編集長からの手紙

 この手紙をもらって私は大変うれしかった。私信公表なのでご本人の許可をいただいて――お立場上、若干ご本人もためらわれたが――ここにのせさせてもらう。

 私がうれしかったのは勿論私の論文を評価して下さったからだが、論の骨格を正確に読み取っていただけたこともある。

 年末の仕事の中心が福田恆存に関する講演と論文だった。『諸君!』が掲載してくれる約束だったのだが、量が多いので、削減を求められるのを私は恐れた。削られるくらいなら二ヶ月にわたる分載でいいから、全文のせてもらいたいと思った。そう希望しておいた。

 すると、講演を聴いていなかった編集長が手書きの私の草稿を読ませてほしいと言ってこられた。その結果、雑誌の立場としては分載するくらいなら全文一括で掲載させてもらいたいという。

 でも、確実に100枚は越える。さらに加筆するから最終的には何枚になるか分らない、と言ったら、それでもいいという。余り例のない話である。

 おかげで『諸君!』2月号に36ページもの一挙掲載となった。編集長には12月20日に一緒に酒を飲む約束をした。それからしばらくして、次の手紙が来た。まだ見本刷は出来ていない段階であった。

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 西尾幹二先生

 今月は福田恆存論をありがとうございました。年末のお忙しい時に、大作に挑んでいただき、感謝いたしております。お電話で構想をうかがった時はよくわからなかったのですが、60年代から70年代にかけての福田さんの言論、行動の重さを、全身で受けとめて、その精神を継承しなければならないというお考えが、強く伝わってきました。

 『常識に還れ』『私の國語教室』『批評家の手帖』の三方向からの「非文学」がいかに本来の意味での「文学」であり、行動であるかが、すごくよくわかりました。そして70年以後の、そこからの撤退。私自身が福田恆存の文章を熱心に読んだのは、70年から72、3年にかけて、新潮社から出ていた七巻本の評論集でしたから、その後半が今回、先生が主として論じられたところでしたが、時代の中で非常に孤立というか孤高な印象があり、その精神がレトリックと笑いによって、むしろ積極的に現実に働きかけてくるような凄味がありました。

 たしかに今度の論を読んでいて「アメリカを孤立させるな」や「日本共産党礼讃」がもっていたほがらかな破壊力と、それが破壊たりえた日本という国や社会の岩盤の固さが、70年代以後の日本から徐々に、かつ急速に失われていったことを思いました。変えようとした現実がどんどん不定形で軟体動物のようなものに変容していった中で、三島さんは死に、福田さんは論壇文壇から距離をとり、その空虚に耐えながら、先生の言論活動があるという歴史の構図がみごとに見えてきました。

 私的な回想のエピソードも美しく、没後十年にふさわしい文章をいただけて感謝しております。お疲れさまでした。また頂戴いたしました『日本人は何に躓いていたのか』を福田恆存論を脇に置いて読み直しますと、現実への働きかけへの情熱がまたちがって、ひときわ大きく見えてきました。

 どうもありがとうございました。それでは、20日の夜にお目にかかるのをたのしみにいたしております。

12月16日

                               「諸君」細井秀雄
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 私の言論活動が三島由紀夫、福田恆存の衣鉢を継いでいるというお話は勿論私に自覚のあることだが、一方ではこれは自己過大視と人には見えるかもしれないが、他方では大変に心を冷え冷えとさせる話でもある。この一本の流れは原則的に孤立者の系譜だからである。保守の中に仲間がいるようでいて、じつはいない。

 私は自分を時代に合わせ随分変えてきたつもりであるが、それでも孤立の宿命は避けられなかったし、これからも避けられないだろう。しかも時代と共に日本の条件はひどくなっていく一方である。保守は増えたが、精神は解体している。

 私は残りの人生において、恐らく健康が維持できてあと5年をどう過ごすか、仕事の内容と幅をどうきめていくか、年末年始に当りしっかり考えなければならないと思った。福田先生が脳梗塞で倒れられたのは今の私の年齢、69歳である。

 遅咲きの私はまだ語り残していることが数知れない。これからが生命を燃やす最後の段階であると思っている。

 教科書問題は安心できる後継者を得たので、今まで以上に私はここから離れることになろう。やり残している数多くの関心のあるテーマ、昭和の思想、古代と文字、ゲーテとフランス革命、萩原朔太郎、ショーペンハウアーの母、ニーチェ(続編)、荻生徂徠、空海、韓非子等々、まだほかにもあるが、やりたいテーマは山積している。ドイツ神秘主義にもずっと前から関心をもっていて、文献は大量にあつまっている。よほどよく選んで考えないと、不満な結果に終るだろう。

 福田先生が「もうこれ以上自我の芯で戦うのは間違っているのではないか」と私に自戒の言葉をお示しになったことは論文中に記したが、現代の目の前の愚劣な問題と「自我の芯」で切り結ぶことは私も間違っていると思いつつ、ジェンダーフリーにまで手を伸ばし、来年は憲法、中国問題、皇位継承問題など目が放せない問題が並んでいる。たゞどこまで付き合うか、現代との距離のとり方がこれから限られた貴重な時間内で、さらにむつかしくなってきたと痛切に自覚している。

 年末に編集長からの例外的な手紙を紹介する機に、所見を披露した。連載中の「正しい現代史の見方」は勿論まだつづく。

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