか?それでも、貴兄の言論活動復帰は、大いに驚きであり、内容の分量、充実度はいまさらながら敬服しております。

 思えば、トランプの二期目は当然、という空気で、これから彼氏がディープステートや中国とどう戦ってくれるのか、楽しみにしていたユメはあの不正で絶たれてしまいました。しかしこの中間選挙で少なくとも下院を確保、2024年本選挙にユメの復活を賭けたいと思っています。

 木魚の会などで、貴兄が馬淵睦夫氏らに批判的であることは承知していましたが、今度の論文で馬淵氏をいささか評価されていますね。背後にどのような「闇」や「謎」があるのかわかりませんが、何かがなければこういう世の中になるはずはありません。

 「闇」といえば、日本ではやはり安倍さんの暗殺事件だと思います。物事本質の矮小化、焦点すり替え化(?)の典型だと思いますが、この事件はわざと別の方向に誘導されているのでしょうか?容疑者の鑑定留置が切れる11月には検察の態度が決まり、裁判が始まれば少しは真実に近づけるのか、と期待していましたが、鑑定留置期間が来年1月に延長されました。その筋は、何かあいまいに片づけたいと思っているのでしょうかね?

 ウクライナ戦争にしてもトランプが二期目をやっていれば起こらなかっただろうし、すべてがあそこから始まっている気がするけれど、これは「陰謀論」になるのですかね?

 取りあえず本日は大論文の感想まで。 

              河内隆彌   令和4年11月26日

「友人からの応援歌」への28件のフィードバック

  1.  全集第21巻B『天皇と原爆』は標題作以外にも少なからぬエッセイを含み841ページにも及ぶ浩瀚な書物である。巻末に「坦々塾とともに」と題して、昨年この「日録」にも掲載された西尾氏の「『九段下会議』から『坦々塾』へ」や「怪異なるかな牛久大仏」を始め、会員七名の方がさまざまな機会をとらえた回想を書かれていて楽しい読物となっている。挿入された写真によってその効果を思い知らされたことも申し添えたい。。
    ここでは、本巻の勝手口とも言うべき「坦々塾とともに」へ入って、阿由葉秀峰氏の「『少年記』の故地を訪ねて-浦島太郎の錯覚と眩暈」および長谷川真美氏『西尾幹二のインターネット日録』につき、ささやかな雑感を書かせていただく。
     阿由葉氏のエッセイは、西尾氏の戦中戦後の茨城県の疎開先を氏とともに探訪する紀行文である。同級生の家を訪れ級友や旧知の人物と再会し西尾氏が親しく語りかけた方々が、実はそのお子さんの世代であったということが一再ならず起こる。その「錯覚」に気付いた氏が幻影と実際との違いに「眩暈(めまい)」を襲われ、帰還した「浦島太郎」となる瞬間が描かれる。しかしまた、「次々と西尾先生と(ゆかりの方々との)旧知の仲が復活し、再生する旅でもあった」し、さらには、再会を期待した級友たちの物故を告げられるつらい確認の機会でもあったのである。その折々を描く阿由葉氏の筆は的確で印象的である。

     往時西尾氏の母堂が農家から借りて耕した畑を訪ね当てる際に、目印となる溜池に到着し、車を停めてぼんやり眺める場面がある。阿由葉氏が引用するのは西尾氏の『日本の根本問題』の一節である。
     「人っ子ひとりいない広い沼地の岸辺に立ったことはないだろうか。私は子供のころに記憶がある。逃げ出したいと思った。追い剥(は)ぎがいるからでも、野生動物がいるからでもない。そういう理にかなった敵の存在は恐怖を与えない。あるいは別の種類の恐怖である。
     沼から陸地につづく立木の並ぶラインの闇が怖かった。理由はなかった。自然そのものがはらむ不可測性だった。
     山道を歩くと、突然思いもかけぬところに小さな祠(ほこら)が存在する。あれは何だろう。ここからは神の領域だと言っているように思える」。
     阿由葉氏が続けて述べる。
     「科学では説明しえない、自然が私たちに与える畏怖の念。自然科学に浸った現代人はそれを隠蔽して見ようとしないが、この不可測な部分にこそ本質的ななにかがある。西尾先生が少年時代、抱いた薄気味悪さの告白は、どうやらこの溜池の記憶に由来していたようである」。
     山深い初瀬を指していう「隠(こもり)沼(ぬ)」という万葉集の古い言葉は、まさに古代人が感じた測るべからざるものへの畏怖の念に発したものに違いない。

     「今回の旅で、少年時代の西尾先生を知る人で実際に会うことのできたのは、(中略)お一人だった」が、「今にして思えば、この旅も出来過ぎと思えるほどの邂逅にも恵まれていた。結局は日程さえも目に見えぬ何かに定められていたのかもしれない」という感慨を曹洞宗の仏教者である阿由葉氏は洩らす。少し遅れれば、台風19号やコロナ禍によってこの旅は実現を阻まれかも知れない。「目に見えぬ何か」、道元が真理のさなかで身もだえするように発した言葉「恁麼(いんも)」、そのようなとしか言いようのないもの、を著者も感じていたに違いない。

     茨城の故地訪問の一年前、西尾氏と坦々塾の方々は牛久の巨大大仏を見に出かけていて、「日録」でも記事にされていた。「周りの自然と調和しない牛久大仏の「怪異」ぶりを確かめたいというのがあのときの旅の目的だった」。
    『国民の歴史』のハイライトの一つである「縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎」から西尾氏自身の文章を引く。「(葛飾北斎は)思い切ったかたちで前景に焦点を絞り、遠景の富士とのあいだに当然想定される中景をいっさい描かない。中景を省いてしまうことで、遠近法の意図的な破壊を試みている。西洋から遠近法はすでに入っていて、北斎においてすでに一瞬のうちにそれが乗り越えられている。そのことが決定的に新しいのだ、なによりも、画面が与えるそのコンポジションの妙がもたらす視覚上の強烈な効果には、言うべき言葉がない」。西尾氏は牛久の巨大な大仏が同じ効果を持つに違いないことを確かめに出かけたのである。この牛久行きを足がかりに、阿由葉氏に啓示が訪れる。「富士の多様性と立体化があえて中景を省くことでグロテスクに近景を巨大化して見せた表現が、彼の画法のユニークさである。今度の旅にこれが当て嵌まるのではないかと私はしきりに考えた」。
     この後、この紀行文は美しい結末部(コーダ)を響かせる。そのまま全文を引用することをお許しいただきたい。
     「私にはこの『少年記』の旅が、『富嶽三十六景』にみられる北斎の『視覚』の技法を『時間』に置き換えたかのように思えた。西尾先生の少年時代、七十年前という遠景としての『時間』からこの旅の日までの年月は、北斎が省いた『中景』として省かれていた。つまり意識されていなかった。まるで浦島太郎のように長い時間を隔てた訪問によって、現在という『近景』が突如現われた『少年記』の時間である。『遠景』が、錯覚と眩暈を伴って西尾先生の前に何度も立ち現われた。それは西尾先生だけが感じえる『時間』に違いないのだが、私たちも『少年記』の『文章』を通じて西尾先生の『時間』に思いを致すことはできるのである」。

    「ブログ管理人」として、長谷川真美氏が『西尾幹二のインターネット日録』の歴史」という一文を寄せている。必ずしも平坦ならざる二十年にわたる本日録の道のりを教えられる。『西尾幹二のブログ論壇』の刊行に当たっての長谷川氏の真率な言葉が忘れがたい。「世にインターネットの普及により、本が廃れていくという傾向があるというが、やはり手に持てる紙の本に勝(まさ)る知識の宝庫はないと私は思っている。だから【目録】が本になることは、これまで経験したさまざまな苦労のご褒美のようでとても嬉しかった」。
     最後は「西尾先生は高齢になられたが、今もその頭脳は健在である」と結ばれる。本「日録」がお二人の二人三脚の旅であることをあらためて知るのである。

  2. 投稿文の誤記を修正します。

    第3段落4行目
    誤:との違いに「眩暈(めまい)」を襲われ
    正:との違いに「眩暈(めまい)」に襲われ
    以上

  3. 土屋様
    全集の中の、坦々塾生の文章に感想をお寄せいただきありがとうございました。
    阿由葉さんがお書きになった、西尾先生との故地をたずねての文章への感想、同じように偶然が重なった出会いなど、私もとても興味深く読みました。

    日録の歩みをかんじていただけてうれしいです。

  4. 先ごろ、「宮崎正弘のメルマガ」で、KMさんと池田の間で、忠犬ハチ公・安倍晋三像などをめぐつて、下記のやり取りがあつた。毎度お馴染みの、変り映えのしない話題だが、この日録も、投稿が少く、閑古鳥が啼いてゐるやうなので、次の投稿までのつなぎ、または、枯れ木も山の賑ひと、勝手に判断して、僭越ながら以下――
     
    (読者の声2)渋谷駅前に「忠犬ハチ公でさえ銅像があるのに」暗殺された安倍晋三氏の銅像が現場に立てられる気配はない。
    米国には過去20年程、「公共芸術品」という、食えない芸の無い芸術家を救済する意味もあって、へんてこりんな作品が生まれ、税金の無駄、と非難を浴びている。政治的な意図、社会への非難も作品に表れていたりする。
    私もシアトルの「1%FOR ART」選考委員として応募駄作を審査し、渋々ながら選んだ経験もある。批判的であったためか、以後呼ばれなくなった。
     もし、奈良にそんな芸術援助計画があれば、現場に二人の原寸大の正確な銅像を提案したい。1発目の爆音を聴き、振り向いた台上の総理。そして背後の山上容疑者。この二人の関係の時・空間・位置関係、不可思議な犯罪を永遠に保存すべく、柵で囲む。苦痛に顔を歪めた安倍氏の銅像の前には献花が絶えない。マスクで顔を隠す山上氏には、通りがかりの犬が片足を揚げる。
     忠犬ハチは、その卓越なる忠誠心が見る人を感動させるが、この二人の銅像が、奈良警察、検察、日本政府、報道、論者の「国民、国家に対する裏切り」を視覚化し、見る者に、悍ましい現状を認識させる、と観光ガイドが解説される。
     山上氏のオモチャの拳銃は「正確に水平」の位置を示し、安倍氏の右襟は跳ね上がり、銃弾の軌跡を示す破損が正確に保存される。できれば近くのビルの屋上あたりからレーザー光線を傷口にあてる。
    しかし現実は異なり最近では、この事件現場を綺麗に「水に流す」ためにガードレールなどを取り除き、国民の記憶を消す、方向に動いている。

     安倍氏の影響力は大きく、かつ再選の可能性が高かった故に、保険として、将来の元首を粛清しておく、との意図であれば、この犯罪は単なる殺人ではなく、敵にとって好ましくない日本政府を堕胎しておく、と認識すべきである。
    さらに、残された愛国的な政治家、官僚、民間企業人に対しての、究極の鮮明な「通告・警告」である、と。しかし媚中親中の総理候補者は安心して応募できる。
     国民として、深く憂うべきは、この巨大な明白な犯罪を、日本政府機関、報道が全く取り上げなかったという恐ろしい事実である。つまり日本政府は既に、国民・国益のためではなく、傀儡政権として「捜査しない自由」を行使している。このような状態はかつての植民地、そしてGHQ支配の戦後の日本にあった。そんな従属的な伝統を77年後も維持しているらしい。
     更に言えば、この事件隠蔽に関与し事実を知る官民の人間は少なくとも数十人はいる。その中から、一人でも倫理観、正義感のあるサムライが、自己の雇用と収入を放棄して、「真相はかうだ」と発言しなかったという悲しい現実である。
     700名も居る「雇用を保障された議員」も、青山繁晴氏を除いて、横を向いている。常に政権を批判する野党議員も無関心。未だに全員が指導されるままに、マスクで顔を隠す無言の日本人の下を向いた無表情な無気力な顔が、これを象徴している。
     しかし、他国では、ロシア、メキシコ、香港、米国でさえも命をかけて発言し、抗議し逮捕され殺害される報道者、内部告発者が多数現れる。
    日本以外では、そういう普通の文化・価値観を持っている。
    自己の命、財産よりも大切なモノ、国体を持っている、普通の国民が居る。
    (在米のKM生)

    (読者の声3)1月31日号において、〈在米のKM生〉さん曰(のたまは)く「現場に二人の原寸大の正確な銅像を提案したい。1発目の爆音を聴き、振り向いた台上の総理。そして背後の山上容疑者」。なるほど。「再選の可能性が高かった故に、保険として、将来の元首を粛清しておく」以下は意味がよく分らないが、要するに、殉国の、偉大なる大政治家たりし安倍さんを顕彰し、併せて、その不幸な最期を教訓とせよいふことなのだらう。やれやれ。

     私は以前、このメルマガで、いくつかの実例あげて、安倍氏こそは、GHQ教育に骨の髄まで侵された、日本破壊の元凶だと説いた。賛成して下さつたのはお一人のみ。他の場所で、畏友W氏は、「アホ左翼は安倍さんを右翼だの、ファッショだのと呼ぶが、そんなに上等なものなら、日本をなんとかしてくれただらう」と評し、安倍総理の8年間を無解決の時代と呼んだ。

    Youtubeなどに現れる「保守」も99%まではKMさんと同じ言ひ草で、「国葬で、菅前総理の弔辞には涙滂沱たらざるを得なかつた」などと宣ふ右派論客。安倍さんが何を言ひ、何をしたか(しなかつたか)を検討せず、初めからヤマトタケルのごとき英雄と決め込んでゐるのだ。
    実像を見る能力を失ひ、世間の描く幻にしがみつくのみ。結局、左翼から保守まで、ほぼ100%の国民は、WGIP(War Guilt Information Program)に注射された猛毒が抜けるどころか、遅効性のため、症状愈々悪化、既に、仮死状態なのだらう。かくて、亡国へ、亡国へ。最早止める術はない。

    「尖閣に公務員常駐の公約は・・・」「竹島の日を政府主催の行事にといふ、第一次政権の公約は・・・」「北方領土は(前に仰せの「数十回の会談」は安倍氏の低能の証明では)・・・」「あれほど政権浮揚に利用した拉致は・・・」etc。

    その他「外国人労働者」「アイヌ新法」、「水道民営化」・・・虚しくて、これ以上あげる気がしません。全員揃つて地獄に堕ちるほかないでせう。あとには、安倍さんの、堕地獄記念頌徳碑でも建てて。
    (池田俊二)

    (読者の声2)先日、読者の(池田俊二)様から「安倍総理暗殺記念芸術的銅像案」に関する拙文対して御批判をいただきましたので、誤解を解きたい。
     過去の私の投稿に見られるように、私は安倍総理の「功績」については極めて批判的であります。意図とは別に、結果がすべての政治の世界では、何を公約したか望んでいたかではなく、いかに野党の議員などを操って政策を実現したかによる。
     現実の日本の政治の仕組みを見ると公明党、野党、官僚の勢力は巨大で、故田中角栄氏のように、大量の札束を用意し、票を買い上げる、あるいは暴力を使うとかしないと、何もできない。
     しかし、海外においては、安倍氏は現地の元首と直接会話ができた。この場では、日本の議員も官僚も報道も介入できず、氏は自由に有益な直接な交渉ができたらしい。
    首脳同士の会談でも通訳の他に、取り巻き連中が目を光らせているので、ゴルフ場の小さな2人乗りのカートが使われ、秘密の会談が可能になる。トランプ氏にしても、ホワイトハウス以内にも多くの敵がいたので、ゴルフを楽しむわけではない。安倍氏はそんな具合に世界の元首と付き合い、日本の外交を進展させたことは評価すべき。(トランプ氏の全く予期しなかった当選で、外務省は、まず氏と関係をつけてから、総理に行かせるはずであったが、強い反対を押し切って安倍氏は独断で、押しかけてトランプ氏と長い深い関係を即座に作ってしまった。)
     先日の銅像の作品の意図は、「日本の政府、警察、検察、報道の腐敗」を表現したものであり、安倍氏礼賛ではないと理解されたい。更にこの深く広い恒常的な腐敗は、制度的なもので、根本的な手段を使わなければ解決できないと思われ、故に、「憲法破棄、シン憲法」が、解決策であろうと思う。
     現在の政治の仕組みでは、たとえ、トランプ、レーガン、サッチャー氏のような人材が日本総理大臣になっても、何もできない。あるいは、危険を察知した敵は、安倍氏に使った手段を使い、早期に予防する。
    (在米のKM生)
     
    (読者の声)第7616号において、(在米のKM生)様から反論を頂いたので、ここで再反論したい。ただし、他の読者の迷惑をなるべく小さくするやう、短く、ポイントだけを・・・。
    「過去の私の投稿に見られるように、私は安倍総理の『功績』については極めて批判的であります」との仰せには、異論ありません。私も何度か、KMさんは、今時珍しく安倍ベッタリではないな、”賤業保守”のカモに堕した、昨今の一億総痴呆の中では、稀有の存在と評価してゐました。その方からの「安倍銅像」提案だつたので、ブルータスよ、お前もか!と驚き、落胆した次第です。

    「安倍氏は現地の元首と直接会話ができた」「氏は自由に有益な直接な交渉ができたらしい」――どんな「自由に有益な交渉」ができたのか。推定・想像でもかまはないので、一例でも二例でも伺ひたい。

    私は自称西尾幹二門下生ですが、嘗て西尾師と、チャンネル桜の水島社長の間で、次のやり取りがありました。
    水「安倍さんは世界の要人と亘り合つてゐる」
    西「亘り合つてなどゐない。馬鹿にされてゐるだけだ」
    水「あれ、先生、左翼みたい」
    水島社長はまた、「プーチンと10数回(当時)も会談してゐる。そんなことが出来るのは、世界で安倍さんだけだ」とも言ひました。たしかに、回数は世界記録でせう。ただし、何を話し、成果が何かは全く知らされてゐない。

    「ゴルフ場の小さな2人乗りのカートが使われ、秘密の会談が可能に」――安倍さんの英語演説を聞いて、彼にはカートの上での、トランプとの二人だけの会話は無理だと判定しましたが、「在米」の貴見如何。

    産経の多分阿比留・安倍提灯記者だらう、トランプが「シンゾーよ、ゴルフまでタフでは困るぞ」と言つた、つまり、日米交渉に於いて安倍さんがtough negotiaterたることを認めたと書いた時には、与太新聞の与太記事もここまできたかと、苦笑した。

    安倍さんが官房副長官の際、福田長官らが、拉致から帰つた5人を一旦北に返すと主張したのに反対して、副長官として「絶対に帰してはいけない。自分は体を張つてでも阻止する」と言つたと産経が伝へた。私は感激、日本の将来を託せられるのはこの人だけだと、救世主の如く仰いだ。しかし、後の言動から見て、安倍さんがそんなことを言つたりしたりする筈がない。産経が与太新聞になりつつあつたことを知らなかつたとはいへ、かかる与太記事を信じてしまつた自分の純情極まる馬鹿さ加減!思ひ出すだに赤面せざるを得ない。

    「強い反対を押し切って安倍氏は独断で、押しかけてトランプ氏と長い深い関係を即座に作ってしまった」――本当でせうか。大統領選挙中、選挙後に備へて安倍さんは訪米したが、ヒラリー・クリントンには会つたものの、トランプには会へなかつた。外務省の責任かもしれないが、私はあれが安倍さんの本質だと思つた。

    ”海のものとも山のものとも分らない”トランプと「関係をつけた」ことを、我が西尾師も、プラス評価してゐるが、トランプに好かれたのは、安倍さんが、利害の激しくぶつかる問題は持ち出さず、ややこしい議論はせずに、ただニコニコしてゐるせゐだと思つた。

    西尾師は、北の核ミサイルが米本土に届かないことを以て、トランプは米国の選挙民を納得させてゐるが、日本には届く。その点をトランプと詰め、日本の核武装について、論理的にはつきりさせよ、と迫りました。これ対して私は、安倍さんに、論理に基く交渉などといふ高級な能力がつたのなら、今日のやうな状況になつてゐないと申しました。

    プーチンに対しても同じです。北方領土をテーマに、一年間、5回(?)の安倍ーープーチン会談が行はれ、歳末に、山口県長門市で締め括りの最終会談。プーチンは5時間遅刻し、平然と、領土問題を経済協力にすり替へて、「いい湯だつた」と御満悦で引き揚げました。2度目か3度目の会談の後、安倍さんは「今までにない、新しい感覚でやつてゐて、いい手応へを得てゐる」と、記者に言ひました。いい手応へ? それなら、引退後のメモランダムででも明かすべきことではないか。相手のある交渉の真つ最中に! 安倍さんにつける薬のないことは前から知つてゐましたが、ここまで・・・嗚呼。安倍さんと向き合つてゐるプーチンを見ると、いつも、腹の中の笑ひを嚙み殺してゐるのだらうと想像しました。まともに相手にされる筈がありません。

    安倍さんは外遊が大好きでしたね。要人と会つてお土産を渡して乾杯し、記念写真を撮つて帰つてくれば、水島社長は「亘り会つた」と、加瀬英明・外交評論家は「これぞ、安倍外交!」と、皆が褒めそやしてくれるのですから、安倍さんとしては、こんなに愉快なことはない。止められないわけです。因みに、加瀬評論家が “安倍外交”の中身を論じたことはあつたのでせうか。

    「『憲法破棄、シン憲法』が、解決策」。同感ですが、9条3項でよろしいのですか。2項の「陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」などとといふ文言に、屈辱を感じないとしたら、それは日本人ではありません。奴隷国家の奴隷国民です。私が安倍さんを日本国民と認めない所以です。

    「戦後70年談話」は100%、GHQ史観でせう。あんなことを言つたからとて、支那や米国が、ウイ奴だと可愛がつてくれるわけではありますまい。向うから要求されたわけではないのに、わざわざ・・・。そして、どこやら得意げな響きさへ。本気なのですね。安倍さんが骨の髄まで、WGIPの猛毒に侵されてゐるからでせう。売国奴・非国民が言ひ過ぎなら、少くとも、属国根性の塊でせう。さういふ人を仰いでゐるやうな国民に未来はありません。
    本来の日本国民には、民衆の末端であつても、トップについて、信ずべきか、唾棄すべきかを感覚的に判断する能力があつたのではないでせうか。

    西尾師は、安倍さんに教養のないことが根本だと言ひ、その点を論じたいのですが、長くなつたので、終りにします。(池田俊二)

    (宮崎正弘のコメント)安倍政治の評価は後世の歴史家が裁断することで、論戦はこの御意見をもって終了としましょう。
    〈池田〉なるほど、いい締めですね。安倍晋三=ヤマトタケルノミコト論の宮崎さんらしいと納得しました。

  5. このKM生さんと、池田さんのやり取り、本質のところで、ズレている、あまり噛み合っていないで話をしているように読めます。

    まずKMさんは、安倍さんを評価しているというより、安倍暗殺陰謀論に立脚していることが立脚点。つまり、安倍さ暗殺は被疑者の統一教会問題への怨恨からくる単独犯ではなく、何かの国際的勢力におこなわれた。ところが、その秘密を明らかにしようとすることに日本の政治家やメディアに厳しい統制がかかってる、といいたいようです。これに対して池田さんは、ある意味、オーソドックスに、安倍批判論をしていて、お二人のお話は、ぶつかりあうことなくズレているように読めてきます。

    ただ、巨大陰謀を用いてまで殺害されるのだから、その安倍さんに、抹殺されることを必要とするだけの意味、政治家としての存在価値がなければなりません。KMさんは、その「暗殺のぶん」の安倍さんの存在価値は積極的に認める、ということなのでしょう。だから、GHQ以来、日本が半占領下のコントロールにおかれている(KMさんはコントロールに反して安倍さんは殺された)こと自体については、池田さんもKMさんも一致はしているようにみえるわけです。

    安倍暗殺陰謀論は、それをいう人はこの日本にかなり存在しています。私のまわりでも、中国による陰謀説、アメリカによる陰謀説、ロシアによる陰謀説、はたまたモサド=ユダヤによる陰謀説などさまざまに安倍暗殺陰謀論をいう人がいます。今や陰謀論は「最後の宗教」の観を呈していますから、常軌を逸するほどに流行るのも致し方ないともいえるのですが。

    戦後日本でのよく似た暗殺陰謀論に、1960年の浅沼稲次郎さんの刺殺が、アメリカCIAによるもので、たいへんな国民的人気のあった浅沼さんをこのままにしておくと日本に、左派社会主義の政権ができるかもしれない、ゆえに、親米右翼だった大日本愛国党にCIAが手をまわしたんだ、というものがあります。この頃の社会党は野党第一党で議席の3割以上を占めており、浅沼委員長本人は右派社会党の勤皇家でしたが、西尾末広派が大量脱退して民社党をつくった直後で社会党は左派が圧倒的優勢でした。浅沼事件は私の生まれるだいぶ前の話ですが、年配の方や文献を読む限り、浅沼さんの人気は左右問わずたいへんなもので、それは保守派なりアメリカなりが危機感をもってもおかしくないものだったといえます。刺殺犯の山口二矢が取調中に自殺してしまったので、真相は闇に消えているわけですが、私はこれは、陰謀論としてなかなかよくできているお話だと思います。

    安倍さん暗殺の場合は容疑者は存命でこれから裁判にかけられる。真相はまだわからないから、もしかしたら、事実が陰謀論に軍配をあげるかもしれない。しかし浅沼事件の陰謀論に比べると、はるかに「お話」として物足りないと私は思います。浅沼さんの存在に危機をもっている勢力はいましたが、安倍さんの存在に危機をもっている勢力というのはいったいどこなのでしょうか。結局、ここで、KMさんと池田さんは意見が違ってくるわけです。

    安倍さんを中国が狙ったという説はいちばん割合が高いようです。けれど安倍さんは媚中派ではないですが、中国に激しい恨みを買うほどのことはしていないし、中国側からすれば、安倍さんがいてくれた方が、悪口を日本に言いやすいという面、さらに日本の右派への展開を掛け声だけのスローにしてくれた政治家として、ある意味必要とさえされていたとさえみえます。アメリカだって安倍さんを葬る理由はほとんどありません。そんなふうに各個を検討していくと、安倍さんを葬り去る陰謀を企む勢力はどこにもないようにみえます。暗殺陰謀は、万が一暴露された場合のリスクを考え、そのリスクを上回るほどのメリット、つまり抹殺すべき安倍さんの存在価値がかなりないとやる意味がないことになります。むやみやたらに暗殺陰謀を国外指導者でしかけるなんていうことは、そう考える人間がゲーム脳の一種と化している証でしょう。

    結局、こうした暗殺陰謀の原理のようなものを考えると、安倍暗殺陰謀論は浅沼暗殺陰謀論と違い、まったく成立しないのではないかと思います。安倍さんがいたときと、いなくなった今、何か大きな政治状況の変化はない、つまり安倍暗殺のメリットは「それをなした側」かもしれないどこかに、ほとんどといっていいほどないからです。

    それにしても、昨今の陰謀論の流行りは一部、病的なレベルになっていますね。私が驚いたのは、事件直後、参政党の有力支持者で、社会的地位が相当の方が、「安倍ほどの人間ならクローンがいるのは当然だろう」といい、安倍さんのクローンが暗殺されたとかなんとかをSNSで発言して大喝采を浴びていたことです。正気かどうか、しかしこの人物は平生は「地位のある人」と思われている。地位がある人が狂っておかしいというわけではないですが、陰謀論にしては、あまりに幼稚漫画的、もう少しマシな狂い方はないのか、と思ったものです。昨今の陰謀論は、陰謀論としてのレベルもどんどん下がる(というかめちゃくちゃ)、さらに、オカルトマニアとかではない、ごく普通の方がいい、たくさんの拍手を浴びる、そんなふうになってきているようにみえます。私が限られた例外的な人をみている、ということではどうにもないようなのです。

    あるいは、この日本には「現実」が存在しなくなっているのかもしれない。現実的事件をみる、よりも、事実を頭の中の妄想のお客様にするだけ。安倍さんが殺害されてしまったことよりも私は、狂乱的な陰謀論が、解釈その他の知力を遮断してしまったことの絶望の方がはるかに大きく感じられます。逆説的なことをいうかもですが、陰謀論は極端化すると、ある意味で、「無関心」と隣合わせになる。現実分析などどうでもよく、「個」に引き込もった人間の頭の中のお遊戯なんですから、本当は事件、現実はどうでもいい。関心なんてないのです。こうした陰謀論はこれからますます拡大して、日本人の精神を空洞にしていくのでしょうか。あまりに空恐ろしいことです。

  6. 渡邊 様

    仰せのとほり、KMさんと小生、「噛み合ってい」ませんね。御指摘により気づき、苦笑しました。
    私の方は、「オーソドックスに、安倍批判論」、つまり、今までに何度も口にした、陳腐な、型通りの安倍低能・売国奴論を繰り返すばかり。対するKMさんは陰謀論ですか。私はKM説のポイントをよく受け取れませんでした。それでも、100%の安倍礼賛でもないやうな気がして、「併せて、その不幸な最期を教訓とせよいふことなのだらう」といふ文句を、投稿の寸前に加へたのは、せめてもの救ひ(私にとつて)。“ズレ”は、陰謀論なるものに全く興味がなく、それを嗅ぎ取る能力もない私の責任ですが、この1行に少しホッとしてゐます。

    気の毒だつたのはKMさんで、粗忽な私に論点をずらされた上に、非難されたので、釈明に忙しく、「陰謀」を十分に語る暇がなかつたのではないでせうか。そして、「カート上の秘密交渉」等々、むしろ、私の方の土俵に上つてくれました。これにはお詫びし、お礼を申さねばなりません。

    安倍暗殺陰謀論は、仰せの「安倍さんを葬り去る陰謀を企む勢力はどこにもないようにみえます。暗殺陰謀は、万が一暴露された場合のリスクを考え、そのリスクを上回るほどのメリット、つまり抹殺すべき安倍さんの存在価値がかなりないとやる意味がないことになります。むやみやたらに暗殺陰謀を国外指導者でしかけるなんていうことは、そう考える人間がゲーム脳の一種と化している証でしょう」で、完全に総括されてゐます。

    貴見に完全に同意します。ただ、例外があるとすれば、以前、貴兄が「馬鹿左翼は安倍さんを右翼だのファッショだのと呼ぶが、そんなに上等なものなら、日本をどうにかしてくれただらう」と仰せになつた“馬鹿左翼”が、「安倍さんは上等なので、暗殺にメリットあり」と勘違ひした場合のみでせう。私は平素ヒマですが、そんなものに附き合ふ気はなく、“ゲーム脳”も持つてゐません。、KM氏の安倍礼賛のみを問題にしたのは、もう一つの論点が目に這入らなかつた自身のミスで、傍迷惑ではあつても、言いひたいことだけを言つて、むしろ得をしたとも・・・。

    以上で、私の申したいことはほぼ尽きましたがーー
    「浅沼稲次郎さんの刺殺」(あれは、テレビでリアルタイムに見てゐました)にも陰謀論があつたのですか。「安倍ほどの人間ならクローンがいるのは当然だろう」と、“社会的地位が相当の方”が言つた!? これには驚きました。

    陰謀論で有名なのは、貴兄のお嫌ひな松本清張でせうね。彼の小説では、事件の裏を探ると、奥に必ず米国がゐる。ほぼ千篇一律で、俗受けのための最も安易な手法でした。彼を、平林たい子は「反米タイプライター」と呼びましたが、女史らしい、辛辣にして、最も適切な評語ですね。最近、元共産党員が「清張の秘書に、スパイとして、党員を送り込んだ」と言つたのを、面白く聞きました。

    自身の不勉強のせゐでせう、総じて陰謀論なるものには、評価は別にして、あまり関心がありません。けれども、
    「現実的事件をみる、よりも、事実を頭の中の妄想のお客様にするだけ。安倍さんが殺害されてしまったことよりも私は、狂乱的な陰謀論が、解釈その他の知力を遮断してしまったことの絶望の方がはるかに大きく感じられます」
    「引き込もった人間の頭の中のお遊戯なんですから、本当は事件、現実はどうでもいい。関心なんてないのです。こうした陰謀論はこれからますます拡大して、日本人の精神を空洞にしていくのでしょうか。あまりに空恐ろしいことです」
    といふ貴説には考へ込みました。ここにも、亡国の要素はかなりある。レーヴィットの1階2階論にもつながりさう。少し勉強しなければといふ気になりました。そして、貴兄による分析をKM氏に伝へたいとも思ひましたが、既に宮崎さんによる終了宣言が出てゐるので、それは出来ません。

    渡邊さん、毎々のお教へ忝く存じます。

  7. 渡邊 様
    (先便追加)

    このメルマガでの騒ぎ、私にはラッキーでした。
    もし、KMさんや宮崎さんに、貴兄の十分の一の知力があつたら、私の論点すり替へ(といふより、取り違へ)は厳しく咎められ、私はノックアウトされた上、退場させられたことでせう。けれども、お相手さんには、それを論理的に整理する能力がなく、穏かに「後世の歴史家」に委ねるといふことで幕。

    私は基本的には、聡明な人が好きで、安倍シンパなどの魯鈍な人は嫌ひです。けれども、今回は、相手の魯鈍さに救はれました。幸運! 

    と言ふものの、私とて、相手の賢愚は多少察した上で対します。そして、賢い人に対しては、無闇に喧嘩を吹つかけたりしません。さて、この日録の管理人さんなどは、どちらに分類すべきか・・・

  8. 「江戸のダイナミズム」書評

    本日江戸ダイナミズムを読了致しました。西尾幹二全集を読む前に、小林秀雄の本居宣長も呼んでおりまして、それも頭に入りやすい声出しながら、文章を読んでおりました。非常に読みにくく難しいと思いながら読み進めた思い出があります。しかし、小林秀雄を文章でも本を祈りながら伝えたかったことは、「古代のことを思い馳せる方法としては、こなん立ち還る」ことだということは伝わってきたのです。西尾先生の大著は「言語」という「音」を通じ、古代にいた「神」へ誘わせてくれるものと思いました。西尾先生の大著は私が持っていた小林秀雄からみた複雑な本居宣長を肉付けしてくれました。しかしながら、小林秀雄が、古代日本人は訓読という離れ業をやってん退けたという言い方は音読する私としては辛いものがありました。
    西尾先生もあとがきで書いておられますが、江戸のダイナミズムはまるで交響曲のように心地よく楽しく聴けました。聴くというのは、指揮者が西尾先生で日・中・欧それぞれの学者たちが衝突した時代に対する精神の音色をうまく響かせられていたからです。だからこそ、物語として「神話」はそれぞれの特色があり面白く神代では隔絶されていた日・中・欧の神話は微妙な差こそあれ似ている部分があり吃驚させられます。
    さて、私が感銘したのは本居宣長の「自己の強さ」です。上田秋成の反論に対し毅然として持論を展開する姿勢は西尾先生も仰っておりましたが、ニーチェを彷彿とさせるものがあります。あまり泰然自若としていて上田秋成に対する反論を音読してクスッと笑ってしまいました。しかしながら、江戸のダイナミズムは本居宣長だけを論じているわけではなく日・中・欧それぞれの学者が言語によって神を求め歴史を見続けようとしています。現代人にも「自我の強さ」を持ってほしいと強く感じました。相通ずるところが、あとがきや後記を読みますと江戸のダイナミズムは西尾先生も予測がつかなくなるほど長くなり歳月をかけたとありますからそのくらいの忍耐力と追求心と想像力、発信力を感じてほしいと思います。だからこそ、現代人に残していくために西尾研究をしております。
    最後に、私は「国民の歴史」も読んでおります。時折また読みたくなるのですが、いつも最終章「人は自由に耐えられるか」を読みます。何故かといえば読めば読むほど今と同じことが書かれてあり、現代人は自らの人生を長閑に生きすぎて音色を響かせることを知らないと思うのです。挙句に精神疾患に罹る者が多くなっています。おそらくハイデガーが唱える3つ目の怠惰に脅かされているのでしょう。私は若い世代が手に取るか分かりませんが、西尾先生のように「日・中・欧言語ルネサンス」と断言し時代や世代関わりなく通ずる論の強さを感じて欲しいと思います。

  9. 鷹 様

    律儀に、丹念にお読みになつて、ポイントをきちんと纏められましたね。その初々しい真摯な態度に好感を抱きました。就中、
    ーー江戸のダイナミズムはまるで交響曲のように心地よく楽しく聴けました。聴くというのは、指揮者が西尾先生で日・中・欧それぞれの学者たちが衝突した時代に対する精神の音色をうまく響かせられていたからです。だからこそ、物語として「神話」はそれぞれの特色があり面白く神代では隔絶されていた日・中・欧の神話は微妙な差こそあれ似ている部分があり吃驚させられます。ーー
    といふ記述は共感を以て拝読しました。願はくは、今後も西尾作品に、かかる接し方を続けられますやうに。控へめに、短文に凝縮されたのはありがたいが、もう少し伺ひたくもなりました。その代りといふわけではありませんが、私の方のことを少々・・・

    ずゐぶん前のことで、はつきりとは覚えてゐませんが、先生に、「この作品の主人公は、敢へて一人に絞ると、宣長ですか」と質問したら、言下に「いや、徂徠だ」と答へられました。私がこの作品にいたく感銘した旨を、たどたどしく語り、「『ヨーロッパの個人主義』と『江戸のダイナミズム』が先生の二大作品」と申し上げ、「生意気言ふな」と叱られるかと思つたら、「さうか。3冊めを書かねばならない」と優しいおことば。

    私が最も感奮したのは、太安万侶の交用音訓。自分は支那語が書けるが、書かない。「何としても日本語を書く方法をここで確立したい」といふ強い意志と奮闘が、文字言語としての日本語を今日あらしめたのだといふ思ひ
    から、心からの感謝と拍手を贈らざるを得ませんでした。

    ーーと思ひ出しながら書くのは面倒なので、何か残つてゐないか探したところ、「坦々塾のブログ」に次ぎの駄文を見つけました。断片だけで、自分でも、気に入つてはゐないのですが、それをコピペします。

      『江戸のダイナミズム』

            坦々塾会員 池田 俊二

    西尾先生の『江戸のダイナミズム』からは、
    實に多くのことを學んだ(その何割が實際に
    身に着いたか覺束ないにしても)が、その一
    つは支那の郡縣制度。平素からきちんと勉強
    してゐる人には、さほどのことでもないのか
    もしれないが、私には目から鱗であつた。
    以下、數ヶ所を引用させて頂く。
    ――   ――  ――
    秦漢より後、中國は役人が三年で地方官を
    交替して渡り歩く郡縣制度をとり、日本のよ
    うな世襲の大名が人民とそれぞれの地域で密
    接な接觸をもつ封建制度ではなくなつてしま
    つた。

    徂徠が周の封建制度を禮讚し、秦漢以後の
    郡縣制度ならびに科擧による官僚登用制度を
    否定してゐた事實であります。

    封建制を評價し、郡縣制を否定するのは、
    日本史に即せば徳川體制を評價し、奈良平安
    の律令體制(隋唐の郡縣制度のまね)を否定
    するというような意味合いであり、周の再來
    を江戸に見るという理想主義的幻想もほんの
    少し徂徠にあつたということも事實です。

    官吏ということばは「官」と「吏」の二つ
    に分れるそうです。「官」は・・府知事のよ
    うな、中央から派遣されてくる高級官僚であ
    つて、できるだけ鷹揚に、寛大にして遊んで
    いればいい存在です。しかしそれでは實際の
    行政がはかどりません。實務をしてくれるの
    は現地にたくさんいる胥吏すなわち「吏」で
    す。

    ・・ 胥吏は事實上無給に等しいので、直接
    人民から取り立てる手數料――自ら金額を手
    加減して決める――で生活するのだそうです。
    とはいえ「官」のほうも必ずしも高給ではな
    い。・・慣習的に默認されている役得という
    ものがあつて、・・莫大な收入が得られる仕
    組みになつていたようです。
        ――  ――  ――
    以上を讀んで、なるほど秦漢の昔から、支
    那では「官」も「吏」も基本的には、正規の
    給料で食ふ習慣がなかつたのだと納得した。
    「役得」と言ふと、我等日本人には横領・收
    賄と紛はしい、惡いことのやうに感ぜられる
    が、支那人の場合は根本的に違ふのだらう。
    そして思ひ出したのは大宅壯一の次の囘想で
    ある。
    # # #
    戰爭中、私は、徴用されて南方にいたが、
    私たちの組織で使つている中國人が買物をす
    るたびに頭をハネるということをきいて、本
    人を呼び出して調べてみた。すると、彼は率
    直にそれを認めた。しかし、それは惡い習慣
    だから今日限り改めろといつても、かれには
    どうしてもその理由がのみこめないのである。
    その商品を買うためには、自分が仲に入つて
    その商品と商店を選ぶのに盡力した以上、一
    割の手數料をとるのはどこが惡いといつて、
    なんと説明しても納得しない。私があまりし
    つこく追及すると、彼は急にうなずいていつ
    た。
    「よくわかりました。今後は商人から手數料
    を二割とつて、一割はトアン(旦那)のほう
    へお屆けします」
    これには私もあいた口がふさがらなかつた
    が、その後よく調べてみると、これはかれら
    の間に古くから普遍的に行われている習慣で
    あつて、日本式潔癖さで干渉してみたところ
    で容易に改められるものではないことがわか
    つた。(大宅は、それに感染した日本人の間
    で、戰後、支那方式が蔓延しつつあると嘆い
    てゐる)。
    # # #
    幕末に來日したシュリーマンは清と日本の
    役人を比較して、前者は平然と賄賂を取る、
    後者は取らずに廉潔だと言つてゐる。しかし、
    さう簡單に割切れるものだらうか。なにしろ
    彼らは二千數百年間、「默認」された「役得」
    で食つてきたのであり、これと「賄賂」を截
    然と分けられるか疑問である。
    共産支那の抱へる大きな問題として、黨幹部
    の「腐敗」が屡々擧げられる。腐敗根絶といつ
    た掛け聲をよく耳にするが、大抵掛け聲だけで
    終るやうだ。
    けふの産經にも「黨官僚は公金の8%以上
    をくすねている」「さすがに黨官僚の不正を
    胡錦濤指導部も灰色のまま放置できなくなつ
    た」「(全人代で)温家寶首相は『灰色收入
    の斷乎取り締まり』を打ち出した。しかし、
    幹部から異論が續出、結局うやむやにされて
    しまつた」といつた記事が載つてゐる。
    なにしろ、「頭をハネる」ことが惡いと思
    はぬ民族なのだから、事はさう簡單に進む筈
    はない。共産主義・共産黨だけの問題ではな
    からう。「灰色」と「白」はどこで區切るの
    か。7.5%なら白か(「默認」していいの
    か)。
    東南アジアや中東で仕事を取るには、相當
    の賄賂ないしはコミッションは當然の必要經
    費とは、日本企業の人たちがよく語るところ。
    我々日本人とは、まるでメンタリティが違
    ふのだらう。日本の役人にも賄賂を取る奴は
    ゐるが、「惡い」こととは分つてゐる筈だ。

    足立誠之さんの「朝青龍問題というブーメ
    ラン」を興味深く拜讀し、共感を覺えました。
    「日本人には當り前に見えることでもモン
    ゴルの力士には理解し難いことばかりではな
    いか」――そのとほりでせう。そして、それ
    は「頭をハネる」ことについても、言へるの
    ではではないでせうか。つまりidenti
    tyの違ひです。
    最近、日本國内のあちこちに新たなコリア
    ンタウン、チャイナタウンが出現しつつある
    さうです。彼らの生活態度について、周邊の
    人から聞くと、驚くことばかりです。彼らと
    日本人とを、同じ「人類」といふ範疇に入れ
    ていいのかとさへ思はれてきます。
    「何の軋轢もなく總てが理解しあえるとい
    うことは絶對にありえない」との足立説に再
    び同意せざるを得ません。 以上

    太安万侶の交用音訓は結構だが、西尾先生の仮名遣ひ論は、実に精緻な分析と透徹した眼力にもかかはらず、
    最後の詰めが足りず、私としては、賛成出来ませんでした。そこで、国語学の泰斗萩野貞樹先生のお智慧を
    借りながら、何度も異議申し立てをしました。その経緯について私は坦々塾のブログに書きましたが、西尾
    先生御自身も本欄(リンク過去録)にお書きになつてゐます。よほどお忙しかつたのでせう、ずゐぶん御機
    嫌が悪い。

    近況至急報告
               西尾 幹二  H16/04/17(Sat)23:28 No.85

     私はいま「江戸のダイナミズム」第18回の〆切り日直前で、睡眠時間は削れないので散歩時間をゼロにして、風呂に入る時間も惜しんでいる毎日であるため、気になりながら「橋本進吉」(二)が書けないままで20日近くが流れました。

     「江戸のダイナミズム」はあと3回で、体操競技でいう着地寸前にあり、着地に失敗すると大幅減点になりますので、いたく緊張しているのです。『古事記』と本居宣長と日本古代の文字表記をめぐる本に毎日没頭していて、イラク人質事件は人並みにバカらしいと思っただけでやり過しました。

     3人の人質は帰国後、自作自演が裏づけられたら、あるいは犯人側と密約をして行動したと判ったなら、逮捕されるでしょう。そう期待しています。報道ステーションの古舘は醜悪の一語です。(久米さんが懐かしい。オヤ?)

     間もなく紹介しますが、この20日の間に5月と7月に出す2冊の自著の整理と準備が入りました。5月から9月までに4冊の自著が出版される予定なので、たしかに異常な時間欠乏状態なのです。(日録本の第二弾もあります。)

     これとは別に、産経が7月から来年4月までに長期連載する「地球日本史」の執筆者39名と各人の論文のタイトルの選定が2月頃から私のコーディネーションに委ねられていて、今週これもようやく最終決着をみました。

     私の知友に池田俊二さんという方がいる話は前に何度も書きましたが、彼が旧仮名論者で、拙論「万葉仮名・契沖・藤原定家・現代仮名遣い」について、現代仮名遣いの原理的容認は原理的に不可能ではないか。なぜなら現代仮名遣いには、自己完結の原理はないのだから、という意味のことを言ってきました。私は時間がないさなかですが、大急ぎで彼にファクスで箇条書きの文章を回答しました。以下にご参考に供します。

    ===========

     池田様

     お察しのとおり時間がないときなので、略記します。私の考え方のうち一番肝心な点をあなたは故意に見落としています。

    1)現代かなづかいは仮名遣いに非ず、と私は言っているのです。
    2)現代かなづかいに仮名遣いの原理はない、ということを私も認めています。
    3)現代かなづかいは「はーわ、へーえ、おーを」を除いて音符に近づいている、と私は言っています。音符としても不正確ですが、ともかく仮名遣いであることをやめようとしているのです。
    4)万葉仮名の「音仮名」は音符に近い。先祖返りではないか、と言っているのです。(これは誰もまだ言っていないし国語学的に正しいかどうかも私には分りません。しかし橋本進吉理論を追及するとそうなります。)
    5)仮名遣いは、乱れ、不正確、不統一が宿命なのです。橋本氏の言うとおり、音は動き、文字の書き方は簡単に動かないからズレが生じる——それが仮名遣いだからです。
    6)どこまで「乱れ、不正確、不統一」を許容するかの問題なのです。
    7)漢字仮名交り文では、仮名の表意性の必要は平安より鎌倉へ、鎌倉より江戸へとどんどん減っていきました。漢字が表意性を守っている現代において仮名の表意性はどこまで必要か。
    8)もう一つ今まで言っていませんでしたが、明治末年生まれの私の母は変体仮名を多用し、私が読めなくて困ったことを『わたしの昭和史』で書きました。母はえを「江」ともかき、には「尓」とも、のは「乃」とも、他にもいろいろありました。一音一字の定めが政令できめられたのは明治三十三年でした。
    9)あなたは戦後政府に反感をもっていますが、私は明治政府も同じくらいおかしい統制狂だと思っています。仮名遣いは江戸時代の不統一のまま、21世紀まで放置すべきでした。そうなれば落ちつくところに落ちついたはずです。
    10)仮名遣いは「乱れ、不正確、不統一」が『常態』であるという認識が世間一般の常識でありつづけるべきでした。
    11)明治政府が契沖を受け入れて、歴史的仮名遣いを『正則』としたことがそもそもの間違いだったと私は漠然と予感しています。無理強いは破れるのです。いっぺんに奈良朝にもどるというのですから。
    12)福田先生とはまるきり考え方を異としています。私は福田氏に盲從する弟子ではありません。
    13)ただ私は、仮名遣い問題は考え始めたばかりで、徹底して勉強していません。これから残りの人生で考えを煮つめるかどうするか、今の処分りません。
    14)『諸君!』6月号では仮名遣いの問題はもう出てきません。
    ご無礼いたしました。

    これに対して私は「いっぺんに奈良朝にもどる」わけではなく、出発点を奈良朝においてゐるだけで、その後の音韻変化の実態に十分に対応してをり、その意味では、歴史的仮名遣ひは、一種の「現代仮名遣ひ」でもあること、明治の施策と戦後のそれを同日に論じることはできない、前者にあつて後者にないのは「志」であるなどと反論したかと思ひますが、詳しいことは覚えてゐません。ともかくも、先生は「現代かなづかいは仮名遣いに非ず」といふところまで極められたのだから、あと一歩だつた。惜しい!如何に御多忙でも、と今も地団太を踏む思ひです。

    といつた調子でつづけたらきりがないので、あと一つで終りに。『江戸のダイナミズム』を受贈した際、私ははがきで礼状を出しましたが、それが、出版記念会で配られるパンフレットに載せられました。
    ―― いま、二回目の真ん中あたりに来て、ほんとうに久しぶりに読書らしい読書を愉しんでゐますが、一言だけ感想を申し上げたくなりました。あるいは、御著を一言をもつて評すれば、かういふことになるのではないかといふ気がしてきました。それは著者が『契沖伝』の久松潜一と全く逆の行き方をしてゐるといふことです。「契沖の作業場の姿が浮かんできません。日々彼が何に呻吟し、言葉選びにどういう工夫をしていたか、そこを書かなければ・・・」「肝心なことーー契沖の心がすっぽりと抜けている」のに対して、御著では、あの厖大な数の登場人物が(勿論与へられたスペースに応じてではありますが)、全て活き活きと動いてゐます。そして「心」を見せてゐます。彼等が何に苦しみ、何を喜び、何をごまかさうとしたかまで、相当程度見えます。これは著者が彼らの言動を手がかりに、能ふ限り深奥まで分け入つて見たことの一端だからでせう。私には孔子の「心」まで、いくらか見えてきたやうな気がします。――

    以上、支離滅裂なことを書き殴つて申し訳ありません。しかも、自分のことばかり。ただし、私には、貴兄のやうな、うら若い、慎み深い人の志を踏みにじるつもりは全くありません。どうぞ、お懲りにならないで下さい。いづれ、貴兄とじつくり向き合へれば・・・。
    西尾先生が自ら登場されればよろしいのでせうが、お元気ではいらつしやるものの、」今、全集の追ひ込みの追ひ込みに這入つてゐるので、なかなか・・・。本欄などからは、去りたければご自由にどうぞ。でも、貴兄は先生の「心」を感じ取つてをられるのですから・・・、その点は安心してゐます。どうぞよろしく。

  10. 池田俊二様

    私の拙文を読んでくださり有難うございます。お褒めいただきました箇所は表現に苦労いたしました。まさか、池田様から返信が貰えるなんて思いませんで興奮して涙を流しております。最初の文は初めて読みました。私に対するコメントの前の文は西尾幹二全集20巻の後記で読ませていただきました。池田様に関しましては別の巻になりますが、西尾幹二全集第14巻「人生論集」で掘り下げて西尾先生と対談しているのも拝読させていただいております。改めて読みたいと思います。あと、踏みにじっているだなんてとんでもないです。そんなことは微塵も思っておりませんのでご安心ください。

    また、池田様は「心」を強調されました。後記のことだと直ぐにわかりました。私は若いながらも表現は違いますが、今回投稿した内容にもありましたように西尾先生の心を後世に残したい所存でおります。だからこそ、全集を集め読むだけではなく私の言葉で書評をするという行動を取っております。それまでに西尾先生の過去の著書ばかり読んでいて時間がかかったのですが…。これからも書評を載せたいと思っておりますので何卒この若人にご鞭撻下さい。

    西尾先生におかれましては、まだまだ書き続けるとブログで仰られておりましたので壮健であらせられることは推察いたします。私はあの文章を読んだ時にこの姿勢こそが辿り着くべき老成であると確信したのであります。西尾幹二全集22巻AとBの上梓をお待ち申し上げております。

    改めて池田様、コメントくださり有難うございました。

  11. 鷹 様

    「西尾先生の心を後世に残したい所存」とは頼もしい!「私の言葉で書評をする」は、その為の王道ですね。私は先生より五歳若いだけで、さういふ活動をする能力は最早全くなく、貴兄に期待するところ大です。

    昨日は22巻Aの月評として掲載予定の自身の文章(月評では最後です)を校正させられましたが、そこに「先生は保守=悪の時代に活動を始め、逆風にさらされた」「然るに、”保守”で商売が成り立つやうになると、そこへ四方八方から、有象無象がドッと雪崩れ込んできた」「先生としては片腹痛かつたらうが、教科書運動は政治運動なのだから、数が大事で、有象無象を全て排除することができず、これを活用しようとして、散々苦渋を舐められた」などと書きました。

    政治としては当り前のことでせうが、先生のやうな、純真な人の苦痛は察するに余りあります。貴兄も多分、さういふ点には、既に気づいてをられることでせう。因みに、ここの管理人は嘗て中核派による日比谷公園・松本楼焼き討ちに加はりましたが、今は涼しい顔で、靖国だの、教育勅語だの、夫婦別姓反対!だのと叫んでゐます。貴兄には関係のないことですが、レッテルやスローガンで判断することは危険ですね。

    ともあれ、御健闘を祈ります。

  12. 池田俊二様

    ご期待に添えるようがんばります。西尾先生にご覧いただける機会がありましたら望外の喜びです。

    教科書運動発足時はまだ5歳でした。まだよく分かりません。ただ、21巻Aの中の「 臆病者の思想を排す——小林よしのり氏を論ず 」に関連しているのだろうと思います。また、西尾先生の政治に対する苦痛は文章から感じますし講演でも度々吐露するところがあったと思っています。たとえば、西村幸祐先生のYouTubeチャンネルで「ニーチェの言葉 「神は死せり」」(歴史の真贋でも拝読いたしました)でGHQ焚書図書開封に対して「辞めたい。誰かに譲りたいけれど私のメモが面白いから続けて欲しいと言われている。私の代表作だなんて思わないで欲しい。そのレベルの読者がいることは承知しております、非難はしません、買っていただいているのですから」と仰っており、自分の思想を論じていきたい「飢餓」と西尾先生としてはGHQ焚書図書開封も「政治」という現実と思っておりその現実に衝き当たっている苦しさを感じております。

    レッテルやスローガンについては西尾幹二全集21巻A「日本の歴史に「保守」は存在しない」に関連していると思います。ちょうど昨日読みましたが、レッテル貼りやスローガンは恐ろしいです。まずはその対象の「行動」を見て賛否する論陣を貼ることが肝要と思いました。だからこそ、管理人様も変わってきたのだと思います。

    池田様も日々を健やかにお過ごしください。

  13. 鷹 様

    打てば響くやうな御返信、嬉しくなりました。
    「西尾先生にご覧いただける機会がありましたら」――少し前なら造作もないことだつたのですが。
    今年に這入つて、私は西尾先生とお話してゐません(電話でも)。ただ、国書刊行会の編集者からの手紙に、次の一節がありました。「西尾幹二先生は介護施設に入られましたが、お元気であり、全集残り2巻の完結と新しい作品に取り組まれておられます」。このことは、誰かが“秘密”にしたがつてゐるのかもしれませんが、本屋の知つてゐることを、我々が知つていけない道理はないので、お傳へします。

    西尾先生の「焚書図書開封」についての複雑なお気持を貴兄が的確に把握してをられることに驚きました。私は多分、さういふことだらうと想像した程度です。「誰かに譲りたい」との真剣な思ひに応へて受け継ぐ者が弟子にもゐない。私自身、一時、「西尾門下」を自称しましたが、さういふ能力はほとんどありません。嗚呼。

    「まずはその対象の『行動』を見て」、そのとほりですね、管理人様などは、世間の風のまにまに。気楽なことですが、貴兄のやうに、「お待ちしてゐます」と言はれたのを真に受けて、「ついては・・・」と質問したら、梨の礫。周りが酷い目に遭ひますね。それでゐて、地域の政治的運動に参加する場合は「顧問 西尾幹二 岩田 温」などと並べ立てる抜け目のなさ、ハシッコさーー多分、中核派譲りなのでせう。それを承知の上で、管理人をやらせざるを得ない人材不足と、先生の苦しさ。まあ、それが世の中なのかも。

    老い先の短い私などは、ついペシミスティックになりがちですが、貴兄のやうに、これからの人は、現実を見据ゑながらも、一陽来復の気持で、折角御健闘下さるやうお願ひします。

  14. (管理人殿)
    こちらの意向を聞くことなく、「諸般の都合」で勝手に、人の投稿を消す権限など、管理人にないこともお分りになつてゐないみたいですね。それで、自分の気に入らない投稿は葬り去ることができると、独裁者になつたつもりなのでせう。小型ヒトラー。おかげで、西尾先生に倣つて、こちらは「発掘」しなければならず、疲れます。しかし、それも、レクレーションと思へば、愉しい作業です。2回分まとめて再投稿します。また消しますか。当方も控へを取つておく必要がありさうですね。   池田

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    結婚しました 初婚同士二人合わせて142歳 

    標記の題のメールを坦々塾会員のU氏(私とは同日入会の同期生)からいただいた。数人の坦々塾会員宛てにも、なつてゐた:

    いたるところで花が咲き競う春たけなわのこの頃ですが、ご健勝の事とお慶び申し上げます。
    かねてより皆様には坦々塾にて大変お世話になりました。
    私事ながら、ここまで四分の三世紀の間、独身を貫いてきましたが、此度好きな女ができて先月21日(春分の日)に結婚しました。
    相手は、7歳下で同じく初婚。大学で教鞭を執る女性です。
    鬼籍に入る時期が近づいており、もはや子作りなど論外ですし、互いに薹が立つのにいまごろ何が結婚だと冷やかされるのがオチかと思います。
    しかしながら、当人同士は至って本気かつ正気です。
    昨年クリスマスイブの私からの電話に始まって大晦日まで私から彼女への電話攻勢、元旦の夕方に初デートして、4回目のデートの1月10日にプロポーズ、3月中旬過ぎて彼女からOKが出たといった具合です。
    春分の日の前日、私と彼女とで東京八王子市高尾に眠る私の両親・先祖の墓前および、鎌倉の彼女の両親・先祖の眠る墓地に結婚の承諾を得に墓参しました。
    家庭、親族関係、近隣社会、国家をあえて大切にせず、「今だけ、金だけ、自分だけ」が大事とのご時世に、亡き両親や遠い祖先敬愛のきもちを持つこころ根も互いに共感するところでしょうか。
    なお、 二人合せて142歳の身で結婚式や披露宴は野暮だと感じるので特段要請がないかぎり控える所存です。
    今後共、末永くよろしくお願い致します。

    追伸; 西尾幹二先生にはお手紙にて上記の旨お伝えしました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    これに対して私は次の返事を送りました(他の人たちにも届くやう、「全員に返信」で):

    Congratulations !

    いやはや、驚きました。その成り行きについて、あれこれ想像し、思
    ひを巡らせてみましたが、確たるイメーヂは得られません。しかし、
    とても新鮮な気分で、心を洗はれるやうな感じがします。夜中に起き
    てPCを開き、貴メールを発見、以来二時間余、読み返し、反芻し、や
    や新たな思ひに至り、また読み返し・・・を繰り返してゐます。当分
    はこの気持を維持でき、楽しめさうで、自身のために喜んでゐます。

    以前、貴兄が独身にもかかはらず、子供がゐると伺ひましたーー親友
    夫妻の遺児を引き取つて育ててゐる。更には、今、スイスの学校にや
    つてゐる等々。

    その印象は深く、以来、貴兄を、自分とは異次元に住まはれる、端睨
    すべからざる哲学者と仰ぎ畏れつつ、今日に至りました。今度のお知
    らせによつて、その根本は変りませんが、+親しみのやうなものが湧
    いてきました。そこで一句。

    エクレアの影に彩生れ春の昼  三 寸

    「合わせて142歳」ですか。流石に我々の方が大分上です。うちは
    「合はせて163歳」になります。さる4月2日は53rd anniversary
    でありました。こちらの近況もちとーー

    今の私が最も恐れるのは家内に先立たれることです。愛してゐるわけで
    はありません。身の回りのことが、自分では一切できないので、娘二人
    を嫁に出し、夫婦だけの生活をしてゐる今、おいてゆかれたらと思ふと
    慄然とします。もちろん、先に逝きたい・・・

    然るに、困つたことに、自身の死についても、必ずしも、平気ではゐら
    れません。先月、小6の孫と日比谷公園のルーパロマーナの彫像を前に、
    こんなやりとりをしました。
    私「このやうに、人間が精一杯活動した集積が歴史だが、その時々の人間
    は、その時々に消えてゆく。だからこそ、歴史にロマンも悲哀もあるのだが、
    おぢいちやんは死ぬのが怖い・・・」
    孫「おぢいちやん、死ぬといふことは、意識がなくなるといふことだよ。だか
    ら、怖いも怖くないもないよ」
    私「・・・!?」  
    一寸ギャフンといふ感じでした。

    いま一番の楽しみは一番上の孫(今春大学を卒業・就職)と、日本の近代を
    論じることです。孫はレーヴィットの1階・2階論を理解してゐます。

    それに関連して、あるブログにこんなことを書きましたーー
    晴海埠頭公園が最初にできたのはいつか知りませんが、そんなに古いこ
    とではないでせう。でも、岩は苔蒸し、少しは古味が出、風格さへ感じ
    られました。ところが3~4年前、オリンピックの選手村になるとかで、
    公園は根こそぎ掘り返され、岩も木も、ごろごろ放りだされてゐるのを
    見て、なんとも無残な思ひがしました。
    国立競技場も同じ。古くなれば壊して、新しい、一寸見は、その時だけ、
    気の利いたやうなものを作る。着せ替へ人形みたいなものですね。鴎外
    が”普請中”と評した時と変らない、否、年々ひどくなる日本全体の風景
    です。荷風はお堀端の柳を憎んで「あんなものは、城郭を眺めるのに邪
    魔だ」と言つたが、それは後づけで、彼にとつては、江戸時代になくて、
    明治になつてから作られたものは全て悪なのでした。

    まあ、その心には共感せざるを得ません。明治維新は目のくらむやうな
    大成功を収めたが、後続者の怠慢により、引き換へに、「伝統」といふ
    意識を失った。あとは亡国あるのみ。

    先に、ロンドンの古さ・重厚さと、東京の新しさ・薄っぺらさの違ひにシ
    ョックを受けたといふ孫と私が意気投合した際も、この埠頭公園を引き合
    ひに出しました。

    ところが、今日初めて行ってみて、腹が立つかと思ったら、さうでもなく、
    逆にスッキリしました。原っぱだけになつてゐるからです。これなら、新
    しいものを作るにも、古いものを壊す手間が省ける。どうせ我々は伝統の
    形成に与ることはできないのだから、頭のいいやり方です。後は潔く・・
    ・――

    妄言多謝。貴兄の大慶事にかこつけて、しばらくあれこれと空想を楽しみま
    す。
    Bon voyage !       三寸 池田 俊二
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――
    この件について、A氏から「祝福の宴を開いてはいかが」といつた趣旨のメールが来ました(や
    はり、「全員に返信」方式で)。私は次のやうな返事をしました:
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    固より小生は、強く要請したり強要をし得るやうな立場にはありません。
    しかし、もしもAさんが御本人と相談の上、祝宴などを企画され、そこに
    小生も呼んでいただけるのであれば、欣然参加させていただきます。

    その理由の最たるものは、Uさんが、坦々塾の90数%を占める、賤業
    保守や、その餌食たる惰眠保守(安倍総理の戦後70年談話や、憲法9
    条3項論にすら、怒ることも知らない、つまり本当に日本人なのか疑は
    しい人々が圧倒的に多数でした)とは断然選を異にし、自身で「見て・
    感じて・考へ」た上で判断してをられる、稀有の存在であることを感じ、
    その発展・活躍を、心底願ふからです。

    巷に溢れる賎業保守乃至は惰眠保守とは、西尾先生御自身もずゐぶん、関
    はりを持つてこられました。因みに、全集の月報の筆者の中に、商売が賤
    業ならざる人が何人ゐるでせうか。全員が賤業であるとしても、私は先生
    を咎める気にはなりません。

    教科書改善といつた政治運動を進めるには、人数の確保が絶対的に必要で、
    賤業も惰眠(民)も、有象も無象も欠かすことができないといふ事情があ
    る(加へて、先生は寛容です。八木秀次さんをも許すかもしれないとおつ
    しやつたこともあります)に決まつてゐるからです。そして、その延長た
    る坦々塾も同様の構成になることは不可避でせう。

    先生は、外部で、「談話」や「3項」を厳しく批判・否定されました。し
    かし、坦々塾の会員たちが、世間の風向きどほりに、この二つに靡くのを
    御覧になつても、注意されたり叱つたりなさいませんでした。私には、先
    生のお心が理解できるつもりです。

    まあ、たまには、さういふ場(Don’t think層)を離れて、Uさんの心を
    知る人々のみと集ふ――これは、私の切望するところです。

    Aさん、是非ご尽力をお願ひします。

    なほ私は、その為のお力になれないどころか、1年前、腰椎を骨折したた
    めに、杖をついてヨタヨタといつた醜態を晒さざるを得ませんが、なるべ
    く御迷惑をおかけせぬやう、努力することを誓ひます。何分の御高配を賜
    りますやう、皆さまに願ひ上げます。

    池田 俊二
    さて、どういふことになりますか。楽しみが殖えました。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーー
    先の「結婚しました 初婚同士二人合わせて142歳」のお祝ひについての動きがあり、一歩
    前進しました。昨日、U氏たちと私との間で次のやりとり:
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    此度は142歳婚でお騒がせしております。
    私の新婚を機に坦々塾有志の旧交を温めつつお祝い会をしていただ
    くのは嬉しい限りです。
    但し、私の伴侶は少女期よりクラシック音楽畑を邁進してきた女性で、
    坦々塾の皆さまと異なり政治、哲学、歴史の分野に長けておらず、
    むしろ関心の外のこととして人生を歩んだ女性です。
    亡き両親がしっかり育てておられたようなので保守主義的な指向を
    もちますが、確固としてものではありません。
    そのような女性であることを前提でお祝い会を催していただくので
    あれば、嬉しい限りです。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    「前提」については了解致しました。「保守」などといふ陳腐な言葉は見るのもイヤで、私に
    とつても好都合です。
    とすれば、私としては、AさんがUさんと相談の上、然るべく企画して下さるやうお願ひし、他
    の方々の御助力を期待するのみです。

    何やら、ワクワクしてきました。

    因みに、小生は超弩級の音痴で、楽譜もよめません。けれども、クラシッ
    クファンです。しかし、造詣は皆無です。

    Youtube動画「軍艦行進曲を指揮する三島由紀夫」を愛聴(視)してゐま
    す。彼の指揮は、お世辞にも、軽快とか颯爽とか荘重とか言へるものでは
    ありません。怖づ怖づといつた感じで、優しすぎ、時に遅れることも。そ
    こは、もつと大きくタクトを振れと声をかけたくもなります。しかし、そ
    の姿に、如何にも、この醒めた大天才の初心(うぶ)な生真面目さといふ
    本質が表れてゐると思はれ、好感を抱いてゐます。

    そして、三島のうしろの聴衆の嬉しさうな笑顔を見ると、あの安倍売国政
    治に無闇に追随するほど、日本国民が愚かしいとは、どうしても思へず、
    未だ完全に絶望しきつたわけではありません。

    春ぞ逝くタクトにマーチ昂まりて  三 寸

    おつと、これ以上の駄辯は慎み、あとは謹んで祝賀の宴の御案内を待ちま
    す。皆様、何分の御高配を。

    三寸 池田 俊二

  15. ご無沙汰いたしております。 柏崎の小池です。
    私から2件

    1件目 
    U様から私もメイルを頂いきました。
    U様のお人柄を知る一人として、小生石松もとてもハッピーな気もちになりました。
    池田さんのご提案が叶うなら小生も是非参加致したくよろしくお願いします。小生も音楽に関しては門外漢です。カラオケは好きでしたが もう何年もご無沙汰(笑)
    クラシックとはかけ離れますが最近、長渕剛が愛国のシングソングライターであることを知り(コンサート会場で外国人に土地を売らないで、と訴えているとか) 「乾杯」卒業式や結婚式での定番!で お二人の門出をお祝いしたいです。
    もちろん、顔ぶれをみますと みなさんで合唱のイメージは浮かびませんが(笑)

    昨日 A 様からメイルありました。 集いがあるとの由

    取り急ぎ1件目の投稿です。。

  16. (管理人殿)
    2度も、私の投稿を消しましたね。かうなると、完全な犯罪です。取り合へず、下記を三たび投稿します。以前には、「承認待ち」と称して、10日以上rejectされたので、止む無く、渡邊望さんにメールとして送信、日録へ送り込むこんでいただくことによつて、凌ぎました。さて、イタチごつこを続けるか、それとも、あの時のやうに、管理人の暴虐を広く皆様に訴へるか、まもなく決めます。犯意は明かなので、徹底征伐も面白さうですーーできるか分りませんが。まあ、ヒマ人には、いいレクです。

    (管理人殿)
    こちらの意向を聞くことなく、「諸般の都合」で勝手に、人の投稿を消す権限など、管理人にないこともお分りになつてゐないみたいですね。それで、自分の気に入らない投稿は葬り去ることができると、独裁者になつたつもりなのでせう。小型ヒトラー。おかげで、西尾先生に倣つて、こちらは「発掘」しなければならず、疲れます。しかし、それも、レクレーションと思へば、愉しい作業です。2回分まとめて再投稿します。また消しますか。当方も控へを取つておく必要がありさうですね。   池田
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    結婚しました 初婚同士二人合わせて142歳 
    標記の題のメールを坦々塾会員のU氏(私とは同日入会の同期生)からいただいた。数人の坦々塾会員宛も、なつてゐた:
    いたるところで花が咲き競う春たけなわのこの頃ですが、ご健勝の事とお慶び申し上げます。
    かねてより皆様には坦々塾にて大変お世話になりました。
    私事ながら、ここまで四分の三世紀の間、独身を貫いてきましたが、此度好きな女ができて先月21日(春分の日)に結婚しました。
    相手は、7歳下で同じく初婚。大学で教鞭を執る女性です。
    鬼籍に入る時期が近づいており、もはや子作りなど論外ですし、互いに薹が立つのにいまごろ何が結婚だと冷やかされるのがオチかと思います。
    しかしながら、当人同士は至って本気かつ正気です。
    昨年クリスマスイブの私からの電話に始まって大晦日まで私から彼女への電話攻勢、元旦の夕方に初デートして、4回目のデートの1月10日にプロポーズ、3月中旬過ぎて彼女からOKが出たといった具合です。
    春分の日の前日、私と彼女とで東京八王子市高尾に眠る私の両親・先祖の墓前および、鎌倉の彼女の両親・先祖の眠る墓地に結婚の承諾を得に墓参しました。
    家庭、親族関係、近隣社会、国家をあえて大切にせず、「今だけ、金だけ、自分だけ」が大事とのご時世に、亡き両親や遠い祖先敬愛のきもちを持つこころ根も互いに共感するところでしょうか。
    なお、 二人合せて142歳の身で結婚式や披露宴は野暮だと感じるので特段要請がないかぎり控える所存です。
    今後共、末永くよろしくお願い致します。
    追伸; 西尾幹二先生にはお手紙にて上記の旨お伝えしました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    これに対して私は次の返事を送りました(他の人たちにも届くやう、「全員に返信」で):
    Congratulations !
    いやはや、驚きました。その成り行きについて、あれこれ想像し、思
    ひを巡らせてみましたが、確たるイメーヂは得られません。しかし、
    とても新鮮な気分で、心を洗はれるやうな感じがします。夜中に起き
    てPCを開き、貴メールを発見、以来二時間余、読み返し、反芻し、や
    や新たな思ひに至り、また読み返し・・・を繰り返してゐます。当分
    はこの気持を維持でき、楽しめさうで、自身のために喜んでゐます。
    以前、貴兄が独身にもかかはらず、子供がゐると伺ひましたーー親友
    夫妻の遺児を引き取つて育ててゐる。更には、今、スイスの学校にや
    つてゐる等々。
    その印象は深く、以来、貴兄を、自分とは異次元に住まはれる、端睨
    すべからざる哲学者と仰ぎ畏れつつ、今日に至りました。今度のお知
    らせによつて、その根本は変りませんが、+親しみのやうなものが湧
    いてきました。そこで一句。
    エクレアの影に彩生れ春の昼  三 寸
    「合わせて142歳」ですか。流石に我々の方が大分上です。うちは
    「合はせて163歳」になります。さる4月2日は53rd anniversary
    でありました。こちらの近況もちとーー
    今の私が最も恐れるのは家内に先立たれることです。愛してゐるわけで
    はありません。身の回りのことが、自分では一切できないので、娘二人
    を嫁に出し、夫婦だけの生活をしてゐる今、おいてゆかれたらと思ふと
    慄然とします。もちろん、先に逝きたい・・・
    然るに、困つたことに、自身の死についても、必ずしも、平気ではゐら
    れません。先月、小6の孫と日比谷公園のルーパロマーナの彫像を前に、
    こんなやりとりをしました。
    私「このやうに、人間が精一杯活動した集積が歴史だが、その時々の人間
    は、その時々に消えてゆく。だからこそ、歴史にロマンも悲哀もあるのだが、
    おぢいちやんは死ぬのが怖い・・・」
    孫「おぢいちやん、死ぬといふことは、意識がなくなるといふことだよ。だか
    ら、怖いも怖くないもないよ」
    私「・・・!?」  
    一寸ギャフンといふ感じでした。
    いま一番の楽しみは一番上の孫(今春大学を卒業・就職)と、日本の近代を
    論じることです。孫はレーヴィットの1階・2階論を理解してゐます。
    それに関連して、あるブログにこんなことを書きましたーー
    晴海埠頭公園が最初にできたのはいつか知りませんが、そんなに古いこ
    とではないでせう。でも、岩は苔蒸し、少しは古味が出、風格さへ感じ
    られました。ところが3~4年前、オリンピックの選手村になるとかで、
    公園は根こそぎ掘り返され、岩も木も、ごろごろ放りだされてゐるのを
    見て、なんとも無残な思ひがしました。
    国立競技場も同じ。古くなれば壊して、新しい、一寸見は、その時だけ、
    気の利いたやうなものを作る。着せ替へ人形みたいなものですね。鴎外
    が”普請中”と評した時と変らない、否、年々ひどくなる日本全体の風景
    です。荷風はお堀端の柳を憎んで「あんなものは、城郭を眺めるのに邪
    魔だ」と言つたが、それは後づけで、彼にとつては、江戸時代になくて、
    明治になつてから作られたものは全て悪なのでした。
    まあ、その心には共感せざるを得ません。明治維新は目のくらむやうな
    大成功を収めたが、後続者の怠慢により、引き換へに、「伝統」といふ
    意識を失った。あとは亡国あるのみ。
    先に、ロンドンの古さ・重厚さと、東京の新しさ・薄っぺらさの違ひにシ
    ョックを受けたといふ孫と私が意気投合した際も、この埠頭公園を引き合
    ひに出しました。
    ところが、今日初めて行ってみて、腹が立つかと思ったら、さうでもなく、
    逆にスッキリしました。原っぱだけになつてゐるからです。これなら、新
    しいものを作るにも、古いものを壊す手間が省ける。どうせ我々は伝統の
    形成に与ることはできないのだから、頭のいいやり方です。後は潔く・・
    ・――
    妄言多謝。貴兄の大慶事にかこつけて、しばらくあれこれと空想を楽しみま
    す。
    Bon voyage !       三寸 池田 俊二
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーー
    この件について、A氏から「祝福の宴を開いてはいかが」といつた趣旨のメールが来ました(や
    はり、「全員に返信」方式で)。私は次のやうな返事をしました:
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    固より小生は、強く要請したり強要をし得るやうな立場にはありません。
    しかし、もしもAさんが御本人と相談の上、祝宴などを企画され、そこに
    小生も呼んでいただけるのであれば、欣然参加させていただきます。
    その理由の最たるものは、Uさんが、坦々塾の90数%を占める、賤業
    保守や、その餌食たる惰眠保守(安倍総理の戦後70年談話や、憲法9
    条3項論にすら、怒ることも知らない、つまり本当に日本人なのか疑は
    しい人々が圧倒的に多数でした)とは断然選を異にし、自身で「見て・
    感じて・考へ」た上で判断してをられる、稀有の存在であることを感じ、
    その発展・活躍を、心底願ふからです。
    巷に溢れる賎業保守乃至は惰眠保守とは、西尾先生御自身もずゐぶん、関
    はりを持つてこられました。因みに、全集の月報の筆者の中に、商売が賤
    業ならざる人が何人ゐるでせうか。全員が賤業であるとしても、私は先生
    を咎める気にはなりません。
    教科書改善といつた政治運動を進めるには、人数の確保が絶対的に必要で、
    賤業も惰眠(民)も、有象も無象も欠かすことができないといふ事情があ
    る(加へて、先生は寛容です。八木秀次さんをも許すかもしれないとおつ
    しやつたこともあります)に決まつてゐるからです。そして、その延長た
    る坦々塾も同様の構成になることは不可避でせう。
    先生は、外部で、「談話」や「3項」を厳しく批判・否定されました。し
    かし、坦々塾の会員たちが、世間の風向きどほりに、この二つに靡くのを
    御覧になつても、注意されたり叱つたりなさいませんでした。私には、先
    生のお心が理解できるつもりです。
    まあ、たまには、さういふ場(Don’t think層)を離れて、Uさんの心を
    知る人々のみと集ふ――これは、私の切望するところです。
    Aさん、是非ご尽力をお願ひします。
    なほ私は、その為のお力になれないどころか、1年前、腰椎を骨折したた
    めに、杖をついてヨタヨタといつた醜態を晒さざるを得ませんが、なるべ
    く御迷惑をおかけせぬやう、努力することを誓ひます。何分の御高配を賜
    りますやう、皆さまに願ひ上げます。
    池田 俊二
    さて、どういふことになりますか。楽しみが殖えました。
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーー
    先の「結婚しました 初婚同士二人合わせて142歳」のお祝ひについての動きがあり、一歩
    前進しました。昨日、U氏たちと私との間で次のやりとり:
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    此度は142歳婚でお騒がせしております。
    私の新婚を機に坦々塾有志の旧交を温めつつお祝い会をしていただ
    くのは嬉しい限りです。
    但し、私の伴侶は少女期よりクラシック音楽畑を邁進してきた女性で、
    坦々塾の皆さまと異なり政治、哲学、歴史の分野に長けておらず、
    むしろ関心の外のこととして人生を歩んだ女性です。
    亡き両親がしっかり育てておられたようなので保守主義的な指向を
    もちますが、確固としてものではありません。
    そのような女性であることを前提でお祝い会を催していただくので
    あれば、嬉しい限りです。

    ところで、ある人から、次のメールがきました。管理人さんの手口は既に割れてゐるやうですね。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    「前提」については了解致しました。「保守」などといふ陳腐な言葉は見るのもイヤで、私に
    とつても好都合です。
    とすれば、私としては、AさんがUさんと相談の上、然るべく企画して下さるやうお願ひし、他
    の方々の御助力を期待するのみです。
    何やら、ワクワクしてきました。
    因みに、小生は超弩級の音痴で、楽譜もよめません。けれども、クラシッ
    クファンです。しかし、造詣は皆無です。
    Youtube動画「軍艦行進曲を指揮する三島由紀夫」を愛聴(視)してゐま
    す。彼の指揮は、お世辞にも、軽快とか颯爽とか荘重とか言へるものでは
    ありません。怖づ怖づといつた感じで、優しすぎ、時に遅れることも。そ
    こは、もつと大きくタクトを振れと声をかけたくもなります。しかし、そ
    の姿に、如何にも、この醒めた大天才の初心(うぶ)な生真面目さといふ
    本質が表れてゐると思はれ、好感を抱いてゐます。
    そして、三島のうしろの聴衆の嬉しさうな笑顔を見ると、あの安倍売国政
    治に無闇に追随するほど、日本国民が愚かしいとは、どうしても思へず、
    未だ完全に絶望しきつたわけではありません。
    春ぞ逝くタクトにマーチ昂まりて  三 寸
    おつと、これ以上の駄辯は慎み、あとは謹んで祝賀の宴の御案内を待ちま
    す。皆様、何分の御高配を。

    三寸 池田 俊二

    1. (管理人殿)

      管理人の横暴(ごく一部ですが)は既に、下記のやうに、かなりの範囲に周知されてゐるやうです。天網恢恢疎・・・。
      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
      みなさま

      新潟から 参上致したく!よろしくお願いします。
      ところで 今ほど(4月25日 6時) 日録の投稿「朝までナマTV」
      削除されています。

      敵もあらゆる手口で襲ってきます それだけ日録の影響は大きいということの
      裏返し!? こまったものですね

      → 長谷川さんのブログをみましたら「諸事情」で削除されているとのことです
        

  17. 小池(越後の石松)親分

    「乾杯」ですか。
    私は調子外れながら、宝塚の「菫の花・・・」を。
    あれも、クラシック音楽なのでせう。

  18. 2件目
    Twitter 及び 朝ナマ 削除されていますが、復旧するもんと信じて。

    朝まで生TV 西尾先生の動画は小生も何度もみました。著作権とか心配もしましたが、(SNSの世界はビギナーでしたし問題になるかもと) あちらこちらに拡散されているので 気にもとめず自身のFBにアップしました。黒ユリ様が書き込まれたとおり「頭を抱える辛淑玉氏」とのタイトル。 印象的だったの頭を抱えた辛淑玉のみならず出演者の神妙な表情西尾先生の正論に聞き入っていたこと。『「正論」という鉄砲玉』が急所に突き刺さったように。
    3分あまりの先生発言しかありませんから この後、どんな議論となったのかは不明です。 

    朝まで生TV の成功をもってTV朝日は89年頃日曜 朝番組で「サンデープロジェクト」を田原総一朗を討論ホストとしてを製作します。NHKの日曜討論、TBSサンデープロジェクトに対抗してですが、そこそこに(5~6%の視聴率)はあったようです。
     ところで話題が 西尾先生の「朝ナマ の正論」から飛んで恐縮ですが 2002年の
    サンデープロジェクトで 以下のようなことがありました。高市早苗氏の投稿の一部を掲載します。
    ~~~~~~~~~~~~~
    2002年サンデープロジェクト 高市早苗

    8月18日放送の「サンデー・プロジェクト」にて、田原総一朗さんが、私に対しておっしゃった言葉について、25日の番組で謝罪がありました。

     18日の放送では、「満州事変以降の戦争は、日本にとって自存自衛の戦争だったと思うか?」との田原さんの問いに対して「セキュリティーの為の戦争だったと思う」と私が答えた途端、田原さんがまくしたて始めました。「下品で無知な人にバッジつけて靖国のことを語ってもらいたくない」「こういう幼稚な人が下品な言葉で靖国、靖国って言う」「靖国神社に行ったら、下品な人間の、憎たらしい顔をしたのが集まっている」
     全国ネットの生番組で突然「下品」といった言葉で罵倒され、あまりの出来事にしばし茫然。数分前に「国立追悼施設新設の是非」について私が行なった説明の中に下品な言葉遣いでもあったのかしら・・と思いを巡らしながらも怒りが込み上げ、怒鳴り返したいのを我慢して座っているのが精一杯でした。その後、この件では反論のタイミングも得られないままに番組が終了。

     翌日、電話で田原さんから「下品という表現は申し訳なかった。高市さん個人の事を言ったのではなく、国会議員が集団で靖国神社に参拝することは良いと思わないし、今日も右翼から電話があったが、靖国に参拝される方の中に下品な人が多いということを言いたかった」とお詫びが有り、後日、「サンデー・プロジェクト」のプロデューサーが議員会館に足を運んで下さいました。「私たちには、個人の人格攻撃になる言葉を放送したという『放送責任』というものがありますから、次回の番組できちんと謝罪します」とのことでした。
     プロデューサーの誠実な人柄に接し「十分に名誉回復していただけますね」と念を押した上で、改めて私の戦争についての考え方もご説明しました。下記の内容です。

    (戦後教育を受けた私の「現代人としての価値観」や「現在の国際法」に照らして考えると、他国の領土・領海・領空内で行なう戦闘行為の殆どは(同盟国への防衛協力の場合等を除く)、「侵略行為」である。しかし、「日本にとって」「自存自衛の戦争だったか」ということなら、そうだったと思っている。その問いは「当時における戦争の位置付け」を問われたものと理解したから。欧米列強の植民地支配が罷り通っていた当時、国際社会において現代的意味での「侵略」の概念は無かったはずだし、国際法も現在とは異なっていた。個別の戦争の性質を捉える時点を「現代」とするか「開戦当時」とするかで私の答え方は違ったものになったとは思うが、私は常に「歴史的事象が起きた時点で、政府が何を大義とし、国民がどう理解していたか」で判断することとしており、現代の常識や法律で過去を裁かないようにしている。)

     その後、プロデューサーから、「25日の番組では、高市の考え方も改めて紹介した上で、『無知』『下品』をいった表現について謝罪をする」「(私が25日に出演しないことから)当番組は欠席裁判はしないこととしている」旨、ご連絡をいただきました。(その後欠席裁判となったことが記載されているが省略します)

  19. 越後の親分(小池)様

    田原総一郎の件、全然知りませんでした。サアーッと読むだけで、一挙に物知りになりました。感謝。

    ところで、小生のところへ、某氏から、次のメールが来てゐます。
    「え~~
    そうだったんですか。。。 消されるとは
    長谷川管理人の胸先三寸で すべて ハンドリングとは。
    泥棒猫が鰹節の番をしているようなものですね」

  20. 某氏から、また追加コメント。

    「池田さんのコメントは残り、
    クロユリさん、仁王門さん 鷹さんらの コメントが消えて
    いることを確認 彼らの思い、コメントもとても良いコメントですよね。
    あのお方。。。 何を考えておられるのか」
    黒百合さんたち、とんだとばっちりですね。my commentは残つたのではなく、自分で復活したのです。間もなく、消されるかもしれませんが、楽しみです。いいレクになることでせう。

  21. (管理人殿)
     
    また消しましたね。3度目です。根気がいいですね。 「諸事情」とは聞いた風な、思はせぶりな言葉ですが、自分が気に入らないだけですね。自身を含めたDon‘t think 層のウロチョロぶりが公けにされた・・・。あんな古い朝ナマ動画のアップに問題などある筈がありません。況や、朝ナマに一切無関係な拙稿に於いてをや。

    某氏から、次のメールがきました。
    「そうか! 勘違いしていました。
    小生がお送りした『長谷川さんのブログでの諸事情』とは 
    そいう言事だったんですね。 私は動画の再掲にクレームが
    ついたものと安易に考えていました。 自身でも投稿しましたが
    あちらこちらで拡散されているので問題はないですよ。」

    もう少しで、騙しきるところでしたね。残念! 自分を騙し、人を騙しーー「他人の目を瞞すことは、時には十分生産的ですが、自分で自分を瞞すことに救ひはありません」とされる西尾先生が御覧になつたら、なんとおつしやるか。その人生論的意味など管理人さんにはチンプンカンプンでせう。

    従つて4度目の投稿をします。同じものですが、一回ごとに推敲するので、おかげさまで、少しは改善されたのでは。呵々。また消しますか。言ひたくはないが、泥棒猫が、自身の悪アガキによつて、益々泥沼にどんどん沈んで行くのを助ける義務はありません。

    かかる品性と知能程度のお方に、先生のブログで巡りあふとは、これも人生の楽時でせうね。

    (管理人殿)
    2度も、私の投稿を消しましたね。かうなると、完全な犯罪です。取り合へず、下記を三たび投稿します。以前には、「承認待ち」と称して、10日以上rejectされたので、止む無く、渡邊望さんにメールとして送信、日録へ送り込むこんでいただくことによつて、凌ぎました。さて、イタチごつこを続けるか、それとも、あの時のやうに、管理人の茶番を広く皆様に訴へるか、まもなく決めます。犯意は明かなので、徹底征伐も面白さうですーーできるか分りませんが。まあ、ヒマ人には、いいレクです。
    (管理人殿)
    こちらの意向を聞くことなく、「諸都合」で勝手に、人の投稿を消す権限など、管理人にないこともお分りになつてゐないみたいですね。それで、自分の気に入らない投稿は葬り去ることができると、独裁者になつたつもりなのでせう。小型ヒトラー。おかげで、西尾先生に倣つて、こちらは「焚書発掘」をしなければならず、疲れます。しかし、それも、レクレーションと思へば、愉しい作業です。2回分まとめて再投稿します。また消しますか。当方も控へを取つておく必要がありさうですね。   池田
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    結婚しました 初婚同士二人合わせて142歳 

    標記の題のメールを坦々塾会員のU氏(私とは同日入会の同期生)からいただいた。数人の坦々塾会員宛も、なつてゐた:
    いたるところで花が咲き競う春たけなわのこの頃ですが、ご健勝の事とお慶び申し上げます。
    かねてより皆様には坦々塾にて大変お世話になりました。
    私事ながら、ここまで四分の三世紀の間、独身を貫いてきましたが、此度好きな女ができて先月21日(春分の日)に結婚しました。
    相手は、7歳下で同じく初婚。大学で教鞭を執る女性です。
    鬼籍に入る時期が近づいており、もはや子作りなど論外ですし、互いに薹が立つのにいまごろ何が結婚だと冷やかされるのがオチかと思います。
    しかしながら、当人同士は至って本気かつ正気です。
    昨年クリスマスイブの私からの電話に始まって大晦日まで私から彼女への電話攻勢、元旦の夕方に初デートして、4回目のデートの1月10日にプロポーズ、3月中旬過ぎて彼女からOKが出たといった具合です。
    春分の日の前日、私と彼女とで東京八王子市高尾に眠る私の両親・先祖の墓前および、鎌倉の彼女の両親・先祖の眠る墓地に結婚の承諾を得に墓参しました。
    家庭、親族関係、近隣社会、国家をあえて大切にせず、「今だけ、金だけ、自分だけ」が大事とのご時世に、亡き両親や遠い祖先敬愛のきもちを持つこころ根も互いに共感するところでしょうか。
    なお、 二人合せて142歳の身で結婚式や披露宴は野暮だと感じるので特段要請がないかぎり控える所存です。
    今後共、末永くよろしくお願い致します。

    追伸; 西尾幹二先生にはお手紙にて上記の旨お伝えしました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    これに対して私は次の返事を送りました(他の人たちにも届くやう、「全員に返信」で):

    Congratulations !
    いやはや、驚きました。その成り行きについて、あれこれ想像し、思
    ひを巡らせてみましたが、確たるイメーヂは得られません。しかし、
    とても新鮮な気分で、心を洗はれるやうな感じがします。夜中に起き
    てPCを開き、貴メールを発見、以来二時間余、読み返し、反芻し、や
    や新たな思ひに至り、また読み返し・・・を繰り返してゐます。当分
    はこの気持を維持でき、楽しめさうで、自身のために喜んでゐます。
    以前、貴兄が独身にもかかはらず、子供がゐると伺ひましたーー親友
    夫妻の遺児を引き取つて育ててゐる。更には、今、スイスの学校にや
    つてゐる等々。

    その印象は深く、以来、貴兄を、自分とは異次元に住まはれる、端睨
    すべからざる哲学者と仰ぎ畏れつつ、今日に至りました。今度のお知
    らせによつて、その根本は変りませんが、+親しみのやうなものが湧
    いてきました。そこで一句。

    エクレアの影に彩生れ春の昼  三 寸

    「合わせて142歳」ですか。流石に我々の方が大分上です。うちは
    「合はせて163歳」になります。さる4月2日は53rd anniversary
    でありました。こちらの近況もちとーー

    今の私が最も恐れるのは家内に先立たれることです。愛してゐるわけで
    はありません。身の回りのことが、自分では一切できないので、娘二人
    を嫁に出し、夫婦だけの生活をしてゐる今、おいてゆかれたらと思ふと
    慄然とします。もちろん、先に逝きたい・・・
    然るに、困つたことに、自身の死についても、必ずしも、平気ではゐら
    れません。先月、小6の孫と日比谷公園のルーパロマーナの彫像を前に、
    こんなやりとりをしました。

    私「このやうに、人間が精一杯活動した集積が歴史だが、その時々の人間
    は、その時々に消えてゆく。だからこそ、歴史にロマンも悲哀もあるのだが、
    おぢいちやんは死ぬのが怖い・・・」
    孫「おぢいちやん、死ぬといふことは、意識がなくなるといふことだよ。だか
    ら、怖いも怖くないもないよ」
    私「・・・!?」  
    一寸ギャフンといふ感じでした。

    いま一番の楽しみは一番上の孫(今春大学を卒業・就職)と、日本の近代を
    論じることです。孫はレーヴィットの1階・2階論を理解してゐます。
    それに関連して、あるブログにこんなことを書きましたーー
    晴海埠頭公園が最初にできたのはいつか知りませんが、そんなに古いこ
    とではないでせう。でも、岩は苔蒸し、少しは古味が出、風格さへ感じ
    られました。ところが3~4年前、オリンピックの選手村になるとかで、
    公園は根こそぎ掘り返され、岩も木も、ごろごろ放りだされてゐるのを
    見て、なんとも無残な思ひがしました。
    国立競技場も同じ。古くなれば壊して、新しい、一寸見は、その時だけ、
    気の利いたやうなものを作る。着せ替へ人形みたいなものですね。鴎外
    が”普請中”と評した時と変らない、否、年々ひどくなる日本全体の風景
    です。荷風はお堀端の柳を憎んで「あんなものは、城郭を眺めるのに邪
    魔だ」と言つたが、それは後づけで、彼にとつては、江戸時代になくて、
    明治になつてから作られたものは全て悪なのでした。
    まあ、その心には共感せざるを得ません。明治維新は目のくらむやうな
    大成功を収めたが、後続者の怠慢により、引き換へに、「伝統」といふ
    意識を失った。あとは亡国あるのみ。
    先に、ロンドンの古さ・重厚さと、東京の新しさ・薄っぺらさの違ひにシ
    ョックを受けたといふ孫と私が意気投合した際も、この埠頭公園を引き合
    ひに出しました。
    ところが、今日初めて行ってみて、腹が立つかと思ったら、さうでもなく、
    逆にスッキリしました。原っぱだけになつてゐるからです。これなら、新
    しいものを作るにも、古いものを壊す手間が省ける。どうせ我々は伝統の
    形成に与ることはできないのだから、放置して差し支へない。頭のいいや
    り方です。後は潔く・・・――

    妄言多謝。貴兄の大慶事にかこつけて、しばらくあれこれと空想を楽しみま
    す。
    Bon voyage !       三寸 池田 俊二
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーー
    この件について、A氏から「祝福の宴を開いてはいかが」といつた趣旨のメールが来ました(や
    はり、「全員に返信」方式で)。私は次のやうな返事をしました:
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    固より小生は、強く要請したり強要をし得るやうな立場にはありません。
    しかし、もしもAさんが御本人と相談の上、祝宴などを企画され、そこに
    小生も呼んでいただけるのであれば、欣然参加させていただきます。

    その理由の最たるものは、Uさんが、坦々塾の90数%を占める、賤業
    保守や、その餌食たる惰眠保守(安倍総理の戦後70年談話や、憲法9
    条3項論にすら、怒ることも知らない、つまり本当に日本人なのか疑は
    しい人々が圧倒的に多数でした)とは断然選を異にし、自身で「見て・
    感じて・考へ」た上で判断してをられる、稀有の存在であることを感じ、
    その発展・活躍を、心底願ふからです。

    巷に溢れる賎業保守乃至は惰眠保守とは、西尾先生御自身もずゐぶん、関
    はりを持つてこられました。因みに、全集の月報の筆者の中に、商売が賤
    業ならざる人が何人ゐるでせうか。全員が賤業であるとしても、私は先生
    を咎める気にはなりません。

    教科書改善といつた政治運動を進めるには、人数の確保が絶対的に必要で、
    賤業も惰眠(民)も、有象も無象も欠かすことができないといふ事情があ
    る(加へて、先生は寛容です。八木秀次さんをも許すかもしれないとおつ
    しやつたこともあります)に決まつてゐるからです。そして、その延長た
    る坦々塾も同様の構成になることは不可避でせう。

    先生は、外部で、「談話」や「3項」を厳しく批判・否定されました。
    しかし、坦々塾の会員たちが、世間の風向きどほりに、この二つに靡くのを
    御覧になつても、注意されたり叱つたりなさいませんでした。坦々塾をそこ
    まで鍛へることはない・・・私には、先生のお心が理解できるつもりです。
    まあ、たまには、さういふ場(Don’t think層)を離れて、Uさんの心を
    知る人々のみと集ふ――これは、私の切望するところです。

    Aさん、是非ご尽力をお願ひします。
    なほ私は、その為のお力になれないどころか、1年前、腰椎を骨折したた
    めに、杖をついてヨタヨタといつた醜態を晒さざるを得ませんが、なるべ
    く御迷惑をおかけせぬやう、努力することを誓ひます。何分の御高配を賜
    りますやう、皆さまに願ひ上げます。
    池田 俊二
    さて、どういふことになりますか。楽しみが殖えました。
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーー
    先の「結婚しました 初婚同士二人合わせて142歳」のお祝ひについての動きがあり、一歩
    前進しました。昨日、U氏たちと私との間で次のやりとり:
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    此度は142歳婚でお騒がせしております。
    私の新婚を機に坦々塾有志の旧交を温めつつお祝い会をしていただ
    くのは嬉しい限りです。
    但し、私の伴侶は少女期よりクラシック音楽畑を邁進してきた女性で、
    坦々塾の皆さまと異なり政治、哲学、歴史の分野に長けておらず、
    むしろ関心の外のこととして人生を歩んだ女性です。
    亡き両親がしっかり育てておられたようなので保守主義的な指向を
    もちますが、確固としてものではありません。
    そのような女性であることを前提でお祝い会を催していただくので
    あれば、嬉しい限りです。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    「前提」については了解致しました。「保守」などといふ陳腐な言葉は見るのもイヤで、私に
    とつても好都合です。
    とすれば、私としては、AさんがUさんと相談の上、然るべく企画して下さるやうお願ひし、他
    の方々の御助力を期待するのみです。
    何やら、ワクワクしてきました。
    因みに、小生は超弩級の音痴で、楽譜もよめません。けれども、クラシッ
    クファンです。しかし、造詣は皆無です。
    Youtube動画「軍艦行進曲を指揮する三島由紀夫」を愛聴(視)してゐま
    す。彼の指揮は、お世辞にも、軽快とか颯爽とか荘重とか言へるものでは
    ありません。怖づ怖づといつた感じで、優しすぎ、時に遅れることも。そ
    こは、もつと大きくタクトを振れと声をかけたくもなります。しかし、そ
    の姿に、如何にも、この醒めた大天才の初心(うぶ)な生真面目さといふ
    本質が表れてゐると思はれ、好感を抱いてゐます。
    そして、三島のうしろの聴衆の嬉しさうな笑顔を見ると、あの安倍売国政
    治に無闇に追随するほど、日本国民が愚かしいとは、どうしても思へず、
    未だ完全に絶望しきつたわけではありません。
    春ぞ逝くタクトにマーチ昂まりて  三 寸
    おつと、これ以上の駄辯は慎み、あとは謹んで祝賀の宴の御案内を待ちま
    す。皆様、何分の御高配を。

    三 寸

    1. (管理人殿)
      貴殿が誰のどのコメントを消し、その内のどのコメントを復活させたのかーーさつぱり分りません。さつき消えて
      ゐたものが突如再登場、頭がクラクラしてきました。自由自在の目くらましですね。恐れ入りました。げに、養ひ
      がたきは・・・

  22. 長谷川管理人さんのブログに下記を送らうとしたら、「不正な投稿だと判断されました」の表示が出るので、こちらをお借りします。これこそ場違ひで、すみません。

    ははははは。どうして、「一体」について、今頃説明して下さるのですか。論点逸らし、目くらまし?

    私への昨日の貴メールに「以前、池田さんが○○先生の高齢者住宅に入居した件を書かれたときも、奥様から厳しく困ります!と電話を受け、削除したことがあります。(その時、池田さんに断りのメールを差し上げたように思いますが、記憶違いだったかもしれません)」とお書きになつたのをお忘れ? あれも「一体」?

    泣き落としメールあちこちにお出しになつてゐるやうで、「私にも 長谷川さんから同様なメイルを頂きました。少し、事情を承知していますので・・・。鷹、黒ユリ、仁王門各氏のコメントもなかなかいいのに、トバッチリ。アリバイ作りでしょう」などと、知らせて来る人もゐます。

    それにしても、奥様のここでのコメントの高飛車なこと!当然ながら、メールの哀願調とは大変な違ひですね。私へのメールと、それへの私の返信各2通を、ここに載せれば、万人に事情が分ること。もし、奥様の同意が得られれば、投稿しますが、如何?

    書くのが面倒になつてきました。これは同意を必要としませんので、私から奥様への返信の最後の一節を下にコピペして終りにします。
    ―――――――――――――――――――――――――――ーーー
    私が安倍批判をして、安倍シンパの長谷川さんから、蔑み
    に満ちた、せせら笑ふかの如き扱ひを受けた時、なるほど、
    管理人さんはかういふ人なのだと納得しました。そして
    60年安保で、ワッショイワッショイのお兄さん、お姐さ
    んがたから向けられた白い目を思ひ出しました。

    更に、昭和46(71年)年の中核派による松本楼焼き討
    ちに参加したと長谷川さん自ら述べられた時、愈々納得し、
    福田恆存が60年安保の際「やがて雲散霧消する烏合の衆」
    と評した人々に次ぐ第2陣に属してゐたのだと気づきました。

    そして間もなく、進歩派・左翼などが落ち目になり、”保守” 
    の方が景気がよさうになつたので、群と共に、彼岸から此岸
    に移つたのだ。そして、教科書運動といふ恰好の居場所を見
    つけた。長谷川さんは常に群とともに移動し、群外の者を見
    下す。ーー

    以上が私の長谷川観です(「群れる方ではない」と自己判断
    されましたが、私には、その正反対に見えます)。当然、群
    外の雑音は消さうとするーー偏見かもしれません。でも、長
    谷川さんの「わけ」がどんなものであつても、多分この偏見
    は変らないでせう。

    とんだ場違ひにして相手違ひの、しかも、失礼なことを申し
    ました。以後慎みます。お許しを。

  23. (試験通信)

    昨日は、如何なる文面も、送らうとすると、「不正な投稿と判断されました」の表示が出て、はねつけられました。これも手だらうと邪推しつつ、しかたがないので、日録の場をお借りしました。その旨をここで伝へようとしても、やはりREJECT。

    日を替へて、もう一度。以下、これも、試験通信です。

    ははははは。急いで「本文」をつけ加へましたね。
    「コメントを一つずつ管理は出来ます」「本文を消した場合は一体となり消えるのです」ーー当方が問題にしてゐるのは、「一つずつ」の場合です。自由自在に、ずゐぶん、おやりになりましたね。

    以上、疲れましたが、いいレクになりました。感謝。

  24. 坦々塾の仲間Uさんが3月に結婚され、そのお祝ひを有志で
    来月13日に行ふことは、ここに投稿しましたが、載つたの
    か、あるいは、載つても、消されたのか存じません。

    それに関連して、“有志”の間で、次々とやりとりをしましたが、
    今日、私は越後の親分にメールを送りました。それを横流しし
    ます。
    ――――――――――――――――――――――――――――
    ○○ 親分

    懐しい写真を忝し。先便のものにも私は写つてゐます。
    ただ、顔の半分が隠れてゐるだけです。Uさんや私は新参者
    だと思つてゐましたが、かうして見ると、”Time flies !” の
    感を禁じ得ません。

    「2008年2月24日です 萩野先生の御命日」、さうでし
    たか。15年前ですね。お教へ、感謝に堪へません。

    西尾先生は「三島事件で“保守”の駄目なことが分つた」と
    おつしやいましたが、それ以上に、リトマス試験紙の役割
    を果してくれたのが、安倍さんでせう。

    彼の無教養にして、薄つぺらで安つぽく、殆ど日本人では
    ないことを、伊藤悠可さんは、荻外荘公園で話され、更に
    日録で、名文により説かれ、私は100%共感しました。
    それまでも、安倍さんが偽物であることは感じてゐました
    が、あれほど明解な解説により、理論的に、その本質を掴
    むことができて、さいはひでした。

    その偽日本人たる安倍さんのシンパは勿論、偽日本人です。
    坦々塾会員の90%以上が、その偽日本人であることは遺憾
    です。誰かさんなどは、靖国参拝――結構、教育勅語――い
    いね、夫婦別姓――けしからん!・・・と、オートマティッ
    クに反応するだけで、一切考へません。

    まあしかし、どこにも偽物がゐるのは当り前といふ当り前の
    ことを教へられてよかつたとも考へます。

    とにかく、13日が待ち遠しい! Thank you.

    池田 三寸

  25. 現代文化会議代表の佐藤松男さん(坦々塾会員)から、『日本の戦争はいかに始まったか』(新潮選書)を贈呈され、次の礼状を書きました。

    佐藤 様

    『日本の戦争はいかに始まったか』御恵与に与り忝く厚く御礼申し上げます。
    御会に於ける8回の講座(令和3年12月~)を纏められたものの由。遺憾
    ながら、小生は一度も聴講できませんでした。昨年(令和4年)1月に腰椎
    を骨折し、今も杖をついて、よたよた歩いてゐるていたらくはともかく、そ
    の前の第1回には、(御案内いただいたとすると)なぜ出なかつたのか、首を
    ひねつてゐます。

    今から、じつくりと拝読しますが、近代日本の栄光と悲惨の、後半の1クライ
    マックスが大東亜戦争で、その後も、休みなく、「滅びゆく日本」への道を辿
    つてゐるといふのが、私の基本的考へかたです。その点、福田先生の日本観に
    さして背馳しないつもりです。

    我が大東亜戦争観の基本は竹山道雄の「昭和の精神史」に拠ると思つてゐます。
    以下、その一節です。――

     それにしても、あの歴史を回顧して怪訝にたへないのは、かつてはあれほど
    も慎重周密だつた日本が、どうしてあのやうに大局の目途もなく作戦を拡大し
    てしまつたのだらう、といふことである。
     陸奥宗光の「蹇蹇録」は、日清戦争当時の苦心を記してゐる。あの頃の当局
    者は、外交においてはあくまでも受動的で日本が戦争を欲しなかつた体勢をと
    り、軍事においてはつねに機先を制して、これによつて全体を有利に導くため
    に経営惨憺した。成歓、牙山の役までは外交が指導し、まつたく戦争になつて
    から事を軍の統帥にゆだねた。
     ところが、今度はさういふことはまるでなかつた。ことに支那事変はてんで
    んばらばらだつたらしい。ただ勢ひに乗り勢ひに引かれて、ずるずるだらだら
    と最初からおそれられてゐた「ゲリラの泥沼」に足を踏みこんで、自分の墓穴
    を掘つて行つた。
     あのころわれわれはしきりにニュース映画を見て、奥地の縣城で髭をのばし
    た日本兵が万歳を三唱してゐるのを見て、いつたいこれでどうなるのだらうと
    思つた。――

    まことに、さもありませう。蒋介石だのルーズヴェルトだのの悪党どもが何を
    しようと、コミンテルンが何を謀らうと、陸奥宗光の時代なら、あのやうに、
    戦争に引つ張り込まれることはなかつた、悪党、ゴロツキどもを手玉に取つた
    らうと、日本人の低能化を痛感します。勿論、「米英に抑圧せられつつある東
    亜諸民族の解放」といふ大東亜戦争の意義は十分に認め、数百万将兵の敢闘に
    敬意と感謝を捧げることに於いて、人後に落ちないつもりですが。

    そんな思ひの上に、「やるか、やらぬか 重大決断の舞台裏を」、detailとし
    て確認するつもりです。もちろん、根本をも考へ直すに吝かではありませんが、
    硬くなつた頭では多分無理でせう。

    貴兄は柔軟な頭脳で存分のお働き、大慶至極です。御発展御活躍を祈り上げま
    す。
    以上、御礼まで。             池田 俊二 拝

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