武田修志氏の『文学評論』ご論評

 前回、全集編集でいかに苦労しているかを報告したが、いつものように武田修志さん(鳥取大教授)から次のようなご論評をいたゞくと、大変に安堵し、苦労も消し飛ぶ。最初の方に私を評し「忍耐強い」という言葉が出てくるだろう。これは誰も言ってくれなかったが、誰かがきっとそう言ってくれるだろう、と久しく期待しているうれしい言葉でもあったのだ。

前略。
『全集第九巻 文学評論』を拝読いたしましたので、いつものように、短い感想を書かせていただきます。

今回の文学評論、文芸時評の八百ページは、月刊文芸誌を読まないできた私には、ほぼすべてが初読の御文章でした。それで、これら初見の時評、論文を読んで、新たに見えてきた西尾先生の姿が何かあったかと言えば、正直に言って、格別こうと言えるものに気づくことはできませんでしたが、しかし、これまでになかったある陰影が先生の姿に加わりました。それは、時評家としての先生が、大変に穏やかで忍耐強く、無私に徹しておられるお姿です。実に丁寧に「現実」と付き合っておられますね。つまり、月々に発表されるあまたの作品を丹念に読んで、しかし、自分を主張することをできるだけ控えて、この上なく丁寧に、一作一作に対応しておられるように読めました。単に丁寧な対応というだけではなく、時代の抱えている根本的な問題に対する洞察を持っておられので、個々の作品、個々の作家に対しても、作家自身の無意識の問題を的確に指摘することがおできになったのだと思います。ひと言で言えば、先生はある時期、日本の文学界が持った最良の時評家であったのだということを、今回この全集第九巻で初めて知ったような次第です。

印象に残っている言葉、論考について、以下に少し書いてみたいと思います。
649ページ、磯田光一氏の『戦後史の空間』を高く評価する論評の終わりに、こういう言葉が読まれます、「・・一つの疑問は、氏のすべての作業が相対化のための操作、つまり歴史に対する傍観の立場にのみとどまり、未来形成のための氏自身の行動の質がこれではまったく不明だということである。」ー「未来形成のため」という言葉が、私にはたいへん印象に残りました。こういう批判を先生がなさるということは、言うまでもなく、新しい見方を教えてくれる歴史分析も、その究極の役割は、我々の未来を開く、我々の魂を救うところにあるはずだという考えを先生がお持ちだということです。そういう考えは一つの常識かと思えますが、しかし、こういう批判が出てくるためには、批判者がまず、我々の未来にたいして責任を感じているということがなければなりません。短い時評文でも、先生のもの言いには、先生の誠実、責任感がにじみ出ていて、批評された作家にも、心に響くものがあったろうと、私はこういう小さな箇所で感じ取りました。

第一部「初期批評」中の論文「観念の見取図」は、当時、『鴎外 闘う家長』の読者をあっと言わせたことでしょうね。胸のすくような見事な論考だと思います。丸谷才一氏にはそもそも関心を持ったことがないのですが、山崎正和氏の『鴎外 闘う家長』は、実は私も大学生の時に読んでたいへん感心した一人です。大学にはいる直前に江藤淳氏の『夏目漱石』に出会い、文学には評論というジャンルもあることを初めて知り、今度は大学の三年生か四年生頃、『鴎外 闘う家長』を読んで、これにも魅了されて、ちょうど配本され始めた岩波の?外全集を予約するきっかけになったように記憶しています。当時、先生のこの評論をもし読んでいれば、今度は先生に百パーセント説得されて、自分の読みの表面的であることに、さぞかしがっかりしたことでしょう。自分の観念の見取図を最初に作っておき、それに合致する具体的事実のみを拾っていくーこういうやり方は、たしかに、当時の私のように、まだろくろく鴎外を読んでおらず、自分の鴎外像の描けていない多くの読者には、きわめて理解しやすく、評判を得ることになったのでしょう。

また、山崎氏の鴎外像が理解しやすかったというのは、これも先生が御指摘の通り、この「闘う孤独な家長」という鴎外像が当時の「通年によりかかっていた」せいですね。私なども、読んで、この鴎外は「かっこいいなあ」というふうに思ったことを思い出します。 そのほか、この評論の中には、次のような批評家心得第一条と言った言葉も読むことができ、私のような者にとっては、今読んでも教えられるところの多い魅力的な論文です。「批評は、たしかに対象を創り出す作業だが、しかし、批評家の自己表現の道具として、恣意的な虚構をつくり上げればそれでいいというものではない。批評は、いってみれば、いったん自分を捨てて、どこまでも対象に拘束されてみようとする意欲によって成り立つ行為ではないだろうか。単なる認識でもなければ、単なる想像でもない。客観的にとらえることでもなければ、主観的に解釈することでもない。過去にしばられ、過去の中に感情移入し、過去の声をよみがえらせ、それによってはじめて自分を表現できるのではなかろうか。」

第Ⅵ部の作家論で、今回私にとって最も心に残ったのは「石原慎太郎」論です。これを読んで初めて、石原慎太郎を一度読んでみようかという気持ちになりました。これまで、産経新聞で何度か氏の文章に接したことはありますが、読むたびに「この人は日本語の初歩文法がわかっていないのではなかろうか」という疑念にとらえられて、全く読む気がしなかったのです。 この論文は非常によい石原文学の案内になっているのではないかと思います。「太陽の季節」すらまともに読んでいない私も、石原文学を理解するには、先生の引き合いに出しておられる初期作品が大事であろうということが分かるように書かれています。

それから、これは文学論ではありませんが、445ページにおいて、石原氏が非常に広い視野の持ち主であることに触れて、ホーキング博士の講演を、氏が聴きに行ったときのことが述べられています。その際のホーキング博士の「どんな星でも地球のように文明が進みすぎると、その星は極めて不安定になり、加速度的に自滅してしまうのです」という答に、「石原氏は・・・衝撃を受けた」と書いてあります。この場面は、石原という人は信頼するに足る人だという感じがよく出ていて、印象に残りました。(ホーキング博士の「答」は初めて聞きましたが、これは本当に「衝撃的」です。)

第Ⅱ部「日本文学管見」の諸論文はすべて二度あるいは三度読んで勉強させていただきました。「人生批評としての戯作」は特に興味深い論文でした。この論の中に「『通』はひょっとしたら無自覚ながら絶対者なき風土における絶対者の役割をはたしていたのかもしれない。」という一文があり、心に残りました。近代日本においては、これが「教養」ということになったのかもしれないと考えました。「本当に人が完全な『通』になることは可能なことなのだろうか。・・・むしろ自分は『半可通』であることをたえず意識していることが、わずかに『野暮』に落ちずにすむ最後の一線なのではないだろうか。」近代においても、いよいよ絶対者はいなくなり、わずかに教養あることが最後の価値であるかもしれないけれども、教養ある人というのは、せいぜい自分が教養がないということを自覚している人にすぎない・・・というわけです。 そのほかにも、この論文は考えさせるところの多いものでした。

全体800ページの中で、第Ⅶ部「掌編」の中の「トナカイの置物ー加賀乙彦とソ連の旅」は、ほかの文章と比べて、相当に毛色が変わっていて、とても愉快に読むことができました。ほかの文章からは思い描けない先生のお姿も、ここで看取できたように思います。 第Ⅲ部「現代文明と文学」では、「オウム真理教と現代文明」を何度も読み返しました。力作評論ですが、先生も、オウム事件をどう読み解いたらいいか、この論文執筆の時点では、あれこれ考えあぐねておられるようにも感じ取られました。私は、ハイデッガーの「退屈論」を知りませんでしたので、この紹介が最も参考になりました。

こんなふうに一つ一つ取り上げていっても切りがありません。柏原兵三氏の作品はいわゆるベルリンものを読んだことがありますが、機会があったら氏の著作集を読んでみたいと思います。先生と「親友」であった作家、それだけでも興味が持てます。
綱淵謙錠氏の『斬』は、今読みかけているところです。夜、蒲団にはいって読みかけましたが、途中で、「これは悪い夢を見る」と、いささか気味が悪くなって、しばらく放ってあります。先生の解説は、要領を得ているだけではなく、著者にも教えるところがあったのではないでしょうか。
そのほか、先生の書評を読んで読みたくなった本や作家は相当多数ありました。

いつものごとく尻切れトンボですが、今日はこれにて失礼いたします。
御健康に留意なさいまして、ますます御活躍下さいませ。

上記の中で「人生批評としての劇作」について、「通」に日本近世社会における「絶対者」の役割を見ているという私の指摘に関心を寄せて下さってありがとう、と申し上げたい。西洋の近世文学と江戸文化の比較がもっとなされるべきと思う。

それなら武田さん、拙論中の「明治初期の日本語と現代における『言文不一致』をどうお考えになっただろうか。「後記」の第3節に三論文共通のテーマとして取り上げ、帯の文としても出しておいたあの言葉と音、文字と声のテーマについてである。お考えがあればおきかせ下さい。

ともあれ拙著の内容をよく読みこんでいる、レベルの高いご論考をいただいたと認識しました。

九巻帯表

日本の現代小説が朗読になじまないこと、評論や学術論文はさらに耳で聴いて分かるようには書かれていないことに大きな問題が感じられる。言葉は半ばは音であり、声である。文学作品が与える感動は作品と作家を背後から支える何かある「声」に由来する。作家は何かに動かされて語っているのであって、その何かを自分ひとりの力で「描く」ことはできない。(「後記」より)

九巻帯裏

西尾さんと「新潮」   元「新潮」編集長 坂本忠雄氏
この決定版全集の「内容見本」で、西尾さんは「同じことを二度書かないのが私の秘かなプライド」と述べているが、実に多岐にわたる全寄稿文でもそれが実行されているのは自分の思索を行為と同次元においているためだろう。人間の行為は厳密にいえば繰り返しはないのだから。・・・・「新潮」は戦前は文壇雑誌そのものだったが、戦後の再出発に当って昭和21年の坂口安吾「堕落論」を皮切りに、文学を詩・小説・文芸評論の枠から広げ、文学の文章によってその時代の文化の精髄を読者に伝える役割も果たしてきた。西尾さんが敬愛する小林秀雄、福田恆存、田中美知太郎、竹山道雄等の後を引継ぎ、この新しい領域を次々に切り拓いたことを、私は同世代の編集者として心から感謝している。
(「月報」より) 

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