講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(二)

 あの、東京オリンピックの時に、ラストランナー、聖火に火をともした青年のことを思い出して下さい。普通の場合ですと、第一級のスポーツマンで前オリンピックの金メダルの走者などが聖火台に駆け上がるのが普通ですけれども、東京オリンピックの時は何があったかご記憶がおありでしょう。広島の原爆の日に被爆した少年、19歳の少年が、もちろんスポーツマンなんでしょうけれども、日本を代表するランナーでも何でもない少年が出て走った。被爆の少年がここまで健康に大きくなりました、というのを世界に知らせるといって聖火台に上がった。とにかくそういうことを日本はやったんですよ。

 日本は悪意でやったんでも、なんでもない。日本は平和を愛してきた、戦後平和主義であった、そのことを世界に知らしめたい、そういう善意のつもりなんでしょうけれど、アメリカが愉快なはずはないですよ。アメリカは何にも言いませんけど、つまりこれは報復主義と思われてもしょうがないんですよ。忘れてはないよ日本人は原爆を、と。世界に告知した報復主義と思われても文句が言えないような所業を、平和主義という名においてやるこの日本人の間の抜けた無自覚ぶり。日本人は薄らバカじゃないかと僕はその時思いましたよ。勿論、アメリカに対する報復心理は心中深く私の内心にも宿っていますが、それを吐き出す場所が違いますよ。オリンピックでそんな本心をさらけ出すバカはいないでしょう。

 日本人はすべて無自覚なんです。アメリカという特定の国が原爆を落としたのではなく、天災かなにかのように考えている。国際社会、世界で起こっていることが何にもわかっていない。自分が悪いといえ、世界にとおると思っているのもそれと同じです。被爆した少年がもうこんなに元気に成人したっていえば、世界のどの国もが喜んでくれる。アメリカも喜んでくれる、無邪気にそう考えるんでしょうね。日本は悪い戦争を自分が始めた、そして今は善良平和な国民になった、世界中の人見てください、そういう気持ちだったんでしょうねぇ。

 戦争という悪いことをした、日本人が。そうですか?悪いことをしたのは、アメリカでありロシアであり、イギリスであり、フランスでありオランダであり、そして中国も含めて、毛沢東は何をしましたか。日本は加害者じゃありません。全然。この歴史、19世紀から20世紀にかけて。もし加害者というなら、加害の面もあったでしょう。しかしそれは、お互い様です。お互いさまだから平和条約を結んで、そこで、ご破算で願いまして水に流すのです。後くされなしに。それが平和条約というものではありませんか。

 謝るべきことあるいは、謝っていいことがあります。国際社会も人間の社会と同じですから、謝るべきこともあるでしょう。たとえば、我々が、隣の家に車をぶつけてしまって、隣の塀を破損してしまったと。謝らなかったらこれは人間じゃありませんね。まず謝る。そして本当に誠意をしめす。そうしたところから近隣の関係が保たれてまいります。国家の間でも同様に、菓子折りを下げて謝りに行くのと似たようなことがございます。

 例えば、迂闊にも領空を侵犯してしまったような時。悪意も何もなく、それすぐ直後に謝罪するのが当然です。あるいはまた、ある物産、ある生産品を年間これだけ買うと約束したのに、その製品が暴落したために、買うことが出来なくなった。買う意味がなくなった。他の国から買った方がはるかに有利だというために、売主を代えてしまったと。これは信義に反する契約違反です。こういうことが行われた場合には、これも謝罪の対象にもちろんなるでしょう。

 クリントン大統領は沖縄で起こった少女暴行事件で、直ちに謝罪をしました。これもあって当然のことです。こういうことがあれば、国家といえども謝罪しなくちゃいけないのです。そのやり方を間違えると韓国の少女ひき逃げ事件のような大きな騒ぎになって、それが引き金で盧武鉉大統領が成立してしまうというような、予想外の、取り返しのつかないことが起きるわけですから、謝罪ということが国際社会にも重要なことは言うまでもないのであります。

 しかし、この世の中で、断じて謝罪していけないことがあるんです。それは戦争に対してなんです。軍人のみなさんを前にして、かようなことを言うのは釈迦に説法おこがましい次第ですけれども、戦争というのは、言葉の尽き果てたさいごに、謝罪したりためらったり、それまで繰返して謝罪したり、耐えたり、それから言葉でもって、言うべきことを言い尽くしたりまたいろいろな屈辱的なことをも重ねたりして、どうしようもなくなってとうとう挙句の果てに、戦火の火蓋が切られると、こういうことですね。そうじゃありませんか。

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