『正論』5月号より 特集:安倍政権の難問
アメリカ・オバマセイケンノ「迷い」が世界を混乱させている。
日本にとっては国防上の危機だが歴史回復の好機でもある。
三月中旬のある朝、新聞を見ていて二つの雑誌の広告欄に目が留まりました。「NHKvs官邸メディアの死――籾井新会長の独走が始まる 森功夫」という巻頭論文の大きな文字と、「『永遠の0』百田尚樹“暴言”の読み方 保阪正康」という巻末寄りの小さな文字です。『文芸春秋』四月号の広告のことです。
どちらの論文も読みました。しかし論文の内容はここで扱うつもりはなく、私が気になったのは「暴走」とか「暴言」というような題字の付け方です。編集部が付けたのでしょうが、いつから『文藝春秋春秋』は日本を代表する公正で知的な雑誌であることを止め、煽動的な常套句で政治の一方向に加担する機関になったのでしょうか。
同じ朝に見たもう一つの広告は『週刊ポスト』3月21日号で、やはり巻頭にヨコに「日本を破滅させる安倍外交の暴走」とあり、タテに大きな文字で「河野談話撤回で何が起きるか――日米の溝を深めるだけの自己満足外交を中国・韓国が大喜びしていることを安倍首相はわかっていない」と書かれていました。そして第二論文として、長い題ですが、「戦前生まれの保守重鎮はなぜ『安倍改憲』に反対なのか――中曽根、ナベツネから野中広務、与謝野馨、古賀誠、村上正邦まで」と書かれてあります。これも早速買って読みましたが、読まなくても長い題字だけで内容の大部分は予想がつくでしょう。
私は第二次安倍内閣の今日までの外交努力を評価しています。背筋を立てて日本を主張しようとしている首相の姿勢にエールを送りますが、第一次内閣のときのようにいつへたれるのではないかと(健康ではなくアメリカの圧力によって)たいへんに心配しています。つまり私は『文藝春秋』や『週刊ポスト』とは逆方向の心配をしているわけです。
私はNHK籾井新会長の記者会見の発言は百パーセント正論だと思いました。慰安婦は世界中のどの国の軍にもあるという彼の常識をどうして反対できるのでしょう。それ以上の失言を引き出そうとしてしつこく絡んだ記者団のひっかけ質問のほうが卑劣で、反日的でした。百田尚樹氏の新宿駅頭の選挙応援演説はたまたまネットで見たし、文字起こしも読みましたが、これまた歴史観としてまともな内容でした。南京虐殺はつくり話で、アメリカが広島長崎の戦争犯罪をごまかすために、東京裁判で被害者の数合わせまでやったのだというようなことは巷間言い古されてきたことで、すでにこれも常識であり、選挙演説だから多少は力をこめて述べられただけです。いまさらなんでこれが「暴言」なのか分りません。
慰安婦、南京、侵略概念などをめぐる戦争時代の歴史認識については、戦後70年近く経ったいまなおオモテとウラの意見が分かれています。GHQ(連合国軍総司令部=アメリカ占領軍)が公認したオモテの意見と、プレスコードで封印されたままのウラの意見との対立が二重構造をなして並存しています。日本人は二重性を生きているのです。そのうちの南京は80年代に中国が、慰安婦は90年代に韓国が取り上げた新型テーマで、彼らが政治的な課題を解決するのに役立つ利用価値をここに発見して、今日の大騒ぎとなりました。しかしそれらを含めて戦争関連の歴史認識がほぼすべて、アメリカ占領軍に封印されたままであることの現われであり、日本が今なお占領下であることにあらためて気がついて、驚かされているのは最近の出来事です。
籾井氏は公共放送の会長の発言だから問題だというのです。百田氏は小説家の放言なら良いが、公共放送の経営委員のもの言いだから許されないというのです。こんなことを言うマスメディアは言論にオモテとウラがあり、薄々ながらオモテが嘘、ウラが本当であることを認めてしまっていて、自らアメリカ、中国、韓国の支配下にあることをすでに良しとする前提に立っています。
面白いのは最近少しずつ、ウラがオモテになりつつあることです。これはアメリカでも同じで、ルーズベルトの戦争責任は歴史学界の公然たる通念となってきたようです。少なくともウラとオモテの境い目がはっきりしなくなってきた。慰安婦や南京や侵略について政治的表現と歴史的真実の二つの意見があるのだとしたら、二つのうちの後者を選び出し、何とかして一つに絞り込んでいくのがメディアの仕事ではありませんか。慰安婦をめぐる河野談話、南京や侵略をめぐる村山談話を解消する課題について、いっぺんに難しければ、河野談話から先にでもいいのです。大切なのは解消への意志です。「暴走」とか「暴言」とかいうような野次で日本の立場を取り戻そうとする努力をなじり嘲笑するあの雑誌の広告の文言には、アメリカへの恐怖があります。恐怖をごまかすためにすべてを先延ばしにしようとする現状維持派、敗戦利得者、平和の名において何もしない後ろ向きな怠惰政治の卑劣な臆病心ばかりを私は感じます。はしなくも『「週刊ポスト」が名を挙げた「戦前生まれの保守重鎮」こそ自民党をダメにし、鳩山・菅の民主党政権に道を開いた人々ではなかったでしょうか。もう日本人は懲りたはずです。「中曽根、ナベツネから野中広務、与謝野馨、古賀誠、村上正邦まで」と書かれてありましたが、彼らこそアメリカ二ズムとコミュニズムの合体イデオロギーの信奉者であり、占領軍への恐怖から身動きできなくなった挙句に、中国・韓国に日本を売った人々です。
日本再生への願いを「暴走」「暴言」と嘲った『文藝春秋』『週刊ポスト』の広告はあることを暗示しました。日本の国内には一本の線が敷かれていて、その線はどうやら自民党を真っ二つに割っていることを暗示しています。今のアメリカすなわちオバマ政権の世界を見る眼がリアルでなく、日本を混乱させているのはアメリカの世界政策の迷い――ウクライナ問題に端的に現われている――にあるようです。今でも冷戦思考にとらわれて、世界を何となくなめてかかっている甘さを孕んでいるのがオバマ政権ですが、それに日本で気がついているか否か、自ら冷戦思考のままであるかどうか、その違いの中間に一本の線が引かれているように思います。
(つづく)